チ。-地球の運動について-https://anime-chi.jp/
ひゃくえむ。
https://hyakuemu-anime.com/
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
サマリー
今回のエピソードでは、「葛藤こそドラマの根源だ!」をテーマに、葛藤の解像度を上げる方法について深く掘り下げています。ドラマの本質は葛藤を描くことにあり、それは国内外の著名な脚本家や監督も指摘するところです。葛藤には内的なものと外的なものがあり、これらが組み合わさることで初めてドラマが生まれると解説されています。作品によっては、大きな対立が描かれなくても、登場人物の内面的な葛藤が丁寧に描かれることで視聴者の心を掴むことが示唆されています。 特に、俳優が葛藤を演じる上で、社会規範や時代背景といった外的要因の理解がいかに重要であるかが強調されています。具体的な作品例として、漫画『100m』と『地』が挙げられ、これらの作品における葛藤の構造や、それを表現するために俳優が社会や歴史を深く理解する必要性が語られました。俳優は、台本に書かれていない部分の人物像を掘り下げるために、自ら葛藤を設定し、表現を豊かにしていく作業が求められると述べられています。 最終的に、葛藤を深く理解し、それを表現する能力こそが、俳優としての個性を際立たせ、観客に面白い作品を届けるための鍵であると結論づけられています。葛藤の捉え方を深めることは、俳優にとって最も面白い作業であり、それが作品全体の質を高めることに繋がるという考えが示されました。
00:19
アートの片隅で、こじらせシアター。
どもどもどもども。
じゃあ今回のテーマを、はるさん、もう一度お願いします。
ドラマの本質としての「葛藤」
はる さん はい。今回のテーマは、葛藤の解像度をあげてみようというテーマになってますね。
はい。では第2週目、私、お話しさせていただきまして。
はる さん はい。
よろしいですかね。
はる さん はい。お願いします。
いやー、面白いテーマだよね。
はる さん そうですね。
いいテーマを、はるさんありがとうって感じなんですけど。
で、僕はやっぱりちょっと劇作?
はる さん はい。
個人的な葛藤の話よりは劇作について話したいんだけども。
はる さん はい。
まあ瞬間的にやっぱ思ったのは、基本的にドラマって葛藤を描くことだよな。
はる さん そうですね。
と思ったんですよね。
はる さん はい。
で、著名な方が、やっぱドラマって葛藤を描いているよねとかいうことをね、例えばそうだな。
山田太一さん。
はる さん はい。
じゃあ今回。
ドラマはプラスのカードをいっぱい揃えてもできません。
立ち上がりはこの人には何がなくて、どういうところが欠けているのかというところからスタートするんです。
はる さん うーん。
とか、例えばちょっとそれるかもしれないんですけど、大河俊彦さん。映画監督。
はる さん はい。
ドラマとは葛藤であるのコンフリクトは対立、衝突はアメリカ的で、確実、因縁は日本的と文脈に応じて訳し分けるのが正しい。
日本語の葛藤には心の中で2社または3社以上のことを悩むことのニュアンスが強い。
コンフリクトを葛藤と教えられると、主人公が悩む場面ばかり描いてしまう。これは誤りであるとおっしゃってます。
向井耕介さん、脚本家。深夜食堂なんかを描いてらっしゃるから。
大洲康二郎作について、登場人物の出し入れ、そして葛藤の作り方。
父対娘、とつぐとつかないというような対立構造はマッキーの言っていることとびっくりするくらい似ている。
日本の昔の演劇陣はハリウッド式脚本メソッドなんか知らないで映画を作っていたわけなんですが、
それでも似てくるということは、2時間でお話を完結させないといけないという場合の、
人間が心地よいと思えるような物語の大きなうねりというのは世界共通なんじゃないかとおっしゃってますよと。
海外でももちろんいろいろいっぱいあるんだけども、
これをただ紹介するとそれだけで終わっちゃうんで、このぐらいにしておくんですが、
まあ、劇局とは葛藤にことだと。
ドラマは葛藤だということは多くの方が、過去の偉人がおっしゃってますよと。
そうですね。
まあ、そうだわねと。
葛藤の種類と作品における表現
先週、原さんの回でもちょっと言ったんだけども、内的な対立と外的な対立があって、
初めてドラマが生まれますよね。
全て手にして、全て希望のものが最初から手に入っていたりすれば、それはドラマじゃないんじゃない?
そうですね。
そういうドラマがあったっけって思って調べてみたらあんまなくてね。
まあ、そうですね。
どれだっけな。ちょっと待ってね。
5度を待ちながら。
葛藤を描いていないんじゃないかと言われるんですが、不条理だからな。
そうですね。
また違ったジャンルというか。
そうですね。
確かにどっかと衝突はしていない。
何かが起こるわけでもない。
でも、その待っているが来ないというのを対立というか、構造的には葛藤としても捉えることはできるかなと思ったりするんだけどね。
あとは大洲康二郎監督の映画作品なんかも淡々としていて、大きな対立、劇的な対立は起こらない。
が、やっぱり内的な葛藤を大きく表現していないだけで葛藤がないわけではないよね。
そうですね。
それ聞いて、先週私、葛藤が見える作品が好きって言ったじゃないですか。
でも、基本的には何も起こらないように見えるけど、その物語の中の一人一人の心の内とかが見えるのが好きだなって思いましたね。
作品的にすごい流れ的に葛藤が見て取れるものじゃなくて、作品の流れ的には結構淡々としてて、日常が平穏に描かれているけれども、
その中の一人一人の人物の葛藤、内面的なそれこそが見えるものが好みだなっていうのをたくさん話を聞いてて思いました。
確かに葛藤がないドラマなんて、そもそも巡り合わないなっていうのもあるし。
切り取ったドキュメンタリーとか風景映像しかないんじゃないっていう風にAI様はおっしゃってらっしゃるんですよね。
歌もそうだし、だいたい葛藤を描いてると思うんですよね。葛藤がないとドラマにならないってことですよね。
ギャングスタラップも、金稼いでやるぜって、金がないから稼いでやるぜってカットを歌ってるわけだからね。
美女と暮らしてやるぜ、今美女がいないからそうなってやるぜってピックになってやるぜって言ってるわけじゃない?
いないやつってあるのかな。だいたい爽やかなスカッとしたアニメ、例えばドラゴンボールとかも。
あれ完全にバトってるもんね。対立があるもんね。
スポーツ漫画はもちろん自分との葛藤だったりとかもあるし。
日常淡々系だってそれは細かい対立とかコンフリクトとか葛藤を描いてるってだけであって、劇的に大きいわけじゃない。
劇的であるかどうかっていうのはあるかもしれないですけど。
だからそれは表現方法の違いというだけである可能性が高いよね。
そうですね。
カットは何かしら葛藤くんも持ってるだろうし、夜子ちゃんも持ってるでしょ。
それを表現してる。少女漫画とかがわかりやすいんですかね。
重い、自分が描いてる、考えてるやつがこうよく表現されるでしょ。
内面性みたいな。
ずっと描かれるから、あれはわかりやすいのかな。それが素敵だったりするんでしょうけどね。
葛藤の構造と表現方法の違い
ラノベとかああいうのって葛藤する項目がわかりやすくて、葛藤の種類が多くないっていうことだよね。
登場人物とかドラマを構築している要素が少ないってことだと思うんだけど、イコール対立構造が少なくなることだから。
構成している要素が10とか20あるドラマと4とか5くらいしかないドラマだと、当然関係図みたいなのを作ったときに、
こことこのここの関係性が仲良くて、ここはバッテンでみたいなことを作っていく。
その線が少なくなるじゃない。そうするとその分だけドラマが減るわけだよね。
そうすると短時間でわかりやすいものができるって感じだよね。
大きいっていうか、たくさんのカットを描こうとすると超絶に時間がかかるってことなんだろうね。
そうですね。
そこの主者選択が脚本家とか編集とか演出家の監督の文学性とか芸術性っぽい気がするよね。
どこを描いてどこを描かなくていいみたいなこと。
そうですね。
監督たちもそこに葛藤あるんでしょうね。全部やりたいけど、それやっちゃったら6時間かかっちゃったら、
それを2時間か、それをアメのシーンだけで表現するかっていうのがやっぱりあったりするでしょうね。
そうするとだいたい似通ってきちゃうんだよなっていうのは多分さっきのコメントの中にあったちょっとわかるなっていうポイントだと思う。
カットの描き方で面白くなったりするんでしょうね。
モチーフはそんなに変わらないんだけど、表現方法とか同時代性みたいなことで変わっていくのかなっていう感じがするよね。
そうですね。
チュードがドラマをどちらかというと最初に作る側で考えたんですけども、
我々俳優に落とし込んでいくわけじゃないですか。
我々俳優が葛藤を演じなきゃいけないってなるわけじゃないですか。
そうするとね、一つ俺が行き着いた結論は、だから俳優は社会勉強が必要なんだと思った。
一つは、当然自分自身の気持ちというのと内面的であれ外的であれ何かしらの対立があったりすると思うんだけれども、
その時に内面だけだったらなんとなく自分の中だけで構築していかなければならないんだが、
これ対外、これが社会規範とか時代性とか社会序列みたいなことだとそこの部分をきちんと理解しないと正しい葛藤にならないんだよね。
だから先週船ちゃんが言ったロミー・ジュリー、ロミアとジュリエットだと、いろんなモチーフとして使われるじゃない、
すごい完成された構造だから、恋愛感情は分かると。
じゃあその所属している社会、会社、組織みたいなところとどういう関係なのかっていうことが、
ここリアリティがないと全然お客様が共感してくれる葛藤が生まれないよねってなってくると思うよ。
あれは上流のところと階級差があってみたいなことだし、
ウエストサイドストーリーも同じ構造になってるわけですから、あれはだからギャング同士だけど、
ギャングの中の構造はどうなってるのかっていうことが演じる側が正しく理解されていないと、
正しい葛藤を演じられないですよねっていうことになってくるんじゃないかなと思って。
だから普段から役者はいろんなことを勉強しなきゃいけないんだ。
気持ちを表現すればできると。葛藤を演じるためには、葛藤の対立先であるものをきちんと理解しておかないと、
フィクション上のものを理解しておかないと正しく理解できないんだろうな、というふうに思っております。
作品例:『100m』と『地』における葛藤
ここで私が提示したい作品は、これ結構同じ作者なんですけども、100Mと地ですね、地球の運動について。
ウォート先生ですね。100Mはハルさんが推してくれたので。
いいですよね。
これ3人とも見たんですかね。
見ました。
地は見た?
地は私見てないんですよ。
めっちゃいいよ。
面白いよ。
みんな言うから。
あれ男子がでも好きなんですかね。
でも今は女性もすごくわかると思うよ。でもそうじゃなかったらこんだけ評価されないと思うからね。
当然ネタバレとかじゃなくて構造の話をするから大丈夫だと思うんだけど、100Mは陸上部100mを走る人たちの、それこそ葛藤の物語じゃない。
当然走ることと何かの対立になっているんだけども、あれ面白いのはあんまり記録って出てこないんだよね。
記録との対立構造じゃないんだよね。
なんで10秒切れないんだっていう話じゃないんだよね。
なんで相手に勝てないんだっていう話はちょっと薄いんだよね。
どちらかというと走りたいんだが社会との、自分との、特に後半だよね。
100mを駆け抜けたい自分と社会との、特に経済とのコンフリクト。
そうですね。
があるじゃない。その時に社会と会社に契約されて、会社と契約してスポンサードされて100mを大会に出るっていうことがどういうことかっていうことが、
これはかなりリアルに認識していないとお芝居できないよねってなってくるじゃない。
そうですね。その環境によっても感じる葛藤が違うから、そこの環境を吐き違えちゃうと、正しいその人物のその時の葛藤が表現できないっていうことです。
部活の時と社会人になった後の社会人ランナーとしての葛藤の在り方って違うわけじゃない。
違いますよね。
そうすると会社組織みたいなことをよくわかっていないと表現できないよなってなってくる。
ですよね。プレッシャーが与えられるプレッシャーが絶対違いますからね。
あれ松坂通りさんだっけ主役の声が。
そうだったと思います。
そうなんですね。
どちらかは松坂通りさんですね。
やっぱり最後、主人公が応援とするシーンがあるんだが、あそこをきっちり行くには社会をよくわかってないといかんなって思ったわ。
そうですね。
自分が表現するならば。
あれはだから自分が、僕はよく自己発電って言うんだけど、自分の悔しいっていう気持ちだけであそこに行くのは結構無理で。
そうじゃなくて、体圧、外圧がぐしゃぐしゃぐしゃってかかってきてるから、それがしっかり想像ができているからあそこに行けるんだなと思うわけですよね。
そこがただ自分の気持ちを正確に表現するっていうことだけではなくて、俳優としてより社会をそれこそ解像度高く理解しておくということが必要なのはそこにつながるからなんだという気づきに至ったんですよね。
一つね。
で、続けて地に行くんですけど、地は地動説と天動説の話なんで、そうすると何が対立構造になってくるかっていうと社会規範になってくるんですよね。
本編の中で4章立て。
そうですね。
大体4章立てになってるんですけど、4章だけはポーランド国の1600何年っていう史実に基づいた設定なんですけど、それ以外の1,2,3章はP国某年ってなってきて、そこがぼやかされてフィクションになってるんですよね。
で、P国のシー教、キリスト教をモチーフにされてると思うんだけど、キリスト教による地動説への弾圧みたいなことが社会規範としてあって、それと真理を追求したいという人類の戦いの葛藤のお話なんだけれども。
じゃあその真理を探求したいという気持ちは自分で作るとなってくるじゃない。
今度はだから何とコンフリクトするかっていうと、キリスト教的な概念。
日常って生きてると、それダメだよねみたいなことを理解していないと、やっぱこれやばいんじゃないっていうところに行かないじゃない。
それを正確にやるためにはやっぱりある程度歴史家的なアカデミックな勉強は難しいけれど、ある程度こうなんじゃないかというリアリティを持って近づいていかないと生まれないだろうな葛藤は。
そうするとそこもよく取っ掛かりぐらいは知っておかなきゃな。描きたいのは葛藤なんだけど、そこの土台を何とコンフリクトしてるか、何と対立してるか、何と葛藤してるかっていうことを葛藤相手、対戦相手みたいな感じでね、対戦相手のこともよく知っておかないといい葛藤が生まれない。
そうですね。
作品で表現しようとして葛藤が生まれないっていうことがあるから、だから勉強が必要なんだな。
なるほど、というふうにこっちの作品でも思って、特に葛藤さんのね、その2作品は葛藤が分かりやすく世の中に浸透してる作品なので、分かりやすいかなと思って取り上げているんだけども、うん、そうだな。
俳優の葛藤表現と作品へのアプローチ
葛藤の描き方がどっちもめちゃくちゃ面白いですもんね。
そうそうそうそう。見てる、その一般のお客様はそれで、あーってなるんだけど、そこのあーっていくまでの我々の表現の準備としては、そういうとこにきちんと。
そうですね。
ただ自分の気持ちがこうだから、こっちの方向じゃないから、じゃなくて、対戦相手もよく知っておかないといけない。
そうなんですよね。
というのがあって、さらにお話しさせていただくと、その船ちゃんがこれも先週言ってた、先週だっけ、なんかインターバルの間に話したことだっけ、ちょっとあれなんだけど、
いわゆるセリフがない役とか、セリフが多くない役とか、台本には描かれていない部分みたいなことの人物を掘り下げていくって結局葛藤を見出すか見出さないかによるんだよね、自分で。
そうですね。
主役は当然その人が動かないとドラマが動かないので、それは全部台本に書いてありますよと。
恋愛だったら好きだけど告白できないとかさ、犯罪だったら会社内の誰かが敵だみたいなこととかあるんだけど、
そうじゃない部分の人の葛藤を俳優側が創造し、それを表現に入れてることで、その役がすごく良くなる。
結果作品がすごく良くなる、みたいなことが我々ぐらいのキャリアになってくると求められてくるなというふうに思って。
休憩中に話してた、あまり指示がされない役でも我々勝手にこうしたら良いんじゃないかとか、こうするとより良くなるんじゃないかというアイデアの原点は葛藤とか、
こうしたらこの役はこうするんじゃないかというのは葛藤を設定してあげるとより深く表現できるなというふうに思いましてね。
そういうのが楽しいなと思って。
その作業は本当楽しいことだと思いますよ。アンサンブルでもセリフがない役でもあれですけど、
なんで俺はここにいるんだろうとかっていうその絶対的な理由があるから、
それをね、セリフが喋れない役じゃないし、ただセリフが用意されてないだけであって、
そこには生きてるし、生きるためには何をしてるんだろう、何をしなきゃいけないんだろうっていうのがやっぱあるから。
そこでね、稽古中なんかはね、稽古は失敗して当たり前の場所だし、
それでね、いろいろ作っていくのが面白いというか、そういう仕事なんだろうなっていう。
そこを、やっぱ何かしらのその人物の葛藤を起点に演技プランというかアイデアを立てていくことが多いんですよね。
だからそうですね、シーズン1に出ていた佐藤雄貴さんと共演した舞台では、
僕、佐藤雄貴さん兄弟の役のね、兄弟の父親役をやったんだけども、
佐藤雄貴さんのお兄さんが結婚するんだけど、その結婚相手が気に入らなくて結婚に反対してるお父さん役だったんだけど、
なんで反対するかっていうことを考える。
相手が水商売出身だからって言うんだけど、なんで水商売出身の人が嫌なんだろう。
最終的にドラマ的には許すっていうところがオチになるんだけど、
なんで最終的に許すんだろう。
みたいなところが描かれているんだが、
何と葛藤して何に気持ちが傾いて許すのかっていうところが葛藤の部分じゃないですか。
何があったからその結婚に反対してこいつは許さんみたいなことがあって。
それは昭和の時代の話だったから、
前時代的に言うと女性の水商売って地位が低いよなとか、下げ積まれてる感覚あるよなとかいう時代性とか、
社会規範みたいなことを取り込んでいったらこれかなっていうところに行き着いたんで。
そこはだからセリフ上書かれていないんだけども、そこを深掘る作業はすごく楽しかったんで。
応援して葛藤って言葉にされないからセリフになってないんだけど、
そこを表現したりそこを追求探求するのが俳優の仕事だなと改めて作品で思ったんですよね。
勝手になんか小道具とか用意してさ。
面白かった。結構お客さんの反応は良かったんで、正解だったのかなっていう感じ。
そうするとなんかいろいろ出てくるからなと思って。
そうですよね。ちょっと一つ用意しただけでも変わりますからね。
もしかしたらそれが俳優の個性だったりするのかなと思ったりもした。
そうですね。
同時に他の人の演技を同時進行で見てるわけじゃないから、他の人と比較はできないんだが、
こういう期決になるのは俺自身のキャラクター、小松大輔の俳優のキャラクターというか考え方の現れかなと思ったりもした。
単純に演出家に言われたことで、脚本をただ読んでるだけだったら別に誰でもいいわけね。
それを個性を出すとか、やっぱ小松さんにしかあれできないよなって思われる何かを持っていかなきゃいけないわけ。
それは多分見た目とかもあるんだろうけど、かっこよく言うと美意識みたいなことに近いかもしれない。
ここがいいんじゃないかみたいなこと、ここで表現したらいいんじゃないかみたいなことのチョイスがそこに出るってことは、
そういう考え方が現れちゃうからねと思ったりもするので、
そこの表現方法というよりは葛藤の捉え方みたいなことが大きいかな。
そこの葛藤を考えるのが一番俳優の作業としては面白いかな。
面白いですよね。
時代背景と普遍的な葛藤
だから例えばシェイクスピアの悲劇、読んだ悲劇なんかが繰り返し表現されるのも、
時代性によって葛藤のあり方が変わってくる、見え方が変わってくるみたいなことはありそうだよなと思ったり。
枠は変わらないんだけどね。
シェイクスピアの話をすると長くなるから割愛するんだけど、
そういうのを考えてきました。
あ、気持ちが。
葛藤を描かないと、本当にうちらも面白い作品を届けられないと思ったから、
何かしらちょっとしたことでもあれば面白く役を演じられるんだろうなっていうのを思いました。
だから現代人と、当然時代劇なんかで違うわけじゃん。
時代が違うってことは社会規範が違うよねっていう話になってきて、
この時代の社会規範的にはこれは気持ちいいことだし、これが気持ち悪いことなんだけど、
今の我々が見てもそういうところは普遍的に辛いよねとか、
そういう感情あるよねみたいなことを炙り出すために、
時代劇という設定になってるみたいなことがよくあるじゃない。
お芝居しておりますみたいなことをさ、そこは変わんないよねみたいなことを描くために
時代設定がそこになってるみたいな。
いうのが理解できると楽しいなっていう風に。
それは実体験として思いますね。
だから社会行動を知るっていうことと、いろんな人の葛藤をね、
リアル社会で考えたりすると、割と俳優の表現に直結するインプットになるなと、
私思うわけであります。
葛藤の言語化と学び
ありがとうございます。
どう?この仮説。
俺がAIと喋って。
喋って。
葛藤をね。
演じるっていう上で。
いろんなことの表現があるんだけど、そこに着目するだけで割とスッと、
その最初の一手が、この作品のこの人はこれとこれに葛藤して、
それがここに現れてるんだなって。
だからそれを表現するために、どこか何かアイデアがないかとか、
いうのを考えるかなっていうことが多いな、最近はって感じ。
特に舞台はね、そういう余白がいっぱいあるんで。
演奏はやっぱりある程度制約が大きいんで、難しいんだけど。
どうですか?
いや、とても個人的に勉強になりました。
勉強になるかな。
分かりやすいですよね、小松さんのお話って。
分かりやすいよね。
想像がしやすいし、小松さんのお話聞いて、
これ自分にはできてないことだ、やり始めようとかっていうことも分かるから。
だからそれがアウトプットの目的の一つなんだよね。
これが僕もPodcastでこうやって三人で喋る意味の一つなんだよね。
俺もテーマを投げかけられて、例えばこれで居酒屋で喋って、
喋ることはできるんだけど、まとめてないから頭の中に残ってしないんだよね。
カットのここはこうで、こういう作りか、じゃあここやらなきゃいけないし、
こういう考えはやっぱ正しかったみたいなことって、こういうふうにシラフで、
きちんと誰かに対して喋るっていう構造がないとまとめないから。
ある程度僕はこれとこれと喋ろうみたいなことをまとめておくからね。
それは俺がまとめないと気持ち悪いから。
それは素晴らしいですよね。
ぼんやーっとしてると、あーってなっちゃう。
これが個人的なコンフリクトなんだけど。
もやもやしたままにしておけない。
素晴らしいです。
素晴らしいよ。もやもやだらけ。
下まま行ってしまう。
仕事はね。
整理するとこはして。
それを忘れちゃうんだから。
やらなきゃっていうのをね。
もやもやしてると、あやふやなもんって忘れちゃうんだよ。
ひとつこうかなと思ったものって、言語化だとそういうことがひとつふっくりで残るから、
僕は好きなんだけどね、そういうやることが。
これを聞いて、これをうちらも聞いて、こちらの人も聞いていただいて、
ちょっと意識も変わったりするような気がするよね。
想像力が。
先週原さんが言っていた、再文化をしただけなんだけれども、
ということで、お芝居したいなと思うんです。
気持ちになってくる。
という感じですか?
そうですね。もちろん時間ですね。
じゃあ私のお会話。
9割、私が思ったことを喋るだけの時間じゃない?
大丈夫?
私なんか悩み相談でしたから。
次週も悩み相談みたいな感じになります。
じゃあ来週は同じような回ということで、
今週はこんな感じで終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
告知
この度、演出助手を務めるソラカメ第12回公演
きっと世界は終わらない。
6月17日から21日まで中野スタジオアクトルにて上映しております。
詳しくはソラカメ公式Xやインスタグラムをチェックしてみてください。
劇場で皆様にお会いできるのを楽しみにしております。
よろしくお願いします。
32:53
コメント
スクロール