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#22 「会話の0.2秒を言語学する」感想回(音声包装談義)
2026-07-20 58:56

#22 「会話の0.2秒を言語学する」感想回(音声包装談義)

今回は、 ポッドキャスト読書会 7月のテーマ『「話す」ことについて考える』に参加するために「ゆる言語学ラジオ」の水野太貴さんの『会話の0.2秒を言語学する』を元に、タカハシ研究員と語り合いました。

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サマリー

このエピソードでは、水野太貴氏の著書『会話の0.2秒を言語学する』を元に、会話における言語学的な側面について深く掘り下げています。まず、会話のターンテイキング(発話交代)が0.2秒という非常に短い間で行われること、そして日本語ではさらに短い7ミリ秒という驚異的な速さで行われることが紹介されます。さらに、会話が成立するためには、発話者の意図を汲み取る言語行為論や、グライスが提唱した協調の原理、そして関係性理論が不可欠であることが解説されます。これらの理論を踏まえ、言葉の意味だけでなく、ジェスチャーやフィラーといった非言語コミュニケーションの重要性も論じられています。 後半では、ASD(自閉スペクトラム症)や吃音といった特性を持つ人々が会話においてどのように困難を感じるのか、そしてそれが言語学的にどのように説明できるのかが語られます。例えば、ASDの人は文脈の解釈や相手の意図の読み取りに苦労することがあり、吃音の人は言葉を言い換えることでコミュニケーションを図っている場合があることが示唆されます。また、左右の区別が曖昧になる、逆張り思考が強いといった、個々の特性が会話や思考に与える影響についても考察が深められます。最終的に、これらの多様なコミュニケーションのあり方を理解し、受け入れることの重要性が強調され、リスナーに新たな視点を提供しています。

はじめに:『会話の0.2秒を言語学する』紹介
じゃあ、ちょっと始めたいと思うんですけど。
はい、よろしくお願いします。
あの、今日は、なんだっけな、ポッドキャスト読書会っていう、えーと、なんていうの?企画?
はい。
で、えーと、話すことについて考えるっていうテーマで、今月7月設定されてるので、話すことについてちょっと語りたいなと思ってます。
はい、えー、斎藤です。
高橋です、こんにちは。
はい。
はい、えーと、今日取り上げたい本があります。
えーと、会話の0.2秒を言語学するという水野大輝さん。
大輝さんですね。
大輝さん。
はい。
大輝か。
大、大本なので大輝さんですね。
大本?初めて聞いた。
こっちはガチ勢なんで、こっちとらガチ勢なんでね。
ゆる言語学…
ラジオ。
ラジオ界隈の中では大本。
いや、大本とはあまり言わないですけど、まあ、大本と言われるときもあるかなと。
じゃあ、ゆる言語学ラジオの水野大輝さんが書かれている、会話の0.2秒を言語学するという本で、
もともと高橋さんが読んでたんですけど、僕は、僕も買ってたんですけど、全然読めてなかったんだけど、これをいい機会として読ませていただきました。
はい。
ということで、で、今日大まかに流れとしては、その、この本がどういうことを書いているのかっていうのを前半で話をして、
で、後半はちょっと全体通して感じた解釈だったりとか、そういった感じで話せたらなと思っております。
はい。
で、この本読んでない人に関しては、かなりネタバレになるので、
うんうん。
はい、あの、なんだろう、まあ、とはいえその、この話聞いてちょっと読みたいなと思ったら読んでもらってもいいかもしれないけど、
割と全般話すので、ちゃんと読みたいなという人は一旦読んでからかなと思います。
はい。
会話の基本:ターンテイキングと言語行為論
はい。
で、ちょっとその本の構成というか、そこもちょっと簡単におさらいというかしていきたいと思うんですけど、
0.2秒の間に会話がターンテイキングが行われているっていう話で始まってました。
ターンテイキングっていうのは、僕が話して高橋さんが返すみたいな、そのやりとりの間の隙間。
話す人が変わるまでの間の時間ってことですね。
それに0.2秒の間に切り替わるというところ。
ドハティの行き地っていうのが0.4秒っていうのがあって、
その0.4秒以上を間が空くとちょっと興味が失われるっていうか。
さらにまあ後の方に出てくるけど、日本語、日本の会話の場合はもっと短い。
7ミリ秒って。
0.007秒みたいなところもあったりとかして、
それは難しいよね、会話ってみたいなところがあるなと。
第2章は文の、文脈、文脈というか、文法、どっちかというと文法みたいなのが違って、
第3章が言葉の意味というか、名詞だけじゃないけど意味みたいな話。
単語かな、単語みたいなことになって、第4章で言葉以外の話。
ジェスチャーとかフィラーとか。
最終章はそれらを踏まえて、リベラルアーツ的な、いろんな人がいるよねっていうところの
ダイバーシティ的な話が一番最後にエピローグとして。
ASDの人だったり、喫音の人だったり、いろんな特性から自分のことを知るきっかけになったなみたいなこともあったりとかして、
結構濃く書かれてるかなっていう構成になって、全体の流れですかね、概要は。
結構骨太な、骨太って言ったらとっつきにくい感じもあるかもしれませんけど、
読みやすいは読みやすいんですけれど、結構思い向きとしてはどっちかというと学術書というか、
ポピュラーサイエンスの本みたいな雰囲気なのかなと思って読んではいましたね。
最初から行くと、オースティンっていう方の言語考慮論っていうのがあって、
それは会話って言葉だから文章に、もちろんテキストにできるんだけど、
テキストに書いてあるその意味通りに会話してないよねっていうか、
だから会話って何かを求めるために発話するもんだよねみたいな感じ。
例えば、この部屋ちょっと寒いなっていう発言があったとすると、
その場合にその人が、発話した人が言いたいのは寒いなっていうことを伝えたいわけではなく、
例えば冷房を少し弱めてほしいっていうことを言葉の外に含んでるよねって、
そういうような意味ですよね、オースティンが言ってるのは。
そういうまず要求があるから言葉が出てくるっていう。
この部屋寒いっていう、その文章だけの意味だとこの部屋は寒いって事実だけだけど、
その事実だけを伝える会話っていうか言葉ってないよね。
基本的には何かを要求したり何か依頼したりとか、
そういう前提に立って発信してるっていうのがあって、
それが言語行為論っていう。
それが結構コペリニクス的展開だったみたいなことを最初に言ってて、
当たり前っちゃ当たり前、言われれば当たり前なんだけど、
確かに文章、テキストで考えていくと、なかなかたどり着けない感じなのかもしれないなと思って、
その後に協調の原理ってこれ僕も結構すごくいいなと思った。
面白いなと思った。
グライスさんっていう人の協調の原理っていうのがあるんですけど、
これ4つの行為からあって、そんな難しくないんですけど、
量の行為。
多い少ない。
多い少ないですよね。
量の行為と質の行為と関連性の行為、
あと様態の行為ってちょっと難しいんだけど、
簡単に言ったらもう会話する時に1つのこと伝えるのめっちゃ話長かったら嫌だし、
質の行為っていうのは何かを伝えたいのに、その言葉をまどろっこしく言ってたら嫌だし、
関連性もやっぱり何か言ってるに対して関連性がないこと言うとああやってなるし、
様態は文法そうだし、質問したら質問に答えるみたいなそういうフォーマットだったり、
そういったものの前提があるよねというのが協調の原理とありながら、
でもこの考慮は破られることがあるよね。
例えばコーヒー飲むって言われて、
明日出張だから朝が早いんだみたいな会話として成り立つけど、
答えてないですもんね。
飲むか飲まないかにイエス・ノーで答えてない。
そうそう。
イエスかノーかで答える質問にそういう回答が、
これなぜ成り立つかって言ったら、
やっぱり関係性っていうのが大事になってくるっていうところ、
関連性の行為もあるから何か関連性のあることを言ってんだなみたいなことを、
そうですよね。
解釈をして会話って成り立ってるんだ。
さらに関係性理論っていうのがあって、
人はその会話の中で何が言われた時に関係性から解釈をしようとして、
いろいろな推論が頭の中にあって、
でも一番おそらくこれだろうなって妥当な解釈でストップするっていう。
これが僕一番面白かったんですよね。
コーヒー飲むって言われた時に答えた人が朝出張で早いからって言ったっていうことについて、
お互いが間違ってるかもしれないけど、
これが本当なんだろうっていう合意に達してるっていうところが、
今言ってたコスパが一番いいところに落ち着くように解釈するってことですね。
コーヒー飲むって本当に言ってるのかも。
イエスかノーかで言ってるのに、
相手としてはコーヒーを勧められてるが、
それに対して相手が明日は出張が早いよって言ったっていうことは、
つまりコーヒーを飲むと眠れなくなるっていう前提をお互いが共有していて、
だから飲まないってことなんだなっていうふうに、
すべて推論をしているだけで、
実は会話が成り立ってるっていうのがすごい、
そうかっていうかなり、それこそ。
文脈がね、前提として理解しているから成り立つところがあって、
たぶんそもそも確か第一章って文脈っていうのが大事で、
っていうところがあったのかなとは思うんですけど、
それが言語行為論とかそういったところで、
文脈についてまず語られてるっていうのがあるかなと。
で、ちょっといろいろ言いたいこともあるんですけど、
一旦ちょっと次の章に行きますが、
言葉の意味と構造:文法と意味論
第二章はさっき言ったように文脈、文法みたいなもので、
文章の構造みたいなところがあって、
構造主義言語学っていうのがなんか出てきたよっていうのがあって、
ちょっと難しいので割愛しますけど、
これがね、僕は面白かったなと思って、
その樹形図っていうのが大事だよっていう、
樹形図の樹は樹木の樹で、
形は形ですけど、
だから文章って構造があって、
それは樹形図、ツリー構造で表現できるよみたいなことだと思うんですけど、
警官は叫びながら逃げる男を追ったっていう言葉があったときに、
これって何がどこにかかってんの?みたいな。
警官は叫びながら。
警官が叫んでいるのか男が叫んでいるのか二通りに解釈できるっていうことですね。
ここに関しても関係性理論とかがあって、
いろんな解釈があったら一番コストがかからないとか、
文脈からこうだろうとか、
それの解釈に基本的に紐づくよねっていうか、
ところがある。
言葉って一次元的なものだけど、
二次元的に、空間的にっていうか二次元的に、
受形図って形が二次元になるんでっていう話もありました。
ノーの中では実際操作をしているっていうことですよね。
在産省に行くと意味論みたいなところがあって、
大きく二つ最初出てきて、形式意味論っていうのが猫って言ったときに、
お互い別に猫ってどの猫言ってんの?みたいなところで話って別に止まらないというか、
猫ねっていう感じで。
どの猫さしてんの?みたいなこと。
意味は集合論的に扱うみたいなのが形式意味論。
あと認知意味論っていう二つ目のがあって、
認知意味論は言語ってメタファーというか比喩、たとえでできてて、
特にその抽象的なもの、
だから時間とか、お金もそうかもしれないですが、
そういったものが結構メタファーなんだろうな、時間は流れるとか、
そういう比喩を通して解釈してるよっていう、今のは分かりやすい例だけど、
多分あらゆるものがそういう比喩で解釈されてるっていう風に言えるのかなと、
ちょっと思ったりはしました。
で、参照としては日本語の単語の意味として、
言葉以外のコミュニケーション:ジェスチャーとフィラー
寄生と寄境の違いとかね、近づくと近寄るの違いとか、
近づくと近寄るって何?って言われたら確かにちょっとうーんって思うけど、
付き添うとか寄り添うの違いって言われたらすごくわかるし、
だから寄るっていう言葉と近づくの付くっていうのが、
ニュアンスって全然違うなっていうことがね、
そういう言葉を持つ意味っていうのがあるなっていうことを参照では思いまして、
それ今までのはでも言語の言葉だけども、
言語が以外のことで伝わってるってことがいっぱいあるよねっていうことがあって、
で、寄生はジェスチャー、フィーラーとか言葉にならないところ。
言葉以外のノンバーバルコミュニケーションみたいな感じですね。
ゆる言語学ラジオでも堀本さんが前鏡になって前傾姿勢になると話そうとしてるなって感じるから、
水野さんが会話を止めるみたいな準備をするみたいなこともあったり、
あとフィラー、アノー、エートーっていうのは、
なんか言葉が出ないときに言ってるなっては思うけど、
それぞれなんか意味は違ったり、
その違う意味を自然となんとなく理解してたり。
エートーとアノーの違いとかでしたよね。
それも習ってないけど何か間違いないっていうのが、
フィラーは洗濯機のノイズだってノイズと同じだっていう風に言う日本語学者の人がいるって話もあって、
確かに洗濯機が何か故障したときとか動いてるときとか、
故障してなくても動いてるときとか、
その動作の状態を音で知らせている。
中は見えないけどいいってことですね。
なんか壊れそうだなとか、
何か絡まってるなとか、
それが分かる。
フィラーはそのようなもので、
何か状態の変化っていうか違いはあるんだけど、
それが違うフィラーとして出てきてるみたいなのがあると。
ジェスチャーも身振り手振りでやってるけど、
それが相手に伝えるためのものっていう風に一瞬思うけど、
実際はジェスチャーって、
目が元々見えない先天網の人とかでも、
そのジェスチャーをすることもあったり、
ジェスチャーって結構自分のために行ってるジェスチャーっていうのがあるよねっていう、
むしろジェスチャーって自分のためにやってるんじゃないか、
電話越しで見てないけど手が動いてたりとかっていうのがあったり。
っていう話で、
これが4章だから、
でも4章のまとめとして、
えーととかあのーとかフィラーも含めて、
ジェスチャーも含めて、
会話、言葉、話そうとするときに、
伝えようとするときに、
やっぱ言葉だけだと伝えられないものがあって、
それをあの手この手で伝えようとするのが、
ジェスチャー、フィラー、もしくは抑揚だったり。
あとは結局沈黙というかあれですよね。
そのターンテイキングの時間とかも伝えられるっていうところはあったじゃないですか。
長い沈黙は否定を表すとか、
早い回答はやっぱり同意を表すみたいなところもあるかなって。
言ってましたね。
言ってましたね、はい。
あの頼まれてから、
100ミリから500ミリ秒、
0.1秒から0.5秒ぐらいに応答があったら、
被験者は嫌いしてるって判断するって実験がね、
なったりとかして。
でもちょっと間が600ミリ秒以上とか700ミリ秒以上経つと、
ちょっとこれ多分ノーの答えなんだなって思うって実験もあったりとか。
もしいいですよって同じ言葉を言ったとしても、
すぐいいですよっていうのか、
あれは少し沈黙をしてからいいですよって言うと、
っていうことですよね。
そうですね。
ありましたね。
多様なコミュニケーション:ASD、吃音、そして個々の特性
で、ちょっと最後エピローグのところなんですけど、
これね、エピローグもいろいろ語りたいからあれですけど、
ASDとか自閉症の人とかね、
いう人たちが、
例えば彼女は海が好きだ。
彼女は海が好きだった。
2つ言葉があったときに、
今も付き合ってるのはどっちっていう質問をしたら、
多くの人は彼女は海が好きだって答える。
けどASDの人は彼女は海が好きだったっていうのも、
今も付き合ってる可能性もあるよね。
みたいな感じで解釈して、
答えが出せないみたいになるみたいな、
めっちゃわかるっていうのがあって、
自分もASDの辞任があるので、
これめっちゃわかるっていうのが結構このエピローグがいっぱいあって、
ねとよとを使いこなすのも、
なんとかだよねとかなんとかだよとか、
結構その感情を相手の感情に合わせたりとかする、
そういう言葉を使うときに、
ASDによって相手の文脈がわからなかったりするから、
そのねとかっていう言葉を使うのが苦手だったりとかする。
相手がどう思ってるかわからないのに、
なんとかだよねって言えないとかね。
めっちゃわかる。
あとまた喫煙っていうのもあって、
喫煙はえーってみたいのがあると思うんですけど、
これ本当に僕も喫煙の辞任があって、
すごいよくわかるとかね、喫煙の。
これ水野さんは全然喫煙じゃなくて、
すごくスラスラ喋るから、
喫煙の人っていうのがこういうメカニズムで喋れないのか、
みたいなものを学んだときに、
なんか自分ってすごく暴力的な話をしてたんじゃないかなって思っちゃった、
みたいなこともあったりとかして、
いや、そうなんですみたいな感じの風に僕は思ったりとかして、
大まかにちょっと全体的にはそんなとこかな。
僕これ今回こうやって収録するよっていう話だったので、
もう1回読み直してみたんですけど、
1回目は基本的にはもうあれなんですよね、
ゆる言語学ラジオのファンアイテムと思って買って、
バーッと読んだので、
あんまり変な話、印象に残らなかったって悪い意味じゃないんですけど、
もうスワーッと読めちゃって、
いいもん読んだっていう気持ちだったんですけど、
2回目読んでみたら、
思ったよりもすごい骨太だったなっていう感じがしたんですね。
ちゃんと参考文献もめっちゃ書いてあるし、
それからもっと知りたくなった人は、
こういうの読んだほうがいいよみたいな形になってて、
本当の意味で、
ちゃんと言語学を学ぶんだったら、
こういう本読んだほうがいいよみたいなところの入り口になっている、
ゲートウェイになっているっていう本なんだなっていうのが、
改めて分かりました。
ただのファンアイテムじゃなかったっていう感じが。
結構、僕も別にファンっていう感じではないですけど、
もちろん水野さんとか好きなんですが、
今回その話すことについて考えるってことに関して、
だから会話っていうところで、
僕やっぱり会話するときそんなに得意じゃなくったり、
こうやって2人で話すときに、
自分が言いたいことを話すっていうのは全然話せたりもするんだけど、
相手の関係性がない人たちの会話だったり、
3人、4人いる中で入っていくとか、
自分のターンをキープするとか、
それがすごく苦手だから、
なんか話すのができない話しても、
自分がステージに上がっている感じだと話せないみたいな感じがあったりとかして、
それの原因がやっぱり、
ちょっとある程度分かってきたなみたいなのがあったりして、
さっきも言ったけどASD的な部分で、
物事を考えちゃうから伝えようとしたときに、
そもそも解釈が、
あ、そうだよね、分かる分かるみたいな感じでは話せない。
誰かそこで盛り上がっている人に対して、
言葉の言語的な意味から構造的に、
これはこの可能性もあるし、この可能性もあるし、
唯一僕が言いたいことに引っかかれば話せるけど、みたいな感じ。
人の相手の文脈に合わせて話せないっていうのは、
そのメカニズムがすごくこの本には書いてあるのは、
言語学な視点で書かれているのは、
あらゆる解釈の意味をコストがかからない感じで、
普通みんな導いているけど、僕はそういった導かないというか、
正しいことを考える。
もしくは、最近会社の中で、
例えば、昨日も部長とかと打ち合わせした時に、
なんか噛み合わない時もある。
それはなぜかというと、僕は目的としては、
この会議の目的がこうで、会社のミッションはこうで、
だからここではこういうことが言うのが求められているとか、
そういったことを考えて答えようとする。
でも部長からの質問は別にそんなこと聞いてない。
単純に部長からの質問に対して、
そういうことを聞きたかったんじゃないよ、みたいな風になっちゃう。
それは自分の中での構造的な正しさと、
会話の中での文脈における相手の関係性との
やり取りが噛み合ってない。
それ難しいですよね、分かるな。
みたいなことも、それも多分ASD傾向で
なりがちなんだろうなっていう風にちょっと
思ったなっていうのがありますね。
関連性理論って考えるとそうですよね。
そこのコスパの考え方っていうか、
釣り合うところがAさんとBさんで違ってたら、
誤解は生まれるかなっていう話だと思うんですけど。
誤解がそうなんです。
噛み合わなさみたいなものって、
そういうところからあるかもしれないし。
ASDじゃなくてももちろん相手の文脈と
噛み合ってないときにそうなるし、
ASDの人はその文脈とか関係なく、
文の意味からこれは何を意味してるんだろうかって
いうことを考えがちなので、そうなっちゃう。
例えば僕、メール文章を書くのも結構すごい苦手というか、
めっちゃ時間かかるんですよ。
それはこう書いたらこの人にはこう取られるかも。
でもここの文はこれどの名刺にかかってんのかな。
こう取られたらいけないなって書き換えたりとか、
頭の中でしがちなので。
まさに今回の受刑図の罠にかかっちゃってて、
それってでも、
だから結局は相手が求めてる、
こういう場面ではこういう形が一番分かりやすいよねっていう、
その形とかを理解してればいい。
そこの形は勉強、学校で教えてくれなかったりするから。
そうですよね。
それがね、いやーむずいなって。
その人が求めてるものは結局最後まで分かんないですよね。
本当の意味では。
そうなんですよ。
だからね、もうメールって本当に嫌だなって。
文章だとよりそうなりますよね。
誤解をしやすくなるっていう。
そうなんですよね。
自分の中ではもう完全にこの言葉ってこれを意味してるよねって思い込んじゃってたら、
でも相手にはそうじゃないっていうのも、
やっぱそれも誤解が生まれるし。
会話もむずいし。
メールもむずいな。
文章を読んでも本当にその人が意図してたことを完全に理解できるかって、
絶対そんなことはないわけじゃないですか。
読み取れることっていうのは限界があるし、
書いてないことをそれこそ読んだりもしちゃうし、
っていうのは文章のこともそうだし、
会話もだから当たり前だけどそうなんだなっていうのは、
ある意味気楽にはなりましたけどね。
難しく考えすぎないっていうのが大事だなって思って。
ノリが?
ノリが大事?
ノリというか、
頭はサボるっていう傾向があるっていうのも言ってたから、
その関係性理論は基本的にサボって、
一番楽な答えにするべきって。
それがみんなそうやって脳は動いてるから、
それに従えばいいだけだよっていう。
それを難しく考えすぎてるから、
おかしくなってるみたいな。
僕今バーって喋って、
これ聞いてる人は全然喋れてるじゃんって思うかもしれないけど、
今はもう完全に声を話す場所であって、
高橋さんは僕が何言っても怒らないっていう。
ごめんなさい、そういうことじゃないですけど。
心理的安全性が保たれたこの研究所。
いつもはね、高橋さんは血管が浮き出てきてると感じながらじゃないですけど、
本当にありがとうございますって感じなんだけども。
変なとこ着地しましたね、今は大丈夫ですけど。
だからそういう関係性があれば話せるけど、
なかなかね、
だから、
みんながそういうサボりたがりの脳で会話してるんだっていう前提のそこに乗れたら楽だなっていうのがありますね。
そうですね、たぶんなのでやっぱり一緒に踊るしかないっていうか、
やっぱり踊るんでしょうね。
嫌でも踊るとか、踊りたくなくても踊らなくちゃいけない
だとは思うんですよね。
踊れないですけどね。
僕も踊れないですけどね。
でも踊るんですよね。
本当に複雑だなと思ったのは、
言葉が1次元だけど2次元って言ってたじゃないですか。
たぶんこれって思ったのは、
頭の中の脳で考えてることって、
たぶん何次元でもあると思っていて、
たぶん20次元とかだと思いますよ。
この空間は3次元で、時間があっても4次元じゃないですか。
長紐理論みたいなのを言うとあれだけど、
基本的に人間はそうやって認識してるけど、
でも脳の中ではいろんなあらゆる抽象的な概念とかを含めて、
無限の次元があるから、
それを1次元の言葉にしようとするにはもう到底無理がある。
それを何とかジェスチャーとかフィラーとか浴用とかで、
豊かに伝えようとしてるんだなっていうのはちょっと思ったんですよね。
それこそあれがあったじゃないですか。
日本語の特性とコミュニケーションの難しさ
イメージで、画像で思考する人と、
言葉で思考する人っていう、
ビジュアル進化とそうじゃない人みたいなところがあって、
だからビジュアル進化の人は脳内のイメージはすごく豊かなんだけど、
言葉にしようとすると、
ちょっとうまく伝えられなかったりするみたいなところがあって、
だから今大地さんが言ったのもそういうことですよね。
脳の中の思っていることみたいなものを、
仮に言葉で考えてたとしても、
言葉以外の情報も全て含めて、
何十次元のことを考えてるけど、
それを声っていう、
1次元に近いようなもので出してくると、
それはめっちゃむずいよねっていうのは、
本当そうって思って。
ビジュアル進化で僕はあんまりよくちょっと理解できてなかったけど、
要はビジュアル進化、頭の中ではビジュアルで2次元、3次元で描いてるけど、
でも物事って多重次元だから、
頭の中でそれを言葉に置き換えていくって作業はものすごく大変なのを、
ビジュアル進化じゃない人はできてるけど、
ビジュアル進化の人は全部ビジュアルで覚えちゃうと、
それが難しいのかなっていうふうにちょっと思ったり。
言葉で考える人は比較的、
言葉を脳の中から並べて取り出していけばいいから、
変換の手間が少ないっていうことかなと思ってて、
でもどっちの人も多分、
もちろん言葉で考えていてもいろんなイメージとかももちろん
言われてるから。
そうだよね。
僕最初そう思ったんですよ。
ビジュアル進化じゃない人は言葉みたいなテキストみたいな軽いファイルサイズに落としてるから、
いろいろ考えやすいんじゃないかっていうふうに最初そう思ったけど、
でも実はそうじゃなくて、
テキストファイルとかに置き換えたりとか、
その作業をできるっていうのは脳の中のすごい多重次元を解釈できる人間がそれができていて、
ビジュアル進化はそれができないからビジュアルで覚えちゃってるっていうふうにも捉えられるかもしれないなって。
でもやっぱりこういうの水野さんがよく言ってることですけど、
どっちが優れてる、どっちが優れてないっていうわけではなく、
どっちかというとマイノリティ、マジョリティの話だし、
かつビジュアルでもビジュアル進化にももちろんメリットはあるというか、
やっぱり言葉だけでは言い終わらせられないことはもちろんあるわけだから、
そういう豊かなイメージを持ってるみたいなところはもちろんビジュアル進化の良さだと思うしってことですよね。
自分はどっちなのかなって思ったけど、どっちかは分かんないなって思いました。
僕もちょっと実際分かんないけど、
でも頭の中では結構重いファイルサイズで扱ってると思うんだけど、
でも言葉っていうものが昔なかった時代においては、
ビジュアル進化だったのか皆さんはちょっと分かんないけど、
記憶はビジュアルで覚えていた時代があって、
それをビジュアルで覚える必要もないよっていう風になってって、
みたいな感じなのかもしれない。
言葉は発明だし文字も発明なわけだし、
言葉とか文字とかその抽象的なものって本当に難しいですよね。
難しいです。
それを処理できる脳ってめちゃくちゃすごいし、
それを0.2秒以内にできてるっていうのが奇跡でしかないっていう。
あと日本語が0.007秒っていうのは、
日本語の特徴っていうのが本当に、
お互い共感し合うっていう、
私たち仲間だよねっていうのを、
この本に書いてないけど、
それを確認し合う会話みたいなのが結構多いのかなって、
他の国に比べて。
社会的グルーミングみたいな形。
ボビーが何とかしますなのかしないなのかは、
最後まで聞かないとわからなくて、
その決断を相手に委ねることができる言語が日本語だみたいな話を
どっかで聞いたんだけど、
だから何とかじゃないですかっていう、
じゃないですかをもう既に共有し合うところからターンテイキングするから、
もう隙間がない。
テイキングしないっていう。
微妙に一部分はユニゾンしててみたいな感じで。
ずっとユニゾンしてるの。
どっちが話してるかってだけっていう。
もしかしたら日本語ってあるのかもしれないなっていうのもちょっと思って。
だからさらに日本人って辛いよな。
難しいことをやってますね、我々。
そうなんです。
生きづらいです。
ASDの人って結構方言話すのが苦手みたいな話もあって、
それもめっちゃ分かると思って。
この栃木の出身で、実家栃木に帰ると、
姉とか家族のその栃木のニュアンスがものすごく言いづらいんですよね。
聞きづらいっていうか、
なんでこんな田舎の言葉喋るんだろうと思っちゃう。
何だろうな、方言が何なんでしょうね。
言葉をその、この空間、誰か人に伝えようとしようとした時に、
方言じゃない方がいいのにって思っちゃう。
学校ではそういう方言勉強してないから、
学校で勉強してないコミュニケーションに対しての解釈が、
勉強しちゃうとそう思っちゃうのかもしれない。
分かんないけど、どうなんだろう。
方言の方がやっぱり多義性があるというか、
より曖昧な感じになるかもしれない。
結局語尾が省略されてたりとか、
僕なんか東北なんで、すごく短い言葉で、
なんとかかんとか、なんとかダメとかって言っちゃうんです。
いうことがあるわけですけど、
それとやっぱり、いわゆる標準語に比べると、
文字数としては少ない方向に行く気がしていて、
しかもそこには何て言うんだろう、
多様なニュアンスが含まれてくるのが方言なのかなっていう気がするんですよね。
標準語よりもさらに。
そういうなんだろう。
いや、なんか思ったのは、
東北弁とか言葉すごい、
自分のことわーって言ったりとか、
言葉を省略する。
口をあまり開けたくないから、本当かどうか知らないけど、
奥歯がしもやけになるって言いますね。
あるけど、でもそれでもいいのは、
お互いが共通認識を持ってるものが多くて、
お互いの文脈いろいろ持ってるから、
省略された言葉でも通じあえるみたいな。
だから、同じ地域の出身っていう人は、
いちいちいろいろ説明しなくてもいいものをいっぱい持ってるから、
それで成り立つ言葉みたいなものが方言かもしれなくて。
同じ行動を持ってるとかそういうことですよね。
同族であるとか。
確かに。
AST傾向があると、
そういう文脈っていうのが抜け落ちちゃうので、
共有しにくい。
共有されにくいので、
その言葉にフォーカスがいってしまって、
その解釈にバグるって感じがあるのかもしれない。
結局、文脈とかバックグラウンドみたいなものっていうのは、
ミルクボーイ風に言えばあればあるほどいいっていう、
いくらあっても困りませんからねっていうところってあるじゃないですか。
冒頭のね、使いのね。
ミルクボーイの。
バックボーンとかバックグラウンドとかって、
共有したほうがより良いっていうのを頭では分かるんだけど、
僕もどっちかっていうと、やっぱり共有しづらいタイプなんですよね。
共有しづらい?
共有しづらいっていうか、把握しづらいタイプだから、
なんで共有したほうがいいって世の中的に言われてるのに、
僕はあるいは斎藤さんはできないのかなって考えると、
不思議だなっていう感じなんですけど。
僕が思ったのは、文字っていう情報にフォーカスしちゃうと、
その相手のそれ以外の情報っていうところに目が行かなくて、
抜け落ちちゃうのかなって思ったんですけど、
ちょっとどうか本当か分かんないけど、
視野が狭いというか、
集中しちゃう。
そこに集中しちゃうから、
でもそれだけじゃないんだよねって、
本当はもっと違うところの豊かな情報を発信してて、
それを受け取らない。
僕も今、高谷さんと話をしてて、
ずっと目をつぶってるんですけど、
目を開けて、
特によく多分ASDの人は言われるかもしれないけど、
人の目を見て話すのが苦手だとかってあって、
僕コンビニでも絶対店員さんと目はずっと下を向いてたりするんですけど、
それはやっぱり、
目を合わせたりとか、
相手が喋ってる身振りとかを見ると、
そこから情報を汲み取らなきゃいけないっていうか、
それがすごく、
またバグるっていうか、
プレッシャーになったり。
それはなんだろうな、
飲んでたりとか、
頭の多分その、
機能がある程度バグってる状態の方が逆に、
集中が溶けて、
そういう普通のコミュニケーションが取れるようになるんだけど、
そうじゃないと、
やっぱりちゃんと情報処理しないといけないって頭が働くと、
その視覚で入ってくる情報がすごく自分にとっては、
なんかストレスになって、
目をつぶったりとか、
Teamsの画面を消してた方が話しやすいっていうのも、
そういうところもあるかもしれないなって、
今目をつぶってて大変恐縮申し訳ないんですけど。
音声しかね伝わらないのであれですけど。
なるほどな。
それだけ逆に言うと、
人の表情であったりとか、
そういうものっていうのは、
そもそもやっぱり情報量を持ってるっていうことですよね。
そうですよね。
そしてそこから、
普通の人って言っちゃうとちょっと語弊があるけれども、
マジョリティの人というのは、
そういうところから、
それこそいっぱい情報がある中で、
取捨選択をして、
適切に情報を取ってきて、
コミュニケーションを取って、
我々の社会が成り立っているんだな、
っていうことは多分そうなんだろうなっていう気がしますね。
ただ、だから自分よく言うのはやっぱり、
視覚はすごく人を騙せるっていう。
視覚情報に自分は騙されやすいみたいな。
人は見た目が9割みたいな。
見た目ですごく信じちゃうし、
見た目で騙そうとするしっていう脳がもうそういうことをできる。
自分が不安に感じても不安を見せないような表情をしたりとか、
それは意図的じゃなくてもそういう表情をしてしまうとか。
だから、ある意味ノイズ、
本当のことを伝えたいんであれば、
視覚がやっぱりノイズだから、
僕はそれを今見たくないのかもしれないけど。
僕今変な顔してましたよね。
嘘ですけど。
そういうのもあって、
ポッドキャストとか音声のみの方が、
人の感情を伝えるよみたいな実験もあるけど、
だから音声がいいよねって思うのも、
自分がそういうのが苦手だからっていうのもあるし、
あるなと。
どうなんだろう。
ジェスチャーとかって、
なくても、
もう自己完結しちゃうけど、
ジェスチャーって基本的に人に伝えるためっていうよりは、
自分が言葉を喋る時に出ちゃうものっていう話もあったんだけど、
書いてましたね。
だからジェスチャーはジェスチャーでよくて、
それはでも人に、
ジェスチャーで伝えるっていうよりは、
自分が言葉をいっぱい出すために、
表現するためにっていうのが必要で、
だから相手にそのジェスチャーを見せる必要はない。
本当はないのかもですね。
ただやっぱり、
多分人間のやりとりの歴史の中でというか、
相手のジェスチャーっていうのを読み取るように、
多分進化もしてきちゃってるんだろうなと思うから、
そこは読み取ろうとすれば読み取れちゃうし、
なんならやっぱり、
手を広げながら喋ると自信満々に見えるみたいなものっていうのは、
文化的に人間には吸い込まれちゃってる部分もあるかもしれないと思います。
ただそれは見せかけることもできるし。
そうですね。
だからジェスチャー必要なくて、
声だけでも十分伝えられるなと思ってて、
だから音声メディアがいいよって思うけど、
メディアと信頼性:音声メディアの可能性と限界
音声メディアが欺けないよみたいなことも思うけど、
一方で流暢性バイアスって話も確か本に書いてあって、
やっぱ人は流暢に話されると信じやすい。
AIが流暢に喋るから信じてしまうみたいな、あったと思う。
たとえ間違ってたとしてもペラペラペラペラ喋っていれば、
本当っぽいなって思っちゃうっていうバイアスのことですよね。
僕古典ラジオの深井さんの話ずっと聞いてて、
編集も入ってるけど流暢な話ですごく、
なるほどなと思わさせられる。
あれ相当流暢性バイアスかかってんじゃないかなって最近は思ってて。
いろんな意見はあるじゃないですか。
その中で深井さんはでもこう思ってる。
深井さんがそれを流暢に喋る。
深井さん正しいみたいな。
正しいっていうよりは深井さん信じちゃうっていうか。
だから音声だけでも
恣意的に情報を伝えることもできちゃうなって。
やっぱりそうでしょうね。
というかどんなメディアでも人を、
もし仮に悪意があれば騙そうとすることは可能だって話だと思うし、
やっぱりいい声の人が、
わかんないですけどクリスペプラみたいな人が
いい声で喋っちゃうとそうだなみたいな感じに思う。
別にクリスペプラは嘘つきでいいんじゃないですけど、
いい声で喋ればやっぱり本当っぽいっていう風に思っちゃったりするし、
やっぱり好感を持ったりするだろうし。
これはまた別の回言ったかもしれませんけど、
ゆる言語学ラジオがこれだけ人気になったっていうのは、
お二人の声が特徴的だし、
いい声だったっていうのが要因としてあるよって話があって。
そうね、どうなんだろう。
いい声、いい声って言っても人によって違うし、
視覚的な情報よりも先に声で話したほうが、
視覚のバイアスは結構強いと思うから、
それを飛ばして入ってくると、
顔で判断せずに話を聞いたほうが入ってきやすいなって。
気はするけど、人によっては、
全然音声とか興味ないよ、動画メディアじゃないと見ないよみたいな人もいるから一概には言えないけど。
でも視覚で本当に、
もうこの人の話聞きたくないって、
この人の話ってまあまあ興味ないっていうね、ところを。
見た目で?
見た目でって思っちゃったりするのもあるだろうしから、
全然自分が普段話さない属性でいるような、
すごいいれず見つけ入れてる人とかね。
いかつい感じの。
ラブ上等とかに出てくるような人とかも、
ラブ上等に出てくる人はちょっと行き過ぎててすごい逆に興味持つけど、
ブレイキングダウンとかかな、どっちかっていうとね。
あんまり興味持たないけど、
ポッドキャストで語られてたらちょっと興味持っちゃったみたいな。
それこそキキカイカイのタイタンさんとかも、
ちょっといかつい感じするけど、
僕は先に声から知ったので、
こういう感じのビジュアルの人なんだって思ったりとかして。
声がいかつい?
声はちょっといかついですけど、
許容範囲内のいかつさっていうか、
しかもわざといかつくしてる感じがあって。
キキカイカイのタイタンのしゃべりはすごいいかついけど、
普段のタイタンさんのしゃべりは全然丁寧なんでね。
あの差が全然、なんだろうな。
それがいいんでしょうけど。
タイタンもあれですよね。
キツ音なんですよね。
言葉が詰まっちゃうっていうのは言ってましたね。
昔、ワイヤーとかなんかのポッドキャストで伊藤浅さん。
ドモルカラダとか書いてる人ですね。
伊藤浅さんは出てたかどうか忘れたけど、
タイタンが伊藤浅さんの本に感銘を受けたかなんかで、
自分もキツ音でみたいな。
こんだけ流暢でラップもやっててみたいな。
でもキツ音なんだみたいな。
あと渡辺幸太郎さんとかも、
キツ音、今でもそうなのかわからないけど
結構トレーニングで直したみたいな話を
昔どこかで聞いたんですけど。
だから、キツ音もトレーニングすれば
なんとかなるかもしれないし、
この本に書いてあって面白かったのは、
吃音のメカニズムと多様性への理解
キツ音って子供の頃は、
何人か、20人に1人だっけかな。
違うな、5人に1人が、
数字はちょっと置いといて。
5人に1人がキツ音だったけど、
大人になると20人に1人とか。
20人に1人か100人に1人かな。
なんかそんな感じで、
大人になるとキツ音が減るみたいなのがあって、
でもそれは実は、
言葉の言い換えをしていると。
言いにくい言葉を使わないように、
大人になってくると、
変えてくるみたいなのがあって。
語彙が増えてくるから。
そう。
で、水野さんが言ってたのが、
結構カタカナ言葉を使う人が多かったり、
ビジネスパーソンが多かったり。
エミデンスとか、アジェンダとか。
そういう言葉を使うのも、
結構実はキツ音、
ビジネスパーソンがっていう意味で言ってないけど、
なんか知らないけど、
この人カタカナとか不自然な言葉を使うなって思っても、
実はキツ音で使いにくいから、
他の言葉で使ってるんだっていうことも結構あるらしくて。
でも知って、
見方が変わったみたいな話があって、
なるほどな、
分かるというか、
自分は逆にそれがあまりできずに、
ずっとキツ音のまま、
言いたい言葉がうまく言えないままっていう、
5人に1人とか20人に1人とかかもしれないけど、
正しく伝えようとすると、
正しい言葉が浮かばなくてとか、
ありますよね。
結局キツ音は脳の増し組みであるっていうところは、
でもあまり結局原理はよくわからないっていうことだったんでしたっけ、
ちょっと僕糸浅さんのやつも一応本は読んだんですけど、
あまり覚えてなくて、
っていうのは僕もキツ音があるので、
出てこないときが結構、
ああってなることがあるんですけど、
確かにポッドキャストをこうやって収録するときはあまり出ないですね、
不思議な気がします。
確かに、確かに。
で、さっきの斎藤さんが最初に言ってた、
脳の中にあるものを外に出そうとするときに、
やっぱりこううまく形にして出したいけど出せないみたいな、
そこの引っかかりみたいなものがやっぱり、
キツ音として一つ現れるのかなーなんて思ったりはしますね。
言葉を出すときにやっぱりちょっと考えたいなって思う、
考えたいなとも思わないけど、
考える時間があれば思い出せるかもしれないけど、
やっぱり会話は0.何秒にこだわらないといけないので、
ターンテイキングしないといけない。
ターンテイキングしないといけない。
ドハティの域地を越えないようにとか考えると黙っちゃう。
けど黙っちゃうと人がいろいろ助け舟を出しちゃって、
全然それもまた自分の言いたい方向、
言いたいことじゃない方向にどんどん話が展開していっちゃう。
はいはいはい。
それはもっと会話なんだろうな、
ターンテイキング分かりやすいようにしてほしいですね。
今この人が今喋ろうとしてます。
札を上げたりとかして。
出さない。
でやっぱりそのターンテイキングは時間帯も結局あれじゃないですか、
人というか、
AさんとBさんが喋るのか、AさんとCさんが喋るのかっていうので、
違ってくるわけで、関係性でやっぱりそこは変わってくるじゃないですか。
そうですね。
シビアな、例えばやっぱり本当に、
長々発信のビジネスの現場なのか、
あるいは緩い会話なのか、
よく分かんないですけど、
就学旅行の夜、お布団で寝ながら喋ってる、
眠くて喋ってる時なのかで、
全然そのターンテイキングに許容されるドハティ?
ドハティ。
ドハティ。
ドーハの悲劇。
ドハティの敷地が多分変わってくると思っていて、
だから関係性の中で0.2秒な時もあれば、
あるいはみんな眠いけど気持ちよく喋ってる時だったら、
1秒でも大丈夫みたいな時もあると思ってて。
そうですね。関係性ですね。
その場とその人たちの関係性で、
ドハティの行き地は変わると。
変わるんじゃないかなっていう気がしますし。
室さんのラジオとかで、
あれ?止まっちゃったかなって思うぐらい。
わかる。
沈黙が続きます。
僕なんかイヤホンおかしいかなって一瞬思う時があるけど、
でもあの場が素敵ですよね。
そう、あれを待てる関係っていうのがすごい尊いなって。
だし、あれは別に編集で短くすることはある意味できるとは思うんだけど、
そうはしないっていうのも、
あの独特の感じ。
そうですよね、あれ室さん喋るターンテイキングをしなきゃっていうタイミングがあったりしますけど、
でもそうじゃないっていうのは僕すごくわかりますね。
わかる。めっちゃそう。
なるほど。
逆にあれですよね。
別にいい悪いの話じゃないけど、
ゆる元合格ラジオとかだとやっぱり間はできるだけ切り詰めた方がいいっていう。
やっぱりその、なんて言うんでしょう。
アテンション。
アテンションを離さないみたいなところはやっぱり大事だっていう、
そういう価値観もあるから、
結構やっぱり間は切るし、フィラーは切るしっていうことは、
室さんが言っていて、
それはそれでもちろん一つの形だと思ってるんですけど、
だから対局で、僕両方好きだからあれですけど、
面白い。
今あれですね、間が1秒ぐらい空きましたけど。
そうですね。
でも全然、そうそう。
焦ることはない。
そう焦ることはないです。編集すればいいんだから。
編集しなくてもいいんだから。
そうそうそう。
そうですね、それは面白いな。
正直、喫音ってあんまりよく理解してない部分もありますけどね、個人的にあんまり。
言葉がすらすら出てこないイコール喫音って思っちゃってる部分もありますけど。
でも多分一つはそれなんじゃないですかね。
であってますかね。
あーってなってしまうのも喫音だし、
あとはつっかえてしまうとか、あるいは無駄に伸ばしてしまうとかも喫音だっていう風に、
水野さんの本には書いてあったし。
言葉が合成されちゃったりするんですけどね、僕の場合は。
と言いますと。
言いたいことがあって、それを表現する言葉が2つぐらい頭に浮かんだ時に、
それが合体しちゃったり、それが日本語と英語で合体しちゃったり。
またまた言葉の語順というか、ひらがなレベルで入れ替わっちゃったりとか。
それが喋る時もそうだし、顕著なのはでも書く時ですね。
紙に書こうとすると、
左側に編を書いて右側に作り、
逆に先に書いちゃってるっていうのは、
文字書く時に相当な確率で、30%40%ぐらいの確率でそれをやっちゃうって感じですね。
よく僕最近メモ用紙に色々頭に浮かぶこと書いたりとかするんですけど、
手書きで。
それが全然、漢字が文字は、
手を出さないといけないから。
なるほどね。
頭がもう、
アウトプットしようとした時に、
もうバグっちゃってる。
キツ音ではないけど、そういう特性としてあるのかもしれないですね。
ただ、みんなで集まってホワイトボードの前で文字書こうとした時には、
ちゃんと汚いけど、
書こうと思えば書けるけど、
なんか頭の中で文字でバーってメモしなきゃって時に書く文字が、
すげーやばい文字になってますね。
これは本当に、ある種障害だと思ってますけど本当に。
でも面白いですね。
僕は多分キツ音が出る時っていうのは、
緊張してる時がすごく出てて、
例えば会議とかで偉い人がいっぱいいてとか言わなくちゃいけない時とか、
あとはなんか分かんないですけど、
大勢の前でプレゼンをしなくちゃいけない時とかは、
ちょっと出ちゃったりするんで、
緊張するとなるから、
斉藤さんの話だと、
みんなの前でホワイトボードでもし書こうとすると、
僕は多分そっちの時の方になっちゃいそうかなっていう気がするんで。
その時の方が、
普段書けるようにっていう漢字が出てこないことはよくありますけどね。
でも、ちゃんと書こうっていうか、
それは働くんで。
ちゃんと書こうとしてないからかもしれないけど。
リミッターをわざと外してるみたいな。
とりあえず頭の中にあるものを書かなきゃってなった時に、
全然文字になってないっていう状況になってるんで。
脳内のあれかもしれないですね。
地図が左右が逆になってたりとかするのかもしれないですね。
それはね、左右逆っていうのは、
多様性の受容と会話の未来
最近よく思うのはね、
例えば野球試合見てて、
ライトフライとか打つじゃないですか。
その時に、もし仮に僕が実況しようとした時には、
おっと、レフトに飛んだみたいな、
左と右を逆に考えちゃうんですよね。
もう普通に考えたらわかるけど、
むしろわかっているからこそ、逆のことを言ってる。
ライトって頭の中ではわかってんだけど、
ライトってことはライトじゃない、レフトだなって思って、
レフトって言おうとして、
レフトって言おうとするけど、
レフトじゃねえじゃないじゃんっていうのは、
至る所で結構ある。
2回逆転してるって感じですね。
2回逆転してるっていうのが、
野球の試合見てても思うし、なんだろうな。
本当に右と左みたいな、
左右対称なものを捉えようとした時に、
必ず逆の方を言ってるから、
最近始めた証券会社の株とかも、
僕が買ったやつ全部下がり始めるって。
それ関係なくない?
それ関係ないでしょ。
それ準備してたな、そのネタ。
それ関係ないですか?
関係ない。
それ関係ないか。
関係ない気がするけどな。
上がってるって思って、
上がりそうって思って、
これ下がりそうだって思った。
そうだね、そうかもしれない。
逆に言っちゃうんだよな。
でもなんか、さっきの喫煙の割合が意外と高いみたいな話と
多分似てるんですけど、
左右網って言って、
左右のいわゆる、
左右何?
網ですね、網目の網と書いて、
左右網っていう言葉自体はもともとあって、
それでそういう、
診断とかないのかもしれないけど、
そういう傾向がある人って結構一定割合いるっていうのを聞いたことがあって、
確かに結局あれですね、
僕もそう、
まず右と左は仮に分かれとしても、
ライトとレフトどっちだっけっていうのは、
ちょっとあるし、
英語にしたらってこと?
そうそう英語にしたらどっちだっけってライト、
LだっけRだっけみたいなこともあるし、
ライトはRもLもある上に
レフトがLがあるからもう訳分からんなっていうのはちょっとありますし、
それはね、
それもあるけど、
そういうのじゃなくて。
それもあるけど、
それもあるけども、
分かってても、
逆。
逆。
逆がすぐパッと頭に浮かぶっていう。
分かんない、でもこれも、
50%50%の確率であるけど、
50%ですからね。
分かんない。
僕は今100%あるって思い込んでるけど、
でも本当は50%50%なのに、
それを100%あると思い込んでるだけかもしれない。
てか50%50%でも合っちゃいけないはず、話だから。
本当はね。
でも結局あれじゃないですか、
太陽がどっちから昇るんだっけって分かんなくなって、
で、
何か言ってると僕もそうだなって思ったんですけど、
天才バカボンの、
西から昇ったお日様が東へ沈むっていう歌があるけれども、
それはバカボンの歌だから間違っていて、
逆だから東からだなっていう風に、
そういう複雑なプロセスを経て、
東から昇るっていう風に思い出すっていうのを毎回僕もやってるんですけど、
そういうことですよね。
そういうことかね。
天才なのかな?
天才。
バカなのかな?
分かんないけど。
紙一重って言いますからね。
紙一重だけど。
でもあれだな、自分結構、
逆の逆、逆の逆じゃない。
常に逆を行くっていうのは、
本当に何だろう、至る所であるから、
行動として。
逆張りってのがある。
逆張り逆張り、超逆張り。
だから会社でも、何だろうな、デジタルがすごい、
デジタルの進化がすごいってなったら、
デジタルじゃないだろって考えるし、
で、会社でそれを提案して、やっぱり承認されない。
いや、デジタルだろ。
とかであるし、
思考が全て逆、逆に、
逆張りの、あれかな、弊害かな。
逆張り、そうですね。
右、左、いや、レフトだろ。
いや、もうちょっと脳がやばい。
まあでもなんか、あれじゃないですか、
ポッドキャストとかをやる人は、
逆張りの人が多い気がする。
確かにね。
それはあると思いますよね。
メジャーではないところというか、
サブカルチャーみたいな。
そうですね。
まあ、それはあると思うし、
ただ、何だろうかな、
ポッドキャストやってる人って本当にこれが好きだからとか、
まあ、世の中みんなが好きだとか関係なく、
逆張りっていうよりは、
単純に自分が好きなものを発信してるっていうのは、
結構多いなと思うけど、
僕の場合は、
それでやってりゃいいんだけど、
逆張りでやってる部分もある。
で、赤嶋学徒さんじゃないけど、
ビデオじゃなくて、動画じゃなくて、
もう次は逆張りで音声だみたいな、
赤嶋学徒さんそう思ってないけど、
そういうことでもなく、
なんか、逆張りで常に考えてて、
それが、
ある意味だから多様性なのかもしれないなと思って、
多様性の中で自分の脳がそういう風に作られちゃって、
それで逆張りに行動する種として動いている。
そういうことかもしれない。
だから頭が常に逆。
逆っていうか、
普通こういくよねの、
普通は嫌だ。
その力、地場、電波みたいな、
働いてみんな普通その力に沿って、
直されたり、
動くのが、
それに、
それに従わない。
で、
常に発散してる、発進してる、
常に回転してるみたいな、
常に回転してないかもしれないけど、
なんかそういう変な、
普通だったら機能するところが、
おかしいんです。
この間も言ってましたけど、
ウロウロありの話ですよね。
砂糖に一直線に行かない、
ちょっとフラフラって行っちゃうあり。
みたいな話でしたね。
だけどやっぱり当然、
自分にとっての快を求めてウロウロはする。
自分にとっての快が他の人の快と違っていて、
何か、他の人はでも快は一緒かもしれないけど、
他の人は別の快じゃない不快の要素があって、
そこに行かないけど、
不快を感じないことによって、
ウロウロしてしまうみたいな。
そんな感じかも。
多様性が大事っていうことですね。
水野さんもね、結構最終的には
その多様性の話になって、
すごい自分も救われたなと思って、
ああいう頭のいい人たちからして、
こういうちゃんと喋れない人とかは、
見下される存在だなって、
別に思ってないけど、
無意識的にそういう風に捉えちゃう部分があるから、
それを救われる。
そうですね。
ヒケメンに感じちゃうとかね。
でも、そうじゃない。
そうじゃない。
だって、勉強すると気が付いたみたいな。
それに甘えるわけではないですけど、
めっちゃ甘えてますけど。
救いになるかもしれない。
救いになる。
というわけで、こんなところですかね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
いい本でしたね。
いい本でした。
ぜひ、まだ買ってない方は、
お手に取って、
バリーブックスでお買い求めくださいね。
じゃあ、また次回。
ごきげんよう。
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