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ポッドキャスト文化を、海外と比較して考えたこと
2026-05-27 13:58

ポッドキャスト文化を、海外と比較して考えたこと

海外のポッドキャストについてちょっと調べて、日本の音声配信文化についてちょっと考察してみたのでしゃべってみます。なんかしゃべりたかったことの半分くらいしか言えてない気がするので、また続きをとるかも。

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サマリー

このエピソードでは、日本のポッドキャスト文化と海外のポッドキャスト文化を比較し、その違いについて考察しています。海外ではビデオポッドキャストが普及し、話し手の顔出しが信頼につながる一方、日本ではVTuberやゆっくり解説動画のように、顔出しをしない形でも「型」やフォーマットが安心感を与え、コンテンツが受け入れられている現状を分析しています。この「型」の文化は、伝統芸能やJ-POPにも見られる日本独特の特徴であると結論づけています。

ポッドキャストの現状と海外との比較
はい、どうもこんばんは、孤独部です。今日はですね、 ちょっとポッドキャストについて最近考えたので、そのことを話したいなと思います。
どうやら海外ではポッドキャストって結構流行ってるらしくてですね、 なんか感覚的には日本だとそんなに流行ってないかなーっていう、
このスタンドFMだったりとかで、僕も配信で投稿してるので、多少聞いたりはするんですけど、おそらくですけど一般的にはそんなに聞いてる人が多いわけじゃないのかなというふうに、
なんとなく肌感覚では感じてはいるんですけど、スタンドFM普段から開いて投稿したりとか聞いたりとかしてる人は全然毎日のように聞いてるよって人もいるかなとは思うんですけども、
なんとなく感覚的に一般にはそんなに普及してないのかなと思うんですけど、どうやら海外では割とメジャーなコンテンツらしくて、
なんならポッドキャスターっていうような、ポッドキャストを主軸にやってるような人もいるとかいないとからしいんですよね。
日本だとまだそんなに、いわゆる芸人さんとかラジオ番組とかがポッドキャストとして配信されていたりだとか、
あるいはYouTuberとかがサブチャンネルのような感じの扱いで配信していたりとか、
多分そういうようなメインコンテンツとしてというよりはサブコンテンツとして出してるっていうケースが多いのかなと、
なんとなく思うんですけど、どうやら海外ではメインコンテンツとしてポッドキャストを行っているという人も結構いるらしいです。
実際に聞いてるわけじゃないので、また劇の話みたいなところしかちょっと知らないから、
実際のところどうなのかはよくわかってない部分もあるんですけど、調べた感じそんな感じらしいですね。
ちょっと考えてたのが、なんで音声配信くるくるみたいな話をちょっと前から聞くなと思ったんですけど、
なんだかんだ日本ではそんなに普及してないんじゃないかなって思うのはなんでだろうなと思って、
その理由を自分なりにちょっと考えてみたんですけど。
ビデオポッドキャストと顔出しの意義
その前にまず前提として海外のポッドキャストってどういうものなのかと思ったんですけど、
結構イメージ通りだなと思ったんですけど、最近はどうやらビデオポッドキャストっていうのが結構出てきてるらしくて、
いわゆるこの収録、音声収録をするときにカメラも回しておいて、
画面が特に大きく切り替わるわけじゃないんですけど、
喋り手の表情が見えたりとかするというような、空気感が伝わるような感じで補助的に映像がついてるというような
ビデオポッドキャストというのが出てきてるらしいですね。
興味深いなと思ったのが、音声コンテンツって顔を出さなくていいのが一個利点だと思ってたんですけど、
海外の場合はビデオポッドキャストなんかだと顔を出してポッドキャストするっていうことなので、
なんでなんだろうと思ったら、多分それって海外の人にとって少なくとも日本でもそうだと思うんですけど、
顔が見えてるとか肉性であることって、喋り手に対する信頼感を作る、
信頼となる要素の一つなんだろうなというふうに思いますね。
日本でもそうだろうなと思うんですけど、ただ日本のコンテンツって意外と顔出しとかしないの多いよなと思ったんですよね。
日本のコンテンツにおける「型」の存在:VTuberとゆっくり解説
それで、もしかしたら日本ですでに海外のポッドキャストだったりビデオポッドキャストのポジションのものがあるんじゃないかと思って考えたら、
VTuberとか最近だいぶ多いと思うんですけど、VTuberってかなりそれなんじゃないかと思ったんですよね。
要は、あれは実際肉性で、いわゆる中の人が喋ってる肉性と、そこに対してアバターが載ってる状態なわけじゃないですか。
だから構造としては結構ポッドキャストやビデオポッドキャストに似てるんですけど、いわゆる顔出ししてない状態。
だけどトラッキングを通して表情が伝わっているというような仕組みだから、これは結構ポッドキャストなのでは?というふうに思ったんですよね。
で、そうなってくると、いわゆるVTuberと海外のポッドキャストの違いってなんだろうと思ったときに、
もちろんコンテンツの方向性みたいなのは結構あると思うんですよ。
でも海外の方だと対談とか、それなりの有名人の対談だったりとか、専門家の解説だったりとかそういうのが多分大きなところを占めてて、
他にコメディアンの人とかのポッドキャストとかそういうのがいろいろあるっていう構図なのかなというふうに調べてたら思ったんですけど、
結構VTuberは割とエンタメ寄りっていう感じがあるよなと思って。
不思議だなと思ったのが、VTuberとかって設定があるじゃないですか、だいたいそのキャラクターに。
だからそのいわゆるぶっちゃけで言ったところの中の人のことは何も知らない状態。
だけどそのキャラクターのアバターとなるキャラクターの持っているプロフィールに対して、
僕らは視聴者としてはそのキャラクターだと受け入れているっていう状態で見ているのがほとんどかなと思うんですけど、
結構それって海外の人と視覚したときに不思議な感覚だよなと思ったんですよね。
変な話、どこの誰かもわからない架空のキャラクターっていうものに対して、
リアルタイムな話で結構信頼感を持って接しているなという感じがありますよね。
さらにもう一個突き詰めると、解説っていうのがまさにそうだと思うんですけど、
日本のYouTube上ではゆっくりっていう読み上げによる解説の動画が結構いっぱいあるじゃないですか。
あれもよくよく考えたら不思議ですよね。
どこの誰が作っているかもわからない、果たして専門家なのかそうでないのかもわからない、
本当に誰が作っているかわからない状態で、読み上げ音声と素材によるゆっくりさんの解説で、
その内容を信頼して聞いているわけじゃないですか、我々。
そこでいろいろ学び取ったりとかしていると思うんですけど、
あれもよく考えたら不思議ですよね、純粋に考えると。
いわゆる何ていうんですかね、権威的なっていうんですかね、
誰が喋っているかっていうことを意外と重視していないのかもしれないなと思ったんですよね。
それについて考えたときに、海外においては割とそういう誰が喋っているかっていうこと、
海外だと読み上げっていうのもあんまり使われてないらしくて、
いわゆる解説っていうのも肉声で録音されたものを使うようなことが結構多いらしいんですよね。
だから結構日本だと読み上げによるゆっくり解説みたいなのが結構聞かれると思うんですけど、
意外とそういう文化って独特なんだなというふうに。
それもちょっと驚きだなという感じがあるんですけど。
「型」による安心感と日本文化
なんで顔が見えている状態、肉声であることに対しての信頼っていうのは想像としてわかるんですけど、
なぜ我々はどこの誰かもわからない状態の読み上げ音声で、
他のあらゆる人が使っている同じ顔のアバターに対して信頼を持って聞くことができるんだろうと思ったときに、
これが型ってやつかと思ったんですよね。
結構その型があることによって、フォーマトにのっとっていることによって、
安心して聞けるっていう部分は結構大きいんだろうなと思いましたね。
というのも意外と読み上げソフトって調べるといくつか種類があるんですけど、
使われているソフトって結構限られていると思うんですよね。
確かになんて名前だったかな。
棒読みさんみたいな名前のソフトだったと思うんですけど、よく耳にする音声って。
正直最近ちょっと自分でも読み上げソフトをいくつか使ってみたときがあったので、
その時に調べたんですけど、正直もっとクオリティ高いのが今あってゴロゴロあるんですよ。
なのに割とあれ本当に棒読みチックな喋り方をするじゃないですか。
あれがずっと使われているのって、やっぱりあの喋り方とゆっくりの二人がいるっていうことによる型。
いわゆる漫才みたいなものですよね。
漫才も型があるじゃないですか。
それと一緒で型があるから安心して聞けるっていうのは結構要素として大きいんだなと。
我々は顔が見えているとかっていうリアリティに対してっていうよりも、
型に沿って話してもらえているっていうことの安心感みたいなことで、
安心して動画なり音声なりを聞くことができるのかもしれないなということを思いましたね。
なぜ日本人はそういうふうに思えるんだろうと思ったときに、
日本って伝統芸能、たとえば能だったりとか歌舞伎だったりとか、
正直そんなに僕も見たことないんですけど、あれら型があるってよく言われるじゃないですか。
さらには仮面をかぶっていたりとか、能だとね。
歌舞伎でも白塗りとかをして、実際ほとんど表情が隠されている。
隠されているわけじゃないですけど生で、生の状態がちょっと違う状態になっているという。
あれが一つの型として、ある種のいい意味での自分と距離感を持って接することができることに
安心感を覚えるというか、かつお話としても型がありますから、それによってこうなったらこうなるんだなみたいな。
漫才もそうですね。ボケがあってツッコミがあるっていうフォーマットがあることによって安心して見れるっていう。
一方で多分、それこそ海外だとスタンドアップコメディという一人で喋るスタイルが結構あると思うんですけど、
日本だとあんまりそれが浸透しないのってそういうことなのかもしれないなという。
わかりやすい型がないとどう受け止めていいかわかんないっていうことが結構あるのかもしれないという。
なのでそういう意味ではゆっくりさんの解説動画だったりとかVTuberっていうのは、
あのフォーマット、あの型によって聞く側に安心感を持って聞かせる環境を作っているのかもしれないなということを思いましたね。
だからなんだという話かもしれないんですけど、これは今後何かを作る上で、あるいは発信する上で一つ意識すると面白いことなのかもしれないなということを思いましたね。
J-POPにおける「型」の考察と今後の展望
またちょっと話しとれちゃいますけど、音楽もそうなのかなと思ったんですよね。
J-POPって結構独特だと思うんですよ。海外だともっとシンプルで、四つ打ちビートにシンプルなメロディーと歌が乗っているとかっていうような構成だったりすると思うんですけど、
日本のやつって結構複雑なコード進行があって、そもそも展開が多分AメロBメロサビとかっていうのがもうちょっと海外だとシンプルなんですよね確か。
バースとコーラスでしたっけ確か。
要はAメロ、日本で言うとAメロとサビぐらいのシンプルさだったりするんですけど、日本のJ-POPって大抵はもうAメロがあってBメロがあってサビがあってみたいな。
さらにAメロBメロサビ2番があって、その後に一回静かになってサビが来るみたいな、そういう型があるという。
音楽に関してもそういう独特の型があることによって安心して聴けるからこそその洋楽的なフォーマットではなくて、
J-POPはJ-POPという型が完成されていったのかなみたいなことを思ったりしますね。
これちょっと面白いんで、いろんなものに対して見方をしていってみると、日本独特の何かものの作り方だったりとか、あるいは海外とどう違うのかっていうことを見るときに面白いのかなと思うので、
今後一つこれを意識しながらいろいろ見ていけたらななんてことを思っておりますね。
収録の振り返りと今後の配信
はい。
ちょっと今喋りながら考えながらで、これ実はちょっと撮り直したんですけど、原稿を書かずにぶっつけで喋るというのをやっているので、
ちょっとお気苦しい点もいっぱい今みたいに噛んだりとかいっぱいするんですけど、そのままだそうかなと思っているので、ここまで聞いてくれた人本当にありがとうございます。
またね、最近コンデンサーマイクを1個前の回で話したんですけど、コンデンサーマイクを買ったのでね、そのテストも兼ねてね、ちょっとまた喋りたいこと思いついたら撮りたいなと思います。
はい。
では今日はこの辺で。
ではまた。
13:58

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