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はい、どうもこんばんは、孤独部です。 今日はですね、またちょっと最近考えたことをしゃべりたいなと思って回してるんですけども、
最近、推し活っていう言葉があるじゃないですか。 それについてちょっと最近考えたので、話してみようかなと思ってます。
皆さん推しているものはありますかね。 僕は結構、ちょっと前から地下アイドルをたまに見に行くんですけど、
かれこれ、2年前の春ぐらいに一回初めて見に行って、それからなんかずるずるとたまに見に行くみたいな感じのことをしてましてですね。
一応、自分も好きなグループがあって、その中のメンバーの一人が、いわば推しというような人がいるはいるんですけども、
それで、ふとこの前ライブを見に行ったりとか、逆に行けなかったりとかしたときに思ったんですよね。
果たして自分は推しというほど推せているのだろうかということをふと思ったときに、
そもそも推しってなんだ、推し活ってなんだっていうことを考えたんですよね。
推しっていう言葉って、推薦の推の字じゃないですか。
だから推す、応援するとかっていうニュアンスだとは思うんですけど、
たぶん推しって言葉を使うようになったのって、僕の肌感覚の記憶になっちゃうんですけど、
たぶんAKBの握手会文化みたいなのが生まれてきたあたりからよく聞くようになったんじゃないかなという気がなんとなくしてるんですけど、どうでしょうかね。
そうだとしたときに、推しって言葉のもともとの意味って、
いわば当時だったらAKB、今だったら地下アイドルも含めてだと思うんですけど、
ああいう文化で推すことによって、応援することによって地上を目指すというか、
より人気になっていってほしいっていう気持ちっていうのが多分推すっていう言葉にあてて、気持ちが当てられてるのかなというような気がするんですよね、ニュアンスとして。
だから当時だったらAKBだったら握手会のCDを買うっていうことによってセールスが伸びたことによって、
メジャーになり、より人気の国民的アイドルを目指していくっていうような、
アイドルの成長過程、成長っていうんですかね、どんどん人気になっていく過程っていうものに自分が貢献しているんだっていうのが推しっていう言葉にあてられていたのかなというような。
今の地下アイドルもそうですよね。
いわば地下のライブハウスっていうところから、どんどん人気になっていって、
最近そうでもないらしいんですけど、いつか地上絵みたいな、そういうニュアンス、漫画でもありましたよね、なんかさっき。
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推しが武道館に行ったら死ぬでしたっけ、みたいな、武道館を目指すみたいな、
そういう、どんどん大きくなっていく、人気になっていくっていうのに自分が推すことによって、
はっきり言っちゃえば、お金を落とすことによってだと思うんですけど、あれって。
自分がお金を落としていくことによって、アイドルがどんどん潤って、活動がどんどん大きくなっていくっていうことをしているのが推しっていう本来の言葉なのかなと思うんですよね。
最近、推し勝つって言葉も聞くようになったじゃないですか。
これも僕の肌感覚のあれではあるんですけど、推し勝つって言葉になったときに、ちょっとニュアンス変わるようなと思うんですよね。
もちろんアイドルを推すっていう推し勝つももちろんあると思うんですけど、
推し勝つって言葉を使われるときに、パッと思いつくのが、キャラクターだったりとか、アニメのキャラクターであったりとか、
あるいはチーカみたいな、ギュルキャラ的なグッズキャラクター、キャラクターグッズを身につけるとか、
そういうニュアンスも含めて推し勝つっていう言葉には、アイドルだけじゃなくて、もうちょっと広いニュアンスがある言葉のような感じがするなというのを思ったんですよね。
それって冷静に考えると推しなのかというふうに思うんですよね。
これは別に批判とかじゃなくて、ただ単に言葉を見てるというだけで、別にそういうことをするというか、
そういう活動自体は別に僕は否定してないというか、むしろ僕だって好きなキャラクターとかいますし、グッズ買うしみたいな感じではあるんですけど、
果たして推しという言葉が適切なのかということはちょっと思ったんですよね。
さっきのアイドルの話でいうと、自分が応援することによってアイドルがどんどん人気になっていってほしいという気持ちがある。
変化していくっていうのがあるじゃないですか。
ただ、例えばアニメキャラクターって、アニメコンテンツ自体が大きくなるのはもちろんあると思うんですけど、
そのキャラクター自体の成長と自分の応援してるっていう気持ちってマッチしないじゃないですか。
コンテンツの中には影響しないじゃないですか、基本的には。
例えば、ちょっと前ですけど、鬼滅の刃、映画めちゃめちゃリピーターも多くて、曲も伸びたやつあるじゃないですか。
でも煉獄さんをいくら推したところで、煉獄さん、映画の中の人物なんですけど、煉獄さんの物語の結末は変わらないわけじゃないですか、当然ながら。
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だけど、推したっていう気持ちももちろんわかるんですけど、
推しというもの、本来の言葉の意味として、応援することによって何か変化していくっていうことだとしたら、
当然アニメのキャラクターは物語の中の結末は変わらないわけだから不思議だよなと思うんですよね。
一方で最近だったら応援上映みたいな、声出し上映みたいなやつあるじゃないですか。
あれも当然スクリーンの中の話なんで、スクリーンの向こう側で展開されている物語はいくら、
こっちが応援しようがしまいが物語としては変わらないはずなのに応援するという、冷静に考えれば不思議ですよね。
もちろんそういうことをしたくなるような気持ちだったりとかってのはわかるんですけど、冷静に考えると不思議だよなと思ったんですよね。
さらに言えば物語性があるものだからわかる部分もあるんですけど、
例えばさっき出てきたチーカワだったりとか、何かしらのグッズ、
自分も一昔前だったらタレパンダとか、その辺からの流れだと思うんですけど、今のチーカワとかって。
それって当時から身につけて、例えばキーホルダーだったりとかぬいぐるみだったりを身につけるっていう文化自体はあったと思うんですけど、
今はやってる行為としては同じだと思うんですけど、お仕方という言葉が当てられていったりとかする場合もあるなみたいな。
結構冷静に考えると不思議だよなみたいな気持ちになるなと思ったんですよね。
もちろん応援するという気持ちがあるというのはいいことかなとも思うんですけど、
ただそれをよくよく考えていったときに、果たして何だろうなと思って。
それでまずはグッズを身につけるっていうのは結構前からあるなと思って、
ちょっと調べたりとか自分で思い出してみたりとかしたんですよね。
今でいうちいかわみたいなポジションに過去何があったんだろうと思ったときに、
さっき出てきたタレパンダとかサンリオですよね。今も人気ですけどサンリオ。
それとキティちゃんとかを身につけるようになったのっていつなんだろうと思って調べたんですけど、
キティちゃんとか自体は前からいるじゃないですか。
ただその大人が身につけるようになったのって結構割と最近というか、
結構明確に90年代ぐらいらしいんですよ。
浜崎あゆみとかが流行ってたぐらいのあのタイミングのときに、
今でいうところのドンキホーテとかに行くと、
キティちゃんを身につけてる、いわゆるヤンキーギャル文化の人たちのイメージだったと思うんですけど、
どうやらそれって当時90年代ぐらいのときのキティちゃんの扱われ方から来てるらしいんですよね。
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それまでは割と子どもの、例えば文房具とかっていうもので展開してたものだったのが、
結構そこから明確に大人向けのものとしても出てきたっていうふうに、
本当かどうかわかんないですけどね、ちょっとそうなのかなという気持ちも、
もっと前からあったのかなという気もするんですけど、
多分その大ピラにあらゆる人が身につけるようになったという意味では、
確かにその、あれですよ、いわゆるヤンキーギャル文化のときのキティちゃんっていうのは、
明確な、バッと世間に広がったきっかけだったみたいなんですよね、どうやら。
そこからタレパンダみたいな、またちょっと違うニュアンスのジャンルのものが出てきたことによって、
またそのいわゆるヤンキーギャル文化とはまた違う文脈の人たちにも身につけてもらうようになり、
という形でどうやら今キャラクターグッズが身につけられるような文化になってきてるんじゃないかというね、
あくまでこれも一説かなとは思うんですけど、なるほどという感じがしますよね。
そこから、もともとはアニメの文脈じゃないんですよね、キャラクターグッズを身につけるっていうのは。
でも割と最近アニメが一般化っていうんですかね、まだ90年代のときでは、
例えばエヴァンゲリオンとかの辺だと思うんですけど、
エヴァ登場前ぐらいまでって割と子供向けだっていう認識が強い時代がまだあって、
たぶんわかりやすいのがエヴァ以降だと思うんですけど、
ただエヴァからしばらくも、その後来るのって言ったらハルヒとかラキスター、
その後ケイオンとかがやってくると思うんですけど、
まだその辺りぐらいまでって、もちろんいろんな人にだんだんと人気になっていきつつも、
まだ一般的にめちゃめちゃ普及してる状態、今の鬼滅みたいにめちゃめちゃ知られてるっていう存在ではなくて、
まだいわゆるオタク文化って呼ばれる文脈、いわゆる秋葉系みたいな文脈とかがまだまだある頃、
たぶんそれが0年代ぐらいですよね、があって、
当然その秋葉系と呼ばれるような、秋葉原を歩いてるような人間はもうすでに身につけてたのかもしれないんですけど、
まだまだそのときは一般的なものではおそらくなくて、
たぶんそれがもうちょっと進んできたところからだんだんと広まってきたのかなという推測かなという感じがしますよね。
でも今やむしろ、そろそろ鬼滅とかでかいですよね、たぶん。
キーホルダーだったり、悪キーとか最近だとよく言われますけど、
そういうものを身につけるっていうのがだんだん一般化していったっていうのは、
さっきのキャラクターグッズのところの文脈にアニメ側が乗ってきたっていうことなのかなと。
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いつもキャラクターとかアニメとかで一言でまとめちゃってるんですけど、
よくよく見ると今のグッズ文化はアニメからではなくて、
キャラクターグッズの文脈があってそこにアニメの方が接続していったのかなというのが、
なるほどと思いましたね。
そこからさらに考えたのが、さっきの推しの話に戻るんですけど、
果たしてキャラクターを推すとは何かっていうことを思ったわけですよ。
例えば、ちい川とかを推すっていうのって、
ちい川自体の物語には、そのちい川自体の人気には、コンテンツ自体の人気には関われど、
キャラクターそのものの物語の展開だったりとかには別に関与しないわけじゃないですか。
推しかつそのものが。
なのに推すっていう言葉が当てられているのはどういうことなんだろうなっていうことを考えたときに、
思ったのが、なんて言ったらいいんだろうな。
さっきのAKBとかの話に戻るんですけど、AKBやアイドルを推すっていうのは、
自分がお金を投資してそれによって人気になっていくっていうのが一つの楽しみ。
つまりこれってある種の投資ですよね。
自分がお金を落とす、それによって何かが成長するのを見守る、
投資の活動の一つというふうに捉えられるんじゃないかと思うんですけど。
アイドルの話でたまにあるじゃないですか、スキャンダルとかがあったときに、
あんなに推せたのにってなるような話みたいな。
それもわからんでもないですよね。
何十万とお金を費やしてきた人間、自分の推しがスキャンダルによって飛んでしまうっていうのは、
そういうもんだよって思いながらも、気持ちはわからんでもないよっていう部分はあるんですけど、
今ってそんなにファンじゃなくても、文句言うじゃないですか。
うまく言えないんですけど、例えばアイドルがいなくなったときに、
当時のめちゃめちゃお金落としてたオタクに比べたら、全然お金落としてないのに文句を言いたくなったりとか、
言ってるのを見かけたりとかするわけじゃないですか。
そこまで勇気にあるかみたいな気持ちになるなと思って。
これが炎上文化に対してのモヤモヤっとする気持ちなのかなって思ったんですよね。
全然肯定できないんですけど、何十万何百万と投資してきた人間が、
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自分の推してたアイドルがスキャンダルで飛んじゃうっていうことは、
ちょっと同情の余地がなくはないなって思うんですけど、
言ってもそんな、地下アイドルでいうと、現場行ってないじゃんみたいな人がめちゃめちゃ文句言ってて、
言ってたとしたら、そこまで言う権利ないでしょって多分なるなーみたいなことを思ったんですよね。
別にそういうことがあったわけじゃないんですけど、想像として思ったんですよね。
それをちょっと話がずれましたけど、さっきの推し勝つって言葉に戻すと、
今の推し勝つって言葉は、ちょっと投資とも違うよなーと思ってて、
グッズの出すお金なんて知れてるじゃないですか。
アクスタ1個とかある程度買ったとしても、そんな知れてる金額だし、市場の規模で言ったら本当にビビったるものだと思うんですけど、
不思議なもので、自分の推してるって、自分が好きなものにお金を出してることについて、
消費じゃなくて投資だって捉えてる部分が多分あるんですよね。
だから推し勝つ、推しっていう言葉を使っちゃうんだろうな、みたいな気持ちがあって。
それはちょっと、推し勝つが出てきたときに企業側が作った言葉だ、みたいなこと言われたと思うんですけど、
なんだろう、そういうふうに見せてるんだろうなと思って。
消費って、例えば何かものを買って、悪金を買って消費するっていうのって、
お金の無駄遣いだったかもしれないなっていう後悔をする可能性があるじゃないですか。
でもそれが投資ですよって言われると、これは好きなものに対しての投資だから、
オフセだからっていうような気持ちで、自分の消費行動を肯定できるニュアンスになるなと思ったんですよね。
例えば1万円のグッズがありますって言ったときに、1万円自分の懐から消えるわけですけど、
消えたときに1万円無駄遣いしたっていう捉え方もできれば、この1万円は自分の好きなものを推しに、
推しのために投資したっていうふうに思うことによって、自分の行動を正当化することができる。
それこそがまさに推し活という言葉の持つマジックなんじゃないかなというふうに思ったんですよね。
だからなんだという話なのかもしれないんですけど、言葉って見事だなと思うんですけども、
消費活動を投資活動だというふうに言われることによって、自分の懐から同じ1万円が消えたとしても、
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気持ちがポジティブになるということが起きるという。
今の推し活っていう文化は、そういうニュアンスがあるのかなと思ったんですよね。
さっきの炎上の話に戻るんですけど、今ってすごくやたらと炎上って問題になるじゃないですか。
果たしてこれなんでかなと思ったときに、さっきのアイドルの話に戻っちゃうんですけど、
その当事者的な、さっき言ったように自分の懐から何十万何百万と出してた人間が、
スキャンダルでアイドルが消えちゃったときに発狂するっていう気持ちはわからんでもないと思うんですけども、
それに対して、今って本当にヤジウマ的に、名前を知ってるだけとかでも、
本当に好きだったかわかんないけど好きだったのにって言って、炎上に加わることってできちゃうじゃないですか。
だからその、なんて言ったらいいんだろうな。
お金を落としてない人が文句を言えるんですよね。
それってなんていうんですか、うまく言えないんですけど、変じゃないですかって思って。
別にお金を出してる出してないで別に区別するわけじゃないんですけど、
当事者でないわけじゃないですか、別に。
なのに文句が言えるっていうのは確かに変かもなと思って。
逆に言うと、価値の起き所が変わってきてるんですよね。
お金を落としてるか落としてないかじゃなくて、
例えばコンテンツを好きで見てるっていうことが、今ってビュー数とかWebだとね、
WebとかYouTubeだと再生数とかって言われますけど、
あの数字が結構そのコンテンツにとって重要で、
自分はその再生数1を回した人間である、いいねを一つ付けた人間である、
閲覧数を一つ伸ばした人間であるっていう、
そのことにお金と同じような価値があるというふうに思ってる。
それは多分どっち側も、消費者側もそう思ってる部分があるし、
そのコンテンツをやってる側も、
そのコンテンツが回ることに対して価値があるというわけだから、
目に見えたお金が動いてるか動いてないかじゃなくて、
再生数が回る、閲覧数が伸びるっていうことそのものに価値があるっていうふうに、
コンテンツ発信側も我々受信側も、
そこの数字に価値というものを見出してるのかもしれないなと。
だから再生数を回した自分は文句を言う権利があるというふうに
思っているのかもしれないなということをね、思ったわけですよ。
みたいな話をね、AIに壁打ち的に話してたときに、
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例え話で出してきたのが、なるほどなと思ったんですけど、
いわばそれってコンビニで100円とかのものを買って、
めっちゃクレーム言う人、今クレーマーですよね。
クレーマーと同じ原理だよねっていう。
それ例えばね、これも金額の代償じゃないですけど、
それなりの例えば車を買いましたとかで、
すごい不備がありましたって言ったときに、
文句言いたくなる気持ちは分からんでもないって思いますけど、
いやいや言うても、さっきトイレ借りただけだよねみたいな、
トイレ借りただけでトイレ汚いっていうのおかしくないですかみたいな、
なんかそういう感じの、
本当にみんなクレーマーになってるっていうことなのかもなと思ったんですよね。
クレーマーであるっていうことをなぜか、
コンビニとかだったら旗から見たときに、
クレーマーだなーって思ったりとか、
当事者としても、
僕もコンビニで一瞬バイトしたことあるんで分かりますけど、
クレーマーだなーみたいな感じの人とかたまにいるとは思うんですけど、
それとちょっと違いますよね。
インターネットっていう場所が変わったときに、
リアルではそういう人かみたいな気持ちでスルーできるものが、
なぜか言葉だったりとか形に残るようなインターネットのような場合になったときに、
ちょっと受け止め方が変わっちゃうよねみたいなのが、
今まだまだあるよねみたいな、
まあそれって難しいよねみたいなことで、
今そこまでで一旦考えを止まってるところなんですけど、
そんなことをね、ごちゃごちゃーっと考えていたので、
ちょっと喋って記録に残しておこうと思って喋りました。
これ喋って思ったけど結構センシティブな話だったかもしれないな。
決して僕は推しとか推し活を指定しているとかではなく、
むしろ僕自身も推しているもの、推し活的なものがありながらも、
自分の指定に対して果たしてどうなんだろうなというふうに、
振り返ったというようなことで、
これをちょっと考えたものを残しておこうかなと思って今喋っております。
いや、今回めっちゃ喋ったな、なんか。
まだ考えがまとまってないんですよね、これ。
もうちょっと考えてみたいなーと思う話でございますね。
これちょっとね、なんかまた、
これが日本特有なのかどうかとかもちょっと気になるんですよね。
これまた話だとちょっと長くなるんですけど、
キャラクター文化っていうものが、
ここからちょっといろいろ発生するんですけど、
キャラクター文化っていうものが、
日本が特別、他の国よりもしかしたら進んでたりするのかとか、
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アニメとかもね、アニメ先進国というかアニメの強い国ですから、
もしかしたらこれはまだまだ日本特有の現象なのか、
あるいはそれとも海外でもあるのかなどなど、
まだちょっと考えるべきことはあるなという感じではございますが、
ちょっとまとまってないんですけど、
まだ気楽ということで残しておきたいと思います。
ここまで聞いてくれた人ありがとうございます。
また考えていることをね、
このような形で残していこうかなと思うので、
もしよかったらまだ聞いていただけるとありがたいです。
では、長くなっちゃいましたが今日はこの辺で。
ではまた。