1. 古代の福岡を歩く
  2. 「古代の福岡を歩く」10回目は..
2025-12-07 30:33

「古代の福岡を歩く」10回目は磐井の乱を解明。

527年に起こった磐井の乱。倭王権との戦いで1年半後に磐井は敗れてしまいます。

この乱の要因はどういった点にあったのか。

筑紫君磐井の当時の勢力は乱当時どの範囲であったのか。

一体どういった豪族が磐井の味方をしたのか、等々多くの謎があります。

そういった謎を一つ一つ解明していきます。
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00:11
スピーカー 2
古代の福岡を歩く。遥かな昔。 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩く。 この番組はJA福岡屋目
道の駅村方 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
JA福岡屋目の直売所、ヨランノの柄頭です。 博多天王の季節です。赤くて丸くて大きくてうまい。
今年もいいのができました。おいしいです。 屋目の博多天王ぜひ食べてください。
こんばんは佐方周代です。 今週は磐井の乱に戻ります。
お話を再び屋目の古墳に詳しい屋目市の職員大塚刑事さんにお願いしました。
まず527年に起こったという磐井の乱。 この乱の歴史的意義についてから伺っていきます。
磐井の乱というのは、いろんな研究者の方もよく言われるんですけれども、
日本という国ができるターニングポイントだというふうによく言われています。
どういうことかと言いますと、
磐井が生きていた時代というのは、まだ一つの国としてのまとまりと言いますが、
国家としての体裁をまだ十分には取り切れていなかった。 これがなぜかと言いますと、
大和王権という一つの旧神聖の高い連合体があったということは間違いはないのですが、
じゃあ日本国土の全体を統治できるだけの体制が作れていたのかというと、実はまだそうはなっていなかったということですね。
それは九州で言えば、つくしの黄身、日の黄身という、いわゆる有力豪族という人たちがいて、
スピーカー 2
地方ですよね。地方をそういう地方の豪族が支配していたという時代でもあったので、まだ一つの国家としては成り立っていなかった。
朝鮮半島の方は白木とか久田らという国がどんどんどんどん国家としての体裁をどんどん整えていく中で、
03:08
スピーカー 2
日本だけが一つ置いてけぼりにされているような状態ですね。 そんな中で起きた岩井の乱の歴史的な意義というのは、
結果としては岩井は乱で負けるわけなんですが、岩井が負けることによって大和王権が九州の直接支配に乗り出していく。
要するに原始国家ができる、まず第一歩を踏み出した、中央集権国家を目指して日本が歩み出した、そのきっかけを作ったというのが岩井の乱の一つの大きな意義ではあるんですね。
岩井はその当時までは勝手に生きてたと言いますかね。自分のところで支配を強めていって、
対外的な面も自分のところでやってたと。九州は九州で別にやってたという状態だったんですね。
当時中国では、寮という国がありましたが、寮の国王が岩井とか北九州の豪族を独立した一つの国家権力として見ていたかというふうになるとおそらくそうではないだろうというふうには思ってはいるんですが、
岩井自体の力というのはどんどん被害化している状況でもあったので、あのまま例えば大和王権が戦いを挑んでいなければ、
さらに岩井の権力というものは大きくなって、必然的に国家的な体裁が整えられていくようなそういう状況でもあったんですね。
なるほど、はい。
なので一つは先ほどお話しした岩井の乱で、岩井が敗北することによって原始国家の始まりというふうなものが形作られたというふうなところではあるんですが、
もう一つ、これはタラレバーというのは歴史の中で話をしてはあまり良くないことではあるんですけれども、もう一つの重要性というのは、
岩井がもし大和王権の戦いというものを知りづけていたら、ほぼほぼ間違いないだろうというふうには思いますが、
大和王権と手を結ぶよりは朝鮮半島と手を結んで、九州というものが一つの独立した国家のような状況になっていたんだろうというふうには思います。
これは外から見ると危険な国家ですよね。
そうですね。大和王権から見ると非常に自分たちの存在意義そのものを引きずされてしまうぐらいの大きな出来事でもあったので、
大和王権としては、もうゼガヒでも岩井という人物を排除しないと、これから先、朝鮮半島であるだとか中国であるだとかというようなところからも一目を置かれるどころか、一段下げて見られるようになってしまうので、
06:20
スピーカー 2
なるほど、そうなんですか。
対外交流も間もならないというふうな状況に陥っていくというふうなことがもう予測できたんだと思います。
そして、その当時なかった三宅の制度とかですね、いろんな制度を作っていって支配をずっと固めていくわけですね。
究極的には律令国家の基礎に入っているんですかね。
はい、そうです。
そういう意味では大きな戦いじゃなかったのかということが言えるんですね。
もう本当に、今の日本という一つの国ができるかできないかというターニングポイントに岩井という人物が生きていて、
その人物が主導して戦いが起きるわけなんですけれども、その戦いの結果で今の日本というふうなものがあるんだと言っても過言ではないかなというふうには思うんです。
はい。
では、筑紫の君岩井について具体的にスポットを当てていきます。
まず、当時の岩井の勢力範囲についてから伺います。
勢力範囲というとですね、よく例えば戦国時代だったら、武将の誰々が掌握している土地というのはここからここまでとかですね、
そういうのがよくあって、もうそこは支配地域というふうに認識されるんですけど、
岩井が活躍していた時代というのは、例えばここからここまでを直接支配しているというふうなところはあまり明確ではないんです。
どちらかというと、福岡県の南部の方に久留米市というところがありますが、久留米近辺ですか、
あのあたりが一つ政治的なもしくは軍事的な拠点だったというふうには思われます。
で、やめというところにですね、やめ古墳群がありまして、その中に岩手山古墳があるんですが、
基本的には久留米近辺、それから古墳群があるやめ近辺ですね、が直接的な影響力を及ぼせる場所というふうには考えています。
スピーカー 2
それ以外にも、例えば後々出てくるとは思いますが、福岡のですね玄海那田の方に
霞が見分けがあったというふうなことは言われていますが、そういうかなり広いところまでですね、影響力は持っていたんですが、
09:01
スピーカー 2
そこは支配領域というよりも、協力関係にあるところとか、もしくはその面的な支配ではなくて、
点でですね、拠点拠点をいろんなところに持っていて、それをネットワークでつないでいくような形で、
北部九州に大きな影響力を及ぼしていたというふうに考えるのが妥当かなというふうには思っています。
つくしの国と日の国とそれから、あとは豊の国、これが岩井の持っていた勢力範囲じゃないかということになりますが、その点はどうですか?
そうですね。日本書紀の中にもですね、豊の国、それから日の国を襲い寄りてというふうな言葉が出てきますけれども、
岩井の乱の時に、本当に豊の国、今で言えば大分県、それから日の国、今で言う熊本県、佐賀県も一部あるとは思うんですが、
そこに影響力を及ぼしていたということは間違いはないと思います。
ただ、そこがいわゆる領地化されたような支配領域だったかというと、実はそうではなくて、
豊の国の一部豪族、それから日の国の一部豪族の人たちと協力関係にあって、その協力関係の中での岩井さんの大きな影響力というふうなことで考えたほうがいいと思っています。
やっぱりつくしの国という畜然畜土、畜王ですか。あたりが拠点というふうに言っているんですかね。
直接的に支配できる場所というふうになると、やっぱり中心は畜王ですね。
それから先ほどちょっとお話ししましたが、霞の宮家というものが玄海などの方に、いわゆる岩井、つくしの君一族が持っていた港ですよね。
それが博多湾岸の近辺にあったというふうには考えられていますが、そのあたりまでがある意味その直接的に支配できる領域だと。
それ以外の、例えば熊本県北部とか大分県の西部地域とかですね、そういうところは今お話ししたみたいに協力関係にいる豪族がいて、
その豪族と手を組んでですね、いろいろことを起こしていくというふうなことの方が考えとしてはいいのかなと思っています。
その協力関係にあるという豪族ですけれども、これはどういった豪族がそういう豪族だったんでしょうか。
無禅の国の場合はですね、豊の国ですね。豊の国に関しては実はなかなか特定ができないという状況ではあります。
12:00
スピーカー 2
豊の君とかですね、私族の名前としては古文献とかには出てくるんですが、はっきりしているかなというふうに考えているのはどちらかというと日の国ですね。
日の国の豪族、一番大きな豪族としては日の君というふうによく言われますが、日の君の中にもですね、文献も含めて3系統あるんです。
その3系統の中で、今の行政区でいう、例えば熊本県山賀市、それから木口市、和町ですか、
そのあたり、特に中見町が中心になってくるとは思うんですが、日の中の君ですね。
日書いて、それから大中小の中という字ですね。それに君という字を書いて、日の中の君と言いますが、この日の中の君と直接的なやり取りというふうなものを
津久市の君の一族、特に岩井さんはですね、行っていたのではないのかなというふうには思っています。
そしてですね、有明海市長連合というのがあって、その人たちとも協力関係にあるということを聞いたんですが、今出てきた豪族たちがそういう市長連合の豪族ということになるんですか?
そうですね。有明沿岸にいろんな豪族がいて、その中のいくつかと連合を組むというふうな形で、一つの施設として有明海連合という名前が付けられていますが、
実際は日本書紀とかにも書かれているみたいにですね、豊の国ももちろん入ってきますので、有明海の人たちとだけ手を結んでいたというわけではない。
高校学を専攻されている先生方の中には、津久市連合とかですね、そういう名前を使われる方もいらっしゃいますし、
石神石場の分布状況を見ながら有明海の沿岸が中心だということで、有明連合とかですね、そういう名前を付けられている方もいらっしゃる。そんな状況ですね。
今お話に出てきましたけれども、石神石場を持った豪族たちがいて、それが大体、石神石場というのは共通項といいますか、
それは共通に持っている豪族たちが津久市の勤務の協力関係にあったと言えますか。
そうですね。すべて九州島にある石神石場というふうに言われる石製標食品というふうに高校学では言うんですけれども、
その石製標食品を持っている、保有している豪族がすべていわゆる組み合わせしたのかというふうになると、それは少し違うかなというふうに思っています。
15:11
スピーカー 2
ただ、石神石場の分布状況をちょっと細かく見るとですね、大きく2つに分かれるんですけれども、
円体石神といって非常に三次元的な立体的な石神を作る部分と、そういうものを保有している部分と、
それから扁平石神といって板鳥の石製品を中心に持っている地域というふうなものがあるので、
すべてがすべてというわけではないんですが、基本的には石製標食品を保有しているその分布に葬られているその豪族たちは、
何かしら尽くしの黄身、特に尽くしの黄身岩井とですね、繋がりを持っていたということは言っていいかなと思います。
今出てきました製品の平たい石神がありましたね。薄っぺらいやつですね。
そうですね。厚みは10センチ、15センチぐらいはあるんですけど、立体的な石神に比べると板状に見えるというかですね。
そうですね。それと丸い普通の人物みたいな、丸い頭を持った人たち、そういう石神もありました。
ひっくるめてそういう石神石馬を持った人たちということですね。
そうですね。
それからですね、岩井の乱に絶対欠かせない話として、白木の話が出てきますよね。
それでその当時のですね、岩井の乱が6世紀の初めですけど、その当時の朝鮮半島情勢というのは一体どうなっていたのかというのを知りたいんですが、
これは朝鮮半島はどういうふうな国があって。
そうですね。朝鮮半島にはですね、6世紀の前半期どういう国があったかというと、
北に甲栗という国がある。そして朝鮮半島の南西部の方には九田羅という国がある。
スピーカー 2
その反対側の東側にはですね、白木という国がある。
そしてその白木と九田羅に挟まれるような形でですね、カヤ諸国というふうには呼んでいます。
カヤという一つの国ではないんです。連合国家なんですけれども、
カヤ諸国という国々があります。
6世紀の前半頃というのは東アジアが大きく揺れ動いたそういう時期でもあるんですけれども、
岩井さんがいたその時代は、九田羅と白木が覇権を争うと。
18:00
スピーカー 2
その覇権の狭間に置かれたカヤ諸国がそれぞれの立場でですね、
例えば白木と手を結ぶ国もあれば、九田羅と手を結ぶ国もある。
中には和王権の方ですね、日本ですね、和王権と手を結ぼうとしているような国もあるということで、
かなりかき引きが非常に激しかった、そういう時代でもあったようです。
北に小送りがあって、東に白木があって、西に九田羅があって、そして南の方に三間名という。
そうですね、昔三間名と言っていましたね。
カヤですね。
カヤですね。
カラとも言いますね。
はい、カラとも言います。
三間名があったということで、私が注目するのは、小送りと白木と九田羅というのは統一国家と言いますかね。
そして三間名はいろんな国が集まって、集合国家という国だったらしいですけども、
これが一つの大きな争いのもとじゃないかなというふうな見方をしているんですが、どうでしょうか。
そうですね、一番大きな一つの要因としては、小送りの南下政策というものがあるんです。
5世紀の後半頃を中心にした時期になるんですけれども、小送りという国が南下政策をとります。
その当時、白木と九田羅というふうになると、どちらの国の方が大きな力を持っているかというふうになりますと、
九田羅の方がですね、まだその当時は5世紀の後半代ぐらいですね。
九田羅の方が国としては大きかったので、特に小送りは九田羅の方に対して攻撃を仕掛けてくるというふうな状況です。
ある時期、九田羅と白木が手を結んで、小送りの南下政策というふうなものを押しとどめていこうという時期もあったんですが、
西暦でいうと475年ですかね、一旦九田羅という国が事実上滅びてしまうというふうな時期があるんですが、その後復活してくるんですね。
そして小送りからの外圧を受けつつ、国力を維持するためにということで、ある時期、蚊帳諸国というふうには呼びますけれども、蚊帳諸国の方に勢力を伸ばしていこうとするという時期があります。
ちょうどその頃、白木という国も皇后王という王様が即位をされて、国内をどんどん整備していって、一つの力強い国家として成立していこうとしている時期になるんですが、
21:04
スピーカー 2
両方の国ともですね、やっぱり北の方に勢力を伸ばすということが難しいので、南の方の蚊帳諸国に手を伸ばしながらですね、国力を充実させていこうというふうな、そういう時代が6世紀の前半だったようです。
岩井野蘭の時期の朝鮮半島の情勢、大変複雑な動きとなっています。北に黄栗、東に白木、西に九田羅、南に蚊帳諸国という国々、それからの情勢については来週じっくりお送りいたします。
お話を、やめの古墳に詳しいやめ氏の職員大塚刑事さんに伺いました。ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
スピーカー 1
こんばんは。今日は、やめのクラフトビールのお話です。やめブルワリーというところが作ってるんですが、このやめブルワリー、やめの弁柄村、天然温泉とかカフェとかレストランがある複合施設なんですが、ここに併設されてるんですよ。
このやめブルワリーの醸造責任者である佐野文科さんに話を聞いてきましたら、やめブルワリーのビールの特徴というのは地元のものを入れて作ると。さらにグビグビ、いろんな方に飲んでもらえるように飲みやすさ、これにこだわってるとおっしゃるんですね。
入れている地元、つまりやめのものって何ですかって伺ったら、こんな答えが返ってきました。
やめ茶を使ってます。やめ茶を使ったクラフトビールがあるので、それが一番人気ですね。
お茶とビールって合います?
そう思われるけど、お茶いるねみたいな感じで。
お茶いるね?
この中にお茶がちゃんと入ってるねみたいな感じで味わっていただいてます。深蒸しIPAとか特に結構好まれてますね。
深蒸し茶を一応使ってて、なんていうんですかね、グラッシーな感じが出てるかなっていう感じで。
スピーカー 2
今いただきました。
スピーカー 1
どうですよ。
スピーカー 2
私ね、IPA一番好きなんです。
スピーカー 1
良かった。
スピーカー 2
この苦味と香りが、思ったよりやめ茶が主張しすぎたら嫌だなと思ったんですけど、IPAの美味しさをグワッと味わった後、後味にね、やめ茶の香りとコクがグッとくる感じがいいですね。
スピーカー 1
後味にですね。
今深蒸しIPA飲んでもらったんですけど、カレーフェスに持って行ったら大人気だったらしく、スパイス系の料理に合いますねっておっしゃるんですよ。
このやめブロアリーのレギュラーのラインナップが、今日は飲んでもらった深蒸しIPA、それからピリスナー、両方ともやめ茶入ってるんですね。
24:07
スピーカー 1
あと黒ビール、それからブドウIPAっていうのがあって、福岡県産のピオネを使ってて、ビールだけど香りがブドウっていう一品で、魚料理屋に合いますよって、そもそもおっしゃる。
私飲んでみたら本当にね、うっすらブドウの香り。
スピーカー 2
これね、ビールの美味しさを損なわないギリギリのところで来てるのが、いいなと思いましたね。
スピーカー 1
しかもブドウIPA、喉越しにキレがあって、きめ細やかな苦味が口の両端に少しだけ残るような感じの味だったんですね。
語りたくなる、そんなビールの味がやめブロアリーにあるんですが、このレギュラーだけじゃなくて、季節限定でいろんなものを仕込んでるんです。
この冬はね、ライスエール、お米です。
スピーカー 2
聞いたことないですね。
スピーカー 1
筑前町とのコラボレーションなんだそうですが、筑前町さんの元気尽くしを使ってるんだそうですね。
お米を使ってて、日本酒っぽい感じだと思って想像される方が多いんですけど、全然そうじゃなくて、
お米の甘みと麦の香りがちゃんと合わさって、すっきりした味わい。ちょっとフルーティーな感じで。
これがね、想像を超えてました。
色は若干濃い麦色なんですよ。
お米のふんわりとした甘みってあるでしょ。あれがね、ずっと口の中に広がって、苦みはない。
スピーカー 1
ただ、後口が超すっきりで、ごくごく飲み続けられる感じ。
こんなビール今まで飲んだことがないっていうのが味でしたね。
他にも季節によっては、やめの酢桃とかレモンとか使うんだそうですが、
一回おいしいのができても、同じパターンで作ろうとすると、社長がね、
あ、チャレンジする気ないんだとかって圧をかけてくるらしいんで、
同じレモン使ったり酢桃使ったりしても、ビールのベースの味わいを変えてくるという、なかなかすごい技を使ってきてるんですね。
やめぶる割、最初の仕込みの時には、奥やめ、やべむらの天然水を使ってかもしていって作るんですが、
心がけているのは丁寧さだと佐野さんはおっしゃいます。
大体バクが作るのって、1日かかるんですけども、丁寧に作ってますね。
集中力切らさないように。
味がぶれないようにっていうのが一番かなっていうのは思ってます。
ただ作るっていうんじゃなくて、ずっと同じような味にするのがやっぱり難しいのかなって。
そうなんですよ。
ベンガーラ村のレストランのすぐ横に醸造所があるので、レストランだと銅色とかステンレスキラキラに輝く銅、銀色を見ながら飲むことができるので。
スピーカー 2
要するにグラスでいただけるってことですよね。
スピーカー 1
できたてホヤホヤを。
これが一番おすすめですねって佐野さんおっしゃってました。
27:00
スピーカー 1
ベンガーラ村はフリカーバスのベンガー村のバス停で降りればすぐですので、こうやって行っていただきたいですし、
出かけられないかもでもすぐ飲みたいという方、カエルお店、福岡市内にも実はあったりしますので、
ヤメブルワリーで検索してホームページで確認してみてください。
めちゃ旨なビールおすすめです。
スピーカー 2
中嶋理恵さんでした。
スピーカー 1
道の駅村方、花と工芸雑貨日頃のファンです。
12月の店内はクリスマスムードでいっぱいです。
私のおすすめは特にシクラメン。
色も種類もたくさんあります。
お気に入りの一発をぜひ見つけてください。
お待ちしております。
スピーカー 2
番組からのお知らせです。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
またラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、YouTubeなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組はJA福岡やめ、道の駅室方、餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は酒田秀大でした。
卓語家の立川翔子です。
1週間のニュースの中から気になる話題を題材に新作落語をお送りしているポッドキャスト番組。
立川翔子のニュース落語。
もう聞いていただきましたか。
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どうぞご引きに。
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