1. 古代の福岡を歩く
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2022-01-09 30:31

S7 15回目も古代官道水城西門ルートを歩きます。

西門からまっすぐ歩き向佐野交差点付近で右折し、ちょっと寄り道します。

県道31号線を越えてだらだら坂を登り詰めてところに太宰府西小学校があります。

この小学校の校庭には大変珍しい遺跡が残されているのです。宮ノ本遺跡といいます。

校舎と校舎の間におよそ50メートル四方の部分に遺跡があります。

生徒達は校舎の窓からいつも遺跡が見学できることになっています。

この遺跡から出土したものに全国では初めてという買地券というものがあります。

買地券とは墓地を神から購入した証明署というものだそうで、8世紀後半から9世紀中頃の火葬墓から出土したものです。鉛の板には死者の息子が父を埋葬するために絹や布を代価として墓地を買い求めたという墨書が確認されたということです。



※写真は宮ノ本遺跡
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00:08
古代の福岡を歩くシーズン7 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる 古代の福岡を歩くシーズン7
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こんばんは坂田周大です かつて我が国を訪れた外国のお客様が航路間からまっすぐ
太宰府西門へ入りそして太宰府成長を目指した古代官道 水城西門ルートを歩いています
先週は西門から少し歩いて吉松という場所にあります 天神の森まで歩いてきました
ご案内をこと太宰府保存協会学芸員の田中健一さんにお願いしています
天神の森からさらに歩きますと太宰府市総合体育館から来た道とぶつかります そこが向井座野という交差点になります
ちょうどあのずっと道を歩いてきまして向井座野交差点になってちょうど角に 直線の向井どの支店さんですかねございますけどその向井側の田んぼが広がっております
こちらでもですね実はの古代官道の跡が見つかっているわけなんですね 先ほどの水城西門から島本遺跡そして直線できますこちらがですね
日焼け遺跡
岡田の日焼けと同じ火に焼けるって書きをして日焼け遺跡の調査が行われた場所なんですけども
今たぶん田んぼそのままにしてあると思うんですけどもこの一帯調査された時にですね
実はこの日焼け遺跡でもそのゆっくり曲がっています官道の前の時期の道路
そしてまっすぐにですね直線的に抜けている官道の跡って2つ道路の跡が出ているという大変珍しい場所なんですね
でこちらのその官道の前の時期が前の道路の方はですねまあ路面の幅が5.5メートルほど
03:07
溝から溝まで取りますと全体で言うと8.4メートルぐらいの官道よりやはり一つ小回りな位置ですね
一方やはり古代官道の方はですね路面の幅が10.5メートルほど水まで含めますと14.1メートルほどというやはり曲がっているか直線的か
そして道の幅自体もですねその古代官道とやっぱりその前に使われていた道というのは明らかに違いがあるというのが
実はこの発掘調査のところでわかっている場所なんですね
この辺にはまだいろいろとその古代官道の跡が残っているんですねそういった跡が実はあの点々とですね残っています
それを繋げていくところを直線的に繋がっていくと
ひとつ日焼け遺跡で面白いのはですね
田沢彦さんの調査の担当の方が書かれていらっしゃるんですけども
実はその古代官道を作る時に道路の地盤を固めるためにいろんなものを敷いたりするんですけども
実はこの日焼け遺跡のところではすぐそばにあった古墳を取り壊して
その古墳の石質の石材が実は古代官道の地面の道路の地盤に使われているという
多分古墳が作られたのが古代官道から100年ぐらい時間差があるんじゃないかと言われているんですけども
もともとあった古墳の一部を切り崩してその石質をですね
担当の地盤強化のために使っていたということで
いかに国家的ないわゆる国家の命令ですね
もう直線に敷くんだというのがそういった面も分かる遺跡なんですね
珍しいですねそういう古墳を潰して
私たちの感覚は100年前の方のお墓を崩して道路を敷くというのはちょっと恐れ多いような気がしますけども
やはり古代官道の場合は国家的な事業ですし
私たちと今の古代の感覚は違うかもしれませんけども
官道を通すために古墳の一部を崩してさらには石材を再利用するという
なかなか古代官道をどうやって作っていったのかというのは
当時の背景も見えるような
こちらで残っているということはなかなか興味のある作り方してるんですね
そういったところです
この後神社がありましたね右側に
右手にも前田公園という公園がありまして丸山神社があるんですけども
その前田公園からもビシッと古代官道の跡が出ている場所なんですね
知っていただくと点々と実はその痕跡が残ってますので
前田公園の方では古代官道の幅がわかるように実は表示がしてありますので
06:01
是非津川さんには現場で体感していただければと思います
そういった丸山神社があるところへ行ってます
ちょうど公園の右角にはですね
高神塔が高神殿が建っておりますけども
この高神殿角に建っている石碑が見えてきましたら前田公園でございます
ああそうですか
前田公園右の方に
手前の方はグランドになってますけども
正面の方に神社がありますね
あれは丸山神社ですか
そうですねずっとあの道を渡ってきました
右手にですね広い広場前田公園が広がってまして
奥側には丸山神社が散り出しました
その隣はですね向かい側の共同利用施設コミュニカンがある場所になっております
この公園に是非立ち寄っていただければ
ああそうですか
公園に何かがありそうな感じがしますね
公園に入ってきました
奥の方にですね眠っています前田遺跡についてご紹介がありますので
まずは公園の南隅の方ですかね
角のところに看板がありますのでまずそちらをご覧いただければと
これはもうちょっと神社に近いところに作ってほしいですね
ちょっと離れたところに
グランド横切って見に行っています
看板が出てまして前田周辺の文化財ということで
この辺は小技前田
下側には日焼け黒檻という一面があるんですね
ちょうどこちらですね古い小技で前田という場所でございまして
このちょうど神社の前にあるグランド周辺などですね
一体を把握調査した際に今日歩いています
古代神道の跡がこちらで確認されております
遺跡時代にはですね旧石器時代から江戸時代までかけても幅広い時代の遺跡がですね
ずっと出ているんですけども
奈良時代の古代神道に限って申し上げますと
路面の幅がおよそここでは約10メートル
それぞれ両側の速攻の幅が1メートルほどの古代神道の跡が
今日津川さんと歩いてきましたように水城西門からですね
ずっと直線に来てこの前田公園の下にですね
現在も保存のために眠っている
そして古代神道ここをまた前田公園を抜きまして
さらに東南の方へとまっすぐのいていると
そういう場所になっております
それでこのグランドがちょっと重要なんですね
この古代神道なんですけども
実はこの前田公園ですね
この広場の一角にはせっかく見つかりましたので
古代神道の幅が表示してあるんですね
09:03
実はこのタイルが非常に見えづらいんですけども
解説版の横にはですね
公園の隅のですねフェンスに沿って
まず赤色のタイルで速攻の部分が
古代神道の速攻と文字が載ってありますね
その速攻の横ですね
太いタイルで古代神道の路面幅がこうずっと
ここから黒いタイルが敷き詰めてありまして
路面の幅が黒いタイルで表示されて
反対側の速攻が赤のタイルで表示されていると
なのでこの古代前田公園を訪れていただいて
このタイルの幅を見ていただきますと
まさにここを通っていた古代神道の幅が
現地で10メートルそして10メートルずつの幅で
体感いただけるということで
これはわかります
よくわかりましたこのグランドの大切さが
実は何気ない公園ですけども
その地下には大切な古代神道の跡を含めた
遺跡の跡が保存で眠っているということでございます
ここまで水木から前田遺跡まで
古代神道沿いに歩いてきましたけども
実はこの先がしばらく
古代神道の跡があまり残っていないんですね
なのでせっかく歩くのであれば
少しこの古代神道から西の方に
少し寄り道をしていただきますと
実は古代の太宰府にまつわる
実はさまざまなものが点在していますので
この前田遺跡から少し
ここから先は西側に少し寄り道をして
この先ちょっと歩いて
ご紹介していければなと思います
じゃあちょっと寄り道しますか
じゃあまずは丸山神社さんを参拝して
抜けていきながら少し
先ほど向かい座の交差点の方に少し
戻るような形で歩いていきたいと思います
今週も古代神道水城西門ルートを歩いています
丸山神社に参拝し
裏へ回ってみますと
何やら石碑が建っていました
殿倉の跡って書いてあるんですか
これはですね
お殿様の倉の跡と書いてあるんですけど
殿倉という風に
殿倉
裏にですね
有意書なんか書いてある石碑がある
1メートル20センチの石碑ですね
裏の方にですね
有意書が書いてあるんですけど
どういった場所かというと
丸山神社の裏手の本殿の裏側ですね
この辺りにはかつて江戸時代は倉がありまして
各地から集めた銘熊をですね
この倉に収めて
ここから馬などに積んで
福岡のところに収めに行っていたという
お殿様のためのお米の倉の倉があったと
いうところで
この場所にそういう場所があったんだということで
記念碑が混入されているという
ちょっと古いからだいぶですね
現在に近づいた江戸時代のお話ですけども
12:01
丸山神社の真裏にそういう石碑がありますので
そういったところを見ていただきながらですね
歩いていければと思います
これもマンションの入り口近くになりますね
殿の倉って言うんですか
殿の倉の跡
殿様の倉の跡ということですね
そういう石碑が建っております
こちらから神社の裏手から
また少し北の方にですね
少し戻りまして
戻っていくんですね
せっかく江戸時代のお話をしましたので
もう一つちょっと江戸時代のお話をしたいなと思います
実は丸山神社さんから少し北側の一帯はですね
ほのけ
神業よりさらに小さい範囲の地名で
白土という白い土の地名が残っておりました
この場所がどういう場所かと言いますと
福岡県にはたかとり焼きという
黒田藩の御用窯だったところがありますけども
実はこの向かい座のその白土で取ったですね
硫質な粘土が実はそのたかとり焼きに収められていた
そうなんですか
明治時代の返産されました
福岡県の地理全史などの書籍にはですね
この白土でそういう良質の土が取れると
2軒ほど余りの深さにあって人力で掘っていたんだけども
明治時代になって掘るのはやめたというような記録がございまして
かつては大変良質な土が取れる場所でもあって
それが御用窯のたかとり焼きにも使われていたという
そういった歴史が実はこの向かい座の地区に残っているそうなんです
じゃあその頃のたかとり焼きには
この辺で取った土が使われているということなんですね
そうですねこの地帯にはこちらで取れた土が収められていて
そういった場所を今歩いています
先ほどの向かい座の交差点から西の方に
ずっと坂道を登っていくような形で
県道31号線ですかね
目の前に見えてますね
この31号線を横切りまして
ダザイフ西小学校にお邪魔させていただこうと思っております
ダザイフ西小学校というのは
31号線の向こう側にあるみたいですね
そこまで行くということです
県道31号線を越えて
なだらかな登り坂がずっと続きます
ここはずいぶん坂になってますね
かつては大変標高差のある丘陵が
どーんと広がっていた場所なんですね
こんなに坂だったとは思わなかった
歩いて登っていただくと本当に実は結構
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体に応えるぐらいの登り坂ですね
頭が切れますね
ダザイフ西小学校は登り切ったちょっと先なので
この坂をちょっと登っていただくと
その坂を登り詰めて左へ曲がったところに
ダザイフ西小学校がありました
実はこの学校の中には遺跡があるのです
こういうところですか
校舎と校舎の間に植木が植わってたりして
五六十坪の土地が少し丘状になったところにあります
これが宮の本遺跡という風に書いた看板があります
これが宮の本遺跡
ずっと長く苦しい丘を登ってきましたけど
実はこの丘陵地帯一体ですね
ダザイフ西小学校をはじめ
周辺地域広い範囲広めた遺跡が
宮の本遺跡と呼ばれる遺跡でして
古代の古墳から様々な遺跡が
複合型遺跡ということで
古墳だけでなくて住居跡であったり
様々なもの窯跡も含めてですね
いろいろなものが見つかっています
大変大規模な遺跡なんですね
しかしちゃんと作ってありますね
校舎の中にね
ちゃんと残してあるというところはすごいもんですね
そうですね
実際この一帯というのは
開発作業が進んだんですけども
ちょうどこの学校の中に
なぜこの部分だけ残されているかと言いますと
実はこの場所で見つかったのが
売地券という大変珍しいものなんですね
この売地券なんですけども
ものはですね
大変薄い厚さ2ミリほどの鉛の板なんですね
それに墨で文字が書いてあるものなんですけども
もともとはですね
中国発祥の風習でして
お墓を作る際に
そのお墓を作る場所をちゃんと
土地の神様から買いましたよという
証明する文章
それをですね
今で言うと土地の売買契約書みたいなものなんですけども
それをお墓に一緒に埋葬することによって
その埋葬される人が末永く安らかに眠れるという
中国由来の風習なんですけども
この太宰府という場所は
やはり海外とも交流が深くありましたので
そういう中国の風習をよく知る方であったり
あるいは中国系の方だったかもしれませんね
そういう方がここにお墓を作る際に
鉛の板にですね
文章を書きまして
こちらの文字の方がですね
ずっとずらずらと書いてあるんですけど
大体大きさが35.8センチ×11センチぐらいのものなんですね
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そこに文字が書いてあるんですけども
当然もう千年以上経ってますので
肉眼には見えなかったんですけども
赤外線カメラ等ですね
空いたものを照射することで文字が見えてきまして
どうやらですね
この墓地に眠っていた
亡くなった方の息子である吉代さんが
この場所を買いまして
その代金として銭を25文
クワとか絹とか布
そういったものをですね
代金と支払って
吉代さんのお父さんかお母さんになると思うんですけども
その方が安らかに眠れるように
そういうことを書いたものが
博誌調査で見つかったわけでして
この売地権が博誌調査でですね
地面の下から見つかったっていうのは
日本で初めてだったことなんですね
長引きませんもんね
なのでまさに中国とこういう方
太宰府ならではのものでありますし
日本全体の古代史を見ても大変重要なものということなので
学校を作るために開発をしておりましたけども
そういう貴重なものが出たので
この部分だけ残しましょうということで
周辺の場所は
太宰府西小学校の校舎が建ちましたけども
この売地権が見つかったこの部分だけは
綺麗に保存をされまして
県の史跡にも指定されて
今こうやって大切にされているということでございます
非常に珍しいですよね
校舎と校舎の間に古墳があるんです
遺跡がある
宮の本遺跡と言いますけども
こんもりと2,3メートル高くなっている部分ですね
その辺が宮の本遺跡ということで
そうですね50メートル四方ぐらいですかね
よくこのまま残してありますね
驚きました
逆に言うと学校を作る際に
ここだけきちんと残してくださったことで
今私たちも見ることができますし
西小学校に授業でお話なんかにお邪魔しますと
子どもたちもやっぱり
自分の学校の教室の隣にあるこの遺跡が
大変興味津々でして
良い勉強になりましたね
本当に直接的な生の教材が
学校の中にあるという場所ですし
校舎の上から
ちょうどこの宮の本を見下ろせるところには
子どもたちが
この宮の本の遺跡はこういう場所なんですよ
自分たちで張り紙なんかもしてあって
まさに子どもさんたちの身近に
貴重な古代の遺物が今もあるということで
大変遺跡としてだけではなく
教育にも活用していただいている遺跡でございます
この売地券のほかに
今書いてあるのは端木が5点
それから鏡も1点出てきた
というようなことも書いてありますね
そうですね
この場所には売地券が出てきたものだけでなくて
お墓が2つですね
それから窯跡なんかも保存されている
窯跡なんかもね
場所でございますね
ここから出ました
売地券そのものなんですけども
21:01
大変薄くて脆いものでございますので
九州国立博物館や九州歴史館さんの
特別な展示があるときは出てたりしますので
そういった際はぜひ
これが売地券かとご覧になっていただきたいですし
この出てきたものを複製したものを
私どもの太宰府展示館で複製のものは
年中常設で展示していますので
どういったものか知りたいという方は
展示館のほうにもお立ち寄りいただけると
出土した時の様子とか
複製したそのものを置いてますので
ぜひご覧になっていただきたいと思います
ぜひご覧になっていただきたいですね
こういったところが宮の本遺跡でした
今週は古代館堂からちょっと寄り道しまして
売地券があった太宰府西小学校を訪ねました
売地券は8世紀半ばから9世紀半頃と見られる
仮装帽から出土したものということでした
来週も古代館堂水城西門ルートを歩きます
ご案内をこと太宰府保存協会学芸員の
田中健一さんにお願いしました
ここで古代の福岡を歩くリポーターの
中島リエさんです
こんばんは
先週に引き続き太宰府市と福岡農業高校と
企業とのコラボレーション
太宰府梅プロジェクトの一品紹介しようと思います
お菓子とか共同開発してましたよね
そうなんですよ
今日のは有明漬とか伊豆スコでおなじみの
高橋商店柳川にあるところですが
ここと福岡農業高校とのコラボレーション
梅のりなんです
太宰府市の梅と柳川地区を含めた
有明海産の海苔をブレンドした
海苔の佃煮
今手元にできました
これ海苔の佃煮瓶詰めなんですけれどもね
ラベルが梅をイメージした上品なピンクでいいですね
可愛いんですよ見た目が
せっかくなので坂田さんに
味見していただこうかなと思います
ツヤツヤ光ってますよ
じゃあちょっと佃煮をいただきます
海苔の香りが先にきて
その後すぐに梅の酸味というかね
広がって
いいです合いますね
でしょ
白いご飯が食べたいです
ツヤツヤの
お気持ちわかります
梅研究班の班長村岡梨沙さんもこう言ってました
ご飯に合うなって思いました
家でも買ってあるんですけど
すごい食べてますみんな家族で
収穫した梅が使われてるんだなと思ったら
すごい感動します
美味しい
24:00
梅がいい効いてますよこれ
20秒ほど経ってます
坂田さんが幸せな顔のままですよね
ツヤツヤの炊きたてのご飯がいいな
非常にいい出来栄えなんですが
やっぱりいろんなコラボレーション商品を作って
今年は200キロの梅が少し多めに摂れたので
それをシロップ漬けしたり塩漬けしたりして
頑張ったわけなんですが
同じく福岡農業高校梅研究班の手島陸人さんが
こんな風にこのプロジェクトの感想を言ってます
やっぱり自分たちで考えて作ったものが
いろんな人の手に届くっていうのは
すごく面白いなと思いました
そうですね
その気持ちを一緒に支えていったのが
今回紹介したこの梅のりバージョンでは
高橋商店なわけなんですけれども
高橋商店は2014年から一緒に共同開発を続けていて
これまでに5つぐらいかな商品を作っているんですね
原料を提供してもらうだけというパターンから
ネーミングやパッケージまで一緒にやる場合
またマーケティングの企画を立てる
いろんな都市によって
高校とのコラボレーションの内容が変わってくるそうなんですけれども
高橋商店代表取締役社長の高橋努さんに
そういった時どんな指導をしてらっしゃるんですって聞いたら
こんな答えが返ってきました
指導というよりも逆に我々が生徒さんに
どういう考えでいるのかという
勉強させてもらっているということですね
それはあります
若い人たちどういうことを考えて
どういうものの売り方を戦略として立てるか
非常に面白い部分があります
懐が深いですね
そういう面白さかと思ったんですが
ただ毎回商品を作るだけじゃなくて
実は今回今食べてもらった梅のり
今までの商品は高橋商店の打財布店だけで売ってたんですが
初めてその高橋商店の一部の卸し先にも出して
販路を広げて展開してみようという
そういう方法を取るんだそうです
となるとなかなか普通の御商売に絡んでくるので
難しい部分もあるのかなと思ったら
こんなふうな答えが返ってきました
売り方に進化をさせようということでですね
せっかく世に出すのであれば
より多くの方々に打財布さんの梅
そして有明花さんののりを楽しんでいただくということを
今回やってみようかという話になりまして
ただやってみてそれで検証して
次どういうふうにやるかということも
それも学生さんもちろん我々も勉強になるところなのでですね
これがプロジェクトということでしょうね
こういうものを続けていって
いろいろ変化も含めて継続していくことの面白さ
なるほどなと感じました
ちなみに高橋商店の梅のりなんですが
西鉄打財布駅の高橋商店のショップで買えますので
ぜひ早めに入手していただきたいなと思います
そしてこの打財布梅プロジェクトなんですが
27:00
この福岡農業高校梅研究班の山下子子さん
彼女は打財布市に住んでるんですね
こんなことを言ってました
打財布市っていろんな魅力があるし
梅だけじゃなくてもっと歴史だったりとか文化だったりとか
いろんな面白いことがあるんだなというのに
商品開発を通じて触れることができたので
地元の魅力を再確認できたのが
すごい面白くてよかったなと思いました
なるほどね
いいですよね
地に足のついた商品ができましたね
ますます盛り上がることを期待したい
打財布梅プロジェクトでした
中島理恵さんでした
三山市の企画協賛
餃子の山端
道の駅室方の提供でお送りいたしました
ご案内は高田周大でした
落語家の立川翔子です
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