00:10
古代の福岡を歩く。遥かな昔。 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩く。 この番組はJA福岡屋目
道の駅室方 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
JA福岡屋目の直売所ヨランノの柄頭です。 今、でこやめがおすすめです。
ヘタのあたりがデコッと出っ張ってる柑橘です。 ジューシーで濃厚な甘みが特徴です。
でこやめ、食べてみてください。
こんばんは、坂田周大です。 岩井の乱とは間接的にですが関係がある大宰府を歩いています。
どう関係があるのかは2月15日の放送で紹介しました。 大事な話ですから今一度その部分を紹介します。
岩井の乱と大宰府との関係を、こと大宰府保存協会の額芸員 田中健一さんに伺っています。
大宰府政調を後に来ています。 なぜ大宰府政調を後に来たかと言いますと、
この番組ではずっと岩井の乱についてやっておりますが、
その岩井の乱とこの大宰府政調というのは実は深いつながりがあるということで、大宰府政調をちょっと調べてみようと思ってやってきました。
田中さんに伺っています。これ岩井の乱とどういうふうにつながってくるんでしょうか。
今回ご紹介させていただく大宰府アート、大宰府政調アートなんですけれども、皆様一度お越しになった方も多いかなと思うんですけれども、
今回特集されているいわゆる美しいの君の岩井の乱ですけれども、確かに大宰府と直接何かつながりがあるというよりも、やはり間接的にご縁があるというところで、
まず一つは岩井の乱が527年に起こるわけなんですけれども、それが一段落した後、北部九州の支配拠点としまして、七つに三宅が設置されるわけですけれども、これが536年のことですけれども、
この設置された七つの三宅というのが大宰府の源流であるというのが今一般的な考え方でございまして、七つの三宅が設置され、
03:08
その後100年ほど経ちまして、663年、白村公の戦いがあり、それを受けて水城や大野城のそういったものが整備されるとともに、
七つの三宅が持っていた行政機能を大宰府の方に移して、それが立行政の下、大宰府という九州管内を統括するような組織へと発展していった、
こういうふうに考えられているところですので、畜生の岩井の君の乱からずっと北部九州の政治体制の統治機構の流れとして、やっぱりその中の一つに位置づけられるものというふうに考えられると思います。
三宅が各地に大和王権によって作られていきますけれども、その三宅とつながりがあったということなんですね。
そうですね、そういったものの流れを受けて発展、組織化されていったのが最終的な形が大宰府という形になっていったというふうに考えられております。
ということで、大宰府の歴史もずいぶん古くからあったということですよね。
そうですね、その時代からというところで、やっぱりいろいろな方たちが携わってきた歴史ですけれども、
あともう一つあるのが畜生の岩井の君の乱につきましては、いろいろ書物に書いてありますけど、戸敷の方を見ていきますと、やっぱり大友氏というのが一つつながりがありまして、後に大宰府で言いますと、
今みなさん言語霊話で有名ですけども、730年に長官の大友の他人が赴任して売買の縁をするわけですけど、まさにその大友の一族が畜生の岩井の君の乱にも携わりまして、その後九州の長官として赴任してくるということで、この北部九州が大友氏とも大変兼ねの深い地域ですね。
そういう意味で言うとやっぱり大宰府ともいろいろな面でのつながりが出てくるのかなというふうに思っているところです。
大友のつながりね。
そうですね。やはり中央で部門の家として携わっていた大友がやっぱりこの北部九州にも深く携わって、その中が畜生の岩井の君の乱でありますし、大友の旅と。
一時期まず1回目に南九州の担当として将軍として派遣されておりますけど、そういう九州とも大変深いつながりがあったというところで、大友氏を通じていろいろなやはり北部九州の歴史が紐解いていけるんじゃないかなと思います。
大宰府の歴史を語るときに第1期、第2期、第3期というふうに分けられますよね。
はい。
その辺はちょっと解説していただけますか。
そうですね。まさに大宰府というのがだいたい500年間ほど大宰府の地にあってその機能を果たしていたと考えられるんですけども、一番最初のというのは先ほど申し上げましたように663年、白村公の敗戦を受けて急遽国家防衛のために体制を整えるということですので、
大宰府の一期目というのはその600年代の後半に大宰府の地に、まずは掘ったて柱で建築されたというふうに考えられております。
06:01
7世紀後半になりますね。
この600年代後半の大宰府が作られたのがまず第一期と考えまして、いよいよ律令体制が整ってきまして、
そせ木立ちの瓦吹きの、今展示館で模型も展示しておりますけども、大変豪華な威厳のある建物に作り変えられた。これが二期目でして、
それが二期目なんですね。
これがだいたいですね、奈良の都が710年平城京と言われますけども、その前後して700年代の初め頃にこの二期の建物に作り変えられたというふうに考えられているところでございます。
そしてこの二期目からですね、次三期目、最後の3番目があるんですけども、これの契機となったのがどうも941年にですね、
藤原住友の乱が当時起こりましたけども、その際住友もこの大宰府まで進行してきまして、どうも成長の建物はその際に焼き討ちにあって消失してしまったというふうに考えられております。
この二期目で消失してしまった建物をほぼ同じ規模で第三期として建てたのが一番最後の三期目の大宰府成長の建物ということになっております。
といったのが岩井の乱と大宰府との関係ですが、今回は特に大宰府の勘が役所跡を紹介しています。
倉塚砂地区、雷鬼地区、広丸地区、オークス地区と歩いてきました。大宰府成長跡も目の前に迫ってきました。田中さんと一緒に歩いているのはこの番組の津川ディレクターです。
社宅のような大宰府構的なものが一部用意されていたと思うんですね。そういったものは今ご紹介しているのは勘が役所街ですので、ここに住むというのはくらいの高い方しかできないわけです。
一般のお役人さんたちはこの後ご紹介します須賀雲、いわゆる三笠川より南の一般的な街並みが広がる部分にあって、
朝夜が明ける前から集まって出勤して毎日お勤めしていただくと。終わられたらまた大宰府成長を去りまして、またご自宅するみたいなそういう仲間だと。
そういう日常があったんですね。
おそらくそんなに離れたところにはないと思うんですね。やっぱり通勤の便というかですね、成長の各それぞれの役所に行かないといけませんから。
おそらく大宰府の街並みとこの大宰府成長に近い方の街並みのいずれかとかに、そういった肝心たちの役人たちの住居というのがまとめてあったんじゃないかな。
09:01
成長後に戻りましたね。
ちょうど今大宰府成長後の交差点が見えてまして、福岡の美味しいお茶を出す三富茶屋さんというお茶屋さんがあるんですが、
ちょうどその三富茶屋さんの前に続いての小技の石碑が張っているところでございます。
ということでこちらがこの地区の旧小技、不調ということになります。
現在不調という字は不可能の不、不思議の不に定の字で書いておりますけども、
実はこれ不調、このもともとは大宰府の不に今の庁舎街の庁ということで、
おそらく不調という響きからすると大宰府の庁舎街があった場所ということで、
不調で時代が変わって漢字の方がちょっと変化したんじゃないか、そういうふうに言われているところでございます。
それが旧小技不調。
不調って僕が最初読んだとき何があったんだろうかなと思ったんですが、そういうことなんですね。
そうですね。
環境外。
その意味だと思うんですね。
実際に博誌調査ではここの不調地区からもやはり建物が時代によって様々ですが、60頭近く確認されてまして、
あとは木管などで先ほど展示館などでお話したいわゆる紫、染料に使う紫の草、そういったものの木管がたくさん出てきてまして、
どうもそうしますと紫を扱うような場所。
太宰府には役所の一つに工場染物所という、いわゆる布を紫などに染めて、染めた後期の方が使う紫の衣服を都に収める、あるいは太宰府で使うという役所があったわけなんですね。
そうしますと紫の木管が大量に関連するのが出てくるという点から、
おそらくそういう染物の役所がここにあったんじゃないかというふうにも考えられています。
そういう染物の役所があったというのが一つありまして、
あとはもう一つですね、こちらで特徴的なのは九州歴史養監の小田和俊先生が、
実はスズリで研究をされていらっしゃいまして、
太宰府で見つかるスズリって実は二つございまして、
定型研と言われまして、元からスズリとして作ったもの、
もう一つが転用研と言いまして、土器のお皿とか器とかですね、
杯なんかそれをスズリに転用した、そういったものがあるんですけれども、
この府庁地区からはだいたい500点近くそのスズリが出てきているそうなんですね、
転用研、定型研合わせてですね。
ですのでこの工場染物書っていう染物の役所、
それと共にそういうスズリをたくさん使うような文章を作るような役所、
そういったものもこのエリアそれぞれ分割して別々にあったんじゃないか、
そういうふうに出てきたスズリからもですね、そういう研究でされているところでもあります。
12:09
現在は不思議の府に1町目2町目の町という字で府庁と書きますが、
かつては太宰府の府に庁舎の庁と書いていたそうで、
この辺りは文字通り官庁街だったみたいです。
さて府庁地区から太宰府政庁跡の正面に来まして、この道を右のほうへ曲がりました。
政庁跡から南へ向かっています。
今ちょうど津川さんとぐるっとですね、太宰府政庁周辺の漢画のいわゆる、
学業院中学校とか水晶学校とかあります。西側部分をぐるっと見てきまして、
太宰府政庁跡の交差点から今度今まっすぐ南のほうに今歩いていっているところでございます。
この今大変大きな通りが通ってますけども、
戦闘前の当時はですね、ここを前面広場と言いまして、
特に大きな建物が佇み、ズオンとスザクマンまで開けた広場になっていた場所なんですね。
ただ、その中でも一つ建物跡が確認されてまして、
実はちょうどスザク王子に交差点に向かって行く途中に、
待ち立てのスジャクさんというのがあるんですけども、
その駐車場、南に向かって右手側のあたりに、
実は大型のですね、南北に長い取っ立て馬車の建物が確認されてるんですね。
これどうも長周年、いわゆる朝集まる建物ということにして、
どうもこのあたりに大型の取っ立て馬車の建物があって、
朝出勤する役人たちはどうも門が朝とともに開門しますんで、
それのために待つための建物がここら辺にあったんじゃないかなということで考えられてるんですけど、
残念ながらこの建物700年代頃から3、40年でちょっとなくなってしまって、
その後代わりの建物なんか確認されてませんので、
太宰府の初期の頃、70代の前半頃に存在したそういう建物が、
役人の活動に関するようなものがどうもあったらしいというふうに言われているところです。
というのは、役人たちは朝来てここに集まって、
ちょっと周回を開いて、今日も頑張ろうみたいな。
あと開門、開門を待ちながら、やっぱり遅刻するわけにはいきませんので、
開門をそこでみなさん集まって待ちながら、
太宰府のいわゆる南門、西門が開くと同時にみなさんそれぞれ出勤したんじゃないかなというふうに言われているところですね。
役人さんたちが集まって、決起周回ではありませんけども、
今日も頑張るぞみたいなことを言いながら、
集まって、そして南門へ入っていったということですね。
津川さんと太宰政長との交差点が南に進んでまいりまして、
15:00
ちょうど三笠川にかかりますと橋の手前、右側にありますのがこの場所に建っていたと考えられています。
鈴垣門の祖跡があるわけでございます。
この場所に建っていたんですか。
大きな祖跡がありますね。
ちょうど実はこの祖跡、開設版も設置されていますけども、
昭和57年にちょうど目の前を流れます三笠川のいわゆる河川回収工場を行っていたんですね。
そうすると川底から見つかったというところでして、
すぐこの現在地のすぐそばで見つかったそうなんですね。
大きさが2.4メートル×1.8メートルぐらいあると。
今地表で見えている部分だけのかなり重量感がありますけども、
これ全体の重さを運ぶときに測られたら7.5トンも1個であるそうなんですね。
すごいですね。
当時の人々がこれをどう切り出してここに設置したのかというのがすごく気になるところなんですけども。
頭の部分ですかね。
そうですね。ちょうど今地表に見えているのが半分ぐらいの部分ですね。
高さが4、50センチぐらいですかね。
当時見つかったときの写真なんかも丸々とした写真なんかもありますけど、
その地面の下にもっと大部分ですね。
大きいですね。丸々。
そうなんですね。立派な、本当に立派な注ぎですけども。
ここにありまして、今歩いてきましたけども、
ちょうどこの三笠川の辺りまでが役所の区域で、
三笠川を渡った南側が太宰府の街並みの一般の人々が生活する街並みと考えられているわけなんですね。
その街並み、当然役所街と一般の住居街を区別するための門、
誰でも自由に入ってもらうわけではいけませんので、
役人とか特別な方だけが入れるように太宰府の考え行きを仕切る門、
それがこの須作門だったと考えられているところなんですね。
須作門がここにあってですね、役人たちの住居はどの辺にあったんですか。
おそらくこの須作門から南に、いわゆる一般の街並みに出たところに多分あったんじゃないかなと。
役人たちの住んでいる場所ですね。
まだはっきりと記録がないので、もしかすると見つかっていないだけでも、
もしかするとこの須作門の内側に、いわゆる太宰府県庁側にあったかもしれないんですけども、
なかなかまだ太宰府全員は見えていませんけども、
もしあるとしたらすぐ南側の部分なのかもしれないですね。
一般の人はもっともっと南の方に住んでいました。
おそらく街並みの各所にお住まいだったんじゃないかなと思うんですけども。
ちょうど区分する須作門ですけども、
ちょうど素石を見ていただくと、柱を乗せる柱座がきれいに円形で作り出されていますけども、
あれが大体66センチくらいあるそうなんですね。
それほど立派な柱を建てました。
7.5トンある素石ですので、相当重さも支えられると思うんですけども、
18:00
最大で敷園しますと、高さ、須作門、推定で22メートルくらいまでなるということですので、
ビルでいうとかなりの階数になるかと思いますね。
そういうものがここにあるという。
そうですね。それを裏付けてくれるような素石になっていますね。
ですので、1300年前のことを伝えてくる文化財が川のそばにありますので、
こちらもご覧になっていただきたいなと思います。
ちょうど太宰府、いろいろな万葉歌碑がこれまで見ましたけども、
こちらの方にも太宰府の大名詞とも言われますが、
塔の御門ということで柿の本一丸が読んだ歌の万葉歌碑なんかも一緒にすぐそばに立っておりますので、
ぜひこういった万葉歌碑を見ながら須作門の素石もご覧になっていただきたいなと思います。
太宰府須作門素石でした。万葉歌碑がここにあるということで、ちょっと覗いてみましょうか。
1メートルくらい高さの石碑です。
垣の下の麻生一丸の津久市の国に下りし時に回路にして作りしみた。
そうですね。垣の下の麻生一丸が九州に下っていく時に海の回路の途中で作った歌ということで、
その中で塔の御門、太宰府の方のことをそういうふうに表現をして、
それに不倫する上でも都とともに遠く離れた朝廷と同じように大事な重要な太宰府であるということを読んだ歌になっています。
ちょっと読んでみましょうか。
大君の塔の御門とありかよ。島塔を見れば神よしおもはよ。
大君の塔の御門とありかよ。島塔を見れば神よしおもはよ。
そういう歌ですか。
まさに太宰府の正面に位置してまして、太宰府のことをたとえた文語が読まれています。
ぜひご覧になっていただきたいなと思っております。
そういう歌がここにありますね。
ということで入り口の場所と考えますと、すざく門のところまで来ましたので、
今回は今度は東側の方にある館賀、日吉地区を訪ねてみたいと思います。
ここをちょっと横断歩道から行って、このすざく門から南にいわゆるすざく王寺が延びていたわけですけども、
太宰府ですと水を含めて大体36メートルと言われておりますけども、
その道がちょうどこのすざく王寺の現在の国道3号線の交差点付近から南の方に延びていたというところです。
交差点の名前自体も大変歴史的な、すざく王寺という名前がついていますので、
そういったところをぜひ来られたときに楽しんでいただければなと思います。
3号線がすぐ横を走っていまして、賑やかな通りになっています。
すざく王寺という通り、ここをちょっと信号を渡ります。
21:01
すざく王寺の交差点から国道3号線沿いに一つ、東側の交差点まで三笠川沿いに歩いていこうと思います。
太宰府西庁から交通量の激しい南へと向かいます。
今回は初めに税を担当した蔵野司。
ここにはどうやら重要な建物があったとみられていますが、
この蔵野司をスタートして西庁跡に向かって左に出まして、
武器や農機具を作ったとみられる雷鬼地区と歩きました。
そして関谷の交差点からUターンして広丸地区、
役人たちの昼食を担当したとみられるオークス地区、府庁地区と歩いて太宰府西庁跡へ戻りました。
今度は西庁跡を背にして南へ向かっているところです。
ご案内は、こと太宰府保存協会の学芸員、田中健一さんでした。
ここで古代の福岡を歩くリポーター、中嶋理恵さんです。
こんばんは。
今日は、村方いちご祭りが始まったぞというお話したいと思います。
いちごですね、今ね。
この村方いちご祭り、今日から始まりまして、4月15日までの1ヶ月間、
この村方市全体で直売所ですとか、飲食店で行われているんですね。
そんな中、道の駅村方でおすすめをチェックしてきました。
まずは塗り絵大会。
オリジナルのいちごちゃんデザインの塗り絵作品を作るんです。
入賞した方には豪華商品がもらえるという。
いちごちゃんってキャラがいるわけですね。
このいちご祭りの時に出てくるわけですよ、かわいいのが。
さらにですね、桑立としましてはいちごシールラリーというのがありまして、
この道の駅村方の敷地内にある物産館、日頃、姫の穂、さらに村旅ラボ、
この4カ所を回ってシールを集めるとプレゼントがもらえると思う。
この1ヶ月間の期間中の土曜日と日曜日のみのプランなんですが、
プレゼントは先着50名となっていますので、朝早起きしていちごシールラリーはチャレンジするべき。
さらにですね、お買い物をずっと楽しめるのが、いちごちゃんシールを集めてお買い物券を手に入れるというものなんです。
これは道の駅村方と直売所のかのこの里、同じく直売所のほたるの里、
ここにやっているいちごそのものとか加工品にいちごちゃんシールがついているんです。
商品についているんですね。
これ10個集めると100円分のお買い物券として使えると。
さらにダブルチャンスとして抽選で道の駅村方の1500円分の商品券が当たるかもしれないという、
かなり大掛かりなワクワク状態なんですが、
24:02
ここまでこの話を案内してくれた道の駅村方営業部農産加工工芸家主任の石渡誠さんに私は素直な疑問をぶつけました。
考えたらすごいシールだらけなんですが、村方ってシール好きなのかしら?
シール大好きですね。
雨夏フェアの時もあったりしますね。
世の中が今シール盛り上げてますけど、そんなに前から俺らはシール好きなんですか?
そうですね。先駆けかもしれないですね。
かわいらしいでしょ、いちごちゃんシール。
いちごちゃんの顔なんですね。
そうなんですよ。これいっぱい集めるといいことがあるぞということになるわけなんですが、
ささ、いちごの売り場の方に行きましたよ。
メインはやっぱり天王なんですって。
年々生産者さんもそれから出荷量も増えているという状態らしいんですが、
道の駅村方のすごいのは、謎に種類が多いんです。
例えばですね、メインは天王ですけど、さちのか、青いエメラルド。
聞いたことないですよ。
初めて聞いた気がします。
4つ星。
桃に香る燻製のクンと書いてトークン。
その名の通り桃のような香りがするらしいですが、
あと香りの。
これ甘さが強くて名前通りいい香りがする。
あと京都の京に虹と書いて京光とかね。
いろんな品種が今ありますね。
そうなんですよ。見たことのないのを選ぶのもいいかと思うんですけども、
基本的にこんな風に選んだらいいんじゃないかと石渡さんのお知恵をいただきました。
大体大きい方が甘みが乗る傾向が、甘みとか旨みが乗る傾向があるんですけど、
先が尖って、形のいいいちごって先が尖ってあるんだけど、
先がグローブ型って言うんですけど、グローブのようになっていると先が甘いので、いちごは。
ちょっと形は悪いって言われるかもしれないですけど、
そっちの方が甘みって言えば先の方が甘いので、おすすめです。
ここを覚えておくところですね。道の駅だからこそ、きれいな三角錐形じゃないのもたくさん出る。
ここいい狙い目ですよ。売り場で見たらですね、ちょっと驚きの光景もありました。
でかっ!すごいでしょそれ。
これ小柄の純正のグーぐらいありますよね。
横幅5センチぐらい?
あまり大きいので1個だけっていう商品もあります。
これ横幅7センチぐらいありますね。
インパクト大。
大きい。
びっくりです。これぜひ出会えたら買ってプレゼントにもいいかもしれません。
さらに加工品やスイーツも充実してまして、今道の駅村方にスタッフ大人気の
赤玉大一ロールというロールケーキ、今日は坂田さんの前に持ってきました。
27:00
今一口食べましたら、卵の風味といちごの香りとかすかな酸味が絶妙ですね。
これもめちゃめちゃ美味しいので、いろんなものを探してください。
村方いちご祭りは4月15日まで行われています。
道の駅村方でぜひぜひ満喫してください。
中嶋理恵さんでした。
道の駅村方の堂崎です。
4月15日まで、村方市ではいちご祭りを開催します。
道の駅村方では、素敵な景品が当たるいちごシールラリーや塗り絵大会など、
さまざまなイベントを実施します。
皆様のお越しをお待ちしています。
番組ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
また、ラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組はJA福岡屋根、道の駅村方、餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周大でした。
数学教師芸人の高田先生だよー。
高田先生の算数ワクワクラジオ。
算数が不安なあなたを算数ファンに変えるポッドキャスト番組です。
アップル、スポティファイ、アマゾン、ラジコなど各種音声プラットフォームで配信中。
4649よろしくー。