徒浦尾橋と日吉地区の歴史
古代の福岡を歩く遥かな昔。 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩く。 この番組はJA福岡屋目
道の駅村方 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
JA福岡屋目の直売所ヨランノの柄頭です。 今、でこやめがおすすめです。
ヘタのあたりがデコッと出っ張ってる柑橘です。 ジューシーで濃厚な甘みが特徴です。
でこやめ、食べてみてください。
こんばんは、坂田周大です。 岩井野蘭都は間接的にですが関係がある大宰府を歩いています。
ご案内は、こと大宰府保存協会の学芸員 田中健一さんにお願いしています。
大宰府の役所跡神賀を歩いています。 倉塚沙地区、雷鬼地区、広丸地区、オークス地区、
府庁地区と歩いてきました。 そして大宰府政庁跡へ戻ってきて、今度は大宰府政庁跡を背にして
須賀王寺へ入ってきました。 交通量の激しい通りへやってきました。
この通りを横切って三笠川に出て、さらに一つ上流の橋、徒浦尾橋に出ました。
現在は河川回収されて、ストレートにまっすぐなっていますが、
それまでは古代も含めて氾濫したり、河口したりして、だいぶ流れも違っていたんだろうと言われています。
橋を渡ったところに、このルートが明治時代のメインルートだったということをご紹介する橋の石碑も建っています。
今は向こうが大宰府の道ですが、明治時代は徒浦尾橋がまさしくメインの通りでございました。
徒浦尾橋川ですか。
そんなのを寄り道しながら、やっていこうかなと思います。
流れが淀んでいますね。
やっぱり高低差がそんなにない川ですので、流れがゆっくりですもんね。
まあ穏やかですね。水量がそんなにあるわけではないですからね。
ということで、菅原さんと歩いてきまして、
静岡王子の交差点が一つ東側に行きますと、ちょうど蓄養高校がありまして、その前が徒浦尾橋という大変なか愉快なある交差点になっていますが、
その徒浦尾橋を渡っていきますと、橋を渡った北側、西庁側にどんどん徒浦尾橋という橋の記念碑が建っているわけでございます。
石柱ですね。1メーターちょっとぐらい。
側面を見ていただくと、明治43年ということで作られた都市が書いてあるわけなんですけれども、
まさにですね、実はこの場所というのが、実は太宰正町と、実は南側、このいわゆる蓄養学園の前の方が南に行きますと、
その先にあるのが三谷校が拓挙していた南下江戸記者の跡ということなんですね。
明治43年にやはり三谷校が漢詩に読んだ太宰正町、そして江戸記者の間を繋ぐ道をということで設置されたのがこの徒浦尾橋だったわけなんですね。
ですのでこの橋の開通によって、それまで直通のルールがなかったのが江戸記者から、そして太宰正町まで一本の道で行けるようになったということで、
今はたくさんの橋が掛かって、お隣の須賀公寺の交差点が大きいんですけども、
明治時代ここに橋を掛けていただいたことによって、太宰正町と江戸記者南間が結ばれたと。
そういう依頼の、そういう記念の橋の架け尾の記念碑になっております。
そうですか。そういう橋だとは夢にも思わずに毎日通ってました、車で。
なのでこの辺りは一番有象ある橋がこの徒浦尾橋になっております。
そうですか。ちょうど30メートルぐらいかな、長さは。そういう橋ですね。
ですが歴史的にはとても大事な橋でございます。
この徒浦尾橋から北側が今度、日吉地区の漢画が広がっていた場所をですね、そちらを案内しながら展示館の方に。
知らなかったな。
明治43年がですね、福岡、九州沖縄の博覧会が福岡市で行われまして、
たくさんの方が福岡にやってくるということで、それに合わせた整備をどうも行ったということなんですね。
だからたくさんの人が太宰府を訪ねていただけるようにというところで、
太宰府を代表する絵の記者、そして政調をですね、皆さんに見ていただこうということで、道を整備される一環らしいということですね。
昔はこの道をメインとして多くの方が。メインだったんですね。
そして太宰府政調跡の方へ戻ってきまして、日吉地区に入りました。
太宰府市漢字音字1丁目に来ています。
先ほどの徳郎橋からずっとですね、北の方に今度は住宅街を歩いてきましたけども、
そちらが実は徳郎橋の北側が日吉地区と呼ばれる地域になっています。
ここがまた太宰府の役所の一つと考えられている場所でして、
ちょうど中心部分の西側広まる多く数府庁と広がっていましたけど、
東側は日吉地区一つが今のところ確認されているところなんですけれども、
こちらは建物などがだいたい全体で20棟ほど確認されていまして、
すずりですね、そういったものも確認されていますので、
なのでこの辺り一帯ではそういう文書などを作るような役所であったのではないか、
というところが言われていまして、また三笠川にも面しているところですので、
そういったところも踏まえてですね、いろいろな機能を持っていたんじゃないかと言われているところでして、
現在は住宅が立ち並んではいますけれども、やはり1300年前は一つ役所街が広がっていて、
ここも多くの役人たちが広がっていた場所、それがこの日吉地区と考えられているところになっています。
太宰府展示館の見どころ
神賀地区の最後は月山東神賀跡ですが、その隣にあるのが太宰府展示館です。
この太宰府展示館で太宰府のことをもう一度頭の中に入れて、月山東神賀跡へと向かいます。
太宰府展示館にやってきました。広くていろんなものが展示してありますね。
こちらの太宰府展示館は1980年に開館した施設でして、いろいろな資料を展示させていただいていますけれども、
実は資料館という形ではなくてですね、実は館内で2カ所、その当時古代の太宰府の遺構があるんですけれども、
それを見ていただくための遺構の大屋という扱いでございまして。
なるほど、遺構自体を覆っている館。
そうなんですね。なので他の自治体さんとかにある立派な博物館、資料館さんの扱いではないんですけれども、
是非、太宰府県政庁に一番近い施設でありますので、来た方に是非太宰府を知っていただこうということで、
いろいろなものを展示させていただいているというところでございます。
そして正面にですね、大友の旅人像というのがちょっと大きめの人形ですね。
そうですね、一般的なものより少し大柄に作っていただいてですね、その迫力が。
まさに大友の旅人さん、このあとまた改めてご紹介するんですけれども、
晩年の本当に太宰府に来られた頃の様子を再現させていただいているものですね。
お酒好きを右手に持っている像ですね。
お酒好きということで万葉集にも残っておりますけれども。
この大友の旅人さんが正面でお迎えしていただいていますけれども、展示館をお越しいただいたとおり、
左手の方にお越しいただきまして、入ったところには太宰府の概要を紹介したパネルでございますとか、
あるいは1300年の歴史がある年表なんかも置いてありますので、
太宰府の概要なにかご覧になっていただければなと思うんですが。
太宰府県政庁後の模型ですね。
そうですね。
せっかく館内にお越しいただいたら、まず一番奥の地形の方をご覧になっていただこうか。
ここを見ると太宰府というのがどういう風な地形のところにあるかというのがよくわかりますね。
そうですね。ちょうど五線分の一のジオラマを設置しているんですけれども、
まさに太宰府といいますと、古代におきましては城防制の街並みが広がっていまして、
北側には津川さんとして苦労して登りました大野城、塩尻山がございますし、
大変現地を見て、大変山代のすごい造りをご紹介させていただいたんですけれども。
塩尻山、大野城は後ですけれども、田中さんと何回登ったかというと、4,5回登ったような気がします。
それぞれ分けて何回も収録させていただきましたけれども。
この内容の濃さ、感動しましたね。
こういうすごい山が太宰府にあったのかと思ってびっくりしましたよね。
そうなんですね。まさに太宰府を防衛していました古代山城の位置ですね。
南側の奥の方には今度は騎乗がございまして、まさに南を防衛する、
今の福岡県の築志野市と佐賀県の喜山町にまたがる、まさに奥側に騎乗がありまして。
古代山城で言いますと、今度は東の方には築志野市の宮地屋敷には足木山城も確認されておりますので、
また一般公開はされていなくて、皆さま自由にはなかなかご見学いただけないですが、
こちらも国の重要な場所としてなっておりますので、まさにこの山城が三つですね。
北、東、南、そして福岡平野を横切る1.2キロの水木跡ということで、
こちらも以前津川さんと水木をぐるっと歩いてご紹介させていただきましたけれども、
まさにこういった山城や水木に守られている太宰府の地形ですね、周辺の様子というのがわかりますので、
ぜひこちらをご覧になっていただいて、まずはお越しいただいた太宰府がどういった場所になるのかご覧になっていただきたいと思います。
そして太宰府と言いますとやはり中心となるのが太宰府聖町でございますので、
そちらの百分の一の模型があるので、こちらを続いてご覧になっていただきたいと思います。
これが太宰府聖町の百分の一ですか?
はい。九州国立博物館さんが所蔵しているのをずっと展示館のほうでお借りして見ていただいてますけれども、
まさに今太宰府聖町を訪れていただくと、建物の柱の土台であった組織が残っておりますけれども、
じゃあ実際その上にどのような建物が建っていたのか。
これでよくわかりますね。
そうですね。まさに津川さんと歩いてまいりました南門ですね、一番手前が一番大きい南門。
そして回廊が巡っていきます中門ですね、中門がございまして、中央には玉石敷の広い広場があり、
東西には二棟ずつ脇殿と呼ばれる建物がございまして、そして中央にどっしりと構えていますのが、
長官が執務しておりました聖殿、太宰府聖町で一番大きい建物になりますけれども、
このようにその北側には公殿と呼ばれるような、おそらく事務棟などがあったと考えられてまして、
まさに時期によって少し大きさが変わるんですが、およそ横幅が120メートル、奥行きが215メートルほどの規模のあります太宰府聖殿です。
模型の方はこのように立派な瓦剥きというのが、太宰府で言いますと2期目と3期目がこういう建物なんですけれども、
その建物の3期目、一番最後の姿を再現しているところでございます。
ちなみに太宰府の2期と3期というのはほとんどサイズも一緒で建物も同じなんですけれども、
見分け方としましては聖殿の後ろ、一番北側のところに2期は北東の方に大型の建物がございまして、
3期になると左右に高い廊下区のような建物が少しあったと、左右にあるということで、
太宰府聖殿の2期と3期を見分ける違いとしましては、この一番北側の部分をご覧になっていただくと、
2期目なのか3期目なのかというのがわかるようになっているところでございます。
この太宰府聖殿の建物をご覧になっていただきまして、実はこの太宰府の地形のジオラマの下に1300年前の溝が残っているというところなんですね。
さっき覆いやと言われませんが、何を覆っているかと言いますと溝がありまして、その溝を覆っているという感じですね。
そうなんですね。実際にこの場所、太宰府天神寺が建っているところを発掘調査したときに見つかった溝でして、
おおよそ1300年前、太宰府聖長で言いますと2期目ですね。年代で言うとおよそ700年から800年の間にかけて使われていた溝ということでして、
真っ直ぐ、実は太宰府天神寺館から東の方に伸びていっていまして、
今回最後に月山東地区の役所の跡をご紹介するんですが、そちらの方まで真っ直ぐつながっている溝なんですね。
おそらく奈良時代、その頃に太宰府の区画を区切るための溝の一つだったろうということでして、まさに当時の姿そのままですね。
だいたい横幅が80センチほどでして、深さは、
深いですね。
ただ私たち、津川さんと私が立っている場所は遺骨を守るために傘上げしてまして、
実は当時の高さというのは奥の方に見えている溝の両脇にあるここが当時の高さですよね。
深さ自体はそんなに深くなくて、実は30センチぐらいの、それぐらいの浪細なものなんですけれども、
ただきちっと奈良時代のものが残っているということなので、ぜひそちらもご覧になっていただきたいと思います。
この溝がどこにつながっているかというのは非常に興味があるところですね。
ぜひ最後の方の月山東地区をご紹介したいと思います。
当時の様子を知る移行として、ぜひご覧になっていただきたいのが、
実は管内の奥の方に展示しています、太宰府省庁の土層の断面図というのを展示しております。
こちらは太宰府省庁だと何回か白調査されているんですけれども、
1999年にいわゆる聖殿、一番の大きい建物があった場所を調べまして、
そのとき穴を掘りまして、調査のトレンチなどと呼ばれますけれども、
その成長跡の聖殿を深く下まで調べるために掘ったときに、
その掘った穴の横の断面をスチラニアの接着剤と塗りまして、
それをベリベリと剥がしたものになっております。
縦が2メートル、横が3メートルくらいの断面図ですね。
よくわかりますね、これで。
まさに私たちは1300年の歴史を言葉でご紹介していますけれども、
まさに目で見ていただいてよくわかるのですが、
実は見ていただきますとこの土層の一番下が地盤となっていまして、
この地盤の上にまず一期目の掘った手柱の建物が建てられました。
掘った手柱がね。
そのためにまず土層を土を入れまして整地しまして、
ある程度数十センチ積みまして整地をしまして、
実はこの断面には掘った手柱の穴の跡も残っておりまして、
少し地盤が凹んでいる中央部分にあるんですが、
基本的に凹んでいますね。
実はそこに掘った手柱が建てられていたと。
柱を建てる。
この後一期目の後には掘った手柱が今度いよいよ素石を使った立派な二期目の建物が
およそ700年代の初め頃に整備されるんですけれども、
そのために素石を設置しないといけませんので、
一期の地盤からさらにかさ増しをしまして、
また数十センチ素石を置きまして、
素石が置いていた位置に合わせて大体土が増すね。
土がね。
成長してということで。
わかりますね。
そう言われてみると、そこに素石があったんだなというのがわかりますね。
素石がある部分がポコッと抜けているんですけれども。
この二期目を建てるためには一期目をきれいに埋めとかないといけないんですが、
一期目に挿していました掘った手柱をそのまま放置しておくと木が腐ってそこが空洞部分になってしまいますので、
どうやら実は専門の方、発掘調査された方によると、
どうも穴の形が斜めになっていますので、
掘った手柱を抜きやすく斜めに傾けて、きれいに柱形を全部抜いて、
知恵がありますね。
重要な建物を一番鎮下しないように。
ということで木材も全部抜いて、
おそらく成長に使うような木材を他の建物に転用して、
今の私たちもリサイクルではないですけれども。
ということできれいに建物の柱を抜いて、その上にきれいに整地をして二期目を建てると。
成長が三期目、もう一度建てるんですけれども、
そのきっかけとなったのが941年に藤原の墨友の乱の際に、
太宰府も占領されまして、どうも太宰成長もそのときに焼け落ちたと考えられておりまして、
そのときの焼けた土というのが、これは聖殿の剥ぎ取りですので、
焼けた土はきれいに取り除かれて、この剥ぎ取りの面には出てこないんですけれども、
他の場所の剥除調査なんかを見ますと、この二期と三期の間に黒い土の層がありまして、
確かに焼けたんだなというのがわかる、焼土層と呼ばれるのが見れるようになっております。
ただ、聖殿はきれいに焼けた土なんかを取り除きまして、
さらに三期目を建てるということで、三期目の組織を据えまして、
それに合わせて三期目の成長をするということでございまして、
実は地盤からだいたい1メートルちょっと三期目までに土を造成して高さをしまして、
大体おおよそダザイフ成長が三期目で使われなくなりまして、
その後はいわゆる畑とか田んぼに転用されましたので、
その後ずっと江戸時代などを経て積み重なって、
一番上の部分、地盤からだいたい1.8メートル、2メートル近い上を今皆さまが歩いていただいているというところになりまして、
まさに1300年の歴史の積み重なりが目で見ていただけるような剥ぎ取りになっていますので、
ぜひ展示館に来られたときは、ダザイフ成長の美容の土地の変遷をぜひご覧になっていただきたいと思います。
はい、といったところがダザイフ成長成田の土層断面図という、土層断面ですね。
よくわかりますね、これで。歴史がよくわかりますね。
積み重ねが目で見ていただきますので、ぜひご覧になっていただきたいと思います。
ダザイフ展示館の中にある、ダザイフ成長成田跡の土層断面図でした。
太宰府の桜の名所
ご案内は、ことダザイフ保存協会の学芸員、田中健一さんでした。
ここで古代の福岡を歩くリポーター、中嶋理恵さんです。
こんばんは。
今日はこの古代の福岡を歩くリスナーにおすすめしたい桜の名所、時期ですからセレクトしました。
というかセレクトしてもらいました。
選んでくださったのは、ダザイフ市観光推進課の淀川優月さんと今泉心さんお二人。
まずおすすめしたいのは三笠川沿いなんです。
ここ全長1.6kmに120本のスメイユシノが、たーっと並んでるんですけど。
私先週見に行ってまだ全然花が咲いてない状態ですけど、それでもわかる。
確実に桜のアーケード状態になるなって。
そのぐらい美しいところなんですよね。
この中の一部分なんですが、中央公民館プラムカルコアの裏手がですね、ライトアップされるんですよ。
明後日か3月24日火曜日から4月5日月曜日まで、時間は夜7時から9時の間。
今泉さんがこんな風になるんだよと去年の例を出してくださいました。
去年はピンクとか紫、白、青が何色かで時間によって色が変わる感じでライトアップされてます。
1個の桜に対してピアッと変わっていくのか?
全体で一気に変わります。
ピンクのターン、白のターン、紫のターンみたいな感じで変わっていくので。
幻想的ですよね、きっとね。
かなり面白いと思うんですよ。
桜の下はもちろんみんな通れる洋補道なので、まずは桜の下で自分もライト浴びながら楽しむのが一つ。
もう一つは反対側の川石もおすすめだというんですね。
川面に桜が映る。
それからですね、全体を帯のように見ることができると。
力説するイメージですが、実は去年はまだ市役所の人ではなかったそうで、今年はこんなことを持ってるみたいです。
去年は桜の下しか撮ってなかったんですけど、反対側から撮ってある写真を見て綺麗だなと思いました。
じゃあ今年は?
反対から見ようと思います。
そうか、こっちもあったか。
そうなんですよ。両方をしっかり楽しんでほしいこの三笠川沿いがまず一つ。
そして先輩のヨド川さんにさらなるおすすめを聞きました。
やっぱり出ました。
この市籍を囲むような桜がいいんですと。
成長跡と周辺におよそ100本の桜があるんですが、こんな見方がいいとヨド川さん言います。
剣道から成長跡を入っていただいて、左手側が川沿いに桜が並んでいるような形になるので、
市籍を奥に行く道すがらというか、ずっと桜を見ていただけるような形になるかなと思います。
お天気のいい時はお弁当を広げて成長跡の中でピクニック気分で楽しむのもすごくおすすめですとおっしゃってました。
そして太宰府成長跡の後におすすめしてもらったのが鎌戸神社。
およそ300本の桜があるんだそうですが、現代建築の重要所、新しくなった社務所、そして昔からの本殿、こういった組み合わせプラス、こういう桜の並木がいいんだと。
きれいな神社の感じと桜で、ずっと階段を登っていくんですけど、桜に囲まれながらという感じなので、
桜を見ながらずっと上の本殿が現れるところまで登っていくのも、それだけですごく何度も足を止めながら登っていくみたいな感じになるんじゃないかなと思います。
1年でこの時期だけですもんね、桜が。
そう、欲張りたいんですよね。欲張る私たちにぴったり。鎌戸神社はライトアップもされてますんで、夜仕事帰りに行くのもいいんじゃないかなと思いました。
そして、もうちょっとチャレンジするならといって提案してくださったのが、太宰府市民の森。
これね、太宰府省庁跡からさらに奥の方、北の方に向かって10分から15分歩くと公園の入り口になるんですって。
で、ぐるーっと1週、1時間くらいさらに楽しめますよということなんですが、この太宰府市民の森の桜は、大体300本くらい。
えそめいよしの、それから八重桜などがあるんですが、車で入れないので、いわゆる静かに見られる、ガシャガシャしないのがいいところだなって仰ってました。
しっかりと足元を固めて歩く準備をして、この奥まで進んでいくのもいいんじゃないかと思います。
あと、桜もいいんですけれども、菜の花もトフロー跡おすすめですよ、これからいいですとおっしゃってましたし、他に桜バージョンで来たの水木跡の桜も美しいぞ。
かなりいろんなところがあるので、ぜひぜひ足元を固めてね、歩きやすい格好で出かけていただきたいと思います。
太宰府の桜、リスナーさんにおすすめなのをおさらいしましょう。三笠川沿いの桜並木、夜ライトアップされます。
それから太宰府成長跡、さらに釜戸神社、ここもライトアップがあり、そして太宰府市民のあり、県客の皆さんぜひ足を伸ばして行ってみてください。
そしてさらに、トフロー跡の菜の花や水木跡の桜も楽しめるんじゃないでしょうか。
ぜひ、史跡散策と一緒に太宰府の桜も楽しんでください。
番組情報と提供
中嶋理恵さんでした。
番組ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
また、ラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は、JA福岡やめ、道の駅室方、
餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周大でした。
地下鉄祇園駅から徒歩2分、RKBスタービル博多祇園スタジオは、
ポッドキャストなどの音声コンテンツの収録から動画のライブ配信まで、
様々なニーズにお答えできるレンタルスタジオです。
お問い合わせご予約は、スタービル博多祇園のホームページからどうぞ。