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「古代の福岡を歩く」23回目は蔵の司を紹介。
2026-03-08 30:31

「古代の福岡を歩く」23回目は蔵の司を紹介。

九州の国々から税を徴収した蔵の司に入りました。

背丈と同じくらいの雑草の中に礎石がちらりと見えました。

かつて、ここには巨大な建物があったとみられています。

税を蓄える倉庫から外国の客を接待したとみられる建物まであったとみられているのです。
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サマリー

今回の「古代の福岡を歩く」では、かつて九州各国からの税を徴収し、特産物や労力を管理した「蔵の司」跡を訪ねます。そこには税を保管する倉庫群と、外国の賓客をもてなした可能性のある大規模な建物跡が見つかっています。また、武器庫としての役割や、藤原の住友の乱との関連も考察され、時代と共に多様な役割を担った場所であったことが明らかになります。後半では、太宰府の梅を使った伝統菓子「みのりか」を紹介し、地域食材の活用と地元への愛着が語られます。

蔵の司の概要と税の徴収機能
古代の福岡を歩く。遥かな昔。 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩く。 この番組はJA福岡屋根
道の駅村方 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
JA福岡屋根の直売所ヨランノの餌頭です。 博多天王の季節です。赤くて丸くて大きくてうまい。
今年も良いのができました。美味しいです。 屋根の博多天王ぜひ食べてください。
こんばんは佐方周大です。 岩井の乱とは間接的に関係のあったというダザイフ。
今回はそのダザイフの漢画、訳書を紹介しています。 ダザイフ成長跡に立ち、正面の塩寺山に向かって左側にあるのが
倉のつかさという場所です。 先週はその下に広がる漢画を紹介しましたが、倉のつかさはその上の丘の部分に広がる場所にあります。
倉のつかさ、重要な訳書ですので、今回はもう一度この場所でさらに詳しい話を伺っていきます。
ことダザイフ保存協会の学芸員田中健一さんです。 倉のつかさはかつて九州各国から税を徴収する場所でした。
その税金ですけれども、税が荘用帳と昔は分かれていましたよね。 そのうちのここは帳の部分になるんですか?
そうですね、あの皆さんも教科書で荘用帳を習って、昔思い出した方も多いかなと思うんですけども、いわゆる荘っていうのがですね、実はダザイフには税のつかさというのがありまして、そちらの方にどうも荘は納められた、いわゆる稲ですね。
こちらはですね、いわゆるその残った倉のつかさの方は用と帳だったと考えられているわけなんですね。
労力と。
特産物とかですね、そういったものを倉のつかさの方は扱っていたと。
特にダザイフの中で言いますと、綿であったりですね、当時は紫、そっちも旅人も来てますが、紫色を染めるための植物ですね、紫の草と漢字では書きますけども、そういったものが特産品としてありますので。
そういったものをしなじなを倉のつかさで一旦管理して、そして都へと送り出していたというふうに考えられているところでございます。
蔵の司の倉庫跡と造成
ということはあれですか、倉があって、それから役所があったということですよね。
そうですね、まさしく税を扱いますね。倉がないとまず納める、倉庫がないとあれですね、やっぱり難しいので。
ということで登ってまいりまして、実はこの倉のつかさの丘陵部分は、東側の低い部分の平坦部分と、西側の一番高い部分の実はそれぞれ2つ東西で分かれているんですね。
実はこの丘陵部分の東側、低い方の平坦部分に実は倉が建っていたというのがわかっているんですね。
つまり入口に近い方ですね、で倉があった。
というのが実は博物館調査でわかっていまして、この倉のつかさ、太宰政庁も展示館でお話ししましたが、建物も最初の掘って建て場所の1基、2基、3基と建て替えられたというのがお伝えしましたが、
実は倉のつかさの調査も九州歴史資料館さんがされていますけれども、こちらはどうも細かく分けると5つの時代に分かれることができるということですね。
太宰政庁にもちょっと変遷がいろいろあったそうなんですね。
そのあたりは九州歴史資料館さんが調査報告などで出してはいらっしゃるんですけれども、
実はそもそもこの東側の部分、倉庫があった部分というのはもともと実は谷が入っていたそうなんですね。
谷がね。
いずれる太宰政庁があります東側の方から深い谷が実はこの平坦部分の真ん中に実は広がっていたということで、
当初はそれを避けてですね、建物を建ててたんですけれども。
あの間に大泡が流れてましたよね。
そうですね。
あのあたりかな。
はい、あのあたりからどうもこの丘陵部分にかけて大きな谷が入り込んでいたと。
ただそのままですとやはり使いづらいわけですので、その谷を埋めてですね、綺麗に今奥の方までちょっと見ることはできませんが、かなり広い平坦部分を造成したというふうに考えられております。
その造成したのが大体ですね、8世紀の後半ぐらいから9世紀の前半ぐらいと考えられてまして、それを造成しまして広い平坦部分ができまして、そこにですね、逆小の字型、カタカナの子の建物が反対側にある。
その形をした一辺にですね、2棟ずつ計6棟の建物が白鳥沙で見つかったというところなんですね。
そうなんですね。
ですのでこの広い丘の丘の上の部分には、その8世紀の後半ぐらいからはですね、実は6棟の立派な倉庫があって、どうもそこにそういった品々なんかですね、重要な貴重品はそこに収められていただろうということがわかっている場所になっております。
大体その収められた品物っていうのは、帳、布、絹類、それから特産品、それ以外に何かこんなものも見つかっているよっていうのがあるんですか?
そうですね、ここの何が収められていたかっていうのが、いわゆる品物自体なかなか不明瞭な、こちらの倉庫部分なんですね。
ただ倉庫の跡を見ますと、相柱、いわゆる間隔なしですね、もう床面にまんべんなく素石が配置されてますので、そういう造りですと重要に耐えられますので、重たいものが倉庫に収められても十分耐えられるようなしっかりした造りだったというのがわかっていますので、
そういう紫であったり綿であったり、軽いものだけじゃなくて重いものも十分大量に収めることができたような、そういう造りをした倉庫だったというふうに考えられているところですね。
蔵の司の大型建物とその役割
西洋町の町の部分の品物、特産品または布、絹あたりのものを収めていたということですね。それを管理する役所もあったということですね。
そうなんですね。まさに倉塚座地区、東側の部分が倉庫が建てて、実は一段高い西側の部分に大型の建物がありまして。
西側に大型の建物。
そちらは現在も組織が残っている場所になるんですね。
大型の建物とそれから普通の建物と、やっぱり区別されたんですか。
そうですね。やっぱりこの倉塚座地区、実は謎が大変多いんですけども、間違いなく倉塚という役所があったという時期はあったと思うんですが、
この実は西側に一段高いところにある組織の建物というのは、実は太宰府市籍の太宰府省庁の成田よりも実は規模で見ると大型の建物になるということで、実はかなり大きいんですね。
大きさなんかもですね、かなりおおよそで言いますと大体37メートル×13メートルぐらいの規模があるということで、大変大規模な組織の建物だというふうに考えられてまして、
この建物の位置づけが先生方によっていろいろと解釈があるわけでございますね。
いろいろ倉塚さんは言われていますが、まず一つ津川さんがおっしゃったように、やはり倉塚という倉庫があったら当然管轄する役所がないといけませんので、
当然倉塚さんの業務を司るような中心となるような建物だったんじゃないかなということもございますし、
あるいは実は今丘を上がってきましたけども、今この木々がなければ実はこの高台から太宰府県政庁というのが綺麗に見渡せるような位置になるわけなんですね。
そういう場所に、この大型の建物なので、当時700年代には白木はじめ外国の施設をやってきていましたので、
そういった施設の人々が来た時の供設、おもてなしをするような建物であったんじゃないかなという考え方も一つあるわけなんですね。
ですので、この大型の建物が実際どんな役割をしていたのか。
面白いなあ。
こちらの方は先ほどの倉庫と違って間隔が空いた座席の配置ですので、
どうも重たい荷物を入れることは難しいので、倉庫ではないだろうということが言われています。
そういった倉塚さんの役所が、おもてなしをするような供用施設だったのか。
接待用のね。
あるいは例えば今言われていますが、当初はそういう供用施設だったのが、
8世紀の後半になって役所に変わった。途中で役割が変わったという考え方もありますので、
なかなか今現存するのは祖籍だけなんですね。
残念ながら祖籍は答えてくれませんので、私たちが研究して明らかにしていかなければならないんですけど、
そういうふうにいろいろ現在も役割が考えられていますが、
太宰府の中でも一木が大型の建物が実はこの倉塚さんの給料部分に残っているというところでございます。
蔵の司の外国賓客接待説
今は平坦で、大きいのはクスの木かな。
一本20メートルか30メートルくらいの木が立っていますが、
あのあたりがちょうど一番上の平坦な部分になる。
そうですね。
そのあたりに大型の建物が。
祖籍がちょっと木の奥側の方に。
一本大きな木があるんですが、その奥の方に祖籍が広がっている。
ひょっとしたら外国の施設なんかをもてなすところだったんじゃなかろうかと。
いや、そうじゃないという、いろいろこれから論争が始まるんですね。
そうですね。これからさらに研究とかまた調査とかが進めば明らかになってくると思うんですが、
やはりポイントとしてはダザイフ成長を見れるような高台にあるということと、
やはりダザイフの中でも有数の外国施設でともた客観の建物だったり、
成長の中心の建物よりもひと際大きいと考えると、
やはりそれだけの建物を建てる意味が必要があったと思われますので、
今後またいろいろと研究が進んでいく中で、
その姿が明らかになるんじゃないかなと思っているところでございます。
ということは、いま航路館で外国の施設を受け入れて、
あそこで一回接待してみたいな話もあったんですが、
ひょっとしたら直接こっちへ航路館から送り込んで、
そしてここで接待をしたんじゃないかという説もあるんですね。
いわゆる外国施設がもてなした施設としては、
まず港直結の到着したところの航路館でありまして、
ここでも当然おもてなしをされまして、
ただ船で到着した施設全員がダザイフに来るわけではないんですね。
例えば今でもアメリカ大統領が来日したとき、
やっぱり大統領と主要な人だけが総理大臣に会いに来られる。
おそらく航路館では着いた人たち全員が、ほぼ全員がおもてなしをされまして、
そこから大使であったり副大使であったり初期官であったり、
主要な人たちが選抜されて、それからダザイフに向かってやってくると。
ダザイフに来ましたら手続きとか儀式がありますので客観に滞在をしますと。
客観に滞在するうちに、そっちとの面会というかやりとりがあると思うんですね。
そっちとやりとりして、政庁とは役所ですので儀式をしますけども、
そうしますと儀式をした後に、じゃあぜひせっかくお越しいただいたのでおもてなしを、
ってなったときに政庁の中で、いわゆる役所の中で宴会はするわけにはいきませんので、
場所を移して、この倉塚さんの見晴らしのいい素晴らしい建物でおもてなしをしたんじゃないかなと。
その宴席が終わったら客観に戻って宿泊をしていただいてということで、
航路館と客観と、そして政庁にお越しになってしたときのおもてなしの場という、
いろいろそういうふうに役割があって、そういうことが考えられているところでもありますね。
蔵の司の武器庫としての役割と火災
そういうふうに考えると面白いところですね。
そうですね。だから倉塚さんって本当にまさしく1300年前に九州各地の特産物が来ていた。
さらにはもしかすると外国施設も訪れていたのではないかということで、
非常にいろいろな側面がある、大変ロマンの詰まった場所になっております。
そういう場所が倉塚さんという、今丘の上にいますが、何にもここからは見えない感じですね。
木々に覆われまして、その下は雑草に覆われていて見通しが引かないところなんですが、
実はこの上から田沢政庁を眺めていたのではないかという設定もできますね。
そしてお茶でも飲みながら話をするということもあり得ますよね。
津川さんの時代のノミニケーションじゃないですけど、やはり儀式をして措置とか日本側とやり取りした外国施設が終わった後は
場所を変えてぜひという一席も置きましょうというような場所で皆さん楽しんできた場所かもしれないですね。
そういうことを考えると本当に夢が広がっていきますね。
そうですね。この場所がどちらにしても重要な大事にとって非常に大切な場所だったということで、
今後、太宰府市さんの方では徐々に整備の計画なんかも5年10年かけてきれいに皆さんに訪れていただけるように整備をされていく予定ということですので、
ぜひその機会になりましたら改めて皆さんに訪れていただきたいと思います。
改めてこの雑草のないところを見てみたいと思いますね。
今津川さんとご紹介して、まさに東側には倉庫君がこの地形で6棟、西側の高台には座宰府でも有数の規模の座席建物があるとご紹介したんですが、
倉庫さんですね、実はまた謎がございまして、この西側の一台高くなった大型の建物というのはこの西側の大地の奥の方、北の方にあるんですけども、
実はその南の方ですね、スペースがあるわけなんですけども、そのあたり一帯から焼けた武器の跡なんかが出てきているわけなんですね。
これはですね、倉庫というのは早い段階で7世紀の終わりごとにこの大型の建物ができて、その後6棟の建物が建てられまして、
その後さらにどうも焼けた武器の跡が出てくる。
この焼けた武器というのがですね、確認されるのがどうも9世紀の中頃終わりから10世紀の前半にかけてというところなんですね。
ですので、どうもですね、倉の司という役所があったんですけども、武器を管理するような、保管しておくような倉庫も実はその大型の建物、
西側の給料が一番高いところにあったんじゃないかなと。
その武器を収めていた、いわゆる鎧であったり弓矢ですね、そういったものを収めていた倉庫が火事にあって、焼け落ちてしまって、
当然高温になりますんで、例えば鉄属と言いますけど、弓矢の先端の金属部分、それが高熱によってもう癒着して固まって、そういったものが出てきたりしているわけなんですね。
ですので、どうも9世紀の後半から10世紀の前半にかけてどうも武器を収めていた倉庫がまず立っていて、それがどうも火災にあってしまったようだというのが倉塚さん、もう一つの性格として考えられているんですね。
そうですか。
これ、そもそもじゃあなんで焼けたんだというところがですね、ちょっと気になるところなんですけども、941年の藤原の住友の乱がありますので、
もしかするとその住友たちが攻めをしたときに倉庫も焼き払われて、それで太宰府の防衛側の武器ですので、それを多分進出してきた住友側が焼き払って、
それでどうも武器とかが焼け消失してしまったんじゃないかなということも考えられてまして。
これはもう単なるもしかすると火災だった可能性もあるんですけども、こちらは元々九州歴史資料館にいらっしゃいました小島篤先生という専門の先生がずっと研究されてまして、
ですので倉塚さんにはどうも900年代にかけては武器を蓄える倉庫もあって、それが火災に遭うという、実は非常に目まぐるしいドラマを持った役割もいろいろな役割をどうもこの給料というのが持っていたようだというのが考えられているところになっております。
やっぱり藤原住友の乱というのが火災に関連づけられる。
火災の理由というのはどうしても記録に残っていないのであれですけども、それが一つ原因としては考えられるのかなと。
ただ当時いろいろな都でも火事が起こったり、漆化で漆化してしまうということもあったりしますので、そういった単に太宰府の管理するような火事だったかもしれないんですけども、
そういったことも踏まえると、実は九州の特産品だけでなくて、九州を防衛するための武具、太宰府防衛のための兵器も実は保管するような倉庫があったようだということで、実はこの給料自体は様々な役割を持って、時代とともに変化をしていっていろんな役割を持った場所だったんじゃないか、そういうふうにも考えられているところになっております。
蔵の司跡の発見と周辺の生活
それが蔵のつかさという役所だったということです。
蔵のつかさがあったという祖石を探して、棘のある雑草の中へ入っていきました。
深い雑草の中をくぐってやってきました。
これが蔵石ですか?
ちょうど一段高くなったところですね。今登ってまいりましたけども、木々の間に埋もれて、今目の前でもすごく見えております。
見えますね。
蔵石が1メートルくらいあるかな。
そうですね。成長のものと比べても変わらない大型の草。
それが間を置いて1つ2つ見つめられますね。
まだあるんでしょうけどね。
草草で見えなくて。
見えません。
木本島市は木のあたりから36メートル7メートルほど奥の谷の迫る落ち込んでいるその手前までかなり広い東西に細長い建物が広がっていまして。
その南側には先ほどの武器庫ができた当時は南側が開けた広場になっていますので皆さん多くの方が集まるのもいいですし。
東を見ていただくと太宰府成長が見えていただろうというところですので。
わかりました。ここまで来た甲斐がありました。
もう本当に蔵石が見られただけで。
蔵石が見られただけでもここまで来た甲斐がありました。
棘のある雑草の中でようやく蔵のつかさの蔵石を発見しました。
そして下の神賀を歩いてきまして来木地区広丸地区そしてここで仕事をするたくさんのお役人さんのお昼の準備をするオークス地区まで紹介してきました。
1000人規模のお昼の準備も大変だったと思います。
食堂が集まっていたということかもしれないですね。
1000人の食事を作るというのは相当な量がいる。
今の会社で1000人の社員が働く会社の社員食堂というのは相当。
大きな大学の学生食堂なんかだとイメージ近いかもしれませんね。
1000人くらい生徒さんがいらっしゃるような。
そうしましたらやはり数多くの方が働いて食材も相当必要ですし。
そうですね。
やっぱり当時のお役人さんたちも食べずには仕事ができません。
そういうことですね。
打財布を支える基本の食事がこの辺りで作られ支給されているのかもしれないですね。
面白いですね。
役人向けのそういうところがあったかもわからないということですね。
そっちとかは特別なお料理が出されると。
今でも社長さんだと素敵なお昼御膳がご用意されます。
やっぱり一般の方々はもう寮と一緒に食べないといけませんから。
やっぱりそういうふうに考えますと、
どうしても記録なんかは見てしまいますよね。役所の名前とか位とかしか見えません。
やっぱり実際働く人たちがどんなふうにこの打財布を支えて働いていたのかというところも
やっぱり考えていくと面白いところですね。
やっぱり職がないと働けませんね。
打財布の刊画を紹介していますが、
これまであまり明らかになっていない役人たちの生活が彷彿とされてきます。
坂本洋菓子店と伝統菓子「みのりか」
ご案内は、こと打財布保存協会の学芸員、田中健一さんでした。
ここで古代の福岡を歩くリポーター、中島梨央さんです。
こんばんは。
今日は打財布の役所巡りの後にぜひ立ち寄ってほしいお菓子屋さんを紹介します。
打財布市にあります坂本洋菓子店なんですが、
その名の通り坂本2丁目にあるお店なんです。
西鉄の徒歩満駅から歩いて6、7分くらいの住宅の中なんですが、
この店からさらに10分くらい歩くと坂本八幡宮にたどり着くと。
そういうふうな感じの位置なんですね。
この坂本洋菓子店なんですが、土曜日曜祝日は対面販売をやってるんですけど、
他は自動販売機で。
自販機なんですね。
しかも365日、休みなくお菓子を提供してらっしゃるんです。
ご主人の神崎博さんに話を聞いてきたんですが、
今ね、お土産としても、それからちょっと食べるにもね、
素敵なお菓子があると聞いて、名前がみのりかって言います。
ひらがなでみのり、そしてお菓子のか。
これは、キャラメルとかヌガーにナッツ類を混ぜたものを、
クッキー生地のようなサタガーの丸い容器に、
これクッキーだから食べれるんですが、詰めて焼くものなんですね。
スイスとかフランスの伝統菓子にあるんですが、
これをベースに九州、福岡、ダザイフらしさをつけたいなって作ったお菓子なんですけど、
中に入ってるのが、一緒にナッツ類と混ざってるのが、
まず一つは、くまもとやまえのくり。
二つ目が、ほしのむらの抹茶。
それから、おごおりのあまお。
さらに、ダザイフ成長後の梅。
使ってるんで、よかったらその梅のこのみのりか食べてみてください。
結構外側、クッキー生地のね、固めの感じです。
うん。
中は、しっかり粘りのある感じの。
飴部分がね、きますよね。
うん。おいしい。あ、梅だ。
あ、梅の爽やかな。
でしょでしょでしょ。
香りが、酸味と。
いいでしょ。この感じなんですけど、この梅について、
ダザイフ成長後で取れた梅を活用しようとする梅プロジェクトの一つでもあるんですが、
その辺の気持ち、神崎さんがこんなふうにおっしゃってました。
福岡農業の学生さんたちが協力して、
あとボランティアの方でダザイフ市のほうと一緒に手摘みで、
ちぎった大事な梅を私たちが預かるわけですよね。
だからやっぱり大事に加工して、少しでも無駄がない。
傷物でも、やっぱりシロップに使えるものはシロップにして、
傷物で、どうしても捨てないといけないものも出てくるんですけど、
なるべく捨てないように使って、ということで。
地元の食材、梅。和葉節中のような味わいがいいですね。
でしょでしょ。
実は今54歳の神崎さんなんですが、もともと建築業というか、今も建築業なさっているんですよ。
これからの時代は一つだけじゃ何かあるといけないから、
もう一つやっぱり事業の柱が欲しいと思って、
二つ目でこのお菓子という道を選んでらっしゃるんです。
30代の後半からずっと勉強を続けてきて、
オープンしたのが2022年。
これは令和ブームに乗かったかなと思ったら違ったんです。
土地を買ったのはそのオープンよりも5年も前なので、
まだ平成の頃なんですね。
こんな気持ちでこの場所を選んだんだそうです。
もともと地元で水木小学校、学業院中学校ってあるんですよ。
私は母校なんで、子供たちがたくさんうろうろしてるじゃないですか。
そういうところに店欲しくて、それで選んだのがこの坂本の。
勝手に知ったるこの土地だった。
なんですって。
この坂本の地名は最初からつけるって決めてらっしゃったそうなんですが、
地元の方に愛されたい、愛してほしい。
そして実際にそういうお客さんも多いそうなんですが、
自販機あるのでコンビニで買うような感じで利用してほしいとおっしゃってたんです。
こんな状況もあるみたいですよ。
うちはこういう昼とかに何が来られますけど、来るお客さんよりも
夕方の帰りの時間帯に帰りがきに買って食べて帰られるお客さんとかが結構いますね。
ここで食べちゃうんですか?
ここでパクパク食べる。
ゴミはポケットに入れて帰られるお客さんとかも。
それは男性の方が多いのかしら?
女性より男性が。
焼き菓子1個買いとかして買われるお客さんは圧倒的に男性。
いいですね。
土日祝日に売られるケーキ類やパイ類もめっちゃおすすめです。
中島リアさんでした。
番組提供と関連情報
餃子のヤマハチです。
国内産の豚肉と野菜を使ったヤマハチの餃子は店舗のほかインターネットでもお求めいただけます。
餃子のヤマハチで検索してください。
お待ちしております。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
また、ラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組はJA福岡やめ、道の駅村方、餃子のヤマハチの提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周大でした。
数学教師芸人の高田先生だ。
高田先生の算数ワクワクラジオ。
算数が不安なあなたを算数ファンに変えるポッドキャスト番組です。
アップル、スポティファイ、アマゾン、ラジコなど各種音声プラットフォームで配信中。
4649よろしく。
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