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古代の福岡を歩くシーズン7遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その卒籍を尋ねる 古代の福岡を歩くシーズン7
この番組は 宮山市の企画協賛
餃子のヤマハチ 道の駅室方の提供でお送りいたします
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こんばんは佐方秀大です 今週も先週に続き神功皇后の足跡を神社からたどります
お話を神功皇后伝承を歩くの著者 綾杉ルナさんに伺っていきます
今週は鞍賀郡の住吉神社の続きからお送りいたします
そもそも神功皇后が朝鮮半島まで渡って戦う理由の一つにですね
住吉の狼が進めたという話が日本書紀に載っているんですね
菓子郡にいる時に宅戦があって神がかりして そして熊草を討つよりも白着を討てと
そして金銀財宝のある国を そなたのお腹にいる赤ちゃんに渡そうというふうに住吉の神が言ったと
それで中和天皇が怒られるんですね
そんな国がどこにあるかという話でですね
そして住吉の神は中和天皇の船を自分に渡せと
それから水田を作れと要求するわけですね
そうすれば白着とは戦わずに勝つぞというふうに言われたわけです
で中和天皇が反発されてですね
それで急に亡くなったという話が日本書紀とかに載ってますね
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ですから住吉神が船の船舗となって神宮皇后をお守りして
そして朝鮮半島と渡ってそして戦わずに勝てたと
その恩返しのためにこの恩賀川の下流のところのこの場所ですね
若松というところなんですけれど
ここで住吉神を祀ったというふうなことなんですね
すぐそばに丘がありましてそれを鳥見山って言うんですけれど
それは神宮皇后がその丘から水鳥を眺められた
そういうことから鳥見山と呼ぶようになったということです
そしてその松の木を一本植えたと
居屋坂に栄えよって言われたんですね
そこからここも若松というようになったんですね
若松が2ヶ所ありますね
ここは恩賀町の若松というところです
それで神宮皇后が作多のうなでを作ったという話が
中川市にありますね
あちらに荒人神社という神社がありましたね
あそこがもともと住吉神を祀っていたところですね
なぜ作多のうなでを作ったのかというのが
先ほどの水田を作れ与えよというようなことを言うわけなんですね
やっぱり住吉族も船乗りですから船を出すわ食料は調達するわ
それから兵隊も調達するわということで
大昔とはいえやっぱり支払いは必要なんですね
そういうことで天皇の船と
稲作が大変だったんでしょうね
それで田んぼが欲しいと
田んぼに水を供給するために作多のうなでを作ったんだという話が
中川市の方には伝わっていますね
それでこちら船を出す代償というのは
安住族でもやっぱりそういうお話はあってます
それはもうやっぱり今も昔も変わらないみたいですね
その後ですけれどそうやって無事戦い終えてですね
それから住吉三信は
自分の荒見玉をあなたの山田の村に祀りなさいというふうに言うわけなんですね
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でそこが下関の住吉神社のことです
そうなんですね
はいですから住吉神社に行くと
住吉三信とか神宮神戸とか竹の内少年とかがですね
祀られていますね
それから神宮神戸はその他帰り道にずっと
御賀川流域に何箇所かにやっぱり住吉神を祀っていきます
例えばここの中間市に東の松神社っていって
土手沿いにですね小さなお宮があって通ると気になるようなお宮なんですけど
そこも神宮神戸が住吉三信を祀ったと伝えられています
御賀川っていうのは江戸時代に土手が作られたのできちんとなってますけれど
その前まではもう古御賀川といってずっと奥まで海が入っていたんですね
それでここも海の中の一つの島みたいなところなんですね
それでそういう島とか港に神様を祀るということは
ここをあなたの船が止めてもよろしいと
これも一種の報奨というんですかね
ここの港の使用権を与えると
そういう意味合いがあるわけなんですね
それでこの住吉三信がずっと御賀川の奥の方まで祀られていきますので
どんどん住吉の船が行き交うようになったと思われます
はい御賀郡御賀町の住吉神社でした
次は北九州市文字区の高僧八幡宮です
こちらの祭神はどういう方でしょうか
大神天皇神宮皇后市吉島姫田斐姫田吉姫の御事ということで
この北九州市文字区と同じ組み合わせですね
この高僧の神戸
高僧の神戸と読むんですけれど
これは神宮皇后の神戸がここに収められているからということで
名前がついてるんですね
50年に一度しか御賀川町がないという
前回も2010年10年前にもあったので
もう私たちは見ることはできないんですけれど
話を聞くとですね
鉄の兜で病がびっしり打ってあったというようなことです
それで専門家が鑑定したら
奈良時代か平安鎌倉その頃のものではないかということですね
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こちらがですね
神宮皇后が無事に豊良宮に帰られた話を
残しているところなんですね
それでここの話ではですね
白城と戦う原因となったのは
九州にいた豪族と朝鮮半島の国々が仲高いがあったと
それを正そうとして神宮皇后が行かれたんだというふうに書かれてますね
それで結局戦わずに話も済んで
そして神宮皇后は豊良宮でことを収めて
そして依然にも増して交流が盛んになったという話があります
一方でですね
敗戦国になった朝鮮半島の国々は
日本に献上品を毎年持ってきますというふうに約束をするわけなんですね
そこに港がいるわけなんですよ
その港があった場所が文字区だったということなんですね
それでその3つの国というのは
白城と九太良と黄栗
その3つの国なんですけど
その3つの国がですね
到着する港は一箇所じゃなかったんですね
3つそれぞれ別々に港を持ってまして
それで白城が船を寄せる港は白城崎と言ってて
今でも白城崎という地名になってます
それから九太良の港は九太良浜と呼んでたんですね
それが今は九津波と呼ぶようになって
それから黄栗は駒とも呼んでたんですね
で駒入江って言ってたんですけど
小森江というふうに今では書いてある
で白城崎九津波小森江って今のあざ名になって伝わっています
こちらの有書書にはですね
神宮皇后のことを十五体神宮皇后って書いてあるんですね
これは神宮皇后が天皇だったということを意味するんですね
で実はの糸島の方でもそういうふうな記録があって
福岡県各地何箇所か残ってるんですね
それで神宮皇后の前は中和江天皇です
中和江天皇は十四体なんですね
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そしておこの大神天皇が十五体とするのが一般的なんですけれど
なんとここは十五体神宮皇后が即位していたんだという話を伝えてるんです
それで中国の歴史書を見ますと
唐の時代とか宗の時代とかありますね
唐の時代の本にはですね
中和江天皇が亡くなったと神宮皇后が天皇になったということが記録されてるんですよ
宗の時代にはやはり中和江天皇の次は神宮天皇だ
そして沖永新姫天皇とも言うと
そして今ではみんなが大奈良姫の狼として
呼んでいるというふうなことがですね
歴史書に書いてあるんですね
そこに武之介は307歳と書いてあるわけです
ですから日本から来た県都市とか県総市がですね
そういうふうに日本のことを紹介していたので
そのまま書かれたというふうなことになるわけなんです
神宮皇后が天皇になったとすると
日本書紀はとてもスムーズに読めるんですね
皇后の後いきなり皇太子になった話があるというのを一度紹介しましたけど
天皇はいないのになぜか皇太子になっているという
とても不自然なんですね
神宮皇后が皇太子になった後に
応神天皇が即位したということですから
数年間天皇がいなかった話になるんです
そこを神宮皇后がちゃんと天皇になって
それから我が子に行為を譲ったとなると
きちんと歴史が整うんですね
そういう意味では日本書紀から
神宮天皇の存在が消されたということになるんですけど
それはどうやら大正の時代にですね
そういうことがあったという話ですね
それから神宮皇后は実在したのかという話がですね
出てくるようになったと思われます
この高層八幡宮
今神社から見たら建物とかビルが見えるだけですけど
もう昔はそこまで海だったんですね
それで関門海峡があって断の裏の戦いがあったわけなんです
それでここにはですね神社の右手にですね
平のとも森の墓があるんですね
それで原平合戦の時に
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いろんな人たちが受精自殺したわけなんですけれど
とも森の墓はこちらに大切にお守りされてあります
清森の子供ですね
北九州市文字区の高層八幡宮でした
今週は神社から神宮皇后の足跡をたどっています
お話を神宮皇后伝書を歩くの著者綾杉るなさんに伺っています
次は北九州市のめかり神社です
ここの御祭神は
こちらは姫狼と彦ほほでみの御子と
うがやふきあえずの御子と
豊玉姫の御子と
あずみの磯羅神と
今までと全然違いますね
姫狼は
室方三女神で
美沼の三女神でもあるわけですけれど
彦ほほでみというのは
山幸彦のことなんですね
山幸彦と豊玉姫が結婚して
うがやふきあえずの御子とが生まれるわけなんです
竜宮にいた豊玉姫と
山幸彦の彦ほほでみと
結ばれまして
そして
彦ほほでみが
山幸彦が先に戻っていった
追いかけた豊玉姫が
磯を作り
出来上がる前に生まれてしまったということで
うがやふきあえずというようになったということですけど
思えばですね
鹿の島の
手前に海の中道がありますね
あそこに獅子神社がありましたね
あそこでは豊玉姫は
荒ぶる神として祀られていたんですね
それで神宮皇后が七日七晩
あそこで
神羅舞を奏上したという話があります
それで神宮皇后もいよいよ福岡を離れて
山口県に渡るという直前にですね
この豊玉姫の夫と子供という家族をですね
一緒にしてここにお祭りしたというんですね
ですからきっとあの時の
海の中道の約束をですね
ここでも果たされたんじゃないかなって思います
それから安住野磯ですね
安住野磯は神宮皇后の船を操縦する
舵取りだったわけなんです
でも舵取りといったら当時は国の長という立場なんですね
それでその
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安住野磯と神宮皇后が出会って
そしてこの塩昼玉と塩三玉を
神宮皇后が授かるわけなんです
それでそれをかんじゅまんじゅとも言いますけど
かんじゅまんじゅを使ってあちこちで戦って
調理を収めたわけですね
朝鮮半島に渡った時は
敵の船が来た時に竹内すくねが
かんじゅをですね塩昼玉を海に投げ込んで
塩が引いたと
敵は塩が引いたぞと降りてですね
戦おうとしたところを塩昼玉を投げて
敵が溺れたと
そういう話が載っているわけなんです
これ今の私たちだと津波の
引き波と寄せ波というのが分かりますね
日本書紀もこの時には大きな波がですね
白城の国の仲間まで行ったと
それを恐れてびっくりしてこんなこと今までなかったと言って
王が降伏したというふうに書かれているんですね
この津波現象のおかげで実は戦わずに済んだと
そういうつまりこのかんじゅまんじゅのおかげだということで
かんじゅまんじゅが各地で勝利のアイテムとしてですね
尊ばれるようになるわけです
それが箱崎宮の玉させりとかに形を変えるわけですね
それでこちらではですね
めかり神事が多いんですね
夜中に海に入ってワカメを狩る神事なんですけど
実はそれがかんじゅまんじゅを象徴する儀式なんです
それで海の中に入って
結局かんじゅまんじゅを取る
それをワカメを狩るというふうな形に変えて
伝わっているわけなんですね
そうですか
これはですから対岸でも
今度は隅吉神社の方がやっぱり真っ暗な中でですね
行われているそうなんです
それで神宮神話としたら
この関門海峡を守るために
南は安住族と美沼水軍
そして北は隅吉水軍に任せるぞという意味で
それぞれの神を祀ったというわけなんです
そしてそのかんじゅまんじゅを持って
そして下関の島に置くんですね
それが大きくなって
関住島と満住島になったというふうに言われています
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ですから今でも忌宮神社
豊浦宮の後は忌宮神社になるんですけど
お正月にはですね
毎年そこでお祭りをされているというふうなことです
北九州市のめかり神社でした
今夜は神社から神宮神房の側席をたどっていきました
恩賀軍の隅吉神社
北九州市の高僧八幡宮
そしてめかり神社でした
お話を神宮神房伝承を歩くの著者
綾杉隆さんに伺いました
綾杉さんには本の上巻の豊浦宮での軍備と戦いから
忌宮神社をスタートして
下巻の加護坂王
押熊王との戦いの準備のめかり神社まで
およそ100社を紹介していただきました
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです
こんばんは
今日は宮場のお出かけおすすめ情報をいきたいと思います
清水寺というお寺があるんですが
大変紅葉の時期にお庭が人気があるところなんですが
その時期だけじゃないぞという話なんです
お寺自体は元吉山清水寺といいますが
平安時代の初めに伝経大使西長が開いたお寺です
本堂と三重の塔があるところから
800メートルほど下った山裾にあるのが本堡
つまり五十色のお宅なんですね
ここのお庭が皆さんがはーっと行って
紅葉の時期に集まってくるお庭なんですが
このお庭は摂集の柵と言われております
そうなんですね
作られたのが室町時代の後期
あたご山というお山を尺径にして
手前に木々が並び池の水があって
そしてこの本堡の近くのところに
苔がパーッと生えてまして
なんとも言えない美しい風景なんですよね
五十色の鍋島理恵さんにお話を聞きましたら
このお庭そのもの自体は大きくないんだけれども
あの山自然を取り入れると大きくなるんですね
っておっしゃるんです
さらに庭の見方についてこう教えてくださいました
こういうこの日本庭園というのは
一つの花とか一つの木がね
バーンと自己主張したらダメなんですね
特にこういう周りが自然のある場合には
一言で言うとこの自然が一番の主人公
全体的な主人公自然な感じがあって
あんまり人工的に植えたり作ったりして
そういったものを主張するとダメなんですよ
そこはかたなくね
それぞれが調和しながらその美しさをね
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バランスよく発揮していくっていうのがね
大体こういう庭園の一番の見方なんですね
なるほど
仏様がいらっしゃる大きなお部屋で
縁側に向かって座って
じーっと見ていればいいということになるんですけれども
どうしても緑が青々しているとか
それから華やかな紅葉の季節とか
私たちはつい出かけがちなんですが
冬ってどうなんだろうと思って思い切って聞きました
木の葉が散ってから広がりが出てくるんですよ
ふーっと抜けるんですよ
すごくいいです
おにごが抜ける?
木が葉っぱがいっぱいあるじゃないですか
それが葉が落ちるからスポーンと抜けるんですよ
空に広がっていく
広がり感が出てくるんです
またまた変わるんでしょうね見え方がね
自分が想像していなかったお庭の姿が
多分出てくるんだと思うんですよね
さらに御住職おっしゃるには
これでね雪が降ったりすると
墨絵の世界ですよっておっしゃる
今写真をですね
わーこれは素晴らしい
雪景色
葉っぱが落ちないところに雪が乗っかるのはもちろんですが
葉っぱの落ちた木にまるで葉っぱのように雪が乗っていくんですよね
本当に美しい
これいつ頃見られるんですかって伺ったら
可能性は1月が一番高いっておっしゃってました
そしてこの雪景色は午前中がおすすめだねっておっしゃるんですね
どんな庭が見られるのか
その時々の楽しみだと思うんですが
この庭の鑑賞の仕方について
御住職、目を2、3分つぶって
自分の五感のアンテナを立てて庭を見てくださいと
なぜならばその庭が表現している
もうすでに表現しているので
あとはこちら心を開くだけですよ
そしてさらにこんな話もしてくれました
向こうから発信しているもの
そういうものを自分の心が感じ取るわけね
そうすると視覚だけに耐えるとね
自分の見たいものだけしか見ない
自分の世界だけで見てしまうから
庭の表現しているものをだいぶ見落とすんです
やっぱり鳥の声なんかもしてるんですよ
鳥の声を聞きながら水のせせらぎを聞きながら
この空気をずっと肌で感じてくるとね
庭の表現している世界を感じ取るということです
そうするとあなたとこの庭が一体感が出てくるわけですよ
一体感ができると本当に心が癒される
いやーやってみたい
でしょ
豊かな時間が過ごせそうです
そうなんですよ
そういうお庭ぜひ訪ねていただきたいと思います
清水寺本望庭園のお庭で心が癒されたなら
お腹も癒されたいと思うのが人情ですよね
JA南筑後の山川みかん
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ぜひぜひお勧めしておきたいと思います
山川みかんの鮮花場があるんですけどね
ここに直売所がありまして
わせみかんのお買い得品だったりですね
あと企画外のみかんの詰め放題
このビニール袋にいっぱい詰めて300円とか400円で
しかもめちゃくちゃ甘くておいしいみかんなんですよ
これって私の毎年楽しみでもあるんですけれども
今年はですね12月の25日までで
この鮮花場の直売所終了となりますので
あと1週間今週どこかのうちに
ぜひおいしいみかんも訪ねてみてください
高嶋理恵さんでした
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三山市の企画協賛
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ご案内は坂田周大でした
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