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古代の福岡を歩くシーズン7 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン7 この番組は
宮益の企画協賛 餃子の山八
道の駅宗方の提供でお送りいたします こんばんは酒田周大です
シーズン6では太宰府の伝説をお送りして大変好評でした 中には番組で紹介したコースと同じコースを歩いた方が多かったようですが
シーズン7でも少し違ったコースで太宰府を歩きます 今回はかつて我が国を訪れた外国のお客様が航路間からまっすぐ
太宰府西門へ入りそして太宰府成長を目指した 古代官道水城西門ルートを歩きます
西門の近くJRの水城駅付近からスタートします ご案内は故都太宰府保存協会学芸員の田中健一さんです
ではスタートいたします
JR水城駅のすぐ近くですね 目の前にありますけれども水城跡というふうに書いた看板が出てますね
ここは水城の東門からずっと土塁が続いて西門近くになりますね
また今回一つよろしくお願い致します すみません今回も津川さんと一緒に歩いてですね
古代官道の水城西門ルートに沿って太宰府の歴史や文化をご紹介させていただければと思います
ここは水城の西門近くになるわけですね
そうですねちょうどあのJR水城駅から南の方に100メートルほどでしょうか 少し行ったところ本当にあの水城の側にあります
2つ広場があるんですけれども まず最初に訪れましたのがふるさと水城跡公園と名付けて整備されている場所でして
ふるさと水城跡公園
そういうふうに名付けられていただいて休憩のあずま屋であったり
あとはやはり目の前に広がります水城跡が見やすいようにですねこう整備されていまして
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水城跡の看板があるんですけどこちらの664年に築かれた古代の防衛施設水城跡なんですけれども
当時東アジアの国際関係が緊張しておりまして 前年の663年には日本が滅亡しました
ヤクダラを救援のためにですね大群を派遣しましたけども朝鮮反対の白村豪の白スキの柄の戦いで
東白城の連合軍に大敗したものですから国家防衛のためにですねまず築かれたのがこの水城跡ということで
664年ですのでまあ1350年以上経ったまさにダザイフの北側を守るですね防衛施設でございます
まあ東と白城の連合軍が攻めてくるんじゃないかということでここを作られたんですね
そうですねちょうどこの水城跡がありますのが西側の丘陵とですねあと東側の塩路山に挟まれまして
ちょうどこの地形が一番狭まるところですのでここにですねこの巨大な土塁
東西の長さですと三笠川を挟みましてだいたい1200メートルほど
高さが9メートルから10メートルほどの土塁がですねずっと築きまして
その外側内側に水を蓄えた堀を設けましてここで防衛をするという
大変強固な国家事業の防衛施設だったわけなんですね
今ちょうどJRが通っておりますけども右手にJRそして私が目の前に土塁を見てるんですが
その土塁が東門の方へずっと繋がっていて
遥か彼方に塩城が見えるというところですね
綺麗に水城の立地条件がわかる場所でございます
この水城のですね築造に関するいろんな技術が使われてたんですけども
それがわかる広場がそのすぐお隣にもう一個ありますのでそちらもぜひ
古代漢道のスタート地点の水城跡を知っていただくためにぜひご覧いただければと思います
目の前にその水城の土塁が近くなってきました
そうですね高さはおよそ10メートルと言っていくらかな
平均すると大体約10メートルほどになると思います
その土塁が目の前に見えてきましてちょうどここがですね
土塁を土塁断面広場というふうに書いてますが
土塁をこれは道路工事のために切ったんですね
そうですねもともと水城は1350万円に使い時も西の方まで繋がってたんですけども
ちょうど福沢さんがご覧いただいてますJR鹿児島本線
当時は九州鉄道ということで鉄道が引かれた際に
その際にこの水城が本来あった場所は鉄道建設のために切り通しにされた場所なんですね
その後線路が伏線化になりました
あるいは道路が通るためにさらに回復拡幅ですねされまして
今ご覧になっている状態なんですけども
ちょうどその鉄道を通すために水城が切られたおかげでですね
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実は水城の断面が見える場所になっているわけなんですね
ちょうど切られて三角形みたいになっているところですね
その切り口が見えるというところですね
そうですねこの巨大な水城の断面が見れるということでですね
ここの土塁断面広場は整備されまして
水城1350年前に作る際にはですね
土などを突き固めて強固に補強していくという
こちらの解説版等にもご説明があるんですけど
半築という工法を使ってまして
異なる土を突き固めていきますので
断面を見ていきますとちょうど何でしょう
ショートケーキというかミルフィーユというか
ああいう感じの断面がきれいに層になって見えてくるんですね
その水城がですね
そういう半築で突き固められてましたっていうのがですね
実は手に触って見えるように整備がされてますので
えー目の前に断面が見えてきましたけども
断面がそうですね4,5メーターありまして
そこに蓋がしてあるような感じですけども
これが断面になるんですか
ちょうどですね断面広場の中央に
水城の斜面に設置されてるんですけども
こちら水城の薄調査をしまして
断面をですねきれいに一回土を剥がして
きれいな半築の層がですね見えたんですけども
これはよくわかりますね
それが実際にですね
触れるんですか
再現しましてその土そのものですと崩れてしまいますので
福岡県さんの方がいわゆる焼物当番でですね
再現してこういう実際に凸凹があります
ということでいわゆる半築の手触りといいますか
実際に触っていただけるようになっている
そうですか当番でね
よくわかりますね
こう手触りと触ってみるとよくわかりますね
なので1350年駄財庫を守ってきた施設の内部は
このようになっているということで
ぜひ皆様お越しいただいて
ぜひ触っていただきたいなというふうに思っております
だいたい正方形縦2m半ぐらいですね
そして横が2mぐらいの断面図が目の前にありまして
これは触れるようになっている
本当に触ってみると
だいたいどうなっているかという
広報が少し見えてきますね
ぜひ5350年を感触で
ぜひ皆様触って体験していただければと思います
あの半築広報というのが書いてありましたけども
それとですね
もう一つ敷きそだ広報というのがありましたよね
あれはどういうことですか
半築はいわゆる土類を積み上げる時の
築き上げる時の広報でして
もう一方敷きそだといいますのは
いわゆる土類を築く前
いわゆる地面をですね
この周辺は三笠川もそばにありますので
やはり水分を含んで軟弱な地盤だったようですので
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その上にそだを敷く
いわゆる植物の枝葉のそだをですね
そういうのを敷き詰めて
それで地盤を強固にして
その上に半築などを使って
土類を積み上げていったということでして
いわゆる水木の一番底に
植物の枝や葉っぱを敷き詰めて
そういう強固の地面
地盤をですね強固にした
そういうのが敷きそだの広報なんですけれども
そういう広報ですね
その敷きそだにですね
使っていた植物を
実際にここを整備する時に
整備されていますので
公園の一部に
あるんですか?
その植物が今でもある
それがびっくりですね
実際ですね
当時は発掘調査された際は
青いまま青々しいままですね
発掘調査で出てきたそうなんですね
すごいですね
やはり空気に触れてしまうと
酸化してしまって
黒くなってしまったそうなんですけども
1350年経っても地中に青々とした
枝葉が見れたと
そのあたりに色々植物
何種類も使われてるんですけども
例えばムクノヒとかタブノヒとか
アワブキなど
32種類くらい使われていたそうなんですね
この土塁断面広場に何か食事をしようとした時に
やはり水木にまつわる樹木がいいだろう
ということで今ちょうどアワブキがですね
植えられてまして
こういった枝や葉っぱが
水木の下に1350年は使われてましたよ
ということですので
ぜひ広場にお越しの方は樹木もですね
ご覧になっていただけると
じゃあこの樹木が昔から敷いてあって
それが発掘した時に青々とした状態で出てきた
ということですね
そうなんですね
そういう1350年前のダザイフ周辺で
手に入れやすい植物がこういったもので
葉っぱが青々しかったということは
研究者の方だと初夏の頃に枝葉を切り取って
敷いたのでそういうふうに青々としたものだったんだろう
水木の一番最初の地盤を固めるための作業ですので
そう考えますと初夏の頃
5月とか6月ぐらいからまず植物を敷き詰めて
そして土塁を築き上げていった
水木を作り始めたのは
だいたい最初は初夏の頃だったんじゃないかな
というふうなお話もあるみたいですね
ということはこのアワブキが何月頃
こういう状態だというのは分かるわけですね
そうですね白鳥勢青々しい葉っぱが出てきたことによって
水木を作り始めた
というのが分かるんですね
というのが推察できるということで
すごいもんですね
このアワブキの解説がここに書いてありますが
高さ8メーターから10メートルにもなる落葉鉱木
この木の枝を火で燃やすと
切り口から泡を吹くことからついた名前と言われていますと
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花は6月から7月に咲くと
なるほど何月頃その花が咲いているというのが分かると
その頃作ったものだというのは分かるわけですね
この水木をね
建造時期がですね
それで推察できるということらしいですので
そういうものがこの土壌の下に入っている
敷き詰められていたという
びっくりしました
そんなのが植えてあるとは知らなかったですね
そうですね整備される際に
ぜひ普通の樹木を植えるよりも何か水木や新しいものを
ということで県の方と検討されまして
地元の方が植樹の際には
やはり地域の皆さんにも愛されて
大切にしていただきたいということで
地域の皆さんが植樹をされて
そして水木らしい樹木ということで
今あちらにありますので
ぜひ水木に目を奪いがちなんですけども
ぜひ周辺のそういったところを見ていただくと
水木の構造などが
より皆さん知っていただけるんじゃないかなと思います
JR水木駅の前にあります
水木跡公園とどるい断面広場からスタートしました
JRの踏切を渡って水木西門の方へ歩きます
西門の方へ向かって歩き出しましたけども
すぐに出てきたのが草むらに覆われました
四角な20メーターぐらいの土手が現れましたね
これは何ですか
はい今ちょうど歩いてきますと
ちょっと左側に少し根本として
丘のような場所が見えてくるんですけど
これがテテコ島と呼ばれている
いわゆる水木を作る際の伝説が
伝えられている場所でございます
ちょうど解説の看板塔も整備されてるんですけども
水木を作る際に多くの人々が動員されて
土を運んで水木を作り上げていったんですけども
そういった土を運んでいた中で
ある時にとうとう水木が出来上がったぞ
という声が聞こえてきまして
運んでいた人々が
ようやく水木が出来上がったかということで
担いでいた土をそこに放り投げて
もうこれはつかなくて済むんだと
放り投げた土が丘のように盛り上がって
それがテテコ島と呼ばれるようになった
というような伝承が伝えられている場所なんですね
ああそうですか
全長1200メートル
高さが約平均して10メートルありますので
相当な工事の規模だったんでしょうけど
そういった水木の大変作るのに労力がかかった
というようなことを伝えるような伝承の一つ
というふうに考えられていますですね
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ここに持ってきた土を下ろして
そして残ったやつを積み上げたんですかね
そうするとこのように丘になった
西門の方にこういうテテコ島という
そういう伝説があるんですけども
実はもう一つ東門の方にも
同じような話がありまして
そちらは人もっこ山と
いわゆる木っこと言いまして
土を運ぶ道具がありますけども
同じような伝説です
そちらも人々が感性のお話を聞いて
放り投げた土がその山になったという方で
東門の一っこ山の跡というのは
今開発でなくなってしまったんですけども
それぞれ東門と西門両方に
そういう伝説が残るっていうことは
いかに水木を作るのが大工事だったか
そういうことを伺わされるような
伝説になっております
当時の人々の苦労が詰まった伝説
になっていると思います
テテコ島ということです
父と子供の島と書いて
テテコ島と言いました
そこを過ぎるともう水木西門です
というところで西門にやってきました
ここが西門になるんですね
そうですね水木の西門跡になっております
ちょうど今もアスファルトの指導がですね
通ってまして従用車が
離合はちょっと無理なぐらいの幅が
幅の道が通ってますけども
ここがかつて古代官道が通ってた場所になりますね
手前のところに解説版があったりしますので
ぜひ訪れていただいたら
こういったところも見ていただきながら
と思うんですけども
この水木跡は
664年に築かれまして
水木には東と西の二つの門がございました
今回はその西門の方に来ておりますけども
こちらの方はですね
九州歴史養監さん福岡県の方が
博調査をされまして
西門は三つの時代に分けられる
ということが分かっております
一番最初は掘立柱の建物で
門の間口がですね
だいたい4.2メートルという狭い門だったようなんですね
やはり当初は防御施設として建てられましたので
間口を狭く
そして防御を固めた門だったというのが
どうやら一期目の門だったようなんですね
その後次に破石ごろに入りまして
建てられた二期目の門なんですけども
そうなりますと今度は
間口がだいたい10メートル幅に広がりまして
門の方はですね
素石を使いました八足門八脚門が建てられていまして
この頃になりますと
防御の門ではなくて
外交施設が通るような門ということで
大変ダザイフの入り口として
相応しい立派な門に作り変えられた
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というふうに考えられております
お客様をお迎えする門に変わったんですね
そうですね
皆様のご自宅なんかも
門はピシッとしてあると思うんですけど
まさにダザイフの玄関口としましてですね
外国施設が訪れた時に
さすが日本はやるなと
ダザイフはきちんとしているなということで
立派な門にされたようなんですね
続いて3期目になりますと
今度は楼門の形になりまして
四脚門ですね
になったのではないかなというふうに考えられております
その時期ちょうどですね
700年代の半ばといいますのは
またちょっと朝鮮半島の白木などとですね
関係が緊張が高まりまして
福岡の周辺で言いますと
現在の糸島市の方に糸城などが築かれて
守り備えるとしてですね
作られましたし
今日訪れてます水木屋ともですね
修理を担当する役人が任命されるなど
ちょっと対外的な危機感が高まりまして
防御が固められた時期でした
この水木の門もですね
その時期は少し防御を意識した
いわゆる豪華で見せる門から
また再び防御を実用的なものに
作り変えられたのではないかなというふうに
考えられております
はい最初は防御だったけども
次は接待のための門に変わって
それからまたちょっと
防御も入れたものというふうに変わってきて
要するに門を見れば
その頃の海外情勢がよくわかるということですよね
そうですね水木の西門を知っていただくと
当時の東アジアの国際関係までわかる
ぜひそこの背景まで知っていただくと
より皆さん楽しんでいただけるのではないかなと思います
はいここが水木の西門になります
本日津川さんと古代関道を巡るというテーマで
お話をしておりますけども
古代関道といいますと
関の道とつきますように
古代の律令制の国家の下で築かれました
国家的に作られた道でございます
当時の奈良や京都の都を中心としまして
東北や九州に至るまで
主要なところを直線的に結ぶと
九州におきましては
九州全体を統括していました
現在の太宰府市に置かれていましたので
太宰府を中心に九州各地に
道路網が整備をされていった
ということになっております
厚労官から太宰府へ続く道
関道と言われるものですね
それの途中から今から歩くということですね
古代関道のうち
様々な道がありますけども
今日歩きます道は
福岡に設けられていました厚労官
福岡城のすぐそばに
資料館も設備されていますけれども
かつての平和大球場の下から
見つかった施設なんですけども
ちょうど古代におきまして
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外国施設が海外からやってきまして
まず最初に滞在した場所
そういう海外の交流窓口の施設が
厚労官でございました
その厚労官からですね
東南の方向に直線的に
太宰府へ向かってきましたのが
ちょうどこの水城の西門跡を通りますので
古代関道の水城西門跡ルートと
呼ばれる関道でございます
厚労官を出発しまして
福岡市、香須賀市、大野城市を通過しまして
この水城の西門を通りまして
そのまま東南の方へ
ずっと直線に伸びていきまして
太宰府市、竹志の島で伸びていきまして
そこからですね
下の方へと回り込みまして
太宰府の街並みの南の正面
都ですと羅城門などがあったんですけども
その西門を通って
太宰府西城跡へと外国の施設がやってきたという
まさに厚労官から太宰府まで
当時の外国施設などが通った道筋を
今日はその半分ぐらいですね
ちょうど水城のところから太宰府まで
津川さんと歩きながら
周辺の歴史や文化などもご紹介して
歩いていければと思います
お願いします
それじゃあ今から歩いていきます
来週からは古代貫道水城西門ルートを歩いていきます
ご案内は
こと太宰府保存協会学芸員の田中健一さんでした
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島リエさんです
こんばんは
もういくつ寝るとお正月がやってきますね
せっかくなので今年の初詣で
宗方大社はいかがでしょうか
2017年に神谷取島
宗方おきの島と関連遺産群が世界遺産になって
5周年になるわけです
ですからまあ
厚生士さんの一つ宗方大社
へつぐお勧めしたいなと思ってます
いいですね
でコロナで今年の正月やっぱり様子が違ってたので
コロナ禍において二度目の正月を迎えますね
じゃあ来年どうなのかなと思って
宗方大社広報担当で
ゴンネギの黒上直人さんに話を聞いてきました
今年同様最先詣をすでに行ってます
12月からお正月の授与品を用意して
お正月三ヶ日直近の短い時間だけじゃなくて
その後も1月2月と長いこと
お正月の授与品が受けられるという
これはコロナ後新しくなった部分の一つですが
これは続けますよと
それからですねちょっと変わったところで言うと
去年はとにかく人がたまらないように
閉じてる時間を少なく少なくということで
明けっぱなしの大晦日から新年三ヶ日だったんですが
今年は大晦日の大祓い式の後
夕方5時に一旦閉門するんだそうです
そして年明け前に再び門を開けて
そこからは三ヶ日つまり4日の早朝に
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門が閉まるまで24時間参拝可能というふうにしようとおっしゃってました
村方大社もですね
新年の縁起物福御くじなんて楽しみがあるんですが
おみくじって引いて縁起物とかですね
20等まであるんですね
それに大社賞って言ってバラエティに富んだものが当たるという
まあいわゆる運試しのくじがあって
これも楽しく参加できるようになってるんですが
とにかく今年の村方大社の新年ですね
ある意味今年祈願殿が新しくなっているので
ここがポイントじゃないかと思う
行きました?
いやまだ行ってないです
ガラス面がたくさんあって木材がたくさん使われていました
直線延びっていう感じの建物なんです
テレビで見ましたけど素敵でしたよ
そうなんです
特に祈願殿の中に入りますと正面がガラス面になってて
その向こうに木々と岩が置いてあるんです
この紐の木っていうのが中心になるわけなんですが
神様の寄り代となるものを据えていて
遮電はないこのスタイル
開放感があってすがすがしくて
もうほんと節字が伸びるような空間なんですが
この設計について
五輪木の黒神さんこんな話をしてくれました
村方大社の高宮祭場とか
沖縄は巨岩がたくさんあって
高宮は木ですけど
神社の原型が点在する中で
祈願でもそういった姿勢にすることによって
遮電があるとこうなんて言うんでしょうね
いろんなとこに目が行っちゃうというか
そこをあえて遮電を取り除いて
紐の木一本を建てることによって
そこに集中するというイメージないですかね
なるほどね
古代の人たちが自然のものに対して
威風の念を持っていたその感じを
今現代の私たちが体験できるわけです
五感を研ぎ澄ませて感じたいですね
そうなんですよね
そして本殿の前にあります
締め縄も新年に向かって新しくなりました
村方大島の漁師さんたちが作ってるんですが
これは漁師さんならでは
締め縄を手ぐす
釣り糸の手ぐすでずっと巻いてあるのが特徴なんですね
それだけじゃなくて
藁も特別でした
こっちから藁を送って
おばさんが船で送って
また送り返してもらって
その藁は?
うちで中田家の神殿で取れたお米の
米脱穀した後の藁を使ってます
もう締め縄見る目が変わりました
さらに初詣についてこんなことを教えてくださいました
一年の計は元旦にありとか言いますように
今年一年のそこで決意を立てていただくとか
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そういうイメージを持っていただければ
僕たちがよく親から習ってたのは
神様の前でお願いをするんじゃなくて
決意を立てるっていう風に習って
成功すればお礼参りに行って
それが成就しなかった時には
謝りに行きなさいってよく習ってましたけど
そうなんですよね
ぜひぜひ新しい年初詣で
室方大社にお出かけになってみてください
中島リエさんでした
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宮間市の企画協賛
餃子のヤマハチ
道の駅村方の提供でお送りいたしました
ご案内は坂田秀大でした
数学教師芸人の高田先生だいよーん
高田先生の算数ワクワクラジオ
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