1. 古代の福岡を歩く
  2. S10 1回目は大川市の風浪宮..
2024-10-06 30:30

S10 1回目は大川市の風浪宮を訪ねます。

4月から9月までは安曇族の足跡を訪ね信州を歩きました。シーズン10に入りました。
今回はその続きで福岡を歩きます。
阿曇族の長である阿曇の磯良の足跡を追跡します。
大川市に風浪宮があります。ここの神社は磯良が神功皇后と共に朝鮮出兵から帰還の際、嵐に遭遇、流れ着いた場所です。
白鷺に導かれた場所に神社を作り、その初代の宮司になったのが磯良です。
神社の近くには磯良の墓だとみられる大きな石蓋をもった磯良塚がありました。
※写真は磯良ツカ
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古代の福岡を歩くシーズン10。 遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン10。 この番組は餃子のヤマハチ
道の駅村方の提供でお送りいたします。
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こんばんは、坂田秀大です。 今夜からこの番組はシーズン10に入りました。
4月からのステージAでは、アズミ族の足跡を新州まで訪ねました。 シーズン10ではこのアズミ族のことも引き続き取り上げていきます。
アズミ族の長とも言うべきものに、アズミの磯羅というのが登場しました。 このアズミの磯羅は神宮皇后の朝鮮出兵の際、道案内をします。
そして一行は帰ってくる途中嵐に遭い、大川市付近に流れ着きます。 それが縁となり風呂宮ができ、初代の宮司になったのがアズミの磯羅です。
そこで今週は風呂宮を紹介していきます。 お話を風呂宮の67代目宮司、アズミ・フミヒサさんに伺っていきます。
風呂宮の場所が位置しておりますので、ちょうど竹尾川の最下溝になっております。
昔から気水域を向いてこの風呂宮は建っておるということでございまして、当然海に関わることでございますけれども、神宮皇后様が来られた時の夕食が一当最初ということになります。
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神宮皇后様が校長の部屋に入って来られる際に大変海が荒れたそうで、暴風になった時に神宮皇后様は渡津海の神、いわゆる海の神を祈られて、この暴風が収まるようにということで祈られまして、無事にこの竹尾足原の津、いわゆる柄の傷というところに使われたということになります。
柄の傷に陸地に浸かれた際に、ちょうど一羽の白鷺が忽然と現れまして、それがゴンの方角、いわゆる北東の方角に飛び去った、それを竹内のスクネ、河針である竹内のスクネに目じられまして、その後をつけようということでおっしゃいまして、
それが現在の風呂宮の楠木、いわゆる五神木でございますけれども、白鷺の楠と言われておりますけれども、この木に留まったそうでございまして、
あ、楠木に留まった白鷺が。
この白鷺こそが我が家中を導いた渡洲の神の化身であるという風にお示しされまして、この地に海神、海の神、渡洲の神を祀るようにということで命じられまして、
その時に初代の官主として、梓野一郎丸を命じられて、この地に留まって、この渡洲の神をお守りするようにということが、一番最初の言われでございます。
いわゆる神宮皇后様がこの地に命じられてから約1800年が経っておるということで、
直命によってこの渡洲の神のおやしろを作ったということで、今日に至っておるということでございます。
その梓野一郎丸ですが、これは神宮皇后を乗せた船の航海士といいますか、船長みたいな役割をしておりますか?
そうですね、船長的な役割を命じられてしておったということで、当然、アズリ族というのは、そういうような天文学的な知識を持っていただろうということが一点ございます。
というのが、663年の白村公の戦い、その前年には王子、皇将を九太郎まで送り届けた。
その際は百何十艘かで船を引いて送り届けたという記述が日本書紀にも載っておりますので、
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それは間違いなくそういうような役割を持っていたというのが、阿住氏であろうと思われます。
その阿住氏の王座をしていたと。
そういうことですね、海洋族の王座であったと考えられますけれども。
その阿住の一郎がここに、武之介の少年が呪力をして、神宮を建てたと。
これが風呂具の始まりと。
そうですね、やっぱり最初は神宮を、戸塾の宮ってあるんですけど、その近くに神宮を作って、
おやしろが出来上がってからそちらの方に移ってきた。
これもちょうど御の方角になるんですかね。
そちらの方に向かって御神体を移したということになっております。
今、御祭来に入ってきましたと、その靴の受けは今でも残っていますよね。
そうですね、これは現在は県の天然記念物になっておりますけれども、
大変古牧化しておりまして、中は空洞化しておりまして、
人が3、4人ぐらいは入れるような状態でございますけれども、
過労死地、小西まで生きておるということでございますが。
樹齢2000年というふうに書いておりまして、古いですね。
やっぱりこの地がちょうど沼地でございまして、水沼と言いますけれども、
水間の地でございまして、これが結局は過労死地、塩分もありますし、
それから中は非常に土地が硬いものですから、それでも生きておるということで、
山にある距離も、樹高も低いので、台風でも小西まで生き残っているというふうに思っております。
行き回りが8メートルもあるというふうに書いてありましたが、大きいですね。
このくすむきのおかげで風呂具が小西にあるということでございます。
それからですね、この安泉のイソラが船をつけたということですけれども、
それに従ってた他の船もたくさんあったわけですね。
その何隻かがここに残ったということを聞いていますが、いかがでしょうか。
おっしゃるとおり、神宮公園につき従って、
結局船長であった安泉のイソラ丸を支える船長がそれぞれおりまして、
それが小川丸、横浜丸、徳丸、石橋丸、六郎丸という、その5層の船長が残ったと。
現在も施術生でございまして、この施術生である5人の宮大人と言うんですけれども、
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宮大人さんが現在も神事ごと、お祭りごとに奉仕をしておるということで、
今日までそれぞれ船印を守っていただいておるということでございます。
安泉のイソラに従った船が5層いて、船長が今でも宮大人として神事に奉仕しているということでした。
甲羅大社の方に行きますと、あそこの方に中世の古文書類が残っておりますけれども、
その中で八乙女と5人の神楽男が出てまいります。
結局は日本の神話では、湯和戸開きということで多字からの音が出てきたりとか、
要するにその当時の模様が神話となっておりますけれども、
この場合は、筑語の場合はこの8人の八乙女さんと5人の神楽男が天の湯和戸開きをしたということになっておりまして、
風呂が年に1回の祭りの時に内神をお分けして、その御神体を神輿に移すという処作がございますけれども、
その時には宮大人さんが5人揃って筑語さんを5人連れてきます。
それから八乙女さんも8人の女の子を連れてきまして、
それで私が御扉を開いて御魂を御腰に移す際は、
5人の男の子が奉仕をして、いわゆる御神体を移す時は白線を開きまして、
お神様が出御されるという時には顔を仰う処作をいたします。
その後に8人の女の子が拝殿において修法拝を行うと、
要するに3回御殿を回ってお神様の出御を回る。
結局はそういうような恐れ多いことということで、そういうような舞を舞うということになっております。
これが甲羅大社に残っております天の湯和戸開き。
筑後の場合はそういう形になっているのが現在まで神事として残っておるということでございます。
それは結局は日本では磯羅舞ということです。
結局磯羅舞を舞う時は5人の神楽男と、それから8人の乙女が舞うということの処作が、
神島に伝わっているのがそういうような風呂の祭りの時に同じことをやっておるということになるかと思っております。
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当然、菅大社とかいろいろなところで磯羅舞が残っておりますけれども、
秘儀として残っておりますけれども、そういうようなことが伝播しているんじゃないかなと思っております。
磯羅舞というのは鹿海神社の御神光祭の神事の中でも登場します。
この磯羅舞が風呂宮にも残っているということでした。
そしてこの風呂宮には安住の磯羅のお墓というものもありました。
この初代の観主でありますお墓がですね、約1800年前のお墓が風呂の境内に残っておりました。
それは磯石墓と言いまして、ちょうど吉野原とほぼ同時期のお墓でございまして、
実は境内には安住の磯羅丸神社というお屋城がございまして、
その横に今申し上げた磯石墓が初代観主のお墓ということで残っておりまして、
ちょうど西谷忠氏旧大名誉教授の方が公演においでいただいたときに、
ぜひ見たいということでご案内したことがございますけれども、
7、8年前になりますかね。
その時にご覧いただきまして、これは間違いなく磯石墓であるということと、
それからこれが日本では最大級、日本一の大きさであるということを断定されましたので、
我々は非常に驚愕したんですけれども、
そういうようなことを考えますと、
やっぱり1800年前というと、金が発掘されたりとか、
そういうような繋がりですかね。
鹿の上神社との繋がりが想定されるんじゃないかなというふうに、
我々は思っておるところでございます。
磯石墓ということですね。
九州には割と多いですよね、大きな磯石をお墓の上に置いて、
死者を葬らないという。
そうですね、やっぱり室方官の官庁もなさっていました。
西谷忠先生はそういう磯石墓に関しても、石学でいらっしゃって、
朝鮮にも南海にも渡って、
朝鮮半島とかあるいは中国の方にもそういう磯石墓が残っているということでございまして、
だいたいこの島原半島とか、あの辺からの北側に、
いわゆる北部九州ですよね、
に残っている風習であるというふうに考えられております。
磯石墓というのは、白鳥沢なんかなさったんですか。
これは現在九州歴史労官の方には、
祖父の代にまだ考古学がそういうような時代ではなかったということで、
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祖父が一回その大きな磯石を巡礫であげたそうでございます。
そこにはお墓が、亀冠が出てきたので、
これは間違いなくお墓だったということで、
そのまま埋め戻しをしたという記録がですね、
九州歴史労官の方にも残っております。
やっぱり祖父もそれなりの勉強していたみたいなので、
それはきちっと埋め戻しをしておるということが記録として残っております。
今夜は大川市の風呂具の偶事、安住文久さんにお話を伺っています。
今度は風呂具のお祭りについて伺います。
まず2月に行われるお風呂さんの話です。
風呂具大祭、この辺の方たちは皆さんお風呂さん祭りということで、
非常に楽しみにしていらっしゃって、
昔は木下サーカスとか色々行ってましたもんですが、
大変、佐賀の北区とかいろんなところから非常にお参りが多かったんですけれども、
そういう流れの中でお祭り自体は現在も残っておりまして、
肌官業とかいろんな行事があるいはやぶさめがあったりとかいうことがございます。
その3日間お祭りがございまして、最終的にはフィナーレと言いますか、
最後はやぶさめでお参りすると。
そのやぶさめをする際は、当時江戸時代は有馬さんがいわゆる久留米藩の藩主としてご臨席いただきまして、
その中にお歌い三般、それからやぶさめ三般が奉納されて終わるということになったようでございます。
そうですか。
現在残っているのは農学風呂というのが現在残っておりまして、
この手元にありますけれども、これは江戸時代の中期に風呂具のために作られた農学の本でございまして、
これは全編いろいろと当時の信仰がこういうものであったというのが分かるようなものになっておりまして、
最初は水間の宮にお参りしようということで、
蓄善の国の鹿の島の神職なにがしが蓄を奉納にはまだお参りをしたことがないものですから、
その水間の宮に参ろうと思い立って、袖の港を船でしてというくだりがございますけれども、
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袖の港というのは現在の博多港になるようでございますけれども、
そういうようなところがずっとあります。
結局はこの中に書いてありますけれども、
風呂の御院や城と鹿の島は神様としては五一体であるということも既に書いてあるものですから、
江戸時代にはもう鹿の島と風呂のつながりというのを皆さん方ご存知じゃなかったかなというふうに思われます。
最後の方はですね、結局は竜神が出てまいりました。
海の神様ですから、竜神が東西南北から出まして、舞を舞って、
そして有機体に海の中に没していくということで、これが全編終わるわけですけれども、
これを一応前回20年前に復旧いたしまして、
1820年式年大祭のときにも約700人ぐらいお越しいただいて、
大川市の文化センターでちょっと奉納いたしました。
それと今申し上げた矢部祭につきましては、現在は大川市の無形文化祭になっておりまして、
通常の矢部祭と違うのは、頭に五式のいわゆる五併算をですね、かぶって、
こうやって駆け抜けると、この三道ですね。
そのまばらいの意味があるということで、大川市の無形文化祭に指定をされているということでございますので、
特殊な矢部祭ではございますけれども、それを当時楽しんで有馬さんがお借りになっていたんじゃないかなと、
左三王城までですね。そういうようなことでございます。
これは当時は風楼大権言というような、新宗号時代が長くあったものですから、
そういうような名残も一つはあるのかな、まばらいという形でですね。
で、現在は年に一回お祭りが終わった後にですね、
ひきめんごきとうというのがございまして。
そのひきめんごきとうというのはですね、ぜひ内容を聞かせていただきたいのですが、
これは弓を鳴らす行事という意味ですか?
そうですね。いわゆる名言祈祷、弓を鳴らすごきとうが3日間ございます。
祖父の代ぐらいは、明治時代は1週間寝泊まりして、
このごきとうを行っていたそうですけれども、現在は3日間に短縮しておりますけれども、
3日間官主が寝泊まりを一緒にしまして、決済をいたしまして、3日間勤めておるという神事でございます。
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この中で特筆するのは、もちろん弓、名言ですから弓でまばらいをするわけなんですけれども、
その中で最後はですね、的に向かって矢を射るという神事がございまして、
実際私が毎年行っておりますけれども、その際はですね、破弓星を射てはならないと。
破れるという字に軍隊の軍、それに星、破弓星というのがございまして、
それがいわゆる空を運航しているわけですけれども、
その運航しておる星に向かって矢を射てはならないという決まりがございまして、
そういうようなことでその天体の動きをですね、常に意識してそのごきとうをやっていたと。
いわゆる海洋族ですから、海に出るとやっぱり見当てするものは太陽か月か星かないわけですね。
そういったことに長けてたという一族でございますので、それがごきとうにも現れております。
ひきめんごきとう、これはイエイエのかまどの浮上を払うという趣旨で、弓の弦を鳴らして悪魔を払う神事だそうです。
大河市の風呂宮の安住文久宮寺に話を伺いました。
ここで古代の福岡を歩くリポーター中島理恵さんです。
こんばんは。大河市のいわゆる観光案内所がなかなかすごいところなんです。
名前が大河テラッザって言うんですが、テラッザってイタリア語でテラスーの意味なんですけどね。
大河市観光インテリア情報ステーションという正しい名前なんです。
白くペイントされた貨物コンテナ風の建物が3つ4つ組み合わさってて、すごいおしゃれな空間なんです。
ここで出迎えてくれた吉岡住子さんにいろいろ話を聞いたんですが、もちろんその観光情報を扱うインフォメーションあり、
それから地元大河の優れた一品を紹介するアンテナショップがあり、テイクアウトカフェのメニューがあり、そしてこんな役割も用意してありました。
大河なんで家計さんがとても多いので、どこに行っていいかわからないっていうやっぱり方がすごく多くて、
まずは家具屋さんに直接行く前に一旦ここに寄ってくださいと、そしてこういう家具が欲しいんですとか、こういう風な感じのものがいいんですとか言われたらこちらで、ここに行ってみられてはどうですかという家具屋さんのご案内もしています。
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それすごいですね。普通の観光案内所は絶対ないですね。
そうですね。やっぱり大河ならではの。
木工の町ですからね。
ざっくりですね。20ヶ所から30ヶ所あって、お休みの日もあるので全部頭の中で組み合わせて入っててやつなんですって。
さらに大河らしさという点ではこの大河テラッチで木工のワークショップが楽しめるんです。
日に触れられる。
そう。10タイプある中から、例えばその大河の名品でもあります。組子のコースターとか、あとスプーンを作ろうとか、椅子を作ろうとかもあったりするんですよ。
私、猫型コースターにチャレンジしてきました。白猫黒猫どっちがいいですかーって言って、オーク材かウォールナットかって選べるんですが、チャレンジしてきました。
もともと猫の顔型に切ってあるんです。最後に2種類の紙ヤスリを使ってシャリシャリシャリシャリとずーっと削っていって、滑らかにして、最後にオリーブオイルを塗り込んで仕上げて完成。
あ、現物が。うわ、かわいいですねこれ。
ね。いいでしょ。
あのー、本当にシルエットが猫の顔。コースター。
さあ、木のシマシマ模様っていうんですか、もくみがそのまま猫の毛並みのように見えてて、1個ずつこれが違ってくるのがまた味わい深くて楽しいんです。
で、こんな体験もした後、カフェで一服と思ったら、このカフェメニューも大河らしさがありました。
大河はジョロキアを栽培してるんですよ。
すいません、もう一回いいですか。
ジョロキアです。
ジョロキア?
はい。
なんですかそれ。
あの、辛い唐辛子です。とっても辛い。
初めて聞きました。
世界で多分、何本の指かには入るぐらいのとっても辛い唐辛子を大河で栽培してまして、で、それをかけたソフトクリームとか。
ソフトクリームにジョロキア。
そうですよ。これ実際食べるとすぐに辛っ!で、2秒後に辛っ!ってなる。そんな辛さなんですよね。
辛さがすごい細かくて軽い。でもね、嫌な辛さじゃないんです。
ただ食べてる時に、そうやって乾燥してもごもごいってると、喉にこの軽いゆえにくっついてケホケホってせき込むというですね。
他にこのベースのソフトクリームがめちゃくちゃ甘くて濃厚なので、なんとも言えないいい感じの時間が過ごせます。
他にもですね、大河の名品でもあります。小分数を使ったドリンクとかも用意されていて、本当にあの大河らしさをまずここで満喫できる、そんな施設になってました。面白いです。大河テラッツァ。
そしてこのテラッツァのある場所がなかなか渋い。市役所のそばとか街の真ん中じゃないんです。
27:01
千久小川のほとり。なぜかというと、千久小川の松海峡のそばなんですね。
この松海峡のそばにあって、ここがねやっぱり大河の一番の観光スポットでもあるので。
いやもうね、映えスポットですよ。
でしょでしょ。
写真撮ったらいい写真撮れますよ。
あー知ってますね。じゃあその松海峡の詳しい話はまた来週細かくリポートしていこうと思いますけども、
この松海峡とセットで大河テラッツァ、大河らしさを満喫する旅ができますんで、ぜひ出かけてみてください。
中島理恵さんでした。
お知らせです。番組のホームページのご案内です。
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この番組は道の駅村方、餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周大でした。
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