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古代の福岡を歩くステージA。 海の道から空の道へ。
安曇族の足跡を探る。 この番組は安曇野市観光協会。
安曇野市大王わさび農場。 塩尻市観光協会。
FDA富士ドリームエアラインズの企画協賛。 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、ニラにネギ。 野菜だけで作った優しい餃子ができました。
お肉が食べられない方も安心してお召し上がりいただけます。 餃子の山鉢の優しい餃子です。
こんばんは、佐方周代です。 先週は新潟県糸井川の秘水の話でした。
今週は新潟県直越から越後ときめき鉄道 名古屋羽生ラインの電車に乗って関山という場所へ来ました。
駅からおよそ20分歩いたところに関山神社がありました。 実はここに観賞員の仏像によく似た仏像があるということで神社を訪ねたのです。
銅像、菩薩竜像と言います。 しかしその仏像は数年に一度と言われる御会長の日しか見られないということで目にすることはできませんでした。
そこで仏像の話に詳しい地元の方を探しましたところいらっしゃいました。 名古屋関山の文化財を語る会の会長河上昌司さんと
関山神社宇治湖荘大の内田龍太郎さんです。 まず河上さんに関山神社の歴史から伺いました。
その後に810年に空海が名古屋さんを登って修行してそして関山神社のもとに里宮として作ったと伝わっているのです。
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ですから関山神社は名古屋さんの里宮です。 そういう位置づけにしているのですね。
ですから関山神社でお参りをするときは名古屋さんに対してお参りをするという形になっています。
西暦で言うと8世紀頃に作られたんですか。
神社自体がそこにできたかは書き物がないのですが。
ラギオ商人が先ほどお話しした和道元年708年にそこに名古屋さんを改ざんしたという言い伝えになっております。
それから伝えを聞きますと山岳信仰の非常に盛んなったということを聞くのですがどうなんでしょうか。
そうですね。主言の場として名古屋さんは形を見ますと3つの山になっているのですよ。
中央に名古屋さんがあって向かって左側に赤黒山があって向かって右側に神那さんがあってそれがちょうど三尊の形をしている。
名古屋さんを主尊として左側の山が右尊と言いますか右の尊。
左側の尊が左の仏様になぞらえてそういう神秘的なものを持っているのですね。
上杉謙信から化してされた隆起というものがあるというふうに聞いたのですがそんなすごいものがあるんですか。
関山神社が最も栄えた頃は上杉謙信頃なんですよ。
この近くに主言の坊が70坊あって七堂寺があったと伝わっています。
その時代が上杉謙信の頃なんです。
戦国時代に上杉謙信が亡くなった後、織田信長がこの辺を霞山の方に入ってくるんですね。
その時にこの辺の一帯が焼け野原になって、
関山神社も衰退してしまうんです。
そしてそれが江戸時代になって徳川幕府の看護を受けて、
法蔵院を作りましてそこからここにもって再興されるんです。
ここに隆起というものがあるというのは上杉謙信が加持された。
上杉謙信は明皇さんも非常に信仰しておりまして、
そして上杉謙信が各村々に明皇さんの方に
村印の旗を持って登山しなさいという命令を出しているんですね。
その中で関山神社に対しては上杉流、下杉流の隆起がですね、
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法蔵院を再建する、あそこに今ちょっと見えてないんですけれども、それが載ってあります。
これはすごいものですか。
そうですね。
上杉流、下杉流。
それで赤い布に刺繍をしてありまして、金の刺繍、銀の刺繍がしてありまして、
上の形、低台の形で持って流がなっています。
その頃上杉謙信は流にも対して非常に信仰していたんですね。
流というのは強さを持っていますし、
それから五穀豊穣ですね。
要するに農作物の蜘蛛を操るわけですから、そういうので持って流が載っていますから、
結構ですね、村印の中にも旗の中にも流を形取ったのがたくさん出てきます。
その頃から信仰が厚かったという神社ですね、この神社。
あとですね、この建物は神社ですけれども、法蔵院という院主が作ったものですから、お寺の形式ですね。
お寺の形式になっていますね。
全部欅です。
欅ですか。
今は明皇さんが、法蔵院というお寺は明皇さん一帯を自分の経済地だったので、
土地は自分の領地だったものですから、そこから切ってこれだけを作っています。
この太い18本あるんですよ、この丸ブラシの。
天井から下まで全部欅です。
社殿の中を見ていますけれども、総欅造りですか。
そしてたくさんの彫刻があるんです。
正面にあるのが現在、秘物として金庫の中に収まっているんです。
この中に。
通常は開けないで、金庫自体も正直言ってそんなことがあってはならないんですけれども、
もし火災になったら燃えないように大火金庫の中に入っているんです。
仏像は。国の重要文化財ですから。
道像菩薩竜像。
その中に入っている。
こちらの方に安置されています。
明皇さんは高さが2446メートルある山です。
関山神社は江戸時代までは関山御元社と呼ばれ、3体の仏像を本尊としてきたそうです。
一つは道像菩薩竜像。
そして2つ目が十一面観音像。
3つ目が文殊菩薩像です。
このうちの一つ、道像菩薩竜像が、
鑑賞院の仏像や津島上林寺の仏像とスタイルがよく似ていると言われるものです。
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秘仏と言われる仏像は、
お話を伺った社殿の奥の空殿と言われる図室の中にあって見ることはできませんでしたが、
お二人には鑑賞院と上林寺の仏像の2体の写真と、
それともう一つ、川上さんたちが作った道像菩薩竜像のレプリカを前に話を伺いました。
わかりますね。
そうですね。
これは何か優れたものですね。
ありがとうございます。
大きさは20.3センチなんです。
本当に小さいものですね。
小さいですね。
それで土台仏ですので、きっと胸の中に入れて、
そしてそこにこれを持ってきて、
そういったところで信仰の形をとった方ともあります。
この3体、やはり大きさはそのぐらいですよね。
そうですね。
この3体とどの辺に似たところがあるというふうに思われますか。
まず形は、私どもは立っている竜像ですし、
こっちは半画像ですし。
半画像ですね。
全然違うんですけれども、やはり掘り物は、
まず先生方のお話を聞きますと、掘り物の形形式がくだらけを持っているということです。
くだらけ、掘り物は。
それと両方とも成分検査をしているんですね。
私どもも成分検査をやっていて、
こちらの方も半画像の方も成分検査をしている。
ほぼ同じものだというふうに、
それもくだらで出土している銅が入っているということで、
そういう分析をされたということでしております。
そうですか。形としてはいかがですか。
そうですね。やはり正直言って、
私どものところも一回火の中を受けていますので、
形がいちいち崩れるところもあるんですけれども、
そこにいろいろな掘り物の形、それから細さとか大きさとか、
そういうものが非常に似ておりますし、
実際に、私は半画像のことは深く承知していないのですけれども、
うちの銅像菩薩隆像については、
法隆寺の仏像の釈迦三尊像の脇地の観音菩薩と非常に似ているという、
そういう形となっております。
そうですか。
実はここに鑑賞員の仏像と浄林寺の仏像を2体並べた写真がありまして、
これを見ながらお話を伺っています。
内田さん、これをご覧になった感想をお聞かせください。
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これは2つ並べてみると、右足が同じ位置にあって、
やはりつながりがあるのかなと。
半画隆像の方が右足が上に組んだ形に両方ともなっていますね。
それで両方とも片足をあぐらのようにしているという部分もあって、
手の位置なんかそっくりですよね、右手。
片方の方は右手しか残っていないのですけれども、
重ね合わせるとやはり腕の線の作りとか、
やはり同じものかなという感じがしますね。
この2体の半画隆像と、それからここにあります仏像ですね。
これを比べてどういうふうに思いますか。
仏像自体の頭から下の流れというのがちょっと似ているのかなと。
このしなやかな曲線というのが。
それがやはり腰の辺りに強調されているのかなと思いますね。
腰の流れといいますかね。
脇の下ぐらいから腰にかけて、
そしてこの隆像の方も、もちろん立った像なんですけれども、
裾がずっと下まで垂れ下がっているということですね。
ちょっとここら辺が日本の仏像とは違うかなと思っています。
それでここにあります菩薩流像の方は、
火災によってやはり焼けた部分というのはあるのでしょうか。
そうですね。全体的に炙られてしまったので、やはり表面がザラザラしていますね。
表面がザラザラ。
多分本当はもっと滑らかだったと思うんですよ。
やはり溶金されていたんですか。
そうですね。
金メイキが。
だと思います。
溶金されていました。はっきりとしています。
ただ熱でやられちゃったんだと思いますね。
この仏像が朝鮮半島の福田らから来たものだと思われるのは、どういう部分を見て思われますか。
正直に言って、関山の地元ではそういうお宝と思っていなかったんです。
そうですよね。
それを調べてくれたのは、現在の東京芸術大学の水野圭一先生という大学の先生です。
もともとはここは遺物としてあったわけですね。
そうです。
だから誰も見られなかったんですね。
見られなかったんですね。
というのは関山神社は神仏集合の神社でしたので、江戸時代まではここには住む隣であります、別棟であります法像院という、そこでお寺が管理していたんです。
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そのことによって、今度は明治になりまして、そして神社には仏像は置いてはなりませんということで、廃物希釈が始まります。
その中で関山の人たちは、そういう仏像についてはそれを箱に詰めまして、奥の金庫にしまって、釘を打ってそれを見ると災難が起きるということで、
昭和36年までは、昭和になるまでは一回も誰も見たことがなかったんです。
その中で大学の先生方で、先ほど言った水野先生とか新潟大学の先生とかいろいろ調査の中でこういうのがあるんだけれども、
御開帳したっていいじゃないですかというお話になりまして、それを御開帳するために2,3年かかっているという記録が残っているんですね。
それで実際に明治政府もここに関山神社に来ているんですね。
その中でそれに対しても絶対開けさせなかったと。もし開けていたら今は残っていなかったんですね。
廃物希釈の対象になって、神社にもありますからお寺にあるなら問題なかったんですけれども、神社の人の御神体でしたからそういうことで残っていなかったんです。
それを関山神社は知恵を働かせて、それを見せなかったことで今現在残ったというふうに伝わっています。
江戸時代に御元元と言われた仏像ですから、実際にはそういうつもりで、言い方は悪いですけれども目について明治政府も許されなかったなと思います。
ここにあります立体的なレプリカですけれども、ここは全部欠けた部分がないような感じがするんですけれども、どの辺が欠けているんですか。
大変なんです。まず手が先がないんです。
なるほど。
それと頭がないんです。
おそらく先ほど言った松川の冠商人と同じような、これの形ではないですけれども、こういう形が頭にあったはずなんです。
頭の冠。
ここにこういうものは観音菩薩ですから、なければならないんです。形としては。
だいたい分かりましたけれども、冠の上にもうちょっと頭の上にあった。それから両手がない。
それから足の方はちょっと分からないですね。衣の中に入っている。
そうですね。
というふうな、ここから見ても。
両手の手先がどういう形で何かを持っていたのか、それとも手を組んでいたのか、それも分かっていないんです。
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ただ先生方に言わせると、この全体の形から言うと、おそらく手を組んでいたのではないか。
もし物を持っているのであれば、手がまっすぐにおるのではなくて、少し前に出るのではなくて、その部分もないですから、おそらく手を組んでいたのではないかと言われています。
そうですか。
だいたいそういうことですね。
それから背中は非常にきれいな背中になっていますね。しなやかな感じがしますね。
そうですね。これがくだらぶつの特徴でSの字になっているんですね。
そうですか。
言われてみればこうSになっているでしょう。そういうしなやかなSの字になっています。
先ほど言われたくだらぶつの特徴と言われる部分をもうちょっと聞きますが、このS字型の背中も特徴の一つですか。
そうですね。この時代のものですね。
全体的にこの仏像の特色と言いますか、これはどういうふうに言えばいいのか。
私が一番この仏像を見ていつも思うのは、まず顔ですね。笑顔。
これは非常に穏やかな顔をしているんですよね。
そこが一番、それはくだらぶつの特徴なのか私は自信がないんですけれども、
そういうのが一番これを見ているのはまず顔ですね。
口元も特徴がありそうな、だいたい微笑んでいる仏像が多いですよね、この時代。
内田さんはどうですか。
そうですね。やっぱり日本の仏像と違うのは着ているものですよね、服が。
日本の仏像というのはやはりお坊さんが着ているような服なんですけれども、
やっぱりこちらはくだらぶつの民族衣装というか、そういった服なのかなというのが
もう一目で日本の仏像との違いがわかりますよね。
これもやっぱりくだらぶつの特徴だと思います。
それから、この仏像自体をどういう人たちがここへ持ち込んだのかというのはどういうふうに見ていらっしゃいますか。
やはりこの仏像については土台仏というのははっきりしているんですけれども、
くだらんで作られたものが、正直言って結論的にはわからないということなんですが、
ですけれども、憶測されるのは、この時代の前に古墳時代がありますけれども、
その古墳文化というのは長野県が非常に多いんですね、くだらの。
その中で実際に長野県に行くとすれば、海から来ればここを通りますから、
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そうすると妙高山が今と同じような三つの山の形になっていますので、
そういうことでやはり神秘性を感じたということで、
やはりここにそういう土台の人たちがここに奉納したんだろうと。
鑑賞員の仏像を調べられた人は、
安住族というのは安住にずいぶん古くから入ってきておりますよね。
安住族が鑑賞員の仏像を持ってきたのではないかと、
持ち込んだのではないかと言われていますが、
どうなんでしょうか。安住族とは関係はなさそうですね。
その辺はっきりしたものではないのですけれども、
そういうこともあるだろうなという特定ができないものですから、
土台人がということで整理されていますね。
土台人がここに持ち込んだのではないかと。
この銅像菩薩流像は、
6世紀後半から7世紀前半頃の製作とみられていますが、
さらに遡る可能性もあるということでした。
お話を、名古屋関山の文化財を語る会の会長、川上障二さんと、
関山神社宇治湖荘大の内田龍太郎さんに伺いました。
古代の福岡を歩くリポーターの中嶋理恵さんです。
シーズンの締めくくりなので、
安住族の足跡を感じる歴史ロマンと、
安住野の良さ、両方をかみしめられる場所をご紹介しようと思います。
本編にも以前に出てきましたが、
安住野市にある長峰山という山です。
長いに峰々の峰で長峰山なんですが、
ここの登り口が標高550m。
長峰山の山頂が933m。
だいたい1時間くらいで歩いて上がれます。
車でも上がれます。
上に行くと、足元に安住野の田園広域が広がって、
その向こうに北アルプス。
3000m級の山々が連なっていて、
北の方、白馬の方まで繋がって見えるんですね。
と言っても、私が行った時、
一回も奥まで綺麗に晴れていないので、
ふわーっと熊の向こうにしか見えていない。
想像を混ぜました。
この長峰山に登る時に、
安住野市観光協会企画営業副部長の
北村正幸さんに案内してもらったんですが、
北村さん、実は登山なさる方でして、
北アルプスとかバンバン登っているんですよ。
そんな方から見て、
この長峰山、どんな風に映っているのか聞きました。
やっぱりすごいですね。
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自分は登山をやっているんですけど、
ピークハンターなんで、
山頂にしか目が行っていないんですよね。
だけどここだと、今まで登った山も全部見えるし、
思い出される。
あそこであんなことあったな、
あそこであんなことあったな、
思い出していますし、
見ているだけでも山ってすごくいいなと思いますので、
登るだけじゃないと思うんですよね。
眺めるのも山の楽しみ方の一つなのかな。
それがここにはある。
この距離感ってなかなかないじゃないですか。
もっと遠くに山があるのは、
どちら、日本に行ってもご覧いただけると思うんですけど、
この距離で有名な北アルプスを全部見えるっていうのは、
なかなかすごいなと思いますので。
こういう山の楽しみ方、小学生からご高齢の方まで
いろんな方が楽しめる北アルプスというのは
一つの空間だっておっしゃるんですね。
わかります。
安住野市観光協会で山頂を楽しむツアーを
いろいろ設定していまして、
例えば山頂でロッキングチェアーで
揺れながらゆっくり過ごすとか、
空気をパンパンに詰めたエアーソファーで、
まるで浮かんでいるかのごとく、
ゆっくり過ごすこともできます。
寝そべるように身を投げるソファーなんですね。
あとハンモックが用意されたりとか、
空気を準備してくれていて、
これにまたがってジャンプして写真を撮ると、
魔女が北アルプスの空を飛んでいるように
そんな写真が撮れたりするんですね。
他にもお昼時に安住野野菜をたっぷり使った
ランチボックスとか、
入れたてのコーヒーをセッティングするとか、
いろんな楽しみ方を提供してくれてるんですよ。
季節で言うと、
これからの季節、空気が進んだ秋口、
10月、11月、
あとは春、アルプスに雪が残っている4月、5月が
とてもおすすめだとおっしゃるんですが、
時間的なおすすめで言うと、
雲が湧く前の朝がやっぱりいいっておっしゃってました。
この北アルプスの向こうに
お日様が沈んでいくという状態になるんですが、
夕方時はどうなのか、さらに北村さんに聞きました。
ちょうど山の輪郭が、
空と山の輪郭がはっきり見えて、
ちょっと薄明かりというか、
特にだいぶ日が沈みかけて暗くなる、
ギリギリぐらいのところです。
そうすると紫というか、群青というか、
ちょっと表現できないですけど、
そういうすごいきれいな空になって、
夕焼けよりも自分はそっちのほうが好きですね。
いいですね。見てみたいな。
見てみたいですね。
だから聞いてて、この夕暮れ時を見て、
翌朝もう一回マイクロバスで上がるツアーとかも
宿から出ているので、朝を見るというダブルで
長峰山をかみしめるのもいいんじゃないかと思います。
ここで歴史ロマンを感じつつ、
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そして北アルプスも感じつつ、
長峰山、ぜひ心をリセットできる場所なので、
出かけてみていただきたいと思います。
そんな長峰山への旅、あずみのへの旅も、
旅の玄関口は新州松本空港です。
FDA、富士ドリームエアラインズの直行便で
ひとっ飛びしてお出かけください。
中島リアさんでした。
お知らせです。番組のホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの
古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
また、ラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、
YouTubeなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は、
あずみの市観光協会、
あずみの市大王わさび農場、
塩尻市観光協会、
FDA、富士ドリームエアラインズの企画協賛、
餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
今回で、古代の福岡を歩くステージA、
海の道から空の道へ、あずみ族の足跡を探るは終わって、
来週からは古代の福岡を歩くステージ10をお送りします。
引き続きお楽しみください。
ご視聴ありがとうございました。