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古代の福岡を歩くシーズン10。
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン10。
この番組は餃子の山端、道の駅村方の提供でお送りいたします。
村方観光協会の品川です。
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お待ちしてます。
こんばんは、坂田周代です。
アズミ族の長、アズミのイソラの足跡を探っています。
今週は大川市の風浪宮を訪ねています。
アズミのイソラは神宮皇后と朝鮮半島から帰還の際、嵐に遭い、大川市近くへ着きます。
ここで白鷺と出会うという縁があって、ここを聖地として神社を作ることになります。
これが風浪宮。
そしてアズミのイソラは初代の偶事を務めることになります。
この風浪宮の神社の門、社門は須浜門といいます。
これは須浜台という経過の石に用いられる装飾品をかたどったものといわれる門です。
今週はまずこの須浜門のことから話を伺っていきます。
風浪宮のアズミ文久偉偶事です。
風浪の須浜門といいますけれども、門所も太陽月星を表すということになっておりまして、
いわゆる京都の靖川神社のお祭りには放火簿というのがございまして、
放火簿の周りにはそのいわゆる門所が、須浜の門所が全部回っておるということで、
放つという放送するの放と、それから上下関係の下、放火簿、ほこですよね。
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放火簿といいますけれども、それにはいわゆる天上階から下階に向かって光が放っておると。
そしてその須浜門はその放火簿のいわりにちなんで、太陽月星を表すということになっておりますので、
やっぱり海洋族のアズミ族にとってはやっぱり大事なそういう自然作用といいますか、
太陽月星をやっぱり信仰していた証としてこの門所にしているんじゃないかなというふうに思われます。
そうですか、須浜門が。
その後につながっているのが船簿といいまして、船簿にはアジノイソラマルが漢宗満宗の玉を神宮皇后に捧げるという書作が載っているのがその船簿。
いわゆる平安時代の頃から始まっているそうですけれども、平安時代にはアジノイソラマルの簿と、
それから門所であります放火簿、この2つが現在も年に1回のお祭りには出ておるということでございます。
非常につながりを感じておりますけれども。
須浜門、京都の祇園祭りの山穂にも登場しているということでした。
風呂具本殿右横には木像の大きなアズミのイソラ像もありました。
アズミのイソラマルの像は、ここが木工の町、職員さんがたくさんおられまして、
一応木を半分に切って、木を削って削って原税のアズミのイソラマルの像にしたということを父から聞いております。
手にはカンジュマンジュの玉を持っており、
そして、いわゆる人工のお召しによって海中から上がってくる姿を掘り込んでいるものですから、
いわゆる海藻が体に付着しておると。
足の下には亀が。
そうですね、下には亀が一緒に掘られておりまして、当時の模様を再現しておるという形を、
これだけの大きい木町があるのは全国にはここだけじゃないかなと思っています。
この風呂具で毎年いろんなお祭りがあります。
まず2月に行われるのが、先週もちょっと紹介したお風呂さん祭り。
このお祭りに付きものの串垣市、干し垣市というものが現在もあるそうです。
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現在も干し垣市が建つんですよ。
そうですか。
というのが、いわゆるこちらの方を発掘したときに、7つの井戸があって、
その井戸の中にやっぱりムキミで、学芸員さんのお話では、
いっぱいこの地域が人たちが食べるものを異常に貝をムキミにして、
そして生産して、それを山の産物と物々交換していたというような歴史があるだろうというふうに思われております。
現在もやめ地方から干し垣が来て、そしてそういうような物々交換の歴史が
必ずやめの人と大川の人たちとのつながりがそこに残っておるということで、
こちらの産物、海の産物と山の産物の物交換の歴史があって、
ちょうど2月大災の頃は一番寒い時期ですので、
当然当時の知恵としてはビタミンCを補給するということになっていたと思いますけれども、
干し垣を食べると風邪をひかないということで、
皆さん方がこぞって、それを土産にして手に手に帰ってあったということを聞いております。
そういうような流れでは、昔の祭りの形態が残っているのではないかと思います。
旧暦の4月1日、大潮の日に行われるのが、おきまいり貝神祭という行事です。
この祭りにつきましては旧暦の4月1日、大潮の日に行っております。現在も。
要は大潮の日ですから、この日は有池海に出ますと、
海の水が全部引いて、大きな干潟が現れるんですね。
この日が必ずおきまいりに行くと。
雨が降っても、私も小学校を休んで行かされておりましたけれども、
それぐらい貝を作りにとっては大事なお祭りだと思います。
これは沖の方に行かれるというのは、神宮神戸をお迎えに行くんですか?
いや、これはですね、潮が一番引くときですから、要は内陣からよりしろを出してくるわけですね。
よりしろというのは、城の御閉山で3箇所の地域が、北朝鮮地区、宮内地区、江の丘地区で、
それぞれの地区でよりしろを作るということになっております。
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そのよりしろを旧暦4月という大潮の日には、内陣から宮寺が取り出しまして、
それを担いで、現在は花舟側になっていますけれども、
山道一直線におりますと、花舟側に小舟がまっておりますので、
小舟に担いで乗るわけですね。
約150メートル、200メートルぐらい遡上いたしますと、神宮神戸を祀っているおやしろがございます。
それは神戸舎、地元ではおごどんさんと昔は言っておりました。
神戸殿と書いておごどんさん。
その前まで船で行きますと、まっすぐ遡上いたしまして、船のへさきを3回回すんですけどね。
これは昔から変わりませんけど、最上級の敬礼というか、神様の拝む方法だろうと思っていますけれども、
それを行った後に、では今から海に行ってきますという感じで船を進めていくわけですけれども、
途中はよりしろが橋の下をくぐらないように、橋の上を人が待ち受けて、
そして御兵さんを上から取り上げて、また船が橋をくぐり抜けた後に御兵さんを渡して、
必ず人とか車が通るような下をくぐらせないというような大事な御兵さんなんですよ。
それでそれをずっと、川を降りていきますと、地区側に出ます。
地区側を出てすぐ大川漁港に着きますと、そこで船が船団が待っております。
その船団の中に御座船というのがあって、その御座船によりしろを2本くくりつけるんですね。
いわゆる船のへさきにくくりつけるんですけれども、それから宮本さんが待ち受けていますので、
宮本さんを御座船に乗せて、それから出発するわけですね。
荒池海に向かっていきますと、途中で岸域、いわゆる地区側と荒池海の真ん中くらいに来ますと、
三段浮かしと言いまして、海の神様に流すための藁で作った三段浮かしというのがあるんですけれども、
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それを宮本さんが作ったものをお流しするわけですね。
今から海に入らせていただきますということで、いわゆるおごくさんと言いますか、三角錐にしたご飯と、
それから竹筒に刺しているおみきさん、それから御兵さん、それぞれを2機くさえたものを流すと。
三段浮かしというのは、藁みたいなもので作ったものですか?
そうですね。藁を何束か船に持ち込んでおりまして、それを5人の宮本さんがずっと塩水系に編んでいくわけですね。
塩水系に編んでいく。
そして塩水系に編んだところで、今申し上げたおごくさん、それから竹筒のお酒、
それから御兵さんと言っている小さな御兵さんを乗せ回したものを2機、海に向かって流すと。
それを海に向かって流すんですか?
そういうことですね。お住まいものを流した後に、今から海に入りますということなんです。
そういう神事を行うわけですね。
そうですか。
いわゆる大本青木ぐらいになるんですかね。
そのぐらいに着きますと、約2時間ほどエンジンを止めて待っていると、全部干潟が現れるわけですね。
広大な干潟が現れますので、そこに船が何層も、結局陸地化するわけですから、そこに干潟に乗っかっているような状態ですけど。
そこで祭壇を作ります。
そうですか。
北の方角を向いて拝むように作らせていただきます。
その時によりしろ2本を船から、御座船から持ち出しまして、それを海中と言いますか、干潟ですから向かっていくわけですね。
そこに2本、祭壇の横にそれを失礼しまして。
そしてブージーがそこで1年間の、いわゆる海産放漁、それから事故がないように航海安全、そういったものを祈るわけですけど。
その時にやっぱり海の神様、海玉をお呼びしてから、そのよりしろに降りてきていただくということになっております。
またそれが終わりますと、また2時間ほど。
昔はその日から貝を掘ってもいいというような、海に入っていいというような日取りだったそうですけど、昔はですね。
そういうようなところで皆さん方、総代さんとか皆さん方全員で貝を掘ったりとかいろいろしていただいた後にちょうど海がまた満ちてまいりますので、2時間後ぐらいにまた船が浮きますので、またそれをよりしろ船頭にですね、また帰ってくると。
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神宮航空が最初に白杉を見つけられたところに船を昔は着けまして。
それで、ようは着いたところで調鎮行列をいたしまして。
我々小学校の時はですね、夜ですから、調鎮で青年団が全部来て、野球青年団が調鎮で誘導して、その中をしずしずとよりしろが運ばれていくと。
そして酒見地区になりますと、酒見地区に入るときはまた酒見地区の青年団がそれを受け継いで、そして調鎮行列で内内人までですね。
それを丁寧に、最終的には官主が内内人に納めすると。
これでお決まり会人祭が無事めでたく終わると。
1年間、結局は次の年までは皆さん方が来られるときにはですね、本殿に向かって拝まれるわけですけれども、
その海が引く力と、海が満つる力を宿したよりしろも一緒に拝んでいただくということになります。
そういうような信仰が根付いておると。
それが風呂具ではないかなと。
お決まり会人祭でした。
今度は社務省を出まして、大きなクスの木のある境内を案内していただきました。
この白鷺のクス、これが本当に上あんまり伸びてないですよね。
伸びてないです。
向こうから見るとなんか古代の船を見るような形をしてるんです。
どういうわけか。
不思議なものだなと思う。
不思議なものですよね。
本当は中に、最近は悪さ坊主がいないのであれなんですけれども、
あの中に入って子供が遊んでたことが小学校の頃はよく見かけてました。
そうでしょうね。遊んじゃおう、持ってこい。
新門、老門が出て、これが最初の鳥居になるもの。
ここは向こう側に、100メートルぐらい先に鳥居がございまして、
そこから先が花棟川、1800年前は筑豪川の本流が流れておりました。
そうですか。
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ですからあそこの辺が、あの辺りに湯戸が7つありまして、
貝をむくみにして生活していたということでございます。
そうですか。
ニワトリの骨が出土しまして、全国で4例目のニワトリの骨が出た。
ニワトリの骨。
はい、いわゆるホワイトレグホンの骨が出まして、
学園さんによりますと全国で4例目ということで、
あとは生吉島の方で2例目と、それから旭遺跡といいまして、
名古屋の方で1例目ということで、九州では今のところだと思うんですけど、
そちらの方の遺跡でですね、境内で出たのが4例目だと。
そうですか。
だから多分中国から来ていると思いますね。
湖南の方でしょう、多分ですね。
あちらの方の繋がりがあったということだと思いますね。
古い時代のものですか。
そうですね、家畜として早々期から飼っていたということで、
学園さんはおっしゃっていました。
それは面白いですね。
この辺りが古い地域なんだろうなと思いました。
ここにちょうど神社を向かって、左が鳥居のすぐ近くですが、
風呂、白鷺幼稚園という幼稚園があります。
その幼稚園の門のところに来ていますが、ここを開けて中へ入らせていただきますと、
ここに神社がありますね。
これが安泰宇佐良丸神社。
安泰宇佐良丸神社、朱色に塗られたお庭がね。
これは初代ですね、初代の神社。
そうですか。
すぐ横が石墓、いわゆる磯羅塚といいます。
磯羅塚、これは玉垣に囲まれました大きな岩の塊ですね。
これがいわゆる石墓といって、ちょっと見にくいのですが、石で支えているんですね、テーブル上に。
あ、そうですか。少し底の方が浮いているような感じがしますね。
そしてこの下に亀冠があったんです。
これ何メートルくらいなんですか、この大きさは。
直径が約4メートル。
田元に入れて帰ってきたということで、人口が田元に入れて帰ってきたということで、田元石という風にもそういう信仰があったようです。
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どこから来たのかもまだ分かっていないことなんですけれども。
ちょうどまあまあまんまるい感じの岩ですね。
そうですね。
岩の厚さとしてはそんなにないですね。30センチくらいの厚さになっています。
ただ石石墓ですから、これを上に置いて下に亀冠があったということですね。
岩は石石墓としてはこれが日本で一番大きいそうです。
あ、そうですか。
いろんなところで私も見ていますけれども、この3分の1くらいの大きくてもですね、そのくらいの方が大半じゃないかなと思っています。
これが安住の磯羅のお墓じゃないかと言われているんですね。
今週は安住族の長と言われる安住の磯羅の足跡を訪ね、大川市の風呂群を歩きました。
お話を風呂群の安住文久宮氏に伺いました。
ここで古代の福岡を歩くリポーター中島有栄さんです。
こんばんは。今日は大川市の観光スポット、菊子川の松海峡です。
お、松海峡。綺麗な映えスポットですよね。
やっぱご存知ですね。
いやいや、あの独特のフォルムとギミックというんですか、あの動きはね。
そうなんです。
上下にこう橋がね、動くんですよね。
見たことのない方のために。もうね、名前の昇る開く橋という名前の通りです。
えーと、大川と佐賀の間を結んでいる橋なんですが、菊子川を越えます。
両側から固定の橋、赤いのがずっと来て、ちょうど中央部分が上下に動くんですね。
で、赤い鉄骨が印象的なんですが、全部で507mあって、真ん中の上下する部分は24m。
もともとは黒鉄の佐賀線の線路だったんですよね。
世田谷駅から佐賀駅までつないでたんですが、今は線路なくなってますんで、人が歩けるようになってます。
その魅力について、大川市観光インテリア情報ステーションテラッツの吉岡住子さん、こんなふうに伝えてくれました。
あの歩くのは、やっぱりちょっと真ん中をぜひ渡っていただきたいですね。
やっぱり500mあるので、なかなか向こうまで行くのは遠いんですけれども、橋の上下するところをぜひ渡っていただいて。
あとは、ちょっと上下するところの向こう側まで行くと、佐賀県との県境の看板がありますので、そこでぜひ撮影をしていただいて。
あとは、そうですね、上から見ないとわからない、やっぱりこの迫力がすごく鉄砲の迫力がありますので、それを見ていただきたいです。
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この橋の上から赤い鉄骨を見ると大興奮します。思わず写真を撮ってきました。
あ、これですね。これは下から…
橋の鉄骨の上の部分を見上げて写真を撮って…
かなり高さありますよね。
そうなんですよ。これ、迫力が普通じゃないなと思ったんですけど、実際歩くと、なんていうんでしょう。
ちくご川の風を感じる。そして私が思っていたよりもずっとちくご川が広いこと。
そして足元を抜けてますんで、流れが見えるんですね。
ちくご川ってこんなに流れが速いんだって。
足元って、じゃあ下がもう見えちゃうわけですね。
横から見るとですね、いくつか鉄骨の隙間がありますので見えます。
今まで感じたことのないちくご川が見れる。
そしてこの真ん中の24メートルほどの上下する部分、実は私が今見たいなと思って管理人さんがいらっしゃったら上げてもらえるんです。
え、頼めるんですか。
そうなんですよ。たくさん人が渡っているときにはできないんですけれども、人がいなくて管理人さんが他の作業をしていないときにはお願いしたら、よし、上げましょうと上げてもらえるんです。
もともと背の高い船が通過するために上下するんですか。
船が通過するために上に上げて。
下をくぐらせて、また元に戻すということですね。
元に戻して線路の上を電車が走るという形だったんですけれども、これ、じゃあ上げてもらいましょうと思って楽しみに音をとっていたんですけど、すごい静かで何の音もしない。
そうなんですね。
え、これって湯圧か何かですかと。いよいよウェイトとワイヤーで、でも静かでしょってシューッと上がっていく。
そうなんですね。
とっても楽しいんですよね。
で、この紹介今日見て楽しい、歩いて楽しいんですが、大川側のスタート地点になるこの観光情報センターのテラッツァのそばに石の山があったんですよね。
これデレ池導流亭、導く流れの包みと書くんですが、明治時代に作られたこのシステム、筑後川の中にあるものの見本だったんです。
それについて吉岡さんに聞きました。
この導流亭というのが川の中に、真ん中にこの紹介今日の下流川から有明海まで約6キロですね、川の中に入っています。
昔のデレ池さんというオランダ人の技師が指導して作ったやつで、あれがいまだに川の中にありまして。
有明海ってカンマンの差が1日6メートルあるので、すごく土砂が堆積するんですよね。
だからあれを真ん中に入れることによってカバ幅を狭めて、水の流れを速くして船の航行がスムーズにできるようにあれが入っている。
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へー、そうだったんですね。
いろんなことがしています。筑後川紹介今日ぜひぜひ楽しんでください。
中島理恵さんでした。
この番組は道の駅村方、餃子のヤマハチの提供でお送りいたしました。ご案内は酒田秀大でした。