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古代の福岡を歩くシーズン10 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン10 この番組は餃子のヤマハチ
道の駅村方の提供でお送りいたします
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こんばんは坂田集大です 今夜は安曇族の長、安曇の磯羅と甲羅さんの話です
お話を神宮広報伝書を歩くの著者 綾杉ルナさんに伺っていきます
前回は安曇の磯羅がなぜ甲羅さんにやってきたのかという話を伺いました 今回はその続きです
安曇の磯羅は二階甲羅山に来てるんですね
最初は神宮広報と一緒だったわけです
山間の駅から凱旋して帰る時に 長崎周りを通って有明海に入って風呂宮ですね
そして大禅寺まで来るんですけど そこからはもう船大きな船が入らないから
船は楠木に渓流して あとは小舟に乗って行くわけなんですね
それでそれからずっと登って行って そして途中甲羅山に立ち寄ったわけです
そして神宮広報たちが立ち寄った場所というのが 今祇園山古墳があるところですね
あそこは三崎城になってますよね
あそこでこれまでのことを振り返られたというふうに 神秘書に書かれています
ちょっと高台ですから そこの目の前が平野ですけれど
昔は泥海だったと 慶光天皇の時代とかもそういうふうに
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干潟になったり泥海になったりするような ところだったという場所ですね
そして次にやってくる時は神宮広報が亡くなった後ですか
そうなんです それで神宮広報がいつ亡くなったのかというのは
日本書紀にはですね 100歳で亡くなったように書いてあるんですね
そして神宮広報は和の女王だと
そしてもう一人和の女王といえば卑弥呼ですよね
卑弥呼の亡くなった年と同じになるように 神宮広報の寿命を延ばして100歳にしてるわけですね
でも地元では結構早く亡くなったように書いてありますね
それで赤ちゃんを飼いにしながらも馬に乗ったり船に乗ったり
ましてや戦いに行って
そして出産は難産だったし産後の日立ちも悪かったと
非常に過酷な戦いをされて結構早く亡くなってしまったということが
あちこちに書かれています
それで武之内少年や安住のイソラたちが側近として
都で神宮広報を支えていたんですけれど
代が変わったために都に入れなくなったわけですね
それで二人とも久留米の方に帰ってくるわけです
その時にやっぱりイソラはですね船が気になってしょうがなかった
それで御座船を大禅寺玉垂れ宮に置いてましたよね
でそれをやっぱり見に来たんですね
そして船がまだ大丈夫だなって
だけどその船は使わずにまた別に小舟を出られて
そして風呂部に行ったり大牡丹に行ったりして
そして最終的に甲羅山にめがけていったわけです
安住のイソラが甲羅山に登ろうとしたんですけれど
実は戦獣の神がいらして
ああそうだそうですね
それが高木の神
で高森の神とも言いますけれど
本当の名前は高見結びの神といって
日本神話の中でも第二番目に出てくる神様なんですね
その神がすでに甲羅山にいたわけなんですよ
それでその安住のイソラが一見を案じて
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それで今の登山道路があるところに馬蹄石というところがありますね
そこまで行ったら神様が降りてきたわけなんですね
それでちょっとここからは説明がちょっと言葉を説明しにくいんですけど
実はその高森石というのが有名じゃないですか
甲羅山をぐるりと回っている
であれは昔は本当は石畳と言ってたんですよ
鉢の葉っぱの石畳って言って
鉢用の石畳と言ってたんですね
で神戸石というのは神様が籠る石と書いて
で巨大な岩蔵だったんですよ
で登山道路にも
あのその岩をずっと通っていくほど巨大な岩盤もですね
それが神様がいる石だったんですね
それをその明治時代の学者さんが入れ替えて発表したんですよ
それで列石の方ですね
石畳を神戸石と言っちゃったもんなので
あのちょっと今日は説明しにくいので
本来の言葉で説明しますと
その神が籠る神戸石のところで高木の神が降りてきて
その何の用事ですかと
で人よ宿を貸してくださいと
ならば何か印を見せなさいと
その時にその神戸石は馬の蹄の跡をつけたんですね
で岩の間にちょうどオワンぐらいの穴を掘ったわけで
岩の上にですね
でそれで馬の足跡の石ということで
馬蹄石と言いますけれど
高木の神はそれを見て納得したんですね
そしてじゃあどうぞと言って
自分は降りていって
そして人よ宿を貸したわけです
でその間に
その神戸石はバーッとその列石を築いたと
それがあの石畳なんですけれど
まあ高さといえば50センチぐらいの列石ですよね
人間だったら片足でもう登れるぐらいの
石畳ですけれど
神様だったので
あの結界になってしまって
その高木の神様は戻れなかったというわけなんですよ
それで仕方なく
今のこの結界の外の高木神社というところに
鎮座されているというわけなんです
ところがなぜ高木の神様は
その馬蹄石を見て納得したのかっていうのが
書かれてないんですね
それでずっと謎に思ってたんですよ
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そしたらこの前
安住野に行かれて
そしてネズミ石というのを
紹介されたじゃないですか
安住野のネズミ石って
それもテールプルぐらいの大きさに
やっぱり馬の足形ぐらいの大きさの穴が
掘ってありますよね
拳台ですね
一緒なんですよね
それで実はもう一箇所
これまた安住野に関係がある
安寿実
大分県の宇佐安寿実ですね
でこちらももう安住野の
鉛ったものが安寿実だと思いますけど
ここにも同じように馬蹄石があるんですよ
そうですか
今度は時代が神武天皇の時代になるんですけれど
神武天皇がヒューガから北にですね
上がってくる時に
この安寿実まで来まして
そこに宇佐津彦と宇佐津姫という
兄弟がいたんですね
そして足一つ上がりの宮という
宮を建てて
そして神武天皇を歓迎したわけなんです
神武天皇もすっかりそこ気に入って
じゃあここに母上をお祭りしようと
神武天皇のお母さんといえば誰かというと
それが玉より姫でしたよね
安住族の姫です
それでお祭りした時に
川の中にやっぱり岩がありまして
そこに玉より姫が現れて
この神人を忘れないように
印をつけておくと言われて
それでやはり馬のひずめの足跡をつけて
そして一気に上がられたと
それで足一つの上がりというようになった
という話があるんですよ
これ全部は安住族に関係があるじゃないですか
何だろうと思って答えは出ませんけれど
何らかの印として
馬のひずめの跡という言い方で
ちょっとまんまるではない
ちょっと長方形っぽいですね
跡が各地に残されているという
だから新宿のほうのね
ねずみ石も不思議な感じがしましたけどね
あの穴がいろんなところに通じているという
情報がそれから入ってくるという
なんかおかしな穴でしたね
でも安住族の足跡にそういう穴があるという
面白い話です
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今週は安住族の王様
安住の磯羅と甲羅さんについて
綾杉ルナさんに伺っています
それで安住の磯羅はですね
甲羅さんに来たわけなんですけれど
その時にですね
漢字と満字を持ち込むわけですね
その大きさがですね
なんと15センチのマガタマだったと
神秘書に書かれてるんですよ
それも青と白という
すごい大きなマガタマに
話が変化していったんだと思いますけれど
それとですねもう一つ
矢坂兄のマガタマも一緒だったと
合わせて3つです
それはですね
忠愛天皇が奉行された後に
三種の神儀はどうなったのかということなんです
それを3人で分け持ったそうなんですよ
草薙の剣は神宮皇后
そして八田の鏡は武之助
そして矢坂兄のマガタマは
安住の磯羅が持ったというわけなんです
ですから安住の磯羅にとっては
緑と白それから赤の
3つのマガタマを甲羅さんに持ち込んだというわけで
そしてそれを甲羅さんの神殿のところに置くと
それが毎朝ですね
3つの霊力が合わさったものが
神域を清めたということになっているわけです
竹之助が預かった八田の鏡はですね
今度は下宮の方に持ち込んでいるわけですね
それでその後が
鏡山神社になったわけなんです
それでその八田の鏡も
毎日今度は麓の方ですね
ずっと神域を清めていたと
これが秘密だったという
それで神秘書にひすべしひすべしと書いているんですけど
これが内緒だったというようなことが書かれています
それで安住の磯羅は最初ですね
今の甲羅大社ではなくて
もうちょっと奥に杉之助というところがあるんですけど
そこに住んだんですね
ところが3年住んだらもう空きだと
それで現在のところに移ったと
ですから元の地名は住明という風に
それで住明という地名に変わったということなんですね
安住の磯羅は甲羅さんに長らく住んで
子どもたちもあちこち独立したんですけれど
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とうとう自分も老いさらばえて
死期が近いことを悟ったんですね
どうしても見たかったのがやっぱり
神宮皇后と一緒に乗った御座船だったんです
馬にはもう乗れなかったと
そこで三越に乗ってですね
そして大禅寺まで降りてくるわけです
そして御座船をやっぱり調べたんですね
覆いをしていたのをのけさせたと
そこに棚があるいは道具があったわけです
それを灰津崎というところで燃やさせたという風な記録があります
棚というのが鹿野島の地名に棚の浜というのがありますね
それと関係あるんですね
鹿野島の棚の浜という地名の由来が
神宮皇后が御座船に乗って
そして棚を作ってほしいと言われて
急遽作った場所が棚の浜なんですよ
それでフェリーが今は発着するところ
あそこなんです
真っ直ぐ行けば鹿海神社に行けますよね
そこで作らせた棚に神宮皇后は神様をお祭りしたかったわけですね
それで特に津島を出た時に嵐が起きて
そして3つの棚を並べて
そして和田積みの参神をお祭りして
お供え物を流しますね
それが御庭に出てきたという
その棚なんです
それを見て燃やさせたと
そしてその後にまた神宮皇后をお祭りさせたというわけですね
記録に書かれているのは
菓子浅妻と書いてあるんですけれど
それは甲羅山のふもとに
馬清泉神社というのがありますね
今も泉がこんこんと湧いてますけど
そこが忠愛天皇と神宮皇后の滞在地だったんですね
それで後に神宮皇后をお祭りするようになっていたわけです
それで磯羅はそこの神様をまた分けて
そして大禅寺に祀らせたということです
そしてついに亡くなったわけなんですけれど
そのお墓というのが2つあるんですね
一つが風呂具
駐車場のところに磯羅丸神社がありますけれど
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その横にドルメ石ですね
2メーターぐらいの巨大な平べったい石
それが一つですね
もう一つは大禅寺の近くに甲羅五秒塚というのがあって
小さな塩封なんですけどね
そこに甲羅玉垂れの御事のお墓って伝わってるんですね
そのお墓というのが柿柄がいっぱい置かれてるんですよ
普通なら石を置くところを柿柄をひっくり返して
真っ白な部分を外にしてずっと並べてあった
だから昔は真っ白なお墓だったというようなことです
それで思い出すのが磯羅丸という言葉が
シリウス聖という意味だったということですね
そのお墓もシリウス聖というその輝きをですね
伝えるために参拝する人たちが
柿柄を持ってはお供えした跡だと考えられるわけです
この安住の磯羅の安住族と関係の深い島といいますと鹿之島
そして摘み石塚の古墳で知られる藍之島もそうです
藍之島にはこんな神社もありました
和神谷神社の一つありますね
そうですね
港に着くとすぐ左手にありますけど
ここの神様が豊玉姫と玉より姫なんですね
出てきましたね
和達美の神の二人の姫神です
ということからもう安住族の島ということになります
ここでお伺いしたのはですね
廃殿の右手に井戸があるんですね
今は石碑が建ってますけれど
昔そこに井戸があったと
その後ろに柚柿の木というのがあるんですけれど
ちょっとシュンシュンと伸びた不思議な形をした木ですけれど
ここにですね
昔菓子のところから男の人が来て登っとったっていうんですよ
それでここに住んでいたのが豊玉姫で
そして二人が出会ったという
ということはそこは流宮城じゃないですか
流宮城のことを和達美のいろこの宮って言うんですね
和達美の神の瓦吹きがされていた
当時のすごく立派な宮だったと
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そこに豊玉姫がいたわけなんですね
それで神話の方では山崎彦が吊り針をなくして
そして和達美流宮城に探しに行きますね
そして豊玉姫と出会って結婚して
3年したら帰らなきゃいけないって言って
それで調べたら
鯛の喉に吊り針が引っかかっていたと
それを持って戻っていったと
その時に和達美の神が柑橘と饅頭を授けるんですよね
そういう話が完全な神話かと思っていたら
なんと愛の島がその舞台だったというわけです
そして津島の方にも二人が一緒に住んだという話が伝わってるんですね
ですからこの山崎彦と
それから海の和美俗との出会いが
そんなふうに神話化されて書かれていたということです
お話を神宮恒豪伝書を歩くの著者綾杉留菜さんに伺いました
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島梨恵さんです
こんばんは
甲羅山巡りのお土産に良きもの見つけました
お菓子なんですけど
その名は甲羅山
作ってるのが西鉄久留米駅東口に出て本当に真正面にある
水月堂定商庵というお菓子屋さんなんです
お水に月に堂ですね
七味に匠に庵って書きます
ここね創業が明治12年なんですよ
1879年だから145年の歴史
5代目のご主人江藤昭一さんが迎えてくれたんですが
作った甲羅山焼きまんじゅうなんてせっかくなんで食べちゃいましょうか
現物が袋が目の前に緑色の鮮やかなパッケージ
素朴なまるでパッと見椎茸のような感じに見えますね
大振りの椎茸に似てると直径が5cmくらいで高さ1cmくらいあるんですよね
いい香りです
中のあんがこの小豆の
お茶欲しくなりますね
美味しいお茶飲みたくなるようなその味なんですよね
ソフトな味わいでいいですね
あんは北海道小豆なんですけど砂糖と水飴使ってるんで
ちょっと抜けのいい感じの甘さなんですね
香りがいい
皮の香りはカステラ生地なんですって
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明治の終わりから大正ぐらい
おじいさん2代目が作ったお菓子って言うから
結構昔に作られてるんですけど
ハイカラだと思いません?
焼き色が褐色の優しい色合いで
そうなんですよ
昔とちょっと変わったところもあると江藤さんおっしゃいます
昔はデコボコやったんですよ
デコボコになってたってお菓子が
お菓子が?
はい
ちょっと待って
綺麗じゃないんですよ
山焼け綺麗じゃいかんっていうことで
作る方はほとんど変わらないんですよ
作り方自体はですね
生地は昔とちょっと違ってたんです
私がまたちょっと変えたんです
昔は表面の生地がちょっとデコボコして山っぽかった
今は割とつるっとした感じで
それでも焼き色がすごく素朴な感じがして
いいお菓子なんですよ
この甲羅山もいいんですが
実はこの水月堂邸昭和の一番売れてる商品がありまして
もう1個ご紹介したいんですけど
塩屋の娘っていうお菓子なんです
これあんを牛皮で包んで
ふやきせんべいで挟んでるっていうお菓子なんですね
なかなか効かないですよね
珍しいんじゃないですかって言ったら
やっぱり江藤さんもそうおっしゃいました
そうですね全国的にもあんまりないですもんねこれはですね
特に東京の方は大好きです
東京人に何が受けてるんや
なんでしょうかね
言われもずっと東京関係してるんですけど
実は塩屋っていうのはお塩売ってるところじゃなくて
昔明治時代にくるめにあった旅館
寮邸旅館だったんですって
廃藩地権の時に東京からお偉い役人さんたちが出張してきて
この塩屋でお接待が行われました
お手伝いに来ていたお大さんっていう
すっごい綺麗なお嬢さんがいて
みんなのお気に入りで
役人さんみんな東京に帰っても
いやぁくるめの塩屋の娘は綺麗だこれ
って言って
懐かしいんでみんなで歌を歌ってたんです
のやぶしを
それが日本橋の芸者さんたちの間で流行って
回り回ってくるめに流行り歌が伝わってきたと
じゃあお菓子作らなきゃってことになったそうなんですよ
そのお菓子どうぞ召し上がり
これね三味一体っていうか
一口で大きくね
中のあんもん全部一口で
見た目が意外でした
2つのふやきせんべいでバッと
だからもう立てるとH型に
中で潰れたね
あんこ部分がね
いただきます
大きいですね分厚いですね
ちょっと喋れません
ふやきせんべいがね水分含有量がいいというか
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持っていくんですよね
これはやっぱ一口でバクッといって
口の中でこう
ハーモニーを楽しむお菓子ですね
初めてですねこんなお菓子は
食べたことないでしょう
塩屋の娘本当に驚きなんですけどね
これあの中のあんがあんだけじゃなくて
牛皮が入ってるっていうのが
やっぱりねうま味というか
歯触りもねちょっと粘り気のようなものがあって
いいですね
あんもさっきの甲羅山とは違って
黒砂糖にちょっと塩が混ぜてあるらしくて
塩屋の娘だから塩を入れないわけにはいかないと
ご主人おっしゃってました
西鉄久留米駅東口で
すぐです水月堂提唱案で
おいしい甲羅山そして塩屋の娘に出会ってください
中島リエさんでした
番組からのお知らせです
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