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古代の福岡を歩くシーズン9 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン9 この番組は
三山市の企画協賛 餃子の山鉢
道の駅村方 草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたします
こんばんは坂田集大です 太宰府の特別史跡水城跡を歩いています
西門跡にやってきました ご案内を古都太宰府保存協会の学芸員田中健一さんにお願いしています
一緒に歩くのはこの番組の津川ディレクターです
国家が建設しました現在国道 高速道路に近いようなものなんですけども直線的におよそ幅が10メートル前後ぐらいの道筋がまっすぐにですね
要所要所を結ぶように直線的につなげられておりました こちらの西門の方につながっていた道路がどこと結ばれていたかといいますと
実は北側は現在福岡城がありますかつてあの平和大球場がありました あとから見つかりました航路館
このがいわゆる太宰府の外交機関の出先機関も最前線ですね 港に近いところにありましたこの外国施設が滞在して受付などをする航路館
ここからですね一直線にまっすぐとこの水城の西門へ向かって道路が伸びていたようなんです
はい 航路館から西門へとまっすぐ道が伸びていたとここへつながってたということですけども
ここから先はどういうふうにつながってたかっていうのは2年前にね 原田さんのご案内で太宰府西庁まで歩きましたからね
この水城西門から2021年ですかね 半年前のあのこちらの番組の方でご紹介させていただきましたけどもこの水城西門を過ぎますと二日市の方にまっすぐ伸びていきまして
そして二キロ四方に渡る太宰府のちょうど南側からですね おそらく表門でありますラジオ門があったんじゃないかなと思われるところから南からぐるっと迂回しまして太宰府の方に入ってくるという
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まさに表玄関に通じる道 外国施設がメインで通ってた道というふうに考えられている場所でございます
そういう道路がこの西門からずっと続いているというその出発点がここだったということですよね
太宰府西庁への出発だ
ちょうどもう太宰府への入り口と言っていいのかもしれませんね
この正面玄関でありました西門なんですけども実は発掘調査が福岡県などをはじめとして大野女医さんなどで行われてまして
実は当然現在はその遺構が残ってないんですがどうやら門の時期ですね3つの時期に分かれていろいろ形が変わっていたというのが発掘調査でわかっております
一番最初は先ほども申し上げました白村江の戦いなどが663年にありまして水城が664年に作られるわけなんですけども
その作られた当時というのはおよそホタテ柱の建物でございまして
歌舞伎門的な簡素な門であったということが考えられております
その時の幅の方は4.2メートルぐらいの間口で狭い要は防衛しないといけないですかね
間口が広いとそれだけ守るのが大変ですので発掘調査をしていますと4.2メートルちょうど今の通っている道路ぐらいの幅かもしれませんね
ちょうど今通っていたところですねちょうど西門抜けている道ぐらいの幅このぐらいの間口だったそうなんですね
あんまり広くないですよね
そうですね守りやすいようにというところが重視されたみたいですね
ところがこの7世紀後半頃の狭い門からですねその後少し経ちまして8世紀の前半になってきますと
今度は瓦を使った組織の建物に門が変わりまして八脚門と言いまして立派な造りに変わってくるんですね
その時代になりますと今度間口が倍以上の10メートルほどに広がっているのが確認されたそうなんです
これは何でかと言いますと今度は門の役割がですねそれまではやはりそれが今度変わりまして外国施設を迎え入れるということで
艦隊するようなお客様を迎え入れる門へ変わっていったということですね
はいなので幅が広い立派な門に変わっていったと
その後9世紀になりますと同じ組織の建物なんですが楼門式になって少し高くなったんじゃないかと
2階建てのものになったような感じなんですけども
そういった時代に合わせて防衛だったりあるいは外交だったりそういうのに合わせて実はこの西門も作り変えられていたということが分かっております
そういった西門はいろんな歴史を経てここにあったんですね
この西門にですね使われていたんじゃないかなと言われます
門の組織というのが実はこの南側に残ってますので
そこともう一つご紹介してちょっと南側も合わせてご紹介したいと思います
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ではここ西門へはですねJRの水木という駅からですね
歩いて10分ぐらいで来れますよね
そうですね駅が大変近い場所にありますので
そしてこの門を出まして今ちょうど出たぐらいのところですね
ここに書籍があったということですか
はいこれでですねまだまだちょっと検討の課題は残っているんですけども
この西門で使われていたんじゃないかなという書籍が実は西門の方を少し太宰府市側に向けますと
およそ50メートルほどでしょうか
左側のこちらの方に道路の脇の高台の方にちょっと
大きな石がありますね幅そうですね1メーターぐらい
縦が大きいですねこれは2メーターちょっとありますかね
ちょうど西門からですね太宰府側に行きますと大きな石がありまして
これが西門の門の支える扉の土台となっていた石ではないかという風に言われていまして
まだまだ構造とかですね検討の余地があるんですけれども
まさに西門の立派な門は先ほどご紹介した様々な門の土台となっていた石が残っていますので
合わせてご覧になっていただきたいと思います
底辺の部分だと思いますが丸い直径10センチぐらいの穴が開いてますね
そしてその横に縦長の穴ですけどもこれは柱を立てるための穴でしょうかね
そういう穴の跡があります穴があります
ということでせっかくですね水木の西門の南側太宰府側に来たんでですね
こちらからちょっと振り返ってだと西門水木の土台がさらに続いていってるんですけども
この西門の東部分ですねすぐ門に隣接したところからは
実はですね12世紀の胸塚も見つかっているわけなんです
もともとの防衛施設ですけども12世紀頃には胸塚として利用もされていたそうなんですね
ここの土塁の上からですね胸塚の方が3つ見つかっておりまして
うち一つはですね洞窟にもあってなくて埋葬品なんかもきちっと出てきたそうでして
精銅製の胸塚をはじめとしましてその装飾具ですね
金属とかガラス製品担当なんかも出てきておりまして
今まで保養施設であったりお寺であったりって言うんですけど
12世紀にはいわゆる信仰の中で胸塚を作るような場所
そういう場所としても水木は用いられていたということで
1300年の歴史の移り変わりを知る中でそういう歴史の跡も実は水木跡も残っておりますので
ぜひ知っていただければなと思います
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いろんな歴史を持ってますね
もうここまでほんのわずかしか来てないんですが
いろんな歴史が埋まっているという感じがしますね
1350年の間にいろんなことがぎっしり集まっている
それが水木跡特別史跡水木跡ということで
いろいろな面で皆さん知ってまた楽しんでいただきたいなと思っております
今西門に来てます
この西門からさらにいろんな歴史が現れるんじゃないかと思います
歩きます
いやーほんといろんな歴史を持ってますね
クワを一つ入れるとそこからこんな歴史が
もうちょっと入れるとこんな歴史がいろいろ出てきますね
本当にいろんなところこぼれ落ちてくるようにさまざまな威力が詰まっているのが水木跡ですので
ご紹介しました西門から
実はちょっと70メートルほどところで発掘調査がかつて行われました
ちょっとそこのあたりをご紹介してみたいと思います
水木の西門から今東門の方へ向かって
奴隷に沿って歩いてます
津川さんと西門の方からだいたい5、60メートル歩いてきましたけども
実はこちら西門から東の方に向かって
ちょうど鹿児島本線とかですね
東に向かって70メートルほどのところで
水木本体の発掘調査が行われまして
実は木碑がつけられていた跡じゃないかなという場所が見つかりました
そうですか
この木碑と言いますのが何ぞやとなりますと
実は冒頭からお話ししてますように
水木には堀があったと考えられておりまして
それが外側と内側あったわけなんですけども
この内側から外側へ向けて
要は水木の地面の奥下に入ってます水道管
洞水管みたいなことを木碑と呼んでいるわけでございます
こちらはいわゆる木でできた管ですね
その木碑を通じてどうも内側の堀から
外側の堀に水を送り出して供給してたんじゃないかな
というふうに今考えられているわけでございます
こちらの木碑跡なんですけども
この大きい水木跡は今まで4箇所ほど確認をされていまして
水木そのものが見つかったというのは
一番東側この後ご紹介していく場所になるんですけども
実はこの西門から70メートルのところ
さらに120メートル東のところでは
その後木碑の本体は残ってなかったんですけども
どうもここに木碑が設置されていたようだという跡が
実はこの西門の側で70メートル
そしてそこからさらに120メートル東のところ
2箇所で確認をされております
こうなりますとそこに埋まってた木碑は
じゃあどこに行ったのかというのが
皆さん気になると思うんですね
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これ実は江戸時代の記録によりますと
実は江戸時代に宿前の国
植布土器という地種類が変産されてまして
実はそれに出てくるんですね
実は1612年西暦列祖1699年に
この水城の側の田んぼを掘った際に
実は大木が2つ掘り出てきたということが書いてあるんですね
これはおそらくこの木碑が
埋まってた木碑が見つかったんだろうということで
そういう形で水城の周辺の開墾などに伴って
実は木碑が掘り出されて
抜き取られてしまったというのもあるようなんですね
この木碑なんですけども
実は現在は九州歴史養館さん
あるいは九州国立博物館さんなどに
その木碑の実物が展示してございます
あとは実は太宰府市内にも
実はそういう愉快の品がたくさんございまして
例えばこの水城の木碑を使ったと伝えられているものが
例えば畜前国文寺の後に畜前国文密寺さんという
現在お寺がありますけれども
実はその御本堂に掲げられている変額ですね
国文密寺と書かれている本
その変額も実はこの水切られた木碑を使っている
というふうに言われております
あるいは完全恩寺
大変太宰府を代表する天地天皇が
埼明天皇の母代を弔うために根拠された
まさに古代寺院なんですけども
実はこの完全恩寺にあります
天地院というお茶室があるんですけども
そのお茶室のついたてでありましたり
あるいは天井の具材にも実はこの木碑が使われているそうなんですね
その他にも実は地元の中学校
学業院中学校なんかにも実はその木碑が保管されているということでして
まさにこの1350年たった水城の木碑というのは
やはり当時の人にとってもこれは大変貴重なものだということで
そういったことに大切に
現在ですと文化財保護法に引っ掛かってしまうんですけれども
当時戦前だったり明治大正の時代というのは
人々がですねその貴重な木材をぜひこう自分たちで活用して
大切に守り受け継いでいこうということで
実は太宰府市内のいろんなところに木碑が今も形を変えて残っているというところでございます
いろんなところに木碑が残っているというお話でした
そしてしばらく歩いて踏切を越えてJR水城駅まで歩きますと
どるい断面広場という公園がありました
ここが特別施設水城屋とどるい断面広場というところですね
今回ご紹介してますように664年に使えた水城
当時もちろんJRも走っておりませんので
本来であればどるいは延々とつながっていたわけなんですね
ところがやはり明治に入りまして
明治22年に博多と久留米を結びます
当時の九州鉄道が開通しましたので
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その時は単線で線路が1本で開通しまして
その時にやはり近代国会の進化を発展しないといけないということで
残念ながらこの水城はその一部分が削り取られてしまって
今のJRが通ったわけなんですけれども
実はその後今度は複線化工事が行われました
線路が単線だったのが輸送力増強のために2本目が引かれたわけなんですけども
さらに水城などが削られてしまったわけなんですね
実はその時1913年に複線化工事が行われて水城がさらに削られてしまったんですけども
実はその時にスケッチをした方がいらっしゃいまして
当時東京帝国大学に黒板勝美先生という大変歴史の先生がいらっしゃったんですが
その先生が水城が削られるということで視察に来られまして
実は先生に随行して美術学校の卒業生で絵が上手い方が随行されていたそうなんです
その時に当時削られている水城の断面をスケッチされまして
それが貴重な当時の記録として今は現在も水城の断面がどうであったか
手がかりの一つになっているわけなんですね
さらにこの水城跡なんですけれどもさらに調査をしようということで
平成27年か29年にかけて調査を行いまして
現在の発掘技術でどのような形かというと正確な技術で発掘調査を行いました
この土類の断面ですね
この水城なんですけども2つ大きな築造技術がございまして
1つがこれから見てます半築というものでございます
半築と言いますか分かりやすく言いますと
種類の違う砂を例えば10センチ程度ずつ重ねて突き固めて
交互に引いていくことによって強固な地盤を固さを保たせるという工法でございまして
水城は非常に大変手間がかかるんですが
砂を引いて10センチ引いた粘土を引いてという形で突き固めていますので
1350年今も形を保っているわけでございます
それが半築という技術でございます
この半築断面ですね
バッサリ例えば土を横に切りますと今出たケーキのミルフィーユのように
小層が見えるわけなんですね
この場所ちょうど断面になってますので調査した時に綺麗に見ました
やはり綺麗に層が重なった層が見えているわけでございます
ミルフィーユが見えるという
その断層ですね見つかった断層
せっかくなので皆さんに見ていただきたいと
ただ生の斜面をそのまま露出ということは難しいので
その出てきた土の様相を陶器の板で再現したものを
この広場に展示してありますので
実際に触ることができますので
是非津川さんと一緒に見ていただければと思います
もう一つお話を
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今半築というお話があったんですが
もう一つの技術が
もう一つが今度は半築が地面から上ですね
重ねていく技術ですけれども
四季蘇打の場合は
四季蘇打という工法
蘇打樹木の木や葉ですね
そういったものを地面の下に埋めて
この水木真ん中に三笠川が通ってます
どうしても水掃けがなかなか厳しくて
地盤が厳しいものですので
まず水木を作る前にですね
その緩い地盤の上に
この木の枝なんかを敷き詰めまして
その上に地盤を整えまして
土を積み重ねていくという
この一番下に木々を敷いて
地盤を固める方法を四季蘇打工法というふうに
言っております
半築という技術と四季蘇打という技術を合わせて
この土壌を作っていたと
そうなんですね
先に四季蘇打のお話からしますと
たくさんの植物の葉っぱが使われているんですけれども
だいたい調査で地面の下を掘りますと
確認された種類が現在のところ
だいたいおよそ30種類ほど
32種類ぐらい確認されたそうなんですね
その中にはいろいろ
例えばタブの木とかムクの木とか
今でも知られている植物が多いんですけれども
その一つにアワブキという樹木もありまして
この土類断面広場
せっかく整備するのであれば
何かそういった水木に関連する植物を
ご覧いただこうということで
それで実は土類断面広場のそばに植えられているのが
実はそのアワブキという樹木なんですね
今すぐ横にありますね
木としては小さい木ですけどもね
1メーター半か2メーターぐらい小さい木ですね
これがアワブキ
この木がこういった木々がですね
水木の一番底に使われていたということが
実物を見ていただこうということで
この公園を整備した際に
地元の方たちが植樹されて
これからどんどん大きくなって
枝振りもよくなると思うんですけども
実はこの土類断面広場にある樹木は
由来する色相談に使われていた樹木が植えられているということで
そこもぜひご覧になっていただきたいと思います
そういうことも気をつけて見てください
それでは半築工法の再現したところを
ぜひご覧になっていただきたいと思います
ここが土類の断面図ですね
これが2メーターちょっとありますね
ちょうど水木の土類断面広場の中央に
斜面に向かって広く開いたとこがあるんですが
ここが陶器の板で再現した半築工法を
触れるという場所に
よくわかりますね
これが
実際に触っていただくと
実はのっぺりしているんですけど
ちゃんと土の断面の凹凸も綺麗にザラザラとした
手触りが再現されております
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ぜひ土類断面広場
水木で散策に訪れた際は
ご覧になっていただきたいと思います
今週は太宰府の水木を歩きました
ご案内を
こと太宰府保存協会の学芸員
田中健一さんにお願いしました
一緒に歩いたのは
この番組の津川ディレクターでした
来週も水木を歩きます
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島理恵さんです
こんばんは
今日は室方エリアで
季節ごとに行われてます
室方地魚茶漬け祭り
知ってます
季節ごとにいろんな地魚を
いろんなお店が提供するんですよね
その通りです
本当に好きなんですね
さかたさん
おいしいですよね
この冬は缶ぶりです
缶ぶり
いいですね
1月15日月曜日から始まって
2月29日の木曜日
月末まで行われるんですが
室方エリアの14のお店が参加してます
この脂がのった缶ぶりのお刺身を
特製のタレに漬け込んだ
室方の郷土料理でもあるんですが
これをいろんなお店
いろんなタレで出してるんですが
道の駅室方では
冷凍パックで
お土産として提供してるんですよ
いいでしょ
これはもう解凍して乗せて
ピンポーン
簡単でいいですね
そうなんですよ
道の駅室方営業部係長の
伊東みん記者に話を聞いてきました
実は私ずっと
この茶漬けについて疑問持ってまして
タレに浸かった段階から
あの魚たちのことを
茶漬けって呼んでるんですよね
ご飯に乗せる前から茶漬けなんです
さらにお茶をかける前から茶漬けなんです
一体なぜなんでしょうか
私の母とかもそうなんですけど
魚の刺身用の切り身が余るじゃないですか
そしたら茶漬けにしとこうって言いますもんね
タレに漬けとこうじゃなくて
お茶かける前から茶漬けって言ってるのが
なんだろうこれって思ってたんですよ
そのタレに漬け込むことを
こっちの方では茶漬けって言うんですよね
私もずっとそれで育ってきてるんで
お客様に
ちょっとこれ刺身の量が多いかもしれん
みたいな感じで
これ多いですよねみたいなことを
まるで魚売ってていいじゃないですか
お客様あと刺身残ったら茶漬けにしとってください
みたいな感じで
時々ポカンってちょっと
何って感じで漬けにしとってください
みたいな感じで言い直したりするんですが
そしたらあーみたいな
やっぱりそういう風に売ってるんですね地元でね
だから多分その村方以外の人で言うと
24:00
漬けとかタレ漬けって言われるものが
村方では茶漬けってなるんですよ
この村方の茶漬けについて
さらにこんな話も聞かせてくれました
茶漬けも村方では多分
郷土料理みたいなのの中にあると思うんですが
やっぱり昔って
食べ物を保存していくのに
やっぱりいろんな知恵を
縛っていかれたんじゃないかなと思うんですよ
生の刺身だと1日だけじゃないですか
だけどそうすることでよって
また2,3日とか日持ちがしていくじゃないですか
そういった保存食としても
考えられていたのではないかなとは思うんですよ
なるほどね
基本のタレは醤油酒みりんすりごまあたりなんですが
さあこの道の駅村方のかんぶり茶漬け
パック入りで冷凍です
特徴としてはまずは大島、地の島、金崎
河野港の漁師さんたちが取ってきた
大型のかんぶり
だいたい8キロから10キロ超えると
大物ですね
そうなんです
だから油の乗りが良くて
天然の油なんでこれがしつこくない
言うならばさっぱりした油っていう感じなんです
美味しそうですね
この感じは3キロとか5キロじゃ出んのよね
って土産をしてるんです
さらにこんなポイントがあるんだそうです
うちの方は少し炙って茶漬けにつけるっていう
そうする理由があるんですか
ちょっと香ばしいのと
やっぱりちょっと炙るとひと味変わるみたいな感じ
なんですって
気になるでしょ
あとね表面に必ず塩をパーっと振るそうなんですが
道の駅の中田のかんぶり茶漬けは
1回焼いた塩を使う
塩も焼いてる
そうするといい味になるよねっておっしゃる
食べないと分かんないんですが
これね1パック100グラム入りで販売するんですよ
100グラムってちょっと多いと思いません
そうですね
こういう理由があるんですわ
最初ちょっとお茶をかけずにちょっとご飯の上に乗せて
一口二口食べていただいて
その後またそのあとはまた
余りの残ったのをご飯の上に乗せてお茶をかけて食べる
だし汁とかでもいいんですが
の狙いがあるんですよ
一袋で2度おいしいです
なるほどね存分に味わってもらおうというね
伊藤さん高級のお茶じゃなくてもいいけど
ご自身はいつも飲んでいるお茶よりちょっといいお茶
お客さん用のお茶みたいなのをかけて食べるのがすごい好きっておっしゃってて
あとまあ薬味的には基本的にはネギとかかなとおっしゃってましたが
人によって生姜を刻んだものを入れる人もいるらしくて
自分なりにいろいろ工夫して味変えて楽しめるのがいいです
胸肩地魚茶漬け祭り
27:01
カンブリ茶漬け食べ損ねないようにしてください
中島リアさんでした
番組からのお知らせです
ホームページのご案内です
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この番組は
三山市の企画共産
餃子の山端
道の駅室方
草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたしました
ご案内は坂田周大でした
地下鉄祇園駅から徒歩2分
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