1. 古代の福岡を歩く
  2. S6 16回目も太宰府を歩きま..
2021-01-17 30:30

S6 16回目も太宰府を歩きます。

古都大宰府保存協会の学芸員、田中健一さんと太宰府の伝説をさがして歩いています。

水城の東門をスタートし旧日田街道を都府楼の方へ歩いていきますと大きな鳥居が見えてきます。ここから左折すると太宰府天満宮へ行きます。

ここにかつてあったのが団子屋さん。関屋の串団子として評判の店でした。

ここから天満宮方面をみますと、わずかに見えるのが岩屋城跡。

岩屋城は九州制覇をめざす島津軍に対し太宰府を守る高橋紹運が立て籠もった場所。

そこで関屋の商人が島津勢を憎んで作ったのが串団子です。島津勢を串刺しにしてやろうという思いのこもった団子でした。これが「関屋の串団子」として評判を呼んだのでした。

その店は現在は残念ながらありませんでした
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00:08
古代の福岡を歩くS6 6遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くS6 6この番組は
三山市の企画協賛 道の駅村方
餃子の山鉢の提供でお送りいたします 1月16日からジャパンラグビートップリーグ2021が開幕
トップリーグのチームで九州にあるのは村方サニックスブルースだけ 道の駅村方は村方サニックスブルースを応援しています
太宰府の伝説を探して太宰府を歩いています 先週水城の東門跡をスタート
旧日高井堂を徒浦跡の方向へ歩いています ご案内をこと太宰府保存協会学芸員の田中健一さんにお願いしています
今週は 国分寺の交差点付近から歩きます
北海道が県道の方を跨いで通り過ぎるのが国分寺の交差点なんですけども
その国分寺の交差点からどうでしょう 30メートルですかね50メートル方に来たところの左手にですね
法満岳寺と呼ばれる場所 そしてあの稲穂寺像と呼ばれるお寺像様が祀ってあるので
そちらをちょっと北海道から少し外れますけども 立ち寄ってご覧になっていただきたいと思います
今津川さんと現地に立っておりますけども
住宅街が広がってしまってですね そのおもかげがないんですけども
実はなぜ法満岳寺というかと言いますと
当時ですねこの付近の北海道を福岡博多から歩いてきますと
ちょうどこの場所が北海道が少し地形的に沈み込む場所でして
ここに来るとずっと見えていた法満山がここの地点だけ見えなくなると
そのせいでですねここにちょっと小高い丘があったんですけども
その丘などのせいで法満山が見えなくなる
法満山がこの場所だけ隠れてしまうということで通る人
地域の人から法満岳寺というふうに呼ばれていたそうなんですね
かつてはここにですね小高い丘がございまして
その上にマンションアパートが建ってましたけども
そちらには広報法満岳寺ということで
03:03
建物の名前としてもかつてはですね残っていたんですけども
現在はご覧いただきますと住宅がここ特に広がっていますけども
その丘といいますか法満山が見えなくなっていったと
今は家で見えなくなってしまっておりますけども
かつてはそういうふうに言われていた場所でございます
その場所に建っているのは小さな祠ですね
あちらをぜひちょっと
ここに何かが祀ってあるということですね
法満岳寺に行きますと左手の方に小さい祠がございまして
そちらにですねお地蔵様が祀ってございます
地蔵菩薩と書いてますね
お地蔵様になって今ちょっと
扉を開けたところですが石の像がありますね
こちらの地元の方ではですねお地蔵様
特にお米の稲に稲に子供の子と書いています
稲子地蔵と呼ばれて親しまれているお地蔵様なんですね
これ岩が様々ございまして
一つはこの後巡ってまいります
カルカヤの関にまつわるお話があるんですが
そのカルカヤのお話に出てきます
カルカヤ道神という方の地蔵を務めている
その稲子さんがこの場で亡くなったので
地元の方が弔ってあげた
それから稲子地蔵と呼ばれたと伝わっているわけです
またもう一つはですね
こちら太宰府は法満山に山節が数多く活動していまして
ある時その法満山の山節に恋をした村の稲子という女性が
叶わぬ恋を嘆いて身を投げて
その稲子を弔うためにですね
地元の方が混入したというようなお話も伝わっております
江戸時代になりますとその稲の子
稲子稲子がですね
稲作などを食べ合わせば稲子にも通じてきますので
稲子よけの神様としても祀られるようになったそうなんですね
様々な言われを持つ伝承なんですけども
この地域にまつわるお地蔵様ということで
現在も地域の方がきれいにですね
お花を受けて大切に祀ってらっしゃる場所ということになります
悲劇でもあるんですよね稲子さんが
そうですねやはり恋をしたり
情受できなかったと
それを儚いで身を投げてしまったので
地域の方がそれを弔ってあげたというのは
お話も伝わっているそうですね
恋愛にまつわるお地蔵様ということで
古老の方によりますと
地域の娘さんに縁談が来た時は
こちらにお参りをしてその縁談を占うということも
されていたそうなんですね
まさにそういう恋愛とかにまつわる由来があるので
そういった信仰もあったそうなんですね
そうですか
だいたい1メートルくらいの
人をかたどったかなというような感じの地蔵さんですね
06:01
ということで大満岳寺と稲子地蔵はこちらですね
ではまた北海道に戻りまして
続いてどの南の方
太宰府を目指していきたいと思います
大満岳寺それに稲子地蔵の話を聞いた後
今度はまた旧北海道の方へ戻りました
そして新井田市という交差点にやってきました
旧海道を歩いてきましたけど
ちょうどですね
3号線バイパスでした
新井田市交差点のそばまでやってきました
こちらのあたりにですね
かつて明治時代まで
関谷のつなぎだごというお団子
名物団子を出すお店があったそうなんですね
つなぎだご
これ何かといいますと
竹串にですね
大きなお餅を
ブスリと何個か四五五
突き刺したお団子なんですけども
地元のそこのお菓子屋さんの方がですね
高橋上雲を尊敬しておられまして
戦国時代高橋上雲というのは
太宰府市にある岩屋城でですね
天称十四年に始末勢に
一歩も引かずにですね
玉砕をされる戦国の花ともいわれる
知る人ぞ知る
大変勇猛な戦国武将なんですが
その高橋上雲をもって
その丸いお団子をですね
敵である島津の兵隊に見立て
それをブスリと竹串で刺して
そしてここに通る街道の人たちにですね
関谷のつなぎだごということで
ご提供されていたそうなんですね
そうですか
明治の頃大変この辺りをまだ通る方も
たくさんいらっしゃったので
大変名物団子として本気を博したそうなんですね
その後お出ししてましたお菓子屋さんが
廃業されてしまったので
現在はそのレシピもですね
その写真も残ってないんですけれども
ダザイフならではのお団子ということで
旅旧海道行き交う人たちに
腹餅といいますか
腹ごしらえの一つとして
そういうダザイフであった歴史に
忍ぶお団子を出されていたそうなんです
そうですか
つなぎだご
どうかどなたかね
どなたかご存知の方がいらっしゃれば
現在となりますとあんこだったのか
みたらしだったのかというのもわからないんですけども
ちょうどこの場所から見ますと
ちょうど塩尻山ですね
岩屋城も実はきれいに見える場所で
ちょうどあちらの
桜が咲きますときれいなんですけど
ちょうど塩尻山の右端の方に
岩屋城の跡が見えてますので
そういった場所もですね
由来してそういう有名なお団子が
あったそうです
こっから見えるんですね
ぜひどなたか開発してほしいですね
そしてラザイフ名物に
伝統の味をね
つないでほしいと
いうふうに思いますね
つなぎだごですね
かつてはこの新井梨の交差点を過ぎまして
09:00
次の徳郎前駅
あの辺りにかけての
この旧街道沿いは
旧水木村の中心地でありまして
水木村だったところは
薬場であったり
消防関係であったり
公共施設が立ち並んでいた場所なんですね
そうですか
現在は当時はダザイフ町と合併しました
今現在ダザイフ市となって
市役所などは移転しましたけれども
明治・大正・昭和と
水木村・水木町だった頃の
中心地がこの一帯となることなんですね
少し移り変わってますけど
そういう面影を感じるのは
そういった歴史的なことも
関係しているかなと思います
昔の家の形になって
残っているところですね
そしてここがカルカヤの石跡
昔と比べてずいぶん標識が
切り替わりましたね
旧街道をずっと歩いてきまして
あらゆる車庫線で寄せますと
しばらく歩いて
右手側に見えてきますが
カルカヤの石跡というのは
大きく固まれた石跡になります
石柱が立っているんですけど
この石柱の大きいこと
3メーターないかな
縦がですね
横が1メーターぐらいありますね
そこにカルカヤの石跡と
彫ってあります
カルカヤの石といいますと
カルカヤ道神と石戸丸のお話が
有名でして
ジョールディであったり
歌舞伎であったり
農の舞台とか
農のテーマとか
題材にもなっていたりして
ご存知の方も多いかなと思うんですけど
そのカルカヤのお話の
中心となりました
加藤重宇寺が
石盛りとしていた場所
その石がカルカヤの石ということで
太宰府市の入口にあたる場所になったということで
記念してその石が建てられています
カルカヤ道神のお話を
簡単に概略を申しますと
ここの太宰府にありました
カルカヤの石の石盛りであった
加藤重宇寺が
花見の席で
桜が散ったことに
無情を感じまして
子供を宿した妻と娘を
残して小屋さんの方に出家をされて
しまうと
残されました奥様と
誕生しました石戸丸
この親子が
小屋さんを
訪ねるわけなんですけども
小屋さんは女人禁制でございますので
会うことができずに
お母さん母は
そちらで亡くなってしまうと
お子さんも
父に会うことができずに
その後暮らすわけなんですけども
再び小屋さんを訪れまして
修行のために
小屋さんに向かうんですけども
実のお父さんと
知らずに
加藤重宇寺に
弟子入りをして
修行を重ねると
12:02
実の親子なんだけれども
お互いにそれをお父さんは伝えずに
息子は知らずに
小屋さんで修行を重ねるという
最終的には
カルカヤ同心
加藤重宇寺も
石戸丸も
お互いの親
知らずにというか名乗らずに
亡くなってしまうという
名乗らずに亡くなってしまう
まさに実の親子なんだけれども
でもそこに名乗らない
お互いの思いやる心情であったり
悲しみであったり
そういったものが古くから
物語の題材として好まれて
ゆかりの地各地に残っていますけど
その総本山といいますか
元となる中心となる
場所がこのカルカヤの石という
跡になっております
石戸丸もかわいそうですね
なかなか
悲哀に満ちたお話だと思いますね
そういったところだそうです
カルカヤの石跡
その後ろ側は
三号線のバイパス
その後ろ側に西鉄の電車が走っていますね
かつて昭和の早い時期は
西鉄電車からここにありました
塚といいますか
木が立てて分かっていたそうなんですが
現在はちょっと開発が進んでしまって
合間になってしまったんですが
現在はパンフレットなどを作っておりますが
ダザイフ市の市民さんということで
地域の皆さんが大切に
この場所を伝え守っていこうということで
活動されています
ぜひそういった物語の舞台となった
こちらのカルカヤの石もぜひ
散策していただければと思います
ここはもう徒歩路跡の
電車の駅から近い
そうですねもうすぐ
西鉄の徒歩路前駅から歩いても
5分10分かからないぐらいの距離にありますので
ダザイフ成長跡
坂本八幡宮へ行く際は
少しこちらに立ち寄られて
ご覧になっていただければと思います
カルカヤの石跡でした
名物の団子
石矢のつなぎだご
面白い名前の団子が
売っていたんですね
レシピが分かれば
ぜひ復活していただきたいものです
カルカヤの石跡を過ぎ
しばらく歩きますと
大きな石の鳥居が
見えてきました
ずっと津川さんと
北海道を歩いてきましたけども
西鉄の徒歩路前駅の
近くまで来ますと
大きな石鳥居が見えてまいります
大きな鳥居がありますね
この鳥居なぜこの場所にあるかと言いますと
実は津川さんと歩いてきました
北海道はこの
鳥居の手前で曲がってですね
川を渡ってそれから
二日市の方そして北の方へと向かうんですね
そしてこの鳥居に向かって
くぐっていきます道が
ここから太宰府天満宮への産経道
西府への道が始まる
ということで
あの大きな鳥居は江戸時代の福岡藩主の
黒田成宏がですね
15:00
1862年に帰信して
ものでして
当時福岡の方から
太宰府天満宮へお参りしに来た方はですね
この鳥居が目印となりまして
これをくぐると言うよ
太宰府天満宮に入っていくんだなと
太宰府天満宮への産経道だなということで
一つ大きなシンボルとなった
場所なんですね
かつてから昔から
多くの旅人がここを行き来してましたので
関谷の場所まで来ていただきますと
大きな石灯籠
そして
行き交う人が身を清めてました
お塩を乗せたもお塩居
そして奥の方に
古いお岩け石が二つですね
お岩け石があるんですか
へー
これですか
お岩け石
これより東
太宰府ということでですね
ちょうどこの分岐点に立っておりまして
ちょうどまっすぐが
太宰府前の道そして北海道の道という
分岐にですね当たる場所になっております
この鳥居をくぐって
まっすぐ行きますと左手に
徒歩路が見えてくると
いうことですよね
そうですね駅前からこの鳥居をくぐって
進んでいきますと徒歩路はあと
そして今話題の坂本八幡なども
ありますので
この密接の徒歩路前駅で降りていただいて
ぜひ昔の人もたどった
太宰府前の道を歩きながら
太宰府を訪れていただくのも楽しみのではないかと
思います
関谷の大鳥居
これは目印ですね
古都太宰府保存協会学芸員の
田中健一さんのご案内で
太宰府の伝説を探して
歩いています
徒歩路を
後を過ぎて今度は
観世音寺にやってきました
観世音寺に
入ってきました
やっぱりここへ来ますと雰囲気がガラリと
変わりますね
そうですね太宰府を代表する
古札の観世音寺
天地天皇がお母様の
埼玉天皇の御代を伴うために
発願されたお寺ですけれども
まさにですね1000年以上経っても
本当に太宰府の歴史や文化を
感じさせてくれる
本当に落ち着いた境内となっています
落ち着いた雰囲気がね
観世音寺に
お越しいただくと山道がですね
南の方から正面にずっと続いておりますけれども
その山道に
過ぎましたちょうど中ほどの
辺りになると思います
こちらですね道の両脇に
かつてあった南門の祖跡があるんですね
これ祖跡ですか
1メートルぐらいの石が
看板の方は南大門があったということで
まさに王子ここに
観世音寺の正面の
入り口となる南門がですね
立派にそびえていたわけなんですけれども
ちょっとせっかく津川さんと
伝説の旅をご紹介していますので
こちらにちなむですね
伝説をご紹介したいなと思います
では
この小札の観世音寺なんですけれども
様々な方が訪れているんですけれども
その中のお一人に
皆様千円札で
お馴染みの夏目漱石
18:01
夏目漱石も
実は熊本の方に赴任して
学校の方で教鞭を取って赴任されていましたけれども
その時にですね
明治29年に奥様と
結婚をされまして
その年に九州内を各地を
旅行されている記録が残っていらっしゃるんですね
その際に実は
ここ太宰府も夏目漱石さんは
お越しになっていただいて
観世音寺も訪れていらっしゃるんですね
実はその
読んだ句が残っておりまして
ここまであるんですね
振りけりな東風の楽
秋の風
という句をですね
夏目漱石が観世音寺に来て
観世音寺の秋を
読んだ歌を残しています
そういうイメージなんですね
実は
東風の楽という風に
漱石は読んでいるんですけれども
実はこれ何かといいますと
今菅川さんと立っています
南大門にかつて掲げてあった
観世音寺と書かれた楽
その楽を書いたのが
実は書家として有名な
尾野の東風という風に
伝えられているんですね
尾野の東風
尾野の東風書いた楽が
かつて掲げていた
という故事を踏まえて
夏目漱石はそういう歌を
読んでいらっしゃると
尾野の東風が書いたと
伝わる観世音寺の
時号楽なんですけれども
現在は境内にあります
宝像の方に展示をされていますので
ぜひ観世音寺を訪れていただいたら
境内の散策とともに
夏目漱石も
汲んだその東風の楽
ぜひ宝像の方に
お越しいただいてご覧になっていただければ
と思います
尾野の東風の東風
こっち深川の東風じゃなくて
尾野の東風の道の風でございますね
そういう伝書が残っているところを
そういうお話が
逸話がある難題も過ぎますと
正面に江戸
観世音寺の建物が見えてまいります
正面にね
本当に堂々とした建物ですね
そうですね
山道の周辺が
木々に覆われてまして
その奥に江戸の建物が綺麗に
見えているというのは
まさしく古札の雰囲気がですね
醸し出されている風景です
観世音寺の
境内の方にやってまいりますと
正面に見えてますのが
高堂でございまして
そして高堂に向かって
左側にあるのが近道
いずれも江戸時代に
両方建てられた建築物で
大変観世音寺の歴史を
伝えてくれるすごいですね
雰囲気のある建物となっております
この境内に来まして
高堂そして
左手には近道が見えるんですけども
この境内でですね
もう一つ今日ご覧になっていただきたいのが
右手にありますですね
清水岐碑という小さな石碑なんですけども
これがこの後行きます
高防水などにも関連していきますので
21:00
そんなのあるんですか
ちょっと片隅にあります石碑がですね
小さい石碑がありますね
こちらですね
もうご存知の人なかなか
見落としてしまうような場所にあるんですけども
実はこれ江戸時代に混流されたものでして
観世音寺の参号が
清水山
いわゆる清水と書くんですけども
その由来をですね
書いた石碑になるんですね
そうですか
清水の御寺という形で
皆さんよくご存知の
源氏物語にもですね
そういう形で観世音寺が出てきております
清水の御寺お寺
ということでですね出てきてまして
まさにその平安時代頃から
知られたお寺なんですけども
その清水山
この後行きます高防水など
大変綺麗な湧き水
井戸があったことが
参号の由来と言われておりまして
そういったところの
由来等をですね
観世音寺の歴史を伝えるために
こちら混流された石碑が
1メートルぐらいの古い石碑ですね
観世音寺の参号が
清い水
清水山という
由来を書いた石碑でした
来週は
その由来となった清らかな水のある場所を
訪ねます
ご案内はこと太宰府保存協会
学芸員の田中健一さんでした
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島理恵さんです
こんばんは
令和の元号のゆかりの地でもある
太宰府なんですが
ここで万葉の香りを
再現している
という人たちがいるんですよ
万葉の香り
これは匂い袋にして
作って売っているんですけど
作って売っているのは
ジャノメウサギという和物の雑貨ですとか
太宰府在住の作家さんたちの
作品を売っている
斉藤風子さんという方なんですけどね
もちろん万葉紙の序文に出てくる
初春の霊月にして
清く風柔らぎ
その次がポイントなんですね
梅は経善の香を開き
その後乱は背後の香を
くんず
この背後の香をくんずのところを使って
名前が背後香と
つけられました
大変にちょっとタコに似ているような感じの字に
後は後ろで
香は香りなんですけど
天然の香木だけを
8種類ほどブレンドして
柳さんという学芸員さんが
協力されたそうなんですが
作った香りを嗅がせてもらいました
昔ながら
お香の香りをするんですけど
ものすごい抜け感がいい
そうですね
なんかスーッとしますよね
もちろん白断とか
いろいろ入ってるんですが
その中に
クローブっていう
24:01
カレーとかのスパイスにする
長寿
クローブっていうのは日本語で言うと長寿
っていうので
漢方薬なんかにもなる
そういう香りがすごく抜け感がいい
スッとした感じになっているのかなと思います
気持ちのいい香りなんですよね
やはり
お線香の香りに近いんですかね
近いですけどもっと軽やかで
スーッとするという
言葉で言うとこのぐらいしかできない
なのでぜひ出かけて
嗅いでいただきたいんですけど
蘭はハイモノコウクンズッケン
この蘭っていう言葉が気になったんですけど
お花の蘭かと思ったら
違うんですね
斎藤風吾さんが教えてくれました
この蘭っていうのは
いい香りの草性って言われてたんですけど
東大の植物学の先生が
今蘭は
フジバカマっていう植物のことである
っていう風におっしゃっている先生が
いらっしゃるんですね
この中にもフジバカマを干したものが
お入れしてあります
このフジバカマ
それだけ香ると
桜餅をもっとスースーさせたような
軽やかな
いいお花みたいな香りがするんですよね
このハイモコウなんですが
横が7センチくらい
縦が5センチくらいの匂い袋の
形になっているんです
なぜかというとこういう理由があったんです
昔の漢人の方は
女性も男性も
斜め後ろに
こういう匂い袋をつけてたんです
今みたいに皆さん
毎日お風呂に入られる時代じゃなかったんですよね
だから
女性も男性も
自分の香りっていうものを
作って
腰の後ろの方に
下げていったそうです
そうなんですね
下げていった袋のことを
ハイって言うんだそうなんですね
実際にこの袋を
作る時にせっかくだからと
斎藤さんは
少数に残っている文様を
使った
生地を取り寄せて
左右対称になるように
つなぎ合わせて作ってるんですね
この柄というのが
樹下双六門
木の下の二頭の鹿の文様だとか
おしどりの文様だとか
梅か梅の文様だとかになってるんですね
さらに
この周りにも組紐を
ずっと縫い合わせて
本当に少数に残っているものを
イメージして作ってらっしゃるんですよ
手がかかってますね
そこまでするのには
こんな気持ちがあったんです
太宰府発信するのに
太宰府から発信させていただくのに
歴史のことを
踏まえた上で
ふさわしいものを
皆さんに喜んでいただけるようなものを
これからも
作っていきたいと思ってるんですけど
この気持ちがとっても素敵で
27:00
中身はしばらく
半年とか1年とかすると
ニエが薄くなるので
袋はそのままで中身だけ
詰め替え用もまた売ってくださるそうなんで
なかなか長くの時が経つにつれて
香りも変わっていくのが
面白いんですよっておっしゃってました
その他にもジャノメウサギ
和物の模様のマスクですとか
あと超重機関の模様のバッグだとか
いろんなグッズがたくさんあって
私も和柄のマスクを
思わず買わせていただきました
ぜひ万葉の香り
ハイゴコいい香りなんで
ジャノメウサギで試してみてください
中島理恵さんでした
番組からのお知らせです
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これまでの放送内容と
番組を1回目から
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この番組は宮間市の企画協賛
道の駅村方
餃子の山鉢の提供で
お送りいたしました
ご案内は
酒田秀大でした
聞きたいラジオ番組何にもない
そんな時間は
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