00:08
古代の福岡を歩くシーズン7遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その即席を訪ねる 古代の福岡を歩くシーズン7
この番組は 宮間市の企画協賛
餃子の山八 道の駅村方の提供でお送りいたします
こんばんは、坂田周大です。 先週は筑紫野市の宮次岳山腹にあります神戸石系の山城
阿志岐山城について土類を作る工程まで紹介しましたが、今夜はその続きです。 神戸石はよく目にしますが、その土類の作り方まではよく知られていません。
そこで土類はどうやって作っていくのか 詳しく説明を聞いていきます
先週はまず土の部分を削って平にし、そこに汽笛石というものを一番下に入れて、その上に霧石を横に積んでいき、
そして石の後ろに水抜きのための栗石という小さな石を入れて作っていくというところまで紹介しました。
お話を筑紫野市歴史博物館館長の小賀野明さんに伺っていきます 土類の作り方の続きです
石を立てるというようなこともやるんですね。
石を立てるのは倒れないためというよりかは、石を積んだ上に土と砂で盛って土類を作るんですけれども、
積んでいくときの抑えになる。
だから最終的にはこの板は足場も含めて外してしまうということです。
なるほど。要するに板は汽笛石と栗石を出来上がるまで支える役割をしているということですね。
工事のときにこちらの写真にもあるんですけれども、赤い部分が粘土で、白っぽい部分が砂なんですよ。
03:07
それを交互に叩きしめながら積んでいくというやり方をしていますので、
そのときに谷側が抑えがないと土が流れてしまいますから、それをピタッと抑える。
出来上がるまで抑えておくということですね。
そうですね。
森戸の層ですけれども、白っぽいところと茶色の部分と段になっていますね。
その層がたくさん敷き固められて、だんだん高くなっていくということですね。
これもちゃんと意味があって、少し茶色い部分と白い部分と少し黄色い部分、
何種類かどうもパターンがありそうですよね。
このパターンを見ていきますと、白から黄色になって、白から黄色になってみたり、
白から茶色になってみたりという、違う質の砂土を互い違いに埋めていくというやり方なんですね。
叩きしめながら。
これはよく言われていますのが、同じ質で積むのではなくて違う質のものを積んで、
厚みを増して叩きしめることによって、横滑りを防止するというような意味があると言われています。
半築というふうな、当時のハイテク技術ということになります。
半築というのは、上から木の棒で叩きしめていくということですね。
この築棒が出てきたという、築棒の大きさがわかったんですか?
そうですね。痕跡がありまして、横の土類を縦に切って断面を観察しますと、土の堆積がわかるんですけれども、
その土の堆積が、上面で波打っているようなところがたくさん見つかったんです。
こういったいろんなところに波が出ているんですけれども、
それをすべて大きさを測りまして、平均値を出していくと、
だいたい7センチぐらいの直径のもので叩いているのではないかということがわかったんですね。
あまり大きくないですよね、7センチといったらね。
そうですね。
実はかつて大野城跡の災害復旧で搬築の実験をしたときに参加させていただいたりしたんですけれども、
いわゆる叩きしめる道具は、タコという木でできた土みたいなもので叩いていくんですけれども、
そのときは20センチぐらいのもので実験したんですね。
06:01
ところが、やはりなかなか大きなものだとエネルギーはいるんですけれども、意外と締まらないんです。
そうなんですか。
だからむしろこういう直径が少し10センチを切るような細い棒で丁寧に叩きしめていくということの方が締まるようですね。
そうなんですか。
そういうのは何回もやりながら見つけていくんでしょうね、
この長さでやったらうまくいくぞみたいな感じで。
だから千人づきなんていう言葉もあるくらいで、毛の包みを作るときにずらっと人が並んでコツコツコツコツついていくというようなやり方も聞いておりますから、
そういった技術がやはり日本に伝わってきているんでしょうね。
そうやってその上に土をかぶせていくと土類を作っていくわけですけれども、
最終的には何メートルぐらいの土類になるんですか。
足木山上跡の場合、なかなか最終的な高さというのはわからないところもあるんですけれども、
仕上がりとしては2メートルははるかに超えています。
3メートル程度にもなるかというような想像をしていますけど、場所によって高さはまた違いますもんね。
一概には言えませんけど、そのぐらいの高さにはなるでしょう。
それと、人が作った箇所というのはそのぐらいの高さにはなるんですけれども、
この山の尾根全体を先ほど申しました防御ラインと見立てた場合は、
この山の尾根全体が一つの壁のような形の意味を持ってきますので、
そうなると相当な圧迫感というか、あったんだろうなというふうには思いますね。
休憩車ですから、人が基本的には下側には立ち入らないし、
私どもも調査で立ち入ってはいるんですけれども、いつ落っこちるかわからないような状況でありましたね。
急斜面ですね。
そうですね。
それから、この足木山城の積み石の技術ですね。
非常に優れたものがあるということで、ちょっと専門的に書いてありましたので、ちょっと紹介します。
切り欠き加工、切り欠き加工というのがありまして、
この石の高さを合わせて水平に積むために石材の角をルージに切る技法というふうに書いていますね。
非常に高度ですね、こういうのは。
そうですね。
まず足木山城跡の石が四角かったり長細かったりしますが、基本的には切り石なんですね。
その切り石が非常に大きいというのが一つ特徴としてあるんですけれども、
それを積む際に箱のようにただ重ねておくだけではなくて、
09:00
一つ一つの石を組み合わせるような形でL型に加工したものを下の石に乗せてみたりとかいうような加工をしていますね。
南米のペルーのインカのマジキチュウなんか有名ですけれども、
ああいったものの石垣の積み方なんていうのを彷彿とさせますよね。
非常に高度な技術だと思います。
隙間を作らないようなね、ずれないようにといったんですね。
それから、えぐり込み加工というのが書いていますね。
これは石の下をえぐっていくという感じなんですか?
そうです。石垣というのは立体構造物なので、先ほどの切り欠きといっているものは正面から見たときに組み合わせるやり方ですね。
これに対して縦方向ですね。
上に乗せていくときに、下の石を上の石に合わせてえぐり込みを入れて、きちっとした形でずれないように上の石を乗せるということなんですね。
すごい技術ですね。
そうですね。
それからもう一つ、控え爪というものですね。
これは少しずつずらしていくということなんですか、上と下は。
そうです。おっしゃるとおりで、控えというのは要するに谷側に垂直に石を立ててしまいますと、外に向かって力が働きますので、崩れてしまいます。
だから内側といいますか、お城の内側に対して5センチぐらいの少しずつ引きをとって、そして乗せていくというようなやり方ですね。
少しずつずらしていって、安定感を測るということですね。
そうですね。それに先ほどの切り欠きとえぐり込みというものを掛け合わせて、3Dで上手く噛み合わせて石を積んでいるというようなことですよね。
非常にハイテクな技術だと思います。
その劣跡というのは大体どういったところから運んだんでしょうか。
基本的には花崗岩といっている、この地方ではホーマン石といったりしますけども、要するに花崗岩なんですね。ゴマ塩みたいな。
花崗岩の基本的には山なので、花崗岩自体はどこにでもあるんですよ。
ただ古代のお城を作るときにどこから石を切り出して持ってきたかとか、そういうことがなかなかわかりづらくて。
それともう一つは斜面をどこからか石切り場があったと確認した場合に、何らかの石の丸太のようなものを置いたりとか、いろんなやり方で持ってきていると思うんですけれども、
切り出した後に粗削りというか、粗加工をしてですね、持ってくる、持っていき方のやり方が斜面なので、どういうふうに運んだのかということが実はわかりませんし、
12:03
それと先ほど申しました積むときに細かい加工をしますね。
その細かい加工をするためには平らな土地がやっぱり必要で、そこで細かい詳細な加工、最終的な仕上げ加工をするはずなんですけれども、
そういった場所がどこなのかというのも実はわかってないんですね。
だから積むことも大変なことなんですが、実は石とか土もそうですね。
土もどこから持ってきたのかということもありますし、どこからどういうふうにして誰が何人ぐらいかかって運んだのかというのがわからないんですね。
近くに川はあるかと思う。法満川というのが下に流れておりますけれども、
割と流れが早い川で、あれを下からどうやって運んでくるんだろうかと思うとちょっと無理かなと思うんですけれども、
その辺がわからない部分ですね。
そうですね。土についても単純に言うと砂と粘土なんですけれども、
実はどうも混ぜ方とか素材ですね、砂と粘土の中間ぐらいのシルトという素材を使ってたりとか、
その混ぜ方もですね、やはり理屈は私たちはまだわからないんですけれども、
どうも巧妙に上手に配合して、互い違いに質の違うものを積んでいくということをしているようなので、
本当に山の中だけで調達素材ができたのかどうかということもありますし、わからないことだらけなんですよね。
今夜は築志野市の葦木山城について、築志野市歴史博物館館長の小賀野明さんに伺っています。
今度は、太宰府省庁にも近いところに位置する葦木という場所について伺っていきます。
葦木という場所ですけれども、昔から重要な場所であったんでしょうか。
そうですね。葦木が文献資料上登場するのは、葦木山城がつくられた7世紀ではなくて、
むしろ8世紀に入りまして、天平の時代の万葉集なりに野原野ですけれども、それとか葦木の川ということで、
葦木という地名が出てきますね。
今でも葦木という地名がございますので、千年の時を越えてずっと地名が残ってきている、非常に重要な地名だと思います。
太宰府省庁あたりからすると、あそこに馬屋の跡があったんじゃないかというふうなことも言われていますよね。
15:00
どうなんでしょうか。
築志野市の今の葦木という地名が、今おっしゃいました葦木の馬屋という、
いわゆる陸路の交通路上に駅をつくっていくんです。
今は鉄道駅ですけれども、そういう駅をつくっていくんですね。
そういった駅の一つ、太宰府から東へ行く最初の駅になる葦木の駅といっている馬屋がですね、
馬を置いておくんですけれども、おおむね葦木のあたりにあっただろうということは定説になっています。
ただ大きな古代の建物の跡が見つかったりしているんですけれども、
それが葦木の馬屋かどうかというところはまた議論があるところで、確証はまだ得られていないんですけれども、
ただ葦木山城があるちょうど目の前の平野のところに、葦木の駅というようなものがあったんだろうということは一つの定説ではありますね。
太宰府に務まる役人にとってはどういうふうな場所だったんでしょうか。
風光明媚なというふうによく言われていまして、今でも自然の非常に美しいところなんですけれども、
どうも一つの太宰府の境界、境目としてですね、宴をよくやっているんですね。
歌をやるんですね。
これが宴会をやって、例えばそれが送別のための宴だったりとか、
太宰の祖地であった媒介宴を催しました大友旅人も、太宰府を去るときに葦木駅でお別れをしていますし、
そういった送別宴をやるという場所だったようですね。
これは中国の実は漢詩の世界とも共通していまして、
そうですか。
友を遠方に赴任する友人を、教会の席まで送って行って、そこで宴会をやるんですね。
そうですか。
そしてそこで漢詩を読んだりとかするんですけども、その後に友は去っていくというようなことをやってますので、
そういった考え思想が日本の万葉集の世界にも太宰府にもあったんだろうと思っています。
ですから、この葦木の地というのは一つの太宰府の境界の地、境ですね。
外側の境ということになるのかもしれないですけれども、そういう場所だろうと思っていますね。
役人がお別れをする場でもあったし、娯楽の場でもあったということですね。
そこでこの葦木を歌った歌というのがいくつかあるということで、ちょっとこれをご紹介していただけますか。
秋の歌だと思いますけれども、ちょうど今の季節ぐらいでしょうかね、
お見返し、秋、萩ですね、混じる葦木の野と、これが葦木の野が出てきます。
今日をはじめてよろずように見むということで、
お見返しと秋の萩が混じって咲いているような葦木の野は、
18:05
後の夜まで永遠に見ていようという非常に風景を讃えた歌ですよね。
野というのは、一つの境界にある郊外の管理された空間が野なんですよ。
だから今の野原とか野というと、野生のやせた土地のようなイメージがあるかもしれませんけど、
実は都市の周辺には野があって、そして野の周辺の外側はもう境界の外というようなことなんですね。
この野というのは非常に意味がある言葉だと思います。
ラザエフの都市と比較したときの対照的な言葉として野があるんですね。
その野の外側には先ほど言った外郭の外側になるんですけど、山があるんですね。
都市の里があって、野があって、そしてその外側に山がある。
その山があるところに何があるかというと、お城があるわけですよ。
つまり境界の外側に、七世紀と八世紀は時代が若干違いますけれども、
境界の土地としてやはりお城が築かれているということと、
実は万葉集と直接的にではないけど、土地の場の持つ意味としてつながってくるんですよね。
なるほど。この万葉集の字の足木という字ですけれども、足の葉の足ですね。
そうですね。
昔は足木のと、こういうふうな足のお城ですかね、というふうに書いたんですかね。
そうですね。いろいろな字があるんですけれども、
足木は今の地名は三文字の字に変わっていますけれども、
もともとの字はやはりこの草の足の城という書き方だと思います。
漢字の意味が非常に難しいんですけれども、古事記なんかを見てますと、
足という言葉が非常に出てきているので、
そういったものは一つの境界を示していたりとかいうこともどうもありそうなので、
これはまだ私は勉強中なんですけれども、
そう考えていくと、足木という足の城という地名としてあって、
お城があって、馬屋があって、境界のお別れのタイプであるという場所が東側にあって、
それに対応するものとして、西側に何があるかというと水木跡ですよね。
水木跡は大友たびとが都へ帰られるという最後のお別れをしたところですよね。
ですから、そういった意味でいうと、東に足木、西に水木がある。
そして北側に大野の木があって、そして南側には木城、木の木があるというような空間的な位置関係になりますね。
それぞれの山が一つの境界を作っていたんだと思います。
21:02
うわあ、面白い。これは非常に面白いですね。
そうですね。ラジオがつないでいたかどうかは別です。
ということで、ちょっと読んでみましょうかね。
おみなえし、あきへ、はぎ、まじる、あしきの、これは足木の古い地ですね。
あしきの野、野原の野、きょうをはじめて、よろずよにみむという。
これは万葉集に出てくる。
そうですね。
歌ですね。
非常に趣のある歌で、考えさせられる歌ですね。いろんなものは含まれていますね。
万葉集の天平の時代の、つくし万葉といっているものは、あくまでこの天平の時代の話ではあるんですけれども、
やはり古代のお城とか古代史を通じて考えていきますと、
その土地の持っている今の地名とか、その土地の持っている歴史的な意味だとか、そういったことがやっぱり見えてくるわけですよね。
非常に興味深いことですよね。
はい。ということで大変勉強になりました。どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
つくし野市の足木山城について、つくし野市歴史博物館館長の小賀野明さんに伺いました。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島リエさんです。
こんばんは。
今日は三山のお話なんです。
実は三山市にある民話が残っていまして、何かといいますと、花垂れ小僧って昔話で聞いたことありません?
あのなんとなく聞き覚えはあるんですが、どんな話だったかなと全く出てこないですね。
その花垂れ小僧の発祥の地と言われているのが三山市山川町の北の関、大谷区と言われる地域なんですけれども、ここにお住まいの竹内一子さんにさ、花垂れ小僧どんなお話なのか聞きました。
昔、おじいさんとおばあさんが住んであって、芝花を売って生活をしてあったんですね。
それで生活が貧しくて、ある日芝花を売った帰りに、残り物なんですけどって言って、川に芝花を差し上げられたそうです。
そしたら水神様が現れて、ありがとうっていうことでお礼に、あなたたちにこの花垂れ小僧様を差し上げますっておっしゃったんですね。
その花垂れ小僧様は、エビナマスが好きなので、毎日エビナマスを差し上げてくださいっておっしゃって、水神様が消えられたそうです。
24:01
おじいさんとおばあさんはお家に持ち帰って、花垂れ小僧様にエビナマスをずっと差し上げてたんだけど、
エビナマスを差し上げてたら、お金持ちになって、願い事を何でも叶えてもらえて、村一番のお金持ちになられたそうです。
そしたら、しばらくしてずっとエビナマスを差し上げるのも、エビを川に入って取らないといけないから、冬とか寒いですよね。
だんだんそれが苦痛になってしまって、自分たちは村一番のお金持ちになったので、花垂れ小僧様は必要ないと言って、
また水神様にお返しされたら、今まであった蔵や屋敷や、大金持ちになったそういうのがパッと消えてなくなって、
また昔の貧しい生活に戻られたっていうのが、何かいい伝えみたいです。
面白い話ですね。
でしょ。だから、水神様のお使いとしての小僧、小さな子供だったわけですよね。
精霊でもあるんでしょうけど、お話の中に出てきた芝っていうのは、仏様などにお供えする青葉ですね。
エビナマスって、これは川エビの巣のものじゃないかなっておっしゃってました。
あ、小さなね。
そうそうそうそう。で、これを毎日に毎日にね、小僧に食べさせるのもなかなか確かに大変だったのかもしれません。
でもお話聞いているその場所にですね、今その花垂れ小僧様をイメージしたお地蔵様がお供えしてあるんです。
あ、そうなんですか。
これがですね、非常にユーモラスなお顔でして。
なんかお顔がちょっとこう、なんというのが、ETのようなアンパンマンのような。
アンパンマンに近いかも。私ドラえもんに近いかなと思ったんですが、
ほぼ2.5頭身ぐらいの、高さ50センチぐらいの小僧様の像なんですけど、しっかり花垂れてる。
2本ビーッと。
垂れてますね。
これを見てると、当時川の水神様からお預かりした小僧さんの姿が想像しやすいなと思うんですけれどもね、
このお地蔵様が今置いてある真後ろに川があるんですよ。真弓川って。
おお、これが。
だから、この川から小僧様をお預かりしてきたのね、そしてここに返しちゃったのねっていうのもすごいわかるんですよね。
で、実際にこの今も小僧様の前にはですね、お花とあと芝もお供えしてありました。
で、この大谷区19県にもあるそうなんですが、交代で皆さんお守りしてらっしゃるんで、非常に綺麗なんですけれども、
そのお掃除道具が置いてあるので、よそから遠いところからお参りに来た方もお掃除して帰ってくださると。
やっぱりみんなこの霊言新たかなところに惹かれてるのかなぁなんて思ったりしたんですが、
お手製の前掛けがですね、花柄で可愛かった小僧さんなんですが、
あ、竹内さんは何かお願い事とかこういうことしたのかなって聞いたら、こんな話聞かせてくれました。
27:02
私、子供が小さい時は、ああいう風に風邪をひかないようにって言って、前掛けをしてました。
子供にまずはめて、こうあてがって、そこにしてました。
今でも子供が生まれたら前掛けを持ってきてお供えする方もいらっしゃったりするそうなんですよ。
で、あと今この小僧様の前がスクールバスのバス停になってまして、花垂れ小僧様前っていうバス停の。
いいですね。もう地元にすっかり愛されて根付いて。
今は子供たちを見守る、そんな小僧様になってます。
高嶋理恵さんでした。
餃子のヤマハチ 道の駅村方の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田秀大でした。
期待ラジオ番組何にもない。そんな時間はポッドキャストで過ごしませんか。
RKBでは毎週40本以上のポッドキャスト番組を配信しています。
あなたのお気に入りの声にきっと出会えるはず。
ラジコ、ポツファイ、アップルポッドキャスト、アマゾンミュージック、ユーチューブミュージックでRKBと検索してフォローしてください。
RKBオンラインのポッドキャストまとめサイトもチェック。