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[古代の福岡を歩く」22回目は蔵の司を経て様々な官衙区へ
2026-03-01 30:33

[古代の福岡を歩く」22回目は蔵の司を経て様々な官衙区へ

小高い丘の上の蔵の司から県道を経て関屋の交差点へ向かいますと官衙区があった地区が広がります。

学業院中学校の手前にあるのが来木地区。金属製品を作っていたとみられる地区です。

恐らく武器や農機具を作っている場所で、近くには技術屋集団がいたのではないかとみられています。
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00:10
古代の福岡を歩く遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩く この番組は
ja 福岡やめ 道の駅村方
餃子の山鉢の提供でお送りいたします ja 福岡やめの直売所ヨランドの江頭です
やめはキウイの産地です今は博多売れっ子が食べ頃です 熟して甘くて美味しいです
博多売れっ子ぜひどうぞ こんばんは佐方周大です
岩井の乱島は間接的にですが関係がある 太宰府を歩いています
今回は特に太宰府の漢画 役所の跡だと思われる場所を歩きます
前回は税を扱った蔵の司を歩きました 小さな丘の上の蔵の司から眼下を眺めますと
池垣がずっと続いているのに気がつきました 実はここにはツイジベイがあってさらにそこに祖籍があって
何らかの建物があったと思われる場所なんです 今回はその場所へ向かいます
トゲのある草が全身に刺さり30分ほどのトゲ抜き作業を終えて歩き始めました ご案内はこと太宰府保存協会の学芸員
田中賢一さんです
横に祖籍があったとは知りませんでした
倉塚さん今丘の上の方をご覧になっていただいたんですが まさに祖籍の大型の建物や逆に小文字型の建物が見つかっているんですけど
03:01
平坦部の方でも祖籍や掘った手柱合わせて10棟ぐらい建物が確認されていまして
見ただけだと広場なんですけど 近づいていただくとその祖籍建物の後の祖籍などが
祖籍が16個かな そんな形で残ってますね
こういうふうに見つかった場所に祖籍が配置されていました
大体大きさなんかも上の倉庫跡と全く同じぐらいですよね
そうですね大きさ的にありますけども
この周辺からですね実はいろいろと建物が見つかってまして
上の方の倉のつかさと連動した建物だろうというふうには言われてるんですけども
他にもこういうふうに今目の前にもまたもう一つ別の祖籍の建物の跡とか
あとは掘った手柱の区画がですね こういうふうには実は見えづらいんですけども
その区画の跡なんかが見つかってるんですけども
上の倉のつかさとまた別にですね こちらのふもとの方こういった10個の建物がどういった役割だったのか
これもなかなか結局文献に出てこないので難しいところなんですけれども
ただ生産的な工房的な役所じゃなかったかなと言われてまして
先ほど例えば9世紀の終わり頃10世紀の前半の頃にいわゆる武器庫があって
それが消失したというふうにお伝えしました
そういうふうに関連して例えば下の方に武具の工房であったりですね
いろいろなものを作るところがあってもいいのかなというところで
給料部分とまたふもとの方にも数多くの建物が建てられて
それで一体的になって作業してたんじゃないかなというふうに言われているところでございます
それが倉つかさということですね
そうですね全体部分ご覧になっていただければなと
あとですね先ほど津川さんがおっしゃったように
実は剣道と倉のつかさ地区をですね
倉つかさ地区を非常に生けがけがしてありますけども
これ実は白鳥沢で実は追従兵が見つかってるんですね実際に
ですのでおそらく剣道の仕切りの仕掛けがあって
実はあの場所からですね実は追従兵の跡が確認されてますので
そうですか
王子の人たちもここでちょうど成長前に向かう道筋ですので
その道筋とこの倉のつかさ地区を区切るような追従兵だったんじゃないかなというふうに言われてまして
追従兵の中に入ったところに倉庫跡がたくさんありますので
建物がずっとあったんですね
そうですねやはり道路に面してですねそのまま役所を見せるという
やはり仕切りとしてやはり当時としてはやはり一つ追従兵として区画を遮るものがあったんじゃないかということで
それが今は現代は生垣で再現されてますので
そういったものを見ながらですねご覧になっていただきたいなと思います
大変広いスペースがあるのがですね
そうですね広いですね
丘の上も大変広かったんですけど
ふもとの部分もこのように広がってまして役所として使われていたようでございます
06:04
そうですねそうですね今ここから追従兵の長さを目で測ってるんですが
300メーターぐらいがあるかなというそのぐらい長さがありますね
そのぐらいの広さですねここもね
なので大変広い敷地が広がっていたようですね
じゃあこの倉庫跡から今度はですね西の方に進んでいきまして
雷鬼地区そして南の方に改めて神奈川の方に進んでいきたいなと思います
はい雷鬼というのは来るという字と木材の木ですね
来る木材というふうに書くんですね
来る木と書いて雷鬼と言います
一旦この追従兵を一回外に出まして
外に出るんですか
そうですあっちの方からぐるっと回りましょうかね
そしたら内側をゆっくり歩いて
倉塚さんの地区を歩いて外側の遊歩道の方に向けていきたいと思います
追従兵がずっと2、300メーター続いてて
その中に組織がいくつかありまして建物跡が確認されております
どういう建物があったか想像はできません
そして池垣の端にやっとたどり着きました
学業院中学校のグラウンドが目の前です
ほとんど誰も歩かないというようなところですよね
そこをずっと歩いてきました
そして学業院中学がもうすぐ隣というところまで来ました
そうですねもう目の前には学業院中学校のグラウンドが見えてますけども
この学業院中学校の学校の名前も実は古代のダザイくんですね
以来ちなみましてダザイ風成長跡と
観世音寺お寺の佐察ですけど
その間にちょうど学校院という
不学校とも呼ばれますけども
いわゆる役人たちの養成機関がありましたけども
その学校院から名前をいただきまして
今地名は学業というふうに呼んでおりましたので
学業院中学校ということで
まさに1300年前のダザイ風の教育機関の名前が
公立の学校の名前に採用されているということで
まさに由来のある学校の名前になっています
この散歩道みたいなところですけども
犬の散歩をしていらっしゃる方も大勢いらっしゃいました
そしてこの散歩道の横
溝があって川ですかね
そうですね流れがずっと三笠川の方にずっと
三笠川の方に流れる小さな川がありまして
その川の横に柳の木が何本か植えてあるんですが
その柳の木の枝というのはすごいですね
09:03
7、8メートル垂れ下がっているという
小さな大木ですね
なんかお化けでも想像させるような
そんな柳の木が何本かここにあるんです
それと今ちょうど学園中学校に向かって
右手の方にちょっと開けてましたけど
奥の方に実は溜池がございまして
ちょうど先ほど見ていただいた
倉塚さんの休養の西側に隣接するんですけども
この溜池のそばから実は九州で初めて木管が出てきた
確認された場所になるわけなんですね
なので土砂育成調査する時に
初めてこの倉塚さんの西側
池のそばから木管が見つかりまして
これが九州全体でも初めての木管の出土だったということで
まさに太宰府史跡の発掘調査だったり
調査研究の非常に重要な場所がこの付近になっています
木管によっていろんなことが分かりますからね
そうですね
やはり文字修了というのは非常に重要ですね
それはここから見つかったということですね
発掘で調査で見つかったところです
ちょうど津川さんと今歩いてきました
すぐ目の前が学園中学校のグラウンドなんですけども
ちょっと右手を見ていただけます
ちょっと高台になっているのが分かりますね
あの丘陵部分のあたりに
実は来池地区の工房跡の窯とか生産地の跡が見つかっていまして
掘ったて場所の建物なんかもこの一帯ですね
来池地区で10棟ぐらい確認されてるんですけども
そういったところからは鉄製品を作るような
銅製品とか金属製品ですね
そういったものを作った後のような痕跡なんかも確認されてますので
薬書で言うとダザイフ19から20ぐらい薬書があったと考えられますけども
そういう中でこういう金属製品をさどるような
いわゆる匠のつかさという薬書があるんですが
もうそういう薬書が存在していたのではないかと
ダザイフの中での金属機器などの生産
そういうものになっていた場所が
実はこの来池地区ではないかと言われている場所なんですね
なかなか金属とか生産するのは
原材料であと作業も危険でもありますので
そういったやっぱり一区画に集中して行われるだろうというところで
そういう痕跡が一番ダザイフ席で見つかってますので
この辺りもしかすると1300年前
金属製品の作業の音が響いていた場所かもしれないですね
ということは農機具とかそういった家具を作るんでしょうかね
そうですね
当時の金属製品ですともうまずは農機具であったり
そういったものが主流になると思いますので
当時は金属もやはり貴重ですし
なかなか数が限りがあると思うんですが
やっぱりそういうのを扱う職人さんたちのもので
いらっしゃった場所じゃないかなと考えられているところです
貴重ですね
ちょうど学院中学のすぐ裏ですね
横手
すぐ横の方に
12:01
はいもうすぐ北側に岡川ですね
小さな岡川がありますから
この一帯がそういう場所であったと考えられているところになります
第1期と言うんですね
そういう場所ですか
知らなかったな
やっぱりそういうところって
やっぱり当時の人たちも必要ですからね
やっぱりそういうのがまとまってあるというので
技術者集団もこの辺にいたんですね
おそらく生産者集団で
おそらく金属っていうことは
燃やすための薪とか木材が必要ですよね
当然塩山とか山手に近い方が
そういう原材料収集にもいいでしょうし
またそういう火を使うなら
あまり成長に近すぎても
何かあった時に火事というか
何か被害が出るといけませんので
倉塚沢から池を挟んで
一つ区切られたような感じの西側に
駆逐していたっていうのも
考えられているところではですね
あるんですけど
1300年前を見てきてないので
私もいろいろな研究を参考にさせて
お話しさせていただくしかないんですけども
そうかいろいろ現代でもそうですね
やっぱり危険な工場というのは
少し周りに空間を取ったりしたりですね
人気のないところで製造されたりします
そのための池があったということなんで
少し距離を中枢部から取ってあった
ということも考えられるかもしれないですね
あの学養院中学の正門に行きました
この正門も立派ですね
昔の正門を再現
復元したんですか
昔の建物を
高門を建てた時に昔の建物をイメージして
作られたというふうにお聞きしてまして
やはり学校の名前もゆかりあるものですね
正門もですね
やはり歴史ある
趣のある雰囲気で作られているそうです
立派な建物です
津川さんと歩いてきまして
学養院中学校までやってきました
お隣が今度は水木小学校になるんですけども
この水木小学校の実は校内から見つかったのが
古代の軍団員
岡団員という軍団員が見つかっているわけなんですね
古代におきましては各国に軍団が設置されまして
築善の国
太宰府がある築善は四つ軍団が置かれていた
というのが記録ではわかるわけなんですけども
周辺からは三笠団員が一つ見つかりまして
水木小学校の中からは今度は岡団員
今でいうと北九州に
御賀町御賀川が流れている地域がありますが
あれを当時は御賀をひた文字で
御賀というふうに読んでいたということなんです
おそらく北部九州今の御賀城一帯の人々で
構成された軍団が太宰府に駐屯していて
そこの軍団で使っていた院館だろうということなんですね
軍団員
まさにこういった軍団員が見つかるということ
すぐそばで三笠団員も見つかっていますので
15:00
そういった軍団が駐屯するような場所というのが
この西庁の並びの一番西側に位置していたのではないか
そういうことですか
ちょうど岡団員が見つかった水木小学校というのは
関谷交差点でいわれますが
まさに博多遺跡の方から伸びてきました
古代官道が水木の東門を通りまして
太宰府に向かっていきますと
大体関谷の辺りで太宰府の城防
街並みに接続するわけなんですね
まさに太宰府への入り口にあたる場所に
そういう軍団太宰府の防衛に関する人々が駐屯していたんじゃないか
というのも一つ考えられているところになります
そういうことです
学園一学の正門の前に立っているんですが
関谷の交差点がもう目の前ですね
そういう話がここにはあったということですね
そうですね
ですのでおそらくいろいろな役所があったとして
ちょうどこの学園一学校水木小学校になったら
だいたい成長の中心部が600メートルぐらいの位置になります
おそらくずっと太宰成長倉野司
そして雷木地区でそういう軍団員が出た水木小学校
ずっと西の方に並んでますので
1300年前も先ほど見た水路の道に沿いまして
そういう施設が役所街が北側に並んでたんじゃないかな
そういうふうに考えられているところになります
だんだんこの街のあり方がわかってきましたね
もうちょっと歩きましょう
ということでこれまでは太宰成長から西の方に向かってきましたが
ここで県道を横断歩道で渡りまして
今度は県道の南側に渡りまして
今度はまた太宰成長東の方に引き返してご案内していこうと思います
というわけで関谷の交差点を渡り
再び太宰府成長の方へ引き返してきました
菅原さんと歩いてきまして
ちょうど学園一学校水木小学校を折り返してきて
今度は県道の南側を歩いているので
ここにちょうど学園一学校の目の前にですね
昔の小技がありまして広丸というふうな
小技広丸広院丸ですか
ちょうど学園一学校のグランドから道を挟んで反対側にあるんですけど
この広丸というのは一つ
この広丸地区が実は太宰府の漢画役所の一つと考えられているんですね
広丸地区と言われますのがちょうど県道から南側
今もう住宅がですね立ち並んでいるわけなんですけども
ここを一つ地区として役所の一つだと考えられているところなんですね
こちらは博物館調査棟によりまして
掘ったて柱の建物なんかが時代が重なったり
いろいろな時代があるんですが
およそ30ぐらいですね
掘ったて柱の建物が確認されてまして
九州歴史館さんの調査などでは
ちょっと他のこれからご紹介する漢画役所も面積がちょっと広いということですので
18:00
そういう物資などを保管したり
仕分けするようなそういう役所ではなかっただろうか
というふうにも言われているところなんですね
ですので現在大変住宅が立ち並んでいる広丸地区なんですけれども
1300年前は建物が建っていて広い敷地を活用して
どうも役所の業務がいろいろと行われていたような
そういった場所になるそうなんです
そうですか
確かにここは地面にあるように広いですよね
この空間は今住宅が建ってますけども
これがなければものすごい広場に出るんですよね
たぶんねそうですね
ちょうど南側の三笠川に向かってですね
結構広い間隔がありますので
当時三笠川が多少蛇行はですね
今のように形じゃなくて蛇行してたとしても
やはりかなりのスペースはですね
取れそうですので
そうですね
そういう地区だそうです
小和座広丸というところを今歩いています
この成長近辺というのは本当に小和座がね
きちんと記されていて
我々何があったのかというのは想像できますよね
そうですねそういう痕跡がですね
表示してあると
あのやはり昔何らかのものがあっただろうと
想像もですね書き立てられますし
あの倉塚さんのようにもそのままですね
地面が見決められているというのも
珍しい例ではありますけれども
そうですねまあこうやってのんびり歩いてきます
ちょうどあの道の反対側先ほど通った水路のですね
あの生垣の切れ目の最後の部分になるんですけども
そのあたり今県道の南側ご覧いただくと
また次の地区が出てまいります
でこちらがなんですね
旧小和座
西の方から広丸ときまして
その次がですね広丸地区の東が
今度は大久洲地区になっているところであります
ここもですね南側に向かって
三笠川に向かっての範囲で役所など
館画の跡が確認されているところなんですね
ここの方はですね非常に建物が密集してまして
このエリアは先ほどの広丸の2倍
時代が様々ありますけど
60頭以上の掘ったて場所の建物が確認されている
ということですので
やっぱり時代時代に合わせて
いろいろ建て替えがされるってことで
それだけも使われてたり
非常に作業が多い役所だったんじゃないかなと
いうふうにも考えられているところです
この辺りです移動も実は20個以上見つかって
そうでしていろいろ牧書読とかもありまして
海産物私たちも好きなイカ焼きとかのイカ
それを書いた牧書読なんかも出てますんで
もしかすると食事とか扱うような建物が
もしかすると存在したのかもしれないということで
当時は1000人以上の役人が
打財布勤務してたと言われますので
今で言うと社員食堂ではないですけども
役人が食べる食事の量だけでも相当だですね
21:02
量がありましたので
もしかするとそういうものを司ってたのが
この大口地区の建物だったんじゃないかな
そういうふうにも考えられているところです
そうですか
そしたら例えば役人さんたちが集まって
食堂昼のご飯を食べに行くとか
あるいはその日のご飯のおかずを買いに行くとか
そういうところがあったかもわからなかったね
そうですねここに食べに来てたのか
あるいは各所に配給のように作って
今で言うと給食でしょうか
何か詰めて運搬していた
どういう形態だったかちょっとあれですけども
やはりそれだけの人数ですので
相当今で言うと一大給食センターだった可能性もありますね
そういったところだそうです
太平洋小技オークスといいます
ではさらに西庁の方に向かって
東の方に向かって進んで参りたいと思います
ご案内は古都太宰府保存協会の学芸員
田中健一さんでした
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島リエさんです
こんばんは
太宰府西庁跡の前の道
西庁通りって名前がついてるんですが
この通り沿いにある喫茶店がいいんですよ
場所としては月山東館が跡のすぐ向かいなんですが
ドアを開けてみました
お店の名前はトフローコーヒー
私行ったことありますよ
ですかいいとこなんですよ
とてもおいしいコーヒーなんですが
入れてくださるのが若木店長
マンダリューノスケさん
実はこのトフローコーヒーって
去年の5月にオープンしてるんですが
あれ何か知ってるかもという
ご年配の方いらっしゃるかも
実はマンダリューノスケさんのおばあさんが
営んでたんです
50年ぐらい前から
7、8年前にお休みしてその休業期間を経て
今お孫さんリューノスケさんが
コーヒーメインの自家焙煎を楽しめて
すっごいいい喫茶店をね
オープンさせたんですが
佇まいがいいでしょ
50年ぐらい前のおばあちゃんが建てた時の
その昭和エトロ感と
それを今時のリロベーションをした部分とか
混ざり合ってて
なんとも言えない
穏やかな空間になるんですよね
その中で
マンダさんが心を込めて混ぜるそのブレンドと
あたの単一地方とか
単一農園の豆だけを使うシングルオリジンと
両方のコーヒーを出してらっしゃるんですが
マンダさんその昔ながらのものと
今の新しさ
両方を融合させたいんだというふうに
おっしゃってました
昔ってやっぱりコーヒーって深入りだったり
中深入りっていう
24:00
ちょっと深くコーヒーを持っていくイメージ
っていうのがあったと思うんですけど
今って結構その浅入りのフルーティーとか
っていうイメージのコーヒーが結構
ブームだったりするんですよね
そこをやっぱり自分は
ブレンドとしてはやっぱり中深入りで
昔ながらのブレンドをイメージして
あとのシングルオリジンっていうコーヒーに関しては
今の浅入りの方を入れたりしては
知ったりしてますね
こだわってますけど
店の奥に巨大なすごい立派な焙煎機があって
私が行った時も
やっぱりきまめの選別丁寧にやってらっしゃいましたね
私が行った時もきまめの選別をなさってました
常に多分選別してらっしゃると思うんですよね
あのトフローブレンド
お店の名前が付いてるんでいただいたんですが
一口飲んだ時に
うわって声が出ちゃった
そのぐらい美味しくて
軽やかな苦味がちっちゃな粒子になって
口の上にパパパパッと当たるような
そんな味のコーヒーなんですよね
そしてお母さん手作りの日帰りケーキを
合わせるとこれがもう幸せ
私が行った日はブルーベリーチーズケーキだったんですが
もうブレンドとの最高の合わせだったんですよね
そしてこのトフローコーヒー何がいいって耳は楽しい
実はお店の中にレコードプレイヤーがあって
レコードがかかってると
なぜあるのか
まあもともと父親がレコード好きだったので
はいそれちょっと持ってきてもらって
家にあったの
そうですね父親がずっとレコード好きで
家で聴いてたので
ちょうどタイミングがあれだったら持ってきていいって言われたので
はい
これは坂田さんの方がレコードに関しては
いやいやもうねゆったりした時間が過ごせるんですよ
自分のレコードを持ってきてかけていいですよって
おっしゃってましたので
そういった楽しみ方ができるのも
このトフローコーヒーの面白いところだと思うんですが
あの仕事コーヒー職人の技を見るなら
目の前のカウンター席で
それから窓際は成長アートに思いを馳せながら
そんな時間も過ごせるような場所ですけれども
とにかくそのトフローとか完全音痴とか
他にない地面にとてもなんか良さを感じるという
まんださん
散歩もこのエリアはおすすめだと言います
人がわーっと多いわけじゃなくて
静かにゆったり歩けれる道だったりするので
自分はほんと散歩とかに適してるんじゃないかなぁ
成長アートとか特に春の時期とか
ものすごく歩きやすいので
いいんですって
成長アートから完全音痴に行って
ダザイフ天満宮まで行くのもいいし
ご本人は春は三笠川沿いの桜並木もおすすめだと
おっしゃってましたんで
このエリアを散歩した後
ぜひほっと一息つけて
このねこのトフローコーヒーで
時間を過ごすのもいいかと思います
店内ランプとか
あとお母さんが集めたアンティークのカップとか
27:02
あと床のタイルがね
その50数年前のおばあちゃんが最初に作った時のまんまの
ちょっとね深い緑色とベージュとか混ざったような
もう今手に入らない床材を使ってますので
隅々まで見どころもあるトフローコーヒー
ぜひ出かけてみてください
中島リアさんでした
道の駅村方花と工芸雑貨のお店日頃の山本です
ホワイトデー限定のギフトセットを作りました
村方鳥の炭火焼きと陶器のペアカップです
お二人で食べて飲んでください
日頃おすすめのホワイトデーギフトです
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これまでの放送内容と
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この番組はJA福岡やめ
道の駅村方
餃子のヤマハチの提供でお送りいたしました
ご案内は坂田秀大でした
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