00:09
古代の福岡を歩くシーズン9 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる 古代の福岡を歩くシーズン9
この番組は 宮益の企画協賛
養座のヤマハチ 道の駅村方の提供でお送りいたします。
こんばんは、坂田周大です。 今週も9月から再び発掘調査が始まった佐賀県吉野ヶ里遺跡についてお送りします。
吉野ヶ里遺跡では今年6月までの調査では人骨や服装品は出土しませんでしたが、今回は石棺棒の周辺を掘り下げてさらに調査をするということでした。
お話を吉野ヶ里遺跡調査指導委員会委員長を務められ、佐賀城本丸歴史館の館長でもいらっしゃる
七田忠明さんに伺っていきます。 今日は和の国王として出てきます
水晶について聞きます。 西暦107年のことです。
五漢書には和の国王水晶が五漢の皇帝に 西江160人を献じ越見をこうとあります。
この水晶が吉野ヶ里の国の王ではないだろうかという説を七田さんが発表なさいました。
話を伺っていきます。 インタビューはこの番組の津川ディレクターです。
水晶について話を伺っています。
03:07
水晶について話を伺っています。
この和国王水晶の107年の外交以降に如実に吉野ヶ里史跡で
豊出部や室宮倉などの出入り口などが出始めるのです。
その前段階は57年の鹿児島から出た金をいただいた時の外交です。
和の七国王と言っていますが、和国の一つの小さな国の王様に
中国の王が金を渡すわけないですよね。
やはり日本の王なんですね。和国の王なんですね。
和道国とか呼ぶ人もいますし、大和国と呼ぶ人もいますしね。
次の50年後の水晶はもう金をもらっていないんですよね。
一度五巻からいただいていますから。日本国王がですね。
だからそういうことなんですけれども、
地名もですね、かなり関係していまして、
目とですね、和国王水晶はですね、五巻上に書いてあるんですけれども、
五巻上は本物残っていませんよね。もちろんですね。
写して写して写して写本が残っている。
あんが古い時期にですね、本物の五巻上を見たんでしょうね。
それらを引用したのがですね、いろんな古本が残っていまして、
それにはですね、ほとんど和の目と国王水晶とかですね、
和の目と王水晶と書いてあるんですね。
目とというのは面、王面の面ですね。
王面の面ですね。
土、目とって書いてあるんですね。
だからもともとは和の目と王ですね。
国王と書いてあった可能性が高いんですよね。
そういったことがよく言われていますけれども。
和の目と王ですね。
吉野ヶ里の修楽の変化とですね、金合わせで考えると、
吉野ヶ里石のすぐ東側にですね、
至近の距離にメタバルとかですね、
メタという地名が残っているんですね。
だからその地名の関係ですけれども、
次の古文時代ですね、
要は吉野ヶ里石を含んだこの一帯はですね、
畜死のメタの国の宮津湖というですね、
豪族に支配されるんですね。
そのメタは米が多いと書いてあるんですけれども、
06:01
米が多い。
先ほどの面と土ですね。
面と土、通じますよね。
読み方としては通じます。
音は通じますね。
これほどですね、
中国との修楽構造の類似とかですね、
地名とかですね、
こんなのが豊富にですね、
残っている地域でしょ。
残っている場所でしょ。
他の水底地はただ地名だけであるとかですね、
鏡が出ているからではですね、
やっぱり比べたらこちらのほうが非常に説明しやすいというかですね、
強いと思うんですね。
もう一つは、
米と水晶ですね。
水晶、日本人で初めて分かる人名なんですけれどもね、
その後ですね、
姫子さんが外交やってますよね、
銀の国と。
その時の外交課のトップが南昌米。
南昌米。
南昌米とか言われて、
それは南と昌と米でしょ。
昌は水晶の昌ですよね。
水晶の昌ですね。
南昌米。
米は米ですよね。
米との米ですよね。
だから名を取っていると思いますね。
だから107年の水晶からずっと出て、
山田彦の時代まで、
その遺族がですね、かなり絡んでるんじゃないかと思うんですね。
山田彦の長官次官というのがまたいますよね。
姫子さんは国王だから、
山田彦も含んだ日本全体の王様ですよね。
山田彦には行間とかですね、
行間という長官がいるんですよね。
次官が三馬賞。
これも三馬賞ですね。
八重の八と馬ですね。
水晶の賞ですね。
だから、目と賞でしょ。
みんな目と賞を持っているんですね。
直結にね。
和国の姫子さん直結の偉い方の中にも目と賞を名を付けた人がいるんですよね。
だから私は一連のものとしてですね、
繋がっているんじゃないかという感じがするんですね。
あの地域だけでそこら辺の人が浮かんでくるというかですね。
現在でもありますもんね。
名前を代々受け継いでいらっしゃるところもありますよね。
そういう名前から言っても、
和、目と国王、水晶というのが吉戸川の王様だろうということですね。
それからこの水晶さんはこちらへ戻ってくるときに、
09:06
おそらく道鏡とかですね、鏡とかですね、
それから剣とかそういうものを持って帰っていると思うんですね。
それは大体どこから発掘できたんですか?
五巻、107年ですからね。
五巻時代に十分入っていますから。
でもいただいてくるとすれば五巻時代の鏡でしょうね。
全般のですね、どちらかというと古いタイプの鏡だろうと思うんですけれども。
それも九州でおそらく時代から出てますよね。
たくさん出てますから。
この遺跡からということはなかなか難しいんですけれどもね。
やっぱり吉野原近辺からあるんですか?
吉野原遺跡近辺からもですね、たくさんの遺跡があって、
中でもですね、上峰町と吉野原町にまたがる二塚山遺跡とかですね、
吉野原町のですね、吉野原遺跡のすぐ北側にですね、三長田遺跡というのがありまして、
どちらからもですね、数枚のですね、中国の大きな鏡がですね、出てるんですよね。
そこら辺は私はもう、結論的に言うと吉野原の王様を排出したですね、
集団の墓地だろうと思ってるんですね。
そこら辺のどなたかがですね、和国を推奨とった可能性も十分考えられると思います。
吉野原近辺の市町、これやっぱり、あちこちに次はこの辺があるというふうに、点々とするというふうに。
そうですね。鏡のですね、新旧関係がありますよね。
古いものから新しいものへのずっと変化を見ると、あちらこちらの集落で動くんですね。
動くんですか。
二塚山遺跡が一番今のところ古いんですけれども、全館の大きな鏡を持ってるんですね。
それから次は吉野原遺跡に近い、近いと言っても3キロぐらい北ですけれどもね、三長田遺跡に来て、
また4キロぐらい東の二塚山遺跡に戻ってですね、
次は二塚山遺跡のすぐ北の松間遺跡とかですね、あちらこちらで大きな鏡が出てくるんですよね。
だから私はもう吉野原遺跡の王様というのは、国ですね、吉野原の国。
すなわち地域社会、範囲の広いですね、地域社会の中の有力者がですね、
みんなで壊れて大いになって、吉野原で不倫をしてきて国を運営するというようなですね、
仕組みが出来上がっているんじゃないかと思うんですね。これ強立です。
12:00
愛美子さんは強立されました。地域治りですね。そういった仕組みが出来上がっているんじゃないかと思います。
それで王様が役目を終えたり、あるいは亡くなって、自分のところに戻るという。
はい、家族のもとにですね、と思います。
同族のところへ戻って、そこで埋葬される。
王様が権力の象徴であった鏡とかですね、武器を備えてですね。
やっぱりその市町は鏡というのが一つなんですか?それとも複数あるんですか?
吉野原だけではなくてですね、佐賀県とかだいたい築地平野ですね。
西折から南の方は一人一枚なんですね。
吉野原市中にもたくさんそういった墓地があるんですけれども、いくら掘っても一人一枚なんですね。
そうなんですか。
私は大学時代から先輩たちからですね、福岡の先輩からお前のところは鏡が一番だから貧困だなというような感じを言われていたんですけれどもね。
もんもんとしてたんですけれども。
ただですね、中国の特に五官のですね、高官、高い身分の役人とか、武官をですね、治めた洛陽商工官房というのがあるんですね。
集団墓地です。
そこの古墳を見ていますと、一人埋葬の墓をですね、抜き出して見てみると、
36年くらいあったんですけどね、ほとんどが一人一枚なんですね、鏡が。
そうなんですか。
これあの、義の国を、三国のですね、吉島神社の義の国をつくった、曹操ですよね。
この墓が見つかりましたよね。
あれは鉄の鏡一枚ですよね。
ああ、そうですね。
だからあちらこちらの大御旧のお墓からですね、やっぱり一枚なんですね、基本的に。
小さいのを含んだ二枚とかですね。
だから鏡の服装というのは中国の文化圏では、一枚が基本なんですね。
ただ日本の国家は鏡が大好きなんで、たくさん持っている方は王様の中の王様だということにも言われますよね。
だからその中国の在り方とそのギャップがですね、なんてだろうと思うんですよね。
なるほど。
じゃあ基本的には大体一枚。
一枚が中国の文化ですよね、文化ですね。
ただ宝物をたくさん持った人についてですね、吉島神社の中に一つ書いてあるんですね。
これ日本の長官とか王様のことじゃなくてですね、中国と外交やりますよね。
その時はまじないしゅうにおけていくんですね、常に。
これも重要な役割でしてね、災難に遭わないようにですね。
15:01
その外交が成功して帰ってきたら皆でですね、派遣をした王様たちで宝物をたくさん与えるって書いてあるんですよね。
だから中国の記録に日本人で宝物をたくさん与えられたという人はですね、自災と呼ばれるんですね。人物しかいないんですね。
日本の王様がたくさんいいものを持っているのかどこかにも書いてないんですよね。
だから何度か中国の外交の成果がですね、中国の文化に残ってますからね。
数人は成功してますよね。その数人、自災と呼ばれるまじないをやる方。
この方がどこかに埋まっているわけですよね。それもたくさんの宝物をいただいてますから。
そういったこともですね、ちょっと考えられなかった。
またお住みっこにはですね、置いておかなきゃいけないなと思ってですね。
日中外交ですね。記録に残っただけでも57年ですよね。
その前にも何度か言ってますけども、57年、107年、239年の秘密庫ですね。
秘密庫もあと2回、その次の相乗、伊予もですね、外交やってますから。
その間にいろんなですね、文物の一揆とともに自災、成功してますからね。
何人か自災がいてもらってるんですよね。宝物をたくさん。王様たちから日本の。
だからそういったことも考えなきゃいけないなと思って。
それからですね、水晶が行った時に成功160人が出ていったというのがありますね。
成功は単なる奴隷で考えていいんですか?
今まではずっと奴隷と言われてましたね。技術者とか言われてましたけども。
奴隷とか技術者というとですね、中国はもう内乱、戦争をたくさんやってますよね。
もうあふれてますよね。わざわざですね、日本から連れていく意味はないですよね。
そうですよね。
それを特化技がですね、禅観状ですね、観状の中に落狼界中和神ありと書いてありますね。
高校でも習いますけれども、その前にですね、儒教の孔子がですね、
中国では道徳が無くなってきたから、それを守っている宮尉、日本も含んでますけども、
中国の東の地域に行かないのって行きたい、そこに住みたいと言ったんですよね。
ということが論語でも残っています。
それが観状中理史の中に書いてあって、
ゆえやらんやと書いてあるんですね。どういった意味があるんだろうか。
それが落狼界中に和神がいると書いてあるんですね。
18:02
彼らはちゃんと祭祀、時間を決めてですね、
落狼軍に行って、そこで中国の皇帝に対して、
祭物をちゃんとしているんだ、徳を守っているんだ、と書いてあるんですね。
それができたのが五感、紀元前100年のちょっと前、紀元後100年のちょっと前なんですね。
その後に若くしてたったのが安定という五感の皇帝ですよね。
子供さんなんですね、若い。
若い人は徳を持っていませんよね、あんまりね。
中国の皇帝は徳を持つことが一番大事なことで、
それを親民に授けるというのが一番の仕事なんですね。
私は若い皇帝がですね、周囲の人を含んで五感、観状ができましたからね。
みんな酔いますよね。
その中に孔子がですね、日本人は徳を守っているということを書いてありますのでね、
その道徳をですね、自分も欲しいと思ってですね、日本の王様に所持したんだろうと思うんですね。
いきなり出てきますよね、成功がですね。
こういったことは京都大学のですね、岡村さんがですね、先生がおっしゃってます。
彼だけなんですけれどもね、私は非常にいい考えでしてね、本当にいい考えだなと思っています。
でなきゃ日本からですね、人間が持っていく意味がないですよね。
要するに徳を持っている人物たちをですね、
忘れていったと思います。
だからまあまあ回想のいいですね、人々でしょうね。
姫子さんも最初は10人ですね。2回目が人数変えてません。
伊予も30人ですね。
そういった数百人のですね、人が九州北部からですね、連れて行かれているんですよね。
プレゼントされているんです。
彼らがどんなことをやったのかは、中国の居留国に今のところ出てきていませんので、
結構興味あるところですけれどもね、やっぱり大事に扱えたんだろうと思うんですね。
そうですよね。学問のあるような方を連れて行ったかもわからないですね。
いわば留学生みたいな人を連れて行ったんじゃないかなという。
少し時代が新しくなればですね、そういった感じなんでしょうけれどもね。
僕らが成功と、成功イコール奴隷という風にして。
僕たちもそう習いましたんでね。ただやっぱり岡村先生がご指摘したようにですね、
21:01
いろんな面比べてはやっぱりそう考えた方がいいなと。
そっちのほうはあれですね、考えられますね。
国土学校の教科書にもですね、その前の一部も載っけて欲しいんですよね。
中華人やるだけじゃなくてですね。
そうしたら日本人の良さというのがですね、よくわかるんですね。
この子らいから育てたんだということがわかりますから。
今夜は和国の王、和名国の王、水晶の話。
水晶は吉野狩りの国の王ではないのだろうかというお話でした。
吉野狩り遺跡調査指導委員会委員長で、
佐賀城本丸歴史館の館長でもいらっしゃる七田忠明さんに津川ディレクターが伺いました。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。
今日はスイーツのお話です。
吉野狩り遺跡にちなんだネーミングのデザートを作ってる店があるんです。
吉野狩り歴史公園最寄り駅、JRの吉野狩り駅から歩いて5分くらいのところにあります、
牧釜ピッザフェリーチェというお店なんです。
ピザ屋さんですね。
そうなんですよ。
作ってるのがモノミヤグラのタルト。
高さがありそうなタルトですね。
その後に写真持ってきましたけどね、20センチくらいの高さで作ってるんです。
なんか本当に縦にこんもりと。
そうなんです。
でもカラフルですね。
そうなんです。私行ったとき9月の末だったんですけど、
ちょうどね、シャインマスカットのモノミヤグラのタルトが出てたので頼んでみたんです。
一番下が薄いタルト生地で、中ほどがほぼ15センチから18センチくらいの間のボディの部分。
断面がシャインマスカットの断面になっていくんですけど、
グリーンの丸いのが水玉のように見えますよ。
その通りなんですよ。
一番上にまたこれ、6、7センチくらいふわふわの生クリームが乗っかってて、
全部で21、22センチあるかなって感じなんです。
モノミヤグラって感じですね。
でしょう。考え出した代表の荒木勝利さんの話聞きました。
できるだけ生クリームをたっぷり使った商品を作ろうと思ってました。
ただフルーツをたっぷり使おうと思って。
確かにモノミヤグラっぽいですよね。
いや、モノミヤグラです。
縦に崩しながら食べるのが楽しそうですね。
そうなんですよ。
面白いのがですね、真ん中部分のシャインマスカットが入っているところ、
このシャインマスカットの周りはババロア、
アンニンチーズババロアでシャインマスカットをまとめている感じなんです。
空間はそうなんですけど、ピザ屋ですからチーズちょっと使いたくてっておっしゃるんですけどね。
24:01
いろんな季節の果物で作ってらっしゃってて、
一番最初はバナナからスタートしたんですって。
バナナを丸太に見せかけて組んでいって積んでいって、
作ったのが一番最初のモノミヤグラだった。
そうですか。
今も定番であるんですけど、生チョコでバナナの空間を埋めていく感じなんですよね。
他にもイチゴでしょ、マンゴーでしょ、
あとサツマイモも作ったことがあるらしく、
ピザ屋さん、釜でピザ焼くんで、同じ釜でサツマイモ焼いて、
元の甘さを出しておいて、それをベースにしてヤグラにします。
今後はですね、季節柄、あと柿とかね、
リンゴ、焼きリンゴにして、焼きリンゴはプリン味と混ぜていくんですよね、
嬉しそうに話してたんですよね。
どうやって積んでいくのか考えるのもなかなか大変そうなんですが、
この秋以降はこんなメニューも考えてるみたいなんです。
土器にちなんだ中にピザ生地を焼いてですね、
器のような感じにして新しく作ろうと思っています。
土器ピザを教えてもらってもいいですか?
土器ピザもピザうちナポリピザの店なんですけども、
それを器のような形で焼くんですけども、
コップみたいな形で焼くんですか?
焼き方はちょっと企業秘密なんですけど、
それで釜で焼いて、そこの中にビーフチューだったり、
そこにチーズ入れたりですね、
生地を割ってそれでつけて食べてもらうような感じで今考えてます。
平たいピザじゃないわけですね。
そうなんですよ。
多分ピザ生地で土器っぽく巻くとかなりリアルな感じになるんじゃないかとワクワクするんですけどね。
楽しいですね。
さらにせっかくなんで土器パフェも作ろうかなと思ってます。
いろいろ考えてらっしゃるんですよね。
お隣の町で育ったという荒木さんなんですけど、
子供の頃その遺跡が今みたいに公園化されてなかったんで近くで遊んだ記憶もありますし、
常にモノミヤグラ見えるのでっていうふうにおっしゃるんですが、
でも実は歴史は別に好きではないとおっしゃるんですよ。
これだけがっつりね、浸っておきながら。
どんな気持ちでこの吉野川遺跡を見てらっしゃるのかちょっと聞いてみました。
今度またいろいろ発掘されてない場所もあるんで、
発掘されたらまた面白い町になるのかなと思います。
若い人たちでも発掘どうなるかなっていう。
そうですね。やっぱり気にはなりますね。
なので僕もそれが出たらまた商品どんどんそれにちなんで出していくような感じですね。
古代史ファンがね、本当に広く集まってきますからね。
そうなんですよ。出てくるものによってメニューが増えるのも楽しみですけどね。
ピザを食べてモノミヤグラを食べて、今まで見てきた吉野川遺跡の総括をするっていうか、
みんなであれこれ話すティータイムも楽しいんじゃないかと思います。
締めにいいかもしれませんね。
27:00
通常は2,30代の女性が大変多いんですが、
もう全然年齢関係なく男性も大歓迎ですよ、いっぱい食べてくださいって荒木代表言ってましたんで、
牧川ピッツァフェリーチェでおいしい時間を過ごしてください。
中嶋理恵さんでした。
番組からのお知らせです。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの、
古代の福岡を歩くシーズン9のバナーをクリックしてください。
また、ラジオクラウドという無料アプリをダウンロードすれば、スマートフォンやタブレットでもお聞きいただけます。
この番組は、宮山市の企画協賛、
餃子の山鉢、道の駅室方の提供でお送りいたしました。
ご案内は、坂田周代でした。
地下鉄祇園駅から徒歩2分、RKBスタービル博多祇園スタジオは、
ポッドキャストなどの音声コンテンツの収録から動画のライブ配信まで、
様々なニーズにお答えできるレンタルスタジオです。
お問い合わせご予約は、スタービル博多祇園のホームページからどうぞ。