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古代の福岡を歩くステージA。 海の道から空の道へ。
安曇族の足跡を探る。 この番組は安曇野市観光協会
安曇野市大王わさび農場 塩尻市観光協会
FDA富士ドリームエアラインズの企画共産 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
こんばんは、坂田周代です。 先週から安曇野に伝わる
儀式の八面大王伝説にまつわる場所を 訪ねています。
ご案内を安曇野案内人クラブの 川崎克幸さんにお願いしました。
まず安曇族と関係が深いとみられる有明山の近くの 有明山神社を訪ねました。
手水屋の天井に素晴らしい彫刻がありました。 そして楼門をくぐったところに面白い石がありました。
楼門をくぐって出てきました。 こま犬が両側におります。
そして右側にですね、 海運祥福の碑という
これですか。 これがくぐるわけですね。
実に面白い形をしています。 海運祥福の碑と書いてある石碑です。
形は5円玉を1メートルの大きさにして真ん中の四角い穴をくぐるものです。 面白いのは真ん中の四角い穴を口の字として読む点です。
口の前後と左右に一文字ずつ文字が書いてあり、 その文字と口の字を合わせて読むのです。
一種の熟語になるという石です。 そして
こちらに面しているのは4つの字が 前後左右に書いてあると。
一番上に5と書いてまして、5と下の口を合わせて割れという感じで読んでいくのです。
ここに東の面に割れ、ただ、 樽を知ると文に休んじてむさぶらないということが書いてあるそうです。
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そしてこの裏側にやっぱり同じような感じで、 吉と有字とそれから呼ぶ、人を呼ぶ、それから因ですね。
これを数と読んで、あと一番最後に和。 和という字も右側に口の字がきますね。
そういうことで、吉読んで数和すと。 喜びを集めてなごやかにというふうなことが書いてあって。
この石をくぐるんですか? くぐるんですね。
くぐれますか? ようほどのことがない限り大丈夫ですね。
ちなみにちょっとくぐってみましょう。 頭の上から足からくぐるんですか?
私くぐってもいいですか? 川崎さんがくぐってくれるということで。
腰が曲がりそう。 頭からくぐるとくぐりますね。
という感じでこれを海運、海運祥福、 福を招くというそういう風なことが書いてありますね。
そういう風な石だそうで、非常によくできた 熟語の石と言うことができますね。
海運祥福の石をくぐって拝殿で参拝し、今度はすぐ近くにあります 八面大王が住んでいたという儀式の岩屋を目指し、山道に入ってきました。
祥福寺というお寺が見えてきました。 このお寺も八面大王ゆかりのお寺になります。
そうなんですか。なんというお寺なのか。 祥福寺ですね。
八面大王とどんな関係があるんですか。 八面大王がこれから行く儀式の岩屋に住んでいましたよね。
八面大王を成立した後、そこに観音堂を建てて、 彫刻をさせたのがこのお寺ということです。
そうですか。 今その儀式の岩屋の上に観音堂というのが建ってますよね。あれですか。
五竜山といって五竜の滝というのがどこかこの辺りにあるらしいんですけど、 八面大王が使っていた石の剣ですよね。
石剣ですね。 それが3つに折れた。
そのうちの一つがこちらに納められたという。 祥福寺に。
八面大王の剣の。 ただその所在は分からないですよね。すでにもう。
あっちこっちに分かれて。 なるほど。どこ行ったか分からないという。残念ですね。
万丸寺というところに納められているとかって言うんですけど、 そんなものはないとかね。
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これ自体が祥福寺山なんですか? 全体が。
もうこれしか残っていませんけど、 十編写一句が東海道中ひざくりげという本を出しましたよね。
十編写一句というのは江戸時代に小説だけで食っていける初めての物書きだと言われていますけど、
その人が祥福ひざくりげというのを書いたんですよ。 その時にここを訪れているんですね。
ここのお不動様をお参りするために。
ですから江戸時代は非常に有名なお不動様だったんですね。 今はこうなってますけど、無住、現職いないですけど。
誰もいらっしゃらないね。
次は、儀式の岩屋、 岩屋の方に歩いていきます。
祥福寺というお寺を過ぎました。 お寺の横に道があります。1メーター幅ぐらいの細い道ですが、
この細い道を歩いていきます。 道祖人が道のあちこちに祀ってありますね。
だいたい10メーター間隔に1つぐらい。 30センチぐらいの大きさの道祖人ですね。
これが次から次に出てきます。
ちょっと話をこの辺から伺いたいんですが、八面大王の話ですね。
八面大王の話が、神父陶器という、小浅原藩の御家来さんがお書きになった本の説と、
それからもう一つ、どなたがお書きになったかわからないということですけれども、
その本が、西奈乱象記という本がありまして、それぞれに八面大王の話が出てくるんですが、
少しずつ違っているということで、その辺の違いを簡単にご紹介していただこうと思います。
まず、神父陶器の方の八面大王の話はどういうふうな話ですか。
神父陶器の方は、退治した人の名前がまず違うんですね。
神父陶器の方は、坂上の田村丸を省略して田村と呼んだりしてますけども、
退治されたのは八面大王ということになるんですけども、
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西奈乱象記の方は、退治した人は、西奈氏の家来の戸どろき玄馬之介というのがいるんですけども、
戸どろき氏の息子の田村の忌森という、同じく田村がついている家具品ですが、田村の忌森という人が退治したと。
しかも八面大王は一人ではなくて、八人の軍刀の鬼ですね。
はいはい。盗賊ですね。
その八人が、里に出る時に顔に色を塗ったり、いろんなことをして出てきたので、それをひっくるめて八鬼、八つの鬼ですね、八鬼って言うんですが、
ですから一人で八面大王というのと、八人で八鬼って言う違いはあるんですね。
はい。そして、西奈乱象記の方はですね、これは西奈氏の人たちが、200円ぐらいですかね、
飯を作るような話になるんですね。
ですから、一応朝廷の方の許可を得たという形にはなるんだけれども、地元のそういう、その頃武士っていうあれがあったかどうかですけど、
いわゆる侍と、それから村の若者を集めて、退治したという風になっているんですね。
ところが神父陶器の方は、坂上の田村真郎が、恵美市を征伐する、遠く行く途中にここに立ち寄って征伐したという話になっているんですね。
これはどちらが先でどちらが後かということはよくわからないんですが、
そういう二つの伝承が残っているということですね。
そういうのを頭に入れながら、これからの説明をお聞きになるとよくわかると思います。
安住野に伝承として残る八面大王伝説、二つの説があることがわかりました。
一つは、1724年に松本藩が作った神父陶器というものです。
これには儀式という名の鬼が八面大王と称し中草山に住み、神社仏閣を壊し民家を焼いたりしたので、坂の上の田村真郎が討伐したというものです。
大王の体はバラバラにされ、あちこちに埋められたと言われ、今でも耳塚や首塚として残されているということです。
もう一つは、西名乱章記という西名氏の歴史を書いた本の中に出てくるもので、こちらには8人の盗賊が八面大王として登場し、田村の祈りや西名一族によって討伐されるという物語です。
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こういった二つの伝承が今に伝えられています。
話を伺っているうち、儀式の岩屋が目の前に見えてきました。
今から行きますところは?
熊よけです。
あ、熊よけですか。
熊も出るんですか、この辺り。
いや、熊出ません。
あ、そうですか。
熊よけの鐘を一つ鳴らしまして、山道を歩きます。
細い山道ですが、そんなに険しい山道じゃなくて、だらだら坂、下り坂を歩いています。
先ほどの正福寺というところからもうだいぶ来ましたけれども、もうちょっとで儀式の岩屋へ出るところです。
なぜ儀式の岩屋へ行っているかと言いますと、先ほどお話ししました、八面大王が儀式の岩屋にいたという伝承があるんです。
一体どういうところか、今から行きます。
この道筋がなんとなく心を和らげてくれると言いますか、おっとしますね。
これを見ていると歩き続けられるという。
目の前に見えてきました。
これが観音堂ですか。
観音堂と言われるお堂が見えてきました。
八面大王のたたりを締めるために正福寺の住職に命じて作らせたという。
八面大王のたたりを納めるために正福寺の住職が作ったそうです。
小さなお堂が一つ、急な下り坂で滑らないように降りていきます。
この観音堂の下に儀式の岩屋の部分があります。
この下が巨大な岩になってまして、魔害物が一つ見えましたね。
仏様が岩に掘ってあります。
これは30センチぐらいの大きさの仏様が掘ってあります。
この岩が大きいですね。
この岩がだいたい横幅が8メーター、そして幅が4メーターぐらいあるということで、
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看板が出てまして横穴式石室であるというふうなことが書いてますが、
昔はドルメンじゃないかというふうに言われていましたね。
ドルメン式の古墳ということで、全国的に珍しいということですね。
なおかつそれが海の民の創生といいますかね、それに類似するものがあるんじゃないかという説もありますよね。
海の民は一回埋葬した遺体をあげて焼いて、その遺骨を洗ってまた収めるというそういうやり方だったらしいんですけど、
ここも掘った時に中から炭とかが出たらしいんですね。
そういうあれがあったんじゃないかななんていう説も出たりしてますけど、それは違うんだと。
それは有明の行者がここに籠って信仰したたけびえの跡だと。
あとここからいろいろ古墳につきもののいろんなものが出土してますので、ここが古墳であったことは確かですね。
だいたい古墳としては7世紀前後くらいになりますか?
そうですね、7世紀ですね。
この穴が開いている部分ですね、1メーターほどの高さになってまして、その上にだいたい横幅が8メーターかける4メーターくらいですか、そういう岩が乗っかっているというふうなことですね。
そして岩にこの上の方にも魔害物が掘ってありますね、3つくらい見えますね。
3つですね、八面大王が住んでいた穴じゃないかというふうに言われていますね。
この周りに八面大王の部下たちがいた古墳もあるというんですけども、
ちょっとこういう森に紛れていて、私はちょっと確認したことがあるんですが、ちょっと離れたところにはたくさんの帆高古墳群といって80から100くらいの古墳が残っていたりしますけども、
それは必ずしも八面大王の部下あるいは安住族の名残りの古墳かということはちょっと確認はできないですけどね。
この儀式の岩屋の周りですけども、これはもう本当に林ですね。
鬱草として林に囲まれたところにポツンとここに古墳があるというのも非常に珍しいと思います。
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中には福岡県のやめ地方の古墳によく似ているとおっしゃる方もいらっしゃいます。
それで八面大王のことをやめの大王というふうに読み換えていらっしゃる方もいらっしゃいますね。
やめの大君ですね。
そういう位の高い人がこちらへ福岡の本府から来られたんじゃないかというふうな説もあるということですね。
こういった説は品野安住族の謎を追うの著者坂本博さん、千尋美術館の松本武さんといった方が取っていらっしゃいます。
岩井の乱で岩井の君が殺されて、その息子の屑子、彼が三宅を差し出して命乗りをして、その屑子が安住族を引き連れてこちらの方に落ち延びてきたと。
やめの本府ですよね、岩井の君の。
ですからやめの大君って言われた、それが八面大王になったという説ですね。
非常にストーリー性とロマンのあるお話ですよね。
残念ながら坂上賜室に制伐された。
ですから八面大王はただの盗賊だという説と、それからいやそうじゃないんだと、朝廷の横暴に抵抗する民の対象であるという、そういう説があるんです。
後から行く大王旭園にもこういう祠が作られて、八面大王を祀られていますけれども、そちらの方は八面大王は善人説だと、良い人だと、地元の民を救おうとした善良な大名である。
市民の側に立った人たちなんだ。
解釈次第でどうにもなるんだけれども、
それは歴史ですから仕方ないですよね。
自分の思いの中で過去のそういう人の人物の行跡を解釈していくっていうことだろうと思うんですけども。
そういう伝承が今でもいくつかあるということで、大変面白い伝承ですよね。
この儀式の岩屋という小さな岩穴からそういう伝承が生まれたということも言えると思います。
中は非常に広いんです。
中は見えますか?
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ちょっと中を覗いてみます。真っ暗なんですけども見えませんね。
天井は低いですね。
1メートルもないぐらいの天井ですね。
かがんで入らないと入れないぐらいですけども、おそらく中はそんなに広くないですよね。
資料で調べますと、古墳の中は最大幅が2.7メートル、高さが2.5メートルあるんだそうです。
儀式の八面大王が立てこもったと言われる岩屋でした。
千尋美術館の松本さんの説では、八面大王と安住族はこの近くのネズミ穴という場所を支配しており、
大きな岩、幕岩から村の様子を伺っていたと言います。
そして傘岩という巨大な岩を八面大王が坂の上の田村丸に投げつけたところ、
田村丸は傘を半開きの状態で受け止めたということです。
そして八面大王は最後は山の奥に追い詰められ、
合戦沢というところで討伐されたのではという話です。
ネズミ穴は来週訪ねます。
ご案内を安住の案内人クラブの川崎克幸さんにお願いしました。
ここでリポーターの中嶋理恵さんです。
こんばんは。
今日は安住の市の大洋わさび農場のお話。
日本一広いわさび農場なんですね。
湧き水の流れ、川みたいなんですが、
中に鮮やかな緑のわさびの葉っぱが並んでるんですよ。
いいですね。
この時期、10月までは日よけのための寒冷車という黒いベールのようなものが
てっぺんにかかっているので、
緑のわさびを見るには横から眺めるのがいいということになるんですが、
なんといってもどんなに暑い真夏でも水温が14.5度ぐらいまでになるんですね。
冷たいんですね。
だからこの流れの中に手を浸せる場所もありますし、
足を浸せる場所もあるし、この時期最高の場所なんです。
この大洋わさび農場なんですが、なんで大王なのかと。
八面大王なんだろう。
やっぱりそう想像しますよね。
ほぼここまでこの番組を聞いていると正解が導き出されると思うんですが、
大洋わさび農場観光係の熊井奈月さんにその大王の理由を聞いています。
大洋わさび農場の大王の由来になっているのが、
このあずみ野に伝わる儀式八面大王という逸話から来てまして、
昔この辺りを治めておりました八面大王という人物が
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悪者として倒されてしまったんですけども、
大きい大男だったため、二度と復活しないようにということで、
胴体やいろんな部分をバラバラにされて各地に散らばって埋められたというところの中で、
こちらで八面大王の胴体が見つかったとされて祀っているんですが、
そこから大王という名前をとって、大洋わさび農場という名前にしておりまして、
やはりそうだったんですね。
そうだったんですよ。
大王が埋められていた真上のところに大王神社という神社を建っていましてね、
ここ表の門に巨大なわらじ、大王が大男だったという伝説になぞらえて、
人の背丈ぐらいあるような大きなわらじがお供えされているんですよ。
神社のベースは巨大な積み石がボコボコと積んであって、その上に親しろをかたててあるんですが、
この石自体は開墾したとき、わさび農場、もう109年前です。大正4年なんで。
それを積み上げたものなんですね。
さらにこの神社だけじゃなくて、大王が住処だったという伝説が残る、
先ほど本編でも話のあった儀式の岩屋。
これを模したかのような、まるで古墳のような洞窟、石を組み合わせて作っているんですね。
これも観光のポイントとして、ご覧なさいという感じで見せてくれているんです。
さらにはですね、大王様の見張り台というタイトルがついた小高い丘。
高さが4メートルから5メートルぐらいあるんですが、こういったものまで作られていました。
さあ、登ってみましたよ。
左のわさび高すごい。
盛り盛り緑だ。
すごい。ここから見る常年がめちゃくちゃ綺麗。
わさびと北アルプスとご覧いただけますので。
これは、大王様の持ち物ですね。
思わずそう言いたくなるぐらい絶景なんですよ。
ここが一番この大王わさび農場で高さが高い場所だと思われますので、すごい見晴らしが良くって、
今まで自分の見ていた大王わさび農場とは違う景色が見えるなという場所でした。
他にもね、幸せなメガホーンなんていって、わさびだを挟んでメッセージを向こう側に届けるような巨大メガホーンがあったりとか、
お食事所では沸き水で炊いたご飯に生わさびや鰹節、ネギ、海苔、醤油を乗っけて食べる本わさび飯なんかあったりしてね。
すごいんです。こんな風に食べ物、そして見るところ、いろんなものを設定するにはこんな理由がありました。
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わさびを育てるという農業としての部分と、
お客様に楽しんでいただくという観光という面でも合わせた施設になってますので、
皆さんに見て楽しんでいただく、食べて楽しんでいただく、癒されていただくっていうのが一番楽しんでいただきたい部分になりますね。
歴史も美味しいものも楽しめます。
あずみのの大和わさび農場への旅の玄関口は新州松本空港です。
FDA富士ドリームエアラインズの直行便でお出かけください。
中島理恵さんでした。
お知らせです。番組のホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの、古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
また、ラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、YouTubeなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は、あずみの市観光協会、あずみの市大和わさび農場、塩尻市観光協会、FDA富士ドリームエアラインズの企画協賛、
餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は高田修大でした。
数学教師芸人の高田先生だよ。
高田先生の算数ワクワクラジオ。
算数が不安なあなたを算数ファンに変えるポッドキャスト番組です。
アップル、スポティファイ、アマゾン、ラジコなど各種音声プラットフォームで配信中。
4649よろしく。