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2024-07-07 30:29

ST-A 安曇族の足跡を探るの14回目も仏像について

安曇野の松川村にある観松院の仏像は、安曇族が持ち込んだのでは、とみていらっしゃるちひろ美術館の松本猛さん。
話はどうやら、527年の磐井の乱と関係ありそうです。
松本さんの説では、磐井の乱の際、磐井がヤマト王権側に敗れたため磐井側だった安曇族は日本海を遡って逃亡。
新潟県糸魚川あたりから陸路安曇野へ入ったのではないか、その際、仏像ももって安曇野へ入った、とみています。
そして、安曇野の有明山が見える明科辺りを拠点としたのではないかとみています。
有明山は対馬にもあり、安曇族と関係の深い山だから、ということです。
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古代の福岡を歩くST-A 海の道から空の道へ 安曇族の足跡を探る
この番組は安曇野市観光協会 安曇野市大王わさび農場
塩尻市観光協会 FDA富士ドリームエアラインズの企画共産
餃子のヤマハチの提供でお送りいたします
キャベツ、ニンジン、タマネギ、ニラにネギ 野菜だけで作った優しい餃子ができました
お肉が食べられない方も安心してお召し上がりいただけます 餃子のヤマハチの優しい餃子です
こんばんは、坂田周大です 先週は長野県松川村の観賞院というお寺にある仏像と
津島の上林寺によく似た仏像があり 調査の結果2つの仏像は九太良の同じ工房で作られたことが分かったという話を紹介しました
そのうちの一つ松川村の観賞院の仏像はどうやら 安住族がお寺に持ち込んだものではないかと見ていらっしゃる方がいます
松川村の千尋美術館常任顧問の松本武さんです 観賞院の仏像の前でお話を伺っています
これは非常に胴体が細くて 繁華像といって繁華紙像というふうに一般的に言われることが多いんですけど
それは今正面を向けて手を見せていますが これを頬に添えていると繁華紙像なんですね
要するに物を考えていると示意するという だからこれがその手が正面を向いているものですから
繁華紙像と言わずに繁華像というふうに言っているんですけれども
実はこの手からちょうど肘のあたり 右手の肘のあたりから先が後で補うという字を書きますが
木なんですね それも混同物なんですけど あそこから先だけが木なんです
それでそれが割に新しく継がれたものなんですね
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ただ重要文化財に指定されたときに もう既に手がついちゃってたものですから
あれがついてなかったらひょっとしたら 黒本だったかもしれないと僕は思いますが
いろんな伝説は山ほどあるんですね
住職がぶっ払っちゃってどんどんとか いろんな話があるんですが
それはともかくとして あの手はおそらく本来であれば頬に添えられた形だろうと
添えて考えているような
これはX線で撮ったときにそれははっきりしましたし そういうことが分かっているんですが
この細い胴体と 今ちょっと暗くてあまり顔の造形見えませんけれども
それを見るとやっぱり 虜物の形に非常に近いんですね
特に天冠の冠のあたりの飾りを見ると
当時の6世紀7世紀頃の 混同物の特徴がたくさん出てきていて
そうなんですか
いずれにしても 僕は初めてここに来たときに
千尋美術館というものを作るときに ここに来たんですが
そのときに教研会の方に見せてもらって
大学のときに僕は彫刻史をちょっと勉強していたものですから
見た瞬間にこれは何でここにあるんだろう というふうに思ったんですね
それで興味を持って調べ始めるったら
大学の研究者の連中も一緒になって 調べ始めたんですけれども
そうしたらこの安住野というエリアに これが来る理由を僕は知りたかったんですね
なんでこんな貴重なものが奈良じゃなくて
あるいは京都とかあの辺のエリア 滋賀県とかあの辺だったら分かるんですけど
こんな離れたところにポツンと来るというのは 普通考えられないんですよね
理由を調べていくと
安住という地名とこれが重なってくるんですね
つまり安住郡というのが作られたのが
646年大化の改新のその後の見事森のが発表されたときに
信濃の国安住郡というのが成立するんですね
その時の理由というのが
安住族の人たちがここに住んでいたから というふうに考えられる
そうなると
安住族というのを調べていくと
これは九州から来た天族ですね 怪人族ですよね
その人たちがここに来た
そうするといろいろ調べていくと
安住族の本拠地である鹿之島ももちろんそうなんですが
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それから津島だとか
そのあたりの地名が全部この辺に重なっているんですね
そうやって考えていくと
まずこれはその人たちが持ってきたと考えて間違いないだろうと
さらにここからそれほど離れてないんですけれども
長野県から新潟に入った前甲寺からちょっと北の方ですけれども
関川神社というのがありまして
そこにもこれとおそらくほとんど同じ窯で作られたと考えていい
これは立った竜像ですけれども
もあるんですね
ということは何らかの理由によって
安住族のしかも当時の状況から見て
この土来物というのを持ち得る人というのは
王族級じゃないと持ち得ないぐらいのものすごくレベルの高いものなんですね
ということは何らかの理由で
福岡の方から安住族がこっちにごそっと移動してこない限り無理なんです
しかもトップクラスの非常に階級の高い人たち王族クラスの人たちが
この一番貴重な仏像を携えてここに来ただろうということが考えられる
いろんな説がありますけれども
例えば赤階というエリアがあって
そこに赤階廃寺というお寺がある
大きながらんがある
それは婚留されたのがいつかというのは正確にわからないんですけれども
そこの赤階のところが全ての水路が重なる場所なんですよね
そうすると交通の便が水路の便が一番いい場所ですから
そこからさらにずっと上がっていって上高地の方に行くと
そこにも安住村という各地でそういう村があったので
今は松本市安住となってますけれども
そういうものを考えていくと
どうも赤階が拠点であった可能性が高いだろう
松本さんの話では
安住族の拠点は赤階辺りではないかということでした
ところでこの安住野に昔から伝えられている話で
八面大王の話があります
八面大王とその手下が
儀式の岩屋という岩穴に住み住民を苦しめていたけれども
坂の上の田村麻呂が討伐したという話です
この八面大王を松本さんは八面をやめと呼んで
福岡のやめの大王
安住族のトップクラスの人のことだと解釈していらっしゃいます
そうするとそこら辺が
安住族の本拠地であったと考えられると
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その後安住族が滅ぼされた
これ伝説としていろいろありますが
八面大王がその徒労だったんじゃないかという説がありますが
八面大王が制伐された時の
坂の上田村麻呂がやったと言ってますが
その時に赤品の南とか東の方に
鬼の名前がついた地名があったり
長雪という泣いた鬼の場所という地名があったり
矢がついた地名があったり
同じようにこっちの安住の北の方にも
いろんな八面大王の
縦足というのは足を埋めた場所だとか
耳塚というのは耳を埋めた場所だとかという説の
そういう場所があったりとか
合戦沢というのが残ってたりとか
そうすると赤品が滅ぼされた時に
赤品廃止がやられた時に
安住族の中心が右と左に
北と南の方にそれぞれ逃げていって
それぞれ滅ぼされたと考えると
地名がそこに残っているのが分かるんですね
そうするとこれはひょっとしたら
赤品廃止のところにもともとあったのかもしれない
ひょっとしてこの辺からは
推測の想像になっちゃいますけど
逃げる時にこれを持ってきたということも
考えられなくはないとか
いろんなことが考えられるんですよね
そんなふうに思うよと
もう一つは禅公寺というのも
大変古くからある寺なんですけども
あそこの本尊は
やっぱり虜物だったと言われてるんですよ
今は絶対秘物で見られないんですけれども
そこの本尊
前立観音といって出てくるやつがあるんですが
それを見てても
やっぱりベースは虜物だろうと
時期的に見ても
この辺の仏像と重なる可能性はあるわけですよね
そうやってみると
関川神社の仏像とこれは非常によく似てますから
観賞院の繁華像と関川神社の竜像と
これは両脇寺として存在した可能性もあると
だとすれば本尊は
禅公寺にあったんじゃないかということも
想像をたくましくすれば考えられると
いろいろとロマンは広がるんですよ
古代史の問題ですから
実際には論証ができないんですね
だけどこれを民族学とか
いろんなことから推論を立てていくしかないんですけれども
ここに少なくとも観賞院の世界的に見ても
重要な仏像があるということは
12:01
安宗民族の中枢がここに来たということは間違いない
それの論証になる仏像ではないかと私は思っています
松本さんの話
場所を千尋美術館に移してさらに伺っていきます
安宗族が安宗の家にやってきたのは
どうやら527年に起こった岩井の乱と関係がありそうなんです
なぜ安宗族がこちらに来たのかと
これ研究者の人たちは文献がないから説明はあまりしないんですけれども
僕なんかが考えているのは
九州王権が景大天皇と戦うわけですよね
岩井の乱の時に
岩井の乱で戦って1年間が決着つくまでかかっているじゃないですか
ということは勢力が逆行していたということですよね
その後の岩井のところの墳墓があるじゃないですか
あそこにあった巨石のもの
それがちょっと南の方にまた後で発見されてますよね
それを見るとあれだけ壊されて
殺されたということになって
全て壊滅されたということになっているけれども
あの巨石の古墳がその後にまだ発見されたということは
生き延びているということなんですよね
ということはどういうことかというと
景大岩井戦争というのは
僕は詫びだったんじゃないかと思っているんですよ
それで完璧に潰されたら
その後にあれが出てくるはずはないだろうと思うんですね
だとするとその時にだけど負けたことは間違いないので
中枢の人たちは追いやられるはずだと
そうなるとじゃあ逃げる場所ってどこかということを考えると
北の九州鹿野島あたりが中心だったとして
当然天族なわけですから
拠点がいくつもあるわけですよね
日野島もあったかもしれないし
津島はもちろん痕跡残ってますから
それから茅野諸国朝鮮半島の南部ですよね
そこ全部関係しているから
当然逃げるとしたら朝鮮半島に逃げていく
あるいは津島に逃げる
それは考えられることで
でもその後何が起こるかというと
茅野諸国は白木に滅ぼされるわけですよ
すぐその後に
そうすると朝鮮半島も生きる場所がなくなって
だったらどこに逃げるかというと
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もう日本海を北に向かって東に向かって逃げていけなくなるわけです
もともと実は5世紀くらいから
長野県には森将軍塾というのとか
それから大室古墳群というのがあるんですけれども
そこは調査すると分かるんですけど
5世紀6世紀くらいからも痕跡があるんですね
そこの古墳は
いわゆる小送りくだらにあった摘石塾古墳なんですよ
それがもう発見されていて
森将軍塾もあれが5世紀とか6世紀とかくらいのものなんですね
あれも朝鮮系の古墳の跡ですから
そうやってみると
すでに茅野の国が制定されるのは
大韓開支の見事通りですけれども
その前からここには朝鮮系の人たちがたくさん入ってたことは間違いない
実際にそうやって考えると
九州で敗れた安住族のグループは
その人たちを頼って
こちらに逃げてきたという可能性はあるんじゃないかなと思うんですね
これは信濃川から登ってきたという説もあれば
石川を遡ってきた
直江津から入ってきたという説もあれば
糸井川から入ってきたという説もあるし
これは特定なかなかできないですけれども
いずれにしても朝鮮半島の王朝の歴史を調べていくと
風水はとても大切にしているわけですよね
城を作るときには三方を山に囲まれて南が開けているというところに城を作るとか
そこを本拠地にするというのが一番いいと
そうなると安住野というのは大町のところから考えると
まさにその条件にピタッと揃っているわけですよね
そうすると安住野に王権の中枢であった人たちが
ここを本拠地にして住みつこうと
もともと朝鮮系の人とのつながりがこちらのエリアにはあったわけだから
そういう人を頼りながら住みつく場所として
安住野を選んだというのは考えられるんじゃないかなと思うんですよ
そうするとここに安住野の人たちが住んで
大海の改新の見事のりのときに
安住郡という名前が制定されたことが納得できると
ただその人たちがいつ来たのかと
1646年の大海の見事のりのときの
そのときにたくさんの人がいないと
そういうふうに名前が
あそこは安住野の里だということは言えないわけですから
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どのくらいの時間そこに人々が住みついたとき定着するのかと考えると
50年じゃちょっときついかなとか
100年かと言うと6世紀になるわけですよ
そうすると6世紀半ばに
この仏像は今当初は7世紀と言われてたんですけど
7世紀8世紀と言われてたんですけど
今7世紀まで少なくとも前半じゃない後半か
600年代であることは間違いないし
さらに遡れるかもしれないということが出てきてるんですね
そうやってみるとこれがもし遡って
そこまでいかないにしても
いずれにしてもかなり古い時代のものが
ここにもたらされた可能性はあるというふうに思うんですね
要するに安住族の人たちが
6世紀の半ばぐらいからここに入り込んでいれば100年経って
あそこには安住族の人たちが住んでいる場所だということが
公に知られるということは言えるだろうと
もう一つ考えられるのは
これは推論だから何を言ってもいいんですけれども
岩井の乱の時の戦った時に
一部は先にこっちに逃げ込んでたということも考えられると
だけど中枢は津島とか茅野の方に行ってて
だけど白木に滅ぼされた時に
この仏像を持ってまたこっちに逃れてきたというふうに
考えることもできなくはないと
いろんな可能性はありますけれども
いずれにしてもこれだけのレベルのものが
ここに来たということは
安住に中枢がいたということは考えられるだろうと思うんですね
八面大和伝説とそれが重なったとすれば
まさに大和朝廷としてはもともと逆族だったわけですから
安住族はそれを坂上賜室に制伐させるというのは
納得できる話で
その後西名新明宮というのができますけれども
西名新明宮の屋根の形というのは
伊勢神宮の形と同じなわけですよね
それは日本中に二つしかない
伊勢神宮と西名新明宮しかないわけですね
なんでそんなものをここに許したかというと
大和朝廷の権力というか
睨みがここでは効いてるんだよということを示さないといけなかったんじゃないかと
いうふうに僕は想像してるんですね
そうやってみるとここに本拠地があったと
しかも赤品に大河欄の跡があったということは
その大河欄を用いたというのは
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相当大きな文化がないとあそこにはできないわけですね
その文化というのは一体何だったのかというと
朝鮮半島から続いてきた文化人たちがそこに存在しなければ
大河欄なんか作れないわけですから
そういうものが大きな規模でここには存在してた可能性があると
それを完璧に完膚なきまでに抹殺したのが
坂上田村丸の成罰だったんじゃないかなと
いうふうには想像しているんですよね
そう考えるといろいろと理屈辻褄はあるなというふうに思います
あそこの赤品のところの川神社が
あれが今あるところよりはもともとはもっと大篠に近い方にあったと
いうふうに言われてるんですね
そうすると大篠と大河欄のあった場所から見ると
有明山は最も美しく見える場所なんですよ
そこに本拠地を置くというのはとても納得がいくんですね
有明山という山は津島にもあります
その有明山が目の前に見える場所に
安住族は拠点を置いたという話でした
お話を千尋美術館常任顧問の松本たけしさんに伺いました
この続きは来週お送りいたします
ここでリポーターの中島理恵さんです
こんばんは
今日は長野県の郷土食おやきをご紹介します
おやきおいしいですよね
もうねだいぶメジャーになりました
わかんない方のために説明すると
生地の中にお野菜などの具が入っている
言うなればお饅頭に一番近いかなという食べ物なんですが
この長野のおやき
焼くむす揚げ焼きなどいろいろ作り方があって
味わいも違うんですよ
今日はJRの帆高駅の近くにある
ハイヤキおやきを出している
ハイカラというお店をご紹介しようと思います
疑問に思うでしょ
ハイヤキ一体何なのか
この安住のおやきハイカラの代表
滝沢翼さんに
ハイヤキおやきってどんなのか聞きました
ハイヤキおやきを知らない人がほとんどですよね
県外から来られる方は結構知らないんですけど
ハイヤキおやきは硬いんですよ
カッチカチのおやきなので
もうフランスパンみたいなおやきだって説明しますね
食べ応えは
なんです
意外でしょ
カッチカチなんですか
カッチカチなんですね
でもハイで焼くって一体どういうことなのか
さらに滝沢さんに聞いてます
灰の中で表面を最後焼くんですけれども
基本的には最後灰の中で
24:01
温まっている灰の中で
最後のこの焼きの工程をやるのを
ハイヤキおやきという
このキラキラのキッチンの中に灰が
入ってます
大きな鍋の中に灰があって
その中にポンポンポンポン最後投げていって
それで焼いてますね
本当に灰の中で焼くんですね
そうなんです
昔はいろりがありましたでしょ
そのいろりバターでいろりの灰の中に入れて
焼いてくれたから
灰焼きおやきがあるわけなんですよ
このあずみのおやき
灰からという店名もですね
灰でカラッと焼いてるから
灰からって付けたんだそうです
なるほど
滝沢さんよくそのおやきを食べて育ってきた世代
ご高齢の方からご本人も44歳なんで
中年ぐらいまではいいんだけども
若い世代っていうのがね
なかなか食べずに育ってきている上に
今時固いものを嫌がる
にもかかわらず灰焼きおやきを出すぞと決めた
理由の一つはこれでした
僕が戦村出身で
戦村が灰焼きの産地って言い方おかしいですけど
それで生まれ育ってきたので
小さい頃から灰焼きのおやきをずっと食べてきてて
灰焼きおやきやりたいなと
滝沢さんのおっしゃった戦村
あずみのエリアの東側のお山にあるんですよね
でもその中で
新しい世代も絶対食いつくというような
具にいろいろ工夫がしてあったんです
昔ながらナス、野菜ミックス、野沢菜は
どこのお店に行ってもあるようなものなんですけれども
うちの独特のオリジナルとして
ツナマヨネーズと玉ねぎを刻んだものを中に入れて
その上にチーズをトッピングしている
あとイチゴとか
あとすごい辛いおやきとか
いろいろやってますね
今イチゴって言いました?
これ3月から5月の季節限定だったんですけど
外側は粉砂糖がかかっていて
その周りにイチゴジャムのソースがたーっとかかっているんですよ
切って中を開けると
あんこにイチゴジャムの
コンフィチュールぐらいで炊いているイチゴさんが入っていて
ケーキなんだかおまんじゅうなんだか
おやきなんだかという不思議な味わいだったんですよ
珍しい
いろいろ工夫を重ねていて
私が4月に取材に行った時には
今ね、焼きそばおやき考えてみたけど
え?と思ったけど
なかなか美味しいらしく
チェックすると今月はですね
わさびおやきが誕生してました
本当に面白いんですよね
いろいろ考えてらっしゃいますが
実際食べると外側は硬いんですけど
なんともいえないもっちり引きがあって
香ばしいこの皮が
癖になる美味しさなんですよ
そこに工夫がありました
100%長野県産の小麦粉と
小麦粉の中に石薄引きで
じっくり石でちゃんとひいた小麦粉を混ぜているんですよ
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その石薄引きで小麦粉をひくと
ミネラルが熱じゃないので
熱がかからないので
栄養分が残ったまま
あと味もしっかりして
それをブレンドしたものを使っていますね
楽しいんです食べてて
持って帰ることもできるし
その場でも食べられますので
ぜひぜひ
あずみのり出かけたら
ハイカラチャレンジしてみてください
あずみのりエリアの旅の玄関口は
新州松本空港です
FDA・FCドリームエイラインズの直行便で
お出かけください
中島リアさんでした
ここで番組からホームページのご案内です
これまでの放送内容と
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あずみの市観光協会
あずみの市大洋わさび農場
塩尻市観光協会
FDA・FCドリームエイラインズの企画協賛
餃子のヤマハチの提供でお送りいたしました
ご案内は坂田秀大でした
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