00:02
古代の福岡を歩くステージA。 海の道から空の道へ。
安曇族の足跡を探る。 この番組は安曇野市観光協会
安曇野市大王わさび農場 塩尻市観光協会
FDA富士ドリームエアラインズの企画協賛 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
こんばんは、坂田周大です。 長野県松川村の鑑賞院の素晴らしい銅像繁華像という仏像。
これを安曇族が九州からこのお寺に持ち込んだのではないかという話を 千尋美術館常任顧問の松本武さんに伺っています。
松本さんはこの仏像をテーマに作家の菊池恩恵さんと
失われた魅力の手という小説も書いていらっしゃいます。 松本さんの話では仏像は九田羅で作られ日本に持ち込まれたと見ていらっしゃいます。
そしてその仏像は岩井の乱の後、安曇族が安曇野に持ち込んだのだという話です。
そして津島にもある有明山という山がよく見える場所に、安曇族はその根拠地を置いたということです。
続きを伺っていきます。
有明山の右隣りは清水山という山なんですけれども、それは津島も同じなんですね。
そうやってみると、当然あそこにいた連中がここに来たということはほぼ間違いないだろうと。
さらに言うと、ちくま川と埼川が合流するところにも有明山があるんですよ。
それもちくま川の下流の方から見ると非常にきれいな形をしているということは、そこにも安曇族がいただろうと。
ということは、禅光寺大乱の中にも安曇族がいた可能性はある。
そしてここにもいた可能性があって、いくつにも分かれていた可能性はあるだろうと。
場合によってはこれを持ったグループと、それから関山神社の観音の立像、流像を持ったグループと、
03:02
それと禅光寺一色だったかもしれませんけれども、2つに分かれてた可能性もありますよね。
いろんな可能性があるだろうというふうに思っています。
それから小高神社のお船祭り、なぜ巨大な船の出汁をここでお祭りの時に飾る必要があったのかというと、
上りとか出汁というのはご先祖様が天から探しに来て、どこにあるかというものを見つけるために巨大化していくわけですよね。
そうすると、安曇族であった人たち、船で生きてた人たちの見つけやすいものは船の大きな出汁であろうと。
これは当然考えられることですよね。
さらに言うと、ここはエゴというものを食べます。
お祭りの時なんかよく食べるんですけど、それは安佐川より北の住んでいる人たちが食べます。
松本市内の人たちはあまり名前も知らないぐらい。ところがこっちの人たちはみんな知っている。
エゴとオキウトというのは全く同じものなんですね。エゴ草から作った海藻のやつ。
オキウトは島根の方でもありまして、それはオキウドという名前になっているんです。
オキウドというのはオキウトの語源ですね。
オキにあるウド。ウドの大木のウド。
オキのウドという形からどうもエゴ草のことを呼んでいたんじゃないかと。
そうするとオキウト、オキウド、エゴがつながる。
エゴを食べるところは長野の方でもあるらしいし、それから山形ぐらいまであったかな。
その可能性ありますよね。
いずれにしても沿岸で食べるところと食べないところがあります。
この間の野戸の地震ですごい被害を受けた鹿町がありますよね。
あの鹿も、あそこの横に確かアズミという名前が残っていたと思うんですね。
ですから鹿とアズミとはセットになっている。
有明と鹿とアズミというものがセットになっている地名を押さえていくと、
アズミ族がどこに本拠点を置いていたのかが全部見えてくる。
滋賀高原の滋賀も同じですよね。
あれは後からつけたやつですけれども。
だから長野市の中にもいくつか神社があって、
穂高神社で祀っているものとか、河合神社で祀っているものとか全部重なるものがいくつかあります。
それは全部調べている人たちもいますので、
そうやってみるとやっぱりここはアズミ族の大拠点であったろうと。
長野県自体が拠点であった可能性が高い。
特に僕は鹿品あたりがその中心地だったんじゃないかなと。
有明の古墳群というのは、
06:02
鹿品から見ると一番きれいなところに古墳群があって、
高いところに古墳が作られて、その人たちを守るためにご先祖様がそこに埋められていくというふうに考えると、
有明古墳群がなぜあそこにあったのかというのがわかるような気がしますね。
今日赤城のハイジアの話をちょっと聞きに行ったんですけどね。
あの人員はやっぱりアズミ族?
カバランの奴は8世紀だか9世紀だかですよね、あそこに出てきている奴は。
ちょっと後なんですけれども、それは後で作られたという可能性ももちろんあるし、
いつから発祥したか、がらんが出てきたのかというのは残念だけどわかっていなくて、
どのくらいの大きさだったかということもわからないんですよね。
ただ、要するに住宅地になっちゃっているからどうしようもないことですけれども、
塔の原という名称があそこにはあるんですね、ちょうど端のところに、災害の端のところに。
で、塔の原って語源を考えてみると、塔があった場所だと考えられると思うんですよ。
そうやって考えたら、要するに何巡の塔かがあそこにあった可能性もあるし、
すごい仏教の拠点であった可能性はありますよね。
ただ、そこが力を持つということは大和頂天にとってはあってはならないことだったはずなので。
制伐しなきゃいけなかったんじゃないかなと思いますよね。
基本的に大和頂天に抵抗をした人たちは鬼として残るわけですよね。
そうやってみると、鬼伝説があるところは全部制伐されたところだというふうに考えられるんじゃないかなと思いますよね。
ということは、鬼にはなっていたけど、もともと異性者は変わっても、住んでいる人は変わらないわけですから。
そうすると祭りが残ったことも理解できるし、お牛とを食べ続けていることも、英語を食べ続けていることも理解できるし、
しかもこの辺、桜肉って神社で馬をよく食べるんですよね。
馬は、馬の肉を食べるのは麻生でも食べていますけれども、ひょっとしたらそこの伝統と繋がっているかもしれないとか。
しかも起草馬というのと、確か津島馬はDNAでどこか繋がりがあるんですよ。
津島馬って小型化しているんですね。
あの当時、まだ船が今のように安全ではなかった時代に、馬のような大きなものを運ぶというのは大変な作業で、
小型化していくとか小馬を運ぶということが当然考えられる。
それからここのエリア、安住野には牧という地名も残っていますけれども、牧というのは馬を育てたところの名前を言うんですね。
09:05
そうやって考えてみると、ここに住んでいた安住族は何で世紀を立てたんだろうかということを考えると、
馬の可能性はある。馬を育てる技術を持っていた、天族が持っていた可能性は十分考えられるし、
そしてここの糸井川からずっと来る道というのは古から繋がっていて、これは縄文の時からある道なんですけれども、
メイン、幹線道路なんですよね。そこを伝って塩を運んできたわけですよ。
塩の道。
塩の道。その塩の道を運んできた人たちが代わりに何を持って帰るんだろう。
ここにもし牧場があったとすれば、代わりに馬を連れて帰るとか、そういうことを考えていくと、これがメインルートであった可能性が非常に高いんじゃないか。
安宮族は結構大きく大河原がメインのところにあっても、こっちの方に牧場があったっておかしくはないわけだ。
いろんなことを考えると、安宮というエリアは安宮族がかなりたくさんの人が住んでいて、多くの人たちが今も残っているんじゃないかと。
ただし、生者は変わっていくから、神社の中にメインの神様じゃなくなってたくさん残っていたりとか、そういう形になる可能性は十分ありますね。
古くからつながってきた職生活とか祭りは昔のままだというふうに考えると、面白いんじゃないかなと思いますね。
結局、安宮族の終焉の地というのは、ネズミ穴ってありますよね。
あの辺だというふうに見てもいいんですか?
ネズミ穴はむしろ、僕は発祥の地の方じゃないかと思っています。
というのは、この松川村の中にネズミ穴というのがあるんですが、ちょうど塩の道の古い地点なんですよ。
それで、なんでネズミ穴という地名がついたのかというと、ネズミとアズミというのがちょっとつながっていて、アズミの別称だったんじゃないかと。
下げ澄んだ言葉ですよね。
だとすると、ネズミの奴らがあそこにいると。ネズミの穴の場所だよということになると、そこかもしれない。
もちろん、その上に儀式の岩屋があるんですね。裏側に。
そしてその儀式の屋の手前に大きな石が、今こちらから見ても見える場所がありますが、その岩の上で八面台は、そこの上に立って人々を睨んでいたという伝説がありますけれども。
ネズミ穴というのが、発祥の地か最終の場所か分かりませんけれども、ゆかりがあった場所である可能性は非常に高いですね。
12:07
最後はやっぱり、僕は合戦沢で死んでいるんじゃないかなと、なんとなく思うんですよね。
つば黒岳に登っていく途中の合戦沢。それが逃れていくとすれば、その可能性はあるような気がしますよね。
お値に足したところに、合戦小屋という茶屋ができてますけれども、それも全部つながりからあるんじゃないかなと思います。
屋根に巨石古墳があるじゃないですか。あの石の組み方と、儀式の岩屋の巨石を使った墳墓、ちょっと似ているような気がするんですね。
ローナン山の?
はい、ローナン山の。あそこも元々その辺にあった石を使ってたりというふうに言われているみたいですけど、儀式の岩も元々でかい石があってそれを使ったというふうに言われているんですけど、
そうやってみると巨石を使った古墳があって、それが八面大王の古墳だとすれば、あるいはその一族のものだったとすれば、さらに納得がいくと思うんですけどね。
今夜は千尋美術館常任顧問の松本武さんに、安住族の話を伺っています。
今度は、なぜ安住族が糸井川から安住野へやってきたかということについて。
なぜ安住族が糸井川から、あるいはあのエリアから、ここの安住野まで入り込んでくる可能性があったのかというと、僕はひついじゃないかと思っているんです。
ひついですか。
はい。ひついは朝鮮半島の中での古墳からも、糸井川のひついだと思われるものが出ているわけですから、そうやってみると、ひついを求めて、交易品が必要なわけですよね。
物造や薬や鉄や銅やあらゆるものが大陸から来るわけじゃないですか。
それに対して返礼品がなければ、必ず返礼というか、こっちから持っていくものがなければいけない。
そのひとつは、ひついだったと思う。
もうひとつは、僕は佐渡金山じゃないかと思っているんです。
佐金ですか。
もちろん佐金が出て見えた可能性は十分あるだろうと思うんですよ。
金山まで発掘できたかどうかは知りませんけど、一応日本の歴史で言えば平安時代だったかな、佐渡金山が発見されたということになってますけれども、もっと古い人たちが見つけていたとしてもおかしくはないわけです。
金はどこのものかってわかんないですから。
そうなると、もちろんあと人的、人を向こうに派遣するというか、
15:01
朝鮮半島は戦いの歴史ですから、兵役に働いてくれる人が欲しいのはわかってるから、日本からそれは持っていった可能性はありますよね。
それ、向こうの文献にも残ってました、確か。
そうやってみると、あそこに全方公園墳ができるのもそういう理由の可能性はありますよね。
要するにたくさんある程度の人も含めて兵役をコントロールできる人を向こうに派遣したとすれば、その人が死んだときに全方公園墳を作ったということは当然考えられるんじゃないかと。
僕も向こうでいくつか広報を調べましたけれども、まだわからないことがたくさんありますけれども、
とにかく、安住族は人も朝鮮半島に送り出しただろうし、秘水も送っただろうし、そういういろんなものを送った可能性はあると思っています。
安住族というのは、もう四世紀頃から商売人といいますかね、活躍していながらと思っているんですよね。
僕は本にも少し書きましたけれども、貿易をする人たちというのはどういう人たちかというと、争いをするよりは物を交換することによって儲けるわけですから、仲良くしたいわけですよ。
仲良くするときに最高の手段というのは隕石関係を結ぶことですよね。
だから、安住族、天族というのは、僕の考えでは中国系の人もいたかもしれないし、朝鮮系の人もいたかもしれないし、日本の大きい人たちもいたかもしれない。
それが混ざり合っているような、いろんなことを自由自在に話せる、そういうグループだった可能性はあると思うんですよね。
そうすれば知的レベルも高くなるだろうし、仏教の知識も非常に高くて、こういう優れた仏像を手に入れる可能性も高いと思います。
お話を千尋美術館常任顧問の松本武さんに伺いました。
松本さんの話で、安住族の拠点が安住野になり、中でも中心となったのが赤品ではないかということがわかりました。
そして、赤品には大がらんを持ったお寺があったのではないかということでした。
そこで今度は、その赤品廃址について、史跡調査に長い間携わってこられた、安住野市の文化財保護審議会委員、大沢啓哲さんに伺っていきます。
18:04
松本大乱の水が全部集まる場所の西側の湖岸の河岸暖球にあるということで、ちょうど全部の水が集まってくるという、行ってみれば非常に高通の要所といいますかね、そういう場所の一段高い暖球場にあるということで。
今日ここへ来る途中でも、川がいくつか流れていましたけれども、そういう川が集まる場所。
そうですね。松本大乱といいますか、この中心地区ですから南の岸の入り口くらいから始まって塩尻峠、それからこちらの大町のほうまで全部、この辺の水が全部一同に集まる場所ですね。
結局そういうことで、集落なんかも多かったんですか。
多分古代においては非常に住みやすい場所なんで、縄文時代以前から連綿として多分人が暮らしていたんだろうというふうに思いますね。場所は変えながらですけどね。
遺跡も多い。
遺跡多いですね。
縄文や八重洲。
そうですね。縄文から必ずしもずっと連綿としているわけではないですけど、場所を変えながら点々とそれぞれの時代の遺跡が営まれているという感じですかね。
で、調査も何回かやられているみたいなんですけれども、これまでの調査でどんなことがわかったんでしょうか。
最初にこのお寺があるということが見つかったのが昭和28年だったんですけれども、
それは住宅の建て替えで土を掘っていたらカーラーが出てきたというので、それを観点してもらったらこれは古代のカーラーだから寺院の可能性があるよということで赤品廃寺という名前になってですね。
実際の本格的な調査というのは平成11年に最初に見つかったところの住宅がたまたま建て替えになりまして、そこを元々廃寺の発見の場所になったところだったものですから発掘調査をさせていただきました。
そこで建物の跡とかたくさんの河原が見つかりまして、古代の寺院で間違いながろうということになりました。
それが第3次の調査と言われている調査で、その後から第5次の調査まで、平成30年の第5次までに3次、4次、5次と3回調査がありました。
だいたい一番人の量が多かったのは第5次の調査。これがようやく今整理がついて、間もなく発掘調査の報告書、たぶん今日はそこくらいでできると思いますけれども。
21:17
だいたい珍しい、古代の河原吹きの建物というのは寺院とか役所とか限られたものしかないので、第5次の調査でもものすごいたくさんの河原が出てまいりましたので、総河原吹きの建物があったということは間違いながろうと。
ただまた、お寺としてのがらん配置とかそういうものは全く分かっていない。
だからどういう様式のお寺があったかというところまでは調査が進んでいない。中心がらんが立っているような、そういう場所にまだ当たっていないと言いますか。
まだその周囲を…。
もう宅地化されているので、なかなか調査するのは大変で、本当に部分的に100平米、200平米という調査ばかりなので、なかなか厳しいですね。
赤品配置が見つかったところは、すでに住宅地になっていて調査も大変だということでした。
お話を、安住野市の文化財保護審議会委員大沢啓哲さんに伺いました。続きは来週お送りいたします。
ここでリポーターの中島梨恵さんです。
こんばんは。
今日は安住野の情報なんですが、安住野って朝が好きになる町っていうのを標榜しているんですよ。
確かに透明度の高い空気ですし、朝からキラキラの日様が降り注いでますし、いいとこなんですよ。
で、そんなところにおすすめのパン屋さんがあるわけです。
パン屋というと朝早いですから。
その通り、その通り。私がお尋ねしたパン屋さんなんですが、モルゲンロートベーカリーっていうところで、ここは朝8時から焼きたてのパンが買えるとこなんですね。
さらに月曜日と火曜日は8時から、土曜日、日曜日、祝日は10時から、自家焙煎コーヒーとかチャイムを提供してくれてて、
近くのペンションに泊まってる人だとか、地元の人とかがたくさんいらっしゃる人気のお店なんですね。
で、このモルゲンロートベーカリーなんですが、村山勲さんと千春さんのご夫妻がなさってまして、このご夫妻、3年ほど前に横浜から移住してきたという方々なんです。
で、作られるパンが今ね、写真持ってきたんですがね、写真見ただけでおいしさが伝わるぐらいのいいパンなんです。
24:04
なんかあの菓子パンからね、素朴なレーズンなんかが練り込んであるような。
今言った素朴なレーズンなんかが、これくるみとドライフルーツなんですが、いろんな味がいっぱいするのに、小麦の香りと味がすごく立ってるっていう、いいパンなんですよ。
で、さらに人気のミルクフランスなども食べると、幸せな懐かしいおいしさがして、なんか涙が出てきちゃうような。
小麦の味って幸せなんだなーって思うほどなんですが、なんでこんなにおいしいんだろうと、村山勲さんに聞いたらにっこり笑ってこう答えてくれました。
とにかくやっぱりお水がおいしいのが、パンをおいしくしてるかなって思うんですけど、全然やっぱ違いますね。
そのままここのお水を使ってるんですけど、やっぱりおいしくできますね。
私も水探してパン屋さんやってる方って知ってますね。やっぱり水なんですね。
アズミノは水道水おいしいので、普通に水道の水使ってもおいしくなるっていう利点があるわけですよ。
で、さらに季節の、それから地元の果物を使ってフルーツデニッシュっていうのを作ってらっしゃるんですが、私が取材でお尋ねしたときにはリンゴだったんですね。
リンゴを薄切りしたものをバラの花になるような形に。
手間かかってますねこれ。
可愛いんですよ。こんな話を聞かせてくれました。
でも本当に近所のそこに見えるリンゴ園のものを使っています。
結構フルーツのデニッシュは近所のイチゴ園とかリンゴ園とかそういうものを使って。
本当に近所に生産者さんがたくさんいるのもとても魅力がある土地だなっていうのは思いますね。
地元のものを生かして使っていく。
このモルゲンロートベーカリーなんですが、お店の名前、ドイツ語でモルゲンは朝、ロートが赤い。
早朝に昇り始めた太陽の光に照らされて、山肌が赤く染まる。
このことをモルゲンロートと言いますね。
この名前にした理由、まずご主人の伊沢さんが山が大好きだったという方。
そして登山も趣味だということ。さらにこんな気持ちがありました。
アズミの自体が朝をすごく推していて、モルゲンロートという名前がちょうどいいんじゃないかということで付けたという感じで。
ちょうどここから北アラプスの大滝山というのが見えて、実際にモルゲンロートが見れるので付けてよかったかなというのと、
山好きのお客さんも結構多いので、名前に惹かれてくるというお客さんも結構いらっしゃいます。
ちょっと分かりにくいというか、奥まったところにお店があるんですが、そのことについて奥さんの千春さんはこんなふうにおっしゃっていました。
27:04
アズミの特徴って結構奥まった店が多くて、カフェとかも探し当てる楽しみみたいなのも結構お客さんあるみたいですね。
何回目かでやっと来れたのかな。
宝探し的なのが、お客さんも楽しんでるし。
穴場感がいいですね。
そうなんです。ここにたどり着くこともアズミの楽しみ方なんじゃないかと思います。
アズミの出朝、そして宝探しを楽しむ旅の玄関口は、新州松本空港です。
FDA富士ドリームアイラインズの直行便でお出かけください。
中島理恵さんでした。
ここでホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの、古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
また、ラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど、各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は、
アズミの市観光協会、
アズミの市大王わさび農場、
塩尻市観光協会、
FDA富士ドリームアイラインズの企画協賛、
餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は、坂田周代でした。
地下鉄祇園駅から徒歩2分、RKBスタービル博多祇園スタジオは、
ポッドキャストなどの音声コンテンツの収録から動画のライブ配信まで、
様々なニーズにお答えできるレンタルスタジオです。
お問い合わせご予約は、スタービル博多祇園のホームページからどうぞ。