1. 古代の福岡を歩く
  2. S7 18回目も古代官道を歩き..
2022-01-30 30:32

S7 18回目も古代官道を歩きます。

大宰府西門から歩いていよいよ条坊の中に入ってきました。

西鉄二日市の踏切を渡り、左折すると右手に小高い丘が見えてきます。

この丘の上にも般若寺というお寺がありました。そして、そのすぐ近くにあるのが高橋紹運の首塚です。岩屋城で島津義久の軍勢に攻められ討ち死にした高橋紹運の首を埋めたと伝えられる塚があります。

島津勢は岩屋城を攻めるとき、この丘陵上に陣を敷いたと伝えられています。

この丘陵上を歩くと道真公の子供、隈麿の墓があったり、紅姫の供養塔があったりととてもみどころが多い丘になっています。



※写真は高橋紹運の首塚
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00:09
古代の福岡を歩くシーズン7遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン7 この番組は
宮城市の企画協賛 餃子の山八
道の駅室方の提供でお送りいたします 餃子の山八です宮城市で育ったセロリの餃子ができました
今が旬のセロリの旨み香りが生きています セロリ嫌いだった私も病みつきになりました
いっぺん食べてみてください
こんばんは坂田周大です かつて我が国を訪れた外国のお客様が航路間からまっすぐ太宰府西門へ入り
そして太宰府成長を目指した古代官道 水城西門ルートを歩いています
ご案内は 故太宰府保存協会学芸員の田中健一さんにお願いしています
先週は西鉄二日市駅の手前までやってきました 目の前に静岡王子が近づきました
踏切を渡ったところの道路の両側に灯篭が建っています
二日市の踏切 西鉄の踏切を渡りました
渡ったところに灯篭が保存されていますね
西鉄二日市駅の南側にすぐ踏切があるんですけど 渡っていただいて駅の東側のところにすぐそこのところに灯篭が建っているんですけど
実はこれは太宰府天満宮へお参りするための建てられた灯篭なんですね
実はこれ混流されたのが今から100年ほど前 1902年に混流されたものでして
太宰府天満宮三河原三谷港がなくなって 千年記を記念して当時大変大きな催しが行われたんですけども
それに合わせて1902年にですね 当時はここからですね太宰府天満宮へ向かう馬車鉄道なども
当時はJR九州鉄道ですよね 四日市駅から そしてこちらを通って太宰府天満宮を結ぶような
現在は線路が変わって西鉄太宰府線に変わってしまってますけども 明治大正期は馬車鉄道が走ってましたし
03:06
まさに太宰府前里への玄関口の一つがこの場所だったんですね
なので今はたくさんの人々が行き交ってますけども その片側にひっそりと灯篭があるのは
かつてはここが太宰府天満宮への参拝の一つの入り口だったということで
そうですねその目印が今も残ってますので その灯篭を見ながらですね北の方に西鉄二日市の東口の方に進んで参りたいなと思います
ここが太宰府の参拝の入り口だったというところですね その灯篭を過ぎてこれから
静岡王子の方へ向かっていきます
踏切を渡ってすぐに左折してしばらく歩きますと右側に小さな丘が現れます
ちょうどあれですね東口のバスカーミナルを通っておりますけども その北西の方に給料がかなり小高い給料がありますけど
あの給料の上だいたい二日市駅から北西に300メートルぐらいですかね行きますと 阪谷寺というこれまた古代の寺院の跡が残っているわけなんですね
この駅の東側の高台にはですね阪谷寺と 実は地域の小さい小技でもですね阪谷寺と呼ばれていた場所がありまして
こちらの方なんですけども 記録でありますと曽我の秘夢家が畜死の惰罪の措置の時に混流したとも伝えられてまして
記録なんかでは654年に天皇の病気併癒を願ってですね混流したとも言われてまして
あの惰罪婦の一つの 観世音寺という大きなですねお寺がありますけども二つ目にまあ
天皇ゆかりの建てられたお寺ということですね 現在あのこの高台の方を登っていただきますと阪谷寺ということで
塔の真相 いわゆる塔に使われていた祖跡であったり
あるいはちょっと時代空でありますけど鎌倉自体の石像の塔なども残っていますので
ちょうどですねこの惰罪婦の町並みの小高いところにありましたので 先ほどの杉塚廃寺と同じかもしれませんけども
この惰罪婦の町並みにやってきた人たちに見せつけるかのようにですね
立派な古代寺院がこの目立つ丘陵の上に古代はどうも立っていたと考えられているわけなんですね
この丘陵の他の上ですけども歩くといろんなものがありますのでここも面白いですね
そうですねまたあのぜひ体力がある方はちょっと丘陵に登って寄っていただくと古代寺院の跡が伺えますのでそちらも見ていただければなと思います
ここも面白いと思います
津川さんと西鉄二日市駅を歩いてきましてちょうどあの西鉄惰罪婦駅の方に向かいますと惰罪婦線がカーブして曲がってまして踏切が見えてまいりましたけど
06:00
その奥に大きくですね特別施設 惰罪婦跡 客館跡という大きな看板が出てきましたけれども
この踏切を渡った向こう側にですね古代の郷をするような施設客館が広がっていたと考えられている場所なんですね
惰罪婦館路をずっと歩いてきたお客様がそこへ入ってくつろげる場所ということですかね
そうですね長旅を経てですね荒波限界などを越えて
そして交路間に着きまして古代館の歩いてですねずっと歩いて水木を越えそしてようやく惰罪婦の街並みに入って
すざ工場を登ってきてようやくこの場所にたどり着いてほっと一息つける
外国施設の方々にとっては惰罪婦の受ける滞在場所でございますので大変ですね立派な建物が建っていたということで
今現在惰罪婦さんの方で整備が行われている場所になっております
この客館跡の方にお越しいただくとですね一体は客館跡試跡広場ということで
2020年4月にですね整備されてオープンしてきれいな整備が行われている場所でして
実は現場を訪れていただきますと建物跡はコンクリートで平面的にですね再現されてまして
そして先ほどお話しましたように惰罪婦の乗房の街並みいわゆるきれいに区画された街並みその後がですね
乗房の道路なんかも実は再現されてましてこういう区画に分かれていましたというところが分かるわけなんですね
そしてこの客館なんですけれどもその一つの区画90メートル四方の区画は4つ使ってですね建物が建てられていたと考えられています
この客館の中心となる建物がですね2つ南北に細長い建物が出てきておりまして
そちらがですね外国施設が滞在したメインの建物だというふうに考えられてまして
ちょうどこちらの道の脇にですね広場の中央はちょうど道路が走ってますけども
その左側にですね線路側に大きく再現されてるこちらの建物に外国の施設の方々は滞在したんだろうというふうに考えられている場所ですね
今西施設の電車が走ってますけどもそのすぐ線路脇ですね
線路脇に大きな建物の跡がまあ舗装してありますのですぐ分かります
どのぐらいの大きさだったかというのが立ってたということですね
それが客館ですね
およそ建物がですね29.5メートルと8.8メートルでもう一つの方が23.8メートルかける8.8メートルの大きさのものが確認されてまして
これはダザイフの古代の町並みの中でかなり大きい方の建物になっておりますですね
09:07
この客館あとですね一望できるように展望台が実は設けられてます
そちらの方からぜひ眺めてみていただきたいなと思います
この展望台もよく作ってありますねできた時は一体何をするところなんだと思ったんですが
上部を上から見るという
上からぜひご覧になっていただいて
どうしても1階部分にはですねダザイフの客館とをご紹介するパネルがありまして
その1階部分の上ですねちょうど屋上にあたるような2階部分に
展望スペースが設けられていますのでまた上から見ていただくと
全体の広い広場ですのでその配置とかですね構造がわかっていただけるんじゃないかなと思います
改めて歩いてみると本当に広さがですね90メートル以上の区画を4つ使ってますので
大変広いですね
もちろんですね滞在する施設だけではなくこういう管理棟と言いますか
お食事を出したり衣服のですねそういった管理棟もありましたけど
やはり海外からのお客様まさにダザイフが玄関口ですが
日本の印象がですね悪くなるも良くなるもまずはダザイフ
第一印象のダザイフ次第というところなので
大変おもてなしとかにもですね気を遣ったと思いまして
サハリと言われるような金属高級な金属食器とかですね
湿器とかナラサンサイとか大変あの珍しいもの高級なものも
白鳥砂で出てますのでそういった当時の最新の最高級の食器などを使って
外国施設の滞在でおもてなしをまさにおもてなしの心を見せていたのではないかな
というふうに考えられます
というところで展望台がある建物に来ました
そして建物の展望台に上がってみました
屋上部分に上がっていただきますと屋上部分の床面にですね
詳しく配置図とか上空から見た航空写真を撮ってあります
こういうのができたんですね
ご覧になっていただくと展望台からですね
ちょうど真西正面の方にまずは手前に客観に滞在した方々のための管理棟ですね
そういったものが3棟ございます
そして道路を越えた向こうに先ほどお話しした
外国施設が滞在するような大型建物
その西側ですね
正面側の奥を西鉄天神尾本線が走っています
その奥が須作王寺
先ほどお話をしてましたように
まさに太宰府の真ん中を通っていた王寺が通っている
こういった構造になっていますので
ぜひですね
展望台の方に上がっていただいて一面見渡していただいて
そしてこういった図を参照にイメージを膨らましていただければと思っております
いやーこれはよくできてますね
これは航空写真ですね
12:01
360度きれいに描いてあります
そうですね
この客観のこの展望台から
北の方には四王子山もきれいに見えますし
北西には鴻満山
太宰府周辺のですね
あとは南の方は天白山と
まさに太宰府にまつわるような
史跡関連する場所のですね
眺望が利きますので
そういった場所もですね
一目でわかりますね
ご覧になっていただいて
そしてその横には
古代どういう建物がどういう形で建っていたのか
というのを再現したものがあります
これまたわかりやすいですね
そうですね
現地の方では
史跡整備の都合上
平面整備で地面の上にしか整備していませんので
実際にその上にどういった建物が建って
どういう風な構造だったのか
というのはこちらの復元図を見ていただくと
この中央の広場で
外国施設と日本のやり取りがあったのかと
そういった人の動きとかですね
様子がわかるような図が掲示されています
客間北棟客間南棟という風に
中央に客間が書いてあって
その周りには管理棟エリアとか
いろいろな小さい建物がたくさんあったというのが
これでよくわかりますね
そうですね
こういう風に人の動きもですね
描かれていますので
まさに沿路はるばるやってきた太宰府へですね
やってきた外国施設が
太宰府で日刈りで帰るわけにはいきませんので
滞在して外交儀礼であったり
あるいは審査の受け渡し
いろいろなことをですね
太宰府でやる上でやはり
数日から長いときはやはり
1ヶ月単位とかですね
なったと思いますので
その間この場所で滞在して
じっくりとですね
鋭気を養っていただいて
その外交儀礼のその間
まさに今は本当に静かな市籍の広場ですけども
1300年前の古代におきましては
いわゆる外交東アジアとの交流の最前線の場所
そういったこういう場所が
この太宰府市にあったんだ
というですね客観というので
なかなか皆さん聞き慣れないと思うんですけども
まさに日本を代表して
東アジアの国々とやり取りするような場所
そこがこの太宰府二日市駅のそばに
すぐそばにあったということを
ぜひ知っていただければと思います
二日市のすぐそばです
電車の中から来るときに
広場が見えると思います
何にもありません
何にもありません
いわゆる客観
後ですから何にもない
当然です
そこに展望台が一頭作ってありまして
その屋上にですね
ここの説明図が書いてあります
非常にわかりやすいですね
これを見ながら勉強するのもいいですね
ぜひご覧になっていただきたいと思います
そういったところです
さて津川さん
今ご紹介しました客観アートなんですけれども
なかなかですね
現地に訪れて建物がないのでですね
イメージがしづらいという点もあるかと思うんですけど
実はですね
15:00
太宰府さんの方がですね
この太宰府の客観アートを
イメージしていただけるように
VRのアプリを作っていらっしゃるんですね
もし客観アートにですね
お越しになっていただいて
スマートフォンをお持ちでございましたら
このアプリをダウンロードしていただくと
この客観アートの建物の詳細の
3D画像とかVR画像ですね
これがこの場でスマホで見ていただけるということなので
ぜひそういったところも活用していただくと
より古代のイメージが湧いて
イメージしていただけるかなと思います
目の前に現れてくるんですね
ぜひスマホもですね
ご活用いただければと
この後はまた
須作王寺の方に戻りまして
やはり太宰府は道真根湖ゆかりの場所ですので
道真根湖ゆかりの榎木舎の方へと
やっていきたいと思います
客観アートからほんのちょっと離れたところに
かつて菅原の道真根の住まいがあった
榎木舎がありました
榎木舎の入り口に来ました
ずっとですね
須作王寺を沿ってですね
上がってきまして
ちょうど審査してますのが
榎木舎でございます
こちらやはり太宰府というと
菅原道真根湖ゆかりの地ということで
皆様ご存知かと思うんですけども
菅原道真根湖が都から流されてまいりまして
901年からそして亡くなるまでの903年
その間撤去された場所というのが
この榎木舎がある場所
府の南間と呼ばれた場所で
2年間ほど道真根湖は滞在されていた
というふうに言われております
道真根湖が亡くなった後ですね
亡き殻の方は現在
太宰府天満宮が建っている場所の方に
埋葬されて
そして現在
太宰府天満宮が混流されておりますけども
こちら亡くなった館の後
滞在されていた後にはですね
後に1023年に
藤原の小倉典が当時
太宰府の大仁という役職で来ておりまして
その時に松陵名
奥には城明仁という道真根湖を助けた
老婆の小倉があるんですけど
その藤原小倉を建てまして
その後小倉
建物が整備されていきまして
境内には立派な絵の木の木がありましたので
現在いわゆる絵の木寺とか絵の木舎
そういうふうに言われて
現在に至っているわけなんですね
毎年9月には
太宰府天満宮の人工式大祭の方で
天満宮の方から
道真根湖の御霊を乗せた御子が
この絵の木舎に屋台になられて
そして翌日お昇りになられて
道真根湖は愉快な場所ですので
そして当時太宰府の中央を走っていた
当然静岡王子に面する
現在で言うなら大通りに面する
一等地でもあったわけですので
このある場所がね
絵の木舎がある場所が重要なんですね
18:02
こういう場所にあるんだというのは
今回はですね
歴史的な経緯とともに
その立地もですね
実は重要ですので
知っていただければなと思います
太宰府をいろいろ調べていらっしゃる方も
いらっしゃるかと思いますけども
この菅原道真根湖が住んだ
絵の木舎の場所ですね
これはいろんな意味で
重要な場所になりますからね
頭の中に入れておいてほしいですね
この辺にあると
ぜひですね知っていただければと思います
そしてその絵の木舎のすぐそば
目の前をですね
静岡王子が通っていたんですけども
その静岡王子の跡が
実は絵の木舎の前にあります
歩道の部分にですね
再現をされております
あそうですか歩道の部分に
何気なく歩いてますとですね
なんか歩道の色が変わってるなーというふうに
思われるかもしれませんけども
絵の木舎の前の歩道はですね
発掘調査で確認された
36メートルの静岡王子の速行と
そして赤色の部分が
色がつけてあるんですが
これがいわゆる静岡王子の
道幅を示すということで
ここを古代の王子が走っていたんだ
というのを体感していただければと
そうなんですか
絵の木舎のすぐ横ですね
道風呂に向かって右側になりますけども
道路が走っておりますが
その道路を3分の1ぐらいからですね
色が変わる部分があります
それが静岡王子
発掘調査でわかっている部分です
この場所をですね
こう真っ直ぐ通っていたということを
地面の歩道のタイルで
ぜひ見て知っていただければと思います
よくわかりますね
ゆくゆくは36メートルの道路が通ると
一番いいんですけども
この静岡王子の幅をですね
赤色の色がつけて再現されてますけども
この反対側
今絵の木舎側
王子の西側部分が見えておりますけども
東側部分も発掘調査でわかっております
その東側部分についての説明はですね
少し絵の木舎を過ぎまして
少し右手に入ったところにある解説版がありますので
その点だけですね
見ていただければと思います
いやーこの道路はよくわかりますね
ぜひここが1300年前の人たちも通ってた道なので
静岡王子
ここは外国施設も
当然九州各国の人々も通っていたり
ここまさにその上を
菅田さん歩いていただいて
本当に絵の木舎っていうのは
須賀王子の真横ですね
本当に面下
一番いい場所にあるということで
おそらくですね
道田猫より前の時代なんかは
太宰府に勤める高級官人といいますか
お役の方々がですね
住まれていた場所なのではないかなという風に
少し道を入っていきますと
ちょうど北側が幼稚園ですかね
があるんですけど
そのマンションの一角にですね
21:01
このように
マンションの一角に
今度は須賀王子の東側部分の白書斎
こういうものが出ましたということでですね
王子を挟んだ反対側にやってきたんですけど
その反対側部分も須賀王子の溝とかが
出ているということでですね
この部分からもいろいろと出ているわけですね
ちょうどこのあたりが
その須賀王子の東側の部分ということなので
先ほどの絵の記者から36メートル
このくらいまで道幅が広がっていた
ここがマンションの駐車場になってますよね
このあたりもね
須賀王子の道が広がっていたっていうのを
ぜひ解説版も
こちらも東版の板なんですけど
このあたりも見ながらですね
散策していた
よくわかります
須賀王子もかなり広い道路だったですね
そうですね
今ですね
私は片側一生線でも広い道かなと思いますけども
やはり36メートルもあります
相当ですね
36メートルって広いですよね
そうしますとやはりですね
時代が下ってきますと
どんどん道の幅なんかも縮小していきまして
最終的には20メートル前後ぐらいまで
減ってしまうようなところも
奈良時代とか千年後来になってきますよね
そういう場所も見つかっているということですね
今週は須賀王子を歩きました
来週はいよいよ
太宰府成長跡へと入っていきます
ご案内は
古都太宰府保存協会学芸員の
田中健一さんでした
一緒に歩いたのは
津川ディレクターでした
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島リエさんです
こんばんは
先週に引き続き
海の道胸形館で行われている特別展
怪人王国胸形
海の人の王国と書きます
怪人王国胸形
古墳時代の交流と繁栄
その後編をご紹介しようと思います
2月の27日まで行われておりますが
この展示会では
胸形の人たちが乗った船がどんなだったか
そしてそれに乗ってどこに行っていたのか
さらに結果
いろんな地域との交流を通じて
何を手に入れたのかが見られるんですが
実は胸形流
胸形スタイルが見える展示でもある
胸形流
どんなスタイルなんでしょう
胸形世界遺産家文化財係の大田さとしさんに
教わってきました
古墳の作り方
お供えする土器
そして日常使用の土器などにも
独自色があるというのです
端木の高つきというものですが
他の地域よりも足を長くつけたりするんですよね
長いと何がいいんだろう
分からないです
何で足を長くするのかは
24:00
よく分からないのですが
そんなに長いと何パーセントの足がいいのか
これは蓄合の端木
蓄合の人たちの系統を引く端木なんですが
この足の短さを比較してみると
単純に2倍ぐらいは足の長さが違うと思います
他の地域よりも足をどんどん長くするんです
これが胸形流
おお
2倍ずいぶん違いますね
そうなんですよ
まず長さがたくさんある
さらにこんな話も聞かせてくれました
ハソウと呼ばれる
お腹に穴の開いた土器があるんですけれども
古墳時代特有の土器ですね
これ普通足がないんですよ
だけど胸形の人たちというのは
足をつけたがるんですよね
足をつけちゃうんですよ
独自のハソウ
こういう単形壺という
ちょっとした壺にも
本当は足ついてないんですけど
足つけちゃうんですよね
長くしたり何かつけたりするのが大好きなんですよね
これも胸形流
独特ですね
胸形流ですね
足が好きな胸形人ということになるんですが
この土器がどういうところで出てくるのか
もちろん胸形が中心地ですが
他にもあるだろうということで
マッピングした図があるんです
そこからわかることはこんなこと
福岡県中で探すと
胸形に一番集中してますよね
大賀川にも近隣地域だから
当然交流をしているので
集中しているわけです
でも福岡平野中心
博多区とかにはないですよね
ところが西区から
糸島地域にかけては
いっぱい出るんですよ
こういう胸形流のやつが
つまり多分ですね
糸島地域と胸形地域の人たちというのは
これ海ベタで出てきておりますので
おそらく船を使ったりして
多分交流をしていたんじゃないかな
と思うんですよね
なるほど
港を拠点にね
そうなんですよ
大きく納得していたら
この土器が出てくる年代が
出土している年代が
6世紀の後半ぐらいと
設定されているんですが
それからおよそ150年くらいかな
あとの大砲2年
702年の戸籍が残っているんです
どこの戸籍かというと
畜船の国島群
つまり糸島の戸籍なんですよね
日本最古の戸籍の一つなんですが
ここに胸形のアイデンティティを持つ
人物がいますよ
という記述があるんです
旦那さんの名前があって
隣に妻って書いてあってですね
胸形で少なめ
年37歳
胸形であひため
年49歳
これはもともとは
胸形で生まれたんだけれども
結婚して島群にやってきた人だ
というのが
戸籍から分かるわけなんですよ
本当に一つ一つ見ていても
面白くていろんなドラマがたくさんあるんですけど
この特別展
世界遺産神宿島
27:00
胸形沖之島と関連遺産群の
5周年プレイベントとして開催されています
でもこんなことを
おっしゃっていましたよ
今回展示したものは
シンバルネ山から出土しているものはなくて
沖之島の出土品も展示していないんですよ
ほとんどが胸形市内からの
出土品なんですよね
僕たちの今歩いている足元の人にも
もしかしたら
沖之島やシンバルネ山
もちろん重要なんですけれども
東大元暮らしで
自分たちが住んでいるところにも
遺跡があってですね
実はその遺跡の歩いているところの下から
重要な発見があるかもしれないですね
なるほどね
ぜひ海の道胸形館で
確かめてください
高嶋理恵さんでした
番組からのお知らせです
ホームページのご案内です
これまでの放送内容と
番組を1回目からじっくり楽しむことができます
RKBラジオの
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古代の福岡を歩く
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この番組は
三山市の企画協賛
餃子の山八
道の駅胸形の提供で
お送りいたしました
ご案内は
博多周代でした
30:32

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