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古代の福岡を歩くシーズン3遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン3 この番組は
室方市福津市 福岡県観光推進協議会の企画協賛
道の駅村方 福岡県商工会連合会
餃子の山鉢の提供でお送りいたします こんばんは坂田周代です
神功皇后は下関の豊臣宮から歌詩へやってきて 歌詩宮を拠点に白城へ出兵などしますが
帰国した後は大神天皇を海で出産し 海町から飯塚の方へショウケ越えをして移動します
今夜はその後の工程をたどります お話を神功皇后の謎を解くの著者川村哲夫さんに伺います
ショウケ越えからですね飯塚の方に向かいますね
ショウケ越えといいますと 海の方から抜ける峠越えでございまして
ショウケ越えという名前そのものがですね 生まれたばかりの大神天皇をショウケに乗せてですね
運んだからショウケ越えになったと言われています
そのショウケ越えの近くにはですね 千呑坂あるいは大野内中という集落がございますけども
千呑坂と言いますのはですね そこで神功皇后がお乳を得られたということで千呑坂になったと
大野という場所はですね
割と山の中に来た広い野原があるなと野原があったなということで
そういうことで大野という地名になったと
それから内中にはですね 神功皇后が腰掛けだという石がですね
今も残っております
大体各地に腰掛け石というのは残ってますね
その後大分八幡の方に出られるんでしょうか
大分八幡と言いますとですね これは大分と昔言うんだったらいいですね
そこで朝鮮に渡った兵隊たちとですね 一度そこで解散式を行ったということで
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大分という名前になったと言われています
もう一つがですね そこに浮かれまして
海で出産されたばかりの子供を産むときに いろんな汚れ物と言いますかね
出ますけども それを箱に詰めてですね
それをわざわざ箱崎湖まで送ってあるんですよね
箱崎湖の境内に埋めて 埋めた結果ですね
箱を埋めたから箱崎湖になったという伝承が残っています
したがいまして 大分八幡の方がどうして箱崎湖までそういった箱を送ったのかですね
これは謎でございますが そういう言われがあると
それからもう一つが大神天皇の産湯の井戸というのがございましてね
ですから海で出産されたときに そこから産湯を運んでいるというような伝承の井ですね
非常に格式の高い神社でございましてね
近くには若干5世紀の半ば過ぎだと思うんですが 大塚古墳とか京成町がございますよね
ですからやっぱり遺跡の多いそういう一帯であるわけですね
そして舗波という そこ舗波群に属するんですけども
穂が波打つように綺麗だということで舗波というようになったと
こういう伝承が残っております
ですから舗波 おそらく昔から舗波という地名があったと思うんですけども
それに駆けつけて神宮湖が舗波だと 舗が波打っているというように喜ばれたと
こういう伝承ですね
その辺りから今度は飯塚の方へ
そうです 飯塚で言いますと市内に農村八幡というのがありますよね
農村というのは昔の税務事務所とも言えばいいでしょうか
税を納めるそういう役所があったみたいですけども
ここで農村八幡縁起というのがございまして
これ本当かどうか分かりにくいんですが 私どうかなと思うんですが
ここでまた兵士たちと別れされまして
いつか会うべしというふうにおっしゃったもんですから
飯塚になったというような伝承が残っているんですけども
ちょっとこれは
いつかというのはいつから使ったのかですね
でも現代語が臭いですから
なんかちょっと怪しいなといつも思っています
そして柏の森
当時もやっぱり立派な森だったようで
なんて美しい柏の森と言われたということですね
ですからやっぱり当時から薄そうとした森が引け取ったんじゃないでしょうかね
そして庄内側に沿って
綱分け八幡の方に
そうです
綱分け八幡という綱を分けると書いてございますよね
元の庄内町
今飯塚市ですかね
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実は海八幡で園樹の木に綱をかけて
それを握りしめて出産されたみたいですね
その綱を持っておられたと
そこを通るときですね
村人たちが非常に一生懸命接待してくれたということで喜ばれましたね
じゃあなんか固みの品を置いていきたいということですが
ふと気づかれまして
自分がかわいい王陣典を産んだですね
息子を産んだそのとき使った綱を
じゃあ差し上げようということで
村人たちに差し上げられたと
ただもらった側もですね
綱をもらってもどうしようもないんですよね
ですからじゃあこの綱をどうしようかということで
綱をとにかく地中に埋めてですね
その上にやしろを作ろうということでできたのが
綱秋八幡とこう言われてます
大きな神社ですよね
そうです立派な神社ですね
私も何度か行きましたが
いつも行くたんびにいい神社だな
いい神社だなと思いますね
静かな薄々とした木もありますし
そしてその後稲月の方へ
そうです
で鎌志の宮吉というところに
そうですそして宮吉ですね
花宝でございますが
ここではですね面白い現象がありまして
実は王陣典のまだ赤ちゃんですが
ちょっとお泣きになったとですね
むずがる
むずがると言いますかね
それを地元では昔はゼゼと言ったそうです
ゼゼと
それで何て言いますかね
村人たちがもう心配しましてね
柳に団子を差して
差し上げたところがですね
泣きやまれたと
赤ちゃんがですね食べるわけないですから
おそらくご機嫌悪らしくですね
喜ばれたんだろうということで
それ以来ですね
お祭りの時には串団子
柳の枝に団子を差してですね
そういう食べる風習がですね
できたと言われています
今あるかどうか知りませんよ
そして鎌峠の方にも
そうです当時はおそらく鎌峠がですね
そういう古代の通路になっていたと思いますね
なぜかと言いますと
彦山神宮の方に行かれて
彦山に延ばれてたんですね
彦山に
そこでですね
鎧歌舞踏を奉納されたみたいなんですよ
その鎧歌舞踏は現在残っていません
途中ですね
戦国時代の土作作で
亡くなったという話がございますが
彦山に延ばれたと
彦山もですね
高見結びの神
あるいは天の星を耳の見事
これはアムテラスの子供さんですね
そういう古代神話ですね
神々が祀られているということで
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非常に大事な山なんですね
礼山ですね
それ以前は
村形山頂神も祀っていたという伝承もありますから
ですから天神族といいますか
鎌原勢力の一つの大きな聖地の一つだと
いう感じいたしますね
なぜその
そういう高見結びとか
天の星を耳とか
あるいは村形山頂神の伝承が残ったのか
これを押さうっていきますと
日本の古代史が少し
扉が開く可能性もあると思っています
そうですか
彦山へ参拝
山神宮へ参拝
そうです
そして川崎町の方を
そうです
抜けられる
これは川崎という町も面白い場所でございまして
仁義の見事であるとか
神武天皇伝承だとか
古代神話のそういう人たちの伝承が
よく残っている場所なんですよ
神武天皇も
神話から延ばれるとき
ここにしばらくおられたという
そういう伝承も残っていましてね
川崎も非常にそういう意味では
古代面白い場所だと私は思っています
そこに住吉神社がございます
天城という場所にですね
ここでお祭りを行われたと
神宮神話ですね
今夜は神宮神話の謎を解くの著者
河村哲夫さんに
神宮神話が王神天皇を海で出産し
海町から小家越えで
飯塚へと移動してからの行程を聞いています
一行は小家越えをして
大武八幡宮へ寄ります
大武八幡宮の大武は
大分という字を書きます
それから飯塚の濃祖八幡宮により
鎌峠を越え川崎町を通って
田川の方に抜けます
次はここからの話です
田川にですね
風知八幡神社がございますね
そこの境内のちょっと階段の近くですが
やはり腰掛け意識がありましてね
川渡り人口災害が毎年5月ございますね
私は下手すればですね
神宮湖を川を渡らせたとき
それを契機にですね
そういうお祭りが始まったんじゃないかな
という気もしてるんですが
よくわかりません
当時神宮湖は見越しに乗ってですね
移動されてますから
ですから偉い人は見越しに乗ってましたから
今も見越しに乗るという
そういう例えがございますよね
その後河原町
そうです
鏡山神社がございますよね
それから河原神社
そういうところを通られまして
中藍峠っていうのは通ってない?
いや、通っておられますよ
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通ってるんですか
その後ですね
行く橋抜けるのに中藍峠
しかし中藍天皇そのまま通られてないんですよね
ですから神宮湖をしか通られてないという
そういう峠でございますけども
おそらく九州から遠ざかる
たちさんに連れてですね
自分の天皇のですね
ご主人であった天皇のことを
ここで忍ばれたんじゃないかという気もいたします
中藍神社もございますし
勝山町にいてはですね
それから中藍峠にもございますし
そういうことでそれから赤村に行かれてるようですね
そうですか
そして赤村から行く橋の方に行かれるんですかね
そうです
赤村あたりにもですね
伊勢丸とか赤村あたりはですね
これまた神武天皇に賑わること
あるいは神宮皇后
それから慶光天皇とかですね
おびただしい伝承が密集してるんですよ
ですから古代のですね
彦山と行く橋をつなぐ
要所の場所であったという気がいたしますね
そして赤村川はですね
行く橋の草野の津に行かれてあるんですよ
神宮湖は草野という港ですね
昔は今は行く橋はずっと平野になってますけども
大鶯はこの当時はですね
かなり湾が内側に入り込んでるんですよ
この海が
そしてその海を塞ぐように水の島がありましてね
今水の島ございますよね
行く橋地域の近くに
だから水の島が一個
湾を塞ぐようにありまして
湾が内の方まで深く入り込んでましてね
その北側の方にですね
草野という港がございます
その草野もこれまたですね
古代のおそらく
そうですね
本州中国四国地方とのですね
そういう玄関口
海の玄関口であったんじゃないかと
関門海峡通るよりも危なくないんですよね
関門海峡流れは速いですから
ですから後の時代
その前の時代か
渓谷天皇が
北府から
鯖の方からですね
本州に
九州に向かわれますときに
こちらに来てるんですね
都軍の方に
ですから都軍というのは
やっぱりなんか
都というようにですね
渓谷天皇が
長尾の暗号を置いたから都になったということを
日本史書いてございますけども
ひょっとすれば御菓子ですね
それ以前に都があったんじゃないかと
そういう機もなんとなく私は知っております
ああそうですか
日本最古の都であると
都軍であると
私はあちこちで風潮してます
京都の人は怒るんですけどね
15:02
この草野から船に乗られる
そうです
草野から船に乗られましてね
そして武全海を南下されます
そして山国側の
河口部に行かれましてね
そこでですね
今の
小犬丸という場所にですね
西富町の八万古評神社というのがあるんです
ありますね
実はここに立ち寄られたみたいで
これはもちろん
後の時代の作品でございますが
そこに神宮ここがですね
日本で唯一なんですけども
牛に乗った木造が残っているんです
それをですね
引き綱を引いて
引いているのが妹のですね
ソラツイメと言われてます
ですから牛に乗った神宮皇后像
それからそれを引っ張る妹のソラツイメ
これがですね
木造が残っていると
非常に貴重な神社ですね
ここを出発されて
これから宇佐の方へ
そうですね
宇佐に行かれているようですね
宇佐ご承知のように
姫狼
これは村形三重神と言われてますよね
そして合わせまして
沖縄新姫の御子と神宮皇后を祀っている
そして全国の八幡神社の
総元締めと言いますか
宇佐八幡宮として
武善一宮として
今君臨していると言うとおかしいんですが
そういう社格
格式のある屋主ですよね
そこに行かれているようですね
ここへ行かれたというのはやっぱり何か一つ
あのですね
神宮皇后が
北部九州
最初頃申し上げましたが
約3000ヵ所
歴史をされているんですよね
生吉島
それから
唐津
昔の
なんて言いますかね
松良国
糸島糸国
それから中川隆之の那国
そして竹川隆一
ひょっとすればですね
神宮皇后は
本人は気づいてあるかどうかは知りませんが
この
歴史をされたエリアはですね
かなり古代栄えた場所を歴史をしてあるんですね
なるほど
そうですか
ですから
神宮皇后がいつ頃の人かというのは
なかなか難しいものであるんですが
神宮皇后時代にですね
九州にどこのところに
どういう人たちがいたというのが
情報が残っているんですね
ですから
やっぱり神宮皇后の巡行が
非常に重要だというのは
神宮皇后の目を通してですね
当時の九州の状況が見えてくるという
素晴らしさがありますね
ですからこの
宇佐八幡もですね
宇佐の地にも
それなりの古代の文化が栄えておったと
そういうところにやっぱり足をかばれて
そして
18:01
みんなに挨拶されるといったら
欲しいんですが
朝廷の威光を知らしめると
いうようなことをなさったんじゃないでしょうかね
そして神宮皇后はこの後
平和のほうまで行かれて
そして豊浦宮のへ戻っていく
そうです
途中ですね
国先半島を迂回されましてね船で
そして姫島
あたりにも伝承が残されまして
そして
文後一宮の笹本神社があるんですよ
そこになんか
旗といいますかね
そういったものを
白旗をですね奉納されたと
いうような伝承が残っております
そしてそれからさらに南下されましてね
宮崎県の角神社ですね
小井郡の角町
角神社これは
あんまり皆さんご存知ないんですが
比喩が一宮なんですよ
近くにはですね
神武天皇が失敗しました
みみずとかありますしね
ですからこの地から
このあたりからですね
神武天皇が失敗して近畿に行っているということですから
ここまでですね
出産後ではにかかわらず
船でここまでやってきて
一応ここで最終
九州の最南端地ですね
これが伝承地の
ここまで行かれたということは
やっぱり皇室天皇陛下の行かれの場所に
行ってあるという感じがしますね
神武皇后一皇は
この後船で北上し
文後武善を通過
神田に上陸し
神田からは陸路伊東津から
文字へ抜け文字の
めかり神社付近では
釣りを楽しんだという伝承も
残っているそうです
その後九州への
出発地下関の
豊名宮へ戻ってきています
お話を神武皇后の
謎を解くの著者
河村哲夫さんに
伺いました
この場所は古代に
沖ノ島と同様の祭祀が
行われていた信仰の場でした
古代の祭祀に始まった
村方哲夫は今なお続く
航海安全を願う
信仰の場として世界遺産に
登録されました
世界遺産神宿る島
村方沖ノ島と関連遺産群を
私たちの手で守っていきましょう
ここで古代の福岡を歩くの
リポーター中島理恵さんです
こんばんは
今日は世界遺産になってます
新晴野山古墳群の
最新事情をご紹介しようと思います
実は今月末まで
展望所の整備工事が
行われているんですね
4月からいよいよ皆さんに
21:01
使っていただけるということで
どんなふうに変わるのか
福津市教育委員会文化財課
市籍整備課理長の井浦はじめさんに
教わってきました
今仮設でトイレとかガイドさんの
詰め書があるんですがこういったものが
きちんとした建築
コンクリート作りで壁面に杉板を
巻くような感じのものになります
さらに今ある展望スペースが
少し広くなる
さらに実は今の
U4道から
古墳エリアに降りていく人と
上から見学する人がちょっと
重なり合う瞬間があるんですが
これがなくなるように銅線がきちんと
確保される形で
広々使えるようになるわけなんですよね
お客様の利用するところから
まずはこの工事が始まっているんですが
これから先古墳そのものの保存
それから調査
研究こういったものをひっくるめての
整備おそらく10年
20年かかっていくっていうんですよ
どんな気持ちを持ってらっしゃるのか
井浦さんにその辺をちょっと聞いてみました
見応えがある
古墳
今も
個人的には見応えあるんですけれども
もっとその
いろんな方がですね
古墳群に来て
おすごいなっていう
見どころがあるように
できたらなというふうに
思うんですけれども
もちろんガイドさんもそれで
ガイドの死骸も出てくるでしょうし
古墳そのものの
外から雰囲気を
眺めるだけじゃなくて
古墳全体の
構造とか仕組みとか
あるいは土木工事としての
規模の大きさとか
そういったのが
見ただけで
分かっていただけるような
整備ができたら
いいななんて
これから先
調査と整備と
同時並行的に進むのを
私たちは一緒に見ながら
古墳全体が整備されていくのを
見れると思うんですよね
そんなものを体感できる最初のチャンスが
実は来週の土曜日
3月24日にあるんです
今15号墳というのを
崩れそうなところを土を取り除いて
調査をやっているんですが
この今年度の調査結果の
説明会が行われます
午前10時と午後1時からなんですけれども
湿土品とか
どんなふうに断面が
なっているのか見れるんですが
こういう湿土品があったそうです
小さな破片で
完全な形のものはないんですけれども
たかつき型の基材という
割と大きな土器の
大きな立派な土器の
一部だろうというのがあって
模様がきれいに入っていたり
とかするのもありますから
そうなんですよ
この15号墳というのが
全体
シンバルの山古墳全体から見ると
私中くらいの大きさですよねって言ったら
由良さんにいやいや
6世紀後半に多く作られた
塩粉群の中の一つで
24:00
その中では大きなものですよと
誤差とされましたけれども
だから立派な古墳ではあるわけなんですよ
じゃあ断面がどうなのか
気になりますよね
今の段階では
土を取り除いただけですから
古墳の
断面が
墳球の断面が
見えるということですね
島々ですね
やっぱり
一定の土を運んできて
敷きならして
踏み固めたり
突き固めたりして
それをどんどんどんどん上の方に
積み重ねていきますから
人力でできる
なんて言いますか
厚みで
土が積み重なっていく
ということですよね
層状
モリドって言うんですけれども
層のように
薄い層が重なるところですね
層のようになったモリド
実際それが
見えるわけですね
大体の
1時間くらいかけて近くにある
他の古墳も合わせて
案内してくださるそうなので
しっかりくっついていけば色々質問もできるはず
なんですよね
文化財係がみんな手分けして説明しますよと
おっしゃってるんですごく楽しみではあるんです
今年度は
実はまだこれだけしかやってないんだけど
この15号墳
来年もっと詳しく調査をするので
来年はまたさらに大きな
調査成果が報告できるんじゃないかな
調査の過程を
随時見学できるスタイルですよね
文化財との
市民の向き合い方として
これは非常に興味深いし
新しい気がしますね
しかも工事が始まったら
さながら昔古墳を作っていた時は
こんな感じでみんな取り掛かっていたのかな
なんていうのも見えることになると思うので
ワクワク始動しになるかと思います
イメージ膨らみます
来週の土曜日3月24日の
シンバル野山古墳群
15号墳の現地説明会
詳しいことは福津市のホームページをご覧いただくか
文化財課
094062-5093に
お問い合わせいただきたいと思います
ぜひこれからも
広がるシンバル野山古墳群
しっかり見ていきましょう
リポーター高島理恵さんでした
番組からのお知らせです
ホームページのご案内です
これまでの放送内容と
番組を1回目からじっくり
楽しむことができます
RKBラジオのホームページの
古代の福岡を歩く
シーズン3のバナーをクリックしてください
また
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ダウンロードすればスマートフォンや
タブレットでもお聞きいただけます
この番組は
村形市 福津市
27:00
福岡県観光推進協議会の
企画協賛
福岡県商工会連合会
餃子のヤマハチ
道の駅 村形の提供で
お送りいたしました
ご案内は 酒田秀大でした
×少女隊の
×ラジオ隊
×少女隊の春のキーナと
青いリルマです
RKBラジオでお送りしている
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