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古代の福岡を歩くステージA。 海の道から空の道へ。
安曇族の足跡を探る。 この番組は安曇野市観光協会
安曇野市大王わさび農場 塩尻市観光協会
FDA富士ドリームエアラインズの企画協賛 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、ニラにネギ。 野菜だけで作った優しい餃子ができました。
お肉が食べられない方も安心してお召し上がりいただけます。 餃子の山鉢の優しい餃子です。
こんばんは、坂田周代です。 かつて鹿の島を拠点とした安曇族は日本海の糸魚川から塩の道を通り
安曇野へ入ったと言われます。 その安曇族が公益に使ったのではと言われるものに糸魚川近くの姫川から取れる
翡翠があります。 そこで翡翠の産地であった糸魚川を訪ねました。
JR糸魚川駅から車で10分ほどの高台に縄文時代の遺跡 長蛇ヶ原遺跡がありました。
ここには翡翠の加工場があったと言われます。 周囲500メートルほどの広場に復元した茅で作った縄文時代の住居が2、3棟建っていました。
ご案内を糸魚川教育委員会学芸専門院で長蛇ヶ原考古館の山岸陽一さんにお願いしました。
考古館は林の中にひっそり立っていました。
ここから歩いて10分ほどの縄文時代の建物がある広場へ案内してくれました。 付近には溜まっていた水が枯れた場所もありました。
少し枯れかかっていますが、この辺で水が湧くんです。
これはカラムシという草で、繊維を取って腹に材料になる糸を取るための草なんですね。
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道草というか、市内の道路沿いにこういうのが結構いっぱいあるんですね。
自然でもそういう状態で生えてくるので。
カラムシ。
繊維を材料になるんですか。
そうですね。繊維を取り出してですね。
創価町というところへ行きますと、そういうので編んだ縄文時代の布といいますか。
そういったものが最近まで伝承されていたというのがあります。
昔は寒冬着というのがありましたよね。
ああいうものを作る材料なんですかね。
弥生時代ですと、吉野原遺跡とかで作られている絹ですね。
カイコの眉から通る糸ですね。
そういうのが大陸の方から伝わってきていると言われているんですけど、
カラムシは縄文時代からずっと伝統的に用いられたみたいで、
これが割と最近まで特に山間部では残っていた。
そうですか。
朝というと今では大間栽培になってしまうので、
伝統的に産業として慣れ立っているところでした。
朝は栽培されていないんですけれど、
こういう自然の状態でも生えてくるのはカラムシとか。
ところどころ赤そという植物の繊維で布を織っていたということなんですね。
そうですか。
そういうのもなかなか試しにやってみるんですけど、
やっぱりなかなかうまくいかないですね。
難しいでしょうね、やっぱり。
手間労力といったのは非常にかかるので、
やっぱり本腰を入れてやらないと。
やらないと中途半端になります。
今、高湖間から遺跡の方へ歩いていっています。
山道が2メーター幅ぐらいの山道がずっと遺跡まで続いています。
カラムシという植物が右手左手にたくさん植わっています。
こういうのを原料にして繊維を織ったという、
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着物の類の原料になったかと思います。
しばらく歩くと復元した縄文時代の家が見えてきました。
これは縄文時代の建物の跡ですか?
はい。縄文時代の建物は、要は基礎の部分しか残っていないと言いますか、
埋まっていて、それを発掘して掘り出して分かるのは、
要は基礎の部分しか分からないというわけです。
あとは想像の。
その上屋については、いろんな事例を参考にしながら復元するわけですけれども、
かやとか、屋根の上に吹いてあるのが杉川であったり、
こういった周辺で手に入るような素材で復元するという。
かやだけじゃないんですね。
杉の川を上に張って、屋根のてっぺんの方は少し防水というか、
そんなようなかやをしてあるんですけれども、
なかなか上屋の様子というのは調査をしてもなかなか分からなくて、
時々焼け落ちたものが発見される例があるんですけれども、
そういうので分かるのも柱とか梁とか、そういうものに使われていた材木ですかね。
それがどういう木だったかということは分かるんですけれども、
なかなかどういう形のものが柱の高さもどのくらいだったのかというのは、
なかなかはっきり分かる事例というのはそう多くないので、
なかなか上屋の方はかなり推測が多いということになりますけれども。
これはかや吹きの小屋ということで、結構ありますよね。高さは5メートルくらいあるのかな。
これはちょっと逆に高すぎるんじゃないかという指摘もありまして、
梁までの高さが大体大人が手を伸ばしたくらいの高さが限界じゃないのかというようなご意見もいただいております。
それの倍ぐらいありますね。
かなり高くなっています。
これ中は掘ってあるんですか。
どまを固めてあるので、いつも入って見ていただいているんですけど、
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中学生だと70人くらい。
結構広いですね。中真っ暗ですけど。
中学生、小学生ここに入るとまず暗い。
それから普段慣れていない匂いがするということをおっしゃいます。
でも結構広さはありますね。
これは広さとしては広い方の遺構ということになります。
5、6メーターくらいかな。
6.5メーターくらいありまして、割と大きい本ですね。
普通は5メーターくらいなんですけど、1.5メーターちょっと長くなっただけでも面積はかなり広くなりますので。
ここに穴が2箇所掘ってありまして、1箇所が火を起こしたりするものですね。
もう一つはこれは。
これは祭壇だというふうに今はっきり言えるようになりまして。
1メーターくらいの穴になってますね。
おそらくここに短めの木の柱を立てて、その周りにマジカルな土器を置いたりして、
ここで何らかのお祈り、儀礼をしていた場所というふうに、そんなふうに今はっきり言えるようになりまして。
当初はなかなかそれをはっきり言えなくて、可能性があるみたいなことをずっと言っては言ったものですから、
これはもうよくわからないものはこのままの状態で再現しようということになりまして、
これ穴になってたんですね。
そうすると来られた方はこれはトイレですかとか、逆にこれは水が溜まったりしたこともあったので、
これは水を溜めておいて飲み水にする場所でしょうかとか、そんなようなことを皆さん質問されることが多かったんですけど、
今は祭壇ということで、はっきり言えるようにようやくなったという。
これ祭壇ということはこの辺の集落の町といいますか、長の建物みたいな感じですか、それとも一般の人の建物と。
ちょっとこの大きさからすると大きい部類に入る建物なので、ある程度そういう長のような人が住んでいた可能性はあるんですけども、
この祭壇自体はどちらかというとこの家というかこの家族というかに住んでいた人たちの何らかの儀礼というような捉え方をする場合が多いですね。
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逆にそちらの広場というのが縄文集落の一つの特色だと言われているんですけど、広場で行われる儀礼についてはこの集落の祭祀といいますかね、そういったものになるのではないかというような捉え方をする考え方があります。
家の中では家の中、家族のためにお祈りするとか、そういったところだったかもわからないということですね。
これはかやぶきのずっしりした感じの建物ですけど、内部の柱なんかもこれも昔はこういう形であったろうということですかね、がっしりしていますね。
結局この柱を支えられて、この梁、これで周りの屋根を支える樽木というのを構築していくわけですけど、わりとしっかりした柱を。
しっかりしてますね。
実際にこの四つの柱というのは墨になって残っていたんですね。
そうですか。
その墨をよく調べますと、どうも栗の木を使っているということがわかりまして。
栗の木、硬い木ですよね。
硬い木なので、そういう意味で栗を、わざわざ栗を柱に使っているということが。
もう知っているわけですね。
わかる事例になるんだと思います。
この遺跡はだいたい縄文時代の中期ぐらいなんですか。
この建物について言うと、中期の中ぐらいで、年代から言うと4600年とか、確か年代測定で4600年ぐらいの。
前の年代が出ていたと思いますので。
その頃からやっぱり神にお祭りをするという風習もあったんですね。
この家というのは、調査している時に焼けた土がたくさん詰まっていた遺構だったんですね。
それで、最後に土間まで掘り下げていったところ、猪の頭の骨が2つぐらい出てきておりまして。
動物を生贄にしたというか、そういう儀礼というのが大群河市からあったということがわかってまして。
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千葉県の遺跡では鹿の頭骨を使った儀礼というのは、9000年とかまで遡るというふうに考えられてまして。
そういう中での動物の儀礼という。
それがこの家が最後に家じまいとか最近言いますけど。
家を畳む時に火をつけて動物の、ここではイノシシなんですけど。
イノシシの頭の骨を置いて火をかけて家じまいをしたというような儀礼というのがあったんですね。
そういうのがここではわかるのではないのかなということを指摘もいただいて。
そんなことまでわかるんですね。
ここは本当にそういう意味ではこの遺跡、最初に全部丸々1件調査した最初の調査例だったんですけど。
そういったことがその時点でもわかったので、この遺跡は本当に素晴らしい遺行が眠っているんだなというのがよくわかったんですね。
翡翠だけではなくてそういう意味でも非常に素晴らしい遺行がまだまだ埋没しているという。
この遺跡大体で何人くらいの人たちが住んでいたというふうな推定もされるんですか。
はい。よく質問される内容なんですけども、実はこの遺跡というのはこの集落、この一帯集落と考えられる範囲の1割程度しかまだ調査をしていないんですね。
ですのでこういう遺行がいくつ埋まっているのかというのもまだわからない状態なんですね。
なのでなかなかわからないんですけど、その1割掘った中で24件くらいの家が残っている。
なので1割しか掘ってないからその10倍くらいはまだ全体ではそのくらいの数になるんじゃないかということを推定しているわけですけれども。
大体500人から1000人くらいですか。
いやなかなかそこまでは同時期にあったものっていうのはおそらくそんなに数はなくてですね。
せいぜい5、6件とかそういう家があって、住んでいる人も50人くらいかなというような、そんな想像しかまだできてないですけど。
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そして明るい外へ出てきました。
周りには広場があります。
この原っぱはおよそ500メートル四方ぐらいの原っぱになっていますが。
真ん中が広場という今何にもない空間ですけど、そういう集落の儀礼をするような場所になっていまして。
こういったところの中にお墓も作られるんですね。
そういう話を中学生の見学される方に説明したりすると、家のすぐ近くにお墓があるなんてちょっと不気味とかってそういう反応があったりするんですけど。
当時はやっぱり人口密度そうは言っても少ないんですね。
この地域でも隣の縄文時代の集落まで行くのに3キロとか4キロとか結構な距離があるんですね。
ですから人口密度が少なくてその隣の集落行くまでの間にはやっぱり危険がたくさんあったと思うんですよね。
熊も出せると言っただろうし、狼っていうのも当時はまだ絶滅してなかったでしょうから。
そういう野生動物とかそういった危険というかそういう隣り合わせの生活の中ですからこういう集落にはそういう自分たちの先祖も眠っていて。
そういう先祖の霊にも守られて自分たちは生活できているんだという世界観ではないかというふうに考えられているのが縄文時代のそういう価値観と言いますかね。
そういったものになるんだということなんですね。
あそこへ行くと土器を捨てた場所が見れるようになっています。
そうですか。もったいない。
使えるものも捨てるというか、最後に土器仕舞いというか、売らなくなったからじゃなくて役割が終わったからというような意味合いで考えられている。
あら、これガラス、上ガラスになってて。
下が見れるようになっているんですけど、実際は模型なんですけど、実物は向こうで復元したりしているんですね。
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ここでは土器だけではないんですね。
翡翠も、この白いのとか、この隅にあるのも翡翠なんですね。
翡翠の原石みたいなものですか。
これはちょっと磨いたりしていますし。
そういうものもあったんですね。
石斧、この遺跡では石斧作りもするんですけど、石斧の作りかけがそこに一つあったりして。
あとは、研石の使いかけとか、そういうものも一緒にここへ、土器仕舞いじゃないですか、道具仕舞いというか、そういう意味合いがあるのか。
たくさん出てくる場所が、この集落の減りに沿って見つかるんですね。
大事にするということではないんですけど、一応物にも魂が宿るというような意味合いでしょうかね。
縄文時代に翡翠の加工場があった長蛇原遺跡を紹介しました。
ご案内を糸井川教育委員会学芸専門員で長蛇原考古館の山岸洋一さんにお願いしました。
来週も長蛇原遺跡の翡翠の話です。
ここでリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。美術館がたくさんある安住の市の中でもおすすめなところをご紹介しようと思います。
JR穂高駅の近くに六山美術館というところがあるんですが、ここ、日本の近代彫刻の扉を開いたと称されます。
明治時代の彫刻家、小木原六山の作品と資料の保存や公開がされているんです。
ここ、建物がまず素敵なんです。メインになるのは六山館という建物なんですが、
ツタの絡まるチャベルという趣なんです。
小楼が尖って立ってますね。
中でずっと作品、彫刻が見られるんですが、見るだけじゃなくて、ワークショップ、体験メニューが用意されているんです。
金属の鈴でこれを溶かして型に流し込んで、手のひらでギュッと握れるくらいの小さなオブジェを作るという体験なんですが、
最初に建物の形がおすすめって言った、この六山館の形をしたオブジェが作れるんです。
持ってきました。
ズッシリ重いですね。
入ってるって感じでしょ、金属。
かわいらしいですね。鈴独特の銀色なんだけど、ほんのり黄色がかった優しい色でね。
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作って半年以上たったので、少し我が家の空気が乗っかっちゃってるんじゃないかと思います。
作りたてはちょっと違うんですね。
もっとキラキラしてました。でもほとんどこの銀色がこの後変わらないよっておっしゃってたんですよね。
綺麗ですね。かわいい。
教えてくれたのが六山美術館の学芸員浜田拓司さんなんですが、まず耐熱のシリコンの型に鈴を流し込んでいきます。
液体から固体に変わっていく、プルプルプルっと揺れつつ体積がだんだん減っていく。
その様子を見てるだけでも面白いんですよ。
3分くらいで固まるので、そしたら型から外すんですね。
一気にお水にボンと入れて冷やしていって、いらない部分、この金属の注ぎ口を切っていきます。
こちらの鈴は粘りっこいキャラメルみたいな金属なので、握ってギューとねじり切る。
ねじる。あ、切れた。
柔らかかった。
柔らかいですよね。
飴みたいです。
手でもう引きちぎるように。
ハサミでギューって切るんですよね。
熱々ですからね。
ほんのり暖かいぐらい、ひと肌ぐらいまで一気に冷えるんですよ。
それでもそんな柔らかいんですね。
さらに切ったところが尖りますんで、いらない部分をトントントンと叩いていくんです。
あ、いいですね。
形を整える。
ほぼ型通りでいくんで、最後の切ったところの尖ったところを叩いていくだけで出来上がる。
最後にそこのところにウェルトシールを貼ったら完成なんですね。
かわいらしい建物の形が出来上がるんですが、実はこの型のデザインを担当しているのも浜田さん。
学芸員なんですけど彫刻家でもあるんですよ。
他にリンゴの形とかわさびの端置き型とかも作らせてくれるんですが、
このかわいらしい六山館の建物のデザイン、こんな思いがこもってました。
かわいいほどがいいと思うんですよね。
なのであまりリアルに作るよりも、ちょっとお家に置いてても見て飽きないようなかわいさであったりとか、
ちょっと好きになれるような、愛着湧くようなフォルムって言いますかね。
あと大きさもこれぐらいの小さい大きさですので、あまり細かく作るよりも少し単純化した方が、
イメージは残しつつ、家に小さな六山館をっていうようなイメージで。
だから家に持って帰ってみるたびに美術館のことを思い出せるんですよね。
なぜこういうことをやっているかというと、彫刻って少しわからないことが多すぎて、
これで体験することで親近感とか、見学した人が身近に彫刻を考えてもらえたらなというふうに始めたんだとおっしゃいます。
さらにこんな話も聞かせてくれました。
簡単に言うとこれと同じような要領で作られているんですよね。
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作家が原型という粘土で形を作って、それを石膏という別の形に起こすんですけれども、
その石膏を砂で型を取って、その型の中に溶けた銅を流し込むという。
だから彫刻がどうやってできるのか、自分の手で確認ができる。
だから先に六山館の中を見て、この鈴で体験して、もう一度見ると違う見え方がしてすごく楽しいんです。
ぜひ、あずみの六山美術館への芸術の旅も、旅の玄関口は新州松本空港です。
FDA、富士ドリームアイラインズの直行便でぜひお出かけください。
中島リアさんでした。
番組のホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
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また、ラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は、あずみの市観光協会、あずみの市大王わさび農場、塩尻市観光協会、FDA、富士ドリームアイラインズの企画協賛、餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周大でした。
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