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古代の福岡を歩くステージA。 海の道から空の道へ。
安曇族の足跡を探る。 この番組は安曇野市観光協会
安曇野市大王わさび農場 塩尻市観光協会
FDA富士ドリームエアラインズの企画共産 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
こんばんは、坂田周大です。 餃子の島を拠点に活躍した安曇族はかつて日本海を北上し
新潟県糸井川から塩の道、築二街道を通り 安曇野へ入ったのではないかといった説があります。
安曇族が通った塩の道、一体どういう道だったのか いろいろ調べながら信濃大町へやってきました。
4月中旬のことでした。 ここには塩の道のことなら何でもわかるという塩の道博物館
長寺屋という場所がありました。 明治時代の建物です。
入って左の方に大きな囲炉裏がありました。 お話を館長の黒川恵梨子さんに伺います。
この長寺屋という名前、どういう意味なんでしょうか。
この建物は昔床屋をしていた平林家という方の家になるんですけれども、
その平林家の家号が長寺屋と言いまして、 そこから長寺屋と言います。
そうですか。 じゃあこの中どういうふうな展示があるのかご案内していただけますか。
まずここの建物が明治23年に建てられた建物です。
そうですね。古いですね。
そうなんです。130年以上経っているんですけれども、 同時代の後期には塩どん屋をしていまして、
塩どん屋ですね。
明治に入ってからは味噌とか醤油を作っておりました。
30年ほど前の昭和55年まではここに住んでいたんですけれども、
そうなんですか。
それで平林家の方が引っ越しをしまして、 それからは塩の道博物館になって、
10年ほど前に塩の道、長寺屋というふうに名前を変えて、 塩の道の文化などをご紹介しています。
そうですか。この辺りを昔の塩の道が通っていたということですね。
そうですね。この建物の目の前にも道があるんですけれども、 そこも塩の道、築二街道と言いますけれども、
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築二街道ですね。
その道が通っています。
通っていた。
その旅の人でこの街はにぎわっていたということですね。
やはり塩の道が通っていたことで、街が発展していって、 大町の街ができたということになるかと思います。
はい。それではここにいろんな展示物がありますので、 ご紹介していただけますか。
まずちょっとご覧いただきたいのが、 ここの土間がありますけれども、長い土間なんですが、
左右に木の板がレールのように入っていますね。
これは塩を昔運んでくるときに、荷車で運んでくることもあったものですから。
そうですか。
はい。それで荷車ごとそのまま入ってきて通り抜けて、 建物の一番奥に塩蔵というのがあるんですが、
そこまで荷物が運べるようになっていて、 土間が壊れないようにこのような形で木の板が入っています。
木の板が左右に2枚ずつ縦に奥まで並んでいるという感じですね。
それとここのところにいろりがありますけれども、 いろりというのは普通まったいだかと思うんですけれども、
これは足を下ろせるように、ちょっと掘りごたつ方式になっています。
珍しいですね、これ。
そうですね。名前を踏み込むという意味で、 ふんごみというふうに言うんですけれども、
ふんごみのタイプのいろりです。
これは歩いて荷物を運んでくる人のことをぼっかと言うんですが、
昔はぼっかはわらじを履いていますので、 脱ぐのがちょっとめんどくさいですよね。
なので、ぼっかさんがこのいろりのへりにお尻を置いて、
それでくるっと向きを変えると、 わらじを脱がずに足を温められるという工夫がされているんですね。
昔は地区に街道沿いに、こういったいろりを備えた茶屋が 結構あったというふうに聞いています。
ああ、そうですか。
これ大きさとしては一軒主宝ということなんですか?
そのくらいでしょうか。ちょっと大きめですけど。
ああ、少し大きめですね。
天井のほうから吊るされている。
はい、自在鍵が吊るされています。
自在鍵ですね。
その天井を見上げて、途中に、これは神棚ですか?
そうですね。かなり大きな神棚ですけれども、2つほどありまして、
右のほうが平林家の神棚、左は西宮神社の神棚ということで商売繁盛ですけれども。
昔からのものがそのまま残っています。
壁は、これは、すすですかね。黒くなっていますからね。
土壁なんですけれども、中もすごくひんやりして、夏はとても涼しいんですが、
これも実は防火のために土壁になっていまして、ここができたのが明治23年ですが、
前年の22年に一度火事で、おもやが燃えてしまったんですね。
そうですか。
なので火事にしたくないということで、天井も見ていただくとものすごく高くて。
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高いですね。
どのくらいでしょう?ビルの3階ぐらいありますかね。
ありますね。そんな感じがありますね。
これも天井が低いと火が上がったときにすぐに燃え広がって火事になってしまうものですから、
なるべく高くして火が届きにくい構造になっていると。
それと壁の土壁というのも防火のためにこういった形になっていまして。
そうですか。
この張り組みというか天井が非常に特徴的で自慢できるところかと思います。
すごいですね。途中に四方から柱が出てきていますね。
そうですね。太い木は松の木を使っているんですね、張りですね。
縦の細い木は杉の木を使っていますけれども、一番高いところにちょっと光が入っているんですが、
横に窓が実はついていて、昔は紐を引っ張りますと窓が開いたんですね。
しゃべっていますね。
そうするといろりの煙が上に上がっていって、そこから外に煙が抜ける仕組みになっていて、
煙抜きと呼んでいます。
そうですか。
吹き抜けの空間のところは火袋というふうに呼んでいます。
へえ。昔の方は火事に対して非常に神経を使っていたんですね。
そうですね。やはり一度火事になってしまったものですから、
どうしてもしたくないということでこのような構造になっていますが、
非常に大町の中でも貴重な建物になりまして、
平成29年に国の登録有形文化財に大町で初めて登録となりました。
そうですか。
非常に天井が高いというのが特徴ですね。
はい。ではおもやをご覧いただきますけれども、
まず入りましてすぐ右手にちょうど品、ちょっと豪華な極谷の焼き物ですが、
極谷焼きですか。
はい、そうなんです。極谷になりますけれども、
あと真ん中3つはですね、巻絵になりますね。
巻絵。
はい。一番左の方、ちょっとキラキラしている夜間がありますけれども、
これは羅伝を張ってある湯筒といって、水さしとかお湯さしとして使っていました。
洒落てますね。
そうですね。ほんの一部ですけれども、すごく豪華ですけれども、
こういうものは普段使いはしなくてですね、
お客様が来たときにだけお出しして使っていたというふうに聞いています。
ほうほうほう。
はい。
へぇー、こんな見事なもので接待されていたんですね。
そうですね。
奥の方にお勧めいただきますと、こちらはですね、長場という場所になります。
長場、あぁー。
で、平林家は塩丼屋をしていたというふうに申し上げましたけれども、
ここで塩の売り買いをしていたわけです。
あ、ここで。
はい。
で、番頭さんが座ってソロバンを弾いて、塩を売ったりしていたわけですけれども、
ソロバンなんかもですね、昔の5つ玉のソロバンを展示してあります。
あぁ、大きいソロバンがありますね。
はい、そうなんですね。
それで、お塩というのは現金で売り買いをすることもありましたけれども、
大体はですね、昔はかけ売りだったわけです。
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あ、かけ売り。
はい。後からお金を払うという、いわゆる付けということになりますけれども、
で、そういう場合どうやって管理をするかというんですが、
こちらにですね、大福町と言われる、昔ながら。
大福町。
はい。町簿と言いますか、あるんですけれども、
これ見ますと、文旧元年って書いてありますので、もう170年ぐらい前の。
そんな前ですか。
はい、本物ですね。
本物。
はい。で、開いてみますと、
わぁ、墨で書いてますね。
墨で書かれていますが、読めないですよね。
読めますね。
私も読めないですけれども、この大福町に塩を買いに来た人の名前とか、
あとどのくらい買ったかということを記しておくわけです。
はい。
それで、お金はいつ払うのかと言いますと、お盆と暮れに払いに来るとか。
あー。
盆暮れ勘定ということもありますが、
で、払った人は、銭を引いたり印鑑を押したりして管理をしていたというものが、この大福町というものになります。
で、後ろを見るとですね、平林佐護衛門って、墨で書いてあるんですが、
これはこの当時のご主人様のお名前です。
はい。
やっぱり当時、字を書ける人というのもそんなにたくさんいたわけじゃなかったんですけれども、
ここのご主人は字が書けたということになりますね。
大福町があって、そろばんがあって、あとはランプもありますね。
そうですね。
ちょっと暗い感じの場所ですけれども。
あ、そうでしょうね。
それに銭箱。
これは現金で払った方がいた場合にですね、ここにお金を入れるということです。
あ、そうですか。
ちょうど真ん中に穴が開いています。
お金が入るくらいの穴が開いています。
で、後ろを見るとですね、
あの、長鎮が2つほど置いてありますけれども、
また古い長鎮ですね。
大きな長鎮があるんですが、これは実は平林家の家紋です。
あ、そうですか。
大体大きさは30センチくらいの高さですね。
そうですね。
ちょっと大きめの長鎮ですけれども、
家紋がですね、これムツチョウジと言って、
チョウジという薬草がありますけれども、今で言えばクローブなんですが、
それがチョウジなんですね。
で、それが6個ありますのでムツチョウジ。
それでチョウジ屋という名前なんです。
そうですか。
はい、そうなんです。
野豪の由来がこうやるという。
はい。
そして左を見るとですね、もう一つ小さめの長鎮がありますけれども、
これは四角に平と書いて角平と呼びます。
角平。
角平というのは平林家がお味噌とかお醤油を売って行った時のお店の名前になるんですね。
あ、そうですか。
こういうものは家印という風に呼んでいます。
家印。
これは丸い長鎮ですね。
そうですね。
なので町の人たちはこの建物のことを角平さんなんて。
角平さん。
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お年寄りと言います。
お年寄りを召した方は角平という風に。
角平。四角の中に平という字が書いてますね。
平林家の平ですね。
平ですね。
今週はかつて塩の道の町として栄えた品の大町の塩の道博物館チョウジ屋の黒川恵子館長に話を伺っています。
そしてタンスがあります。
そうですね。
はしごダンス。
はしごダンスというのは階段と物入れが一緒になっているわけですね。
なるほど。
全部取手がついていたりとかして。
この階段も明治23年にできたものがそのまま残っております。
そのままですか。
これを使って2階に上がっていただきたいと思います。
ちょっと急ですがお気をつけてご一緒にどうぞ。
急な階段を登ってきます。
上に上がってきました。
2階は塩の道、築二街道の資料を展示しています。
これはまた分かりやすいです。
ありがとうございます。
ここにまずちょっと大きな人形がありますけれども、これはぼっかと呼ばれる人の人形なんですが、
着物を着てですね、背中には醤油粉と呼ばれるものを背負って、
タワラを今この人形が背負っていますけれども、
お塩は実はこの藁で編んだかますに入れて持ってきました。
かますに入れて。
かますにどれくらいの重さのお塩かと言いますと、
ここに資料に書いてあるんですが、12缶から16缶、実は60キロくらい。
そんなにあるんですか。
そうですね。60キロのお塩を背負って、このぼっかさんがこの品の大町まで塩を運んできたわけです。
ぼっかというのは歩く荷物と言いますか。
そうです。
に書きますね。
そうです。漢字は歩く荷物。
歩く荷物。
ぼっかと言いますね。
塩の道、築二街道というのは新潟県の糸井川から松本までの道です。
それで距離にして120キロ。
120キロ。
糸井川から大町までは距離にして80キロくらいになるんですね。
昔は当然車がありませんので、このぼっかさんが歩いて60キロの塩を背負って運んできたわけです。
大変な作業だったと思います。
歩いてくる時に、ぼっかさんがここに二寸棒と呼ばれる杖があるんですけれども、
これは歩いてくる時山道ですので杖代わりとしてついてくるんですけれども、
時にこれをつっかえ棒にしてお尻に当てて椅子代わりにして休むことがあるわけですね。
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昔の人はやはり知恵があって自分たちでこういうものを作って、
それで道具を作って旅をしてきたということになります。
かかるように上の方が少し凹んだ部分もありますけどね。
この凹んだ部分はしょいこの下に当てて上に上げると肩が楽になるということで、
自分たちで改良しながら道具を作ったんですね。
それを荷物の下に当ててそこに座っちゃうという。
はい、そうです。賢いですよね。
賢いですね。
お塩というのはこのぼっかだけではなくて、
左の方に人形がありますが、牛の背中に荷物をつけて運んでくることもありました。
牛というのは荷物、重いものをたくさん詰めますので、
このかますを3つ4つ背中につけて塩を運んできたんですけれども、
やっぱりその方がたくさん荷物が運べますので、やっぱりお金もいいわけですよね。
牛を扱いながら荷物を運ぶ人のことを牛方というふうに呼んでいます。
上手な牛方さんになると、
牛を3頭とか4頭ぐらいを引き連れながら荷物を運んだというふうに聞いています。
牛1頭でどのぐらい運べるんですか?
そうですね、この人形を見ても4つは詰めますので、
4つですか。
6時240キロでしょうか。
すごい荷物を。
大変ですよね。
大変ですね、牛も。
牛も大変だったと思います。
糸江川から大町までは山道が多いので、
そういう場合には牛で運んでくることが多かったです。
大町から松本までは道が平坦になりますので、
そういった場合には馬で乗せ替えて。
馬ですか。
そうすると早いです。
牛はゆっくりですけれども、ちゃんと確実に荷物を運んだということです。
この牛方さんは牛は1頭だけですか?それとも何頭か?
そうですね、何頭か運んでくる牛方さんもいらっしゃいました。
そうすると非常に効率がいいですよね。
そうですね、たくさん運べますので、
どうしても人間だと1つのかますしか重いので運べませんけれども、
牛の場合にはたくさん詰めますので、荷物をたくさん運べたということです。
ただ季節的なものがあるんじゃないですか。
例えば冬とか。
そうですね。
ただ牧歌という仕事はもともとは農館期、農業が暇な時期に荷物を運んだということだったんですけれども、
だんだんと専業にする人たちも増えてきて、そういう場合は冬も荷物を運んだそうです。
なのでちょっと冬は雪深いですので大変だったかと思います。
例えば冬なんかは牛はどうなんですか。
牛も運んだと思います。
大変だったでしょうね。
昨日ちょっと塩の道を案内していただいたんですが、この時期でもまだ雪がたくさん残っていましたね。
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そうです。
今年はちょっと雪が3月にたくさん降りましたので、雪がかなり残っているかと思うんですけれども、
それでもだいぶ昔に比べて雪は減ってきましたが、
昔はものすごく雪はやっぱり降りましたし、
大町の方がまだいいですが、北の方の白馬の向こう側のおたり村というところは雪がすごくたくさん降りますので、
大変な作業といいますか仕事だったと思います。
このぼっかという方の服装なんですが、上はすげ傘をかぶり、背中にしょいこを背負い、
そして下はどうなんですか。
上は着物ですよね。
腰ぐらいというお尻の下ぐらいの着物になります。
下はモンペみたいな感じですね。
そしてわらぞおりですか。
そうです。わらぞおりを履いていて、雪の時にはわらぞおりの上にスリッパのようなわらで編んだものを履いて、
足首のところは雪が入らないようにわらで編んだものを巻くということです。
それから例えば動物たち、牛とか馬ですね、やっぱりわらを履いていたんですか。
そうなんです。ちょっと後ろを見ていただくと、当時使っていたわら細工、履物類が展示してあります。
たくさんありますね。
人間はこのわら地を履いてきましたが、
下を見ていただきますと右にガニというものがあります。
ちょっと変な名前なんですが、これは牛が履くわら地です。
これが牛が履く。
昔はひずめを守る定鉄がありませんでしたので、
これを牛のひずめに履かせて、それで歩いてきたということです。
ちょっと人間のわら地よりも半分ぐらいの大きさですね。
ちゃんとひずめがここのところに入るようになっていて、
足首にわらで編んだ紐で巻いて、それで歩いてきました。
左の方にはマグツと呼ばれる大きなものがありますが、これは馬のわら地です。
馬のわら地。大きいですね。
ちょっと大きくて歩きにくいんですけど、これはすごく丸くて、直径は20センチくらいありますね。
すごく大きいんですが、昔の馬というのは濃厚刃が多かったので、
足が短くてひずめが大きいんですよね。
それなのでこんな大きなものを履かせていたということです。
これは人間のわら地よりも一回り大きい。
そうですね。二回りぐらい大きいかもしれません。
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こちらにちょっと面白いものがあるんですが、
わらで編んだかごみたいなものがありますね。
これ何かと言いますと、口ぐわと言いまして、
牛とか馬の鼻先につけるものです。
なぜこういうものをつけるかと言いますと、
歩いてくる時に、荷物を運んでくる時に、途中で草とかが出てますと、
牛はそれを食べてしまって動かなくなっちゃうんですね。
いわゆる道草を食うということで。
それでは困りますので、荷物が運べませんので、
鼻先に口ぐわをつけて、道草防止にしたわけです。
ちょうど馬の口が当たるようなところですね。
口の部分が少し細かく、大きめに編んで、
そして顎の方に細いひぼに引っ張るようにできているという。
かわいそうかもしれません。
休憩の時には外してあげたと思いますが。
マスクのようなものですね。
そういうのがここにありまして、
その上に爪切り包丁というのもあるんですか?
出刃包丁よりちょっと大きいかもしれません。
大きいですね。
馬のひずめを切るものです。
こういうもので。
そうですね。
これも自分たちで叩いて作ったんだと思います。
品の大町の塩の道長寺屋の黒川えり子館長にお話を伺いました。
この続きは来週お送りいたします。
ここでリポーターの中島梨恵さんです。
こんばんは。
今日は今ご紹介した塩の道長寺屋でいただけるおいしいスイーツ。
スイーツいただける。
かき氷なんですが、お好きですか?
かき氷いいですね。これからの季節ね。
そうなんですよ。もっと早い春先から出てはいるんですが、
この長寺屋のかき氷めちゃめちゃいい。何がいいって。
松田牛乳のミルクかき氷っていうタイトルなんです。
これは大町のおいしい牛乳を使ったかき氷で、
白色、いちご、水色、抹茶、メロンと5つ味があります。
どれがいいって黒川さんに聞かれて、えーって悩んだんですが、
私、白色と抹茶をチョイスしました。
出てきたのは、透明のカップ、高さが12センチくらいあるかな、
の中に入ったかき氷なんです。
もうね、見た目からふわふわなんですが、
あまりの感動。もらった瞬間にこんな気持ちが湧き出てきました。
氷なのに、もちもちしてる。
もちもちしてますか?
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ふわもち?
そうかもしれません。ふわもち。
氷の食感じゃないんですよ。
そうですか。面白いですよね。
面白すぎます。
これね、氷自体が牛乳なんです。
そうなんですね。
牛乳を凝らせてるから、もっちりした食感、
そしてふんわりした口当たり、あまりにもおいしいんですが、
さらにそこにミルクジャムがかかってるんです。
このミルクジャムっていうのも、氷のベースになってる松田牛乳と
お砂糖を30分くらい煮詰めたものを手作りしてらっしゃる。
もう、そこまで手作りって感じなんですけどね。
実際にいただくと、このミルクジャムが、練乳ってありますでしょ。
あれよりも、もっと軽い感じで、
ふわもちとした氷と相まって、口の中が楽しくて仕方がないんですよ。
いいですね。
だから、かき氷ってともすると、最後まで食べきれないとか、
途中で食べ飽きちゃうことあるじゃないですか。
あれがないんですよ。
いいですね。
それはもう、最後まで楽しいかなと思ってたら、
こんな楽しみがあるよと、倉川さんが教えます。
あと、氷自体が牛乳なので、溶けても薄まらず、最後までおいしくいただける。
最後になると、ミルクジャムとかシロップとか、氷が混ざり合って、余計おいしい。
なるほど。溶けてもおいしいでしょうね。
最後まで飲めました。
子どもたちに至っては、この最後を楽しみに飲むように上手に残して、
かき氷を食べ、溶けるのを待つみたいなことになってるらしいんですよね。
本当においしくて、いくつでも食べられそうだなって感じなんですけれども、
これおいしいのが、松田牛乳という地元で愛されている牛乳がベースだっていうのが大きいみたいなんですね。
この松田牛乳について、こんな話を教えてくれました。
松田牛乳がおいしい牛乳なので、濃厚だけどさっぱりしているということで、
地元の人たちは給食にも出るので、なじみがすごくあるんですよね。
みんな松田牛乳で大きくなったんです。本当に。
なんだそうですよ。大町市の他の市役所の方だとか、近くにいる方に聞いても、
松田牛乳、松田牛乳ってみんなが知ってる。
面白いのが、この松田牛乳、瓶も牛乳パックもありますが、
キャッチコピーって言うんですか?
トミーより健康って書いてあるんです。
キャッチフレーズがね、トミーより健康。いいですね、それ。
いいでしょ。だからね、染みてきた、染みてきたっていう感じ。
文字を見ながら子供たちは給食時間を過ごして、みんな大きくなっていくのねって感じなんです。
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これは1日15食限定でかき氷食べられますんで、店先にですね、長寿屋の店先に
バンコー台があるので、ここで座っていただくことができるんですね。
1人で1個ずつ食べるのもいいし、2人3人でシェアするのもいいので、
ぜひぜひ、大町標高が700メートルぐらいありますんで、
お日様が近い、そして湿度が低いので、かなりこのかき氷が体に響くんですよね。
おいしい瞬間がやってきます。長寿屋に行ったら松田牛乳のミルクかき氷、忘れずに食べてください。
かき氷の旅も、新州松本空港が玄関口です。福岡空港からFDAの直行便でお出かけください。
中島理恵さんでした。
ホームページのご案内です。
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この番組は、安住野市観光協会、安住野市大王わさび農場、塩尻市観光協会、FDA富士ドリームエアラインズの企画共産、餃子のヤマハチの提供でお送りいたしました。
ご案内は、坂田秀大でした。
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