1. 古代の福岡を歩く
  2. S6 21回目も太宰府の伝説探..
2021-02-21 30:28

S6 21回目も太宰府の伝説探し歩きです。

五条の交差点から西鉄太宰府駅に向かって左にはいりますと、菅原道真と大変深いつながりのある1メートル程のしめ縄を張った大きな石があります。

これが道真の亡骸を乗せた牛車を引っ張ってきて、現在天満宮のある場所まできて亡骸を降ろし、引き返す途中に亡くなった牛の塚です。

そこで、牛を哀れんだ人々が牛を葬り、建てたのが神牛塚です。

さらに、この近くには朝日地蔵があります。

ここには、かつて横岳崇福寺という寺を建てたお坊さんが、あるとき鬼すべの行事の鬼に引っ張り出されてしまいます。これに辱めを受けたと思ったお坊さんは穴を掘ってその中にこもってしまいますが、、終には命を落としてしまう、という話が残っていました。



※写真は神牛塚です。
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00:08
古代の福岡を歩くシーズン6 遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
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こんばんは佐方秀大です 梅の花がぼちぼち楽しめるようになりました
そこで今週は梅の名所でもあります太宰府の伝説探し歩きpart2の2回目をお送りいたします
ご案内はこと太宰府保存協会学芸員の田中健一さんです 先週は飛び梅の原木がありますエノキシャのすぐそばまで歩きました
そして今週はエノキシャの大きな鳥居の前にやってきました
エノキシャの大きな鳥居の前に来てます この大きな鳥居の前にですね
西鉄の踏切があるんですけどもその横に
縦1メーターぐらいのね卵型の石がありますねこれは何ですか こちらエノキシャの鳥居の真正面にある石なんですが鶴の墓と呼ばれるものなんですが
そのいわれがございまして昔はこの地区にですね ひだ高山で知られます
東海地方のひだからですねやってきた職人と言いますか匠がおられたそうなんですね その匠の方大変腕が良い方である時木製の鶴を作られたそうなんですね
そうしますとその木で作った鶴がですね大変動きを 動き始めまして命を持ったかのように自由に飛び回ったそうなんですね
そしてその鶴はやがて空高く舞い上がりまして中国まで飛んでいたと 中国まで海を渡って中国まで飛んでいったその鶴なんですけども当時その中国の
03:04
東の人々は大変怪しみまして弓矢を追いかけて撃ち落とそうとしたんですけども そのうちの弓矢がその木で作った鶴の羽に当たってしまって
鶴はまた海を渡ってここダザイフェイと帰ってきたんですけどもこの場所でその木の 鶴は落ちてなくなってしまったと
それを痛みまして混流されたのがこの鶴の墓と 鶴の墓
そういう伝承にまつわる石碑なんですね 鶴の墓って言いますからお鶴さんという方のお墓かと思ったらそうじゃないですね
女性のお名前かなと思うんですけど実際伝わっている伝承では木で作った鶴の鶴の方を出すものなんですね
でも大変なんでしょう日本昔話に出てくるようなお話なんですけど実際実はこの石碑があるすぐそばの地区は鶴の畑と書いて鶴の旗鶴旗というような地名も残っているんですね
なので単純に伝説というだけでなくもしかしたら何かそこの地域の歴史に関係するようなそういったお話がこういう伝承になっていったのかなという大変ダザイフの中でも面白い不思議な伝承の一つですね
それにちなんだ地名もあるということは何かあったんでしょうね
そうですね何か歴史的なことに由来するようなお話かなと思います
そういったのが鶴の墓です
この江ノ岐社は9月の25日にお下りお上りという儀式がありまして鈍感道を天満宮から出てここまで来るという行列もあります
その正面に来ました
江ノ岐社に今ちょうどですね到着したんですけれども
こちらは先ほど少しお話も出ましたけれども
かつて菅原道田猫が都からダザイフへと流されまして
そして2年間拓挙された場所
当時は府の南の館南館というふうに呼ばれていたんですけども
その場所がこの今江ノ岐社が立っている場所ということなんですね
この道田猫903年に亡くなられるんですけども
その後菅原道田猫ゆかりの場所ということで
祠が建てられそしてお寺などが建てられまして
江ノ岐社ちょうど建てられました祠のすぐ側に大きな江ノ岐が育っていったそうなんですね
その道田猫ゆかりの祠の側に大きな江ノ岐があるということから
その次第に江ノ岐社江ノ岐寺というふうに呼ばれて
それによって今の歴史とつながってくるというふうに伝えられています
こういったのが江ノ岐社ですね
そしてこの江ノ岐社の裏の方へちょっと回ってみます
ここで浄明二という方を祀った祠があります
そこへちょっと歩いていきます
06:03
本殿から20メーターぐらい裏に来たところですね
ここにあるのはお見越しを卸す台ですかね
こちら土山府天満宮から江ノ岐社に人工祭
お下りがあった際にですね
こちらの方にまず見越しの方が到着されて
普通の一般的な寺社さんですとお下りしてすぐ本殿に入られるんですけども
こちらこれからご紹介する浄明二という方は
菅原道田猫は大変愉快の深い方ということなので
屋台になった見越しはまずこちらに安置されまして
ご挨拶をされてそれから江ノ岐社の本殿の方にお休みになられるという
そういう見越しが置かれる台座がですね
祠の前に設けられております
菅原道田猫がこの浄明二のことを非常に大切に思っていたということですけども
どういう話が残っているんですか
この立派な祠にですね
浄明二という女性が祀られているんですけども
この方がどういった方かと申しますと
太宰府の伝わる伝承の方では
都から来られた菅原道田猫が太宰府に滞在していた際にですね
性的ライバル関係にありました藤原時平の放った刺客に命を狙われたそうなんですね
菅原道田猫は逃れたんですけども
その時にただ駆け込んだところが
この工事を作るお店というか家だったそうなんですね
菅原道田猫が助けを求めてその工事を作るお宅に逃げ込んだところ
そちらにいた年配の女性がそれは一大事だということで
菅原道田猫を工事作りに使っている巣に身を潜ませて
そしてその上に蒸し炉などをかけて身を隠させたことによって
道田猫は追われていた刺客から南を逃れたと
大変道田猫を感謝してその上廟に大変その後も
けがいをされたという伝承が残っております
この上廟になんですけれども
さらに皆さんに馴染み深いお話としましては
太宰府天満宮の山道に行かれますと大変美味しい梅貝餅を売っているお店がたくさんございますけれども
この太宰府の地で禁止しておりました道田猫の大変貧しい時もあったので
それを見兼ねたこの上廟にが梅の枝にお餅を差して
この道田猫にその屋敷の外から差し出したということが
梅貝餅梅の枝の餅の由来となるまさに梅貝餅の梅の親とも
言われるような女性ということで太宰府の方では伝えられている方なんです
上廟にという方ですね梅貝餅の梅の親というと言ってもいいかもしれないですね
09:03
そういう道田猫との交流を示すエピソードから
今皆さんの食べてらっしゃる梅の親が生まれたんじゃないかというふうに言われているものです
その上廟にお祀った祠が裏の丁度正面に江の岸の正面にありました
その横にもう一つ祠がありましてそこに
カンマン様か何かを掘ったような石がですね
1メーターぐらいの石がありますね
これはどういうふうな
江の岸の裏側に北側に行っていただきますと上廟にの祠があるんですが
そのちょうど右側ですね東側に祀ってある祠があるんですが
こちらがですね紅姫の供養塔と言われるものになります
紅姫というのは菅原道田の子供になりますよね
901年に都から流されました菅原道田猫なんですけれども
幼い女の子と男の子それぞれ一人ずつを連れて下ってこられたというふうに伝えられております
そのうち連れてこられたという女の子の方が紅姫
紅の姫と紅姫というふうに伝わっております
ただやはり当時は大変都から遠い道のりでございますし
またこの滞在した太宰府の館の環境というのも大変厳しいものだったようですので
その紅姫様はこの太宰府でお亡くなりになられたと
それを悼んで建てられた供養塔というふうに伝えられたものがこちらになります
紅姫の供養塔が上廟にの祠のすぐ横にあります
これは案外気がつかないんですよね
一体何だろうと思いますけども
何も説明書はありませんのでね
そうですね大きな看板とかは建てないんですけども
もともとはですねこのお屋敷に祀られている石碑の方は
阿弥陀如来様が彫られているという
もともとはこちらの榎木舎の境内じゃなくて
少し離れた鈍間道のそばに建てられていたそうなんですけども
残念ながら道路の工事などがありましたので
現在は一緒にこちらに移されたということですね
そうですかやっぱり道座根溝にちなんだ鈍間道の
すぐ横に建てられていたということなんですね
地域の方々の道座根溝への思いというのが伝わってくるような
そういった石碑の一つですね
紅姫への供養塔ですかね
供養塔と伝えられているものになります
紅姫の供養塔が上廟にの祠のすぐ右手の方にあります
それではもう一人の菅原道座根溝を二人お子様を連れてきて
お一人がこちらの紅姫
そしてもう一人の男の子が熊丸という息子さんだったんですけども
そちらのお墓もありますので
榎木舎から少し東の方に行きましたところの
その熊丸湖の奥付きの方へと行ってみたいと思います
12:04
ということで榎木舎を後にしました
ちょっとお伺いします
榎木舎を出られてすぐ東側に道が通っております
今菅原さんと浄明兄と紅姫の供養塔を見て出てきたんですが
ちょうど路面を見ていただきますと
その歩道の色が黒のアスファルト
そして石敷がありまして
赤色のまたアスファルトという色分けがされていますね
これデザインでしてあるわけではなくて
実はちょっと歴史的な意味がございまして
こちら古代太宰府の街並みを貫いていた
36メートルの須賀王寺
その須賀王寺がここを走っていましたよという
博物調査の結果を
こちらの溝からこちら赤色で示した路面というのが
その古代の太宰府のメインストリートだった
須賀王寺がここを走っていました
というのも地面で表しているものになるんですね
なのでぜひ太宰府で足元ばっかりご紹介してですね
太宰府さんから怒られそうなんですけども
こういったところを見ていただくと
ちょっと古代の太宰府を感じながら
散策していただけることがありますね
この路面の色分けを見ていただくと
そしてそれを延長していくと
客観の方に繋がっていくという
そして反対側を見ていただくと
太宰府正庁の方へとまっすぐ繋がっていくという
そういったところもちょっと足元を見ながら
古代の太宰府をイメージしていただくと
振り返ってみると太宰府正庁があるということですね
ここを昔の人は通ってたということですね
それでは東側でまたこの道を渡りまして
今週は西鉄二日市駅のすぐ近く
道真根港の住まいがあった
江ノ岐社から歩いています
今度は熊間路港のお墓に向かいます
さて江ノ岐社からこれからですね
東にあります熊間路港の奥付きを目指すんですけども
実は江ノ岐社の東側からは平安時代に
太宰府では長官措置しか身につけることができなかった
ベルトの飾り白玉帯というものが出てるんですね
おそらくもしかすると当時江ノ岐社の東側に
それは措置長官しか身につけることができませんでしたので
そういう方が住んでいたのじゃないかと
少し時代は遡るんですけども
令和で有名になりました大友の旅人も長官でございましたので
その頃からもし太宰府の城防の街並みが変わってないとすれば
太宰府長官であった大友の旅人の館は
もしかすると江ノ岐社の東側にあったかもしれない
その館といいますのは
元号令和で有名です
梅花の園の会場ともなりましたので
もしかすると太宰府市内にたくさん大友の旅人の館
広報地がありますけども
もしかすると江ノ岐社の東側にあたる場所で
15:02
きらびやかな梅花の園が開催されていて
そこから令和が生まれたのではないかとも
言われている場所がこちらとなっております
大友の旅人の館がこの近くにあったんじゃなかろうか
という話ですね
そうですね大友の旅人は歌で我が丘にということで
自宅の側に丘があるということを何遍も述べてますけども
その丘が実はこれから行く
熊室湖のお墓がある丘陵地帯じゃないかとも
言われてますので
そういうようなイメージをしながら
ぜひ熊室湖の奥付きの方に歩いていければと思います
楽しみですね
ちょうどこちら熊室湖のお墓なんですけども
江ノ岐区の地区の方の濃厚都道があるような高台なんですけども
その一角にございます
ちょっと坂道になってますけども
この坂が問題の坂
民が我が丘にと言ったかもしれない
丘ですね
この丘を登っていきますと奥に
木々に囲まれた小さな祠がありまして
そちらが熊室湖の奥付になります
上に上がりますとすぐの分かります
一番奥に大きな木がありまして
それに梅の木が1本植えてあります
そのすぐ横に祠があります
緑色の屋根が見えますね
ここが熊室湖
奥付きということですね
こちら江ノ岐区にありますのが熊室湖の奥付き
熊室湖のお墓になります
こちらは江ノ岐社でもご紹介しましたけども
都から菅原道真子が一緒に連れてきました
男の子の方
息子さんの方の熊真子が亡くなった場所
というふうに伝えられている場所です
その熊真子なんですけれども
やはり幼い男の子でして
やはり都から太宰府までも大変長い道取り
そして太宰府で大変過酷な環境での生活というのが
やはり体に悪かったようで
この太宰府の地で亡くなったと伝えられています
その熊真子を伴ったと言われるのが
こちらの奥付きなんですね
ちょっと正面の方に行ってみますか
祠がありまして
そこにそうですね
50センチほどの石が丸石ですけども
ありまして
締め縄が張ってあるという感じですね
その前に祭祀物が置いてあります
そうですね
こちらの地域の方々が大切にお祭りをされていまして
年2回の大祭と言いますか
18:02
礼祭の際は太宰府天満宮さんから神官様がお越しになって
きちんと祭礼をされるという形で
現在でも地域の方々から
大切にされている場所になっております
こちらの太宰府市には市民さんという
地域の大切なものを地域の皆さんで
未来へ語り継ごうという制度があるんですけども
こちらの熊間ロコのお墓も
太宰府市の市民さんとして地域の皆さんで
後世にこれからも大切に伝えていこうということで
活動されている場所の一つになっています
熊間ロコのお墓の左側に大きな木が1本
これはクスの木ですかね
お神木になってますね
右側に梅の木が1本あります
実はこの梅の木が
そうなんですね
普通は梅の木梅の花は5弁の花びらなんですけども
こちら熊間ロコのお墓にあります梅の花というのは
実は6弁の梅が一部咲くということなんですね
またその6弁の梅の花を探しにですね
見に毎年梅が咲く時期はお参りされて
さらにその梅の花を見る方で大変にぎわったりします
これがですね私も探しに来たんですよね
なかなか見つからなくてですね
そうですね
1本の木にたくさんはないんですね
私も以前調査で来まして満開の時にお邪魔しまして
1本のこちらオクツキの梅でですね
一生懸命探しますと2つから3つぐらいは
見つけることができたんですけれども
それだけ珍しいというか貴重な6弁の梅ということで
地元の方からも愛されている形になります
どうぞここへ来てですね
皆さんちょっと探してみてください
6弁の梅というのは必ず見つかると思います
ぜひ探してみていただければと思います
はい熊間炉工のオクツキでした
熊間炉工のお墓は小高い丘の上にありましたが
そのすぐ下が公園になっていました
この熊間炉工のオクツキお墓にですね
お越しいただいたせっかくですと
そのお墓のふもとにですね
小さな榎木スポット公園という小さな公園があるんですね
もしよければこちらに立ち寄ってですね
終夜という菅原三谷公が読んだ
監視の石碑が建っていますので
ここにあるんですか
三谷公の監視があるんですね
終夜、秋の夜と書いてますね
こちらの監視なんですけども
なぜご覧になっていただきたいかというと
実はダザイフでですね
愛する子供を亡くした悲しみを読んだ監視なんですね
おそらく熊間炉工を亡くした際の
自身の悲しみを読んだ監視であろうと
そういう監視ですので
ちょうど熊間炉工のオクツキのすぐですね
ふもとに由来する監視が立ってますので
21:00
当時の三谷公の思いを思いに馳せながらですね
ぜひ熊間炉工のオクツキへの参拝と
こちらの三谷公の監視の日も
ぜひご覧になっていただければなと思います
大体概略どういうふうなことを歌ってるんですか
こちらの公演にあります
週夜という監視なんですけども
外訳をいたしますと
亡くなった幼子を思うと
寝床で寝返りを何度も打ち
夜が更けていくばかりである
壁に寄せてですね
わずかな灯火を眺めつつ眠ることができない
狩りが訪れる声も
霧々すの寒気な声も
みんな去年と同じように聞こえてくるんだが
我が子の本を読む声だけが聞こえない
というまさに去年と変わらずに
周りの景色が流れているんだけれども
ただ自分の子供の声だけが聞こえないという
そういった心境を読まれた監視となっております
自分の子供を思う気持ちがね
よくこの監視に出てますね
ぜひこちらと合わせて
また熊間炉工のお墓を訪れていただくと
道田猫の思いというのにもですね
皆様共感していただけるんじゃないかなと思います
はい道田猫の週や秋の夜という監視でした
太宰府の伝説探し歩き
パート2の2回目をお送りしました
ご案内は古都太宰府保存協会学芸員の田中健一さんでした
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島リエさんです
こんばんは今日は宮山市の海苔の話です
宮山市って私も山ばっかかなと思ったら
実はちゃんと海岸線があって
ただ柳川と大向田の間ほんの2キロほどなんですね
でも海苔を生産していらっしゃる方は20件ほど
そして1件の加工場があるんです
でその加工場江ノ浦海苔本舗と言うんですけどもね
ここがすごい天神で言うと
オーストラリアプラザの地下にあるディーンアンドデルーカ
おしゃれな食料品屋さんにこの商品が並ぶほど
ビジュアルも可愛いんですね
今日その代表的な中から
坂田さんにどんな味なのか
美味しさを味わってもらおうと思って持ってきました
まずはですね塩海苔からどうぞ召し上がれ
これねあの普通のあのご飯にね
ちゃんとこう乗せてパリッと食べられるような
うんパリッパリですね
塩海苔と言いながらでもあの
塩粒がそんなにザラザラと表面にないけど
しっかり味が塩海苔って感じですね
ほとんど塩振ってませんって社長が言ってました
そうなんですね
石垣の塩とあとあの一番しぼりの
菜種油が塗ってあるので独特の風味なんですよね
24:03
いやーしかし海苔の味と香りもしっかり広がります
口の中に海が口の中でザザーって言ってる感じなんですよね
そしてビジュアルもとっても可愛い
なんとなくあのくるみがすりを思わせるような
十字がたくさん表についていて
とってもねあの見た目もハッピーになる
そういうパッケージなんですよね
そしてもう一つ海苔フレークという
海苔をフレーク状にしてオイルで和えたものも
どうぞ召し上がってみてください
不思議ですねオイル漬けと言いながら
サクサクとこうつまんで取れますよ
あのもっとねっとり
あ食感もサクサクです
なんですごいんですよ
おいしい海苔をおいしく作る技を
社長が知ってるからなんですよ
刻み海苔なんですよ固まってない
ザクザク言うんですよ
不思議です
びっくりの味いろんな話海苔のおいしさについて
こんなおいしい海苔たちを生み出している
株式会社えのむら本舗代表取締役で
海苔マイスターの森田修司さんに
いろいろ話を聞いてきました
一番大切にしてらっしゃるのは
おいしい一番摘みの海苔を使うことだそうです
でこれ一番最初にそれで来るとは
一番沖合の一番あのなんて言うんですかね
潮の水が一番暖かいところの地域でですね
風通しが良く水の流れも良くて
一番おいしいなんですよ
一番おいしいやつ一番育ちがいいもんですが
一番おいしいんですよ
さすがです本場です
あのお茶だとまあ2回とか3回積みますが
海苔の場合は10回ぐらい積んでいくんですって
1週間に1回ずつ切っていくイメージなんですね
でその回数ごとにどんなふうに
海苔の感じが変わっていくのか
好評言されていました
海苔で赤ちゃんに例えると
これがですね赤ちゃんの髪の毛と一緒なんです
で2回目になってくると
だいたい小学生ぐらいになってくるイメージなんですよね
で3回目になってくるともう20歳ぐらいの
感じわかりやすいような
だからこそ一番お大切にっていうふうになってるんですが
実はこの有明海の海苔
私たちあの映像とか写真でも見ちゃうんで
竹の棒がいっぱい刺さってるのをまず想像しますよね
これにあの水平に海苔の網段が結んであって
で当たり前と思ってました
これが実はポイントだそうで
他の地区ではアンカーロープに引っ掛けて
海上に浮かんだまんま浮き流しっていうそうなんですが
そうやって養殖されてる地域がほとんどなんですって
この竹の棒がポイントなんです
こうしないと下に使えるんですよ
浅すぎて浮かせたら下についてしまうけ
そのままですね浮くようにして引っ張ってるって感じですね
塩をひいたら浮き上がるってか空気に晒されるってこと?
それがいいんですよ
そしたらお日様の恵みというやつと
あのなんですかね
逆に表面が消毒されるからですね
浮いてるんですね
空気の中に宙吊りになる
これが有明海の海苔の美味しさのポイントだと仰ってました
27:04
そして江の浦海苔本舗の森田社長のお気に入りの食べ方
教えてもらいました
海苔の前茎を2枚用意してください
一番インスタントラのうまかちゃみたいな
とんこつラーメンのスープの中に
海苔を2枚突っ込んで溶かしちゃうんですよ
結構ほぼほぼ海苔を吸ってしまうんですねスープを
でドロドロのカルボナーラ状態になって
さらにその上からですね
この厚切りにした小さい海苔を
その上からかぶせながら食べるとまた美味しくなりますね
お祈りです
海苔そのものを添えて食べる
試してみてください
中島理恵さんでした
番組からのお知らせです
ホームページのご案内です
これまでの放送内容と番組を1回目から
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この番組は宮益の企画協賛
道の駅村方
餃子のヤマハチの提供でお送りいたしました
ご案内は酒田秀大でした
聞きたいラジオ番組何にもない
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