岐阜新聞ポッドキャスト▼ききかぢ。 報道部の山田俊介です。
性能死者の船橋康明です。 報道部の曽笛圭太です。
この番組は、岐阜新聞の社員が、市民に侮らない岐阜のこと、岐阜じゃないことを、本音まじりに語り合うポッドキャストです。
よろしくお願いします。
先々週、アメコミ映画会、映画入門をやらせてくれた方々に来ていただきました。
やりたい放題やってましたね。
編集がかわいそう。
編集しきれなくて、一周飛んでる。
垂れ流しが発生。
明日ね、配信。
カロリーが。
ありがとうございます。
明日の配信会で、入門の後編をまた流そうと思ってますけど。
カロリーが。
アメコミとか得意分野で、私なしで喋ってもらおうと思ってます。
一回、お互いが喋りたいだけ喋って、一人が沈黙してるって会をやりたいなって思いしてました。
虫会と電車会をして、誰もついていけないっていう。
ついていけないなって思いながら聞くみたいな。
これは散々来た内の懇親会とかで、一人だけずっと自分の研究を話して、誰にも通じないままどこかに逃げていくみたいなのをやってるから。
そういうの喋りたい時もあるじゃん。
そういう時のために、日曜日にひとりがたりをするっていう。
一人ってもう何人作ってるんだろう。
今のところ一人は私しかやってないんですけど、全然私だけじゃなくて、いろんな人がひとりがたりをしてもらって。
試されるトーク力。
多分ね、重なり合わないけど喋りたいこといっぱいあるでしょ。
重なり合うのがアメコミなのが妙ですよね。
共通点そこかよみたいな。
アメコミで、だから編集私やりましたけど、全然わからなかったんだよね。
挑戦者向けの。
固有名詞を固有名詞で紹介してしまう。
でもわかんない人にも入ってきてほしいな感が全体的にある。
面白いですからね。
皆さん来週からエンドゲームリヴァイバル、リユニオン、違うな。
話してたやつの途中の回の最終回、一期最終回みたいなやつが映画館でもう一回やりますから、見てください。
見に行きましょう。誘ってください。
連休だからな。
記者はあんま連休じゃないけど。
映画は見に行けます。
それぞれめっちゃ語りたいことがあるわけでしょ。
その配信会で喋ってたけど特撮のことだったりとか。
特撮会できそう。
センタイムは最近終わっちゃったもんね。
代わりにプロジェクトレッドというのが始まって。
ギャバンね。
今はギャバンじゃないですけど。
今はどうなってるんですか?
今はオメガホーンというのになってますね。
新作。リヴァイバル。
あれは完全に新作ですね。
完全に新作作れるっていうのは良いことですね。体力が。
結構面白い。
ジェットマン世代ですもんね。
そうか。ジェットマン世代。
ジェットマン世代ですね。
あれが特撮のイメージなんですか?ジェットマン。
若干異色のやつじゃん。
トレンディー路線というか。
即撮は全く通ってこなかったため。
意外だよな。
人間に興味がないっていうか。
電車。
男の子ってこういうの好きだよね。路線を全て無視して電車だけが好きだったんだよね。
でもさ、大きくて動くものって結構みんな通るじゃん。
なんかヒーロー行かなかったんですよね。
ヒーロー、虫キングとかめっちゃ世代なんですけど。
虫は私全く通らなかったな。
虫を通った人を探しましょう。
今でもセミ怖いもんね。
全部嫌いですけどね。
そんなこと言う?
そんなこと言わないでって感じかな。
夏の終わりにセミがひっくり返るじゃないですか。
何掃除やるってやつか。
カブトムシすら全然あんまりちょっとって感じ。
谷組昆虫館ってところによく出入りしてるんですよ。
すごい、たぶん好きな人にはたまらないと思うんですけど、
うわっうわっって思いながら掃除したりしてます。
それはね、いいんですよ。かっこよ。いいしね。かわいい。
説明を聞きたいですね。谷組昆虫館に行ってくれって。
何がどうすごいのかって。
なるほど。
虫やないかっていう。
解像度ゼロの回答になっちゃう。
それぞれの日取りが実現する日も近いと思うので、
一人で語りたいこと、ネタを探してみてください。
たまに私がドラマのこととかで語るから、
いろいろ喋ってまいりましょうということですけど、
今日皆さんに聞かせていただくのは、
9.12豪雨再開から50年。
アンパチ豪雨と。
アンパチ豪雨、そうですね。
50年ちょうど節目なんですよね。
1976年9月12日に発生した岐阜県内を襲った大水災なので、
9.12と言われ続けて50年なんですが、
その節目に合わせて原災を若手3人でやったんですね。
一人は石垣さん、生の死者の石垣さん。
僕の先輩です。
確かに若手だ。
若手3人で今回の配信会もやっちゃったよと思ったんだけど、
若干私もシンポジウムとかね、
いろいろな関連取材で関わっていたりするので、
取材も振り返りながらということで、
豪雨災害について話していこうかなと思うんですけど、
豪雨災害って全然遠い過去のような気が全くしないのは、
今年に入ってから豪雨災害、いろんなところで起きてるじゃん。
そうですね。戦場降水帯。
戦場降水帯がいろんなところで発生しては猛威を振るうので、
何ならこの間岐阜もね、
東濃が本当に大変なことになりましたね。
八木川流域が大きな被害で、
9月8日でしたね。東海地方、本当に記録的な大雨になりまして、
我々は岐阜、宮田とか青梅エリアにいまして、無事でしたけど、
あの日何したんですか?
僕は実家が名古屋市名東区になりまして、
一部が避難区域になったんです。
家族を失敗して連絡すごくたくさんしたんですが、
なんか普通に旅行とかに行けて無事で、
むしろ劇とか見てて全然ニュースを見てなかったんです。
だからこっちのこの緊迫感が全然伝わらなくて、
もう避難した方がいいんじゃないですかね。
いやでも今高速バスに乗ってるし、みたいな感じで。
いやー、いないとですね。
落ち着かない1日ではありましたね。
家は大丈夫ではありましたか?
まあ幸いにして何もかもなかったんですが、
ひょっとしたら水で思い出の場所とかがなくなってんじゃないかとかね、
そういうことばっかりずっと考えていた1日でしたね。
海みたいになった名古屋の街を、バスが進んでいく絵とかを見ると、
ちょっとただならぬ感じになっている感じが伝わるじゃないですか。
不思議やんみたいな。
ちくさやんみたいな。
見たことがある景色とか、余計びっくりしちゃいますね。
大丈夫だったのか、地下街とか、考えたくない。
封鎖してて入れないようになってて、
これは本当にやばいやつだと思って。
なかなかね、絵あるんですよね。
それこそもう四半世紀前に、東海豪雨があって、
岩島の辺りでかなり大きな被害が出ましたけど。
2000年9月11日から12日。
記憶が全くない時だな。
生まれてはいらっしゃいますか?
生まれてはいないです。
私は2003年生まれなので、生を受けています。
学校の授業とかで東海豪雨だとか、伊勢湾台風だとか、
そういったことは名古屋の出身者としては受けていって、
気をつけなきゃいけないということは、いろいろなっておりました。
たびたび雨の被害ってあるわけですけど、
東海圏というか、これは全国と言ってもいいぐらいの
ひどい被害が増った水害というのが、
この9.125災害だったんですけど、
ちょっとその連載のことなんかも振り返りつつ、
今年もそうですけど、
いろんなところで起きている水害なんかにも話を広げながら、
暮らしに生かせる教訓というか、
どうしていったらいいだろうねというのを
考えるうかいにできるというのかなと思っています。
9.125災害、これ何ですかというのを、
連載をやった2人のどっちかに分かりやすく解説してもらいたいんですけど、
全国にリスナーがいて、
あんまりこの辺にどっちかがない方でも伝わるような感じで、
概要説明できるところをお願いしたいと思うんですが、
どうでしょうか。
では、県のサイトをもとにしてからしゃべるんですが、
まず台風17号による降雨によって、
ずっと雨が降り続けていて、
あちこちでいろんな被害、小さな川が氾濫するだとか、
あるいは土砂崩れだとかそういった被害が出ていたんです。
一番最初に大きな被害に出ていたのが岐阜市の方だった。
つまり、岐阜市に人が多くいる方で、
崖崩れだとか、貨物浸水だとか、そういったことがいろいろ起きていたそうで、
これに伴ってアンパチの方、
僕はアンパチの取材をしている方からも、
消防団とかが結構そっちの方に、
安全を守る人たちとかがそっちの方に行ったりしていて、
割とアンパチの方が若干手薄になっていたらしいんです。
その中で降り続けたことによって、
長良川がすごい増水して、
これはやばいんじゃないかということになって、
結果としてみんなすごいいろんな手立てをしたんですが、
喰いを打つだとか、あるいは土の積み重ねるだとか、
でも耐えきれなくなってしまって、
この9月12日、時刻としては、
午前10時28分に長良川、湖岸側の堤防が決壊してしまいまして、
溢れた水が本当に短い期間の間に町内全体にガーッと広がって、
アンパチ町が浸水してしまったというのが、
この9月12日の災害になります。
で、スノバタが巻き込まれるのは実はこの後なんです。
スノバタというのは、つまりアンパチより上流にあるんですよ。
だから単純に水が流れていっただけではスノバタの方にはいかないんですが、
ここでアンパチ町と和能寺町の境目に、
昔の和中包みというものがありまして、
これを水が来たときに和能寺町に来ないようにできる仕組みがあったんですね。
当時はどういう経緯だったのかは、ちょっとあっきりとあれなんですが、
とにかく水が来ないようにということで、
整防をしっかり締め切ったんですね。
結果として押し寄せた水がどうなるかというと、
下に行かないものだから上に向かって溢れ出すんですよ。
そういうわけで、上流にあったスノバタにも水が広がって被害が出てしまったというのが、
全体像の被害になります。
長良川の湖岸だから西側のエリア。
で、当時の写真とかもね、
連載でもそうですし、
いろんなところで見にする機会が、この節目ということもあってありましたけど、
道が本来ある場所が完全に水に浸っていて、
その上をボートで人が移動していくとかね、
そういう様子が写真で残っていたりだとか、
まるで一変してしまったみたいな。
なかなか強烈な。
取材の過程でいろんな地域を行って、
実際この堤防が決壊した場所にも行ったんですが、
今は普通に家とかが立ち並んでいるようなところなんです。
そこが全部水に埋まったというのを考えると、なかなか恐ろしいものがある。
被害の概要を説明しておくと、
安波市町では亡くなった死者が1人。
床上・床下浸水2,110世帯。
岐阜県内では当時の百種町村全てで、
河川の決壊や崖崩れ、道路の寸断などの被害が相次いで、
結果的に死者は8人。
床上・床下浸水が75,485棟。
想像もできない規模ですね。
78,000となると、
住んでいる人は15万くらいはもっと多いぐらいの人が被害に遭っている。
ちょっと棟じゃないんだよね。
世帯数、もし世帯数だとすると、
高見原市全域で58,782世帯が現在の数字なので、
それよりも多いだけのお家が沈んだと見えると、
相当大きな、それなりの県内でもナンバーメーカーに入る自治体、
全部が沈んだくらいの、
ちょっとこれは世帯と棟なので、
イコールでは結べないとはいえ、
想像しやすい感じで言えば、相当の世帯。
経済被害があったということを感じますよね。
どうですかね。
いろんな庁員の方に話を聞いたりして、
当時の記憶を辿っていったんだと思うんだけど、
その中でも特にこれは知らなかったなとか、
ハッと刺さられたようなことを述べるとしたらどうですか。
僕が話を聞いて、
もちろん被害の大きさとかもされることながら、
被害に遭った後の家に、
それぞれお二人、
二人の方に話を聞いたんですが、
お帰りになられたわけです。
その中で例えば家に遭った被害、
畳が水にやられて腐ってしまったとか、
あるいは家に土の線がはっきり残ってしまって、
浸水による汚い水による跡がはっきり残ってしまっているとか、
水が火だからといって全部終わったのかといったら、
全然そんなことはないというか、
そこから家の片付けだとか、
泥だらけになってしまった思い出のしなしなを
何とかしなきゃいけないだとか、
そういう重たい体験があったというのが
一番印象に残りましたね。
被害、まず立ち尽くすしかないという時間は
かなり長く必要だっただろうし、
ようやく思い越しを上げて片付けに入って、
その作業を続けても続けてもなかなか終わらないという時の
絶望感だったりとか、
それは想像を絶するというかね。
なかなか現在の派遣だとか自衛隊の、
あるいは全国のボランティアだとか、
そういう仕組みがある程度できてきている今ですら、
こういう災害はなかなか大変だというのに、
50年前ともなるとまだまだ全然その辺が
地元の勇士が頑張るしかないみたいな感じだったでしょう。
どうなんでしょうね。
逆に今よりも強い部分といったら
地域の繋がりみたいなところだったりするのかなと思って、
みんなで乗り越えなきゃみたいな結束は
結構作りやすかったのかもしれないなとか、
隣の人を助けなきゃみたいな。
昔の方があるのかもしれませんね。
そうでしょうね。
霊災の中では当時のことを振り返りつつ、
今自分にできることとして、
講演会、防災をテーマにした講演会で、
体験だったとか、写真をまとめて伝えているよという方の
従来の方だったりとか、地元の方の話だったりとか、
そういう地域の歴史を踏まえながら備えていく大切さというのを
地域ごとに確かにやっぱりいらっしゃって、
ということも触れてはいるわけだけど、
50年前のことを語り継いでいくというのはね、
大変だろうなと思いつつ、
ただ結構ね、やっぱり当時に通ずるような経験を
今でもやっぱり繰り返し繰り返しすることになってしまうというのは
異常地症であったりとか、戦場降水帯という脅威が
すごく身近になってしまって、みたいなことがあるんです。
ある意味不思議ではありますね。
技術だとか土木だとかは、当時と比べると
当時のいろいろなことを踏まえた上で、
今すごいいろんなことがなされているはずなのに、
豪雨災害自体が起きてしまうというのは。
そうなんですよね。だから、
50年前の被害だったり、どう乗り越えたかという経験だったりが
伝えるものっていうのがいっぱいあるよな、というかね。
今、生きるものがあるというのは、すごい感じますね。
アンパチ豪雨自体は過去ではあるんだけど、
不思議とそんなに遠い感じがしないというか、
また同じことが起こるんじゃないかみたいな。
お話聞いていいって感じましたし。
あるよね、それはね。
本当にこの9月8日の愛知寄附の損傷交代自体も大変でしたけど、
本当にいろんなところで今年は被害が起きていて、
今年だけでも6月に九州とか中国地方とか地域とかで
住宅被害が出るような大雨が降ったりだとか、
7月も栃木県とか北関東で地震被害がありましたし、
あとはなんといっても8月13日とか14日くらいですかね、
千葉県で線状降水帯による豪雨がありまして、
亡くなった方も多かったですし、
13人亡くなられて住宅の被害が6220トンの豪雨ということで、
停電だとかね、断水だとかの被害もありました。
同じ月、8月27日には石川富山で大雨特別警報を発表したという。
この富山には直後に行ったんですけど、
別のようではあったんですが、
有名な海の背景に立山連邦が見えるという景色が見える
天原市海岸というのが富山県の秘密市にあるんですが、
そのちょうど有名な区間が線路も道路も土があふれて、
雨が増水によって水が来たことで土でぐちゃぐちゃになってしまったので
通れないということになっていました。
やっぱりさっきも名古屋の話でもありましたけど、
行ったことがあるところや知っているところがそういうことになっていると、
ひとことじゃないなというか、
たまたま自分の住んでいるところじゃないだけで、
知っているところでは被災が起きているなというふうに感じましたね。
降水災なんてどこで発生してもおかしくないわけじゃないですか。
いつニュースを見てもどこかで豪雨のニュースがやっているみたいなのが
最近の感覚としてすごくあって、
台風に比べるとどこで起きるかがわからない。
台風の影響で起きるものだから、
気象予報士の方だったらこうなることがわかるかもしれないですけど、
ニュースをなんとなく見ている。
ある意味地元の岐阜に来るか来ないかを気にしているぐらいの人間としては、
またここで起きたのかみたいな。
全然文化関係がわからないというか、
台風だったらこう曲がってくるから、ここで気をつけておけばというのがあるじゃないですか。
ゆうよが時間の読みがまだできなくて。
どこでというのが難しいですよね。
そぐれさんが今回の連載では3回目の連載の3回目を書いていました。
書かせていただきました。
取材で感じたことだったりとか、
伝えたくなったことだったりとかはどうですかね。
はい。岐阜大学の原田教授にお話を伺ったんですが、
あと岐阜大学の原田教授と、
県の防災市の会で安波市長で展示会をされていらっしゃった
荒川さんというお二方に取材をさせていただいて、記事を書かせていただきました。
まず原田先生、岐阜大学の教授の原田先生がお話しされていたことで言いますと、
治水は行政がやること。
先ほど話された河川を大きく土木的に回収したり、
大きなものではダムを作ったり、
というものはもうある程度やり尽くしているんだ。
これ以上抜本的にまた劇的に変わるというのはもう現実的じゃない。
そうなった時にどうするかというのが、記事でも書かせていただいた流域治水という考え方で、
自治体を何とかするのではなくて、
自分たちの上に降り注いだ雨水をどう付き合っていくか。
それはもう家単位、自治体単位の対応をしていくことになるだろう。
それはもともとある意味岐阜県のなりわいとして、
特に美濃の低い土地のなりわいとしてやってきたことでもあるし、
それをより科学的にもお話がつけられることだから、
各個人の意識として、個人よりはもうちょっと大きい自治体程度の、
国や県が何とかしてくれるということではないよというのが、
すごいメッセージとして残ったなと思います。
そしてありがたいことに9月11日の長官では、
分水嶺の下に西村さんの話を書いているんですけども、
コラムの方でも援護者劇というか、同じようなことを書いていただけていて、
この日に書くとなればもちろん触れないわけじゃないから。
やはり和柱の話、また今の一般の治水の認識が行政に頼ってしまう。
大規模な公共事業で治水をするというような認識はあるんじゃないかということを
コラムでも書いていただいているんですが、
全くもってそれと同じような話を原田さんにもしていただきました。
和柱なの?和柱、和柱ってさ、
普通に我々使っているけど、たぶん知らない人もいると思うから、
和柱ちょっとわかりやすく説明したほうがいいかなと思います。
和柱は水害に合わないようにするために、
川の近くを囲って大きいのを建てるんですが、
当時の川は細かいわけですから、
川と川の間のところを全部守ろうとすると、
必然的に周りがぐるっと囲まれるようになるわけです。
盛り上げた土にぐるっと囲まれた地形のことを和柱と言うんです。
安八豪雨の時の和柱というのは、
当時の最先端の技術でしっかり堤防を作っているからいらないでしょうということで、
だいぶなくなっちゃっていたみたいなんですが、
これは長子とかの受け売りなんですが、
さっきちょっと触れたんですが、和の内の方には被害がなかったのは、
和柱が残っていたからというのもあるみたいで、
当時の新聞、我々かどうかはともかくは、
当時の新聞は和柱は生きているとか、
昔の知恵が生きたみたいな感じで、
和柱すごいみたいなのが、当時ちょっと盛り上がっていたみたいです。
でも実際現在、今どれくらい和柱が残っているかと言われると、
一部は残っているとは思うんですが、
ある程度はもう利便性とかも感が見てなくなってきているのだとは思います。
原田教授がおっしゃっていたことなんですが、
実は大垣市は今も基本的には大垣城の時代に作られた大垣和柱の内側にすべてがある。
それ自体が直近の豪雨災害でも大垣市が沈まなくて、
単に川だけをたどると当然大垣市が沈むであろう、
その豪雨災害でも大垣市は和柱の内側なので守られるということがあったりして、
あまり堤防や和柱に馴染みのない方にイメージしてもらいやすいかなと思うのは、
ヨーロッパの都市の周りがすごい壁に囲まれている。
あと進撃の巨人みたいなのがわかりますよね。
進撃の巨人を知らない人には何もピンとこないと思うんですけど、
街の外側が完全に水に対する壁で囲まれているっていうのが和柱の状態で、
その内側に住んでいるっていう感じですよね。
だから大垣市は実際この大垣和柱という北の方から、
お城を作った時代に二の丸、三の丸とかありますよね。
ああいうののもっとでかい街全体を覆う城壁みたいなのがイメージしやすいのかな、
ちょっと専門的には違うんですけど。
すごいちっちゃい規模のそれがいっぱいあるっていうことですよね。
だからみんなバラバラになって、細々とした内側で生きているっていうのが、
昔の和柱のイメージです。
和柱というと、物としてはやっぱりなくなってきちゃっているけれど、
これ何回か前の配信会でも振り返るんですけど、
和柱根性という言葉が残っているじゃないですか。
神念として変わっているというのがあるので。
本来、人の命をみんなで守り合うための知恵が詰まった大事なものだったりすると、
ちょっと語り継ぎ方としてずれているのは和柱というもの。
ちょっと具別的なニュアンスが和柱根性にありますけど。
和柱自体は…
協力というか団結力があるみたいな意味合いもある、ポジティブな。
島国根性みたいな、孤立してみたいなのはもちろんニュアンスとしてはあるのかもしれないけれども。
入った敵という意味によって、そっちだけがリアル化して残っちゃっているみたいなところもあったりするから、
改めて和柱についてはちゃんと説明してみたほうがいいなと思うので。
和柱自体は小規模なものこそなくなっていますが、
小規模なものを結果的に外側を大規模な手法で固めているので、
すごい大きな和柱みたいな感じになって、今は和柱を守ってくれているというような解釈もできますからね。
そんな今に生きる備えというのもあったりするわけですけど、
本当にこの内製反乱をどうするみたいなのがね、と言われているわけだし、
経望を超えてくるやつだけじゃなくて。
むしろ、先ほどもお話しさせていただいた、岐阜大学の原田教授がおっしゃっていたことでもあるんですが、
9.12はやはり象徴的なアンパチの見解というのは取り上げられますし、
インパクトが強いんですが、実際それだけだったかというと、
それはもちろんアンパチでは大変だったんですが、そうではない。
岐阜の南側のほとんどはむしろ内製反乱のほうで被害を受けている。
内製反乱とはそもそも何ぞやという話になってくるんですけども、
要は川が溢れたわけではなくて、そこら中の水路であったり下水であったりの
所有能力を超えて溢れてしまって、街が沈むというのが内製反乱ですね。
マンゴールの双子外れで川があって水が出るみたいなイメージ。
そうです。それもそのうちの一つでもあります。
そっちだよね。
今まさに起きているのはそっちだし、今に限らずとも9.125で何が大変だったかというと、
もちろん川口も大変だったんですけど、岐阜市域であったり、
それ以外のほぼアンパチ以外のすべての水害はそっちだったという話。
もちろん中小河川の反乱もありますが、内製反乱とは別なんですけど。
という話をすごい川さんはされていて、
そうであるがゆえに誰もが当事者であるということでもありました。
そしてそれはいよいよ思って対策が難しい。
アンパチの決壊を経て、
一級河川、木曽川、長永川、忌み川はものすごい解消されているので、
まずこっちが崩れることはないだろうということですね。
ただそうであっても水害がつきないのは、やっぱり水を貯めておく力みたいなのが減っているというのもありますし、
それを上回る雨の降り方をするようになってしまったというのもあるということでした。
こうなっちゃうと起きるもんだと思って動きかけるようになってしまう。
しかもしょうがないんじゃないかと思っちゃいますよね。
減災というものですね。防災に対して起きた被害をいかに減らすかを考えています。
というところで、50年前にどう乗り越えたかという経験が今にも生きるものがあるのかなと思うのは、
ちょっとさっきの話に戻るけど、地域住民同士の連帯、つながりというものでもって跳ね返したというか乗り越えたというか、
そこなんだろうね。むしろ今本当そこがなくなっちゃっているというか、薄くなっちゃっているじゃない。
昔に比べるとどうしても隣の人と雨、洪水があるから一緒に例えば訓練しようとか、
そういうのはあんまり昔に比べれば少なくなっていると思う。
そういう地域にどう関わってもらうかみたいな方のね、死者の取材だったりとか、
それこそこの間の振興事務だったりとかという中でいろんな話を伺いましたけど、
やっぱね、参加のハードルをちょっとでも下げた状態でつながりづくりをしていかないと、
いざという時のためには備えられないよっていうことをね、言っていて。
例えばさ、町内会だとか、自主的に防災訓練やりましょうって言って、
それが大々的にやれるところと、なかなか人が集まらないところ、当然その濃淡あると思うんですよ。
なんだけど、じゃあ実際、自分の住んでいる地域がどうなのかということも多分分からなかったりするわけで、
何から始めていったらいいかというと、まずチェックシートをね、各お家に配布してみて、
それに答えてもらって、回収してっていうところに協力してくれる人がどれだけいるかっていうのは、
参加のハードルをとにかく下げて、ちょっとずつ積み重ねていくことが大事よ、みたいなことがね。
自分ごととして参加にとられるというか、そこによることを協力して乗り切らなきゃいけないことだよってのをみんなが思っていく。
起きないと、つながりがないとダメなんだなっていうことを自覚することってあんまりできないと思うんだけど、
いざとなったら自分だけできればいいと言うとあれかもしれませんが、
隣の人も助けないと、隣の人にある意味助けてもらわないと。
その立場が逆転しうるじゃんね。助ける側、助けられる側、どっちになるかわからないわけだから。
なかなかね、そんな1日2日でそういう意識にパッと変わるものではないでしょうから。
防災関係ないことから始めるのもいいよって言ってる人いたね。
地域のお祭りとかね、人とかでちょっとそれを考えてみる。
それものちなみに今ちょっと停滞してしまってるっていうのはね、やっぱり全体として地域のつながりの希薄化っていうのが言われて久しいわけだから、
やっぱこれは50年の間にどんどん弱まってきちゃったものの一つなんだと思うんですよね。
難しいなってね。
いろんな方がそう言うんだけど、じゃあ実際ここからどう盛り返していったらいいかってなかなか答え出ないよなって。
じゃあ地元のお祭りやらなくちゃって何人が集まるんだという感じ。
どうしてもさ、お祭りやろうってなった時に、お祭りで盛り上がれるぜと、なかなかそこに乗っかれないぜってどうしても分かれるわけだし、
いろんなことをやる中で、こことここはつながれるよねって感じですね。
そうですね。
物理的にでもつながりが作れると本当はいいんだろうね。
きっかけを作ることができれば、それを災害の時までにできるだけ育てていくというか、
運転させていくことで乗り切れるかもしれない。
福祉市とかもね、町内が結構細かく、高区だけでも50とか2くらい分かれてますけど、
なんかやっぱ濃淡あるもんね、あんまりこういうこと言っちゃいけないかもしれないけど、
熱心なとこ、そうでないとこ。
取材してはやってたんだけど、今ちょっと停滞気味かなとか、そういう推移があるようなところだったりとか。
安波市町でも、もともと町内に様々な防災市の防災の集まりが地区ごとにあって、
それぞれの地区でいろいろなことをやってたみたいなんですけど、
コロナ禍を機に全体的に一気に下がって、そういう集まりがやれなくなってしまったそうで、
改めて町内全体の防災市の人が集まった団体みたいなのを立ち上げたみたいな話を聞きました。
やっぱり地域のつながりは災害が起きたときには絶対に必要なものだという話を聞いてても感じたことで。
本当にコロナが邪魔くさいなって思うことはね、取材してても感じることだけど、
やっぱそれを乗り越えてやっぱりやる必要あるよねっていうふうに動き出してる団体もあるわけで、
そういう頑張ろうとしてる団体を伝えることも一つ地域の盛り上げになるんじゃないかなと思うんですよ。
そこで割って入れるのってメディアの役割なんだなって思います。
我々の力ですから、こういうことをやってるんだって気づく機会を、チャンスを増やすことができるのが我々のはずなので。
ちょっと2年くらい前ですけど、うちの町内会ではこういう防災訓練を新しく始めますみたいな取材を受けて行ってみたら、
当時はまだちょっと珍しかったと思うんですけど、体育館にずっと簡易テントを並べて、そこで一泊してみましょうみたいな。
今は避難所によってテントが並ぶところもあるので、そんなに珍しくはなくなってるのかもしれないけど、
それをまずやってみようという試みをしているのが面白いなと思ったし、
それってうちの町内でやりましたもいいんだけど、それをやってますっていうのを知らせることで、
うちの町内でもやってみようというふうになったりだとか、実際それに続いた自治会とかもあったりしたんですよね。
それが別にメディアのおかげだといううちはないんですけど、
知らせる、広げるみたいな役割って、絶対そのメディアの強みを示せるところだと思うので、
うまく地域地域メディアを使ってほしいなという思いも浮かぶんですよね。
やっぱり押し返していかないとだからさ。
いつ次何とかゴールが起きてもおかしくないという状況ではありますから、自信もありますしね。
かかわらず地域社会、田舎だと逆風ばっかりじゃんとの人口減少ですね、少子化、高齢化。
どこの自治体でもやはりそういう話は聞きますから、どうやって組んだ、こっからみたいな。
このまま元気ない、元気ないってなっていっちゃうの、なんかちょっと悔しいじゃない?
そうですね、街の文化ですとか貴重な伝統が。
街に生きとるものとしたらさ。
曽根さんは街の盛り上げ的なことを学生の頃からやってきていたと思います。
そうですね。防災の人からそういうのを考えると。
特に地方、より地域地方といいますか、より人口が少ない方に行くと、
消防団が自ら若い男性がほぼ全員ある意味自動的に入っちゃう組織になっているので、
それは後悔あると思うんですけど、結果的に直接防災につながる消防団という組織でもありますから、
そういうところでコミュニティもできているし、
もちろん難しい面もあって、消防団に入っていない奴の意見を全く聞かなくなっちゃったりとか、
単純に待ち起こしとして扱うと難しい面もあるんですが、
むしろそういうところが残っていることによってお互いの情報の共有であったり、
正直訓練をした後にやる飲み会で話し合っているからつながれているよねという側面もあるわけですね。
単純に古臭くてややこしい付き合いだねというだけではなくて、
古臭くてややこしい付き合いの中にこれまで培われてきた防災であったり、
近所付き合いというものが組み込まれているかなというところで言うと、
それはある意味都会の物差しで測れるものでもないのかな。
あんぱち豪雨のすごいなと思うのは、もちろん8名の方が亡くなられているのはひどいことなんですけど、
逆に言うと8名、これだけとにもないことが起きていて、それが8名に抑えられているというのは、
やっぱりこの地域の独自の防災というか治水の文化であったり、
お互い集団での避難を学校にしていこうとか、
家自体が屋根の上に登ろうとかそういうことがあったと思うんですけど、
それが今できるかというと、彼女もそうじゃないかというところの裏には、
逆にそういうことができるんじゃないかというのは、
地域の密なつながりがある地域なのかなというふうには思いますよね。
当時の、912後位当時の親世代、いわゆる40あるいは30代くらいの世代で、
当時雨が降ったときにどういうふうに避難するかみたいなのが、まだ記憶として残っている世代だと思うんですよ。
つまり早く高いところに逃げないとみたいな意識がしっかりあって、
だからこそ、あ、一人、あまりこれで済んだみたいな形はしたくないですけど、
数をあまり大きく出さずに、何とか乗り切ることができたという側面はあると思っていて、
今、現代を生きている我々が、例えば僕が今取材しているときに雨がやばいとなったとして、
パッとどこに避難しようとなったときに動けるかと言われると、
正直それは僕が未熟だというのもあるんですけど、パッと出てこない部分はある。
でもそこはね、私もあまり人のことを言えないと思っているもん。
パッと動けるかなっていうのを、いろんなところの災害被害を見ている度に思うし、
やっぱり平時のときにこそちゃんと備えるというか、
イメージトレーニングをちゃんとしておかないとだなっていうのもね、
仕事もそうだし、仕事以外の時間でどう動くかっていうところもそうだし、
ある意味、もちろん取材に基礎としてはあるけど、
それ以上に地元で生きている人間として、何か起きたときに自分の身を守らないといけないし、
周りの人も助けなきゃいけないだろうし、
っていうのをちゃんと考えなきゃいけないんだなっていうのは、
最近のいろんな災害の取材なり、あるいは原稿とかを書いている内でとても思っていることで、
なかなか集合住宅に住んでいる、今私は住んでいるんですけど、
地域の住民という意識はなかなか持ちにくいのかなとは思います。
ここに住んでいるというよりは、この建物の南郷室に住んでいるというだけで、
家を持っているわけでもなければ、土地との付き合いというのはなかなかない。
ただ、ないとはないにせよ同じように被災は発生するというところに、
どう向き合っていくのかということもあるのかな。
それは多分阪神山地帯震災の頃からずっと言われていることだと思うんですね。
都市だと一人暮らしの若い人は、ある意味では住民の組織には参加しにくいし、
してないし、できない。でもそうはおいても、
安否確認しなきゃいけないし、避難所で働いてもらわないといけないし、
それをどう折り合いをつけていくかというところもあるのかな。
なので、都市部には都市部の問題があるし、
地方には地方の問題があるなというのは聞いていると思います。
それは特にこの50年に深刻化というか、
量極端化しているのかなというふうに思います。
阪神山に引っ越して5年くらいになるんですけど、
未だに階段板とかもあってこないなと思ってずっと気になっているんだけど、
別にうちだけ省いているとかでもなさそうで、
そのアパートというかマンションの中で階段板を回している様子が
特にないんだよね。
昔あったけど、今は自然に消滅してしまったのかもしれませんね。
町内か自治会という組織が集合住宅には組み込まれてないのか、
そもそもないのかわからないですけど。
子どもが小学生なんですけど、
数年前に子ども会がなくなりましたね。
子ども会ってなくなるんですね。
言われてみるとうちの地区も確か僕の頃はあったんですけど、
多分その頃などか諸々ですよね。
何らかのきっかけで最近はもうなくなった。
なくなったのか、本当は去年とか一昨年ぐらいなんですけど、
祭りがなくなるって話で。
なんでっていうのを聞いたら子ども会を解散することになった。
だから維持できなくなってきてるよね。
いろんな施設が。
うちは集団登校の仕組みだけが残っていて、
それが当番で回ってくるから、
一応その機能として維持されている部分はあるんだけど、
ほんとその短時間でしかつながりが特にないし、
この仕組み自体もどこかで途絶えず来るタイミングが
来るんだろうなって思うと、
なかなかいろんなものがもう維持できなくなっている、
維持する難しさに押しつぶされちゃってるっていうのがね、
いろんな時期で多分起きちゃってると思うんだけど。
PTAとかも最近だと維持するに必要な労力を考えたら、
みたいな解消が増えてますもんね。
あとは学校自体がものすごい勢いで党配合されてる。
私の正直一言だったんですよ、学校の党配合って。
ただ、実は私は香上原市出身は香上原なんですけど、
割と町ですけど、今の方針段階ですが
小中一貫校に全て再編して半分ぐらいに学校の数を減らすっていうのが
先手を打つという形ではあるんですけど、やるっていうことになって。
実際じゃあ岐阜市はそうじゃないかといえば、
岐阜市もすでに郊外の団地の方は小中一貫校に。
戦略的にですよ、それは先手を打ってやっていることなので、
教育メンバーの維持っていう面では必要。
ただ、かなり郊外の団地は、特に私は新興住宅街出身ですけど、
学校ありきの繋がりというか、学校があるから学校で繋がってて。
学校ごとの組織になってるところが大きいかなと思うと、
地域から離れてしまう。
より大きい中学校レベルの校区になると、
途端にそういう機能は期待できなくなる。
個々の繋がりが弱くなる。
まして通学に片道40分50分かかるような。
地元じゃないもんな、例えばそこに避難するかとか、
そうはならないような。
そうやってまた難しさを増しているのかなと思います。