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#177 【にちとり】『Tシャツが乾くまで』▼記者が福祉の視点で話せば▲
2026-09-13 30:02

#177 【にちとり】『Tシャツが乾くまで』▼記者が福祉の視点で話せば▲

『T乾』、私は好きだったなあ。どうしてこんなに賛否両論?福祉の視点からドラマのメッセージ性を考察します。

【出演】山田俊介(報道部記者 / 社会福祉士)

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こんにちは、岐阜新聞社報道部の山田俊介です。 この番組は、岐阜新聞の社員が岐阜のこと、岐阜じゃないことを本音混じりに語り合うポッドキャストなんですが、
時には一人で語りたいことを語りたいだけ語る、日曜日のひとりがたり、にちとりをお送りしています。 ということで今回は、TBSドラマ【Tシャツが乾くまで】
ティーカワですね。 今週の金曜日が最終回でしたが、TBSのドラマはね、あの今、美番が大変熱いですけども、このティーカワも結構盛り上がってたなぁと思うんですよね。
ただまぁ、SNSなんか見てると結構パキッと賛否が分かれとったなぁって思うんですよ。 私は割と面白く見た派だったんですけど、
この展開は受け入れがたいという方も結構いたんじゃないかなという印象で、なので今回は、なんで受け止め方がこうもパキッと分かれたのかってことを入り口にして、
私なりの見た上での考えとして、人ってこう多面性があるもんなんやんねとかね、自分に合った関係性を選択するっていうことだとかね、いろいろお話をしつつ、
理不尽で起きたある事件の話にもつなげながら、ドラマから受け取った問いかけに答えるようにして、いろいろお話ししていこうと思います。
簡単にどんなドラマかって言いますと、いわゆる不倫者ですね。多分不倫者なんでしょうって言って見始めてる人結構いると思うんですけど、物語はあるバス事故をきっかけに動き始めます。
夫の三鶴、松山健一さん演じる三鶴が行方不明になった。その妻の佐紀子、青井優さん演じる佐紀子と、妻の阿津澤、加穂さん演じる阿津澤をバス事故で亡くした夫の五木、中島愛美さん演じる五木の4人が間軸になった。
このバス事故の被害者の家族というところで共通する2人が、なぜか同じバスに乗っていたそれぞれの配偶者、何なら隣同士で同じバスに隣乗せて座っていたその理由を探っていくことになるみたいな話なんですが、
今回もネタバレありじゃないと成立しません。なので、これから見たいという方はぜひ1話から見た上で、またその後に聞いていただけたらと思います。
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さて、なぜ賛否が分かれたのか。思ったのは、やっぱり視聴者の多くの方が不倫者として見始めているということですよね。
なので、視聴者が見届けたい問題と作品が次第に向かっていった問い、この両者の間にズレが生まれたその結果なんじゃないかなということですね。
不倫をめぐる物語として見ると、2人に何があったのかとか、何を隠しとって、何がどうバレて、傷つけた相手に対してどう向き合うのか、みたいなところが気になると思うんですけど、
それぞれの行動とその結果、これを納得できるところまで見届けたい、みたいなニーズがあったと思うんですよ。
ただ一方で、この作品って夫婦だからとか家族だからとか、そういう見方そのものを問い直して、別の繋がり方を探す、こういう方向へ向かうわけなんですよね。
なのでシンプルな喪失と修復の物語じゃないんだよっていうことだったんですよね。
あとはこの作品って結構ファンタジー要素があるじゃないですか。
一番象徴的なのがバス事故で亡くなったアズサ、加藤さん演じるアズサが亡くなった後も現れるっていうことですね。
結構たびたび現れるんですよ。
イマジナリーアズサとかってSNS界隈で呼ばれてますけど、このイマジナリーアズサが最終話に向かって畳みかけるようにして品出するわけですよ。
最後はもう何ならこのアズサが、さっきこの前にも現れて友人になるみたいなシーンが最後の方で描かれるんですけど、
私はわりとそこは新しく関係が築かれる希望みたいな風に受け取ったんですけど、
ただ一方で亡くなった方ですから、もう本当は自分の口で答えられないはずの個人、
これが生きている人の選択を承認してくれたように見えると。
なので、いろんな葛藤をドロドロしたものを最後は都合よく収めとったなみたいな風に感じる方もおったんやろうなという風に思うんですよね。
なので、コインランドリーでの繰り返し繰り返しの対話だとか、いろんな生活の描写の積み重ねで納得させる部分と、
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説明だとか、ファンタジー、幻想だとかに意味を委ねる部分、これ2つあるなと。
この2つがあって、後者、ファンタジーだとかっていうのを説明だとかっていうのをどう受け止めるかっていうのが、
この評価、このドラマ全体の評価の分かれ目の1つだったんじゃないかなと思うんですよね。
私は割と両者とも肯定はしたんですけど、この生活の部分の描写、ファンタジーに頼る部分、両方とも肯定はするんだけども、
その上で、この作品って人のことを分かったつもりになるっていう姿勢の危うさ、これを徹底して揺さぶるっていうところがあるなと思って、
そこにすごく惹かれたんですよね。
1つ福祉の視点でいうと、8話ですね。
この家を出た佐紀子を探すミツル。ミツルが最初に失踪するんですけど、佐紀子は失踪返しをしますよね。
このミツル、失踪返しを受けてしまったミツルが、自分の経営する喫茶店飛行機に、
佐紀子と繋がりがある人物を一斉に集めるっていうシーンがありましたけど、これ印象的だったなと思うんですが、
イツキでしょ、中島Mさん演じるイツキ、職場の同僚のチズル、薄田アサミさん演じるチズル、宮内、古本屋の店主さん、リリー・フランキーさん演じる宮内を集めて、
お店を手伝っているナオトっていう人がいるんですけど、高橋文也さん演じるナオトも加わって、
それぞれが知っている佐紀子の姿を話すわけですよ。
私ここで福祉の現場であるケース会議を連想したんですよね。
ケース会議って分かりますかね。
例えば介護が必要な高齢者がいるとして、その人の状況だとか症状だとか困り事だとかについて、
そこに関係する人、介護福祉士とか看護師とか地域包括支援センターの職員とか関係者が、
その人に関するあらゆる情報を持ち寄って、これからどういう支援をしていくといいだろうねっていう関わり方を考える、そういう場なんですね。
私は社会福祉士の資格を今年の3月に取ることができましたが、
その取るまでの実習があったんですけど、その実習で地域包括支援センターにいたので、何度かそういう場に参加させてもらったことがあるんですよ。
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確かに支援とかではないので、このティッサー飛行機での場面っていうのは支援、ケアとはちょっと違うので、全然違うじゃんっていうツッコミも入りそうなんですけど、
ただ共通性を感じるのは、ある一人の見方を別の人の見方が問い直すっていうこの構造、ここがちょっと似てる部分あるなっていうふうに感じたんですよね。
それぞれの佐紀子像がありましたよね。佐紀子さんには三鶴さんがいないとダメなんです。
いやいやこの1年実際に一人で暮らして仕事もしてきたんだからそんなことないとか、一方は飽き性、新しい物好きって話すんだけども、
もう一方では他方では昔から同じ朝食を食べ続けてるとか、物持ちがいいから新しい物を買う時も相談してくれるんですとかね、そういうことを互いに挙げ合うわけですけど、
この古い印象を現在の生活の事実っていうのが修正をしていくわけですね。
確かにそれぞれで見える姿って全然違うはずなんですよ。
ただ違う情報が出たからといってどっちかが嘘っていうふうでもないわけで、
まずは見る側との関係性だったりとか、知ってる時期とかも違うからということで、いろんなところに違いは当然出てくるんですけど、
ただここで大事だなと思うのは、こうやって周囲の情報をあらいざらい吐き出させて、それを全部足し合わせると、
ただそこまでやっても本人の意思の代わりにはならないっていうことなんですよね。
つまり、さきこ自身がどう考えてるかっていうのはまた別なんだっていうことですよ。
なので、この会議ってもうミツルが望む間柄に関係性を戻すことだけが目的になってしまってるようなっていうことなんですよね。
っていうところで、ここでいいスパイスになってくるのが猪原義彦さん演じる厚彦の存在ですね。
さきこは後に罰4だったっていうことがわかるっていうとんでも展開が待ち受けてましたけど、
厚彦はさきこの最初の夫なんですね。
結婚当時は商権マンで、今は海辺の町で漁師として暮らしてるという設定なんですが、厚彦の特徴って徹底的に相手の話を聞くことなんですよ。
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さきこだけでなくて、後々ミツルとも向き合うシーンっていうのがあるんですけど、そこでも徹底して話聞くよっていう姿勢をとるんですよ。
ここがまた福祉っぽさを感じさせるんですよ。
なんで厚彦は相手の話を聞こうとするのかなっていうのを考えたんですけど、
これやっぱり目的は今まさに目の前におる相手のことを理解しようとしていると。
理解するためなんだろうなっていうことなんですよね。
社会福祉士、これ新聞記者もそうなんですけど、とにかく相手の本音、これを引き出すために手を尽くすっていうことを徹底的に学ぶんですよね。
記者は記事のネタに生かすためだし、社会福祉士は相手の支援に生かすためだしっていうことで。
そこで大事になってくるのが更新作業だと思うんですよ。アップデートですね。
厚彦も最初から今のさきこがどうかって全部分かっているわけじゃないんだけど、
昔のさきこがこうだったからといって今のさきこもこうだとは限らないと。
つまり聞こうとする人にも理解っていうのを更新する必要があるんだろうなと思ったんですよね。
その必要性が日常の形で現れるのがフィナンシェですね。
三鶴が店の余り物ってさきこに渡してたお菓子ですよね。
時々もらって嬉しかったものが今は毎日届く。好みって変わるじゃないですか。
あんまり頻繁だとちょっと飽きちゃうしっていうのもあるし、
あとその時々の2人の関係の状況によってもこの同じ行動をしててもその親切心の意味合いって変わってくるじゃないですか。
っていうところで厚彦との対話を通じて三鶴どうなったかっていうと、
この対話を経て実際に行動を変えてるんですよね。
帰宅予定を連絡するとか、なるべくさきこを不安にさせないとするようなところが出てきたなと。
ただこういう気遣いが増えるほどさきこは無理をさせてるように感じてしまうわけですよ。
この変わろうとする努力がそのまま2人にとっての暮らしやすさには繋がらないというところまで描いてるわけなんですよね。
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福祉でも一度その人の状態を把握したからといってその後も同じっていう風だとは限らないというか、
そういうケースの方が少ないとは思うんですけど、
例えば高齢者の暮らしについて地域包括支援センターだとか訪問看護だとか関わる立場の違う人が情報を持ち寄ると、
そういう話をさっきしましたけど、こういうのは多職種連携なんて言ったりもしますが、
これってその時々の状況を把握するっていうことも目的なんですけど、
その後も定期的にケース会議って開くので、その間の変化に気付く手がかりにもなるっていうことですね。
3ヶ月後、半年後、1年後には体調も生活もその時希望することっていうのも違うかもしれないと。
なので決まった感覚で会議を開けば十分っていうことでもないですし、もちろんね。
必要に応じて状況を確かめて、本人が今どういう状況でどういう気持ちでどういうことを必要としていてっていうことを
共に関わり合いながら見直していくことっていうのが必要になってくるんですよね。
ということもあって、そもそもですけど、対話って相手との関係を元に戻すためだけにするものじゃないじゃないですか。
なので、今の相手を知った結果、関係の形を変える必要があるなっていうことがわかる。
そのきっかけになる場合もあるっていうことですね。
私はその辺りにね、このドラマの大切な部分っていうのがあるのかなと思ったんですよね。
よくよく見返すと、さきこが自分に合う関係を選ぶ、最終的にそうなるんですけど、
その選ぶ流れって、この最終回に向かって急に始まったわけじゃないんですよね。
4話、ここではしょうくん、いつきの子供ですね。
5歳ぐらいだったと思うんですけど、しょうの母親の代わりになることっていうのをいつに提案されるんですけど、
それを断りつつ、自分としていつきと関わろうとすることが示される。
5話、ここではいつきから同居の提案を受けるわけですけど、ここに線を引くと。
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なので、この人としてつながることと家族の役割を引き受けること、
これをうまく切り分けてるっていうシーンが確かに最初の方にもあるんですよね。
なので、そういう試行錯誤の過程って確かに描かれてたなっていうのが見返すと、
改めて気づくところではあるんですが、先ほどの避難者の場面とかにもう一回戻って考えたいんですけど、
ミツルはサキ子を大切にしようとする。サキ子もその気持ちを受け取ろうとする。
なんだけど、2人とも頑張れば頑張るほど暮らしが苦しくなっていく。
なので、この努力してないからうまくいかないっていう話ではないんですよね。
もちろん気遣いの方法をもっと直接話し合うだとか、調整する過程がもっとあればなとか、
あったのに十分には描かれてなかったのかもしれないんですけど、
そのあたりにちょっと批評の余地もあるかなとは思うんですが、
ただ、もっともっと対話すれば必ず夫婦の関係を続けられるはずだとも思えなかったんですよね。
なので、この話し合いの到達点を元の関係に戻ることだけに決めてしまうと、
本人が今どうしたいか、どう暮らしたいかっていうのを見落としてしまう恐れがあるのかなというふうにちょっと思ったりはしましたね。
で、最終回。それぞれが夫婦だとか家族とかっていう形にとらわれずに、
自分が生きやすい関係だとか場所だとかっていうのを選んだ。
そういう幕引きだったのかなと思ったんですけど、相手の全部を理解しなくても、
例えば一緒に洗濯をするだとか、食事をするだとか、ちょっとだけ話すとか、
そうやって繋がることができる部分で繋がる。そういうことができるんだなということですよね。
逆に合わない部分を無理に合わせなくても続く関係性っていうのはあるんだろうなと思いましたね。
福祉の視点でも周りが考える望ましい形に収めることと、その人に合う暮らしを一緒に探すことっていうのは決定的に違うと思うんですよね。
なので一度決めた形がずっと正解っていうわけじゃなくて、本人の気持ちや状況に応じて選び直すっていうのを考えていく。
そういう必要性っていうのをこのドラマはメッセージとして込めていたのかなと思いましたね。
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最後に家族って何だろうねみたいなことで絡めて話したいなと思ったのが、
今月11日に岐阜新聞の社会面の頭になった記事をちょっと紹介したいんですけど、ある事件の話でした。
8月24日、岐阜県の大野町というところのある住宅でそこに暮らしていた家族3人の後遺体が見つかったんですね。
警察によると亡くなってからそれぞれ1ヶ月から数年が経過していたということなんですね。
外傷はなく事件性は低いというふうに見られているということなんですが、
立ち止まって考えたのは3人で暮らしとったということですね。
家族がいるのであれば誰かが支えとるやろうと。
でも実際には3人それぞれに支援が必要だった可能性もあるということですね。
確かこの3人は1人がご高齢80代とかそのぐらいで、
残り2人が子供60代だとか50代だとかという家族構成だったと思うんですが、
実際どんな状態だったのか分からないんですけど、
ただ訪問をしても会えないということを心配した民生委員さんがこの大野町に相談をして、
その後大野町の職員さんが警察に通報しているという流れがあって、
近所の方も誰も住んどらんのかと思っていたというふうに言っていた方もいたそうで、
まさか3人で暮らしていたからそんな支援が必要だとは思わなかったという見方もあるでしょうし、
そもそも繋がりがないから分からないという人もいたでしょうし。
ただその上で、孤立とか孤独の問題を考えるときに、
一人暮らしの高齢者を思い浮かべ過ぎてしまっているところがあるのかなと思うんですよね。
記事にも実際に複数人で暮らしているというところで、
見守りの対象から外れる場合もあるんですよという福祉関係者の指摘について書かれているんですけど、
実際に単身高齢者世帯ってすごく増えているんですよ。
65歳以上の人がいる世帯のうちで、一人暮らしの世帯の割合って、
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昭和の頃、1980年代とかだとだいたい1割ぐらいだったのが、
2023年にはもう3割を超えているんですね。
本当ここは課題なんですよね。
単身高齢者世帯をどうするかっていうのは確かに課題なんだけれども、
ただそれだけでもないと。
なのでちょっと支援の比重がこの層に偏っているところもあるのかもしれないなということを感じたんですね。
別にこれは行政だとか支援に携わる方だとかを責めたいわけではなくて、
本当に難しいなというふうに思ったんですよ。
実際この家族はお父さんの介護をしていた時期があったようで、
そこで大野町のほうに相談していたことがあったそうで、
その後特に相談がなかったので困りごとがなくなったというふうに判断はできないはずなんですけど、
ただ3人で暮らしているということでちょっと優先順位が落ちたのかもしれないなと。
ここはちょっと事実関係はわからないんですけど。
で、なんでこの記事を引き上げに出したかと言いますと、
このドラマを見ながら考えたことが、現実の暮らしを見る自分の目にも帰ってくるなというふうに感じたからなんですよね。
一人暮らしの高齢者への支援が大切なのはもちろんそうなんだけど、
一緒に暮らす人がいることと頼れる人がいるかどうかということは同じじゃないんですよね。
なのでこの家族という表面上の形というか、ある種の記号みたいなものが見えたところで、
その人たちの暮らしを見る目を止めていなかったかなということをちょっと考え込んだりはしてしまったなと思いました。
人って多面的で変わりうる存在じゃないですか。
一度わかったと思っても、その理解を常に確かめ直す必要があるんだろうなと。
ちょっと話をするだとか、一緒にご飯食べる、お酒飲むとか、そういう小さな関係に支えられることもあるものだと思うんですけど、
ただそういう関係性を築ける場所とかチャンスとかって果たして誰にでもあるのかなというところなんですよ。
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なので接点そのものを持てない人にはどう近づいたらいいかということなんですね。
この記事の家族もつながれば救えたはずだというふうに言い切ることはもちろんできないとは思うんです。
ただ、だからこそわからない事情を想像で埋めずに暮らしを知ること、つながりを保つこと、必要な支援に結ぶこと、
ここの難しさに目を向けていく必要があるんだろうなと思うんですよ。
ドラマの話に戻ると結婚をしているかとか、何人子供がいるかとか、何回結婚したことがあるかとか、一人で暮らしているのかとか、
そういうのってある意味属性の情報でしかないというか、ある意味表面的な記号みたいな情報だけじゃなくて、
その形の先にその人が無理なく関われる誰かがいるかどうか、本人のまさに今ここの気持ちというのを聞こうとする人がいるかどうかということを
このTシャツが乾くまでを見終えてぼんやり考えましたね。
結構、ドラマならではの連続性を担保するために、あの手この手で驚かせるというか、
毎話毎話このスピッツの主題歌が最後に流れ始めるところでドーンと衝撃を受けるというのの繰り返しだったので、
そこと比べて最終話は無難に着地したみたいな印象も受けたりするわけなんですけど、
ただね、後から後から独語感じゃないですけど、
要はちょっと語りたくなる要素がいろいろあるなということで、
本当は今日配信会としてはアメコミ映画入門後編を流す予定だったんですが、
今日は休館日でもあるので、勢いでT川について撮ってまいりました。
皆さんどうですかね、このドラマを見た人、それぞれの受け止めを聞いてみたいなというのは思ったりはしているので、
この番組の概要欄にメッセージフォームへのリンクを貼っておきますので、またよろしければあなたの感想もお寄せください。
ということで今日はここまでです。お聞きいただきありがとうございました。
新聞社報道部の山田俊介でした。
そしてまた。
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