00:24
今回は、君野町の岸川沿いに行ってきました。
早速、VTRご覧ください。
っていうのを撮ってきました。
レポーター。
ごめんね、でもちょっとイラッとした。
こなれすぎとるわ。
一応、本業なんで。
本業ってそっちかよ。
結構、あちこち行かれるんですか?
月に1回から、月に1,2回ですね。
月に1,2回、いろんな地域に行って。
スタジオでも?
そうそう、なので毎回1日収録して。
同日の?
いや、もうね、前の週なんです。前の週に1日かけて収録して、
それをディレクターさんが編集して、
次の週に放送みたいな感じですね。
毎週水曜日収録の月曜放送って感じなんですよ。
月に1回くらいはどこかに行ってる?
そうそう、今回は君野町やったんで、
こっちに2回来ましたね。
先週も来たし、今週もやったしみたいな感じで。
なんで始まったんですか?NHKは。
僕ですよね。
なんか、わびたりのレポーターって3組いるんですよ。
ワンダーランドさんと、今シノさんと、
昔、さつきのあきさんっていう芸能人ですかね。
和歌山の歌手かな?
ラジオとか?
芸能関係の仕事を和歌山してる人だったんですけど、
その方が芸能界を引退みたいな感じで、
辞めるってなって、一枠空いたんですよ。
そこを誰にするかみたいな話になった時に、
みんな、北の人たちが、ワンダーさんもシノさんも北の方なんで、
避難の人で入ってほしいよねっていう感じ。
それはもう最適やな。
そっから、ディレクターさんの人が、
ワイクマンの方に入れちゃうみたいな感じになって。
それがすごいな。
それで、いきなり来るっていうのは。
でも、その時がオンライン宿泊っていうので、
メディアにバンバンって出てる時で、NHKも2、3回出たんですよ。
その時の多分、ゲスト側としての立ち振る舞いなんですかね。
それが良かったのかなっていうところと、
オンライン宿泊っていうのが、オンラインの旅みたいな。
新しい旅の形っていうところで、
わびたりも今後、新しい旅の形みたいな感じに、
やっていけたらいいんちゃうかみたいなところで選ばれた。
03:01
そんなことはあると思いますけどね。
とはいえ、そんなんで選ばれるの?みたいな感じで。
よくオッケーだなみたいな感じですけどね。
いつですか?
それが2年前です。
もう2年間やってます。
すごい。
ベテランですね。
何気に3年目なんですよ。
音声はいい感じですか?
音声大丈夫そうです。
これ見ながらですね。
こういうところが使われたりする。
こういうラフに喋ってる感じがそのまま音声使われたりする。
なるほど。
気抜いてたら意外とこの人は使ってこない。
すでにそういうところが売られてるんですね。
分かってる。
俺は分かってる。
なるほど。
白石君に挨拶からやっていってもらおうかな。
和歌山市のアウトドアショップキセンランドトレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップARCの上田です。
キセンラジオプレゼンツアーケードラジオ第2回です。
本日は2023年7月31日、和歌山市にある鎌山アクティビティベースで収録しています。
本日のゲストは和歌山県那智勝浦町にあるゲストハウスワイクマのオーナーの後ろ高谷さん、通称ゴロさんです。
オブザーバーとしてアーケード実行委員会メンバーの柏原誉さんも収録に参加してくださっています。
ゴロさんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在の活動のこと、これから計画していることについてお聞きします。
ゴロさん、誉さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回アーケードラジオ第2回ということでゴロさんに出演していただいているんですけども、
まずちょっとこのゲストと言いますかゴロさんとオブザーバーの穂丸さんのお二人の方が僕らよりも関係が深いと思うんですけども、
お二人の出会いとか関係性の話をちょっと軽く聞かせてもらえたらと思うんですけども。
出会いですか?
出会いは、俺これこのねゴロちゃんがゲストでってなったからちょっと考えてて、いつが出会いやったかなと思って、
俺多分久寿マーケットをゴロちゃんが実行委員で入ってやってる時に多分俺が久寿行って、
え?来てたんでしょ?
俺行った行った。行ってイベント行って、その時に
え?そっちは会ってないか?
いやー聞いてなかった。
それがなんか一番最…そこでコンタクト取ったんじゃないかな?
え?違う?
記憶が違うぞ。
06:00
僕の記憶では海南の3回目のアーケードの時の2017年のアーケードに僕ボランティアで参加したんですよ。
その時はまだ何もやってなかった。プー太郎でした。
その時にボランティアで参加した時に、いやあったって言っても実行委員かさらも知らなかったですよね。
多分踏まれさんが。なんか仕切ってる兄ちゃんみたいな感じの気がする。
僕はボランティアだったんで、そんなに運営とか全然知らずにほんとただお手伝いとして行ってたんで、多分出会いはそこじゃないですかね。
それやったら俺も2017年の海南のアーケードでゴロちゃんがいて、ゴロちゃんが何かやってたっていう記憶はあんまりないと思う。
会場めっちゃ作ってました。
めっちゃ作ってた?ありがとう。
2人がぐっと近づいてっていうのはどのタイミングだったんですか?
で、なんか一回飲み会で一緒になりましたよね。
あ、それはバタヤンか。バタヤンが、いやでもそれも分からんな。何が一番先?
いや分からんっすね。なんか分かんないっすね。
アーケードの設営をやってくれてる超裏方の御所の、御所って言ったかな。
ほんまになんかフィクサーみたいになってるから。じゃなくて、設営のやってくれてるボスの東バタ君が
僕が親友というかずっと長い付き合いで。で、アーケードも一緒にやってくれてるっていう感じなんですけど
そのバタヤン、通称バタヤンね。バタヤンとゴロちゃんは実はちょっと昔に会ってるっていうことが後で分かって
ちょっとまだ出てくると思うけど、侍をやってた時代があって。侍の職業をやってる時代があって
その時にゴロちゃんが侍で日本全国行ってる時にバタヤンがあれどこで会ってるの?
岐阜の日田高山で会ってて。それを後々僕が聞いて、ゴロちゃん呼ぼうよみたいなのがあったよね。
で、和歌山で飲んでる時にゴロちゃん呼ぶっていうのもあったよね。
そんなのもありましたね。
ちょっと何が古い情報かだいぶ怪しい2人なんで。
まあまあアーケード海南の最終の年からちょっとぐっと近づいて、
ワイクマのその後やな。
多分僕の仕事とかも見てくれてて、ゴロちゃんが具体的にナチカツエラで今後こういうことをやりたいって話を聞いて
09:01
お仕事としてゲストハウスのお仕事をうちがやらせてもらって、そっから本当にナチカツエル僕も通うようになって
そっから急に近くに行ったって感じ。
僕も和歌山でゲストハウスを作ろうってなった時に和歌山のデザイナーさんにお願いしたいって思ったんですよね。
いろんな和歌山県内のいろんな店回る中で、ここめちゃくちゃかっこいいやんって自分の作りたい空間のイメージと似ているところがいいなって思ったところが
全部ホマリさんやったって。
うちというかザオフィスをやってる。
やって、でもそれがアーケードとは結びついてなかったんですよね。
ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
その時いいなと思った物件はどことかやったんですか?
ボイジャーさんもそうですし、あとはゴールデンリバーさんもそうですよね。
時系列がちょっと分からないですけど、ソワさんはその後でしたっけ?
ソワはその後ですね。
なんやったっけなの?ちょっと覚えてないですけど。
それから調べて、そこからフォンテージとか見た時にいいなと思ったっていうのは結構あったかな。
他にその時ってありましたっけ?
やった仕事?
まあいっぱいあるけど、コトブキさんとかノルムさんとかコトブキさん。
そこも見てましたね。
めちゃめちゃうちのPRみたいになってる。
すごい嫌なんやけどね。
でも仕事入り口で僕がなちかつらに個人的に事務所として行くようになり、
なちかつらの土地感とかがだんだん分かるようになり、街の魅力がめっちゃ分かって。
でもその同時に僕らはアーケード開南が終わってから次の開催地をとあるちょっと別のところをずっと当たってて、
結果ダメになったんですけど、ダメになってどうしようって言って1年休もうって決めた。
2018年に決めたんですけど、そのタイミングでゴルちゃんがなちかつらの旅行できるかもですよみたいな感じで言ってくれて。
絶対屋根があるところとある程度広いところとかそういう条件があって、どっかいいとこないっていうのを施行中ですかね。
話をしてて、え、かつら多分ありますよって言って、旅行とかいいんちゃうんすかって。
行ってみますよって言って見に行った時に、ええやんここ。
めちゃくちゃよかったですね。
12:01
駅からも近いし、駐車場もあるし、旅行やしみたいな。
じゃあ行ってみますわって言って。そっからでしたよね。
で、アーケードのメンバーで避難ツアーみたいな感じで、なちかつらとかいろ川とかあの辺をツアーしてもらって。
で、鹿の解体施設とかも見せてもらったりとかして、そういうのをやってる地元の人たちのところに泊らせてもらったりとか。
わー思い出した。ワールドカップ見てましたもんね。
ああそうよ。あ、時限ですが分かってきた。
分かってきた。ワールドカップ見ましたよね。
フランスかなんか、フランスとどっか、え、違ったっけ。なんか見ましたよね。
え、でも多分日本。
日本対どっか。
俺はそれ気書きじゃなくて、ずっとね。
ずっとそっか好きなんすかみたいな感じ。
もういろ川の山奥のところの一軒家のところの、泊まらせてもらったお家のところで、みんなでワールドカップを見てたっていう。
でしたね。
思い出した。
そんな感じです。
出会いは。
なるほど。
またちょっとワイクマの作るところでもホマレさんが登場すると思うんですけども、ここからちょっとゴロさんの、この番組は生まれ育ちからちょっと根掘り葉掘りと聞かせていただくような番組なんですけども、
ゴロさんのまず生まれ育ちをちょっと教えてもらいたいんですけども、まずはシング生まれですよね。
そうです。はい。シング生まれ、シング育ち。
シング育ちで。
生まれたシングはどんな町ですか?
僕は高校卒業までずっとシングに居てたんで、僕の中では大都会。
もう他のエリアですよ。なちかつーだとか、お隣三重県とか含めても、いやシングが一番都会やなっていう感じでしたけども。
なるほど。
ちなみに家族構成とかってどんな感じだったんですか?
兄が二人いて三兄弟ですね。
三兄弟の普通兄弟。
そう、末っ子です。
親が両親ともに学校の先生。
教員の下。
そうなんですね。
子供の時のゴロさんってどんな感じだったんですか?
そうですね。お兄さんに、一番上の兄にいじめられてた記憶は結構ありますね。
年齢差とかはどんな感じなんですか?三兄弟。
一番上が六個上、真ん中が三つ上で僕って感じでした。
六個上なんて勝てないんですよ。噛み付いてましたね。
みんなひげ濃い?
ひげ濃いっすよ。一家一家。
お父さん見たら分かる。
そっくりだもんね。
15:00
子供の時何が好きだったとかそんなの覚えてますか?
僕結構音楽好きでしたね。ギターやってたんですよ。
いつからですか?
小6からギター触り始めてましたね。
音楽は結構演奏も好きだったし、聴くのも好きだったし。
スポーツもやってましたし、結構どっちも好きでした。
どんな音楽聴いてたんですか?
音楽は兄がいたので兄の影響で結構ロック、洋楽聴いてましたね。
中学校ぐらいで僕サマーソニック行ってましたもんね。
早いし遠いし。
中3でデビューでしたね。
その時ハマってたアーティストとか?
その時ハマってたのはアブリル・ラビーンとか聴いてました。
めっちゃ懐かしい。
サマーソニックって言うたから。
サマーソニック出てましたよアブリル。
ちょっと意外だった。
レッチリとかレディオヘッドとかそっち系かなと思ったら。
そっち系も好きですけどね。
アブリル・ラビーンやったらサム41とか?
そうそうサム41とかでしたね。
懐かしいですね。サム41めっちゃ見てましたライブとか。
そうなんですね。
一番流行ってましたよね。
ショー中とかスポーツもできて音楽も好きでみたいになったら
イケてる立ち位置みたいな?
イケてる立ち位置。でも足は速かったんですよ。
陸上もやってて。
一番の成績は小学校の時、県で5位でした。
100mが。
東室、僕らの住んでる地域だったら100mだったら敵なし。
東室で一番速かったんですか?
東室で一番ってちょっと微妙ですけど。
東室のスピードスターみたいな。
そんななんでもなかったですけど。
結構モテモテ系な感じで。
どうなんでしょう。あんまり自分では言えないですけど。
こういう人はだいたいそうですよ。
足が速いだけでモテますからそれは。
足速いのはやっぱりそうですよね。毎回リレーはアンカー。
ちょっと待って。そんな時からゴロちゃんらしい感じ出てんの?
もうそんなスポットライト当たる人生歩んできてんの?
やめてください。
闇ないの?闇。黒歴史ないの?
サムライ?
むしろそれは。
もうちょっと後半に。
18:00
全然違法やね。
小学校からなんや。すごいな。
高校とかどんな感じなんですか?
高校はバンドですね。
ど真ん中っすね。
引いてないっすか?
ずっとやん。
マジか。
小学校の早い段階からギターやってたんで。
演奏は当時結構できた方やったんです。
ジュリマリとかやってて。
僕はいいんですけど、ボーカルの女の子がめちゃくちゃ上手かったんで。
音楽は僕らの演奏に合わせて歌うんじゃなくて、
その子が歌うのに合わせて僕ら弾くみたいな感じでやったんですけどね。
まあまあ。
なんかすごい。
なんかそんなつもりじゃなかったね。
今日そんなつもりじゃなかったんですよ。
全然そんな華やかなエピソードを言うつもりなかったんですけどね。
高校はバンドもやりつつ、スポーツもできて、勉強もいい感じに。
そこそこには。
今のところすごく悔しいぐらいっすね。
そうか。
なんかすいません。そんなつもりじゃないんですよ。
高校ぐらいの時って結構音楽以外にもいろんなカルチャーに興味出てきたりとかすると思うんですけど。
もちろん。
他に好きやったこととか。
もちろんファッションとか。服もやっぱ好きで。
それも兄の影響なんですけど。
服とかもよく、地元の古着屋さんとか。
あんまりお店がなかったので、新郷に。
なので結構古着屋回ったりはよくしてましたね。
おしゃれでバンドやって勉強もできて。
おしゃれかどうかは僕は自分ではあまり言えないかな。
そこまでもうめっちゃ人生楽しい感じで。
そうですね。
確かにちょっと先行ってたかもしれない。
兄がいたからお下がりで結構服もらってたんですよ。
で、小学校の時にナイキのエアフォースワン履いてたんですよ。
で、当時誰もそんなの履いてなかったんで。
逆になんなんその靴みたいな感じになっとったんですけど。
中学校になっていって、
あの時履いてたやつエアフォースワンやんみたいな感じになったっていうので
結構友達に、俺小学校から知ってたけどエアフォースワンみたいな感じなのを
友達同士で言った記憶はありましたね。
兄貴に助けられた感じでしたね。
東室で一足目のエアフォースワン。
それを兄弟で大大大事に。
ありましたね。
で、進学ですか?
はい、進学で東京に行きましたね。
大学はどちらに?
青山学院大学に行きました。
もうやめてなんだよ。
もう好きがない。
なんかブーイングのルート入れてもらえないですか?
21:02
ブーイングみたいな。
完璧っすね。
大学を選んだのはなんで東京に選んだんですか?
大阪はたまに遊びに行ったりしてて、東京は全然わからなかったんですよね。
兄が二人とも東京に行ったんで、東京って何があるのかなって思ったっていうのがあると
やっぱり日本の首都なんで一回住んでみたいなっていうのもあっての東京でしたね。
どっちにしろ地元は出たいみたいな感じは?
めっちゃありました。正直高校までは地元好きやったんですけど、田舎やから早く都会行きたいっていう思いの方が強かったですね。
そのまま青岳に行って。
ここからがひょっとしたら田舎もんが青岳に行って、ちょっと痛い目合うみたいなのがあるかもしれないですよ。
そうですね。どうでした大学は?
大学はすごい楽しかったです。
楽しかったんかい。
大学はちょっとやっぱり感が。
楽しかったですね。大学生活。
もう全然すんなりと、すんなりと溶け込んで東京に。
そうですね。溶け込めましたね。
サークルとか部活とか?
部活、音楽愛好家みたいなのも入って。
音楽好きだったのもあったんで。
ただ楽器を演奏する側としてはもう東京に行ったらみんなレベル違いすぎて。
こんなん絶対勝てへんと思ったんですぐ演奏する側はやめましたね。
でもなんかDJをメインとする音楽研究会みたいなところがあったんでそこに入って。
すごい回数ね。
なんかあのキセンラジオのキーワードいつもこの番組の内容をキーワード書いていくやん。
あのキーワードが全部パリピな感じのキーワードじゃん。
青岳DJ。
でも僕は回す方じゃないですよ。聞く方だったんですけどね。
ヤバとかですかね。
ちなみに楽部とかはどんな楽部?
楽部は経済学部に入ってましたね。
やっぱりなんか自分が将来もやっと地元に帰ろうとは思ってたんですけど
その時に一番役立つのが何かなって時に経済を分かっといたら何かいいんかなみたいな。
経済学部のさらに一つ地方財政っていう学科やったんですよね。
地方財政っていうところで自分の地域に通ずるところがあるかなと思ったのでそこを選んだっていう。
高校の進学のタイミングとかで将来仕事として何やりたいとかそんなんってふんわり決まってたんですか?
24:03
いや全然全然全くなかったですよ。
いつかは帰ってこようと思ってたけど何をするかは決まってなかったです。
ただ大学に行く時に役に立ちそうなところに行こうかなっていうので。
帰ってきたいっていうのは何でやったんですか?
やっぱり地元がどんどんどんどん元気がなくなっていくというか
自分たちの古着屋さんとかCD屋さんがなくなっていったんですよね。
シャッター商店街になっていくところを僕ら子供の頃からずっと座ってきた街が変わっていく様を見ていくわけですよ。
このまま行ったらどうなるんやろみたいなっていうところで何とかせなあかんな誰がするんやろ
自分も何とかしたいっていうのはやんわり思ってましたね。
その後大学はどんな感じで進んでいくんですか?
大学はDJのサークルとかやってましたけど
結構メインというか旅員その時にハマって
バックパックを背負って旅行するみたいなやつですね。
それで平日とか普通の時はアルバイトしながら学校行って
春休みとか夏休みになったらずっと海外を旅するみたいな生活をずっとしてました。
旅行くようになったきっかけとかあるんですか?
きっかけはまだ兄の経験なんですけど
兄貴が10代のうちにやり遂げたいことの一つに一人で海外行くことっていう風に言ってて
それを聞いてかっこいいなみたいな
兄が19の時に一人でタイに行こうと思ってたんですけど
耳が病気感になっちゃって飛行機乗れないってなって行けなかったんですよ。
なので兄は10代のうちに一人で海外行くっていう目標が達成できなかったんですよね。
その時にそのかっこいい目標を達成できなかった兄の代わりに
ちょっと俺行ってこようかなみたいな。
大学1年の時に一人で僕もタイに行きました。
そこから世界が広がって離れたらこんな感じなんやっていうところから
いろんな国行ってみたいって思うようになって
もう大学生活はそこから旅をしようっていうのでそんな感じでした。
他どこ行ったんですか?
結構回りましたよ。大学4年間で26カ国ぐらい回ったので
アジア、ヨーロッパ、北米などなどいろんなところに回りましたね。
27:01
ちなみに初タイはどうでした?
初タイは
そこからハマっていくわけじゃないですか?
そうですね。なんかすごい面白かったのが
英語は別に喋れるわけではないんですよ。全然喋れなかったんですけど
現地でタイってやっぱりすごい日本人のバックパックが人気なんですよね。
同じように日本人でバックパックで来てる人がいたんですよ。何人も。
で、たまたま泊まった宿とかで同じタイミングに日本人がいて
で、こんにちはみたいな話をして
そこから一緒によかったら飯行きますか?とか
そんな感じで一緒にカンボジア行きますか?ってなったんですよ。
そう、カンボジアに陸路で行くツアーがあるから
カンボジア行きませんか?って話になって
カンボジア行ってみたいなと思って
じゃあ行きますか?って言って
タイに10日間行く予定だったんですけど
タイの10日の2日目ぐらいにカンボジア行こうってなって
そのままカンボジアに
その時仲良くなった人が1人行くって
そこからですかね
その時に知り合った人達っていうのは年齢もバラバラで
住んでる地域もバラバラ
みんな日本から来てるみたいな
それが人との出会いのタイミングがすごい面白かったなって
大学生活やってると同じ大学の人か
もしくはアルバイトくらいしか出会うタイミングないと思うんですけど
そうじゃないとこで人と出会いがすごい楽しかったっていう
とこでしたね
へー
ちなみに旅行く以外は大学生活なんかやってたとかありますか?
音楽と旅行みたいな感じですか?
そうですね
マネキン運びのバイトは4年間やってましたね
ん?どういうことですか?
マネキンを運ぶんですよ
マネキンを百貨店の祭児場に納品するっていう仕事があるんですけど
単発バイトなんで長期休みが取れるんですよね
普通なんかアルバイトに入ったらなんか1ヶ月とか休み取れないじゃないですか
1ヶ月休みだったらもうやめろっていう感じでシフト的にね
なんですけど単発バイトなんでマネキン運びが
それはできたっていう
特殊なバイト
で、マネキンの一番需要ある日って知ってます?
マネキンが日本全国で一番需要がある日
ある日?
違います
クリスマス?
正解
やってました?
今の結構簡単やろ
12月の25日の夜なんですよ
なのでクリスマスから一気にお正月に変わるっていうのが
全国全どの百貨店も一気に変わるんですよ
そのタイミングが一番忙しい時で
なのでそこにやっぱ入らなきゃいけないんですよ
30:00
入ったらめっちゃお給料もらえるんですよ
なので僕は大学4年間のクリスマスは
すべてマネキンと過ごしました
だからあれだよね
人を再配するのが上手いよね
マネキン再配
マネキン再配
動くか動かんかみたいな
なるほど
そして就職ですか?
はい、そうですね就職
は電気メーカーに入りました
それはなんでまた?
DJを作ってる会社だったんですよ
DJを作ってる会社?
DJ機器を作ってる会社
ターンテーブル?
ターンテーブルを作ってる会社でしたね
音楽に携わる仕事はしたいなって前から思ってて
何かしら音楽って中でかつ大手に行きたいっていうのがあったんですよ
そん時くらいからちょっと企業は意識してたんですけど
大手に入ってると社会的な信用がついたら銀行からお金が借りやすいんじゃないかっていう
そういうのがあるのと
大手入ったら教育制度がしっかりしそうやから
まず社会人としての基礎っていうのはそこでみっちり学ぼうみたいな
っていうのがあったんで大手を目指してましたね
っていう中で電気メーカーに入りました
そこではどんな仕事してたんですか?
DJではなかったんですよね
その時は
音響メーカー音響の電気メーカー
音響も扱ってたんで音響っていろんなところで使われてるんですけど
僕は車自動車のスピーカーとか車載機ですね
だったのでお客さんが車メーカーさんでした
なので僕は営業って言っても開発営業みたいな形で
お客さんは一般的な消費者ではなくて
自動車メーカーの方がお客さんっていう感じでしたね
スピーカー売ってましたので
車に搭載するスピーカーを売るっていう感じですかね
その時に勤務地が
栃木県ですか?
そうなんですよ配属が栃木県の宇都宮市に配属だったんで
宇都宮に来ました
宇都宮生活はどうでした?
本当に初めは絶望で
確かあの時が一番僕沈んでたかもしれないですね
池って事例なんで行くじゃないですか
友達ゼロで東京生活楽しかったとか
いろんなことをやっていく中で
社会人1年目なんでやっぱ大変じゃないですか
そうやっていく中で
いかにストレスを発散するかみたいなところだったんですよね
とりあえず宇都宮には友達がいないので
東京まで2時間だったんですよ
なので東京行こうってなって
33:02
本当仕事終わった金曜日の夜ぐらいから東京行って
東京で友達と遊んで
日曜日の終電で帰ってきて月曜から絶望みたいな感じで
そんな生活を1年間やってました
その時何して遊んでたんですか?
遊んでたのは
普通に友達とライブ行ったりとか
普通にカフェ行ったりとか
飲み会やったりとか
都会の飲み会に宇都宮から参加するみたいな
そんな感じでしたね
2時間かけて飲み会に参加していくみたいな感じでした
その後はどうなっていくんですか?
1年経って全然生活
充実感楽しかったんですよ
東京で楽しかったんですけど
充実感が全然なくて
その時にふと
自分がいつか和歌山に帰って
何かしようみたいな
自分の地元のことを思い返したんですよね
宇都宮って50万人ぐらいの都市なんですけど
和歌山と比べたら多いかもしれないですけど
地方っていうところで言うと一緒やなと思って
そしたら何やろな
結局今自分が和歌山に帰っても
結局田舎つまらんって言ってるんじゃないかなと思って
結局同じことを今やっちゃってるなっていう
都知事の宇都宮に出て
でもそれって自分が
宇都宮を楽しもうとしていないだけであって
これを楽しもうと思ったら
変われるんじゃないかなって
それって自分が和歌山に帰っても
通用するんじゃないかなって
って何か思ったんですよ
そこからですかね
まずはそのために友達を作ろうって
友達ゼロだったんで
友達作りってどうしたらいいんやろみたいな
改めてそこでなった時に
ちょうどシェアハウスが流行ってたんですよね
その時何年ぐらいですか?
2013年かな
テラスハウスとかあの頃ですね
結構なんか
いろんなところにシェアハウスができてたんですよ
東京とかにシェアハウスが
大きな施設をシェアハウスにしてるみたいなところが
結構流行ってるタイミングやって
宇都宮にシェアハウスとかないんかなと思って
検索したら検索した
1ヶ月後にオープン
4月やったんですけど
5月にオープンみたいな感じの
シェアハウスが一軒あったんですよ
鎌川リビングっていうんですけど
そのシェアハウスここやって思って
シェアハウス住もうそれで友達作ろうっていうので
その不動産屋に電話して
内乱いつにしますか?
内乱いいです住みますって言って
内乱せずに決めました
シェアハウスもどんな人たちが住んでたんですか?
シェアハウスはみんなスタートが一緒だったので
全員初めましてだったんですよね
16人マックス入るシェアハウスだったんですけど
36:00
始めは5人ぐらいから始まって
そこから徐々に増えていくって感じだったんですけど
そこには不動産屋さんやったり
設計師さんの設計師さんやったりとか
また違う電気メーカーの営業さんやったりとか
いろんな他ジャンルの人たちが集まってきました
年齢もガラガラでしたね
ちょっと宇都宮の感度高めの人たち
そうですねやっぱりちょっと面白そうやな
シェアハウスって思ってた人たちだったんで
結構感度高めの人たちでしたね
シェアハウス生活はどうなったんですか?
めちゃくちゃ楽しくて
会ってたんですよねシェアハウスみたいな
全然人と一緒にいるのが苦じゃなくて
一人でいる時間とかも会ったらいいけど
なくてもいいぐらいの感じだったんですよ
常に人と一緒にいても全然楽しいっていう感じだったので
ずっと共有スペースにいて
誰かとずっと話してるみたいな
そんな感じだったので
シェアハウスの中では一番人と話してたんじゃないかな
後藤さんなんかすごいですね
生まれついてのそっちの陽の人という
そう
めちゃめちゃ陽の人の感じですね
その時の僕苗字後ろなんですけど
始めましての時の営業の時の挨拶が
苗字は後ろですけど気持ちは前向きですっていうのが
決まりの
アイドルやな
覚えてもらうための
前向きな後ろ君って言われてましたね
落ち込むタイミングとかないんですか?
落ち込むタイミングですか?
いや
シェアハウス入るまでのちょっとの期間
そこが落ち込んでたかもしれないですね
その間も仕事でいい感じの挨拶しながら営業して
週末は東京で遊んでいって
一般的には楽しい人の生活みたいな
楽しかったですねそれはそれで
仕事はすごい大変な仕事だったんで
深夜までとか普通にやってた感じだったんで
結構早い段階から辞めたい
辞めたいっていうのは仕事っていうよりは
宇都宮から離れたいっていうところが結構大きくて
東京で働きたいって思いがあったんですけど
シェアハウス住んでからは
楽しすぎて
仕事終わって早く帰って遊びたいみたいな
めっちゃ効率よかったんですよその時は
早く遊ぶために仕事めっちゃ早く終わらせるみたいな
すごいいい作用になってましたね
遊ぶっていうのは何して遊ぶの?
シェアハウスやったら基本的に
誰かシェアリビングに行ったら
飲もうって話になるんですよね
なので飲みに行かなくてもそこが飲み会になるので
39:01
毎日のように
飲んでましたね
ずっと深夜まで飲んで
次の日2日酔いのりながら仕事行くみたいな
思想を期待してましたね
なんかこの影の生活をしている者としては
毎日飲み会とか
めっちゃしんどそうみたいになるんですけど
むしろそれがめっちゃ楽しいみたいな
メンバーもすごいよかったんですよ
相性のいいメンバーがみんな集まってたので
本当に今の自分があるのは
そのメンバーがいたからじゃないですかね
さらにシェアハウスで
毎月イベントとかもやっちゃうんですよね
やっちゃうんですよ
シェアハウスの共有リビングが
すごい広かったんですよね
街のど真ん中にあって
これなんか面白いスペースとして
使えんかなっていうのもあって
あとシェアハウス住人の
交流を深めようっていうので
イベント企画したんですよね
一発目を何したかちょっと覚えてないんですけど
イベントやったら
案外みんな人来てくれて
そんなに街中にイベントなかったんですよね
週末とかで
夏祭りみたいなのがあったんですけど
そういうローカルの人たちが
プレイヤーがやってる祭りって
イベントあんまりなくて
やったら結構周りの人たちが
遊びに来てくれて
仲良くなった人がまた次のイベント
企画したらまた連れてきてくれて
みたいな
イベントやればやるほど
友達の輪が広がるというか
コミュニティの輪が広がる
毎回イベントするごとに
何十人も集まる感じになってたんですよ
それが楽しくて
毎回次どんなイベントやろうか
っていうのを企画するのが
すごい楽しかった
毎月やってましたね
毎週か
イベントしてっていうのは
学生時代からやってたりしたんですか?
いや、学生の時は
イベント企画
企画は好きでしたけど
イベントは特にしてなかったですね
よくある学生イベントみたいなことは
全くやってないですね
ゼロですね、そういうのは
ただ企画は好きで
学生の頃は旅が好きだったので
旅企画をやってました
旅企画?
みんなで行こうみたいな感じですか?
いや、ではなくて
自転車で横断チャレンジとか
イタリアチャリ持って行って
イタリアを自転車で縦断してみようとか
アメリカ行って車で
アメリカ縦断しようとか
そういうチャレンジ
プロがでかいですよね
そういう企画
なるほど
そのイベントは
きっかけは何だったんですか?
きっかけは何なんですかね
でもまあ
単純に友達を作りたいからっていうのと
みんなが楽しんでるのを見て
42:02
結構その時
人のために
人が楽しんでるのを見て
すごい楽しいみたいな感じだったんですよね
だからイベントって自分
企画するの合ってるのかなって
思ったかもしれないですね
毎月イベント
シェアハウス生活は
その後ずっと
そうですね
めちゃくちゃイベントやりましたね
毎月
一回やった企画は
年間の恒例行事になったりもして
例えばどんなイベントをしてたんですか?
例えば
夏だったら
流しそうめん
流しそうめんって
ただコースを作って流すだけって
誰でもどこでもやってるし
できるじゃないですか
じゃなくて
大人が本気でコースを作ったら
どんな流しそうめんができるんだろう
っていうので
それで大人の本気の流しそうめん
っていうのをやったんですよ
設計師もいたんで
コースもらいながら
めちゃくちゃ建築物みたいな感じな
流しそうめん台を作って
そこでそうめん流しをするっていうのを
やったり
あとは
流しそうめんのギネス記録が
あったんですよ
見たんですよ
面の流れる台の長さ
世界一っていうギネスが
3000メートルやったかな
そんなあるんですね
めっちゃ長い
どっかの河原でやったやつ
それを見て
ニュースで見たことあったんですよね
すごいなって思ってて
もう一個流しそうめんのギネスがあって
それが
面の流れる速さ
ギネス
世界一っていうのがあって
京都駅の階段
めっちゃ長いところ
あそこでケルヒャみたいな高圧洗浄機を使って
バシュって流すやつが
30何キロみたいな時速
みたいな流しそうめん
でギネスに挑戦したい
ってふと思って
でもその二つはちょっと難しいなって思ったので
面の長さ
世界一の流しそうめん
ってないな
って思って
じゃあ
そうめん
めちゃくちゃ長いそうめん作ろう
っていう風に思ったんですよね
それでギネス挑戦しようっていうので
正面所トチギって検索したら
たまたま宇都宮の正面所さんが
ヒットして
そこがなんか
栃木県産小麦100%使ってますね
すごい地元のことを考えている
とこやったんで
そこのお問い合わせ先っていうところに
そこにめっちゃ熱い文章で
流しそうめんでギネスに挑戦したいんです
って言って
長いめん作ってもらえませんかって言ったら
社長から連絡きて
おもろいやんやろうみたいな感じになって
そっから流しそうめんの
そのめんを
その時作ったのが4m
4mのそうめんを作って
45:01
流してギネスに挑戦する
っていうのをやりましたね
うーん
ギネス記録にはなったんですか
そこなんですよ
ならなかったんですけど
なんでなんやって思ったんですけど
ギネス記録ってレコード記録なんで
更新されていくもんじゃないですか
同じ条件下じゃないといけない
ってなって
僕ら作ってるストラクチャーが
建築物みたいになっちゃったんで
同じ構造作れないんですよね
同じ条件で
めんの長さを増やしていくんやったら
いいけど
なんかそんなめっちゃ構造物みたいな感じのやつは
誰も作れないから
そこでは記録はできませんみたいな
うーん
感じのこと言われて
まあ泣く泣くだったんですけど
まあでも自称世界史でしょみたいな
そんなそうめん作ったやついないでしょ
みたいな感じで
なるほど
4mのそうめんってどんぐらいの量になるんですか
いやすごい量ですよ量ですよね
一塊になるわけですよね
皆さんそうめんって缶麺イメージするじゃないですか
カチカチのスパゲッティみたいなやつじゃないですか
そこの製麺は生麺やったんですよ
おー
だからほんとにラーメンみたいな感じのやつの
そうめんバージョンみたいな感じなんですよね
でめっちゃ長いんで
あのー
もう量とかちょっとよくわかんないですよね
丸めたらもう
お餅みたいな感じです
バスケットボールぐらいの感じですね
おー
逆にそれを
作ってから
どうやって茹でたらいいんやろみたいな
はははは
そうなんですよ
運ぶのも大変
運ぶのも大変やし
寸胴に放り込んだら
要は麺の先っぽがわからなくなるんで
取れないじゃないですか
どうしようみたいな感じ
だから流せないじゃないですか
お餅を流すみたいな感じで面白くないじゃないですか
なのでそこをどうしようってなって
結局やったのが両端を持って
真ん中を寸胴にぐるぐるぐるぐるぐる
巻きながらやって
両端は手で持ちながら
ぐつぐつぐつやって
で、いわいてそれを全部
束束
束一本なんてやらない
切れたらどうするんですか
切れたら切れますよそこで
もちろん束ですよ
そうめんは束で食うでしょ
一本で食わないでしょ
なんか怒られてる
熱すぎる
そうですね結構そうめんに関しては
それなんかイベント毎月やってたの
目的はもうほんまに
コミュニティを広げるっていうことだけで
そんなに熱量を持ってやってたんですか
さらに言うと面白かったのが
イベントをやればやるほど
そういうこともあるんですけど
いろんな都知事のメディアが
食いついてくるんですよ
テレビやったりラジオやったり
雑誌やったり
いろんなところから声かけてもらえるようになって
イベントの特集やったりっていうのを
48:00
組んでもらえるようになって
それが面白かったっていうのがありますね
街全体がこうなんか
どよめいてるというか
それがすごい面白かったですね
最終的にはパルコとコラボして
イベントしたりとか
そうなんですよ宇都宮パルコさんとコラボして
宇都宮って餃子が有名なんですよね
宇都宮餃子
毎年年に1回
宇都宮餃子祭っていう
すごい大きな餃子のイベントがあるんですよ
それに合わせて僕ら
裏でイベントやってて
餃子祭の会場とはまた別の場所
そのシェアハウスのところで
1日に餃子何種類食えるかっていう
宇都宮餃子って何百店舗あるんですよ
何百店舗のうち
1日何件食えるかっていうのを
チャレンジみたいなことをやってたんですよ
なのでもういろんなところから餃子買ってきて
一堂に集めて
イベントするみたいなことをやってて
その時に餃子Tを作ったんですよ僕ら
Tシャツを作ったんですよ
それも漢字で餃子とかはあったんだけど
そのダフェンじゃなくて
ちゃんとイラストで餃子を作ったんですよね
そしたら
それを毎年やってたんですよ
そしたら宇都宮パルコさんに
その餃子Tが目に留まって
それでこれパルコでちょっとやりませんか
みたいな話になって
面白いですねって言って
それで宇都宮餃子祭の時に
宇都宮パルコでコラボ企画として
その餃子Tを売るっていうのをやりました
いやー
すごい
なんか規模がだんだんそんな感じに
大きくなっていくのも楽しかったですね
初めの市シェアハウスで
身内から始めたイベントが
だんだん待ちぐるみになっていくっていう
ところの過程もめちゃくちゃ楽しかったですね
どこまでできるんやろこれみたいな
その間何年くらいですか?
5年
4年くらいかな
4年くらい毎月イベントやり続け
そうそうそう
なので餃子祭も宇都宮の餃子
何件食えるかっていうのも
最終的には60何件
初め20件やったんですよ
20件30件40件50件60件
毎年やるごとに
宇都宮のそうめんもそうですよ
そうめんも4メートル5メートル6メートル
だんだんまめていくみたいな感じで
やってました
すげー
そしてその後はどうなるんですか?
そうで
すごい楽しかったんですよ
絶長期で
めちゃくちゃ楽しかったんですよ
宇都宮がもう
第二の故郷みたいな感じになって
離れたくないっていう
本当にその時にいるメンバーも楽しかったし
街自体もすごい楽しかったし
このまま宇都宮に一生いてもいいかな
ぐらいすごい楽しかったんですけど
そこでまた
和歌山のことがちょっと気にかかったんですよ
僕の中で
10代は
一人で海外に旅行行くのが目標
20代はって時に
20代の目標は
20代のうちに起業しようって
51:00
思ったんですよね
それを
僕もなるべく
宇都宮に住んで
27ぐらいか8ぐらいの時やったんですよね
あと2年ぐらいしかないっていう中で
そろそろ人生
もう少し考えなあかんな
ってなったんですよ
そこで
起業宇都宮でもいいんやけど
やっぱり和歌山でやりたいなっていう
こんだけ宇都宮で
いろいろ自信もついたから
その状態で和歌山に帰ろう
って思ったんですけど
そこで帰って起業したら
なかなか旅行とかも
行けなくなるやろうなと思ったので
世界一周行ってから
帰って起業しようって思ったんですよ
それ逆算したら
28ぐらいには
宇都宮に住んでるんですよね
実際起業しようっていうのは
この仕事で起業しようとか
決まってたの?
まだない
とりあえずなんかで起業しよう
帰って決めよう
って感じでしたね
すごいな
で28ぐらいの時に
宇都宮を離れ
会社を辞めて
宇都宮を離れる
なんですけど
その時も結構面白くて
最後チェイハウス卒業したのが
新聞記事になったんですよ
そうなんですよ
イベントをやってたからですか?
イベントやってたからやと思うんですけど
なんか
さよならゴロちゃんまた会う日まで
みたいな感じで
最後終わったんですけど
なんかその時の
記事とかなかったっけな
既に結構
宇都宮のスター的な感じの
ポジションになってたんですか?
まあでも
イベントをやってて若くてだったので
結構確かに宇都宮の中では
目立ってたかもしれないですね
だから結構宇都宮の人たちにもやっぱり
宇都宮を盛り上げてくれてありがとう
みたいな感じにはなってくれてたんですよ
なので
結構
離れる時にはやっぱり
寂しいみたいな話は
結構ありましたけどね
へえ
なんかゴロちゃんの
考えると
結構この宇都宮の時期の
ゴロちゃんは
めっちゃ重要な気がするんですけど
なんかゴロちゃんって
目の付けどころが
面白いっていう
ところがあって
やっぱ人がやらんことを
なんかやるとか
それをこうなんか
みんな巻き込んで
なんかやるとか
発想がちょっと
なんか普通に
ワイワイ楽しくじゃなくて
ちょっとなんか違う方向から
物事を見るところがあって
今のそうめんだって
普通に流しそうめんするんじゃなくて
そういう風に変わった形でやるとか
長いそうめん使うとか
なんかその辺が
54:01
すごいキャッチーでもあり
なんか人が
ゴロちゃんに
次頼んだらどんな風に出てくるんだろう
みたいな感じで
多分思うところっていうか
だから本当に
今もまさにね
そういう感じで
いろんなことやってるし
今後いろんな話出てくると思うけど
なんかそういう発想を
ちょっと人と違う発想を
なんかやろうとしてるのが
この宇都宮時代に
多分
もう毎回そうやってこう
なんか考えるのが多分楽しかったよな
いやほんまにそれですね
楽しかったですね
でその相手が
驚かしたい
驚かしたいで
うわそう来たかって言われたら嬉しいみたいな
そうなので
ゴロちゃんやばいわーとか言われたいんやね
言われたい
やばいって
やりやーみたいな
発想プラス
そこに巻き込むのがすごいですよね
僕とか
例えば長しそうめん6mやみたいなこと言っても
多分誰も賛同してくれないと思うんですよ
そこを
その変な計画に
こうやって
どうやってやってたんですか
僕末っ子なんですよ
なので
頼むのはうまいかもしれないですね
できないんです
みたいな
お願いやってみたいな感じ
なのをインポイントにできそうな人に
こううまくやるのはうまいかもしれないですね
確かに
そうだよねなんかゴロちゃんはなんか
自分でこう全部やるっていうよりかは
人をうまく
多分巻き込んでいきながら
発想を
とにかくして
それをこう
いろんな人を巻き込んでやっていくみたいな
そんな感じですよね
そんな感じですね
自分はできないけどやってみたいみたいな
そんな感じですね
でもそれをやるために
そうめんの会社を
じゃあアタックしようとか
そういうのとかの行動力が
めっちゃあって
込み力
高すぎる
っていうね
今までのこの歴史を聞くだけでもさ
完全に洋の人で
もう
ナチュラルボーン洋っていうか
もう
完全にその日の下で育ってきたなっていう
感じやね
眩しすぎて
今新聞を見せてもらってるんですけど
おー
シェアハウス卒業
これ宇都宮の新聞ですね
3人が見てる
さよならゴロちゃんまた明日まで
イベント企画人の輪広げた
後ろ高谷さんシェアハウス卒業
すごいな
とんでもない
すごいな
シェアハウス卒業が記事ってすごいですよね
しかもこれ5年前まで友達ゼロだったんですよ
それが僕の
57:00
これで宇都宮では1回ひとくびりや
っていう風になりましたね
もう1回やり切ったなって
自分のやり残したことは
そうでしたね
ちなみに流しそうなのがありました
これ6メートル
おー
6メートル
6メートル
でまあ
こういうのを作ったりとか
分からず
これ見た
これなんか見せられたわ
こういうの
こんなの僕やってるんですよ
見せられた気がする
これあれね
牛ゴロのインスタ
アカウントですね
過去サッカーの思い出が見れる
アカウントで見えますね
なるほど
でシェアハウス卒業
卒業して
退職
退職
で世界一周
これから行くぞ
待てよと
はい
世界の前に
来るよ来るよ
日本を知らんなと
はい
まず
日本一周してから
世界一周行こう
はいはいはい
なったんですよ
まずはじゃあ日本回ろう
ってなったんですけど
結構旅はいっぱいしてたんで
はい
普通の旅行は
おもんないな
ってなって
なんか
おもろい
旅行の仕方ないかな
ってときに
はい
サムライおもろいな
って思って
はい
サムライの格好をして
日本回ろう
今日のことはまだ見ていない
ご視聴ありがとうございました