00:22
面倒くさがり屋なんで。
このバグーストを作った人っていうことしか?
僕以外も作ってるんやけどね。初期のスタッフの生き残りみたいな。
初期のスタッフやったんですか?働いてたんですか?
そうそうそうそう。
芸大出た後に、それこそ、
芸大で一度も会ったことがなかったんやけど、
同期で悪者として噂が立ってた子が、
ここで言われへんような感じなんやけどね。
ダンクぐらいピーピーきそうな顔してんよ。
ウッドストックスタイルのイベントを南港でやったりとかしてて、
今でいう野外フェスみたいなのがない時代で、
その場所を探してて、岡山で面白いとこ見つけたって言うんで、
そこの人めっちゃヤバいって言うんで、
一緒に野外の祭りをする場所を探してるんですって言ったら、
うちは祭りやってるんですっていう秋参加予算で。
で、やりましょうってなって。
そっからMAGOOSEのスタッフをしながら、
祭りをやるために、月の祭りっていうのはやるためだけに稼いでたっていう。
月の祭りは音楽イベントみたいな感じですか?
ウッドストックスとかわかる?
名前ぐらいしかって感じなんですけど。
今やったら当たり前なんやけど、音だけじゃなくて、
食とかシンポジウムとか、踊りとか、もちろんDJとか、
総合的にエンターテイメントとしてお祭りをするっていう。
お祭りってあるじゃん。
イベントと違って、なんて言ったらいいんだろうね。
その地域とかそこに生きる人の力になるための、
年に1回の岸輪などの感じじゃないけど、
心の柱になるような。
ああいうことをやりたいなっていうのを、
秋参たちと話をして、そういうお祭りをずっとやってた。
バリから舞踏家呼んだりとか、インド舞踊をやってる人呼んだりとか、
音だけじゃなくて。
だからそれを呼ぶために、
うちらはオフシーズンは世界に散って、
面白そうな人。
03:01
だから和歌山のビーチでこういう祭りやってんねんやって。
遊びに来ひんみたいな感じで、誘うみたいな。
春先に戻ってきて、またその年のバグースを作るみたいな。
台風でぶっ壊れたりとかしながら作りながら、
10月を迎えたら、またそこで貯めたお金を、
旅にみんなそれぞれ散って、スタッフは。
春先に戻ってくるっていう。
そういうスタイルの場所やったんですね。
そうそうそうそう。
だから異常にヒッピーが多い時とかもあったよ。
昔。
とか何やったっけ、ロンリープラネットっていって、
地球の歩き方の海外版の、
というか地球の歩き方を真似したのかな。
それにも乗って、外人が泊まれに来て嫌になる時とかもあった。
なるほど、その辺の話とかも時系列で聞かせていただけたら、
すごい面白そうですね。
だからバグースを作った一員って感じで、
ただ残ってるのが僕だけっていう。
あともうみんな現代アートやったりとかも被災地に行って、
ずっとその一番最初のボランティアセンターの立ち上げからやってるやつとか。
じゃあ和歌山に残ってるのはウッキーさんだけっていう。
そうだよね、初期の。
あと植木屋やってる子もいてるけどね。
じゃあ音声も同じ感じそうなんで、
ちょっと台本を。
ウッキーさんフリーにしといていただいて。
では行きまーす。
有田市のコーヒーショップARCの上田です。
岩手市のバーバーショップアーカイブスのQです。
この番組は和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
既選ラジオ第70回です。
本日は和歌山市にある津屋で収録しています。
本日のゲストは画家、造形作家のウッキー藤原さんです。
ウッキーさんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。
というわけで今回はラーメン丸いの幾島さんの気になる人ということでウッキーさんの登場なんですけども。
ウッキーさんは和歌山市にあるビーチバー、バグースとか、
原二郎さんと一緒にぬめろ音声とか笠出茶を作った人という方なんですけども。
まずウッキーさんのお話を聞く前に白石君がいない理由のところなんですけども。
白石君は急遽交通事故を起こして病院に搬送された先で看護師さんを蹴っ飛ばして逮捕された。
どこかで聞いたことがある。
06:00
広瀬の話でしたね。
白石君はシンプルに用事があって来れないということで代立赤い服のQさんに来ていただいております。
よろしくお願いします。
というわけで茶番はそんなところで。
そんなバグースとかぬめろ笠出茶などいろいろ作ったウッキーさんの生まれから現在に至るまでの話を聞かせてもらいたいんですけども。
生まれとかの前にウッキーさんって何者なんですか?
何者かを探すのが人生かもしれないですね。
プロフィールで画家造形作家という風に紹介させてもらったんですけども。
これはアーティスト活動をしている?
そうですね。芸術家っていうのが一番いいかなと思って。
得体知れない感じが。
自分の作品も作りつつこういう店舗の設計とかもされてる感じで。
設計っていうほどじゃないですけどね。
今はリノベーションっていうものが流行ってセルフビルドのお店とか委託もやる人が増えたんですけども。
昔は設計する人がいる、それを作る工務店、施工業者、職人がいてて。
施主さんがこうしてほしいっていうのがすごい遠回しで建物を作ってたんですよ。
そこをバグースの秋さんと知り合ってバグースを作る時に
そんなのやったら金がかかるだけでロスが多いと。
決まりきったものを作るんやったら頼んでやってもらったらいいんだけど
ちょっとそこから線路から外れちゃうと見返しなんで
そこの話を説明するのも時間のロスやし
それを図面に起こしてもらうのにもロスやし
時間もロスやしお金もかかるしっていうんで
こんなの作った方がええやんっていうんで
自分らの作りたい、食べたいものを自分で焼き飯作るの感覚で
お店も作ろうよっていう。
それが一番最初がバグースってことですか?
建物自体をいじったのはバグースが先ですかね。
そこからどんどんバグースを作った人ということで
いろいろ声がかかっていろいろ作ったっていうのは?
そういうのの前にバグースに遊びに来てくれてた源次郎君
僕は源次郎君のところで一番最初に押しかけたんですよ。
尾の町のビルがすごい好きで
僕は元々和歌山の人間じゃなくて
バグースで祭りをやるっていうのにステージをゴミで作るっていう
09:04
作家として入ってきてて他に知り合いなくて
バグースのスタッフをしながら休みの日に和歌山市をうろうろする中で
見なかった熊ぐすの大ファンで
熊ぐすさんの胸像があるでしょ近くに
胸像を見に行ったついでに尾の町のビルを見るのが
僕の心の安らぎやって
このビルかっこいいなって見ててある日突然
髪の長い髭のお兄さんがガーッ荷物を出してて
あれ?変な改装するのかなと思って
もう全然面識もなんもないんやけど
どんなふうに改装するんですかって言って
下手な改装嫌やなと思って聞きに行って
意気投合して
それがきっかけなんですよね
それから趣味が一緒なんで
どこどこ解体するよっていう情報をお互い交換して
一人では取り外しできないのを2人で取れるじゃないですか
そんな感じで
そこから現在に至るっていうところなんですけど
その辺は後ほど詳しく聞かせていただくとして
そんなウッキーさんがこれまでどんな感じで
生きてきたのかっていう話を聞かせてもらいたいんですけど
まずはウッキーさん生まれはどちらですか?
生まれは鳥取県の山の中ですね
みんな知らないと思うんですけど
鳥取ってちっちゃい県なんで
日本海側にあるんですけど
東側が兵庫県と岡山県に突っ込んでいってるんですよ
ポキッと折れて
この字が斜めに折れてるような形だよ鳥取って
西側も折れてるんですけど東側もキュッと入って
ほんまに山の中でちょっと遊んでたら山蝉いてたり
川行ったらオオサンショウいるような
そんな山奥で
生まれは何年ですか?
生まれは1969年
1969年というと昭和
44年
超昔ですね
僕たちもね
僕たちも昭和生まれなんで
ロケットが飛ぶ前年ですね
今万博でやってるけど
アポロが月に行く前の年
万博は70年なんでその前の年なんで
相当昔だったから
生まれ育った場所は山の中ですね
山の中ですね
幼少期はどんな感じだったんですか?
幼少期も今もなんですけど
あんまり人間関係めんどくさいタイプで
12:01
一人で遊んでるようなタイプでしたね
山の中でお父さんとかどんな仕事してたんですか?
うちは氷酒屋なんですよカウンターのついた
氷酒屋?
氷酒屋さん
酒屋さんでカウンターついていっぱい飲みできるような
酔っ払いに囲まれて育ちました
山の中やけどある程度街みたいな
ある程度街の駅近くの
なるほど
子供の時どんなことあったとか覚えてます?
どこからですか?
象徴的なエピソードがあれば
一番覚えてるのは4歳の時に車に跳ねられて
そこから記憶が
オリンピックのように4年に1回大怪我してるんで
その前後覚えてるみたいな
4歳で車に跳ねられて
次8歳ですか?
8歳の時は超ダサいんですけど
ドッジボールをしてて
みんなでぶつけ合ってる時
ラインを引いてある位置じゃなくてフリーのドッジボール
フリーのドッジボール?
なんとなくの
線引いてある中でやるんじゃなくて
体育館全部使って逃げながらやる
やってる時にシャーペンの芯を入れる
プラスチックのケースがあって
それを蓋取って吸ったら
真空状態になって下くっつくじゃないですか
これをくっつけて
ドッジボールとは別にそれが面白くて
それをドッジボールの最中に
友達がすごいなって見せてて
そっち球いったって振り向いた時にバーンと当たって
それが口の中で破裂して
病院に担ぎ込まれた
舌切ったら死ぬと思ったけど
死なないですね舌切ったくらい
時代劇でゲッて噛んで死ぬのあれは
切り落とすかなんかで
舌が裂けるくらいだと
人ってそこまで血も出ないし
口の中の傷なんで意外と治りが早かった
よかった
初めて聞くタイプの怪我の仕方
裏下がったままドッジボールをしてたっていう
ポケットに入ってたんですよね
しゃがんだ時になんか当たるなと思って痛いなと思って
プラスチックと思ってやって
なんで口に入れたのか分からないです
ポケットの邪魔じゃなくなりますもんね
ベラベラ打って真空になったやつをくっつけて
遊んでたら当たったっていう
小学校の時はちょっとおもろい子みたいな
ずっと足りない子なんですよ
表現が時代に合ってないかな
どうなんだろう
大丈夫です
ずっと足りない感じで
いろいろと足りない人生ですね
15:02
その後どういう風に進んでいくんですか
その後ですか
小学校でまた4年後
12歳もやばいんですよ
12歳の時もね
学校で文化祭ってあるじゃないですか
いろいろと絵を飾ったり
囚人を飾ったりとか体育館であったんですけど
最後取り外す時に囚人が飾ったところを
脚立で外すんですけど
何を持ったかそれがひらひらしないように
針金で留めたんですよ
長い針金で一本一本短冊のように
長さが1メートルぐらいのやつかな
それをバーって並んでる
それを外せばいいんだけど
外す時に針金を掴んで
結構持てたんですよ
これって人が乗れるかもしれへんと思って
それに針金を掴んで乗ってくぐって
ここに言葉書いてあるじゃないですか
今なんか忘れたけど
友達の書いた習字の言葉を読みながら
そこに唱えてそれを読みながら
誰の誰名何々みたいな
読みながらズレていって
端から行った時はまだ空気が近いから
止まってたんやけど
離れていくと真ん中からやったら
もうボヨンボヨンで
そこがちぎれて下に落ちたっていう
で頭切って
このままアーって
そんな小学校の時から
物作ったり
物はもちろん大好きですよ
絵描いたりとか
そうですね
でも壊す方が好きでしたね
ラジオとかカメラとか分解するのが
それこそ田舎なんで
山の方に朽ちた小屋とかあるじゃないですか
そういうのを一人でむしむし
外して壊すみたいな
結構でかめのやつを
そうそう
忍び込んだりとか
古い田舎なんで
廃村っていうのがあって
集団で山の中過ぎて
村を一気に降りて
人がいなくなって
ゴーストタウンみたいなのができるんですよ
山の中に
そこに行って
誰もいない集落の中を探検したりとか
して遊んでましたね
誰もいない集落解体してるのかと思って
もちろん
解体ももちろん
外れそうになってるのを追いかけていったら
どんどん外れていくじゃないですか
そういうのが気持ちいいとか面白いというか
解体してそれを使って
なんかとかじゃなくて
それを解体
その頃から古いものがすごい好きで
18:00
人の手垢が残ってるような
なんて言ったらいいんですかね
使い古したものがすごい好きなんですよ
なのでそういうところから
外してきたもので
自分のテーブル作ったりとか
勉強の
とか家のベッドを作り変えたりとかして
母親に気持ち悪いものを持ってくるなって
ずっと笑ってましたね
廃材とか
廃材大好きなんですよ
再生するとか
再生するとかいう感覚ではなくて
僕の中ではそれはもう
面白い素材なんですよね
だからプラスチックだろうが
鉄だろうがアルミだろうが
一個風化したら
すごいマットな雰囲気になってたりとか
色が塗ってあっても
それを剥げてカッコいいみたいな
ダメージ確保みたいな
だから自分でわざわざ塗って
それをやるのは大変じゃないですか
でもそれがもうそこにある
それでこういうものを作ったら
カッコいいっていうようなものを
子供の頃からずっと続けてて
それで今も続けてる感じなんですよ
だから区切りがない感じ
人生に
その時からすでに
カックになる部分は変わってないっていうか
そうですね
もう言い方おかしいけど
子供の頃の夢は
寄せ書きの夢は叶えてるんですよね
だから何か作ったり書いたりする人みたいな
寄せ書きに書いてて
そのまんま抽象的な人生を
別に画家とか造形作家っていうわけじゃなくて
何か作ったり書いたりみたいな
だからほんまに
なんていうんだろう
いませんでした?
同級生で漫画目とかを書いてくれる人
あれ書いてって
いましたね
それそれそれ
それを
こういう宇宙戦艦ヤマト書いてみたいな
どの角度のやつみたいな
そんな感じで書いたりとか
それが未だに続いてる感じですね
へー
なるほど
そんな小学生時代を過ごして
中高って感じですか?
そうですね
鳥取の地元の
そうですね
中学校とかどんな感じだったんですか?
中学校の頃はとにかく
昼寝と魚釣りが大好き
いい感じですね
とにかく恥ずかしいくらい生活ノート
結婚した時に嫁さんに見せたら
寝る釣りしか書いてないくらい
生活ノートっていうのは日記みたいな
つけろって言われてて
朝7時から始まるのかな
就寝までが
自分がどのように行動したかというのを
学校に提出するやつがあって
朝起きて魚釣り行って
それから学校行ってみたいな
部活もやってたんですけど
21:01
帰りに魚釣り行って帰るみたいな
夏休みとかになったら
そこに昼寝が入るみたいな
いいですね
山に行くのも魚釣りも楽しいんやけど
釣った魚をその場で
だから僕ら釣る対象が
ヤマメとかイワナの渓流魚なんで
それを釣って
醤油とか持って行ってさばいて
わさびとかも取って岩で吸って
岩のくぼみに醤油を入れて
みんなでつけて食べるみたいな
めっちゃいい生活してますね
で寝るみたいな
夕方になったら
昼間って釣れないんですよ
夕方になってまた魚が動き出して
また釣りするみたいな
周りみんなそんなノリやったんですか?
みんなっていうか
そんなノリの人と遊んでました
中学校とかだったら結構
勉強とか部活とか
そんな話も出てくると思うんですけど
部活もやってましたよもちろん
部活は何されてた?
部活はね
ピンポンが
ピンポンブ
卓球
卓球部が一番ゆっくりできる
と思って入ったんですけど
実は
うちらのこの学校って
田舎で陸上部とかがないんですよ
水泳部っていうそういう
普段クラスの成績のいい人が
そういう県大会とかの時に
招集されるみたいな
軍人のように
ずっと
僕はピンポンブなんやけど
下手に足が速かったんで
多分山に魚釣りで自転車食いきまくって
うろうろしてたんで
中距離の選手やってましたずっと
駅でずっと走ってました
なるほど
運動は結構得意な感じで?
得意っていうか
球数も少ないんで
とにかくやらされてたり
軍隊と一緒ですよ
本当に言われたらやらないといけないっていう
なるほど
そして高校へですか?
はい
高校も鳥取の?
そうですねもちろん
どんな感じの高校行ったんですか?
そうですね
いろいろあって失恋をしてしまって
中学校に
近所の軍部に住んでたんで
軍部の子が行く高校があったんですよ
でもそこ行くの嫌で
親にも内緒で進路を変えて
ちょっとヤンキー流行ってたんで
ちょっといかつい後半のとこに行こうと思って
工業高校に行ったんですよ
親にだいぶ怒られましたけどね
違う学校を受けてたんで
サプライズ受験やったり
そうなんです解体勝手に
工業高校は何かとか?
建築で
24:01
もともと家を解体するのが好きだったのがあったし
安藤忠夫さんって建築家と
あそこら辺が対等してきた頃ですよ
建築家っていうものが
アーティストと一緒ぐらいの目線で
語られるように
それまでも
もっと短芸建造さんとか
大御所はいてたんですけど
ちょうど僕らの世代から
設計師っていうものは
泥臭いとか一歩出たみたいな
雰囲気の
なって
それで建物も好きやったんで
行ったけどただのヤンキー学校でしたけど
どうしようもない
超ヤバい
ヤンキーじゃないのに
いろんなことに巻き込まれた
高校生活でしたね
どんな感じですか?
田舎の中学校から市内の高校に
電車じゃなくて汽車だったんですけどね
ディーゼル機関車で通うんですけど
僕は敬語というものを知らなくて
そんな山の中で遊んでた子なんで
自分の高校のヤンキーじゃなくて
別の高校のヤンキーに話しかけられて
タメ口を喋ってしまったわけですよ
え?何?みたいな
そしたら何言ってないやねん
何言ってないやねんって言ったら
もうポコポコですよ
列車の人も連れて行かれて
どういうことで初対面で
こんなポコポコにされるの?みたいな
地元にヤンキーはいなかったんですか?
僕本当に田舎なんで
4つ上でも5つ上でも
チャイン呼び?タメ口?
仲がいいというか
全員仲良くて
竜の刺繍とか付けてるような
俺姉ちゃん似てるんやけど
4つ上なんやけど
そのイカツイ人たちも
みんなタメ口で遊んでくれるような
何て言うやろ
イカツイけど
フレンドリーみたいな認識が
みんな幼馴染みたいな
そこまで怒ったら怖いけど
そんなそんなって思ってたのが
世の中が地元やなって
カルチャーショックですね
カルチャーショックですよね
知ってるほど初対面の人に殴られた
もう腫れてね
そんなに?
そうそうそうそう
でその後もうずっと目をつけられて
毎日ボコボコにされる
そりゃヤバいっすね
そうなんですよ
それが上手い具合に
で僕ボコボコになっても
親にバレないような
部活柔道部っていうのに入ってて
27:00
柔道部も入りたくなかったんですけど
ラッチされて
結構酷い目にやってますね高校
そうです
突然入学時に連れて行かれて
長い室にくくりつけられて
柔道部入るかみたいな
ひっくり返されて水溜りの上で
足を持ってやって
脅されて
いやいやいやって言って
ひっくり返されて
その柔道部の友達の
今も3年生の女子にくすぐられて
それで入るって言いましたね
そんなこんながあって
親にバレずずっと
元気に目をつけて
ボコボコにされる毎日を
続けてたんですよ
いつまでボコボコにされてたんですか?
入学して何ヶ月ぐらいだろう?
2、3ヶ月
結構長いっすね
そうなんです結構長い
しつこいのは娯楽がないんで
僕が下手に抵抗するんで
面白かったんでしょうね
それがある日
終わったのは
いろいろあったんですけど
途中もいろいろ
揉め事もいろいろありましたけど
仕返ししたりとか
うちの工業高校の偉い最初が
バレまして
うちの1年で
よそのヤンキー高校と
揉めてる奴がいるって言って
うちの3年生の偉い最に呼び出されて
どないなってんだよみたいな
お前何してんだよみたいな
いやいや高校でって
さっきの話をして
それはお前
なんで俺に言わへんにゃみたいな
その人が動いてくれて
で収まったんですけどね
その後の高校生活は
穏やかな感じで
ヤンキーばっかりなんでね
僕下手に柔道部なんでね
強くもないのに
何対何で何々するみたいな時に
合コンのように頭数合わせて
よく呼ばれていってましたね
めっちゃ標準服で1人だけ
染まってはなかったですか
ヤンキーはね
裏表ないんで僕好きなんだよ
自分のあだ名もね
すごいの考えるの一緒に考えて
それこそナイフがつくとか
綺麗だ何々みたいな
どう思うみたいな
それじゃ甘えんちゃうとか言って
ビーバップアイスクールとか見ながら
ヤンキーママにこういう名前
こんなので呼ばれたいとか言って
ほんまに?
マジで?じゃあ俺4になるわ
ヤンキーと遊びながら
魚釣りもしながら
学校の建築の方は
どんな感じで学んでたんですか
30:02
建築はすごい大好きですよ
1人真面目にやってましたね
また文化祭になるんですけど
真面目に模型とか図面を
みんなの分描いて作って
やってましたね
任せろみたいな感じで
授業はすごい楽しかったですか
授業は建築の実習とか図面とか
デザインとかで
技術上がっていくのが好きでしたね
昔CADとかないんで
レタリングって言って
文字1個作るのも
でっかい方眼用紙みたいなやつに
自分で書いて
それをカラス口って分かる?
カラス口?分からないです
なんて言ったらいいんだろう
カラスみたいな口
ステンレスの先が
ネジで緩んだり締まったりするんやけど
筆でも万年筆でも
表面張力で水分ついてるやつを
押して書くみたいな
筆もつけたら水分吸うでしょ
鳥のくちばしみたいになったやつがあって
それを液につけたら吸うんですよ
幅が広かったら
幅広の繊維がいけて
細かったら細いのみたいな
それを定規に
カラス口にガラス棒っていうのがあって
定規に溝があるやつに
箸のように2本持って
溝にガラス棒を置いて
カラス口で線を引くんですよ
真っ直ぐの線がきちっとした
そういうやつで図面を書くとか
デザインするっていうのは
すごい楽しいんやけど
ヤンキーはそんなのしたくないでしょ
何でも任せろって言って
やったるわみたいな
その時も結構将来は
建築家になろうと思って
勉強してたような
何をしたいっていうんじゃないけど
自分が作りたいものを作れるようになるのに
いろんな技術は欲しかったんですよ
いろんなところでバイトをしたりとか
親戚に板金屋がいるんで
板金叩くの教えてもらったりとか
田舎なんで小屋とかは
地元の人たちで建ててたんですよ
別に建築のプロじゃなくて
それ参加させてもらったりとか
いつか自分で自分の絵を
作りたいっていうのがあって
建築家になりたいとかじゃないんですよ
行った先で思いついた時に
もちろん建築だけじゃなくて
料理も好きでしたよ
だから行った先で
何にもないところで
これとこれ使って飯食えるとか
これとこれで建物を作れるとか
そういうことができるようになったら
より遊びの幅が広がるんではないのかという
自由に動けるんじゃないかっていう
めっちゃちっちゃい時から
そういう感じの自分で
33:00
作りたい人なんですけど
なんなんですかね
ルーツっていうか
なんでそういう人やったんですかね
早くに慰したんですけど
母方のじいちゃんが建具屋さんで
そのじいちゃんは
僕が物心ついた時には
もう引退してて
工房と道具と機械があるだけで
僕が見るときのおじいちゃんはいつも
僕遊びに行ったら
市場からハマチ買ってきて
刺身にしたりとか
エラのこの近くの
身のところとか兜は
荒焼きしてくれたりとか
時には骨の周りのところは
塩焼きでやってくれるような
あんまり物を作ってる姿は
見たことなかったんやけど
ある日行ったら
うちのおじいちゃんはこれ作ったんや
売ってあるような
ちゃんとした下駄箱とかって
おじいちゃん作れるわけないや
と言いながら
別の親戚の家に行ったら
あんたのおじいちゃんが
縦句作ってくれたり
おじいちゃん魚捌くのは
見たことないわとか
見たことないんやけど
おじいちゃんの残った木で
いろいろ作ってました
いくらでも道具使わせてくれる
なるほど
環境もあって
おじいちゃんの姿も見てて
おじいちゃんが作ってるのは
見てないんやけど
おじいちゃんが好きなように
道具を使わせてくれたり
大工道具とか木とかも
切ったりとか
なるほど
その影響が
ずっと続いてるみたいな
影響が続いてるんですかね
わかんないんですけど
何かを
これっていうものを作るのが
楽しいというよりも
あるものとか
いろんなものを使って
何かをっていうのが
何かを構築するのは好きですね
だから
出来上がったところは
あんまり面白くなくて
だから
源次郎君のお店とか作ったりしても
出だしの奥グッて回すとこ
いるじゃないですか
回り出すまでが好きですね
だからここもね
今日通夜帰れてるんですけど
オープンしてから一切来ないですからね
何か誰かが得体の知れない
何かに挑戦するっていうのを
言ったらもうワクワクしますね
だからバクースも出だしで
秋さんが
こういう風にやっていきたいや
っていう話を聞いて
そんなの今までなかったし
そんなのが実現できるのかみたいな
ほら面白そうだ
やりたいっていう感じで
36:01
なるほど
そして高校を経て
大学は大阪芸術大学
大阪芸術大学
そうなんですよ
行くんですけど
建築系じゃなくて芸術の
建築系で
芸術大学の建築学科みたいな
そうなんですよ
みんながね
就職活動をするんですよ
就職活動とか
全然頭に無かった
どうしようぐらいで
それで進路指導室に行ったら
みんな就職先とか
進学した閲覧のね
ファイルあるじゃないですか
あれ見てて
すごい昔に大阪芸大
って言った人がいるんですよ
そんなの行けるんや
こっからみたいな
それで受けたら受かったみたいな
大阪芸術大学って
国公立の
全然全然私立の
そうなんですね
バカばっかりでしたよね
当時は
アートというものが
市民権を得てなかったんでね
ちゃんとお金を稼ぐ人
どちらかというとヤクザみたいな
誰かのお金で何かをするとか
死んでから売れるみたいな
なんていうんやろ
発表する場所もそんなないです
今やったらね
いろんなとこで自分の作品を
SNS使って発表とかできる
昔はもう
金積んでやらないと
全部無理みたいな
場所も買えるのも金積まなあかんし
宣伝するのも金積まなあかんし
ハードルの高い
本当にバカしか言ってなかった
売れられる人は
アーティストなんか目指さない
その時のうっきぃさんの
モチベーションとしては
大学でまた建築のことを
勉強して
これもまだね
みんな卒業するにあたって
就職先決めてるじゃないですか
どうもイメージできなくて
夏休みに
自転車で
古い物好きって言ったじゃないですか
奈良の神社仏閣
小学校の修学旅行
すごい記憶に残ってて
行きたいなと思って
自転車で回りに行ったんですよ
夏休みかけて
見て帰ってきて
川崎の方とかも自転車で走ってきて
近く行きたいなと思ってて
でも奈良の神社仏閣の近くに
行きたいっていうことで
どういう職業に就いていいか
分からなくて
どうしようと思ってた
大阪芸術大学
奈良よりの田舎で
これいいじゃんと思って
当時は
僕もバカだったんで
大学受験するって言ったら
お父ちゃんもお母ちゃんも喜んじゃって
お金いくらでも出すから
落ちるのは
落ちてもいいしと思って
39:00
冗談半分で
卒業旅行じゃないけど
狭い鳥取の
さらに狭い谷合から
出れるじゃないですか
ホテルも
雨村の近い
南のど真ん中にとって
午前中は試験して
試験受けて
午後は
ポパイとか当時ホットドッグとか
雑誌に載ってた
古着のお店バーはローぐらいで
行ったら受かったんですよ
建築だけやったら
長居できなかったんで
建築と環境計画
2つ受けたら
10日ぐらい入れたんで
ずっと
ある程度そこに対して
真面目に勉強したりとか
いや一切してなかったですね
だから本当に絵を描くのは
好きだったけど
アトリエに習いに行くとかは
なかったんですよ
その代わり絵を描くのが好きなんで
テストとか受けるでしょ
その裏にデッサン
友達の姿とかを描いたら
バカやけどテストもらえるっていう
今じゃありえないんですけどね
それ大学受験で
大学受験で高校時代
そんな感じで絵を描いてた感じで
はいはいはい
小学校の時もそうなの
小学校の時は辛押しで
線の付いてるやつ使ってた
中学校から落書き帳が好きで
何やるのも落書き帳を持って
はい
ノートを取るの
この線のないやつ
絵があって
英語の文字があってとか
絵があって文字があるのが
すごい好きで
かっこいいわみたいな
そういうノートの取り方
ずっとしてました
高校になってからは
ちゃんとスケッチブックに
書くようにしてやってたら
最初は怒られたりとか
いろいろあったんですけど
その権利を得て
ずっと描いてました
芸内の試験も実技やったから
そうなんです
いけたみたいな
スケッチと論文とデッサンかな
はいはいはい
なるほど
面接か
論文スケッチと面接ですね
見事合格して
合格しちゃったんです
大阪へ
どうでした?大学生活は
もう楽しかったですね
芸内ちゃんと一緒で
モトクロスにハマって
当時僕が出てたレースの
いかつい人たちに
芸内は出てたんですよ
ちゃんとバッグについてね
ショップがバッグについて
その前座の素人レース
僕出てたっていう
え〜それ〜みたいな
そんな偶然が
芸内ちゃん出てたみたいな
あのいかついやつに
42:00
乗ってたチームのとこ
そっちのレースに
芸内ちゃん出てたんよ
モトクロスは何きっかけで
始めたんですか?
入った寮がね
バイクが好きな人たちしか
いない寮やって
先輩方が全員バイクいじってて
僕もバイク好きやったんで
バイクすぐ買って
乗り出したんですけど
モトクロスやってる先輩が
僕その先輩に
めっちゃ影響を受けてますわ
人生
写真学科のね
僕は1年の時の4年の人だったんですけど
その人がもう自由奔放な人で
ある意味ここに到達したい
っていうところにいてる人で
へ〜
今もちょうど
行きたいところを先行ってる
みたいな感じの人なんですか?
今はねどうなんか分かんないですけどね
テレビ局に就職しちゃったんで
多分カメラマンかな
そうでその人が
なんかすごいんですよ
僕の中でも神様みたいな人で
どういう人なんですか?
えーっとね
アートというか
芸術とは何かを
多分その人は僕に教えるともなく
教えてくれた人で
その人は作品を作る時に
いつも誘ってくれるんですよ
でそれが苦しいものではなくて
ワクワクするものを
ずっと作り続けるんです
でその人の芸風というか
その写真っていうのは
そのポートレートみたいにね
誰かを撮るとかいうんじゃなくて
ちょっと凝って自分で何か手を加えたものを
撮ると
でその撮ったフィルムをまた傷つけるとか
原造液に何かを入れて混ぜて
もう実験的なことばっかりやってるんですよ
普通に撮っても上手い人だったんですけど
とにかくもうギリギリまでやって
課題提出に間に合わないぐらい
いじり倒すような
へ〜
人で
僕その
やってて
間に合わせるのが
いいと思ってたんですよ
ものって作るもの
表現したって
間に合わせなきゃいけないと思ってた
その人とずっと言ってるうちに
ずっと実験してていいんやっていう
あそうかって
アーティストなんか間に合わせるために
やるもんじゃないなみたいな
だから通過点っていう方は偉そうなんですけど
今やってることっていうのは
先生とか学校のあれで
決めたもので
間に合わせなくてもいいんや
っていう
ここで何か次のひらめきがあったら
変えていいんやっていう
時間軸を変えてくれたっていうか
大体その
ちゃんと約束を守るとか
時間を守るとか
すごい大切なことだと思うんですけど
アートの世界って多分違うんですよ
表現者っていうのは
多分それとは違う
やり直ししないといけないと思うんですけど
岡本太郎の本読んでもらったら
多分ピカソとかでも
わかると思うんですけど
45:02
何ていうんやろ
その時間を外すとか
ルールを外すとか
やっぱりその目線を変えるっていうのが
どうやら
僕らが認めてもらう
要は仕事
結局後で振り返った時に
そのクオリティもあるんですけど
この映画
この時期にこんなのすごい
っていうのがあるんやけど
それって振り返った時に
一緒のことをやってたら
すごいにならないんですよね
そこで外れてておかしい
一旦
醜いアヒルノコじゃないけど
そこで何かおかしいって思いながらも
自分の面白いに忠実だった人が
後から見た時に
この時代にこういう仕事してたんやって
多分なるんですよ
だからそういう
何ていうんやろ
ものづくりに
純じる
純じるっていうのおかしいですけど
何て言ったらいいんだろう
ものづくりをやる
その人間が落ちりやすい
何て言ったらいい
クオリティだけを高めるというか
そこから
いち早く救ってくれたのは
小寺さんっていうんですけど
そこから楽でしたね
ものを作るのがものすごい楽しいですね
その概念を
変えるというか
外すというか
外してもらって
こういうことが僕の求めてたことやったんや
何者にもならない
その時は
そのオンタイムで
自分が生きてる時には
何者になってなくてもいいぐらいの勢いで
何かものづくりに
純じれたらいいのかなっていうのが
あの人何してんねんやろぐらいの
だから最初会った時の褒め言葉なんですよ
何してる人か聞きたいっていう
なるほど
裾野を広げるので
いっぱいいっぱいですねまだまだ
積むとかじゃないですよね
まだ広げてみて置いて
いやちゃうって散らかしてる感じで
だから根性で成し遂げなくてもいいかなぐらい
そうなんですね
これっていうのが
ないというか
何かに繋がるようなことであればって感じですか
そうですそうです
最後本当にいい感じで
もう憧れですよ
何か食べ残して
玉ねぎ芽出てきて
もう食べられへんわっていうのを
ゴミ箱じゃなくて
何か捨てられて
そこから
それが腐って芽出なくてもよくて
それが腐って何か他の雑草でも生えてくれるぐらいの
扱いを受けれる人間になったらいいかなっていう
肥やし
ちゃんと肥やしになりたいっていうか
48:00
そういうところを見てる子
いるのかいないのか分かんないけど
かつての僕みたいな人がいてた時に
僕が出会った小寺さんのような感じで
いてたんやこんな人みたいな
誰がどうとかは説明しないんですけど
昔の原始時代
って呼ばれる時代の
絵とか立体とか
そういうものに思いを馳せた時に
何か通ずるものとかが
あったりとかして
これは学術的にはこう言われてるけど
違うわなみたいな
何て言ったらいいんだろう
バトンじゃないけど
繋がってくる
世の中で評価されなかった作家さんの
作品とかでも
この時点でこの人
評価された人にこの時点でこの人
これをやってるんだよみたいな
なんなんやろ
こんだけ自由にものを作ってたんや
っていう考えの
きっかけになったのが
先輩っていう
岡本太郎
岡本太郎って知ってます?
太陽の塔の
僕がちょうど
小中の頃っていうのは
前世紀で
テレビに引っ張りだことあったんですよ
芸術は爆発だみたいな
芸術は爆発だっていうのが
面白おかしく
テレビで取り上げられてて
意味を分かってなかったんですけど
その
高校生になって
建築なんで専門書があるじゃないですか
建築学科の専門書を置いてあるところに行ったら
新建築っていう本があって
今でもあるのかなどうなのかな
そこにコラムを書いてあったんですよ
建物っていうのは
今でも答え出てないんですけど
モニュメントかシェルターかっていう
論争があるんですよ
身を守るための
シェルターとしてなのか
誰か何かを伝えるための
モニュメントとして残したのか
どっちや
どっちで残ってる建造物というのは
っていうのを岡本太郎が書いてて
それはもちろんシェルターちゃうやろっていう
言い切ってるんですよ
そんなにもめてるのに
今でも答え出てない
だってシェルターやったら
木陰でやったらホラーなのでよかった
わざわざ立体して立ち上げる
それを掘り込む
今みたいに道具がないのに
わざわざ
当時やったら
火とかも贈り物じゃないですか
自分で起こせない雷の火を
そのまま絶やさないように絶やさないように
火種は絶やさないようにやってた頃に
火とか使って
水で冷やして割った後
出てきたりとか
そんな大事なものを使ってまで
何を残そうとしたのか
51:01
それはモニュメント以外
何ものでもないみたいな
なんでこんな話になったんだっけ
その影響を受けた
その考え方っていうのが
僕ら目的が何かで作るじゃないですか
目的が
ありきですよね
実はその答えが出てないものを
目的がさぞあるように
決まってるようにやってただけ
その答えが出てないのに
建築とはとか書いてない
岡本太郎の前のコラムには
答え出てないのに
そんなの書くんやみたいな
根本なとこついてあるんです
岡本太郎に
皆方の細かさもそうなんですけどね
影響を受けた
すげえ
でもありきじゃなくて