1. kisenradio
  2. episode.73 小林健太郎さん 後編
episode.73 小林健太郎さん 後編
2025-09-17 1:06:26

episode.73 小林健太郎さん 後編

spotify apple_podcasts

episode.73 小林健太郎さん 後編


ゲスト▷ 小林健太郎さん

ねずみのひきだし/danchi complex


今回のゲストはグラフィックデザイナー、画家、シンガーソングライターの小林健太郎さんです。

パートナーみなさんにも収録に参加してもらっています。


どうぞお聴きください💁‍♂️


talk topics


東京/よりを戻す&バンド結成/解散/ねずみのひきだし/人のために生きよう/和歌山へ/ゆうみちゃん/日常の生活感のうえにある


番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。


kisen radioはApple Podcast/Spotify/Anchorなど各種音声配信サービスから聴くことができます。


「kisen radio」で検索よろしくお願いします📲

プロフィールのリンクからも聴けます💁‍♂️

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:20
いやけど、状況編ですね。
状況編。
あんま明るい話題がずっとない。
え?状況編もないんですか?
ないですね。
まず、状況してシェアハウス。
状況してシェアハウス。
国立やろ。
国立で5人で住んでたんですけど、
漫画家さんと美術家の子と起業しようかなってことを5人で。
ちょっとした時はそう的な。
2人だけ。
漫画は。
そうですね。
やったんですけど、全然うまくいかなかったですね。
やっぱり一人で行くと。
一人で行ってまず何をしたんですか?音楽活動っていうのは。
本当はバンド活動がしたかったので、ベースとドラムを見つけるっていうことが目的で。
もちろん職場でも音楽やってないですかとかは声かけつつなんですけど。
ライブハウスでオープンマイクっていう。
職場で音楽やってないですかって確率低すぎるように。
遠くだと結構いらっしゃるはずなんですよね。
本当はバイトしててフリーギターでバンドマンはいるはずなんで駆けてたんですけど。
なかなか見つからず。
オープンマイクっていう誰でも飛び入り参加できるイベントに仕方ないのでアコースティックギター1本持って弾き語りで行って。
誰かいい人いないかなと思って行くんですけど。
周りもアコースティックギター1本で弾き語りに来てるんですよね。
あとはDJとかヒップホップ打ち込みでやる方とか。
一人で来られる方が多くて。
あとは趣味でやられてるおじさんの方とかが多いので出会えずにまた一人で帰るっていう生活が1年くらいあって。
その間に妻とまた出会ったんですよ。
上京してから1年の時に別れてから別れっぱなしだったんですか?
別れっぱなしです。
連絡取り合ったりもそんなに?
年に1回。
展示場見に行ったりとか?
そう、私が展示したの見に来てくれたり。
機会あってそれこそホームカミングスのライブ誘ってもらったりとか。
ゲストで行けるしどう?みたいな。
そう、とかぐらいでしたね。
03:02
私はもうその間ずっと京都に住み続けてました。
で、何かきっかけで。
共通の知り合いが間を持つから。
戻ってくれて、結局また会うことになって仲良いより戻ったって感じです。
2年半くらい遠距離しました。
東京京都で。
1年経つくらいの時に京都帰ろうと思ったんですよ。
何もできてないし。
それやったらまた京都でバンドやった方がまだマシやな。
しかもみなさんもいるので。
修職もしてしまって京都で生きるのもアリなんじゃないかと考え。
就活用の写真まで撮ったもんね。
ハローワークも京都で行って準備しだしたんですけど。
1年経つくらいの時に大学の同級生の子が東京に引っ越してくることになったんです。
県音楽部の子やったんで。
その子がベースもドラムも大学時代はやってた子で。
引っ越しを手伝うことになったんですけど。
高速道路その子が運転してて、私が助手席にいてる時に。
京都帰ろうと思ってるんだよなって言ったら。
俺東京で小林さんとバンドできるんかなと思ってたけどって言われて。
ちょっとやってみようかなと思って。
結局みなさんに申し訳ないんですけど、残りますと言って。
また傷つけ。
せっかく帰ってくると思ったのにとか思ったんですけど。
しゃあないかっていうか。
結局そっちやってる方が楽しそうやし。
やりたかったんでね。
私もちょうど卒業してから京都の大学の中で働いてたんですよ。
美術大学の中で教務助手みたいなポジションでずっと働いてて。
それをしながら制作活動とか続けてたんですけど。
美大の中でしか働いてなかったから。
ちょっとそれも若干窮屈になってきたとこだったんで。
もう京都もそろそろいいかなと思って東京行こうかなと思って東京行ったって感じですかね。
ありがとうございます。
バンド仲間も来て、皆さんも来て、改めて東京で頑張るぞって感じで。
バンドを頑張ってやってましたね。
そのドラムの子が来てくれて、まず2人で始めて。
やっぱり2人でライブハウスで出すと紹介があるというか、ベースいるよみたいな感じで。
割とすぐにベースの子も入ってくれて。
そっから3ピースバンドで5年くらい経ちました。
06:02
今考えたら短いんですけど、5年くらいは必死に頑張って活動しましたね。
その時どんな音楽をやってたんですか。
ロックバンド。
ロックバンドという言葉が便利すぎるのでそう言ってしまうんですけど。
根っこはフォークソングとか一人で弾くことがあるので。
歌詞を書くこともすごく重要というか、自分の中では自己表現としてある上にバンドの音が乗っている。
歌の都というバンドをやってたんですけど。
YouTubeにあるのでよかったか。
チェックしておきます。
聴いてください。
今年の5月に、もう解散して5年やったんですけど。
そのライブハウスの30周年の企画に呼んでくださった時の映像があるので。
皆様ぜひって感じで。
すごい良いライブでした。
説明が難しいので、結局映像を見ていただくことに終始してしまうんですけど。
音楽活動の頑張り方というか、どういうことをするんですかね。
まずやっぱりアホなのでライブをたくさんしだすんですよね。
賢い方はもっと計画的にするんですけど。
ライブをたくさん私たちがしだして。
そして音源を作って。
自主企画ライブみたいなのをして。
企画ライブをどんどん売っていったり、イベントを出してもらったり。
っていうのを続けてたっていう感じですね。
計画性なく今やりたいことできることをやっていたので。
それは売れへんわって今考えたら思うんですけど。
そうなんですか。
売れへんわというか、パンがつかなかったよね。
売れる手法ではなかった。
でもライブハウスの人とはすごい信頼関係は築いていってたって感じですかね。
30周年のさっきの企画とかも、メジャーのアーティストとかも出てたんですけど。
そういうのにも呼んでくださるぐらい。
グリムスパンキーとかと対バンさせてもらいましたね。
今年の5月。
ライブハウスの人には可愛がってもらってたんですけど。
パンはあんまりできずに。
売れる正規ルートというか、今にしてもこういうやり方、賢いなバンドってどんなことをするんですか。
結構最近の若手のバンドの子は多いんですけど、音源は絶対に活動前に作ってるんですよね。
でもミュージックビデオを撮っていて、初ライブしますっていう前にミュージックビデオも音源も公開してて。
まず集客を得れる状態を作ってますね。
09:00
まずライブではないって感じ。
先にファンがついてる状態から活動。
やっぱりサブスクもたくさんあるので、聞いてもらえる機会も多いし、YouTubeもあるので。
そこをうまく活用されてる方がちゃんとうまいこと言ってるなという印象。
途中まではって感じです。
当時はSNSとかサブスクもそんなに、何年前ですか。
2015、6、7、8とか。
あったのはあったと思うんですけど、あんまりみんなやってなかったですね。
サブスクも配信とかは。
YouTubeもやってるとまだ結構いたがられるぐらいというか、YouTuber笑いみたいなぐらいやったかも。
だからライブ映像だけパンパン、ポンってあげておくのはいいんですけど。
ガッツリやるとかではなかったんですかね。
仕事しつつライブしまくってみたいな感じだったんですかね。
もうずっとフリーターでした。
いろいろ本屋さん、喫茶店、バスの送迎、ジム、銀座のショップ店員、絵描き教室、いろいろやりました。
音楽でやっていくためにって感じだったんですかね。
そうなんですけど、29歳の時にベースの子が俺の中のカエルバってなったんですよ。
中のが実家の子だったんですけど。
29って割とそういう年齢というか、30目前で人生どうしようっていうのもあったと思うんですけど。
そのベースの子が抜けたのもあったし、企画バンバン打ちすぎたのもあって、どんどんお客さんが減っていってたんですよ。
逆に。
毎回呼んで呼んで呼びまくって、また来てくれるとはやっぱりならなくて。
感覚を上げずにやりまくってたので、お客さんも最後ゼロ人やったんですよ。
それが結構衝撃で。
ゼロ人結構暗いそうですね。
昼のイベントやったんですけど、ゼロやってなって。
多分それもベースの子があったんじゃないかなと思うんですけど。
実家帰るわってなって、また2人になって。
2人になってから、ベースの人サポートで入ってもらって、3人でやってたんですけど。
サポートの方ってしっかりギャラを支払いしないといけないんですよね。
毎回ライブのためにギャラが入ってもその子に渡す。
ちゃんと値段は決めてたんですけど。
金銭的にも結構バンド活動がなかなか大変にもなってきて。
その後どんどんピリピリしてたんですよね。
12:01
お前必死でなくらいみたいな。お互いにメンバー2人なんで。
お前やる気あんのかみたいな。
最後も結構喧嘩みたいになってきて。
解散しようっていう感じで解散しましたね。
19歳の時だと思うんですけど。
その5年間結構手応えは全然なくみたいな感じだったんですか?
今考えると、当時の一緒に組んでもらってたライブとか雰囲気見ると
全然続けてれば仲良かったんじゃないのって。
今当時の自分を見ると思うんですけど。
やっぱりその時の自分はすぐ横にホームカミングスがいて
毎年フジロックに出て行って、レッドマーキーとかにも出るようになって
アニメの映画の取材家をやりだして、メジャーになってっていうのを横でずっと見てたので
足りてなさすぎたんですよね。自分の成長というかバンドの感じが。
それはどんどん自分も追い込むし、良くないことになってましたね。
石小尻先生の横を見るとめちゃくちゃ今思うんですけど。
なるほど。終わった時どうでした?
すがすがしかったですね。終わったというか、解散しようって言うと
まだ仲良くなったんですよ。もうあと一回やるだけだし終わりや。
真剣にやる必要がなくなるというか、ガチガチに練習でそこちゃうやろとか
もっとこうしようみたいなことがなくなるんですけど、楽しいなって。
友達とバンドを組んだっていうことに戻って、最後解散ライブができたので
良かったなって。やって良かったな、楽しかったなって。
割とやり切れたなって思えたんですよ。もっとできたんじゃないかっていうよりは
自分にしては頑張ったな、良くやったな。お疲れ、終わりって感じで。
その時に次のことって何か考えてたんですか?バンド辞めたら何しようみたいな。
就職とかだったんですかね。何しよう、あんま思ってなかったかもしれないですね。
もう音楽もちょっと真剣にやることはもういいやというか
売れるためとか評価っていうものを軸に置く必要はないなっていうのはなくなったので
だらだら自己表現として自分の音楽作ってしたらいいやと思ってたので
今後は生活をするというかちゃんとリーターではなく
生きていくことに身を向け出したのがやっとその辺ですね。
15:06
なるほど。それをずっと見てた皆さんはどうでした?
大変でした。
そうなんですよね。
ライブした後は大体打ち上げがあるから悪いライブの日はめちゃめちゃベロベロになって帰ってくるんですよ。
荒れてんなみたいな。荒れてんなやし。
夜中に突然ライブ一緒に来た人とか家連れて帰ってくるし、夜の12時とかに。
今みたいに部屋も広くなくて2部屋くらいしかなくて
私が寝てる横で誰か飲んでるなみたいなとかもあったし
やっぱりこう生きていくためにバイトもしないといけないから
掛け餅とかもやってたんですよ。途中契約社員とかもやったりとかして
そうしたらやっぱりなんか自立神経やっちゃって
途中で仕事行けなくなっちゃったりとかして
この後死ぬかなみたいなとかもあったりとか
そっちの方が結構大変やったなっていう思い出があって
家帰ったらおらんし
どこ行ったんやみたいな。今日絶対休みのはずやけどなみたいな
探しに行ったら踏切の前におって
え、やばい死ぬやん死ぬやんみたいな
え、待って待ってみたいな
ドラマかよみたいな。嘘なんですか
はいはいはいみたいな。はい帰ろう帰ろうみたいな
踏切から離れてくださいみたいなとかもあったし
ほんま記憶ないんですよね
辛い思い出やから記憶ないんですよね
あんま覚えてなくて
私は結構それが必至やったかな
結婚して1年か2年ぐらいでそれやったから
すごいわ
で東京来て1,2年目やったし
それも割ときつかったんですけど
でもまあなんか何とかなりましたね
そうそうそう
で、でもやっぱり作ってる音楽は
よくいい、私はいいなって思ってたんで
なんかバンド活動はやめろとは一切思わなかったし
やめたほうがおもんないからやめんなと思ってましたね
私も言ってそんなずっと安定した職にはずっとついてないんで
自分もその美術活動を東京に行ってからも
ゆるくですけど続けてはいたんで
だからあんまり人のことも言えへんしっていうのがありましたかね
ありがとうございます
結構バンド期間はメンタル的にもきつい状態で
18:02
頭が上がらないです
いやいやいや
でも確かに結構無鉄砲な感じでやってたんかなとは思うことも
旗から見てては思いましたかね
なんか本当にそれこそさっき言ってたみたいに
ライブそこまでやる必要あるかとか
なんかこうライブハウスの人とすごい仲良くて
仲良くはなるけど
なんかこうただ音楽を純粋に見に来てくれてるお客さんはいるかとか
やっぱライブハウスって音楽好きな人が勝手に集まってきはするから
なんかこう太くて多数の方が見てくれる場所ではあるから
していく意味はあるんでしょうけど
結局それを繰り返し見てくれる人がないと意味はないなぁと思ってたんで
大丈夫かなと思いつつ
でも別に私が口出すことでもないしなぁと思って
もうただただ見守ってたって感じです
そうなります
っていう感じでしたね
当時
なるほど
じゃあそっからですね
そっからですね
出会いがあったこと
朝起きた一生が
生まれたこと愛しい
悲しいことはいつか別れがあること
人はみんな星になる
仕方ないなんて思えないや
君の
伝うことがあっても
日々を懸命に生きていく
君と会いに来ていく
何年たったのに
適度な運動と
本を読んで食事を取ろう
理想はない
今日と繋がってる
生活続く
知らない場所で
幸せなことは
食卓
一輪が咲いている
横に一輪添える
21:04
嬉しいことは
今日となりにいれること
考えてきた言葉を
目の前で話せること
君の
伝うことに
日々を丁寧に
紡いでいく
君と会いに来ていく
何年たったのに
君の
適度な運動と
本を読んで食事を取ろう
理想はない
知らない場所で
理想のずらしだ
今日無し
今日と繋がる
生活続いていく
たまに遊び感覚で出たりしてたんですけど
その時に皆さんに
2人で一回やってみるみたいな
提案をして
歌を歌うみたいな話をして
ネズミの引き出しをね
始めたのは
やりました
言っていただいて
あれはコロナの時期だったかな
コロナ前だと思う
19年
宅録とかもやり始めた時期
そうですね
暇になった
バンドの時間がなくなったんで
あとあれだよね
職業訓練校通い始めた
まだか
すいません話
ありしちゃった
仕事しつつ
空いた時間で
自己表現的な感じで
音楽はずっと継続して
皆さんも加わって
でも本当に私は
年に1回とか
そんな全然
3回東京でライブ
東京にいた時は3回だけ
ライブハウスでやらせてもらいました
24:00
けど本当に
お遊び
お遊びです
楽しく音楽ができるようになったので
楽しくやってましたね
皆さんの歌めっちゃいい声なんですけど
ありがとうございます
そんなんて
けんたろさんもずっと
思ってて誘ったって感じですか?
いや普通にそんなことないと思います
歌は好きなんですよ
歌うことは
上手なのも知ってたので
なんかいい感じにならへんかなっていうのは
どことなく思いながら
家でずっと練習するんで
私も勝手にずっと聴いてるんで
勝手に歌えるようになるから
私も歌ったりするから
その延長戦という感覚
そうですね自分でも知ってくれてる人
だから練習がそんなになくても
パッと合わせたら歌えるっていう
人だったっていうのも
ですかね?
ありますね
でした
なるほど
そこから生活はどういう風に
えっとですね
29歳の2020年ですよね
コロナがやってきまして
その時に祖母が
この家の主だった
祖母が入院したっていう
連絡が来て
私はその祖母のことが
すごい大好きだったんですよ
小学校の時は祖母に
けんちゃん手相を見せてって言われて
手相を見せたら
けんちゃん30歳で死ぬわとか
言うような
読むような
おもろいおばあちゃん
私も結婚の挨拶を
正月にしに来た時に
この家の住居が2階にあるんですけど
2階から
けんちゃんよう来たなって
手を振ってくれたと思って
なんかパーンって掘ったんですよ
そしたら猫が捕まえてきたネズミを
めっちゃ2階から掘ってて
スズメを掘って
初対面でそれ見てるんで
めっちゃファンキーな
面白いおばあちゃんだったんで
会いに行きたかったんですよね
でもコロナで
行っても会えないとか
まず和歌山に行ってはいけない
東京でではいけない時で
何ができるのやろって
考えた時に
おばあちゃんっていう曲を作ってたので
その曲をちゃんとレコーディングして
病院父母とかに渡して
聞いてもらおう
おばあちゃん聞いてもらおうと思ったんです
それが3月の末ぐらいに
思ってよしレコーディングするぞって
思ったら4月1日に
祖母が亡くなったんですよね
その時に
27:00
すごい喪失感で
すごく後悔もしたんです同時に
人生であんまり後悔してないんですけど
後悔しないように生きてきてたんですけど
音源を聞いてもらえなかったこともそうですし
会えなかったこともそうなんですけど
もう最後に会えたのが
亡くなる3、4年前とかで
その時に最後におばあちゃんに
交わした言葉が
東京で絶対売れてくるからねみたいな
約束をして
別れてたのもあって
余計に約束も果たせなかったし
後悔の念がすごくて
なんでそういう方向に
自分の感覚が行ったのかわからないんですけど
自分の人生って思うのやめようって思ったんですよ
人のために生きようって思ったんですよね
その時に始めて
これからの人生は
大事な人とか家族とか友人とかが
楽しく幸せになってもらえるような
生き方をしようって
その時に思って
そこから
今できることは何だろうって思ったら
コロナとかもあったし
いろんな社会情勢の不安なこととかがあったので
初めて自分で
小林健太郎として
アルバムの本音を
不安なことなくなるようにっていうタイトルなんですけど
をネコニングして発表したのが
コロナの年
それと同時に
仕事の方に話になるんですけど
人のためにできることって何だろうって思うと
今まで絵画表現とかって
展示はしてたんですけど
あんまり人のためになるような感覚が
そんなになかったんですよね
展示来てくださってる方ぐらい
あんまり人の目についてないなってのもあったので
もっとイラストとか
デザインの方面の方が
多くの人に喜んでもらえたり楽しんでもらえたりするんじゃないかなっていうのもあって
そこからデザインをもっと勉強しようっていうか
デザイナーとして
頑張っていこうと思って
そっちに行った感じですね
その前までの意識は
どういう感じだったんですか
自分が納得できるようにみたいな
方にベクトルが行ってたっていう
自分がやりたいことを
自分勝手に
生きてきたなという感覚です
自分が売れたいから
30:01
評価されたいから東京で
バンド活動してるし
でもおかげさまで
両親とかに会えるの
友達とかに会えるのも年に一回ぐらいやし
じゃあこれからあと何回会えるんだろうとかも
その時に初めて考えだして
そんなことも考えてなかったというか
あと何回会えるんだろうとかも
自分の人生ばっかりでした
そこからも東京生活はしばらく
また続く感じなんですかね
2年間かな
そこで初期は訓練校に行って
デザインを1年間がっつり
そのままグラフィックデザイナーとして
神奈川県の?
県社員なんですけど
神奈川の鎌倉のお菓子屋さん
メーカーの企業に
デザイナーとして勤めさせていただいて
1年そこで勤務させていただいたんですけど
ここの空き家の問題とか
ダンクンっていう
ネズミの引き出しの生活大切っていうアルバムの
ジャケットにもなっている
白黒の猫ちゃんなんですけど
その子が祖母が亡くなってから
ずっとこの家で一人で生活してたんです
なのでダンの行方とかも
いろいろ重なって
あと人のために生きていきたいっていうのもあったし
あったので家族とか地元の
友達の近くにいたいなっていうのもあって
2年半前に和歌山に帰ってきました
帰ってきました
なるほど
ちなみにそのお菓子のお店っていうのは
なんていうとこですか
パッケージとか
パッケージとかそうですね
お店のテントのフライヤーとか
ホームページのバナーとか
オンラインショップのなんやかんやとか
グラフィック面をほぼ全部って書いてあるんですけど
鎌倉ベニヤさんっていうお菓子屋さんで
くるみっこっていう商品が有名なんですけど
山登る方とかも結構1個で栄養価が高いとかで
キャラメルとくるみが入ってて
人気みたいな
鎌倉で山行く人も多いですからね
そうなんですね
いろいろお菓子屋さんで勤めてました
そして和歌山生活が
和歌山生活がスタートします
どうでしたか久々の和歌山は
知らんとこいっぱい増えてるなみたいな感じかな
私は有田の湯浅出身だったので
和歌山市内に住むこと自体が
結構新鮮やったというか
33:01
だったんで
面白かったですね
帰ってきた時は
大学の時から
ロースターズさんにはちょこちょこ
行ってたんで
帰ってきたら
ロースターズさんで
高校の時の同級生のゆうみちゃんが
スタッフとして働いて
嬉しかったです
久しぶりに会えて
彼女になんか
彼女も人脈が広いというか
顔が広いので
いろいろ紹介していただいたり
教えていただいたりして
最初の1年くらいは
いろんな人とお知り合いになれたらいいな
っていう気持ちで
私はいろいろ出向いてたんですけど
けんたろうさんは
そのまま
鎌倉ビニアさんのお仕事を
継続させてもらえたので
プロリモートで
今年の4月まで
もうお家で
仕事仕事の日々
って感じだったかな
あとはこの家が
仮面真っ白なんですけど
もう来た時は
むっちゃボロボロで
床とかも昔って何やろうな
このじゅうたんの床とかわかります?
じゅうたんの床って
公民館みたいな
猫のゲロやら
いろんなシミやら
とかがあって
ヤニとかもな
まずこの家を
綺麗にせなあかんとこからが
スタートやったんで
それが結構最初むっちゃきつくて
1、2ヶ月ね
それ家DIYしながら
けんたろうさんは
日中お家で仕事しながら
みたいな
感じで
生きてたかな
そうですね
私は当初の目的通り
家族に頻繁に会うように
したりとか
友人に連絡取って会ったりとか
押しつつ
なんかのんびり
自分で音楽作って
配信だけしよっかな
っていう程度の
イメージで過ごしてましたね
過ごしてましたね
じゃあもうその時から
フリーランスのデザイナーとして
仕事してるみたいな感じなんですかね
その時はまだ一応
一応派遣社員のまま
派遣社員として
リモート
リモートという形で
ありがたいことに
使わせていただいてね
私は
弱さで将来
36:00
喫茶店できたらいいなと思って
いろいろ動いてたんですけど
結局なんか
ちょっと
違うかなと思ってやめたんですけど
それもあってか
いろんなところに顔出したりとか
なんかこう
知り合いが増えたらいいなと思って
動いてたら
絵描いてるとか
私も東京でちょっと
デザインの仕事もさせてもらってたんで
デザインできますみたいな話してたら
少しずつ個人で
受けるようになっていって
そうですね
割と
個人でデザインの仕事を受けつつ
キーフドキの
丘にあるキッサピュアさんで
バイトさせてもらったりとか
あと有田市にあるキラナさんで
バイトさせてもらったりとか
そういう感じで
過ごしてました
そういう感じかな
はい
そして現在に至るって感じなんですかね
現在
そうですね
帰ってきた年に
伊藤雄美さんから
まず皆さんに
ロースターズで
絵の展示をしませんかという
問いかけがあって
絵の展示と
シルクスクリーンワープショップ
大学で版画専攻で
シルクスクリーンを専門に
専攻してたので
シルクスクリーンのワークショップ
させてもらえることになって
やらせてもらった
ラコアラプリント
ありがとうございます
ラコアラプリントという名前でやらせてもらってます
ありがとうございます
私そこで雄美さんと
初めて出会わせてもらうんですけど
そこで夫婦で
みたいな話をしながら
ネズミの引き出しの存在とかを
そこで雄美さんが
知ってくださって
ライブしようよみたいな
企画してくれて
私は最初
いや別にそんな積極的に
やってないんでっていう感じで
断りかけてたんですけど
もう美奈さんと雄美さんは
いいじゃん楽しそうやんやろうや
軽いのに
感じだったんで
やらせてもらうことになって
そこから年2回
その年ロースターズさんと
きらなさんで
ライブさせていただいて
次の年ピュアさんと
リタさんでやらせてもらって
っていう中で
当初思い描いてた
和歌山帰ってのんびりとか
では全然違う方向には
進みだして
すごくありがたいことに
ワンマンライブ楽しんで
してくださってる方とかが
いてくださるんです
39:01
なので当初思ってた
大切な方々のために
生きるっていうことに
今応援してくださってる方も
どんどん含まれていって
いろんな方向で活動したいな
っていうところに繋がってきてると
思います
今度はファンが
しっかりとついて
活動ができているっていう
東京とは真逆の感じ
自分が自分がってなると
怖いんですよね
ライブハウスじゃない場所っていうのも
肝かな
ライブハウスって本当に
音楽とかライブに興味がある人が
行くっていう場所っていうイメージがあるので
そうじゃない場所だと
行きやすいとか
聞いてもらいやすいですよね
お子様連れでね
テロサイジから来てくださったり
するのが
本当にありがたいし
嬉しいですよね
精力的にというか
ネズミの弾き出しとしても
アルバム作ったり
ケンタロウさんのソロ名義でも
新曲を作ったりとか
どんどん
されてるんですけど
もう完全に
ライブに合わせて
並ぶ
絞り出す
作ってるね
ライブに合わせて絞り出すというよりかは
やっぱり何でもされてると思うんですけど
机に向かわないと
何も生まれないというか
作詞作曲するぞっていう気にならないと
作れない
勝手には生まれてきてくれなかった
そんな夢みたいな話ないよね
なので
ユミさんが企画してくださるライブが
ここにあるならば
ここまでに音源を完成させよう
ここまでに6曲完成させよう
じゃあここまでに何曲いるんやみたいな
逆算で
頑張ってる感じなんですね
ここまでに配信設定しないと
このライブには間に合わないからとか
ちゃんとね
そうなんですよね
だからそこら辺は東京の時よりも
全然ストイックにというか
めっちゃ計画的に
脳筋はありますね
デザイナーだったからよかったかもしれません
脳筋をちゃんと守るという
ハンドリ力が
上がったのかも
今の意識はどんな感じで
音楽ファーストをしてるんですか
でもここを2年半で
毎回ライブに来てくださる方とかも
本当にね
いてくださって
その人たちが
喜んでくれたらいいなっていう
気持ちで
やってますかね
どうですか
もう本当に
そうですね
かつこの2年半で
42:01
応援してくださっている方々に
明確なネズミの引き出しを
応援してるんですって
人に言いやすい環境を
私たちは
作っていきたいなっていうのは
思っていて
応援しててよかったなって
例えば和歌山のラジオで流れるとかでも
いいですし
テレビ和歌山に出るとかでもいいですし
それこそ富士行くるルーキャンここ出るなんて
すごいことですけど
明確に応援してくださっている方が
ネズミの引き出しって何?
って人に言われた時に
何なのそれ
知らんわって言われた時に
テレビ和歌山も出てたねとか
そういうことが
言えるようなことを
ちゃんと事実的というか
一つずつ
作っていきたいなっていうのは
全然東京の時の
売れたいとかそういう感覚ではないんですけど
応援してくださっている方が
応援しててよかったなって
思ってもらえることを
やっていきたいなと
思ってます
なんか方向性は
違うけども
売れたいというか
届けたいというか
そっちに繋がってはいるんやなと
思うんですけど
積極的に狙って
いかないというのがすごく大きな
差なのかもしれないですけど
地道にやっぱり
やっていくことが一番
意外と近道というか
ガツガツではないし
助けてくださる方が
多い
そうですね
いろんな人に助けてもらって
ここまで来てますね
曲とか作る時の
意識も東京の時とは
全然違う感じですか?
全然違いますね
どういう違いですか?
小林健太郎っていう
ネズミの弾き出しという表現方法と
ネズミの弾き出しという表現方法を
分けてやってるんですけど
ネズミの弾き出しは
0歳の子から
割と5年配の方まで
来てくださるっていうところで
言葉遣いとか
メロディの
ポップさやったりとか
っていうのを
意識するようになって
楽しく音楽
楽しく聴いて欲しいし
自由に聴いて欲しいな
っていう思いが
生まれてますね
意識してますね
それは皆さんも
同じくって感じで
私は健太郎さんが
作ってくれた歌を
歌うっていう
職業ですもんね
職業です
めっちゃシンプルな
なんかあんまり
自分が
理想とするアーティスト像もないし
あんまり
45:00
私歌う人なんです
っていう風になりたくなくて
ネズミの
弾き出しっていう
なんて言うの
ゆるい感じにも
別になりたくはないんですけど
何やろうな
自然体な
日常の生活感の上にある
もの
おおいいね
そんな感じ
ですかね
カッコつけない
牙らない
みたいなのがとりあえず
軸であればいいかなと思って
歌ってます
全然
作詞とかにも触れない
触れない
これはネズミの弾き出しではないです
っていうのが言ってくれる
作曲に対して
これはちょっと違うかな
そこは2人で作り上げてる世界観というか
ちょっとこれ暗いな
これはもう小林の方だよ
ちょっとネガティブ出てるぞみたいな
はありますね
音楽って今結構
サブスクとかあるんで
配信とかもすごいしやすい
時代だと思うんですけど
配信したらいきなりすごい
人たちと
同じ舞台でやらないと
なわけじゃないですか
そこに対して他の人と
比べてどうとかそういうのって
特にない感じなんですかね
私はもちろん
自分で
タクロクも私がマイク立てて
ギター弾いてベース弾いて
ドラム打ち込んで
ミックスマスタリングっていう音を
調整する作業も全部自分でやってるので
すごくメジャーな
プロの方々の音楽と
本当にすごくプロフェッショナルだなぁ
と思って
いつもすごいなぁ
って思うんですけど
綺麗なものばかり
だとつまらない方も多分いらっしゃるんですよね
ご飯とかもそうです
お店もいろんなお店があるので
いろんなものがあるってことが
大切だよなぁってのは
思うので
比較ってより
私たちが作るものは
ここにしかなくて
これを楽しんでくれる人が楽しんでくれるなら
それで
それが嬉しいことだなっていう
感覚で
比較して
くっそぉ負けないぞとか
こうなりたいとか
あんまり思わないですね
でも関連するアーティストとか
あるじゃないですか
この人の流れで
出てきたら嬉しいなとか
そういうのに
入っていけたらめっちゃ嬉しい
とかは
思ったことありますね
48:02
ここからどうしていきたいとか
そんなんってあるんですか
その
アーティスト
ソロでもネズミと引き出しとしてでも
音楽
活動はこの先
どんなビジョンがあるとか
ソロでは
今はなんですけど
もう全然やる気はなくて
やる気はないわけじゃないけど
別に自ら何か
進んでライブをしに行ったりとか
はもう
今はないですね
心がないので
ネズミの引き出しは
待ってくださる方が
本当にありがたいことなんですけど
いらっしゃるっていうこともあって
それは
やりたいな
と思ってます
喜んでいただけるためにできることがあるなら
続けたいなっていうので
さっきの話もなんですけど
ラジオとかテレビとか
フェスとかっていうのも
そういう一つなのかなっていうのが
先の
ことですかね
ちゃいますか?
そうだと思う
そんな感じですね
特にフェスやろうぞとか
そんなことはあんまり
地道に一歩ずつ
大切な人の顔を見て
やりたいなと
すごい
バンド時代から
下脱したというか
そうなんですよ
そうなんです
経験してたら良かった
とは思うんですけど
減ってないとこうなってなかったのかな
今の歌詞もたぶん書けない
そうですね
やってきたから
なので
恥ずかしいことはいっぱい
書いてきたんですけど
良かったのかなと
音楽活動的にも
生活的にも
結構今も理想がやれてるなって感じですか?
確かに
生活は
フリーランスになって
ギリギリではあるんですけど
結構
ちゃんとそれぞれ
力を注いで
できてはいますね
それこそ
皆さんのさっき
おっしゃっていただいたラッコアラプリント
っていうのは
ダンチコンプレックスの中で
物販というかグッズ系を
作ってもらってる部分なんですけど
それが今
青空社さんとか
キララさんとかに
レターセットとか
卸させてもらったりとか
そういう部分でも
もうちょっと拡大できたらなと
思いますし
ダンチコンプレックスっていう
フリーランスとして
グラフィックの
お仕事させてもらってるんですけど
それももっとやっぱり
お仕事がもっと
いただけるように頑張って
いきたいなっていう風に
めっちゃ思ってますね
51:00
グラフィックデザインに関してはもっともっと
スキル上げて
いろんなものを見て
いいデザインができるようになりたいなっていうのは
思ってますね
思ってます
いいですね
今の延長戦上でどんどんスキルとか
上げて
そうですね
勉強もして
それぞれが
自分たちのペースですけど
拡大していけばいいなとは思ってます
お仕事の
受けてるというか
個人だったり法人だったり
あると思うんですけど
どういう割合というか
個人の方からの依頼が多いなのか
お店だったりとか
半々くらい
個人半もあります?
ないか
個人2,3くらいじゃないですかね
2とかで
あとの4と4が
教育機関と
副官庁
交官庁
和歌山県庁とか
オフィシャル仕事を
金額的にも
お仕事の大きさ的にも
ですね
収入源がなってます
ありがとうございます
ありがとうございます
このまま進んでいって
最終的に
どういう形になるのか
超理想とか
目標はありますか?
私言っていい?
現状のじゃないんですけど
30歳の時に
10年後の自分
どうなってたら一番いいやろう
って考えた時があって
1日のスケジュールを書いたんですけど
それが
朝起きて
今子供はいないんですけど
その40歳の自分は子供を
保育園なり幼稚園なりに送って
その後
午前中に仕事を終わらせて
お昼ご飯を食べてから
午後は絵とか音楽の
制作とスキルアップの
勉強をして
子供を迎えに行って
お風呂に入って晩ご飯を
食べて子供と1時間とか2時間
遊んで本を読んで
眠るっていうのを
30歳の時に
目標にしました
そのためのフリーランスの
活動とか今やってること
なんですけど
今はその途中にたぶんいて
今もそこには迎えたいなと
思ってます
むちゃいですね
これができれば
理想だなと
うん
そうかも
全然その
葡萄館埋めたいぜみたいな
あればいいけどないですね
それはないですね
むちゃい目標ですよね
現実的に
頑張りたいですね
結構性格も変わってきたような
感じなんですかね
そのバンドキットから
54:00
いや性格は別に
変わってないと思います
ちょうどいいよ
ちょっと明るくなったぐらい
いろんなストレスとか
そういうよくあったから
解放されて
でもやっぱり
20代の時は
私にも悩みとかを打ち明けるのが
苦手だった部分があって
たぶん1回爆発した時に
仕事でこういう風に悩んでてっていうのを
言ってくれるようになってから
は結構
なんだろう
もっとなんかこう
どんなことでも話してくれる
ようになったから
だいぶ明るくなったん
ちゃうかな
本来のあれじゃない
小学生時代のひょうきんさを
ちょっとずつ取り戻して
生きている感じは
あります
だから
外でるとちゃんとかしこまるんですよ
はいはいはい
失礼のないように
そう失礼なことされるのが嫌だから
他人には失礼のないように
するっていうのが結構モットーであって
だから結構
ちゃんと大学卒業したら
正職で
勤めてきた人みたいな
一瞬なんかこう
すごいまともそうな人やと思ってた
みたいな
まともそうな人やと思ってた
まともですか
まともというか真面目
真面目なのはずっと変わらない
はい
うん
そうですね
明るくなりました
ありがとうございます
おかげさまで
なんか話し残したこととか
これは
っていうのはありますか
話し残したこと
ないですね
ないですか
でも本当に
和歌山帰ってきてから
奇跡みたいなことが
めちゃくちゃ起こってるなっていう風に
思ってて
ゆみちゃんに
いろいろ紹介とか
企画とかしていただいて
自分たちでは
なんか
満足してるものを作ってはいるんですけど
いざ人に紹介するってなると
自分たちめっちゃいいんで聞いてください
とはやっぱ言えなくて
それをゆみちゃんが
本当に
自分
たちを信じて
ぜひ聞いてくださいみたいな
のをやっぱ言ってくれる人が
いる心強さで
本当に聞いてライブに来てくださって
ほんで
またライブ
するってなったら
リピートして来てくださる方がいるっていう
そのなんかこう
積み重ねが
本当にやっぱ奇跡やなと思ってて
それには
本当に感謝してもしきれないというか
それがあるから
ネズミの引き出しを続けていこうって
57:01
思える
力になってる
って感じですね
皆さん本当にありがとうございます
少しずつでもね
お返ししていきます
頑張ります
ゆみちゃんがマネージャーというか
プロデューサー
キーパーソン的な
ネズミの引き出しには
欠かせない人なんじゃないかなと
思ってます
いいっすね
そんな感じです
ありがとうございます
ありがとうございます
毎回ゲストの方に
お伺いしてるんですけども
けんたろうさんが今和歌山で気になってる人とか
この人のルーツの話を
聞いてみたいっていう人とか
いますか
あの
今ピザ食堂りたさんを
やってる上中ゆうすけさん
ルーツを
聞いてみたいと思ってます
ライブもさせてもらいましたね
ネズミの引き出しで
いろいろとお世話になっているので
話してて
すごい好きな方なんですけど
私が
バンドで
はっきりと
負けた感覚が
あったように
なんかゆうすけさんも
話聞くと俺も負けてきたからな
みたいなそんなこと言ってないな
そんなことないけど
何かこう
大変な思いはしてきた人
なのかなっていうのが
話してると思うんですよね
それだからその優しさが
温かさ人への寛大さ
みたいなのがある気がして
ちょっと詳しくどういう
何があったのかを
ぜひ聞いてみたいなと
思ってます
僕も気になる方なので
ぜひ
ありがとうございます
ではでは
最後にけんたろうさんから何か
告知とかありますか
ありがとうございます
ネズミの引き出しの
2人からなんですけど
9月21日
日曜日に
星野けんとネズミの
引き出し工場という
コンサートを開催します
会場が
海南の
黒江にある
旧田島漆工場さん
っていう
私をご紹介してくださった
助野さんがやっている
オールドファクトリーブックスさんがある
同じ建物で
神奈川から星野けんさんという方を呼んで
ツーマンライブしますので
ぜひぜひ
来ていただきたいなと
思ってます
すみませんもう一個だけですか
ネズミの引き出しの
3rdEPが今年また
発表しますので
この放送が
配信されている頃には
サブスクに上がっているんじゃないかと
思うんですが
3rdEP引き出し開けてみた
音源が配信されていますので
1:00:01
ぜひ聞いてみてください
お願いします
ありがとうございます
そしてさらに
サタデーナイトビア
10月の4日
土曜日に和歌山市本町公園で
サタデーナイトビア
クラフトビルと職の祭り
という本編とか
めちゃ読んでいる
想定外
これが
私の兄
小林が
主催の
一人でありまして
そこにライブステージを
我々が担当させていただくんですけど
そこにネズミの引き出しも
出演させていただきます
このキセンラジオさんの
でも毎回流れている
お寿司のともにさんも
出演されますのでぜひぜひ
ご来場ください
お願いします
ありがとうございます
ありがとうございます
例えばお仕事を
お願いしたいなってなったら
どこからというかホームページとか
ありがとうございます
男児コンプレックスのホームページも
あってそこにコンタクトも
あるんですけど
ネズミの引き出しの
インスタのメッセージの
別に大丈夫
2人に届くという
ライブ依頼とかはそこでもいいです
でもデザイン系は
男児コンプレックス
あと
gmail.com
ホームページ
男児コンプレックスで調べたら
一応ホームページも出てくるし
そこからコンタクトもできる
ありがとうございます
ありがとうございます
9月のライブは
すごい
自分たちも
気合が入っているというか
いつも
私たち2人で
弾き語りでやるんですけど
サポートメンバーを呼んで
アコースティックの
バンドセットで
やらせていただくので
いつもとは全然違った
雰囲気のネズミの
弾き出しが楽しんでいただけると思うので
本当に
たくさんの方に来ていただけると
嬉しいです
おすすめです
おすすめです
ちなみにゲストの方は
どういった方なんですか
私が東京で活動していたときに
出会ったフォークシンガーの
人なんですけど
弾き語り
作曲されている方なんですけど
高田渉さんっていう
70年代に活躍された
フォークシンガーが
いらっしゃるんですけど
ひょうひょうと
歌うようなタイプの方で
その系譜を
受け取り出る感じが
おる減さんにもあって
ひょうひょうと
楽しく
でも人生とか
生き方とか人間性みたいなものを
うまく
消化して
1:03:01
歌詞に入れられていて
作曲能力も
抜群に高いので
いい曲を作られている方で
去年も
和歌山に来てくださって
小林健太郎ワンマンライブを
やったときに出てくださったんですけど
それ見てくださった方は
その一発で
すごい大好きだったって
言ってくださって音源まで買ってくださったり
したような方なので
ぜひ期待してください
みなさま
ぜひという感じで
お願いします
それでは白石くんから最後に
事務連絡よろしくお願いします
きせんラジオは
スポティファイやアップルポッドキャストなど
各種音声配信サービスで配信しています
スポティファイで番組を
フォローしていただけたら嬉しいです
この人の話を聞いてみたいという
リクエストや番組改善のための
フィードバックも募集中です
番組のオープニングとエンディングの
楽曲はお寿司のともみさんの
アワヤングです
お寿司のともみさんの楽曲はスポティファイで
聴けるほかお寿司のともみ通販サイトで
CDも購入可能です
こちらもぜひチェックしてみてください
というわけで
本日は小林健太郎さんと
やばいやばい
ちょっと待ってくださいね
ということで
小林健太郎さんと皆さんに
ご出演いただきました
ありがとうございました
すいません名前も
大丈夫ですありがとうございます
ありがとうございました
長時間
2時間ぐらい
よかった2時間
ありがとうございました
01:06:26

コメント

スクロール