00:19
大予言じゃなくて、ああいうのはもう、たまにしか言えない。
そうっす。信じるか信じないかは、あなた次第です。
じゃあ、収録しましょう。
ごめんなさい。
おい、マジか。やばいやばい。
すいません。
すいません。奥さん、またやってしまいました。
富山さんと嶋本さんから、もう自己紹介をいただいて、
2人の関係性の話などをしていただいて、
からのちょっと、がっつりと、ラールのスタートから、これまでのことを。
わかりました。
その前のところは、もうノーグッドラジオを聞いていただいて、っていう感じで。
はい。
行きましょうか。
え、もうこれ撮ってるんす?
あ、これ一応もうしてるんすけど。
あ、マジです?
はい。ちょっとここから台本を読ませていただきます。
では、行きます。
有田市のコーヒーショップARCの上田です。
この番組は、毎回和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
気仙ラジオ第41回、本日は和歌山県那智勝浦町にあるカフェ甘愛で収録しています。
本日のゲストは、ワイクマのゴロさんの気になる人、
パティスリーラールの嶋本雄貴さんと、カフェ甘愛の富山強平さんです。
パティスリーラールの7年間のこと、那智勝浦町新宮市の避難エリアのホットなニュースについてお聞きしていきます。
それでは、今日は嶋本さんと富山さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
それでは、まずちょっと嶋本さんと富山さんから自己紹介をお願いしていいですか。
はい。和歌山県新宮市でカシェをやってます。
パティスリーラールの嶋本雄貴です。よろしくお願いします。
はい、和歌山県那智勝浦町の木勝浦駅前でカフェやっております。
カフェ甘愛のオーナー、富山強平です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では、富山さんのカフェ甘愛をお借りして収録しているわけなんですけども、
富山さんと嶋本さんのご関係もノーグッドラジオでちょっと言っていただいてたんですけども、
改めてちょっと教えてもらってもいいですか。
はい。開業したのは僕が遅くて、富山さんすごい先輩なんですけど、
開業して同業者ということで、避難で一緒にイベントとかやらせてもらう中で、
今はもうすごく慕ってるお兄さん的な存在でありますね。
03:02
ありがとうございます。お兄さんです。
ありがとうございます。
それでこの前ラジオも一緒に撮らせてもらって、という感じで今回も甘愛でやらせてもらうということで。
そうですね。嶋本くんの10代からお店にするまではちょっと僕の方のノーグッドラジオを聞いてもらえれば。
そっちも濃い内容になっているので、ぜひそちらを聞いてからこちらを聞いてもらって。
フランスでね。鉄格子の中でね。
フランスの鉄格子だけだったら誤解されちゃうんで。
知恵の悪いところでね。鉄格子の中で。
そこの細かいところはそちらを聞いてもらって。
出会いが、ごめんね急に。
全然いいですよ。全然。
急に軌道修正する。
出会いが、僕の記憶では、うちの奥さんとまだ結婚する前に、うちの奥さんと付き合っている時に、うちの奥さんが住んでたマンションの隣の部屋に嶋本夫婦が住んでまして。
そうですね。
たぶん僕よりもうちの奥さんの方がさっき面識というか、挨拶的なことで面識やったのかな?
はい、面識ありました。
嶋本君は知ったかったよね?
知ってました。
その当時僕フランスからこっちへ帰ってきて、ちょっと開業前でお金貯めないとなという時に、こっちでアルバイトなどを掛け持ちしている時に、カフェの業態で働いていたんですけど。
ここら辺で一番カフェと言ったら、この甘井さんが一番だったので、その時からこの人が甘井の店主さんだなというぐらいの認識だったんですけど。
やっぱり開業してから相談しやすい人柄でもありますし、いろいろ悩み聞いてもらって、うちの周年のイベントとか一緒にやる中で仲良くさせてもらって、今に至るという感じですね。
キセミラジオはゲストの方の生まれ育ちから現在に至るまでを聞いていく番組なんですけども、カフェ甘井のノーグッドラジオ、シャープ8とシャープ9で、
めっちゃ宣伝する。
嶋本さんの青春時代、フランス留学の話はされているので、ちょっと簡単に嶋本さんの紹介をさせていただきますと、
1989年シング生まれ、ナチカ厚面町育ちの現在34歳。保育所の時からパティシエになると決めていて、小学校の卒業文集では30歳までにパティシエとして起業すると宣言し、
中学時代から本を頼りにお菓子作りを始め、高校時代には同級生の誕生日に手作りのケーキをプレゼントしていたらしいんですけど、間違いないです。
間違いないですね。
06:00
それだけ聞くとちょっと気持ち悪いよね。
全然気持ち悪くないですよね、今この時代に。
あ、これヤバい奴だ。あ、PE配布奴だ。NGですよこれ。
かかってこいよ。
大丈夫ですか?
かかってこいよ。
本当にその当時、お菓子を片っ端から作るって、やることなかったんですよね。他に興味あるものもなかったし。
だって物心つく前から、もうケーキ屋さんになるんやって。
そうっすね。
なんかきっかけわからないみたいなこと言ってたんですけど。
他のラジオでも言いますけど、きっかけマジでわからなくて。両親共にサラリーマンじゃん、サラリーマンでしょ。
そういうルーツもないくて、その間にかもうこれが思い込みですよね。
なんかでもあったんやと思うで、まだ物心つく前に。
あったかもしれないですね。
調べようないよね。
調べようないですけど、今現時点でやっててよかった。
やっててよかったって思います。
すごいですよ。その時の夢を実際叶えて、大人気展に。
大人気展ですよ。
これいろんな人が聞くから。
いやいや、大人気展ですよ。これは。
わからないですけど、子供の頃の夢って別に叶えようと思ったら叶えられるじゃないですか。
例えばスポーツ選手とかオリンピックに出るとかだったらちょっとあれなんですけど、
僕らの料理人員とか消防士さんになるとか警察になるとかスカーコンセンスになるとかって自分の努力次第でなんとかなる。
レベルというとあれ語弊があるかもしれないですけど、がんばりでできる職業なんでね。
それはもう。
そして紹介を続けさせていただくと、専門学校を卒業後、大阪のケーキ屋で約5年間、
パリのレストランで約1年間修行した後、Uターン移住して独立。
2016年8月、宣言通り27歳でラールをオープンしました。
ということで、そのメンタルがやられるくらいハードやった大阪の修行時代の話とか、
暑いフランス時代の話はノーグッドラジオで。
今日はノーグッドラジオでは結構短めになっていた、
ラールオープンまでの準備段階の話とか、
オープンしてから7年間でいかに今のラールを作っていったかっていう話を聞いていきたいんですけども、
まずフランスから帰ってきて、熊野カフェで働きながら開店準備っていう感じですかね。
そうですね。先ほど申したように帰ってきたら開業資金が必要だったので、
自分でアルバイトを4つ掛け持ちしましたからね。
そのうちの1つで、熊野カフェさんというところで料理作ったりとかデザート作ってたんですけど、
1年くらい勤めてある程度開業資金が貯まったんですよね。
09:01
それで結婚のタイミングもあって、
結婚して、さてもうこれはある程度自分の城じゃないけど、
事業を起こしたいなと思っている時に、たまたま新宿市の店舗が見つかって、
もう見つかってからどれくらいですかね。
それこそもう本当に3ヶ月とか2ヶ月くらいで準備して開業したって感じでしたね。
結構ケーキ屋さんを開業するのって機材であったりとか、めっちゃお金かかりそうなイメージなんですけど。
めっちゃお金かかりましたけど、ある程度独立。
さっき言った通り30歳までに独立したいってなんとなく思いがあったので準備をしてたんです。
あそこでお金借りるとか、事業計画こういう感じやなとか、
勤めてる時もちゃんと数字を見るじゃないけど、
そのレシピだけじゃなくて、お客さんはこういう感じやなとか、
これくらいの入り数で現価でガンヌみたいなのをなんとなく知ってたつもりだったので、
それでお金借りてやってましたね。
運良かったです。
めちゃめちゃたまたま知り合いの機械屋さんを紹介してもらって、
ちょうど中古のやつがあるよみたいな感じでオープンとか機械類とか。
もうめちゃめちゃ高いですよ。
ショーケース250万とか。
その当時ですよ。
今はもっと高いですけど。
もうそんなんやからオーブンで200万とか。
でもたまたまいいタイミングで中古があったりとかして、
まあなんとか。
物件が5月くらいに契約して、
7月にプレイオープンして8月1日にオープンしたのかな。
そんな感じでした。
これ新聞選んだのは何か理由があったんですか?
いやね、特にはないかなと思ってたんですけど、
勝浦では僕お世話になったケーキ屋さんが勝浦にあるんで、
そこはやっぱり避けたいな。
そこはなんかすると不義理やろうなって思って。
でなってくると、その当時結婚して住んでた場所が新宮だったので、
その関係というか。
っていう風になりましたね。
言うても新宮もそんなに大きい町じゃないじゃないですか。
フランスの結構有名店で修行してたりとか、
大阪時代もがっつり修行してたんで、
もっと証券の大きい大阪とか東京とか、
そういうことは考えなかったんですか?
なおかね、東京とか大阪でやる自信がなかったですね。
20代前半の時からそうなんですけど、
これも何度もラジオで言ってますけど、
自分にマジで自信なかったというか、
本当に仕事できなかったですよね。
マジで。今もできると思ってないですけどそんな。
同世代で例えばパティシーのワールドカップの代表とかいるんですけど、
高校の先輩にアジアのナンバーワンとかいるんですけど、
その人らが普通に都会で開業してて、
結構やっぱ大変やって言うんですよ。いろんな面でね。
12:01
なってくると、いや僕なんかはそんな無理かなと思ってて、
正直今本当にありがたいことにたくさんのお客さん来ていただいてますけど、
そうなると思ってなかった。
もう一人、だから事業計画書とかもう一人でやる。
もうバイトさんも雇わない。
売り上げこれぐらいでもうミニマムで。
だから前のお店9.5坪しかないです。
9.5坪しかないから、
でもそれぐらいのミニマムでしか多分できひんやろうなと思ってたし、
言ってもシング狭いですけど、
その当時ケーキ屋さん合わせても小さい大きいありますけど、
10店舗ぐらいあります。
和菓子屋さんが強い町なんで、和菓子屋さんなんかもっとあるし、
その中でできるってなったら、
もうなかなか正直開業したものの自信があったわけじゃないです。全然。
ただただ自分のケーキが作りたいなとか、
自分でお店持ちたいなっていうのがあるから開業したって感じで。
3段があって勝てるかとかそんな全くですよ。
そうなんですね。
もう2016年オープンですか?
はい、そうです。
当時26歳。
すごいっすね。
周りに止められましたよ。
ある程度20代は修行して、
飲食独特のあるじゃないですか、ある程度の年数。
30代からちょこちょこシェフやったりとかしてどっかのお店。
それから独立みたいな流れがありましたんで。
やっぱり止められましたし、
周りの業者さんからも大丈夫か大丈夫かみたいに言われましたし、
家族全員心配してましたもんね、本当に。
オープンしてどうでした?
いやーありがたいことに、
もうオープンからでしたね。
そうなんですか?
そうなんですよ。
だからオープンはもう僕一人でやるつもりだったんですけど、
さすがに今は販売のアルバイトさんいるでしょうからね。
一応一人だけ雇ってやってたんですけど、
ありがたいことにプレイオープンからかなりお客さん来てくださって、
毎日何時間くらい仕事して、
もう睡眠時間ほんま1時間2時間でした。
1ヶ月丸々。
それでもうこれいかんってなって、
で違うその修行時代の仲間とかもみんなヘルプで来てくれて手伝ってくれたんですけど、
もういよいよ店回らんてなって、
でもう新聞広告出してすいません休みますみたいな感じで、
週休2日にして、
週休2日にしてもやっと睡眠時間5時間くらい取れるぐらい。
毎日5時間取れるわけじゃないです、それでも。
その当時の自分の技術が未熟やったっていうのもあるし、
経験不足っていうのもあるんですけど、
最初からそんな感じでありがたいことにそんな感じでしたね。
最初からなんでそんなに人が来たんですかね。
これちょっと専門的な用語になるんですけど、
僕がやってるパティスリー、お菓子屋さんですね。
ヌーベルパティスリーっていって、
15:01
新しいパティスリー、そのまま直訳するとそうなんですけど、
なんていうんですか、都会とかにあるような、
ある程度ブティック的なケーキ屋さんって言えばちょっとわかりやすいですかね。
その昔ながらのケーキ屋さんじゃなくて、
ちょっと見た目とかもちょっときらびやかで、
チョコレートとかもちょっとフランスから取り入れてとか、
ちょっとここら辺にはあんまりない、
洋菓子屋さんというよりはパティスリー、
ヌーベルパティスリーっていうのが自分がやりたかった、
そういうコンセプトでいったので、
それが良かったんじゃないかなと思います。
その当時、やっぱりケーキ屋さんと言えば、
ショートケーキ300円とかシュークリーム100いくらとかだったんですけど、
毎以上違ったんじゃないかな、値段も。
最初は高い高いと言って、めっちゃ言われましたけど、
別にそれを安いケーキ屋では別にやりたいわけじゃないし、
自分のある程度フィルター通してこだわったものを出したいなというので、
その値段にしたわけですから、
買えるつもりもなかったし、
それがある程度ありがたいことに、
いろんな人に伝わったんじゃないでしょうかね。
言い場所と言い物を作ってても、
やっぱり伝えるのってなかなか難しいと思うんですけど、
それはどうやったんですか、最初は。
その当時はまだFacebookが、
SNSで言えばそうですよね。
2016年。
またインスタグラムもちろんありましたけど、
そこまで皆さん今のように使っているわけじゃないから、
Facebookで、
でもFacebookって言っても、
僕パテスリーラルのFacebookなかったんで、
島本雄貴の個人名でずっと途中までやってて、
そこで発信するのもあったんですけど、
言っても睡眠時間はそれぐらいなんで、
もちろんSNSなんか更新できるわけもなく、
もう直直に毎日の営業をするって感じでした。
もうお菓子を作ること以外は、そこまでする以外はしてないと思います。
その当時だから、
全然富山さんとかも知り合いじゃなかったし、
例えばね、今でこそすごく仲良くさせてもらって、
花江青春さんとか、その当時来てくれてましたけど、
喋る時間なんかもちろんないです。
もう顔も見てられないというか、
すげえ失礼だったなと思いますけど、
そんな感じだったんで、
もうただただケーキを作り続ける。
それだけしかやってないと思いますけど、その当時は。
富山さんはもうできてすぐにラルの存在は知ってたんですか?
だから、ケーキ屋さんをする前から、
今ほど密じゃないけど、
存在は知ってるし、
その当時、うちの奥さんの隣に住んでるっていうのもあって、
熊野カフェで働いてるときから知ってたんですよ。
で、その熊野カフェ辞めて、
独立するんやっていう話は聞いてた。
でもね、正直覚えてないよね。
オープンして行ったとは思うんやけど、
18:02
そう、富山さんが最初にお店に来てくれたことはあんま覚えてないのかな。
俺も覚えてないですね。
でも行ったんやろうね、多分ね、奥さんが。
やっと覚えますね。
気になるからちょっと行こうよ。
いや、ほんとに記憶ないんですよ。寝てないから。
ほんとに記憶ないんですよ。
だって立ちながら寝てたんですからね、僕。
結構街の噂になってたような感じなんですかね。
うん、にはなってましたね。
やっぱり今までになかったケーキ屋さんっていうところと、
やっぱり新しいもの好きだね、街の人たち。
だからそんなに発信しなくても、口コミで
どこどこに新しいケーキ屋さんできたよっていうので、
やっぱりみんなちょっと一回行ってみたい。
なるほど。
そういうので広まっていったんやと思います。
あとはやっぱり熊野カフェにおった立ち師屋さんが独立したっていう。
熊野カフェっていうのもやっぱりでかかった。
そうですね。その他のお客さんも来てくれたりもしました。
なるほど。
ちなみにラールのスタイルって、
どっか参考にした店とか、そんなんってあるんですか?
いや、参考にしようと思って、
開業前にいろんなお店行きましたけど、東京オーサン。
参考にならないんですよね。
もう違いすぎて。
例えば材料の値段一つとってもこっちの方が高いし、
お金かけられへんから、
例えばロゴマーク作るのも最初は友達にやってもらったりしてましたし、
なんや全然違うんですよ状況が。
だから参考にはできなかったですね。
そのケーキ業界全体の流れとして、
ちょっと高級なやつが流行ってたみたいな感じなんですかね?
いや、正直僕は高級やと思ってなかったんですね。値段はそれでこそ。
もう違う食べ物じゃないけど、違うジャンルやから、
これはこうなんですよと思ってたし、
僕が修行して教えてもらったケーキはそういうケーキばかりだったんで、
それは普通やと思ってましたし、
それをこっちの人のスタンダードになればなと思ったから、
それをやるっていう感じでしたよね。
なるほど。
そして順調なすべり出しの1年目は。
順調でしたね、ありがたいことに。
大変すぎて人も増やしていってっていう。
増やしていってって言っても、途中から奥さん、
違うところで働いてあったんですけど、
ちょっと盛り上がって手伝ってということで、奥さんもお店に入ってくれてましたし、
1年ぐらいはすごく順調だったんですけど、
そこで第一カモが待ってたんですよね。
喋るんですか?
そこじゃないですよ。
それじゃないです。
僕が持ってるあれじゃないですか。
これも言いますけど、
会業の、言いますけど、多分皆さんこっちの人はご存知なんですけど、
那智勝浦町の水害ですよね。
21:02
あの時にうちも水没しまして、
ごめんなさい、那智勝浦町の水害じゃなかったです。
新宮市がある程度使ったことがあって、
その時にうちの下田地区、前のお店のがあった下田地区も水没したんです。
だからお店の機材とかも全部壊れちゃって。
ちょうど僕、しかもその時旅行行ってたんですよ。
静岡に。
で、そうしたら夜中電話が来てきて、
下田くん大変なことになってお店使っちゃってるよって。
えーみたいになって。
で、次の日、夜遅かったので次の日見に行ったらもう全部壊れてって。
うわー。
ね、総額は全満でしたよ。
うわー。
えーみたいな。
それが1年、ちょうど1年経ったくらいですかね。
開業が8月で、1年経って次の10月か。
10月に水害にあったので。
そっから1ヶ月休業という最初の困難がありました。
休業して、機材とか全部買い直して。
そうですね。
で、買い直すんですけど、やっぱりアイオーブンってカスタムオーブンってオーダーメイドなんですよ。
だから作るのに1ヶ月くらいかかっちゃう。
だからね、やっぱりオーブンがないと何もできなくて、
他の機材とかをね、比較的その流通しているものでかなおうということがあったんですけど、
お金もお金なんでね、すぐにはできないし、
ということでオーブンが作り、こっちに納品されるまで1ヶ月。
ちょっとお休みしたって感じで。
でもね、不思議とね、全然大丈夫でした。
なんかね、そういうベンタル強いというか、こういうこともあるよなって思ってたんですよ。
で、うちの奥さんがもうそういうタイプなんで、
まあしょうがない、1ヶ月できることあるやろうみたいな感じで、
その時にいろんなお店さんもあったんですよ。
ジャンル問わず。
その中に、例えばアマエさんだったりとか、
一緒に開業年一緒のコンピさんと、島里コンピさんとか、
いろんなお店もあったりとかして、
ああ、こういうやり方もあんねんなとか、
こういう生き方もあるんやなっていうのをすごい勉強して、
そこがすごい転機だったと思います。
なるほど。
そして再オープンして、また再び人気は変わらずっていう。
そうですね。
で、その1ヶ月の間に、今まではたった1日あったんですよ。
1日なんですけど、やっぱり個人事業主っていうと休みも、
結局銀行に行って両替してみたいとか、
いろいろ地道な仕事があって、休んでなかったんですけど、
休業してる時にいろんなお店さんの話、相談させてもらって、
休み増やしてたんですよ。
ある程度自分に余裕を持った方がいいし、
ちゃんとインプットする時間っていうのは必要ないよっていうのは
すごい勉強になって、ケーキをガラッと買いました。
みんなに伝わってるかどうかわかんないですけど、
なんていうんですかね、
今までやってたケーキの作り方とは全然違うケーキの作り方。
24:04
今までセオリー通りやってたことを、
例えばセオリー通りじゃないことをやってみたりとかして、
半分これってどうなんかなってギリギリを責めるようになりました、実は。
わからんともみんな伝わってないってことですかね。
わからんわ。
商品名は変わってないけど、その作り方が全然変えてるってことですか。
定番商品がまず無くなってます、その1ヶ月内で。
ロールケーキとか、最初3種類とか、プリンショートケーキとかやってたんですけど、
オリジナルのお菓子がほとんどで、今多分そうですけど、
季節によって定番商品が本当に今ね、1種類とか2種類とかになったのは
その休業があったからなんですよ。
さっき参考にしたお店さんないですかって話やったじゃないですか。
その1ヶ月の間にすっげえ良いお店見つけて、
そこがすごい転機になったんですよ。
ちなみにどこ?
静岡にあるキャトルエピスっていうお店なんですけど、
そこって業界的に知ってる人は知ってるんですけど、そんな有名じゃないです。
でもお店すっげえ良いんですよ。
これ聞いてる人マジで行ってほしい。
なんなら僕も近々行きたいなと思ってるくらいなんですけど。
別にケーキもすごく複雑なことをやってるわけじゃないし、
尖ったこともやってない、普通にオーソドックスなケーキなんですけど、
そのシフの感性みたいなのがすごいあるんですね。
元キリフェボンのシフらしいんですけど、
他にトレンドとかじゃないケーキでしかも、
他にもあんまり見たことないデザインで、
オーソドックスなケーキなんですけど、
なんかちょっと違うんですよ。
食べてると。
食べてるったりとか見ると。
店の作りもそうなんですけど。
店ぜひ行ってほしいくらい。
もうなんかね、全然違いますよ。
普通のケーキ屋さんと。
そこがすごい衝撃で、
こういう自分の感性を表現できる方法あるんやなと思ったんですよ。
ケーキ屋さんというよりはディズニーランド行ったくらいの衝撃でした。
こういう表現の方法があるんやな。
ケーキを作るっていうことじゃなくて、
表現の方法として、
っていうのがすごい勉強になった。
だからそこから、
自分がこのケーキを作る。
例えばショートケーキとかシュークリームを作った時に、
こういう表現方法があるなって思ったら、
それ一回試してみようと思った。
そこから試すようになったって感じでした。
そうなんですね。
そうなんです。
これも初めてかもしれない。
キャトルエビスって言ったのは初めてかも。
休業が良かったんですね。
めちゃめちゃ良かったです。
結構いろんな人に心配していただいて、
再開後はみんな心配してくださったお店に来てくださったんですけど、
裏腹に燃えてましたね。
見えたと言うか、
見えたと言うとあれかもしれないですけど、
27:02
自分がやりたいこと。
小さい頃からケーキ屋さんになりたいって言ってて、
それにずっと実直に頑張ってて、
ケーキ屋さんオープンしました。
ここからどうするかっていう中で忙しかったから、
それにかまけて追われてたんですけど、
そこの1ヶ月という休業の中で、
ちょっとある程度1年やった経験と、
自分が思ってたけどできなかったジレンマとか、
ああいうそういうのがちゃんとミックスされた状態で、
インプットできる状態に
セットできたっていう感じだったかなと思うんですよね。
かなりデカかったと思います、1ヶ月は。
そこでパワーアップして、また戻って。
そうですね。
2年目。
2年目ですね。
そこからある程度、
いろんなお店さんとコラボレーションとかすることも増えたし、
イベントに出ることも増えたんですね。
やっぱり休みの人が増えると、
いろんな人に会いに行ったりするし、
例えば農家さんだったりとか、
新しい材料のこととかも調べれるようになったりとか、
実際に農家さんと会いに行ったりとかして、
いろんな繋がりを持てたりとかもしてたんで、
そういう2年目だったかね。
なるほど。
もともと島本さん、
いろんな人に会いに行ったりとか交流したりとか、
結構好きな方というか。
好きなんですかね。
でもあんまり正直、
ネクラというか、
本当に何にもなかったら、
マジで家で居たいタイプでし、
これ言うとあれですけど、
僕1日に会える人数限られてるんですよね。
これ以上人数に会ったら、
次の日すごい反動がやばくて、
マジで誰とも喋りたくないみたいになっちゃう。
だからある程度、
人数は限られてきますけど、
会いたい人ってやっぱりいて。
いろんなところで。
富山さんしかいない。
いろんなところにいるんで。
そういう人に会いに行ったりしてます。
はい。
なるほど。
そして3年目ですか。
はい。
それで3年目で、
ある程度、
自分のフィルターを通してお菓子を出すっていう、
芯じゃないですけど、
そういうのが見えてきたところで、
自分がこっちの店でする意味。
都会じゃなくて、
こっちを選んだのって、
なんでだろうな。
そこにも目を向ける余裕というか、
責任みたいなのが、
うぬぼれですけど、
思って。
そうなってた時に、
ある程度こっちで、
ラールをやってるっていうのを、
知ってほしくて、
新聞に一面広告を出すという。
地方紙ですけどね。
熊野新聞さんの一面に。
それこそ、
花江聖書さんに協力してもらって、
一瞬撮影。
ラール始めますっていう広告を出しました。
30:00
森のとこで。
森の。
あれ、うぐいなんですよ。
僕が生まれ育った、
ラチカツウラチをうぐいの森で、
撮ってもらって。
自分のルーツはここだと。
自分はこっちで、
その地に根を張って、
やっていく初心表明的な意味を、
こう思えてですね。
ラール始めます。
っていう風なネーミングを埋めて、
いろんなその時、
その3年目当時ですよね。
仲良くさせてもらってた、
富山さんとか、
椿さんとか、
こんぴーさんとか、
西村さんとか、
全部7店舗か。
皆さんと一緒にコラボレーションさせてもらって。
その時か。
3ヶ月、4ヶ月くらいかな。
いろんなお店でさせてもらって。
それが、アベックラールっていう。
アベックラールっていう。
今も、
どこかしらのお店さんとやるときは、
絶対アベックラールにしてるんですけど。
今も使ってるんですか。
そうです。
アベックラールなんですよ。
アベックラール。
誰々アベックラールです。
あくまで、
うちがしたいじゃない、
イベントにしたくて。
だから、
富山さんとかでやるときは、
甘いアベックラールで。
甘屋さんがね、
甘いのコンセプトが、
東京のカフェっていうのがあったから、
それをコンセプトにして、
カフェのデザート見に考えて、
こっちにしたいねみたいな話になって、
こっちで、
ここで、
夜のカフェのイベントさせてもらったりしたんですけど。
甘いのコンセプトは、
東京のカフェだったんですね。
東京とか都会的。
都会的。
都会的な、
どうしようもない田舎だったんですよ。
いや、そんなことないでしょ。
いや、だって、
7年目?
そうです。2016年開業です。
2016年。
俺、2012年。
ね。
4年前か。
4年前ですね。
4年前って、
本当に、
なかったから。
まあ、そうっすね。
富山さんとの走りというか、
ありましたけど、
お手本にする先輩というのが、
駅前のボダイさん。
ああ、そうっすね。
ぐらいしかないというか、
ちょっと上の先輩というか、
あとはもう本当に老舗の、
昔からやってる店しかなくて、
相談できるのがボダイさんしかないっていう状態から、
うちが店をオープンして、
同世代がちょこちょこお店を、
やりだした流れで、
ラールもできたもんね。
そうですね。
そして、3年目の新聞広告。
3年目にして、
ラール始めますっていう。
まあ、そうっすね。
初心生命的なこともあったし、
その当時、
僕らが開業したときに、
それある程度、
コンピさんだったりとか、
違うお店さん、
松巻さんとかもそうですけど、
ポンポポンと新規開業で、
同じ心差しじゃないですけど、
こっちで頑張っていくぞみたいな、
感じのお店さんが多かったので、
世代的に僕らで頑張っていこうぜ、
みたいな感じで、
誘わさせてもらったみたいな、
33:01
意味合いもありました。
その当時。
避難でそんな動きしてた人って、
その当時はいたんですか?
いろんなお店を巻き込んで、
一緒にやって、
避難を盛り上げていこうみたいな。
でも、
僕のやってることって、
原井誠秀さんの影響が大きくて、
その3年目までに、
例えば原井誠秀さんが、
イベント企画したりとかして、
その手伝いをやってたんですよ、僕も。
その人を間近に見てて、
こういうやり方があるんだなとか、
すごい勉強になったというか。
だから、
それこそ原井誠秀さんもそうですし、
福本さんとかもそうですけど、
ある程度イベントみたいなことはあったんで、
それを参考にさせてもらいながら、
自分なりの、
もっとコアじゃないけど、
個人的にスポットを当てたことをしたいなと思って、
そういうことをしました。
なるほど。
その時、
何店舗と一緒にやったんですか?
えーと、
トラットリア晴れて、
イタリアン料理のレストランイベントから始まって、
時系列はあれですけど、
甘えさんのところでコラボさせてもらって、
こんぴーさんでギフトイベントをして、
椿さんのところでもカフェイベントをして、
西村さんのところはサイクリングイベントをして、
一緒にサイクリングして、
その時に補給食を作って、
えー、すごい。
ゴロウくん、
これこそこれを紹介してくれたゴロウくんのところで、
朝食か。
クロワッサンを焼いたりとかして、
朝食のメニューを作ったりとかして、
それぐらいですかね。
なんか抜けてたらカットしてください。
その後、
ウィールアクションの西村さんのラジオに出たり、
あれはそれぐらいの時期ですか?
そうです。
ちょうどそのくらいの時期に、
ちょうどそういえばラジオやってるんやけどどうっていうことで、
その当時たぶん西村さんがね、
ラジオの走りやってましたもんね。
そうですね。
そこで僕初めてラールの島本さんの存在を、
そんな人がいるんやっていうのを知ってて。
マジっすか。
何喋ったのか正直全然覚えてないですけど。
本当にこれまでの話をすごい網羅的に、
3周年の話。
3周年までに。
そうっすね、3,2周年のプロモーションみたいな意味合いもあって、
その当時、
新聞広告のコラムを買い取って、
コラムを買い取ってたんですよ、僕1年間。
誰が読むかわからないやつ。
なんかそれぐらい、
責任が出てきた。
年齢は29くらいだったかな。
年齢が出てきて、
こっちでやれるぞっていう手応えもあったし、
なんかやらなきゃいけないな、
頑張らないといけないなっていう、
気負いみたいなのが出てきたんでしょうね。
だから自分が作るもの、書くもの、話すこと、
おかしい限りだったんですよね。
36:00
なんかそれがですね、
こっちの人のプラスになれば、
プラスになるとか、
何かの影響になればいいなっていうのは、
そこら辺が意識はありますよね。
母校に公園に行ったりとかもしましたし、
っていうのは今もありますけど、
3年目にしてもすごいいい感じになって、
その先はどうなっていくんですか?
いい感じとは正直思ってなくて、
なんか性格的な部分もあるんですけど、
今もそうですけど、
今のままでいいのかなっていうのがすごいあって、
それはね、
自分の商品に対してこのままではいいのかなじゃなくて、
ちょっとなんか最近思うのが、
なんか自分が経営者さんという仕事を選んで、
しかもそれもちょっと運命的なものを感じてるんですよね。
なんかそういうルーツもなく、
ただ漠然となりたいというものに慣れて、
それを継続してやるっていうのを、
自分が持っている理由じゃもしかしたら他の人にとっては
影響があるのかもしれへんなと思ってて、
なんて言ったらいいんだろうな。
なんかちょっと臭い言葉にはなってしまうんですけど、
自分が作り出したもの、何でもそうなんですけど、
それを返すことによっていろんな人を巻き込んで、
いろんなことをやりたいなと思ってますね、今。
だからそれがずっと継続してやってるって感じですかね。
4年目からずっとそうなんですけど、
お菓子作りは一つの方法であったりはあるので、
別にお菓子が一番僕の得意とする方法であるからそれをやるけれども、
それに限らずいろんなことをやっていたいし、
今もやってるつもりでいるんですけどね。
なるほど。
4年目、5年目とか大きい出来事があったりとかはするんですかね。
そうですね。正直4年目とかになって、
やっと2019年アーケードですか。
四角裏町のアーケードが初めて。
それこそ五郎くんにこういうのを活動するんですよって言ってもらって、
もちろん海南でやってる時から知ってましたけど、
出たいな出たいなと思ったらお声掛けいただいて、
あれもすごい転換期じゃないけど、
すごい世界が広がったというか、
3年目で地域の人たちとイベントするようになって、
機南の人たちはある程度知ってる。
お店はこういう感じで、こういう軽量でみたいな。
アーケードってちょっと和歌山オールスター的な感じじゃないですか。
やっぱね、すごい悔しかったですね。
最初2019年の。
これね、橿原さんにも言いましたけど、
1日目の終わりくらいに言いましたけど、
すごい、うちも出たんですけど、
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他の例えば和歌山市とか、
キチュウのお店さんとかが、
すごいブランディングも上手で出してる商品も、
立ってる人のたたずまいもすごくかっこよくて、
うちは出てきたけども、
なんだかまだまだだかんなと思っちゃったんですよ、
あの時に。
1日目の終わりに、
橿原さんにすいません、うちこのままじゃダメなんで、
ちょっと早めに帰って、明日の作戦練り直しますとか言って。
2日目はできること精一杯やりましたけど、
やっぱりその後ちょっと1ヶ月くらいずっとね、
落ち込んでましたね。
どういう部分で落ち込んだんですか?
なんでしょう、なんかね、
世界はめっちゃ広いなと思ったはずで、
まだまだある程度安心してた分もあると思うんですよ。
3年目である程度皆さんと一緒にやらせてもらって、
ラルやります!みたいな。
ラルを知ってもらって、
ありがたいことにお客さんが来てもらったんですけど、
ある程度満身があったんですけど、
アーケードでもそこそこ勝負できるというか、
負けてないぞみたいな感じで行ったんですけど、
いざ蓋を開けてみればすごい人ばっかりで、
それこそロンハウの大谷さんとか、
すごいパワーあって、
すげー楽しんでるんですよ、アーケードを。
もうこっちなんかは緊張して、しかもヒリヒリ。
まあ今もヒリヒリしますけど、
なんかすげー楽しんでる。
かっこいい大人たちだなと思ったんですよ。
ちょっと年齢の上の人たちもいたんで、
すげーかっこいい人たちだなと思って。
自分が30代になった時、
これぐらいなれるかなと思った時に、
いやこのままやったらちょっと厳しいかなと思って、
ちょっと考えなきゃ。
もっとやらなあかんなと思って。
ちょっとエンジンがかかったっていうのがありましたね。
そうなんですね。
いやわかんないですけど。
アーケードは刺激もらうよね。
あの2019年の時はすげー衝撃的でしたよね、僕らからしたら。
いろいろ感じる、思うことはあったもん。
多分一緒やと思う、感覚として。
このままじゃあかん。
なんかそれまでやっぱりイベントとかもあって、
大谷さんとか一緒にイベント出たりとかしてたじゃないですか。
イベントとか出ると大体、あらあらさーみたいな感じで来てくれるんですよ。
でも、ああね、それこそ一夜にしてああいう立て行くとかできて、
普通にバタのいとこさんとか、
日本のトップグラスのようなお店さんとか来て、
マジで衝撃的やったというか。
なんてかっこいいんだろうなみたいな。
今までやっぱり僕、ケーキ屋さんでしかいなかったから、
ケーキ屋さんの先輩とか、ケーキ屋さんのすごいところとか知ってるわけですよ。
でもこういう感じやなっていう、ある程度世界はあったんですけど、
いろんなお店のいろんな毛色のもの、一言ジャンルいろんなものがあって、
それを見た時に自分の持ってた世界観ってすげー狭くて、
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全然違う世界なんだよな。
もっと世界を広げると、こういうすごい見せ方、商品一つでも、
プロダクトにしてもすごいバックボーンがあったりとか、
一つ一つストーリー組み上げてとかやってる人すごいいっぱいいて、
これぐらいの表現方法もある。
こんなにも表現方法をこだわってても、でもこういう感じのあれなんやとか、
いろんなものが見えました。
そこでさらにちょっとエンジンかかって。
かかりましたね、ほんとに。
負けてらんないなと思ったし、
次のアーケードさんのコンプレッサーと的には、
3年連続同じところでやるっていうのがあって、
もう来年、プレッシャーでしょ、だから。
来年ももちろん出たいし、呼ばれるように頑張らなあかんし、
その上でさらにここでもっとインパクト出すためにはどうしたらいいかなって、
そのアーケードの出てる時に思いました。
こうやったらこうしちゃおうがいいなとか、
あそこやったらああしちゃおうがいいなとか。
もちろんいろいろ買う運もあるでしょうけど、
それぐらいなんかね、うわーって感じでした。
うわーって感じでした、もうほんとに。
そうやったんですね。
そして、アーケード終わってからは、
コロナですよね。
コロナです。
そこで2019年ね、終わった後、
コロナ、次の年ですね、もう冬ですか。
だからその時にね、
ちょうどコロナの年にアーケードさんから
森道に出ませんか?みたいな、
そう言ってもらってたんですけど、
森道じゃないか、もう世界中そんなのどころじゃなかったですか。
それもなくて、
みなさんと不安の中で戦うってことになったんですけど、
え、これ言いますか?
でもまあ、さっきもちょっと話しましたけど、
あれで僕未来のスタンダードって…
すごい得意。