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中田耕平さん個展告知回
2023-06-24 1:14:26

中田耕平さん個展告知回

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7月7日からスタートする中田耕平さんの個展Never stay the sameのサウンドガイド的な告知回です!

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00:20
和歌山市のランニングとハイキングのお店、エンラー&トレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップARCの上田です。
今回は、kisenradio特別編です。
2023年6月13日、旧田島漆工場で収録しています。
本日のゲストは、旧田島漆工場代表で、アーティストの中田耕平さんです。
本日は、耕平さんの最近のことや、7月から開催される個展、
NEVER STAY THE SAMEについて伺います。
耕平さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回もやったんですけども、今回も白石くんから改めて、
耕平さんのご紹介をお願いします。
中田耕平さんは、1981年、和歌山県海南市生まれ、
2004年、京都造形芸術大学美術工芸学科、油画コースを卒業後、
アイルランド国立美術大学で絵画を学び、
帰国後、2017年に共同アートスタジオ、旧田島漆工場を設立。
現在は和歌山県を拠点に活動しています。
というわけで、耕平さんは既選ラジオエピソード12もゲストとして出てもらったり、
草原堂で開催されているトークイベントの様子も特別編ということで流させてもらっているので、
毎度ありがとうございます。
既選ラジオ最多出演ということで。
そうですね。
今回来月から始まる個展に合わせて、個展のことを色々聞かせていただけたらと思うんですけれども、
その前に、最近どうですかというような。
最近はもう熱いし、それこそ海南市は豪雨で、えらいことになったりとかで、
慌ただしく毎日を送っている感じですね。
ここは大丈夫でした?
ここは大丈夫でした。ギリセーフ。
ギリセーフ。
でも、あちこち着いたりして。
そうですね。大変でしたよね。雨漏りはもう相変わらずやっているし、
ちょっと壁から滝がというか、滝ほどじゃないけど水が。
ちょっと漏れたというか、流れた跡なんですね。
そういう感じで水が壁を滴るという。
なるほど。雨漏りで排水しきれずみたいな感じなんですか?
どうかね、多分横風で当たるのがずっとしていると、
ちっちゃな穴があって、そういうところから多分水が入ってきて、
03:00
染みてきてかな。
そうですね。
それでビヤーって、壁が濡れるんですよ。
結構壁からって多いですね。
普段は草原堂を変わらずやりながら。
そうですね。制作もして。
エピソード10に出てもらった時に、
もうすでに2023年度中に個展をするぞって宣言してくれて。
宣言していましたね。
宣言やっぱりせんかったら、ずるずるずるずる多分、
発表とかもせずに制作するとかできるんですけど、
キリがいいというか、
旧田島漆工場での活動も、
それこそ僕だけじゃなくても別でも活動するようにもなってきているし、
自分のアトリエというものをここに作るために
活用させてもらっているので、
自分の作品もそろそろ作っていくっていうのが多分、
この前の収録ぐらいの意気込みがあって。
それを言ったから、せなあかんって。
よっしゃあろう。
もう有言実行。
有言実行ですね。
今日はその個展がどんな内容であったりとか、
スタイルもかなり変わったということを前から伺っていて、
強行させてもらったらびっくりするほどスタイルが変わっていたので、
その辺の変化の理由であったりとか、
そういった話もいろいろと聞かせてもらえたらと思うんですけども。
では早速、この個展の話に入っていっちゃいますか。
そうですね。
今回の展示のテーマというのが、
包状記。
日本の古典三大随筆のと言われている一つの鴨の長名が書いた包状記というのを
テーマに絵画を作っていくという。
直接的にイメージというか話に出てくるものを
持ってきていることもあるし、
鴨の長名のあの時代のことと今の現在をリンクさせて、
現代の様子じゃないですけど、
ものを書いているものもあったりとかという感じで、
今回の展覧会は構成しようとしています。
Never stay the sameというのはどういう?
これね、直訳すると同じようにとどまることは一度もないということで、
06:03
包状記の初めの冒頭有名な床の流れは絶えずして、
ああいう川の流れは絶対に止まらないというのと一緒で、
無常観であったり、物事というのはずっと安定はしてもいいと思いますけど、
常に変わり続けると。
川は同じように見えているけれども流れている水はずっと違うよという話ですよね。
僕らの生活自体もそうやし、
僕自身がそういうふうに感じるというのがすごくあって、
それは流動的であったり、
可変的であったりというのは、
結構昔からずっとそういうものをどうやったら絵画表現にできるかなというのは
一個のテーマでやってきたことなんですけど、
それを画題として主題として具体的なモチーフを持ち込んでやるというのは今回が初めてで、
それがあってあっちゃんとかが全然変わりましたねという印象を持ったんやと思いますけど。
包状記をテーマに選んだ経緯というか、何で包状記にたどり着いたんですかね。
すごくね、最近のここ5,6年で、
自分が5,6年というか10年前ぐらいから自分が感じているというか、
肌感で感じる感覚があの時代にちょっと似てないってすごく思うわけですよ。
前のキセンラジオさんでも撮ってもらった、
君野町のアンムリタのチサちゃんというお坊さんと対談をやらせてもらったときの話でもそうなんですけど、
平安末期から鎌倉の激変する価値観がゴロゴロ変わっていくっていう世の中、
時代と今がすごくリンクしているというか、
例えば包状記で有名なのが鎌の町名が天災を最初の方にずらずらって地震とか火災であったりとか、
地震とか大雨はなかったな、危機とかそういう天災である、地震災もそうなんですけど、
09:07
災害というものが前半部分にあって、後半部分はその災害とは別に自分が山奥に
小屋を建てて暮らす、どういうふうにやって暮らしているよということを書いている、
すごい僕は結構今っぽいなと思うようなエッセイなんですけど、
先々週か海南市も被災したみたいな集中豪雨であったり、それこそ東日本大震災であったり
そういうような天災というもの、異常気象というものが小さい頃に比べて頻繁に起こっているような気がして、
そんな中で今まで生きてきた価値観で、もちろん今まで生きてきた価値観がガラリと変えられるかどうかはわからないですけど、
自分自身がすごく考え方がそのことによって変わっていくとか変わってきているなというのがすごくあって、
それが今回スタイルがガラッと変わったりとかというのにつながるんですけど、
今僕が見直すじゃないですか、気にかかっているところっていうのが、激動の中をどう生きていくんやろうかとか、
これから和歌山に住んでましたら南海トラフであったり、代表格じゃないですか、
そんな中、そういうものがもうすぐ、僕ら小さい頃でもうあと30年以内に来るよとか言われていてね、もう30年経ってるんですけど、
そうですね、ずっと言われてますね。
言われてるけど、もう近い、そろそろ来るかもしれんっていうのを考えた時に、
家族がおったりとか、ここでお店をやっているとか、自分が制作活動をやっているっていうのも、
安定した生活にそういうものが来た場合、自分はどうやって生きていくんやろうとか、すごくよく考えるんですよ。
それをね、今どういうことを言おうとしていたのかちょっと。
なぜ放浪機というテーマになったのかっていう。
で、そういうことを考えながら、並行して展示をするのにいろんなものをリサーチというか、
12:03
表現的な美術史であったりとか、いろいろ勉強し直したりとか、そういうのをしながら、
今自分が本当に必要な表現というか、描いてみたいとかっていうものっていうのはこういうことなんやろうなっていうのが、
落ち着いたというか、自分の中に踏み落ちて、よしじゃあそれについて描こうっていうのが、
今回放浪機がテーマに絵を描くっていうのが、あれですかね。
今一番正直な感じっていうか。
今までやってたスタイルを和歌山でやって、
僕は和歌山に帰ってきて10年ぐらい経つんですけど、なんかね、しっくりこないんですよね。
今までの工平さんのスタイルって言ったら、ホームページとかでも写真は見れるんですけども、
情報がない、キャンパスに情報がなくても色だけであったりとか、真っ白であったり、
やけど近くで見たら情報がたくさん書いてもらえてるみたいな。
そうですね、そういう、どういうふうにものが見えるとか、絵画の構造であったりとか、
そういうものに興味があって、それをどういうふうに絵画に落とし込めるかっていう、
いろんな要素を絵画に落とすっていうことをやってたんですけど、
和歌山帰ってきて、和歌山におらんかったときは、
京都にまず学生時代に行って、その後ダブリに行くんですけど、都心部におった生活やったんですよ。
いろんな文化的なものがたくさんあって、
例えばアートのことを話をする知人や友人たちがたくさんあって、
そんな中で自分がやってることを議論したりとかっていう仲間もたくさんいたんですけど、
それが和歌山帰ってきてパタッとなくなったというか、学生を終えたっていうのもあるし、
アートシーンみたいなものも和歌山には、今の現状は僕はわからないですから、
そういうものがない中で生活してると、やっぱり絵を描いててもね、
15:02
なんで描いてるっていうか、これ何が自分の中で面白いんだろうなっていうのが、
これはおもろいやろうっていう人がおらんかったら、描いてて寂しくなるっていうか、
寂しくないわけじゃないけど、そこへ行って発表したりとかすると、いろいろそういう話をできるんですけど、
もっと自分の身近なものに自分の表現をするっていう行為自体をリンクさせていきたいっていうのが、
多分気持ちが出てきたっていうのもあるし、
こういう田島漆工場を活用して活動していくっていうのも、
それも一つ、こっちか地元か帰ってきて、ローカルで活動するって何ができるだろうと思ったときに、
1個出てきたことと、自分の表現とか制作とかでいうと、綿を栽培したりとか、
そういうことをいろいろやってたんですけど、
自分の本で、やっぱりね、絵を描きたいなってちょっと思ってきて、
絵画を描きたいなみたいな、作りたいな。
それで、やっぱりペインティングっていいよねって、
自分の中でね、いろいろ表現方法であると思いますけど、
彫刻とか空間であったり、音楽であったり、文章を書いたりとかもいろいろありますけど、
なんかね、この壁にかかってるシックの中に、
すごいいろんな世界が生まれるっていう装置がすごい好きで、
映画とか映像とかじゃなくて、時間的な制約がないけど、
無限に流れるような時間がその中にあるような感じがして。
絵画は好きなんですよ。
なんで好きなのかって、いっぱい理由もあるし、嫌いなとこもいっぱいあるんですけど、
嫌いなとこないな。
好きなとこしかないですね。
見てても好きやし、やっぱり自分が好きなものを、
それまで、最近はやってなかったんですけど、
ずっと作ってきて、やっぱりもう一回自分で作りたい。
っていうのもあるし、
絵画に戻ってきて、
今まで通りよりも今の自分が正直に、
18:00
ほんまにやりたいことをやろうっていうのが今回ですね。
今までは、周りにそういうアートを作る人たちが多かったので、
できてた表現だったんで、ちょっとニッチなところというか、
ハイコンテクストなことが出たけども、
今回もっと直球でっていう感じなんですかね。
もっと直球やし、
絵ってやっぱり、いろんな人が想像するように、
ものが描かれて、絵画って結構思われる人が多いから、
やっぱり僕もそのど真ん中の絵画っていうものを、
に一回自分でもボールを投げ込みたいみたいな。
その直球を僕も投げてみたい。
どんな球になるんやろうかっていう。
今まではね、たぶんボールでいうと、
結構コースすれすれのところを変化球を駆使しながらとか、
どうやってストライク取るというか、打ち取らせるかとかっていうのを
考えるような多分、
野球やったことなんではあんま分からないですけど、
たぶんそういう感じでなんですけど、
今はもうどんだけ強い球じゃないですけど、
もう真っ直ぐドーンって真ん中に投げれるかみたいな感じのことをやりたいかなと。
やっぱり見てる中で自分が好きな作家さんとかアーティストとかでも、
絵画表現、ザ・ペインターって言われるものに憧れることもあるし。
やっぱりアウトプットは絵画になるんですね。
環境の変化とか、包場機読んでとかってなったら、
お店やりつつ自給自足的な生活してみたいなアウトプットとかも
人によってはなってくると思うんですけど、
やっぱりコウヘイさんはそこで絵画で表現するっていう。
うん。たぶん絵画以外の表現じゃないですけど、
草原堂を妻と一緒にやったり、
ここでコンサートとかライブとか、
いろんなイベントを企画したりとかっていうのもたぶん
僕の一つのアウトプットだと思うんですけど、
なんかね、もっとパーソナルっていうか、
やっぱり人がおってとか、お客さんがいてたり、
観客があったり、場所があったりとかから始まっているアウトプットだったんで、
絵ってね、ほんまあれなんですよね。
すごく個人的な遊びっていうか。
21:06
ちっちゃい頃から絵画好きだったんですけど、
遊びのひとつでずっと絵を描くっていうか。
ゲームやったり、友達と釣りしに行ったりとかの中で、
一人で紙とペンを持って絵を描くっていうのの、
大人になったときのそれみたいな。
やっぱり絵を描くことなんやなみたいな。
すごいあれね、ほんま。
ふっきりだとかじゃないんですけど、
人のことを気にせんと自分の思ったことをちょこちょこ作れるとか、
っていうやつのひとつですかね。
内面に向き合う。
内面、そうですね。今、自分の興味に。
それをストレートに出せるっていうのが。
出せるし、出てるかどうか。
出せてるかどうかって言ったら、ちょっとすごい苦労するところもあるんですけど、
一発で出せる時もあったら、何ヶ月やっても出えへん時もあるし。
でも、絵の具を触るっていうこと自体気持ちいいことやし、
画面に向かうっていうことも結構なんやろうね。
お店とかと比べると、お店とか、それもアウトプットやっておっしゃってたんですけど、
それって人の反応があってのことになる。
けど、反応がなくても出していかないとっていうのがだいぶ違うんかなって思うんですけど。
そうですね。反応はないじゃないですか。自分が絵作ってるときって。
自分の反応しかないですね。
自分の反応しかない。
毎日じゃんけんしてる感じで。
この表現ちゃうかな。
一人で。
一人というか、作り上げようとしてる画面と毎日じゃんけんぽん、ずこーん負けたーみたいなとか、
よし今日は3連勝できた、イエーイみたいな感覚があって。
筆の1個置くんとか、絵の具の乾きのこのタイミングで何かうまいこと言ったとかっていうのが、
毎日ちょっとした勝負じゃないんですけど、
じゃんけんも勝負って言われたら勝負ですけど、勝負じゃない。
24:03
何回やっても、それ何回勝っても別に、じゃんけん俺何連勝したぜみたいなのでもないから。
それを絵画っていうか、画面とやってる感覚なんですよ。
だから自分、そういうこと自問自答かもわかんないですけど、
思った通りにできたっていうのが毎日ちょっとずつその画面の中にあるっていうか。
それがその経験を自分ができるっていうのがやっぱり画面に向かえる楽しさみたいな。
それで作り上げて、絵ってさらにもう1個伝えるのに受け取り手がその糸を組んでくれるか読み取ってくれるかっていうのがめっちゃ難しくて。
僕も絵とか見ても表面的なかっこいいなとか、そういうのは好き嫌いで、
これは好き嫌い、これはあんまり好きじゃないみたいなのもあるんですけど、
多分何も読み取れてないと思うんですよ。
あっちゃんが?でも綺麗とかかっこいいとかっていうのも1つの読み取りだと思いますけど。
伝えるっていう風になったら、いろんな作家さんがおるからわかんないですけど、
それを結構大事なものに思っている作家さんがおるかもわかんないですけど、
それをしちゃうと苦しくなっちゃったんですよ。伝えるっていうか。
伝えたいって思うと伝えないとってなってきて、伝わらなかった時にしんどい。
伝わらなかった時にしんどいっていうか、伝えなくても、
伝えるっていうんやったら多分違う、それに特化した表現があると。
デザインとかもそうですよね。伝えるためのツールであって、
僕の気持ちっていうよりも技術じゃないですか。
伝えるものはクライアントのものを、コンセプトを伝えるために、
技術としてビジュアルに落とし込むっていうのがデザインとかの仕事で。
僕が絵画として考えているのは、さっきも言ったみたいにかなり個人的な遊び。
遊びって言ったらちょっとあれですけど。
自分がいろいろ見て、この絵画としてほんまにいいって思えたら、
27:11
そこまでじゃんけん重ねれたら、その画面と。
そうやって描き続けれたら、多分伝わらなくても、僕にとっては素晴らしい絵画やし。
僕も今、経緯の話とか包状記の話とか聞いたんで伝えたいのかなと思ったんですけど、
そういうもんじゃないですね、確かに。
包状記を伝えるっていうよりも、包状記はみんな読んだら伝わるっていうか、
その包状記から僕が取ってきたものをテーマにしているというだけで、
それがどういうふうに人に伝わるかっていうのは、
若干ね、こういうふうにしたほうがかっこよく見えるかなとかっていうこともありますけど、
いろんな要素があるんですよね。
それで自分で、負に落ちて納得できるようにどんなやつ持っていくか。
それこそ売れるように描くとかっていう。
それは売る目的が、売るとか評価されるっていうのが作家さんの目的なんであれば、
売れるように描くべきやし、売れる商品みたいに作っていくべきだと思いますけど、
なんかちょっとちゃうかもなって思ってますね。
職業作家になりたいかって言われたら、もちろんなれたらそれはいいと思いますけど、
なれんかっても絵描けるしな、みたいな。
作家にならんかっても、今までたくさんの先人の人たちが作ってきてくれた絵画の歴史であったり、
アートの歴史っていうものにアクセスするのは人類のね、全員の権利なんで、
それは別に作家やからアートにアクセスできるとかじゃなくて、どっからでもできるし、
そんな考えたら別に自分が絵作るもん、そういう職業にもこだわらんでもええよね、みたいなのは、
よくリサーチしながら思いますね。
ただその分をね、ちょっと勉強してるから、吸収しやすいっていうので、ちょっとアドバンテージになってるなっていうのはありますけど、
30:01
でもあっちゃんでも白石くんでも、多分アートっていうものにアクセスするのは平等だと思ってますから、
まあね、海外の美術館とか行かなあかんとか言ったらまた話は別ですけど、
神戸さんの目的っていうか、この絵をやる動機の一番上は何なんですかね。
いろいろあると思うんですけどね。
いや、なんか、なんかなあ、趣味?
趣味っていうか、なんやろ、真剣にっていうか、冒頭できる時間っていうものが結構僕は必要な方で、
一人で黙々とじゃないですけど、考えて、自分で考えて、自分でいろんなことをチャレンジやって、
結果が出てくると。
自分の中でいろんな結果を取捨選択できるっていうものが大事で、釣りとかも好きなんですけど、
釣りもすごくよく似てるっていうか、その時間が。
友達とワイワイあったりするのも好きですけど、それとはまた別に、
自分でいろんなものを、自分の見たものとか考えたこと、体験したことの中で、
次の自分のチョイスができるっていうものっていうのがやっぱり、
いろいろ人生の中であってほしいなっていう中の一つですかね。
なるほど。
最近ね、妻とね、最近って言ってもここ数ヶ月前くらいなんですけど、俳句にハマってて。
いいですね。
その俳句なんで俳句にハマったかって、
絵を描くとか、釣りをするっていうのが僕の人生の中で結構重要なウェイトを占めてると。
さっきの話で、地震とかで被災してしまったら、まず釣りは絶対無理やなみたいな。
そんなことしてる、レジャーしてる余裕は全く絶対ない。
で、絵を描くとかっていうことって、神とペンさえあったら最低限できるけど、
33:07
いやそれ、ほんまに自分が描き写したいことになるんかなみたいな。
でも、俳句を読むって、俳句読むことできたら、
そんな時でも悲しい表現であったりとか、心情であったりっていうのを読めたら、
最悪絵画と釣りができなかったとしても、まだ生きてれるみたいな。
ちょっと残してもおけますし、情景が浮かぶというか。
災害を意識したこの趣味を。
災害の備えに俳句。
面白いですね。それは、俳句を読む習慣みたいなのをつけとくと。
やれたらね。
心に余裕がというか、ゆとりが少しでも生まれたらいいのかな。
たぶん目の前のことばっかりになってしまうと、心的にもしんどくなってくると思うんですけど、
その中で俳句のことをパッと思い出したら、この時のことを読んでおこうみたいな。
読めたらいいですよね。
生きていればなんとかなるでしょう。
生きていればなんとかなるというか。
俳句をちょっと読めたらなと思って、色々俳句を読んでみるんですけど、
まあ読めへんのかなというか。
例えば最近だとどんな?
俳句ですか?
俳句を読もうとして、僕は俳句を読みたいんですけど、
俳句にならないんですよね。
俳句を読めるほど、
記号だったり。
だったり、情景をパンと言葉に落とせないというか。
でもね、俳句ってね、絵にすごい似てるなみたいな。
575の情報で世界がどんだけでもなるし、
千里とは違って、情景を読むのが俳句じゃないですか。
千里は人のことであったりとか、心情とか。
短歌もそうですけど、自分が思っている気持ちというものをまず読むんですけど、
俳句って自分の気持ちというよりも、その浮かんでいる映像を読むというジャンルやと僕は思うんですよ。
それってすごい絵画的というか、絵画も説明的な画像としてのイメージはありますけど、
そこに何が隠されているかとか、どういう世界を見とるかというのは、見る人のイマジネーションで、
36:08
メディア的にもすごいシンプルなものだと思いますから、
そういう面では俳句ってすごいいいなと思っているんですけど、
うまい俳句が全然できないというか。
なかなか、でもやっぱり絵を通じてそういう世界を知っているからこそ、
うまいことできないなというふうに思ってしまうというのもあるのかなと聞きながら思いましたね。
今回でも展示で、まだ展示機というか今見せ入れていないんですけど、
俳句じゃないんですけど、言葉を使った作品をちょっと作っています。
それもすごいスタイルチェンジですね。
そうですね。それがだから多分、
自分的には今のところ良くなるから作品にしようと思っているんですけど、
言葉を使うプロからしたら、何これみたいな思われるかもわからないけど、
それは僕はそれでいいと思っていて、自分のやりたいことが表現なのでやります。
展示のお話で、絵とかの読み方とか正解を教えてもらうというのはちょっと野暮な感じはするんですけども、
今ちょっと制作されている途中の絵とか完成している絵がいくつか描かれているんですけども、
それぞれの絵についてテーマとかイメージとか、どういうところから作っているのかというのをちょっと教えてもらえたらと思うんですけども。
じゃあ今、出来上がっていないのは出来上がるかがわからないので、
これ説明したけどないやん、というのはちょっと悪いですね。
出来上がっているのは今2点ここへ2人来てくれるというので描けているので、
ありがとうございます。
その部分をちょっと説明というか、どういうふうに僕がこの2つを作ったか。
こっちの白い方が、
DMの?
そうですね。チラシの絵になっているんですけど、
あれね、タイトルがね、タイトルもまだ確定しきってないんですよ。
ただ、リバーっていう川にしようと思ってて。
ほうじょうきの最初の?
ドンピシャの、だから一番最初に描き出したというか、
描いた絵でもあるし、今回の展覧会の一応メインイメージというか、
39:01
という感じの絵なので、
ディーバースもゆっくりの流れというのと、
近くいっていろいろ、いろんな角度から見てもらうとわかるんですけど、
変更する絵の具といって、角度とか光の当たり方で色が変わる絵の具というのがあるんですよ。
それで川の前に行ったら、表面の流れというものを描いている絵ですね。
絵画って固定されたイメージですけど、動くことによって画面の見え方が変わるとか。
いろんな角度から見てほしい絵という感じ?
いろんな角度から見て変化を楽しんでくれというよりも、
うまいこと川を描けたなと思っている。
あれは最初から川を描こうと思って、あれをスタートしたんですか?
川は描こうと思いましたけど、
あの川になったのが、これちょっとアートっぽい話になるんですけど、
福田平八郎という、ちょっと名前ちゃんと。
日本画家が有名な、大好きな私、福田平八郎先生。
戦前に活躍した人で、1892年生まれで、1974年まで生まれている日本画家の人で、
すごいね、この人の代表作があるんですけど、
これがね、川の表面を描いた、
これ何て読むの?
めっちゃ難しいね、山水に連れて行くの。
これタイトル知らんのかい?っていう。
でもめっちゃかっこいい絵ですね。
この絵がものすごい好きで、
川を描こうと思った時に、水、いろんな川を描いている作家さんとか。
サザナミです。
川じゃなくて、海やったパターンですね。
池で、川、池やったかな?
で、水面をいろいろ観察して描いたっていう、水の表面をずっと描いた絵があるんですけど、
それとよく似たような、そこからあの絵の元ネタとかどういう風にできたかっていうのが、
42:06
画面構成であったりとかっていうのは参照させてもらったっていう。
あれどうやって描かれてるんですか?油絵です。
アクリル絵の具です。
アクリル絵の具。
ちょびちょろちょびちょろって。
描いてるちょびちょろって言いますよね。何回も描き直したりとか。
ギズムであったりっていうものを、川の表面の流れの写真からトレースして、
その要素だけを取ってくる。
福田平八郎のさざ波も、画面の波紋の形っていうのを追っかけるのを、
どうやってトレースするかっていう、あの人の水の表現を借りて、
で、ああいう風に川に流れているものの、石にぶつかった時にできている水の泡であったりとか、
そういうものを写真から、自分で写真が元であって、
そこからいろんな要素を排除したりして、ああいうタッチを作るっていうか、
っていう感じの制作方法で、あの絵ができています。
あれは、今までの工兵さんのスタイルの延長というか。
そうですね。
パッと見たら見えるんですけども。
白っぽいしね。
もともとその、結構ビビットな色とかはあんまり用を使わなくて。
持っている絵の具自体、たぶん好みもあるし、
使わない絵の具って買っても使われんまま置いているというか。
その中でやっぱり自分のパレットの中で絵を作っていると、やっぱり同じ。
その辺は変わらへんというか、
癖じゃないですけど、自分の性格的なものであったりとか。
っていうのからずっと印象がよく似ているというものになるかもしれないですね。
かっこいいです。
ありがとうございます。
近くで見たら色がピンクだったり緑だったりにちょっと薄く見えて可愛かったり。
45:01
白っぽく見えるときもあるし。
DMになったら結構グレーがかった感じになってたんですけど。
そうなんです。あれね、iPhoneでカシャってやって。
そういう問題だったんですね。
っていうのもあるけど、白っぽい風に撮っちゃうと、絵の具の光も飛んじゃうとか。
やっぱり印刷物って、リアルというか、見たものと同じものを再現するということを必要とするときもありますけど。
イメージがあったらまあいいかなって僕は思ってて。
で、だって実際チラシが僕の作品だったら、それがチラシとしてあの色でああいうものなんですって言い切ったらあれはもう作品じゃなくなるとか。
あれが今ある一点で言うのは画面、あの絵が僕の作品なんで、それがどう撮られててチラシとちゃうやんかって言われても、
いやそんじゃん、本物描かれてますよ。
DMもかっこいいなと思ったんですけど、やっぱり実物めっちゃいいですね。
ありがとうございます。
もう一点、あっちにあるあれが、あれはねタイトル、エアーケージっていう、空気の籠っていうので描いてる絵ですね。
で、あれはね籠の柱、格子の部分には描かずに周りのところだけ描いてたっていうのから始まったんですけど、
なんかね、見えへん籠みたいなの描きたかったんですよ。
っていうのが、去年の夏にコロナにかかって、コロナで1週間か10日かな、自宅待機しなさいって言われてる時に、
なんかこのコロナの騒動って、鳥籠なんか入れられてるなっていう、すごい印象っていうか、鳥籠やなこれみたいな。
物理的には閉じ込められてはないけども、空気管とかで自宅待機だったり、行動制限されたりっていう。
48:04
っていうのも、別にね、だって自分がコロナやからって、家から出ていいわけじゃないですか。
だって、もしね、鳥インフルエンザとかっていう鳥たちは、インフルエンザやったとしても、
僕は管理、社会からしたらこう、あかんよって閉じ込めたり、殺処分したりとかしますけど、
コロナになって管理されてるけど、ほんまにコロナに何やろうな、いろんな違和感っていうか、
構造的ないろんなレイヤーがすごく僕らが生きてる中であるよね、みたいな。
それがこのコロナってすごい、自分の周りっていうか、いろんな世界にカゴをポンポン被せてる感じがすごい実感したっていうか、
目には見えへんけど、なんかすごく窮屈よね、やっぱりって。
10日間家でいられへんっていうのかも。
それがあったんやけど。
それで、目に見えへんカゴっていうのを1個描いておきたいなっていうか。
災害的な、補助機の前半部分に描かれてるカモの丁目が経験した災害と同じように、今回のコロナっていうのも、
今の僕らが現代生きてるね、ジャストナウな人たちにとって1個の大きな出来事やったんやろうなと思ったら、
これは描いておくべき絵やなと思って描いてます。
描きました。
なるほど。
そして、完成するか分からないってことなんですが、
なんか一番、僕来たときに、違う人の作品かなっていうぐらいスタイルが変わってる大きな絵があるんですけども、
これなんでこの形に、というかこの糸というか。
これはね、骸骨が抱き合ってるっていうイメージなんですけど、
これは補助機とはまた別に、
これはね、一級骸骨っていう。
一級骸骨。
有名なお話があるんですよ。
一級操縦が骸骨って言われて、
51:02
でも多分一級操縦じゃないらしいんですよね。
江戸時代とかに。
そのお話が無情感であったり、すごい面白いなって思ったんが。
どんなストーリーなんですか?
お坊さんがね、どっかお寺に泊まって、
次の日明けたらみんなが骸骨になってると。
骸骨が歌ったり飲んだり食べたりしてる。
その中で夫婦の骸骨がおって、
で、旦那の方が多分骸骨が死んじゃうんですよ。
骸骨やのに。
で、お葬式をするっていう。
骸骨が骸骨のお葬式をする。
骸骨が骸骨のお葬式をするっていう話なんやけど。
これって、死ぬってどこなんやろうみたいな。
だって骸骨はもう死んだって、死の象徴じゃないですか。
でも、死の象徴がストーリーをずっとつないでるっていう話が、
一種のメメントモリって言われる死を思えかな。
ヨーロッパとかでも骸骨をモチーフにしてるものってたくさんありますけど、
死に対しての一個のトークンじゃないですけど、
死とはどういうものかみたいな。
これの日本版のこれってすごい面白いなっていうのと、
骸骨で夫婦で旦那が死んでるのに死んだら悲しくて、
葬式すんねやと思って。
でも別に死んでたら愛とかってないよなみたいな。
死んじゃうと何もかもなくなるんかいなとか、
いろいろそういうものを考えたり、死生感っていうものを。
死んでしまっても抱き合ってる二人って素敵やなみたいな。
愛ってなんやろうみたいな。
それを一級骸骨を読んだときにすごく、
抱き合ってるこれもその画像から撮ってるんですけど、
抱き合って倒れてる絵があるんです。
カットがあるんですよ、イラストが。
54:02
それ見てすごい素敵やなみたいな。
で、抱き合ってお世話をしてるっていう絵とかで有名なもんで言ったら
クリムトとかさ。
クリムトって知らん?
クリムトちょっと見てみますね。
絶対知ってるよ。
知ってました。
なんか見たことありますね。
結構いろんな、この絵とかがすごいね。
僕はね、キラキラって抱き合ってる愛っていうのも知れんけど、
おじいちゃん、おばあちゃんよりも、
死んでんのに抱き合ってるとかっていうのとか、
あと放除期の中にも、
愛が強いものほど先に死ぬっていう箇所があって、
それはキキンの時のお話なんやけど、
自分が優しいというか、その人を思うがゆえに、
その人にものを食べてもらうために、自分は食べないから先に死んじゃうと。
愛と死っていうのをいろいろ、すごい複雑な気持ちなんやけど、
綺麗やなってすごく思ったんですよね、歌詞を読んだ時に。
で、そういう死と愛っていうものが、僕でも描けたらなみたいな。
ちょっと恥ずかしいから。
そのテーマで、このバカデカサイズじゃないですか。
この大きさっていうのは何か意味があるんですか?
いや、こんだけの、この画面をちっちゃいのに描いても、
バカデカイから成立するっていうか、
ちっちゃく、こういう風に描くこともできるけど、
このバカなほど、バカじゃなくてもっとデカく、
これぐらいがちょうどいいかなと思ったんですけど、
デカい方が、こんだけシンプルなことを言ったら、
説得力があるんちゃうかなと思って、
このサイズで描くのが、僕としてはいいんちゃうかなと思って。
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サイズ感とかっていうのも、絵を描く時って、
なんでとかって言われたら、
こっちの方がいいと思うねん、としか言えへんねんけど、
なんかそういうものがあって、
大きいものを、大きいからいいっていうわけでもないし、
ちっちゃいからダメっていうわけでもなくて、
イメージとか、画面の要素、
例えば絵の具のタレであったりとかっていうものが、
全部合わさって多分絵になると思ってて、
そのチョイスをちゃんと考えて、
やっぱり僕がね、この人すごい絵が上手やなって思う人たちって、
すごく考えてるっていうか、
この横の絵の具のタレですら計算なんちゃうかっていうぐらい、
綺麗に見えるっていうか。
それがあるって、自分としてはこの、
この画材に対してはこの画面の大きさが必要やなって。
もっといろんな要素がね、例えばあったら、
また話は別かもわからないですけど、
結構ね、僕この、あの二つの絵見てもらってもそうなんですけど、
描くもの自体が少ないと思うんですよ。
画面に情報っていうものが、風景とかって言ったら、
例えば空と大地と木があってとかっていうのもありますけど、
他にもいろんな要素ってあるじゃないですか。
例えば車が走ってたりとか、
そういう画面の中でいろんな情報がある作家もいますけど、
だいぶその情報量が少ないっていうか。
もともとね、その情報っていうか画面の中のイメージ、画像自体、
情報がないってないものばっかり作ってたっていうのもありますけど、
そういうものを描こうとして、
一つ二つで描こうとして舞うっていうか。
そうですよね。
シーンって何なのかはちょっと分からないです。
けどこの骸骨のやつも、情報としては分かりやすいけど、
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その構成はシンプルっていうか。
黒と白だけで骸骨だけがあるっていう。
こっからまだちょっとどうなっていくか、
まだまだあと2,3週間ずっと描くんで、
もしかしたらキラキラになってるかもしれへんし、
今のイメージから言うと、
なんかモワッと発光してるようになったらいいかなみたいなイメージはあるんですけど、
暗いところでモワッと光ってるっていうのがいいかなっていう
うっすらしたイメージはあるんですけど、
もしかしたら違うものになるかもしれへんし、
その辺はどういうふうにじゃんけんに勝っていくかで。
今展示会全体の完成度って何パーぐらいまで来てるんですか?
えー、50パー。
意外に来てなかった。
嘘?ほんま?
あと20日ぐらい。
50パーぐらいですね。
全体的な会場構成で言うと、
50パー。
このやっぱり大きなメインのやつがたぶん出来上がって、
結構これが大きな比率っていうか。
はい、そうですね。
このやっぱり骸骨っていうものは、
今回描きたいものの一つっていうか、
死っていう象徴ですから、
それと死や災害っていうものと、
その中で自分たちはどういうふうなものに
美しさとかを見てるかっていうのとか、
いろいろ点在的にあったらなっていうのが、
今回の会場構成になるんで。
はい、楽しみですね。
この死とか死生観に関して、
アンダー・アムリタのお話が結構大きく影響を受けたのかなと思いながら聞いてたんですけど。
そうですね。
アムリ、千澤ちゃんと話し合ったときは、
もう結構包条期で展覧会するぞっていうのは、
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もうそのときにあって。
あの話をさせてもらったのも、
ちょうどその時代の美術っていうものは、
こういうものっていうのを自分でリサーチするっていうので、
千澤ちゃんに声描きして、
ちょうどその時期に描かれたエッセイじゃないですか。
それも、あのときのお話っていうのはもうかなりここに、
この展覧会をするために話をやろうって思ってたのもありますね。
なるほど。
今回僕らを呼んでくれた意図っていうか、
なんかこの展示会とか展覧会をただやって何も語らないのって
クールな感じでかっこいいじゃないですか。
いろいろ解説してもらったりとか、
その経緯を語ることってなかなか、
もしかしたらかっこよさを落としてしまう可能性もあるかなと思うんですけども、
けど呼んでくれたっていうのは、
どうしてというか。
なんか、ずっと自分が千澤ちゃんのときもそうですし、
自分のことについて話を聞いてくれるお二人がいてて、
自分がその展示をする前にこうやってお話させてもらえたら、
いろいろなんか、なんて言ったらいいんですかね。
自分の中でもこの展覧会っていうものを言葉にすることで、
はっきりできるっていうか。
はっきりある程度はなってるんですけど、
人にこう、
妻には毎日喋ってても、はいはいって言われるし、
真剣に聞いてくれるときもありますけど、
1年くらい同じことと言ったらね、
分かったよっていう日の方が多いんで。
それも一つのアウトプットをしながら、
自分の中をちょっと固めていくような。
そうですね。
もしかしたらまたここからさらに制作が続くんで、
ちょっとこのアウトプットしたことで変化があるかも。
分かんないですね。
今50%やなんでね。
あとの50%が。
いつもでもこんな感じっすよ。
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そうなんですかね。
会場っていうか、
ラスト1ヶ月切って、
どうなるか分からんっていうのが多いっすね。
あんまり絵のできるスピード感っていうのが分かってないんで、
だいたい1枚の絵に何日くらいかけるものなんですか?
絵によっても変わると思いますし、
さっきお話ししたの、
ほんまにパッてできる絵もあるんですよ。
これもう間違いないみたいな。
それとかはもう普通に、
実際キャンバスを張って、
スタジオでやってとかで、
そういう絵を実際に描くっていうよりも、
下準備するのに数日かかって、
描き始めて、ささっと描いて、
なかなか良い。
よし、置いとこうと思って置いといたら、
画面乾いてっていうか、
描けてみてね、壁で。
僕平置きで描くのが多いんで、
描けてみて、
これはもうできてるなって思ったりとか、
っていうのがあるし、
出来上がりっていうのが、
僕はね、
出来たなって思ってから、
1週間、2週間ぐらい、
ずっと描けて置いとくんですよ。
で、2週間見てて、
2週間長いな。
1週間毎朝来て見て、
これはもう出来てるって思ったら、
出来上がりにしてます。
そうなんですね。
その間の1週間で、
やっぱ違うなってなることもあるんですか?
あります。
それが、
例えば、あの絵とかそうなんですけど、
リバー。
リバー。
だいたい90点ぐらい、
その時のね、
あと10年後になったらどう見えるか分からないですけど、
その現時点で、
90点以上を取ったら、
出来上がりみたいな。
でも88点とかの時もあるんですよ。
テストと違って、
その点数決める僕じゃないですか。
その判断はね、出来上がりの。
比によってね、
2点加算されたり減ったりするんですよ。
それがあって1週間置いとくんですよ。
だいたい88点のやつは、
1:09:00
基本潰すのが多いです。
潰すっていうのが、
ちょっとあかんな、表現ちゃうな。
潰すっていうか、手を加えて回る。
一旦完成したものを崩すというか。
完成やけど、これやったら、
自分の中で90点以上じゃないから、
どんなやったら90点以上になるんやろって
まず考えるじゃないですか。
触らなかったら、
出来上がらないですよね。
やっぱり触らないから。
自分の心境が変わって、
もうちょっとなーって思ってたら、
その時はちゃんと手を入れるというか、
1週間の時に。
じゃあね、だいたいね、
潰すと失敗する。
崩すと。
潰すというか、
潰すと失敗する。
潰すと失敗するというか、
やらなかったらよかった。
88点がちょっとまた下がっちゃうような。
下がっちゃうとか、
もうこれはちょっと点数、
ごめんやけどつけれへんなーっていう。
ボツになってる。
とかが、
多い。
でも、
でも、
手を加えて、
88点のものが、
手を加えて、
潰れんと、
起き上がってくるというか、
上手いこといった時は、
それこそもう80、
その時点で88点なんで、
もう絶対出来上がりというか、
いいものになるし、
いいというか、
自分がほんまいいなーって思うものって、
その、
手を加えるというか、
やらんと、
出来上がりに持っていくというよりも、
やって出来上がった方が、
なんかいいなーっていうのが、
結構多いっすね。
語り残したことは、
ございますか?
いや、
10%早い。
僕もね、
仕上げたいなって思うんすけどね。
なかなかね、
楽しみですね。
7月7日、七夕が。
そうなんですよね。
7月7日から、
17日まで。
10日間。
10日間。
その間、イベントであったりとか、
そういうのって企画されたり、
してるんですか?
してないっす。
今回、自分で、
作品作るんで、
精一杯というか、
なんか、
トークとかね、
出来たらよかったなと思うんすけど、
作品作るんで、
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余力がない。
っていう感じで。
会期中は、
神戸さんはずっと、
います、会場に。
はい。
多分、
ウロウロしてると思いますので、
何かまた、
来てくれてね、
いろいろこれ、
どういう映画なんとかって、
言ってくれたら、
それについて話できたらな、
と思ってますけど。
7月7日、七夕だから、
みなさん、田島漆工場で、
ぜひチェックしてください。
ご視聴ありがとうございました。
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