00:22
結構、金子さん、インタビューされてるんですか?
インタビュー多い。
多いでしょ。パッて探しても、ネットの記事いっぱい出てくるし。
でも、このラジオは初めてですね。
肉声は?
だから、じゃあ、細かいことは知らないでください。
一応、時間決まってるんですか?
いや、全然決まってないです。
だから、今日はちょっといつもと違う感じでいきますみたいなのもいいんじゃない?
金子くんの人となりをちょっと出す感じで。
それをNomに載せていくの?
皆さんに質問しまくるからね。
Nomに載せていく感じでいいんじゃない?
ああ、そうか。
よし。音声は大丈夫ですか?
多分、大丈夫です。割と。
冷蔵庫も切っていただいたんで。
よかったら白石くん、いつでも始めてもらって。
金子さんは金子匠さんでいいですよね?
そうです。
NomCraft Brewing、マネージャーでいいですか?
マネージャーですね。
マネージャーで。
森本さんはNomCraft Brewingを運営する株式会社キャンプス有田川代表取締役。
長くない?長くない?だから僕、やっぱりいらんの?
まあ、いるっす。
いらんと思うけどな。
代表取締役森本信介さん。
代表取締役でもうすぐクビになるもん。
それはいつ交代なんですか?
今にも、なんなら先月にする予定だったんよ。
予定でしたけど、ミーティングなかなかできない。
そうそうそうそう。
そんな話なんですね。
あらあら。
じゃあ、そんな感じでやっちゃってください。
まるじゅう家具は別に言わんでいいですか?
まあ、今回は別に。
まるじゅう家具の話も聞きたいんですよね。
ここまで喋ってたじゃないですか。カツーラで。
それは僕も、サウナで森本さんに会った時に、
まるじゅうの話を森本さんから聞いて、そこから金子さんにつなげてもらうのが美しい流れって言ったんですけど。
やべえ、僕最後の人、また考えてない。
ダンコ出演拒否されて。
そうそうそうそう。
2人でこう、夫婦で出てほしいなっていうのはすごいあるんでしょう。
はい、ということでやります。
よし、緊張するな。
誰にしようかな。和歌山の人か。
いきまーす。
はい。
和歌山市のアウトドアショップキセンランドトレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューする番組です。
キセンラジオ第39回です。
03:02
2023年10月30日午後7時、和歌山県有田川町にあるノムクラフトブリューイングで収録しています。
本日のゲストはノムクラフトブリューイングマネージャーの金子拓美さんです。
ノムクラフトブリューイングを運営する株式会社キャンプス有田川代表取締役森本信介さんもオブザーバーとして同席してくれています。
金子さんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在の活動のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
金子さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
森本さんもよろしくお願いします。
お願いします。
ではまずは金子さんと森本さんから簡単に自己紹介していただいてもいいですか。
はい、ノムクラフトブリューイングでマネージャーをしています金子拓美と申します。
出身は愛知県の豊橋市で平成元年生まれですね。
なので今年34です。
同い年ですね。
同い年?
同い年。
そうなんや。
そういう話してる。
そうそう。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では森本さんもお願いします。
株式会社キャンプス有田川代表をもうすぐクビになる森本です。
普段は有田川町にあるまるじゅう家具で家具とか雑貨とかカレーとかビールを販売しています。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
金子さんからノムクラフトがどんなブリューアリーなのかとかちょっとまずは説明してもらってもいいですか。
はい。
ノムクラフトは和歌山県有田川町の永田という地域で
とあるたどの保育所という保育所がありまして
そこがなくなってしまうっていうのをリノベーションして新しく生まれ変わった醸造所になります。
スタイルはアメリカンスタイルのクラフトビールが多かったんですけども
最近はいろんなスタイルをやりながらクラフトビールの製造販売をやっております。
ありがとうございます。
マネージャーっていうことなんですけども
マネージャーって何やってるんですか。
マネージャーはまずノムクラフトのメンバーが今5人社員でいて
1人パートさんがいるんですけども
その5人のうち3人が醸造家なんですよね。
彼らはビールを作るまではやります。
レシピを書いてビールを作って販売できる形にするまでやります。
それを販売する側でもう2人いて
06:03
その製造と販売
製造は今はほぼやってないんですけども
販売のほうを全般と
あとその他の彼らができない業務も全部やってます。
多分イメージすると
商品を撮影してお客さんにリリースしたり
そういうこともやりますし
結構イベントに出展することもありますし
会計だとかお金関係のことも全部やりますし
あとは周りの人からのメールの対応とかもするし
お客さんの対応もするし
あと何でしょう
森本さんがもともと代表でやってくれてる代表業みたいなやつがありますけども
そういった代わりみたいなこともやってます。
ノームクラフトのフロントマン的な感じですかね。
そんなところもやりますね。
僕はちなみに何もしてないですね。
もうすぐ金子さんが代表になられるので
それまでの
そんなところの話も含めて
ノームクラフトがどうやってこんな存在になったのかっていうのも
ちょっと気になるところなんですけども
まずは金子さんがノームクラフトに至るまでの
生い立ちであったりとか
ルーツの部分をいろいろ聞かせてもらいたいんですけども
先ほど愛知県豊橋市出身ということなんですけども
豊橋市ってどんな町ですか。
愛知県豊橋市はよく言うのは
自然、山があって海が近いんですよね。
そういう自然とのアクセスもよくて
町としても人口が38万なので結構いいサイズの町っていう感じですね。
住みやすい町っていうみんなに言うてます。
そこで生まれてどんな家庭環境だったんですか。
家庭環境。兄弟はうち兄貴が一人
二つ上の兄貴と八つ下の妹がいて
結構子供の頃は兄貴とつるんでいることが多かったので
男兄弟でサッカーにくれながらやってました。
ご両親ってどんなお仕事されてたんですか。
両親は母親はもともと保育園系だったのですが
今は洋裁?
洋裁?包製?
服作り。
服飾ですね。
やってますね。
父親は会社員やってます。
09:00
そんな家庭に生まれて金子さんはどんな子供だったんですか。
僕は小学校からかな。
サッカーやり始めたのが年中さんで
ずっと兄貴のお尻を追いかけながら生活していて
サッカーにくれながら小学校を過ごして
結構小学校の頃はサッカーできた方だったんですよね。
自分が6月生まれで運動神経も周りの子よりも良かったので
小学校の頃はわりとオラオラしてました。
結構金子さんってイケメンじゃないですか。
それは自分でも言わないです。
そんなことないと思います。
かっこよくてスポーツもできてみたいな感じなんで
結構モテちゃって的な。
わからないです。
小学校の頃は本当に一つ思い出に残っていることは
自分がサッカーの試合があって
スローインからコーナーキックまで全部自分がやるみたいな
自分が一番やった方がうまくいくからっていう考えでいたから
それでいて
中学校になるときに僕がオラオラしたタイプだったから
一緒に次のステップ、次のチームに行くときに
結構チームメイトが離れたんですよね。
僕の友達が一緒に来ないのかなと思ったけど
違うチームでやるって言って
その時にちょっと自分の中でショックを受けて
オラオラが減りましたね。
チームメイトを大事にするタイプになって
そういう転換はありましたね。
それが2回ありましたね。
中学校行くタイミングで1回丸くなって
小から中の時と高校の最後かな。
高校ラストは何があったんですか?
高校はそれも部活動ですけど
僕はキャプテンだったんですけど
副キャプテンの人に頑張りすぎっていうコメントを
卒業の少々に書かれたんですよ。
頑張りすぎないでね。
多分僕が頑張りすぎて
リラックスするところがなかったんだろうな
って彼には見えてたと思って
結構その言葉を覚えていて
大学になった時には
キャプテンではないけど
プレイングコーチみたいな
プレイヤー兼コーチみたいな感じでやってたんですけど
12:00
その時は僕が何かを言ってやらせるというよりも
プレイヤーをどうやったら生き生き伸ばすか
っていうことを考えてました。
だから2度にわたって
最初のオラオラから
高校の時どうだったんだろうな
なんとかして
どういうふうにキャプテンに見られてたかわからないですけど
何か力んでたんですよきっと。
それで大学になって
力が抜けて
みんなが生き生きできるような
チーム作りをしてたっていう感じですね。
中高もサッカー付けみたいな感じだったんですか?
そうです。だから大学までずっと部活やってたので
サッカーは年中5歳から
5歳から22まで
毎週5回以上やってましたね。
プロを目指してたみたいな感じですか?
プロは目指したのは小学校までかな。
小学校の時は本当に自分ができると思ってたけど
中学校に行ったら
自分が置かれる環境が
もう少し自分より上手い人たちが多いところに行ってたら
もっと上手くなったと思うけど
多分自分が一番上ぐらいの選手になっちゃってたので
そこで多分僕のプロへの道はなくなっていったと思います。
なるほど。
その頃はサッカー以外に好きだったこととかありましたか?
本当にサッカーしかやってなかったんですけど
学校以外で例えば家族で出かける旅行とかは
だいたい釣り行ったり
川釣りですね。川釣りが多かったんですけど
川釣り行ったりバーベキュー行ったり川遊び行ったりっていうのが
一番楽しい思い出ですね。
あとは秘密基地作り。
山が隣だったので山に秘密基地をよく作ってました。
それで中高ぐらいでですか?
小学校です。
さすがに小学校ですよね。
中学校は防空壕が隣に山にあったので
防空壕の中でエアガンの打ち合いとかしてました。
なるほど。
そして大学は教育大学に進むんですかね?
これは学校の先生になりたかったみたいな感じですか?
そうですね。高校の時に進路を決める時に何がしたいのか
多分僕は選択肢をあまり知らなかったので
人に教えることは好きだなと思っていたし
15:01
好きな先生もいたので
先生の道もいいなと思っていて
教育大学を目指しました。
ちなみに大学はどこの大学なんですか?
愛知教育大学です。
そのまま愛知県で?
そうです。
愛知教育大学ってめっちゃ賢い感じなんじゃないですか?
愛教大は多分東京の学芸大学という教育大学のトップがいるんですけど
その次だと思います。
そんな大学生活はどんな感じだったんですか?
大学は本当に週5が部活動だったので
ほぼ土日も部活で平日に2日休みがあるだけだったので
毎日部活に明け暮れてましたけど
その休みは毎月一都道府県に行くという旅行をしていました。
僕は体育家だったんですけど、体育家同士の仲間で。
なんでまたそういう企画が?
多分ただただ旅行が好きだったと思います。
金子さん自身が?
そうです。
大学生活は終わり頃にかけてですけど
大学4年生くらいから他の大学生が就活するみたいに
教育大学生は教員採用試験というのを受けるんですよね。
それが夏で教員採用試験を受かるようにみんながんばって勉強します。
僕はその時は教員になることをやめて
とりあえずはやめてたんですよね。
大学卒業してから教員になることをしないって決めてたので
教員採用試験は一回も受けてないです。
それなんでしなかったんですか?
19歳くらいに会った人が
僕の大学卒業後の人生を変える人だったんですけど
僕はその人はメンターみたいな人に出会って
その人の生き方を僕は教えてもらって
そういう生き方があるんだなっていうので
その人は30歳になるまでずっと海外旅行をして
その人はサーフィンが好きだったのでサーファーだったんですけど
そこから30歳になったときに就職したところが
僕がアルバイトしていた塾だったんですよね。
そこで出会ったその方と
ほぼ毎週僕が休みだった月末のアルバイトの日はお話しして
18:01
夜結構夜な夜な飲みながら色々お話し聞いたりしていて
結構刺激をもらった人で
その人の言うことを一つ一つすごい身に染みながら
こういう生き方があるんだこういう大人がいるんだっていうのを知ったのがそこでしたね
その人のアドバイスというか
僕がその人を見て海外に出たいって思うようになったので
教員採用試験を受けることをやめて海外に出ることにしました
その人どこが憧れたんですか?
どこが憧れた?
経歴だけ聞いてたらあんまり憧れる要素がなさそうな
でも仕事はすごいできる人で今もたぶんバリバリやってるんですけど
考え方とか後輩の引っ張り方とかも上手でしたし
どうだろうな
何が惹かれてたんだろうな
その人の旅のエピソードとかを聞いて
旅のエピソードそんなに聞いてないかな
その人は結局海沿いに住んで
本当にその海沿いに住むまでずっと海外にいたので
その時彼と出会ったのが僕が19で彼が29歳
その時の彼をイメージしたら
かなり今の僕のイメージが全然違いますけど
大学まで教員という生き方というか
あんまり選択肢がなかったとさっき言ったんですけど
その中で違う生き方を見せてくれた
その人はすごい良かったというか
ちょっと憧れがあって
海外に行ってみようということ
教員になってからの姿はすごいイメージができたんですけど
60歳まで働いてという
それはイメージしやすいんですけど
なかなかそれ以外の道をイメージしたことがなかったので
すごい刺激になりましたね
じゃあもう学校の先生は目指さずに
そこから何をしようってなったんですか
そこからはバックパッカーですね
2014年?
大学卒業した2014年からですね
バックパッカーとして海外に出ました
もう世界一周的な感じですか
その時はベトナムスタートということだけ決めて
あと何も決めてなかったですね
日にちも決めてなかったですね
21:01
その旅はどうでした?
旅はどうでした?
目的はないんですか?
何も決めなかったんですよね
1日目の宿も決めてなかったので
飛行機で一番安い中国東方何とか航空という
3万円ぐらいの片道のチケットでベトナムのホーチミンに着いて
着いたのは夜中だったので
その日の宿もないのでとりあえず空港で
朝の8時までかなぐらいまで過ごしたんですけども
その到着したのが12時夜中で
その時に出会った人が一人のおじいちゃんで
おじいちゃんも同じく僕と同じく朝まで過ごしたんですけども
そのおじいちゃんがこれから黒門族の写真を撮りに行くって言って
トランジット中だったんですよね
その黒門族を撮りに行くフェっていう
黒門族を撮りに行くっていう何家町だったかな
町の名前忘れたんですけども
そこに行くよって言われて
そこをとりあえずベトナムの目的地にしようって決めたんですよ
なので最初の宿も決まってなく
目的地もどういうルートで行くってのも決めてないですけども
そうやってルートがどんどん決まっていった感じですね
ベトナムの次はどこ行くんですか?
ベトナムで上の方行って
その後ラオスですね
ラオス入りました
ラオスは仏教ですね
仏教の町でしたね
ベトナムからラオスは
全部陸路で行くっていう旅だったんですよ
なので特に飛行機を使ったりだとか
タクシーも使ってないんですけども
陸路で基本的にはバスか電車で行くっていう旅だけ決めたので
ベトナムからラオスとかも
大体28時間ぐらいの陸路の旅で行った覚えがありますね
それが旅をしてる間に
自分のやりたいことを見つけようとか
そんなことは考えてないです
そんなんもなかったんですか?
別に何かを求めに行ったというよりも
ただただ新しい経験をするだけのために行ったので
ただ興味を
興味と何々したい
何か見たいだとか
そういった欲を満たす旅でしたね
ラオスから?
ラオス行ってカンボジア行って
東南アジア全部行きましたよ
タイ行ってマレーシア行ってブルネ行って
24:03
その後インド
バングラディッシュ行ってネパール行って
そこからヨーロッパ行きましたね
結局どれぐらい行くんですか?その旅は
その旅は結局300日ぐらいでしたね
1年弱で終わりました
どこで終わったんですか?
結構終わり方は良くて
ユーラシア大陸の最西端
と言われるポルトガルの何とか岬っていうところがある
何とか岬ですかね
そこで終わりましたね
霧翼
終わって帰国して仕事しようって感じなんですかね
そこで終わって
一番にやっぱり
英語がないとこの後世界が広がらないなっていうのが
すごい実感にあったので英語の勉強をすることにしました
それまで言葉はどうしてたんですか?
英語もあんまり通じないし
現地語もどんどん変わるわけじゃないですか
現地の人とのやりとりも絶対あったと思うんですけど
どうしてたんですか?
基本は英語ですね
だけど英語で伝えようとするんですけど伝わらない場合は
手で何か
ボディランゲージだったりとか
ボディランゲージだったりしたりとかしてましたけど
片言の英語同士みたいな
そうですそうです
英語がやっぱり足りないっていうのは
そうですね
多分一番思ったのは旅人同士との交流で
ヨーロッパ人とかいろんなところ世界中の方々と交流するときに
やっぱり共通語は英語だったので
そのときに身につけた英語だけだったら
全然話せなかったんですよね
それでより深く英語を学ばないとこれはダメだなっていうので
結構危機感的な感じで英語の方を勉強するって決めましたね
帰国してどうしたんですか?
NOVAとか行く感じですか?
帰国してフィリピンですね
フィリピン
フィリピンの語学留学したんですけども
フィリピンのバギオというところに行きました
それはどれくらい行くんですか?
3ヶ月です
3ヶ月で英語をある程度マスターして
3ヶ月英語の勉強で言うと
僕のおすすめは語学留学する前に
中学校3年生までの英語の内容を全部8割以上理解できるようになって
そこから僕がフィリピンに行って語学留学したんですけど
フィリピンのいいところはマンツーマンなんですよね
27:01
アメリカとかオーストラリアとか
そういう英語第一言語で話しているところに行くと
だいたいグループレッスンなので
そうすると自分が喋らないと
多分コミュニケーション取れないんですけども
フィリピンだとマンツーマンなので
先生対自分なので
自分が何も言わなかったら授業も進まないので
それがすごく良かったです
その間旅の間とかもずっとそうなんですけど
お金とかどうしてたんですか?
お金は貯めておくんですよ
でもヨーロッパの旅で
ちょうどよくポルトガルで終わったって言いましたけど
結局のところは銀行残高がマイナスになったっていうのが
旅の終わりだったんですよ
なのでそれで一回帰国して
また日本円を稼いでフィリピンのほうに行きました
フィリピンで英語を身につけてまた旅に行って
ちゃんと他の人ともコミュニケーション取ろうっていう感じ
フィリピンに行ったら
第二言語者とのコミュニケーションはほぼ自信がつくので
次はネイティブとの英語をやらなきゃなって思って
フィリピンの留学中にオーストラリアのワーホリのビザを申請しました
オーストラリアで働きながらまた
ワーホリなのでその時は仕事もできて
仕事をしながらオーストラリアで過ごしました
その間はまだやりたいこととか固まってない?
やりたいことは固まってないです
なので僕が海外に出た時に
30歳までは何してもいいって決めてたので
だからそれまでに何かをやりたいことを探すとかでもなく
一応先生になれるっていう保険があったので
もう別にそんな何か探さなきゃっていう焦りはなく
解放して楽しんでました
オーストラリアの次はどうするんですか?
オーストラリアの次はカナダですね
カナダは
それもオーストラリアのどっかのパブ入った時に
隣に座ってたイギリス人の結構イケイケなお兄さんがいて
その人がカナダ行ってたよって言って
どっかいいとこあるって言った時に
お勧めしてもらった町に行きました
そこまでカナダのどこに行くかは決めてなかったんですけど
それはどこやったんですか?
カナダのジャスパーですね
ジャスパー
ジャスパーは西海岸寄りなんですけども
何が有名な町かな
カルガリーとかカルガリーオリンピックって昔あったんですけど
30:02
カルガリーとかバンフーとか近いですね
ロッキー山脈
ロッキー山脈側です
ロッキー山脈のロッキー国立公園の中にある町で
人口4,000人の小さい町ですね
そのカナダ留学中に有田川町メンバーと出会うわけですか?
違います
違います
カナダにいる時にクラフトビール浄土所で働いてたんですよ
でもビール製造ではなくキッチンで働いてたんですけど
その時にビールのことに興味を持って
ビールで有名なポートランドに行こうかなっていう感じでポートランドに行ったんですよ
そのポートランドに行った時に有田川町で
そこで森本さん登場っていうわけですか?
僕たちがポートランドと一緒にポートランドに習った町づくりみたいなのをその時やってて
その流れでポートランド視察みたいな感じでみんなで旅行に行ったんですよ
そこの旅行先の農園兼レストランみたいなところで
行ったら森本のイケメンが一輪車をついてたんで
つって話したらどこから来た?豊橋
そこで仲良くなって
ちょうど来月くらいに日本帰るって言ってたよね
帰るって言ったからぜひ和歌山遊びにおいでよって
なんならちょうど翌月くらいからみかんのバイト
季節ロードみたいなのもあるし
僕も家具屋してるからちょうどまた稼いで海外に行くのいいんじゃないみたいな話をして
本当に翌月来てたっていう感じでしたね
それなんで和歌山に来たんですか?
ポートランドで森本さんと出会って話してた時に
すごくいい印象だったんですよね
森本さんもいい印象だったし
そういう人たちの雰囲気も良かったので
それまで町づくりをするなんていう人たちと出会ったことがなかったので
すごいそういう興味もあって行くことを決めましたね
それどんなメンバーで行ってたんですか?
それは僕と
英作さん一緒にこの会社をやってる
今の彼の奥さんのお父さんになる方なんですけど
あと役場の
副町長来てました
副町長来てたな
役場の担当者みたいなのとか
あとうちの妻とか会社の
33:00
僕は会社を占めて社員旅行みたいな感じで行ったんですよ
一緒にそういうメンバーで行ったんですけど
10人ちょっとおったよね
いたいた
アリーダ川町がそもそも
そんな視察行くってなったのは何でなんですか?
アリーさんおったわ
アリーさんっていう人が
ポートランド流の町づくりみたいなものを
アリーダ川町に持ってきたんですよ
それに僕らが乗っかって
若者主体の町づくりしようぜみたいなので
ポートランドみたいなワードでやってて
アリーさんに連れられて
みんなそういう生きたい人みたいな感じで
行ったことないし見に行こうかつって
美味しいものを食べたりビール飲んだりする
視察というような旅行に行ってましたね
それが何年くらいのことですか?
2017年です
金子さんもこっちにバイトしに来て
遊びに来るつもりで
日本円を稼いで次の国に行こうぐらいの気持ちで来ましたね
そこからバイトしながら
どうするんですか?
そのぐらいの時に
アリーダ川町の町づくりみたいなものが
注目されてたのか
いろいろイベントに呼ばれることとかがあって
たまたま大阪の阪神百貨店で
いわゆる物産店みたいなポートランドフェアみたいなのがあるじゃないですか
そういうのがあって
それにポートランドと一緒に町づくりしてる町
みたいなブースで出展を言われて
それに僕たちが
言ってたんですよ
こういう町ですよみたいなPRCに
そこにベンっていう男が来て
ポートランド俺出身やと
俺ビール作れるんやと
アリーダ川町行って一緒にビールせえへんかみたいなことを
言い出したのが
そのビールノームクラフトのスタートという
そこからこういうやつおるんやけど
金子くんビールとか興味ないのみたいな
するとさっきからビールの話も出てましたけど
繋がってっていう感じ
そこからもうすぐノームクラフト立ち上げみたいな話になるんですか
その時2017年の10月ですね
僕が訪れたのが
そこから3ヶ月だけみかんのシーズン
滞在することが決まっていて
その間にさっきのベンっていう
ポートランド出身の彼と
あともう一人アダムっていう
アダムはね今もノームクラフトの浄土町でやってるんですけど
その2人が
クラフトビールで町づくりやりませんかっていうアプローチをきて
その時に僕がたまたまいたので
オンラインミーティングとか一緒に参加させていただいて
そこからじゃあノームクラフト立ち上げるかっていうところまでなったんですよね
36:02
その後僕はまたビールの修行に行っているので
ビールのこと全く知らなかったので
オーストラリアの方に行って
オーストラリアから岩手県に行って
浄土研修を合計で半年ぐらいして戻ってきました
戻ってきてからノームクラフトの着工ですね
ここの今の浄土所の工事が始まりました
すごい話ですね
そんな感じでしたね
偶然アダムとベンが来て
そうなんですよ
それは偶然で
でもここの場所っていうのがもともと保育園で
いわゆる潰される予定だったんですよね
それをいわゆる僕たち町づくりグループ
町づくりしている人たちが何とか町と掛け合って
残してくれへんかと
ここでいわゆるみんなが集まれるような
コミュニティスペースになったらいいよねっていうのを
ワークショップしながら一般の人とか地元の人も交えて
どういう場所が何があればみんなそういうところになるかな
来たいかなっていうのを結構何回も
それはまさにポートランドスタイルの町づくりっていう
地元の人の要望を何回も何回も聞いていって
みんなが納得するものを作っていくっていう形なんですけど
そういうのを積み重ねていく中で
やっぱりカフェとかマルシェとか
やっぱりすごい要望があって
さっきにカフェは決まってたんですよ
でも一般の普通のカフェっていうイメージだったんですけど
クラブとビールっていうのは正直その時まだ
特に和歌山この辺では全くもって
そうですね2017とかだったら
正直僕もビールはめっちゃ好きで飲んでましたけど
じゃあ和歌山でクラブとビール飲むとこってなかったし
やっぱりポートランド行って
こんな種類があってすごいおいしい飲み物だなっていうのを
衝撃を受けたぐらいの時だったんで
そういう要望はなかったんですけど
そこにちょうどマッチする形で
みんなポートランド行った後だったし
おいしかったしえんちゃんえんちゃんみたいな感じになって
一気にそっちがガガガガって進んでいったっていう感じですね
じゃあアダム・ベン・カネコさんで
ノムクラフト立ち上げみたいな感じになるんですか
そうですね
それが何年のことですか
ノムクラフトができるのは
2018年着工で
実際に醸造ができたのが2019年からですね
2019年から販売スタートみたいな
そうです2019年の5月からですね
今まで4年間で
ノムクラフトってあっという間に結構
日本有数の有名なクラフトビールメーカーみたいな感じになってるんですけども
39:05
ブルータス乗っちゃったり
ブルータス乗ってますね
これってどうやって
この地位というか
これだけ有名な感じになったんですかね
どうだろう
ブランドの作り方っていうか
ブランディング?
特に何も考えてないわけではないですけども
みんな見ていい映画に合わせ
飽きて飛び出す
エルフもないだけど