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episode.53 前編 民宿わかたけ 花井清州さん
2024-07-24 1:10:47

episode.53 前編 民宿わかたけ 花井清州さん

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episode.53 前編

ゲスト▷ 民宿わかたけ 花井清州さん

今回のゲストは民宿わかたけの花井清州さんです。

talk topics

寝返り未経験/いじられやすい子供/つらい話は続く/居場所は深夜/引きこもり専門学生/MMO/東京へ/Uターンその①/社会経験を積みたい

どうぞお聴きください💁‍♂️

番組のオープニングのエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。

楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

kisen radioはApple Podcast/Spotify/Anchorなど各種音声配信サービスから聴くことができます。

「kisen radio」で検索よろしくお願いします📲
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感想

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00:23
緊張するな。
さりげにめっちゃ聞いてましたから。
きっかけとしては、
あの日、
僕、kisenradio、その前から、
1年前くらいから存在を知ってたんですけど、
聞いてなくて、
聞いてやらんと。
なんで?
やっぱり、紀北でやってる人で、
最近でこそ、
ここ1,2年じゃないかなと思ってて、
アーケードがこっちに現れて、
僕も色々知り合いの方増えてきたけど、
紀北の人ばっかり取り上げるんでしょ?
みたいなところがあって、
そこでちょっと、
聞かんとこうと思って、
言いつつ我慢をしてたんですけど、
なんか、ちらちら見ながら。
ドゥーツは西村さんですからね。
ウィールアクションの。
エンカウンタードから、
あれをやってて、
めっちゃいいなってなって、
僕らもやろうって感じで。
エンカウンタードでも初回は、
ゲストはハナイさんで、
恐ろしいですね。
富山さんのノーグッドラジオも、
ハナイさんが出てて、
まだ出ましたね。
非難のポッドキャストは、
全制覇してるハナイさんなんですけど。
完全に非難の重要人物やなっていうのは、
そのポッドキャストの出方とか、
ちょっと調べさせてもらったら、
感じてるんですけど。
どうなんでしょうねって思いますけどね。
ちょっとその辺を今日は、
詳しく聞かせてもらえたらと思うんで。
僕は上田さんのことを、
ずっと知りたいなって。
いや、僕は何もないですよ。
聞いてもらっても大丈夫だね。
お願いします。
お願いします。
和歌山市のアウトダーショップ、
キセンランドトレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップ、
ARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方に
インタビューしていく番組です。
キセンラジオ第53回です。
本日は、
那智勝浦町にある、
民宿若竹で収録しています。
本日のゲストは、
民宿若竹のハナイ聖州さんです。
ハナイさんの生まれから、
現在に至るまでのルーツや、
現在のこと、これから計画していることについて、
お聞きしていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
それでは、
今日は白石君がまた席をしているんですけど、
コロナの方は大丈夫ですか?
コロナじゃないと思うんですけど、
ちょっと長引いているんですね。
すみません、席が出たら。
03:01
大丈夫ですね。
もう病は治っているということで。
予防は大丈夫なんですか?
予防、ずっと
残っている感じはあるんですけど。
大変ですよね。
ラジオパーソナリティとしては、
致命的な席が一生残るっていう。
ほんまや。
ではでは、
まずはハナイさんから
自己紹介してもらってもいいですか?
はい。
1980年生まれ、
44歳になりました。
那智勝浦町生まれ、
那智勝浦町育ち。
民宿若竹を主にやっています。
ハナイと申します。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
民宿若竹をされているということなんですけど、
民宿若竹っていうのは
どういう民宿になるんですかね?
那智勝浦町、
金勝浦駅の
西口の目の前にある民宿です。
元でいくと、
オープン当初は
ビジネス民宿みたいな
ちょっと変わった形態で
民宿が始まっていて、
一般的な民宿のイメージでいくと、
小民家みたいな、
もしくは両親さんの
お母さんが片手までやっている
みたいなイメージなんですけど、
がっつり鉄筋コンクリート3階建ての
建物でやっている。
少し民宿なのか、ビジネスホテルなのか
っていうところの間が
少しわからない。今時でいくと
ちょっとダサい建物です。
民宿です。
ビジネス民宿ってどういうことですか?
普通に泊まって、
民宿の料理出してみたいな?
そうですね。
背景でいくと
やっぱりもっと電車が
その当時
40年くらい前に建っている
地区40年くらいの建物なんですけど
その当時はもっと電車が
活用されていたので
ビジネスで来られる方っていうのは
たくさん需要があった。
開発的には
まだまだ
こっちは住宅地で建てなかったので
多分それがビジネスのチャンスだと思って
当時知事がここを建てた。
おーすげー
なるほど
そんな民宿若丈を
されている花井さんなんですけど
前回ゲストの
千葉さんとはどういう感じで
出会ったんですかね?
何年か
何年か前に
4,5年くらい前に
観光
町の観光家から
観光施策を
庁民と考えたいから
ワークショップを開くんで
顔を出してくれませんか?
そこで顔を
出した時に
その当時
移住したての千葉さんがいらっしゃって
佐藤さんが
いらっしゃってて
前回のラジオを聞いててもそうですけど
多分千葉さんも緊張してたんじゃないかな
って思うんですけど
ぬるっとすごいあったかい感じを
がすごく
僕が好きなんで
06:01
そこからの付き合いで
仕事
して仕事させてもらってる
って千葉さん
前回のラジオでおっしゃってましたけど
若竹の本
お客様に
呼んでもらう若竹のことを知ってもらう本
っていうのを実は作ってて
その本を作ってもらってたりとかする
関係です
なんなら先週も
一緒に
飲んでて
その時に
その後ですかね千葉さんから
連絡いただいて
花井さんがめっちゃ
既選ラジオの話を飲みながらしてくれてた
みたいなことを
めっちゃしてましたよね
そうなんですよね
めっちゃしてました
今回当たるにあたって
なんなら
憧れとして既選ラジオに
出演するんだったら
自分はどういうことを話すんだろう
みたいなことをずっと
聞いてた感じです
話した感じです
対策はバッチリということで
なかなか難しいですよね
みんな人それぞれ
十人十色やなって思うんで
自分がどうなんだろう
今日もほのかに緊張しながら
やってる感じです
そういった意味では
話し戻すと千葉さんが大好きです
あの地域で
あの人柄で
やってるっていうのはすごいなって
すごい特殊な地域で
話ちょっと長くなっちゃうんですけど
どうぞどうぞ
僕なんかはこの三代目で
民宿若田家として
三代目でさせてもらってるんですけど
この街に根を生やして
どう
この街で暮らしていくか
なんですけど
里地さんの方で出た言葉が
僕は根なしなんで
この地域では全然
根が生えてないから
じゃあ10年後20年後どうするか
そこを根なしっていう意識で
すごい地域を考えてるっていうのは
移住してきた人の中で
いくと
すごく寄り添ってる
住民に
いろがわっていうちょっと
山の小さな集落に
どうやって
自分のポジションを
築いていくかっていうところの
根なしっていう言葉がすごく素敵だったなっていうのを
飲みながら話してて
あとのことはちょっと飲みすぎて覚えてないんですけど
っていうような感じで
この街に一緒に住む人として
好きな人です
ありがとうございます
ではではそしてそんな
花井さんと我々なんですけども
白石君は一度
そうですねアーケードの時に
お邪魔させてもらっていろいろ
お話も伺ったりして
非常に楽しい時間を過ごさせてもらいました
飲みすぎて覚えてないです
僕は初めましてで
一度お店に
来てくれたことがあったんですけど
09:00
その時ちょうど僕がいない日だって
会えずで
そうですね
それこそ白石さんと一緒に飲む機会があって
それまでは
聞いてなかった
あえて聞いてなかった
旧北の人ばっかり活躍してるんでしょう
みたいな
嫉妬心から聞いてなかったんですけど
こういう交流があって聞いた時に
めっちゃ面白いなと思って
特に源二郎さん会で
すごく衝撃を受けて
こんな人が和歌山にいてるんだ
っていうところで
知ってる人からですけど
僕の知ってる人から順番に聞いて
あの
ある日
ゲストの魅力より
上田さんの魅力に気づいた
やめてください
上田さんの魅力に気づいて
今上田さんは
このゲストに対して
どういう風に考えてるんだろう
なんならゲストによって
テンションちょっと違ったりするじゃないですか
っていうちょっとその
温度差を感じるのを
感じながら
ランニングしながら聞くっていうのが
僕の2回になって
恥ずかしい聞かれるかと
かなり分析をされてしまっているというか
僕も好きなんですけど
長田さんの会とか結構準備してきてる
いうようなことをしながら
いつしか白井さんをね
お会いしたことがあってて
お店にも行ってみたいなって思いながら
既選ラジオを巡る会
と思って
会いに行った
ちょっと仕事をお休みもらって
ARCに行ってみようと思って
その道中
原次郎さんの会をもう1回聞き直しながら
ラブラックカフェにまず行って
原次郎さんが
いらっしゃったんでお話しして
ここを曲がると
この景色が出てきてっていうのを
原次郎さんと一緒に見させてもらいながら
めっちゃいい旅行できてるなって思いながら
ARCに行って
行きました
で、いないっていう
ちょっと声色が違うけど
勇気を出して
上田さんですかって
訪ねたら
田中です
すいませんって言いながら
そういった
それぐらい既選ラジオを
聞きながら
愛着があったところなんで
ありがとうございます
ありがとうございます
ながらですね
今日すごい緊張しながら
目の前に
上田さんがいらっしゃるって言いながら
ほんまにもう
そんなものではないので
聞いていただいてるんやったら
いつもの導入かと思うんですけど
まずはちょっと
原次郎さんの老いたちから
教えていってもらいたいんですけども
まず生まれ育ったのは
この那智勝浦町です
生まれ育った場所でいくと
自由次亜という
去年から正式にやった
コワーキングスペース&ホステル
12:03
という場所で
生まれ育ちました
商店街の中の
そうですね
生まれた時は
子供の時は
那智勝浦町ってどんな感じやったんですか
活気があったんだと思います
なんで
そこの場所で
父が初めて
商売した場所だったんですけど
記憶のある限りでは
お土産物屋さんもたくさんあって
見てもらって分かる通り
アーケード商店街
どこでも
シャッターが閉まってる状態
になってると思うんですけど
そこのシャッターが全部開いてた状態
っていうすごい活気があって
その中で商店街で
大きく成長していく
子供として
可愛がってもらってたんだろうな
行ってる隣のお土産物屋さんなんかは
今でもせいちゃんせいちゃん
声かけてくれるような感じで
可愛がってもらってたんじゃないかな
その時からお父さんは
民宿若竹をやっていて
っていう感じで
流れでいくと
父は父でもともと音楽が好きで
楽器屋さんをやってて
もっといくと
ディスカウントショップから始まってて
楽器屋って
CD屋やって本屋さんやって
その方々
僕からするとおじいちゃんと
民宿を始めて
みたいな形なので
おじいちゃんはおじいちゃんでパン屋さんやって
土産物屋さんやって
みたいな形なので
一般的に言うこの街で
どう商売をやっていくかっていう家系の中で
僕が長男として生まれてきた
そうなんですね
じゃあその子供の時は
楽器屋さんで
多分
ディスカウントショップ
ディスカウントショップって何ですか
多分どっかで仕入れてきたものを
安く売ってるみたいな
昔ちらほら
あったと思うんですけど
多分そんなに流行ってなかったんじゃないかな
と思うんですけど
僕もあんまり記憶がないので
家庭環境とかどんな感じだったんですか
家庭環境は
あの
この
エピソードが
今後僕の高校を卒業するくらいまで
ずっと関わってくるんですけど
商売が
忙しすぎて
ほぼ子育て構ってもらえなかった
なんで
通常
子供って赤ちゃんから成長すると
寝返りを打ったりとか
して成長してくるんですけど
僕寝返りを打たずに
そのまま大きくなった
寝返りを打ったエピソードがなかった
親が見てなかった
見てなかった
ずっとバウンサーみたいなところに寝かせられてて
なんで
その成長が
著しく低下してた
筋肉がついてなかった
そういった
ほったらかされて親たちは一生懸命働いてた
15:02
なんで
おんぶされながら母親は母親で
子育てをさせてもらえず
ずっと働かされてた
昔ながら
そういうのあるイメージ
というような
感じですね
5兄弟とかどんな感じだったんですか
3人兄弟で
妹が2人います
3人ともあんまり
手をかけてもらえずにというか
商売に
お父さんお母さんは必死で
みたいな感じだったんですか
一応反省を生かしたんだから
分からないですけど
ちょっとずつ良くなっていったんじゃないかな
妹二人いて
一人は年子で
一人は5歳離れてるんですけど
下に行けば行くほど
勉強ができて
それが結果に出てるんじゃないかな
なるほど
子供時代の花井さんどんな感じだったんですか
あんまり記憶は
ないんですけど
一応
愛想がよく
誰にでも
キャキャいける
らしかったっていう
笑顔がいつもニコニコしてた
っていう風には聞いてるんですけど
じゃあいつも店周辺に
居ててみたいな感じ
そうですね思い出してみれば
いつも試食用のお菓子
パクパク食べてたなっていう
ような悪いというか
そういったイタズラもしてたのかな
っていう風に思う
そうしたらそのまま小学校とかも
地元の那智勝浦の小学校に
勝浦小学校ですね
小学校時代はどんな子でした
小学校時代から
住んで
保育所からもそうなんですけど
人並みに
できない子だったんですよ
それは勉強も
運動も特に
運動ですけど寝返りが打てない
かったっていうのは結構その時から
響いてて保育所で
その当時の保育所
で行くと
逆上がりが全員できるようになるまで
頑張りましょうみたいな
逆上がりが
できなくて卒園式
の時まで逆上がりの
練習をしてた
ですね
あと
その時代ですけどやっぱり
いじられやすい
言い方悪い言い方すると
いじめられやすい
標的にされやすいなっていうのは
今思えばあって
これは暗い話ですけど
同じ同級生
だけでなくて
やっぱりその当時背景もあるけど
学校の先生からも
あまり良い待遇を受けてなかった
っていうのはありましたね小学校2年生の時
だったと各学年ごとに
エピソード持ってるんですよこんな辛いことあった
2年生の時に
プールで溺れてて
同級生が笑って
笑いながら先生も一緒に指差しながら
笑われてたのをアホアホしながら
18:01
最終的には助けてくれるんですけど
であったりとか
そういった
そういった
あれですね
思い返してみれば
確かにそうだよねみたいな
今だったら結構手厚く
病院に行って
病名がつくみたいなところは
その当時はそういうのなかった
なかったところでいくと
僕としては
その当時はまだ
気づいてなかったそれが辛いことじゃなくて
それが当たり前だろうなって思ってたけど
なかなか
今思い返してみると結構しんどかった
家庭環境は
家庭環境もそうですけど
そういった小学校
低学年時代かなって感じですね
えー
その時って何ですか
どんなことして遊んでたとか
そんな
中でも面白いことが好きなこと
とかってあったんですか
何が面白かったんでしょうね
そうなんで
結構辛いですね
いやけど人並みに
遊ばせてくれてたはいたんですけど
人並みに遊んでました
それこそファミコンだったりとか
スーパーマリオブラザーズの時代ですね
だったりとか
ドラゴンボールが好きだったりとか
はい
してましたね
本気で小学校2年生のとこ
それこそ至ってないエピソード行くと
本気でカメカメを打てると思ってたんですよ
だったりとか本気で打とうとかしてたりとか
それも最近鳥山明先生が
亡くなってから
自分ってそうだったんだすごい影響を受けてるな
っていう思い出したんですけど
だったりとか人並みに遊んでたんですけど
まあよく怒られてたんですね
家でも怒られてたし
はい
ねえ商売忙しかったら子供が邪魔にもなってくるから
そういうことを
はっきりと言う親
感情的結構なりやすい
母親はそういうのじゃなくて
父親はそういった人だったんで
であったりとか
でおばあちゃんもすごい癖が強かったんで
お前は花池の大ゴコ柱や
って言いながら育ったわ
どういうことですか将来は
ついでやるんでみたいな
長男だから
長男だから
そうなんで
人並みに遊んでたと思います
じゃあ結構友達と一緒に
遊んでってよりはもう一人遊びが
多かったみたいな感じなんですか
いやうーん
友達も
いてましたよ
なんで友達とゲームしたりとか
それこそ一般的に
多分みんなで集まって
ゲームやろうぜとかっていうのは
してたところですけど
自分の人生振り返ったときに
その楽しいエピソードより
つらかったエピソードの方が大きい感じかもしれないですね
そうなんですね
中学校とか行ってもまだ
つらい気は続く感じなんですか
中学校で行くと
時代で行くと14歳
ちょうど20年くらい前
21:03
ギリぶっ込みのタクがまだ
影響のある
時代の時で
上の人たちは
あれですね
卒業式にボンタン着てたり
とかしてた時代の
年なので
ってなってくると
陰気じゃないけど
おとなしく
したいけどいじられやすい
みたいな感じですかね
えーそうなんですね
変わってましたよね
いじられやすいっていうのはそれなりに理由があって
僕もそれなりに
突拍子みたいな
行動をとってたんだろうな
どういう感じだったんですか
バスケ部だったんですけど
なぜか野球部に憧れて
ある日突然坊主にしてみるとか
形から入る
なんであんた坊主にしたん
って言われへんみたいな感じですね
そうなんですね
中学校他にどんなことがあったとか
覚えてますか
中学校は
そうですね
その頃には
親の商売でいくと
この民宿若竹
今熊野の目覚めでやってる
この場所
収録してる場所が
半分が本屋さんで
半分がCD屋さんやったんですよ
本立ち読みし放題やったんですよね
そう
夜中忍び込んで
エロ本立ち読みしてる
めっちゃいい環境ですね
本と音楽聞き放題
聞き放題でしたね
なんでそれの影響で
本は好きになりましたね
漫画から入りましたけど
その頃どんなん読んでたんですか
エロ本以外ですか
エロ本以外で
エロ本以外何読んでたんだろう
けど本よりは
CDの影響の方が強かったですね
サンプルCDがたくさんあったんで
いろんな音楽聞き出たみたいなところで
結局流行りの
J-POPがメインですけど
印象に残ってるのは
ジュディ・マリが出始めた頃に
ジュディ・マリのサンプルCDがあって
ゆきちゃんめっちゃ可愛いと思って
そのCDから始まって
同級生の女の子がジュディ・マリいいよね
みたいな話の中から
ちょっと密かに
自分の中で盛り上がった
陰キャやけど
音楽とかカルチャーには
詳しいぜみたいな感じだったんですかね
そうでもない
そうでもない
いわゆる一般的な
何か突出してある感じではないな
っていう風には思ってて
24:01
思ってます
なので
この感じでいくと
例えば
源二郎さん回の
この部分
このパートめっちゃ面白いじゃないですか
僕2,3回聞いてるんですけど
そこの引き出し
僕持ってないんです
なんなら
この後で
名前出そうと思ってた
後郎ちゃん
後郎君の回でも言えるんですけど
あの人も
すごいじゃないですか
ザ・陽キャ
僕どう考えても
そのパートを持ってないんで
陰キャは陰キャでいいやと思って
辛い話をしようと思って
今日来てます
そのパートは
少ないですよね
このまま高校行っても
また辛い話しか出てこない
ちなみに
どんな感じになっていくんですか
このまま行って
あんまり聞かれたくないですけど
ごめんなさい
一回止めていいですか
辛い話が続くのか
じゃあ行っちゃいますか
どこからでしたっけ
高校時代はどんな感じだったんですか
高校時代ですね
あんまりはっきり言ってしまうと
あれなんですけど
中学校時代の
バスケ部は
試合も出てないし
ずっと補欠で
最後の試合で
最後の1分だけ
出させてもらって
2点決めた
っていう思い出しかない
ぐらいの
だったんですけど
じゃあ高校のほかのことしろよ
って思うんですけど
高校もバスケ部
そのまま行って
高校はどこ行くんですか
高校は今
新商工工ってなってます
新宮の高校ですね
電車で通う
商業高校
当時は新宮商業高校
今は
普通工工
普通高校になって
略して新商工工
勉強もできなかったんで
高校行けるって多分そこしかなかった
みたいなところの利便性だけで
いったような感じですかね
高校行ってもバスケット
バスケット
なんでなんですか
同級生の関わり合いみたいなところ
お前も行くんやろみたいな
そこに今
その時も
その時って
やりたいこともポリシーも
なかったので
同級生が
そうやって誘うんやったら行こう
みたいなところですけど
思春期とかそういうところに
入ったタイミングで
そのいじられてるとか
27:00
っていうところの
違和感が
その頃から出だすんです
だんだん自分の中で
辛くなってくるっていうのが
多分周りも
いじめてるつもりもないし
あったと思うんですけど
その頃から僕の中で
クラブを辞めるか
学校を辞めるか
死ぬかの三択で悩み出す
みたいなのが毎日
毎晩続いてた感じですかね
どれくらいのレベルの
いじめられされてたんですか
いじめられじゃないですけど
本人からしたら
なんだろうな
自分を扱われ方というか
雑やなとか
そうですね
言葉の見え方によっては
暴力
時代背景もあるから
具体的にはないんですけど
例えば軽く蹴りが入ったり
それは蹴りの強さって
違うよね
あったりとか
程度はあれど
自分が置かれてるところの
辛さっていうのはあったんだと思います
それは家でもそうだったんですよね
家の環境は
その時はどういう感じだったんですか
仕事的には
仕事的には
ここの民宿若竹が
建ってて
バリバリやってて
バブルの時期です
めちゃくちゃ忙しかった
忙しいから逆に家でも居場所は
居場所はないですし
親の教育として
怒られることが多かった
っていうところなので
中学校ぐらいから
そうなってたんですけど
僕のそういった意味の居場所は
深夜だった
なので夜中に夜中に起きて
テレビ見る時間がすごく楽しかったんです
その当時ぐらいからも夜中の3時ぐらいまで起きてて
朝起きてこないみたいな
それをまたちょっと
学校では眠いし
悪循環やったかもしれないですね
また怒られるしみたいな
当時の深夜テレビって
何やってたんですか?
何やってたかないですね
映画
なんかよくわからない映画を
やってるのを見てたりとか
深夜何でもよかったんです
なのでその後に
砂嵐っていうんですよ
あれになるのを確認してから寝る
っていうのが結構良かったですね
自由な時間が
楽しみたかったというか
逃げ場っていうのは
思い返してみてそうだったんだろうな
生活抜きになってたっていう感じですね
心の支えといくと
その時ぐらいに解散するんですけど
ブルーハーツめっちゃ聴いてたんですよ
夜な夜なブルーハーツを聴きながら
励まされて寝るっていうところなんですけど
30:05
クラブ辞めるか
学校辞めるか
死ぬかのうちに
いつしかもう一つ選択肢が
卒業するまで我慢する
っていう選択肢ができてから
ちょっと気が楽になる
ブルーハーツに励まされて
励まされながら
音楽に救われてますね
そのまま卒業まで
ちょっと耐えて
耐えて
間で2週間
引きこもったことは
2週間お家で引きこもりましたけど
なんとか卒業をしっかりして
しました
卒業後はどうするんですか
卒業後は
専門学校に行きます
それは何の専門学校ですか
もうない専門学校なんですけど
そこに行き着くまでの話でいくと
僕って何がやりたかったんだろう
って考えるときに
調理士になってみたかったな
知事長に行ってみたかったなっていうのが
確かにあったなと
あとパソコンに興味があったので
プログラマーになってみたいな
っていうのがあったけど
まあ
当時の親の意向で
結構怒られてばっかりしちゃったんで
逆らえないっていう環境ではあったので
そういった間取って
大阪で
経営情報科っていう科がある
専門学校に行きました
それ間取ってるんですかね
経営情報
パソコン使うやろみたいな
それに納得しちゃったんですよね
親としては経営とか
いつまでで
どこかでやっぱり
おばあちゃんの
お前は花江県の大黒柱
っていう
意識というかポリシーは
子供に対してはそうさせたい
っていうところは親にもしっかり
あったんだろうなっていうのは
結果ですけどあって
そういう風に
しっかり路線を変更
微調整してもらいながら
大阪の
ナンバーにある専門学校
ナンバーにある専門学校ってなんか怪しいですよね
花江さん自身も
意識としてはやっぱり将来は
若竹継いでっていうのは
ずっとあったんですか
目標は
卒業式で出ていって
解放されるっていうことが
そこしか気持ちがなかったので
その先何になりたい
っていうのは全くなかったです
うん
とにかく
この町から出ていきたかった
結局親の力借りてるんですけどね
33:01
専門学校行かせてもらってて
お金出してもらってて
仕送りもしてもらってたんで
結局結果見たらすごく甘い考えで
出してるんですけど
とりあえずその環境をとにかく変えたかった
っていうのは
高校卒業してからの
先の方針でしたね
専門学校行ってどうでした
思い出がないですね
思い出がない
学校行かずに
学校行かずに
そういった専門学校なんで
お金さえ出してもらえれば
あとは7ですよねっていう感じ
だったんだろうなと思うんですけど
パソコンを買え
どうやったか覚えてないですけど
パソコンを与えてもらって
そこで
Ultima Onlineっていう
MMOって
わかりますかね
RPG
みんなでやるやつですよね
一つの
オープンワールド
っていうような
すごく広い敷地の中で
プレイヤーが集まって
いろんなことをやる
創世記で
そういったゲームの走りが
Ultima Onlineで何でもできたんですよ
職業も選べるし
何なら人も殺せるし
戦争もできるし
その戦争をするための
武器なんかも
職業として選べてそれを作って
それを売ってお金にする
当時はそれをリアルマネートレードで
Ultima Online内のお金を
現金に変えることもできた
ほぼそこの住人になってました
2年くらい
2001年
くらいですかね
2000年くらい
ゲームにハマってた感じ
専門学校の2年間はひたすら
引きこもって
相変わらずブルーハーツ聞いてるか
当時流行ってたメルカー
聞いてたりするか
本読むか
Uをやるか
Ultima Onlineやるか
めっちゃ楽しかった
リアルマネーにしたり
引退するときに
しました
それまでに
ゲーム内でお店持ってるんです
レアアイテムとか
その需要と供給で
価値が決まるので
いつしか自分で
お店を持って
36:00
1アイテムを全部買い占めて
値段を操作しながら
高く
独占しながら
転売してきてて
そういう商売的なことも
そこで
学んだかもしれない
そのときはやってなかった
この生活がいつしかダメ
その先になったときに
そのお金を全部現金に変えて
20万くらいになった
そのときにやっと
ちょっと儲けました
専門学校時代は
大阪の都会に行ってるわけじゃないですか
そのときゲーム以外
遊んだりバイトやったり
そんなことはしてなかったんですか
バイトもビビってできなかった
できずに
友達
そのときの高校からの
同級生だった
大阪に来てた友達とは
遊んでましたけど
非自由で行くと
引きこもってるほうが
思い出がないわけではないですけど
パッと出てくる
出てこないくらいの
薄いエピソード
その時点で20歳で
卒業して
夕方行って
専門学校は
夕方行って
その授業だけ受けて
単位が当てないようなものだったので
一応卒業させてくれた
全然どうやって今の
花井さんになっていくんだろう
就職ですか
一応就職しないとだめで
就職して
そこで
何もない自分に
気づいて
とりあえず
建前上就職しないとだめだから
就職活動
頑張りました
頑張ったのかな
よく就職活動もできましたね
できました
受かって
ショッピング
スーパーマーケットも
運営している
スーパーマーケットを運営している会社
何店舗かある会社のところに
入ることができまして
そこの成果コーナーに
配属されることになりまして
その時はどんなことしてたんですか
野菜の放送してました
朝野菜来たのを
倉庫に運んで
一般的なスーパーで
働いている方のイメージ通り
野菜を見て発注して
39:00
それの繰り返し
その合間で
その合間で
ルティマオンラインを続けながら
またやってたんですね
どうでした社会人生活は
もたないですよ
睡眠不足が続くから
ウェイトがまたこの時に
どっちが現実か分からない状態で
ずっと続いてたんです
帰ったらずっと
ルティマオンラインを
やりながらって感じでした
そんな生活はどれくらい続くんですか
21くらいですかね
結局社会からある意味
逃げたになるんですけど
そんな生活しながら
野菜運んでたら
腰痛になるんですよ
野菜重たいんで
トラック1台分の野菜を
毎日運ばないとダメ
思い返してみれば
自分も逃げ道として
それを意識してるんだな
後から気づくんですけど
実家が家業してて
それを継ぐんでって嘘ついて
1年で辞めました
実際実家は継がずに
辞めてから
失業手当がもらえることに気づいて
何とかそこまで
もらえるまでやりくりしながら
結局引きこもってました
引きこもってゲームしてみたいな
ゲームして
その頃にやってました
失業保険無事もらえまして
その貯金が尽きるまで
引きこもりながら
今のとこ何も
良いとこ出てきてない
どうなるんですか
もらいながらして
そうではいかんと思って
そこで
あの
ふともうお金が無いんで
働かざるを得ない状態になったんで
アルバイトをしようと思って
アルバイトを探して
ふと
自分はパソコンに関わる仕事がしたいんだな
やってるし
したいんだなと思って
そういった意味で
間口で行くと
パソコンの設置する作業がある
という求人を見て
そこに働きに行った
そこから
結局そこの会社で
いろいろお世話になるんですけど
それが22くらいのときですかね
結局ふたを開けてみれば
その会社は通信系
でパソコンのことは
ほとんどさせてもらえず
いやちょっとさせてもらったんですけど
社会経験
42:00
全然ないし
そんなに引きこもってたら
常識がないですよね
人として
常識がなかったので
派遣されて
パソコンの修理をする
大手のメーカーさんのところに
入らせてもらったんですけど
恥ずかしいけど
迷惑ばかりかけて
切られて帰ってきた
感じだったんだろうな
そのまま
社長が
その後に
社長になる営業さんが
若手で生き生きで
独立するから
一緒にやろうぜ
と声をかけてくれて
その仕事が通信系の
携帯のアンテナ
テッドに立ってるアンテナの
電波を測定する仕事だったんです
ちょっと仕事
独立してやりたいから
仕事取ってくるから
代わりにやってくれへんか
みたいなところで
それが東京の仕事だったんです
初めてそれで
関東に
神奈川の方で
家を構えて東京でする仕事
みたいなところで
東京生活が
いきなり
関東の生活が始まる
それが何歳の時ですか?
それが23くらいですね
東京行ってたんです
社長と
花江さんの2人で立ち上げて
社長は
まだそこに勤めてたんで
独立するための準備をしながら
仕事を
個人で受けて
依頼を受けて
自分が独立するために
仕事を取っていきたいから
個人で仕事を受けて
それに僕が行って
メンバーは花江さんが行く?
その時には通信の
知識が身についてた
その頃に身についてたんで
それで派遣されていく
それは
花江さんがその人に誘われた
というのは何でだったんですか?
仲良かったとか?
仲良かったですね
遊びに連れてもらってたんですよ
飲みに行ったり
そう思い出した
通信系で車1台で
3人チームで行くんですよ
その時の社長が
後になる社長と
運転手をして
僕が測定している
それでずっと1週間くらい
出張に行って
今日どこに泊まる?
飯何食おうぜ?
楽しかった
俺もここで独立してやるから
お前も一緒に来いよ
みたいな感じで誘ってくれた
学生時代は
勉強も苦手でスポーツも苦手で
45:02
ちょっといじられるみたいな
花江さんだったんですけど
社会人になってからは
仕事スキルはしっかりあって?
思い出したら
失敗もたくさんあった
怒られたこともあるなと思いながら
一当たりは良かったと思います
ちょっとずつ
引きこれまで
運動もできなくて
勉強もできなくて
引きこもりで
常識もない
そのくらいから
赤党ラジオ
聞いてもらえたら
その話長くなっちゃうので
割愛するんですけど
コロンブスの墓のエピソードぐらいから
ぐらいの頃から
ちょっとずつ
社会性を身につきながら
仕事に対しての
ちょっとずつ成長していったのが
このぐらいから
仕事は得意やし
前向きに取り組んで
みたいな感じだったんですかね
東京楽しい
それしかなかった
ラーメンめっちゃ美味しい
ラーメン巡りしてた感じ
そのくらいから太りだすんです
東京生活どれぐらい続くんですか
1年半ぐらいでした
それぐらいがちょうど良くて
週末はいろんな観光地に行って
ラーメン食べるとか
いう感じでずっと楽しんでました
仕事がどうこうっていうより
東京の凄さに圧倒されて
東京すげえ
東京すげえが
それを知ってる自分に自信が持ってくる
そんな感じでしたね
どういうところが
すげえって感じだったんですか
大阪で行きこもってましたけど
大阪に自信を持ってたんですよ
都会に住んでる自分
東京をなめて
かかってみたら
東京凄かった
元都会屋
渋谷も凄い
原宿も凄い
中野かっこいい
高円寺凄いおしゃれ
そんな感じだった
どこ行っても楽しい
その時ラーメン以外は
どんな楽しみを
やってたんですか
各地に回るみたいな
拠点は神奈川やったんですけど
箱根で温泉入ってみたりとか
江ノ島
48:00
ここがよく聞く江ノ島か
って言ってる感じ
純粋に楽しんでただけですから
観光気分
観光気分で
オノモリさんってやつ
これどうなっていくんですか
24の頃に
24歳になった頃に
ある日父から電話が
かかってきまして
体調が悪いと
母親も
心臓の
調子が悪いので
俺たちもいつまでも働けるか
わからないから
そろそろ帰ってきてくれへんか
って電話がかかってきたんです
浅いですけど
東京に染まった
自分に自信を持ってたから
帰れるだろう
帰ってもやれるだろう
と思って
東京に染まった
自分の感性に自信を持って
帰ってきましたね
帰ってきて若竹で
働き始める
下が若竹と
下がCD屋さんと
本屋さんしてたんで
そこをどうやっていくか
みたいなところがその時
だったんですけど
その時はどうやって
行ったんですか
どういうやり方
そうなんです
自信を持ってやってて
継ぐイコール
やらせてもらえるみたいなイメージ
だったんですけど
なぜ帰ってきて
欲しかったかは
分からないですけど
バリバリ元気だったんですよね
その時お父さんお母さん
何歳ぐらいですか
ちょうど20年前なんで
50前後ぐらいですかね
はいはい
まだ生きますよね
まだ生きますね
そう
なんで
あれなんですよね
前回南畑さん帰って
結構似てて
お父さん厳しい
結構振り回されてる
みたいなところは
話聞いててすごい近しいなって思ったんですけど
結局
元気で
結局関係性も
変わらず頭のごなしに
怒られるみたいなのが
24の時に発生してて
それでも
思えばやらせてもらってたんですけど
その頃に
やっぱり
東京で受けた
吸収した
地震があるから
それなりに
今の民宿若竹で出してる
51:01
夕食の基盤を
その頃に作って
例えば
この地域でやってる
事業所さんと
連携することはないかなと思って
例えば木の松島って遊覧船あるんですけど
遊覧船とのプランを
ちょっと作らせてほしい
って言ったりとか
やったりしてた感じですね
結構じゃあ改革というか
プランとか
色んなところは
手小入れじゃないですけど
してた
いろいろ考えたらしてたなって
それはもう自由にやらせてもらった?
そうですね
今の僕のポジションもそうですけど
細かいことはあまり気にしてなくて
父はやっぱり
民宿しながら
CD屋さんしながら本屋さんしながら
って色々やってたんで
その細かいところはあまり見てなくて
そういうところを僕がやってた
みたいな感じですかね
帰ってきてほしいって言われる前も
花井さん観光して
東京楽しんでたってことなんですけど
その時からもう既に
若竹に持って帰れるもんないかなって
探してたような感じなんですかね
ないですね
結果的にという感じなんですかね
既選ラジオ好きとしては
引き出したいところ
なんとなく見えるんですけど
残念ながらないですよね
帰ってきていきなりそんなことに
手を付けられるのすごいですね
その頃からあったのは
やっぱりそれは
環境が
そういう環境で生まれ育ってきたので
宿泊してくれるお客さんに
満足してもらえないと
商売は成立しない
っていうところを
考えた時に
そうなんです
考えた時に
建物
ビジネス民宿で始まってるので
20年30年近く
経ってきた建物
流行りのような
建物ではないので
旅館とかハードでは勝てない
ハード面では勝てない
お風呂が大きいわけでもないし
勝てないって考えた時に
その時に何で勝負できるか
って言ったら料理で勝負するしかない
なので料理だけは
他の
お宿民宿とか
いろいろ経済あるんですけど
料理だけを勝てる形でやろう
っていう時に
そこで考えついた
思いになって
やり始めたのが基本
多分今は
その構想は
今もずっと引き継いでるところで
54:01
民宿若田家は
夕食の評価が
あってこそいろいろ広げられる
っていうところが
この24にできた
若田家の基本っていうのが
そこに立ったんだろうな
ちょっとらしくなりましたね
なるほど
じゃあそのまま
帰ってきてちょっとずつ改革しながら
若田家
良くしていくぞみたいな感じで
そこからはどうなっていくんですか
その頃に
24、25の時に
まず一つでいくと
一つは
当時
彼女ができたんですけど
東京の
遠距離の
彼女ができたんですけど
そんなに長いことではなく
長いお付き合いではなくて
浮気を
されてまして
そう
やってから
お付き合いしてから
ボロクソに
振られて
お酒に溺れそうになりました
はい
ちょっと
おじさんが
エピソードがちょっと思うんですけど
おじさんが
僕の好きだったおじさんが
ある中で
ある中だったので
自分もそうなりたくないなと思って
気分転換になんか
しないとダメって思って
横を見たら
物撮りをしようと思って買った
一眼レフのカメラがあって
その
カメラを持って
気分転換に外で出た写真を
撮り出したのが
今僕の
避難フィルムとか
写真で活動している
始まりがここになります
はい
その頃にもしかしたら
自分写真めっちゃ上手なんじゃないか
っていう自信を持ち出して
写真家になってみたい
フォトグラファー写真で仕事を
してみたいっていうちょっと夢が
生まれる頃でもあります
はい
それと同時に父親と
おり合いがつかなくて
やっぱり
これも今となっては
いいわけなんですけど
このままでは自分は腐って
しまうな
その
インプットする場がない
自分はまだ全然経験値が足りてないけど
このままここでいてしまうと
何も成長なく
この街で腐ってしまうな
って思ったんですね
はい
はい
その頃から写真を撮りながら
写真家になってみたい
57:00
夢を
少し見ながら
うん
26の頃にもう一回
社会勉強したいって
正直にちゃんと親に言って
大阪に
戻ります
でその戻った先は
えーと
その前独立するから
お前ついて来いよって言ってくれた
しっかり独立して
会社にした社長の門を
たたって
そこでもう一回サラリーマンする
えー
業種的には
同じ業種で
でそうですね
その頃には
小さな会社で
結局派遣というか出向されていくんですけど
あの
写真
写真は撮りつつも
その頃には難しいって知ったんです
写真家ってなり方は分からんけど
難しいなって思いながら
写真を撮りながらやっぱり
パソコンは引き続きやってた
好きだったので
パソコンに関わる仕事がしたいってことで
えーと
具体的に名前出すと
NECフィールディングさんというところに出向されて
いろいろグループ会社がある
会社の中の一つとして
僕もそこで
大手の企業に
サラリーマンとして入ってた
というのが26くらいの頃ですね
それ
その時なんかナチカツーラを
もう一回出るってなった時に
外で勉強するんやったらなんかホテルとか
同じような携帯でやってる
料理民宿とか
そういう発想にはならなかったんですか
困っすね
ならなかったですね
えーもう一回その社会
勉強したいっていうのは
どういうことを学びたいって感じ
やったんですか
大きく社会を知りたい
ってことやったかもしれないです
仕組みというか
そんなに意識たくはないです
ただやっぱり東京楽しかった
みたいないろんな刺激があって
面白かったっていう
でそれを
その当時は
帰ってきたことを親のせいにしてたんです
あー
で親に
親を言い訳にしてた
腐ってた自分がいてて
そこに当時も気づいたので
このままではダメだ
もっと社会を学んで
いるべきだ
っていう
民宿をどうこうしたいっていなくて
で民宿も
言うなれば
心境とすれば
いろいろ家計でやって
家計でいろいろやってる
商売の一つなので
そこだけに限らないっていう
考え方なんです
なんで
その父親を見て
1:00:01
父親が好きかどうかを置いといて
やっぱり父親を見て育っていく
なってくると可能性はそこだけじゃない
その時代に合わせて
やるっていうのが
なってくるとあまり
同業種
に入ろうっていう
気持ちはなくてどちらかというと
自分のやりたいところの
意識の方が強かった
であとやっぱり
入りやすかった
とりあえず入って仕事があるっていうのは大きいな
あー確かに
戻ってからはどんな仕事
するんですか
はい
最初は
パソコンの
法人
企業さん向けに会社の修理をする
修理をしに行く
ノートパソコンの
ハードディスクを買いに行くとか
ノートパソコン全部分解して
いろいろやるとか
リンターを直すとかっていう仕事が
するんですけど
あの
割とその時意識が高かったので
提案とか
をできるようにしてたんですね
なんで結構
店長とかに
好かれる
ように
なっていって
その組織の中で
加害がられるポジションに
なっていけたっていうのは
結構今の自分にとっては大きかったな
みたいな感じです
店長っていうのは
仕事先の
営業先ですか
出向された会社
出向した会社
すると
いろいろさせてくれる
ようになるんです
その中で
そういったパソコンの
修理屋さんではなくて
相手が
企業なので
全国規模になってくると
パソコン全台入れ替えます
何百台入れ替えますっていう
それをコントロールする
人たちがいてて
コントロールセンターみたいなの立ち上げるんですけど
そこを任せてもらえるようになったり
してて
そこで出会った
僕は恩師だと思ってるんですけど
めっちゃ怒ってくれたんですよね
田中さんという人なんですけど
あの
怒ってくれて
塾の先生みたいな感じ
いろいろ怒ってくれて
そこでいろいろ
人の付き合い方であったりとか
その社会人としての
距離感
行き過ぎてもおかんし離れすぎてもあかん
距離感は
すごく今の民宿のお客さんに
活かされてるなって
思います
そうですね
そういうところで
組織
会社という
1:03:00
組織でいく
立ち振る舞い方っていう
楽しみ方が
楽しんでた
26歳ぐらいの頃
26歳から30歳ぐらいまで
その形で過ごしてました
その生活が
30まで続くんですか
そうですね
大体それぐらいまで
3年ぐらいサラリー
しながら
そういった経験をしながら
いよいよ
若竹に戻るみたいな
そうですね
戻ります
何かきっかけがあったんですか
きっかけが
ある日父から電話がかかってきました
聞いたことある
電話がかかってきまして
はい
離婚すると
体調悪いじゃなかった
離婚するって言われだして
話聞いて
離婚するって
母親が言うてるんだ
って言うてて
母親に電話がかかってみると
もう私我慢できんから離婚したいな
っていう話になって
結局原因とすれば
介護ですよね
年齢にいくと
おじいちゃんおばあちゃんが
70代80代になってきてて
最後認められないとダメ
っていう介護のときに
やっぱりそれぞれの
気持ちがある中で
そこを介護することによって
家族に負担がかかる
っていうところが
私は認められない
っていうよくある話なんですけど
そこで
もう揉めてて
実は
その頃に今の
妻になる
美香さんと
実はその3年間の間に
写真をずつ撮ってて
僕自身が
写真はちゃんと活動し続けてた
写真の活動中で
出会ったんです
ガールズフォトを撮りたくて
モデルとして出会ったのが
今の妻なんです
おお
大阪で出会って
その頃大阪で一緒に
同棲してて
とはいえ
やっぱり
帰ってきます
っていうことを宣言して
24の頃に
出てってるんで
そこで帰ることを
前提にすると
民宿なりは
働いて
支えてたのは
やっぱり母親が
一生懸命働いてたから
やってたのを知ってる中で
抜けられると非常に困る
離婚されてどっか行かれたら困るので
じゃあ帰りますと
ただやっぱり意識としては
一回親のせいにして
1:06:00
言い訳にしてるんで
それを反省化して
その覚悟としては
もう親のせいにはしない
自分が帰ってくるって決めて
帰るんだっていうのを
意識して
30の頃に
30前後ですね
かつらに帰ってくる
若竹を継ぐために帰ってくるっていうのを
結婚と一緒に
決めて
30の頃に決めました
そうなんですね
タイミングは
離婚するかもの電話やったものの
ずっと
帰らなっていう気持ちは
第2回目の大阪の時は
タイミングとしては
意識としても
帰ってくるために
社会を知りたい
っていうところから
入ってる
けどそこまで
意識としては
そこを意識してやりながら
どう自分を楽しみながら経験値をつけていくか
みたいなところで
帰る覚悟をしました
えー
2回目戻って
その当時の若竹ってどういう状況だったんですか
悪くなかったと思います
その当時でいくと
会社っていうところでいくと
家業でいくと
下のCD屋さんと
本屋さんは
もう
CD本が売れない時代になってきて
Amazonとかができて
売れない時代になってきて
2010年ぐらい
そうですね
その頃には多分倉庫になってたんじゃないかな
という状況で
民宿だけですけど
まあ夕食の評判が
いい宿
ぼちぼちな宿で
やっぱり売り上げとか
具体的な数字を見ると
僕からするともっと伸びしがるよね
って思う状況ではあったんですかね
はい
そんな帰ってきていきなり
数字見て
これはイマイチとか
その辺って経営のこととかも勉強してたんですかね
いや
体感的にもっとお客さん
来るでしょって思ってたし
その見ても
東京の地震と一緒じゃないけど
それなりに
経験を3年で経験してきた中でいくと
これよりは営業も全然してないし
いう中でいくと
もっと伸びしろはあるよねっていうところでいくと
そもそも1回帰ってきてて
食事だったりとか
自分が基盤を一部築いてきてる
っていうのはやっぱりやりやすかった
へえ
帰ってきた時はどんなところから
スタートしたんですか
どこから気をつけたというか
そうですね
そういった意味でいくと
1:09:00
えー
はい
音楽
音楽
音楽
音楽
音楽
音楽
音楽
音楽
音楽
01:10:47

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