今回は、空間デザイナー・日神山晃一さんにお話を伺いました。
商業施設や店舗の設計を生業とする一方、東京都豊島区椎名町を拠点に「シーナタウン」という街づくり会社もされている日神山さん。まずはそのお仕事についてから、伺いました。
株式会社シーナタウン:https://sheenatown.com/
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https://stand.fm/channels/6513739a0bc9d6e1d690bae1
商業施設や店舗の設計を生業とする一方、東京都豊島区椎名町を拠点に「シーナタウン」という街づくり会社もされている日神山さん。まずはそのお仕事についてから、伺いました。
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00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は空間デザイナー・日神山晃一さんにお話を伺いました。 商用施設や店舗の設計を生業とする一方、東京都豊島区椎名町を拠点に椎名タウンという
町づくり会社もされている日神山さん。 まずはそのお仕事についてから伺いました。
僕としてはいろんなことやってるんですけど、 まずは空間デザイン。一番多いのはお店を設計するという空間デザインの仕事で
建築デザインと少しどう違うのかなという方もいらっしゃるかと思うんですけど、 一番わかりやすく言うと、例えば商業施設の中に、駅ビルの中にお店が入ってますよね。
ああいうようなものの設計を結構よくやっていた。 そういう仕事に大学卒業して着いたというところが始まりで。
お店は商業施設だけでもないですし、いろんなところにあるので、そういうお店の設計ばかりをずっとやり続けて生きてきたというか。
それを生業にしてきたというのが一番仕事の割合としては大きいですよね。
それは今もされている?
そうですね。いわゆる食べているというところで言うと、そこが一番大きいかなと思いますね。
それとは別に今も他のこともされている?
そうですね。別の会社でシーナタンという、いわゆるまちづくり会社という会社をつくって、それは有志と5人で会社を立ち上げて。
そちらは西池袋、一駅のシーナ町とか、その辺りを中心に、いわゆる空いている場所を新しくいろいろ使い方を考えて仕掛けて楽しく生きていこうね。
というような活動をしている会社というか。
その中で運営しているのが、シーナと一平という宿であったりとか、西池マートというビルの醸造をしているような場所の施設自体の運営をシーナタンという会社でやっていて。
そこは、それですごく稼いでいくというよりは、地域の空いている場所を使って、僕たちの人生と町にとって面白いことができていくといいなというような活動というか会社になりますかね。
03:00
シーナタン自体はいつからやっているんですか?
ちょうど11年目になっています。
シーナタンは、シーナと一平という会社を立ち上げるときに会社を作ったので、ちょうどこの間シーナと一平という宿が10年経って、10周年のお祝いを4月にやったんですけれど、3月に10周年だったんですね。
その半年前に会社を立ち上げたので、そちらもちょうど10年経ってという感じになりますね。
てなると2015年とかそのあたりに。
そうですね、はい。
それなんか立ち上げるきっかけというか立ち上げたいみたいな、そういう何かあった?
実は、たまたま豊島区のシーナ町の近くに住み始めたのがきっかけなんですけれど、
ちょうどその前ぐらいは、夜中。
商店街とちょっと逆側の方なんですけど、日暮と西一本の間ぐらいのところに、そこまた9年間ぐらいそこに住んでて。
で、割とその前もいろいろ点々といろんなところで仕事はしてたんですけれども、そこが結構、
ひかみ山内装という会社で先ほどの設計の仕事はしてるんですけれども、
こっちは実は親が岡山で立ち上げた内装会社で、そこを継ぐという形になって、
というのが西一本にいた時に起きて、ひかみ山内装を私が継ぐという形をとったんですけれど、
岡山の方では今でも母がカーテンを縫って、父がクロスを貼ってというような内装をやっていて、
私は設計がメインなので、そういうデザインがメインなので、
こちらでそういう仕事を引き受けてやっていくというような形になっていったのが、
西一本に住んでた時なんですけれど、
それなりにお仕事もいただけるようになって、引っ越ししたいなと。
たまたま探してた時に、
椎名町の場所が素敵な場所で、他も実は広報がいくつかあったんですけど、
たまたまそこがいいなと思って、
建物もよかったし、空間もよかったんですけど、
椎名町って商店街がすごく伸びてるんですよね。
なのでそういうのも、もともと柳川もそういうところがいいなとか、
結構散歩したりとか公園行ったりとかもすごく好きだったので、
そういうのも含めてその辺がすごく都心だけど、
面白いなって思って決めたっていうのがあるかなと思います。
そっか、じゃあ椎名町に住まなければ、椎名町は当然出てない。
もちろんそうです。
他のところの高校のところに行ってれば、それはなってなかったでしょうね。
間違いなくっていう感じですね。
やっぱり住み始めていいなってことで、
ただそこで町づくりを行っていくっていうのは、
06:00
何かやりたいという気持ちがあったっていうところからなんですか?
その時にうっすら思っていたのは、
30代後半になっていて、
おそらく38とかぐらいで引っ越してきてるんですけど、
とりあえず食べる分には、
そんなにすごく大きくは稼げないけど、
何とか食べれるようにはなってきた。
店舗のお仕事って、
例えばチェーン店とかを設計させてもらうと、
ある程度つながっていただけるんですよね。
じゃあ次はこっちに。
当然お店の出店の担当の方も、
全然知らない設計がやれるから、
ちょっとあそこの感じでお願いって言える方がいいじゃないですか。
なのでチェーン店のお仕事って、
よっぽど失敗をしなければ、
基本的には続いていくので、
どちらかというとお店の方が出店をやめるよとか、
そういうことはもちろんあるんですけど、
なので意外とお仕事は担当といただけるようにはなってきた、
みたいな状況の中で、
でも店舗の設計者って全然街にいないなというか、
見えないなって思ったんですよ。
素敵なカフェに行った時に、
めちゃくちゃいいカフェだなとか、
どんな人がやってるのかなとかって思って、
誰が設計してるんだろうとはまずは思わないじゃないですか。
なのでお店の設計者ってあんまり街に存在していないなと思って、
私実は母親が埼玉で、
父親が岡山で、
岡山で私が1歳の時に父が内装屋を始めた。
そこがヒカミヤマ内装という会社なんですけど、
埼玉生まれで1歳の時に岡山に行って、
岡山で育って、
岡山の北の山の方なんですけど、
そこから大学で、
筑波大学だったのに茨城に行って、
そこで4年間過ごして、
就職活動、いわゆる景気が非常に悪い時だったんですけど、
たまたまいいとこに入れていただいて、
退職が大阪になって、
その後大阪で5年間住んで、
かなり転々としつつ、
その後住み始めたのが、
ちょっと一瞬だけ寮みたいなところに入ったんですけど、
柳川の近くの場所で、
そこが会社とかとも距離が近くて、
なかなか徹夜とかもあるので忙しい仕事だったので、
そんなに遠くは嫌だなと思って、
そこを、とか雰囲気も含めて選んだっていうのがそうなんですね。
で、
そうなって時にたまたま、
もう少し町の何者かになれないかなっていうのが、
気持ちとしては芽生えてきて、
09:03
っていうのがインテリアって、
空間があれば全部インテリアじゃないですか。
自分のお部屋も全部インテリア。
インテリアから逃げることってできないんですよね。
トイレに入ってもインテリアですし、
寝る場所でもインテリアですし、
うちは父も母もインテリアに関わって、
母がカーテンを塗って、
カーテンなんてなんなら毎日朝触って夜触って終わるようなものなので、
意外とそういうようなものの可能性ってまだまだないよなとか、
あと、例えばカーテンって、
割とその、適当につけちゃってるというか、
引っ越して、なんとなくかけたものをずっとかけてたりとか、
前から持ってきたものをすんたらずだけどそのまま使っちゃったりとか、
意外とその、
気に入ってなかったりとか、
みたいなものだったりするんですけど、
もうちょっとインテリアの力ってあるよなと思ってて、
私、住宅は実はほぼやったことがなくて、
商業空間とか、開いた空間が好きなんですけど、
そういう場所を設計してきた人が、
もう少しその、
街で何かできないのかなってちょっと思い始めたのが、
やっぱり30代後半ぐらいで、
もう少しスパンの長いお付き合いのできる仕事みたいなものをしてみたいなっていう思いが、
芽生え始めたのがやっぱりその辺でしたね。
普段の、例えばチェーンとかそういうところでやってたのはスパンとしてはそんなに?
そうですね、やっぱり、
大阪のお店をやりますってなると、
大阪のお店、ずっと住んでるわけでもないですし、
一時期住んでたことあったけど、
今からだったら大阪のお店に、現場にはいきますけれど、
でも、じゃあ、現場に多くても2回とか、
3回とか、
オープンした後はやっぱりなかなかもう行かない、
みたいなことになりますよね。
なので、
地に根付いた設計活動みたいなものをやってみたいなっていう思いが、
少しずつでき始めたっていうのが、
そのタイミングだったなって思って、
なので、その時に
考えたのが、とにかくそのいろんな、
自分の心に引っかかるようなものにはどんどん出てみようと思って、
いろいろ町の活動やら何やらに、
顔を出してみるっていうのを引っ越した後にするようになって、
面白そうなものに、とにかくできるだけ行ってみる、
いろんな接点が生まれるじゃないですか。
そういうことをしてみようかなって思って、
動き始めたのがそのタイミングでしたね。
そっか、じゃあそこで動き始めていく中で、
会社としてやっていくみたいな。
2つ大きな出会いが、出会いというかそういう接点が起きたことが、
1つはリノベーションスクールっていう、
12:00
町の有給不動産を活用する提案をして、
さらに事業化していきましょうっていうプログラムがあるんですね。
それは、これもすごくタイミングなんですけど、
豊島区が消滅可能性都市って言われたんですよ。
23区で1つだけそんなことを言われたみたいなのが、
2014年に発表になって割と衝撃的だったんですよね。
豊島区が消えるみたいな。
あれは結局20代とか30代40代の女性層がどんどん流出していくっていうのは、
データのところだけ取られてるっていうことなんですけれど、
そう言われたことを、ある意味豊島区は逆手に取って、
いろんな施策を打っていったんですよ。
当時の高野区長が割と本当に力を入れて、
いろんな施策を打った中に、リノベーション増し作り事業。
豊島区って例えば、一駅の信濃町でも木造密集地域。
木造がどんどんまだまだいっぱいあって、
もちろん風が起きたときに逃げにくいみたいな問題があったり、
まだ開発されてない良さもあるけれども、
そういう問題もあるような地域でもあるんですよね。
そういうところに当然、私が住み始めたときは信濃町も本当に面白い、
信濃町東長崎は面白い場所なんだけど、結構商店街も空いてて、
空き家がすごく大きくなり始めた。
特にその時は多かった印象ですね。
商店街にも。
そういうものに対していろいろやっていこうという活動があって、
そういうものに参加したというのがまず一つ。
リノベーションスクールって、
そういう町のいくつかの空いてる場所に対して提案をしていくんですけど、
信濃一平という場所は元々とんかつ一平というとんかつ屋さんを宿にリノベーションしたんですけど、
私はたまたまそのプログラムに参加して、そのチームがとんかつ一平のチームだったんですよ。
そういうことですね。
なので、別に僕がそこの場所を探したわけではないですし、
たまたまそこに行って、
たまたまそこの参加者のメンバーと息も統合してやり始めたっていうのがスタートなんですよね。
なので、もちろんそういうふうな出会いを求めていったはいったんですけど、
あとはもう縁と運かなっていうか。
他のチームはやっぱり動かなかったチームもありますし、
青屋さんがいらっしゃって、青屋さんが空いてるんで使っていいよって提供してくれるんですけど、
なかなかその提案とちょっと合わなかったりとかして、動かなかったり。
例えば娘さんはいいって言ったりとか、
旦那さんが、お父さんがちょっとやっぱりそういう仮定みたいなこと言うとかみたいなことももちろんあるんです。
なので、いろんな事情で進まないみたいなことはあるんですけど、
15:00
ありがたいことに僕たちのチームはいいチームになって進んで、
あとは一緒に運営する地元の仲間みたいなものもできて、
で、結局私含め5人で会社になるっていう。
その出会いはかなり大きくて、
私にとって本当に今でもいい縁だったし、大切にしたい仲間でもあるなというふうに思ってますね。
それともう一つは、としま会議っていう。
としま会議。
いわゆるこれは会議というよりは、
そのタイミングでいろいろ仕掛けたいとか面白いことをしてるような人を3,4人呼んで、
数分話してもらって懇親をするというか。
そういう面白い人がいろいろつながりができるような。
そういう会議がその時は月に1回とか2月に1回とかあって、
そういう場とかにも当然私も行って、
しゃべり合いしてもらったりみたいなこともあって、
っていうようなことの中で、
同じ時期に同じふうにいろいろやっていきたいなと思っているような人たちと知り合うことができたみたいなことも結構大きかったんじゃないかなと思います。
そっか。
そのあたりのタイミングみたいなものがいくつか噛み合って。
どれが一つなくてもこんなにはうまくいかなかったんじゃないかなというぐらい、
一個一個そういう意味合いがあったというか用意されていたというか。
その時に僕もそういうふうに思って動けたし、
世の中の流れがやっぱり戸島区に吹いていたところがあると思うんですよね。
そっかそっか。
みたいなところと、
本当にいろんな世の中の流れも含めて、
その流れに乗ったという感覚は結構ありますね。
そうか。
やられていること自体もそうだし、
5円とか風が吹いてきて流れがあってみたいな。
そうですね。
そこに乗っていって、うまく。
そうですね。
大学卒業後、商業施設や店舗の設計を手掛けてきた氷上さん。
30代後半、椎名町に住み始めたことをきっかけに、
リノベーションスクールや戸島会議といった出会いが重なり、
町づくりの活動が動き出したのだそう。
いろんなことをやっていると、
すごいいろんなことをめちゃくちゃ計画的に、
すごく戦略的にやっているというような感じにも捉えられるんですけど、
あんまりそういう感じというよりは。
そっかそっか。
戦略はもちろんないわけじゃないし、
やるからにはうまくいかそうと思ってやってはいるんですけれど、
どちらかというときっかけに関しては、
縁と運とタイミングがすべてだと思っていて、
18:04
どっちかというとサーフィンに乗り続けて、
サーフィンをずっとしているという感じなんですよね。
面白い、はい。
サーフィンってこう、
自分で波は作っていないじゃないですか。
そうですね、やっていきますからね。
でも、いい波が来る場所は選べますよね。
例えばあっちの岩壁じゃなくて、
こっち、もしくは県をまたいで、
あっちの海岸の方がいいよねとか、
そういうことは別に自分で選んでいけるじゃないですか。
選んでいったとしても、
今来るものになるのか、
次に来るものになるのかっていうのは、
僕が選べるじゃないですか。
なので、いろんな人にいっぱいいい波が来てるんですよ。
なんならみんなにやるんですけど、
僕はその波を、
これだなと思ってそれにきっちり乗って、
きれいにうまく流されていけてるというか、
そういうものを捕まえる縁と縁があったのかな、
ちょっと思います。
実際始めるまでは当然大変でやっていって、
始まると始まったらまた違う話になってくるじゃないですか。
永遠に安定なんてしないですし、
これはどういう事業をやってる人でも同じかなと思うんですけど、
特にいわゆる、
あんまり街作りって言葉は僕はそんなに好きじゃないんですけど、
街を作ってるのは僕らじゃなくて、
本当にずっとこの街にいてきた人だから、
街を作ってるぞみたいな感じになるのはあんまり好きじゃなくて、
言いにくいんですけど、
言いやすいんでどうしても使っちゃう、
街作りって言葉。
街作りってすごくスパンの長いお話かなというか、
例えば事業だとこれをポンと打って、
これを売り上げ上げれば数字みたいな事が割と分かりやすいと思うんですけど、
それだけでももちろんないですし、
回収のスパンが長いものだなというか、
回収するものでもないかもしれないなみたいなことだったりとか、
ここでこういうふうにしたことが、
もしかしたら僕の子供とかに返ってくるかもしれないみたいな話の流れでいかないといけないので、
すごくそこを、
じゃあこんだけ稼げたからよかったねみたいな世界では全然ないよね、
でもちゃんと稼がないと続かないよねみたいなものも含めて、
ずっと考えてやっていかなくちゃいけないなというところでいうと、
本当に安定もしないですし、
っていう感じなんですよね。
私としては自分の中では、
ヒカミオマ内装の設計っていう仕事は、
こちらはもう自分も転職だと思ってやっているし、
当然それで私は食べているということなので、
21:01
その事業をしっかりさせながら、
街づくり会社という活動では、
すごくそこで私自身が収益を上げるということではなくて、
自分たちがやりたいこととか、
実験してみたいこととか、
こっちのA面B面とよく言うんですけど、
A面ではできないことはやっぱりB面で、
実現させることが例えばしやすいのかと思ったりするので、
そういう意味合いで分けて考えていますし、
やっぱりいきなり空間デザイナーとかショップデザイナーって、
意外といないじゃないですか。
あんまり聞いたことないですね。
建築のデザインの方はそういう内にいるんですけど、
もちろんその方もショップデザインをされるんですけど、
店舗専門で設計している人って意外といないじゃないですか。
お友達とかでも。
いらっしゃるんですよ。
僕もずっと店舗の設計ずっとしてきましたし、
大きな会社とかもありますんでいるんですけど、
それが意外と街にいないっていうことだなと思ってて、
あの人でパンって浮かばないんですよ。
大多数の人が実はそうで、
何かやりたいなって時に、
チェーン店の人は当然付き合ってる人がいるんですけど、
何かやってみたいとか、
お店とかの場所で何かしてみたいと思った時に、
相談できる人って意外といないんですよね。
なので、普通に店舗設計してもそうならないとすると、
そういう全然違う別軸のものでいるように見えた方が、
僕自身の、
この人はシナといっぺんって宿がやってるけど、
空間デザイン、これを仕事にしてるんですねっていう風に見えてきやすいですし、
そうしてもらえれば何か相談がある時に、
ちょっとこれってどうなのみたいなこともやっぱり言いやすいなっていうか、
可視化されていくっていうように可視化されていく方が、
でも実は多分いるんですよ。
結構その辺にいるんだけれど見えないから届かないというだけで、
そこは何か、
A面B面っていうことも含めて、
表現するっていうことも含めて、
長い目で見ると、
私の設計の部分のメリットは絶対出てくるんじゃないかなという風には、
思った、ある意味チャレンジではあったのかなという風に思いますね。
実際やっぱりチャレンジを始めて、今は続けているわけですけど、
それによって実際空間デザインされている方が、
可視化できているなみたいな感じであります?
そうですね。
やっぱり仕事の依頼をいただくようになってきましたので、
シンプルに。
私は信濃町とかに住み始めるまでに、
池袋の設計案件って一つもなかったんですけど、
今は30件ぐらいあります。
すごい。
やっぱりそういう活動をしている中で、
もちろんそうじゃないものもあるんですけど、
24:00
そういう活動をしている中で知り合って、
お仕事につなげていくってことができているからだと思うんですよね。
それはもうまさに実際に可視化できていて。
そうするとやっぱり一つ場所ができていくと、
また紹介いただいたりとか、
ああいうことができるようになったらこういうのもできないという話が
次々と動いていくので、
違う入り口を作るみたいなところに。
ある意味シンナーと一平自体も、
当然設計も関わっているし、
そこで設計デザインしていますというよりは、
どっちかというと宿を運営していますという人なんですけど、
そういう場所を持つことによって、
どうなるかというと、
急に設計してくださいというよりは、
場所をどういうふうに使いましょうかねという相談があるんですよ。
例えば大屋さんがあそこ空いたんだけど、
どういうふうに使ったらいいと思うとか。
大屋さん自体はそのイメージもはっきりあるわけじゃなくて。
そうですね。ある人ももちろんいらっしゃるし、
あるんだけどもどうしたらいいというのもありますし、
例えば宿をやってみたらどうなのかなとかもあれば、
どういう人に使ってもらったらいいと思うとか、
みたいなものもあるんですよ。
そうかそうか。
というふうな使い方の相談みたいなものが発生してくるんですよね。
そうかそうか。
そうすると結局最終的には設計になっていくというか、
困りごとってシームレスじゃないですか。
空間デザインのとこだけがないっていう人ってあんまりいないんですよ。
そうですよね。
全部困ってて、デザインも困ってるみたいなこともあるんですけど。
なのでいろいろなところからいろんな相談が入るようになるんですよね。
それが結構かなり大きなことかなってやっぱり思いますね。
そうか。時にそれは困りごと、課題みたいなものがやってきて、
当然ヒカミンアップさんができるものができるでしょうけど、
それの外はみ出たものもいっぱい来ますね。
そういうものは当然建築デザインをやってる仲間だったりとか、
例えばグラフィックをやってる仲間とか、
例えばコピーライターさんと一緒によく仕事もするんですけど、
ここは絶対コピーがあった方がいいとか、そういう一つに声をかけてやってる。
そうなってくと僕も面白いものを作れるチームみたいなのができてくるので、
そういうような形で答えを出していくってことができるっていうのが、
エリアの開発みたいなものにつながってくるっていうのが、
大きくなっていくというか、小さな相談が、
じゃあちょっとこのエリアをどういうふうに考えていくのか、
みたいなものに少しずつ10年かかって、
いろんなお話をいただけるようになってきた。
例えばここの西池バレンっていう、私の住んでいる場所も、
やはりシンラタンの活動をオーナーさんがメインにしてくださって、
相談をしてくださって。
27:00
そうなんですね。
コンセプトからどういう場に、どういうシーンを作りたいかな、
この場所がどういう場になったらいいですかね、
みたいなディスカッションを重ねて、
その中で西池バレンっていうネーミングもできて、
これは風の谷のイメージなんですけど、
池袋のビルの中にある気持ちいい風が吹く場所っていうような、
シリコンバレンのバレン的なイメージもあるんですけど、
集まっていくところだったり、風が通る場所みたいな。
オーナーさんが常々ここはすごく気持ちいい風が吹く場所にしたいんだと。
これは実際の風だけじゃなくて挨拶ができたりとか、
人の関係の間にも気持ちいい風が吹く場所にしたいんだっていうのもあって、
西池バレンっていうネーミングがついて、
この場所をどういう風に開発していくかって、
絵を最初にみんなで描いて、
実際7年くらいかかって、ほぼほぼそれは実現、
最初に描いた絵も実現してます。
最初は7年前くらいだったんですか?
1個1個手を打っていって、
この場所ではこういう風になればいいよねとか、
例えばこの建物の下ではこういう運動ができる場所にしたいね、
その時に描いたものがほぼ全部実現をしている。
その中に僕が当然設計する場所もあれば、
建築設計を任せる場所もあれば、
いろんなプロが少し集まってこの場所を作っていくっていうようなことに、
仕事としてなっていったりとか。
それもそこの場所に住むことによって、
自分でそういう使い方も表現していけるし、
創造効果ですよね。
それぞれで。
そうすることによってまた私の空間デザインのお仕事をいただけたりとか、
つながっていくような創造効果にそのA面B面を、
そこは考えて、
そうなるといいなと思ってやったっていうのはあります。
そうか。
逆に言うと今まで通りだけやっていると、
そこの枠を越えていかないと、
やっぱり見えていかないということは広がっていかないということじゃないですか。
僕は店舗の設計をしているので、
住宅の設計と何が違うかというと、
お店の設計って、
何時間も死ぬほど徹夜して頑張って設計して作っても、
普通に1年でしまったりするんですよ。
それはそうか。
住宅でもないとは言わないですけど、
やっぱりどなたかが住んでくださったりとかすることがあるじゃないですか。
お店って本当に亡くなって別のお店になるので、
あんだけ頑張ってすごい気合いを入れてやって、
実際お店も良かったのに、
何かが悪かったりとか、もちろん時代もあるかもしれない。
例えばコロナみたいなことがあれば、
本人たちが悪いというのはないかもしれないけど、
お店ってやっぱり潰れるんですよ。
ということはやっぱり人に届かないとダメなんですよね。
届かないとないと一緒ってある意味思っているので、
30:00
逆に言うと僕は届ける役割をしたくて。
それがやっぱり住宅にはない醍醐味なんですよね。
住宅ってある程度住む方が納得すれば、
基本はいいじゃないですか。
でも商業ってそうはいかなくて、
どんだけ僕がいいって言っても、
オーナーさんがいいって言っても、
そこに来るお客さんとか、
例えばタメに来るお客さんがいても、
何これってなったら、やっぱりもう成り立たないんですよね。
それを一緒に考えていけるっていう、
スタンスを取れるお仕事だったりとか、
チームでできるようなことっていうのをやりたかったし、
できるようになってきたなっていうのはありますね。
すごい面白いですね、そこの感じ。
すごく今こういった時点で、
時代の流れで少しずつ、
例えばお店が売れなくなったりってことは当然あるんですよ。
でもこういうふうに、
住んでる近くにこんなお店があれば、
じゃあちょっとあそこお店調子悪くなったら、
じゃあちょっと飲みに行きながら、
ちょっとこういう手を打ってみようとか、
こういうふうに変えたほうがいいかもしれないねとか、
そういう、それも長いお付き合いの流れですから。
例えば改装したいというのはお仕事にもなっていくし、
そういうような付き合いをしていけば、
少なくともそこってなくならないお店になっていくかなというか、
当然自分も行くし、他の人にも来てもらいたいので、
僕も連れていくし、みたいなことが連鎖していくような、
やっぱりほうがいいなというのはありまして。
特にコロナの時には、
守りたかったのって自分が行きたかったお店じゃないですか。
顔の見えるお店だったりとか、
そういうお店を守りたくて、
そこにやっぱり行きましたよねって思いますので。
なのでやっぱりそういう場所を大事にできるようになってきたし、
コロナ後に当然、東京ローカルを本当に
いろいろ無視できない時代に本当になってきたなという気がするので、
そういうタイミングで僕たちも10年間このエリアでやってきて、
そういういろんなお話をいただけるようになってきたっていうのが、
本当にタイミングですよね。
そうか、流れ。
コロナの時はもう宿なんてすぐにゼロだったので、
大変な状況だったんですけど、
だからこそその時に1年間だけシェアハウスに。
1年限定で、それもやりたいことを実現していくチームとしての
シェアハウスみたいなやり方を1年間したおかげで、
なんとか続けてこれたり、
そこの仲間がいい仲間になったりみたいなことが大変な中で。
なのでそう考えると本当に、
宿なんてオリンピックですごい人儲けできるかなと。
そのために作ったわけじゃないんですけど、
それは少し計算する。
でも結局誰も来なかったんですよ。
宿なんてゼロだったので、
そういうような状況が、
もう来てもみんなで考えて手を打ってやっていこうねっていうチームができてたのは、
やっぱりシンナータウンとして本当に良かったんだと思いますし、
そういう動きの中で自分の成り場とする仕事、
空間デザインっていうものが、
世の中に見えてきたというか。
33:01
それを見えることによっていただくようになってきたっていうのは、
本当に良い流れができたなと思って、
だからそれも良い波に乗れたんだろうなと思ってるって感じなんですよね。
能力としては今まではもちろん、
テンポを作るという意味では頑張ってきたけれども、
そうやって見えることによって、
どんどんいろんな話がいただけるようになってきたっていうのが本当に重要ですね。
そうか。
縁と運とタイミングが全て。
サーフィンに乗り続けている感覚と語る日上山さんの歩み。
自身の設計の仕事をA面、
街作りの活動をB面と呼び、
テンポの設計者が街に見えないからこそ、
別の形で自分を可視化し、
長く根を張った場作りをしてきたとおっしゃいます。
そんな日上山さんのお話は次回に続きます。
34:04
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