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  2. 『キコアベ』 Aの○○チャレンジ..
2022-03-02 29:23

『キコアベ』 Aの○○チャレンジとぶたさん文庫「鼻」!

本日のキコアベは…

【前半】
・Aの〇〇チャレンジ
・特集ABメンバーの役作り 再生ランキング発表

【後半】
・Bさん「ぶたさん文庫」鼻

#キコアベ #ながら聴き #毎週水曜 #朗読 #ぶたさん文庫り #チャレンジ #再生ランキング #ABメンバーの役作り #芥川龍之介 #レター募集 #スナフキン
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ながら聴きラジオ 『キコアベ』
みなさま、おはこんばんちは。アーベイのAです。
今日は数回に戻りまして、キコアベの朗読コーナー
Bさんの豚タンプンコをお届けいたします。
芥川龍之介作、花という作品です。
そして、私Aが初めてあれにチャレンジするという話を
少し撮っていただきたいと思っております。
一体あれとは何なのか、この後すぐ明かしていますので
聴いていってくださいね。
我々は、社会人演劇カンパニーアーベイと申します。
それでは今日も楽しく参りましょう。
キコアベスタートです。
さあ、今週も始まりました。
ながら聴きラジオ キコアベでございます。
かっこいいですね。
はい、いつも通りに3月1発目のBGMはシンプでございます。
「音のない世界さんの犬とキリギリス」という楽曲に乗せて
進めていきたいと思います。
でこさん、ありがとうございます。
はい、早速ですが、Aは何に一体チャレンジをするのか
お答えいたします。
私A、豚タンプンコで朗読にチャレンジいたします。
はい、厳密に言うと朗読というか
セリフだけなんですけどね、すいません。
まだちょっと一人で読める気がしないので
セリフの部分だけ参加させていただこうかなと思っております。
次回の豚タンプンコにてAが登場する予定となりますね。
以前ね、イボンヌさんが登場したことはあったんだけれどもね。
私Aとしての登場は初となります。
早ければ再来週あたりになるかもしれません。
次回作にもぜひご期待いただけたらと思います。
頑張ります。
さてさてさて、お次はですね、
先週まで3週連続で特集を組みました
アーベイメンバーの役作りでございますが、
なんとここで体制ランキング発表のコーナー参りましょう。
誰の役作りに一番興味を持っていただけたのか、
気になる方はいらっしゃるのかどうか謎ではございますけれども、
一番本人たちが気になるところかもしれませんし、
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数のところはこっそりしておきますけれども、
順位だけちょっと発表してみたいかなと思います。
まずは列から、こちらはダントツでCさんの回が1位でした。
そしてアンカーでは同率でBさんとJさんが1位でございました。
そして最後はスタンドFでございますが、
こちらではJさんがトップですね。
ということで数を計算いたしましたところ、
本当に僅差ではあるんですけれども、トータル1位はCさんでございました。
おめでとうございます。
ツイッターに今回の役を演じていた時の本人写真載せているんですけれども、
いいねがCさん実は一番多かったんですよね。
ということで、特集アーベイメンバーの役作り再生ランキングでございました。
CMの後はいよいよBさんの豚さん文庫です。
チャンネルはそのまま。
電車を待ちながら、結構危ない。
会社行きたくない。
鼻、芥川龍之介。
全地内部の鼻といえば、生け脳で知らないものはない。
長さは5、6寸あって、和唇の上から顎の下まで下がっている。
形は元も先も同じように太い。
いわば細長い頂爪のようなものがぶらりと顔の真ん中からぶら下がっているのである。
50歳を越えた内具は、
シャミの昔から内道場グブの職に上った今日まで、
内心では始終この鼻を苦に病んできた。
もちろん表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。
これは、千年に当来の浄土を活行すべき僧侶のみで、
鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。
それよりむしろ、自分で鼻を気にしているということを人に知られるのが嫌だったからである。
内具は日常の談話の中に鼻という語が出てくるのを何よりも恐れていた。
内具が鼻を持て余した理由は二つある。
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一つは、実際的に鼻の長いのが不便だったからである。
第一、飯を食う時にも一人では食えない。
一人で食えば鼻の先がかなまりの中の飯へ届いてしまう。
そこで内具は弟子の一人を禅の向こうへ座らせて、
飯を食う間中、広さ一寸、長さ二尺ばかりの板で鼻を持ち上げていてもらうことにした。
しかし、こうして飯を食うということは、
持ち上げている弟子にとっても、持ち上げられている内具にとっても決して容易なことではない。
一度この弟子の代わりをした中道司がくさみをした拍子に手が震えて、
鼻をかゆの中へ落とした話は、当時京都まで献殿された。
けれども、これは内具にとって決して鼻をくにやんだ主な理由ではない。
内具は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。
池のもの町のものは、こういう鼻をしている禅知内具のために、内具の賊でないことを幸せだと言った。
あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。
中にはまた、あの鼻だから出家したのだろうと批評するものさえあった。
しかし内具は、自分がそうであるために幾分でもこの鼻に煩わされることが少なくなったと思っていない。
内具の自尊心は、最大というような結果的な事実に左右されるためには、あまりにデリケートにできていたのである。
そこで内具は、積極的にも消極的にもこの自尊心の既存を回復しようと試みた。
第一に内具の考えたのは、この長い鼻を実際以上に短く見せる方法である。
これは人のいない時に鏡へ向かって、いろいろな角度から顔を写しながら熱心に工夫を凝らしてみた。
どうかすると顔の位置を変えるだけでは安心ができなくなって、頬杖をついたり顎の先へ指を当てがったりして、根気よく鏡を覗いてみることもあった。
しかし自分でも満足するほど鼻が短く見えたことは、これまでにただの一度もない。
時によると苦心すればするほどかえって長く見えるような気さえした。
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内具はこういう時には鏡を箱へしまいながら、今さらのようにため息をついて、不精不精にまた元の今日机へ観音行を読みに帰るのである。
それからまた内具は絶えず人の花を気にしていた。
池農の寺は倉具鉱石などのしばしば行われる寺である。
寺の内には僧帽が好きなく立て続いて、夕夜では寺の僧が日ごとに湯を沸かしている。
したがってここへ出入りする僧族の類もはなはだ多い。
内具はこういう人々の顔を根気よく物色した。
一人でも自分のような花のある人間を見つけて安心がしたかったからである。
だから内具の目には紺の水管も白の肩びらも入らない。
まして麹色の帽子やシーニビの衣などは見慣れているだけにあれどもなきが如くである。
内具は人を見ずにただ花を見た。
しかしかぎ花はあっても内具のような花は一つも見当たらない。
その見当たらないことが度重なるにしたがって内具の心は次第にまた不快になった。
内具が人と話しながら思わずぶらりと下がっている花の先をつまんでみて、
としがいもなく顔をあからめたのは全くこの不快に動かされての所為である。
最後に内具は内転下転の中に自分と同じような花のある人物を見出して、
せめても幾分の心やりにしようとさえ思ったことがある。
けれども木蓮や砂利骨の花が長かったとはどの教文にも書いてない。
もちろん隆寺や明明も人並みの花を備えた菩薩である。
内具は新短の話のついでに植官の劉玄徳の耳が長かったということを聞いた時に、
それが花だったらどのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。
内具がこういう消極的な苦心をしながらも、
一方ではまた積極的に花の短くなる方法を試みたことはわざわざここに言うまでもない。
内具はこの方面でもほとんどできるだけのことをした。
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カラスうりを煎じて飲んでみたこともある。
ネズミのいばりを花へなすってみたこともある。
しかし何をどうしても花は依然として五六寸の長さをぶらりと唇の上にぶら下げているではないか。
ところがある年の秋、内具の用を兼ねて京へのぼった弟子の僧が、
シルベの医者から長い花を短くする方法を教わってきた。
その医者というのは元神壇から渡ってきた男で、
当時は長楽寺の偶僧になっていたのである。
内具はいつものように花などは気にかけないという風をして、
わざとその方法もすぐにやってみようとは言わずにいた。
そうして一方では気軽な口調で、
食事の旅ごとに弟子の手数をかけるのが心苦しいというようなことを言った。
内心ではもちろん弟子の僧が自分を解き伏せてこの法を試みさせるのを待っていたのである。
弟子の僧にも内具のこの策略がわからないはずはない。
しかしそれに対する反感よりは、
内具のそういう策略を取る心持ちの方が、
より強くこの弟子の僧の道場を動かしたのであろう。
弟子の僧は内具のよき通り口を極めてこの法を試みることをすすめ出した。
そうして内具自身もまたそのよき通り、
結局この熱心な感覚に長寿することになった。
その法というのはただ湯で花をゆでて、
その花を人に踏ませるという極めて簡単なものであった。
湯は寺の湯屋で毎日沸かしている。
そこで弟子の僧は指も入れられないような熱い湯をすぐにひさげに入れて、
湯屋からくんできた。
しかし直にこのひさげに花を入れるとなると、
湯気にふかれて顔をやけどするおそれがある。
そこでおしきへ穴をあけて、それをひさげのふたにして、
その穴から花を湯の中へ入れることにした。
花だけはこの熱い湯の中へ浸しても少しも熱くないのである。
しばらくすると弟子の僧が言った。
「もう湯だった自分でごさろう。」
ナイグは苦笑した。
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これだけ聞いたのでは誰も花の話とは気がつかないだろうと思ったからである。
花は熱湯にむされて飲みのくったようにむずがゆい。
弟子の僧はナイグがおしきの穴から花をぬくと、
そのまだ湯気の立っている花を両足に力を入れながら踏みはじめた。
ナイグは横になって花を床板の上へのばしながら、
弟子の僧の足が上下に動くのを目の前に見ているのである。
弟子の僧は時々気の毒そうな顔をして、
ナイグのハゲ頭を見下ろしながらこんなことを言った。
「痛はござらぬかな?
医師はせめて踏めと申したで、
じゃが、痛はござらぬかな?」
ナイグは首を振って痛くないという意味を示そうとした。
ところが花を踏まれているので思うように首が動かない。
そこで上目を使って弟子の僧の足に赤切れの切れているのを眺めながら、
腹を立てたような声で、
「痛はないてえ。」と答えた。
実際、花はむずがゆいところを踏まれるので、
痛いよりもかえって気持ちのいいくらいだったのである。
しばらく踏んでいると、やがて泡粒のようなものが花へでき始めた。
いわば毛をむしった小鳥をそっくり丸焼きにしたような形である。
弟子の僧はこれを見ると足を止めて独り言のようにこう言った。
「これを毛抜きで抜けと思すことでござった。」
ナイグは不足らしく頬をふくらませて、
黙って弟子の僧のするなりにまかせておいた。
もちろん弟子の僧の親切がわからないわけではない。
それはわかっても、
自分の花をまるで物品のように取り扱うのが不愉快に思われたからである。
ナイグは信用しない医者の手術を受ける患者のような顔をして、
不精不精に弟子の僧が花の毛穴から毛抜きで油をとるのを眺めていた。
油は鳥の羽の茎のような形をして四分ばかりの長さに抜けるのである。
やがてこれが一通り進むと、弟子の僧はほっと一息ついたような顔をして、
「もう一度これを言うてればようござる。」と言った。
ナイグはやはり八の字を寄せたまま夫婦らしい顔をして弟子の僧の言うなりになっていた。
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さて二度目に茹でた花を出してみると、
なるほど、いつになく短くなっている。
これでは当たり前のかき花と大した変わりはない。
ナイグはその短くなった花を撫でながら、
弟子の僧の出してくれる鏡を決まりが悪そうにおずおず覗いてみた。
花は、あの顎の下まで下がっていた花はほとんど嘘のように萎縮して、
今はわずかに上唇の上で意気地なく残線をともっている。
ところどころまだらに赤くなっているのはおそらく踏まれた時のあとであろう。
こうなればもう誰も笑うものはないにちがいない。
鏡の中にあるナイグの顔は鏡の外にあるナイグの顔を見て満足そうに目をしばたたいた。
しかしその日はまだ一日花がまた長くなりはしないかという不安があった。
そこでナイグは漬けをする時にも食事をする時にも暇さえあれば手を出してそっと花の先にさわってみた。
が、花は行儀よく唇の上に収まっているだけで、
格別それより下へぶら下がってくる景色もない。
それから一晩寝てあくる日早く目が覚めると、
ナイグはまず第一に自分の花を撫でてみた。
花は依然として短い。
ナイグはそこで幾年にもなく保家協保署者の甲を摘んだ時のようなのびのびした気分になった。
ところが二、三日たつ中にナイグは意外な事実を発見した。
それは折から用事があって池のうの寺を訪れた侍が、
前よりも一層おかしそうな顔をして、話もろくろくせずにじろじろナイグの花ばかり眺めていたことである。
それのみならず、かつてナイグの花を茅雨の中へ落としたことのある中道児などは、
行動の外でナイグと行き違った時にはじめは下を向いておかしさをこらえていたが、
とうとうこらえかねたとみえて、一度にふーっと吹き出してしまった。
用意つかった下法師たちが面と向かっている間だけはつずしんで聞いていても、
ナイグがうしろさえ向けばすぐにくすくす笑いだしたのは、一度や二度のことではない。
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ナイグははじめ、これを自分の顔がありがしたせいだと解釈した。
しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。
もちろん、中道児や下法師が笑うげいいんは、そこにあるのにちがえない。
けれども同じ笑うにしても、花の長かった昔とは、笑うのにどことなく様子がちがう。
見なれた長い花より、見なれない短い花のほうが滑稽に見えるといえばそれまでである。
が、そこにはまだ何かあるらしい。
前には、あのようにつけつけとは、わらは何だって。
ナイグはずしかけた胸紋をやめて、はげ頭をかたむけながら、ときどきこうつぶやくことがあった。
愛すべきナイグは。
そういうときになると、かならずぼんやりかたわらにかけた不幻の画像をながめながら、
花の長かった四五日前のことを思い出して、
いまはむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとくふさぎこんでしまうのである。
ナイグには、いかんながらこの問いに答えをあたえる妙音がかけていた。
人間の心には、たがいにむじゅんした二つの感情がある。
もちろん、だれでも他人の不幸にどうじょうしないものはない。
ところが、その人がその不幸をどうにかしてきりぬけることができると、
こんどはこっちでなんとなくものたりないような心もちがする。
少しこちょうしていえば、もう一度その人を同じ不幸におとしいれてみたいような気にさえなる。
そうしていつのまにか、消極的ではあるが、ある敵意をその人にたいしていたくようなことになる。
ナイグが、理由を知らないながらもなんとなく不快に思ったのは、
生けのうの相続の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなくかんずいたからにほかならない。
そこでナイグは日ごとにきげんがわるくなった。
ふたことめには、だれでもいじわるくしかりつける。
しまえには、はなのりょうじをしたあの弟子のそうでさえ、
ナイグは、ほうけんどんのつみをうけられるぞ、とかげぐちをきくほどになった。
24:05
ことにナイグをおころせたのは、れいのいたずらなちゅうどうじである。
ある日けたたましく犬のほえる声がするので、ナイグがなにげなく外へでてみると、
ちゅうどうじは、にしゃくばかりの木のきれをふりまわして、けのながいやせたむく犬をおいまわしている。
それもただおいまわしているのではない。
はなをうたれまえ、それ、はなをうたれまえ、とはやしながらおいまわしているのである。
ナイグはちゅうどうじのてからその木のきれをひったくって、したたかそのかおをうった。
木のきれは、いぜんのはなもたげの木だったのである。
ナイグはなまじいに、はなのみじかくなったのが、かえってうらみしくなった。
するとあるよるのことである。
ひがくれてからきゅうにかぜがでたとみえて、とうのふうたくのなるおとがうるさいほどまくらにかよってきた。
そのうえ、さむさもめっきりくわわったので、ろうねんのナイグはねつこうとしてもねつかれない。
そこでとこのなかでまじまじしていると、ふとはながいつになくむずがゆいのにきがついた。
てをあててみると、すこしすいきがきたようにむくんでいる。
どうやらそこだけねつさえもあるらしい。
むりにみじくをしたで、やまいがおこったのかもしれぬ。
ナイグはぶつぜんにこうげをそなえるようなうやうやしいてつきで、はなをおさえながらこうささやいた。
よくあさ、ナイグがいつものようにはやくめをさましてみると、
じないのいちょうやとちがひとばんのなかにはをおとしたので、にわはきんをしいたようにあかるい。
とうのやねにはしもがおりているせいであろう。
まだうすいあさひにくりんがまばゆくひかっている。
ぜんちナイグはちとみをあげたえんにたって、ふかくいきをすいこんだ。
ほとんどわすれようとしていたあるかんかくが、ふたたびナイグにかえってきたのはこのときである。
ナイグはあわてではなへてをやった。
てにさわるものは、ゆうべのみじかいはなではない。
うわくちびるのうえからあごのしたまで、ごろくすんあまりもぶらさがっているむかしのながいはなである。
27:00
ナイグははながいちやのなかにまたもとのとおりながくなったのをした。
そうしてそれとどうじに、はながみじかくなったときとおなじようなはればれしたこころもちが、どこからともなくかえってくるのをかんじた。
こうなれば、もうだれもわらうものはないにちがいない。
ナイグはこころのなかでこうじぶんにささやいた。
ながいはなをあけがたのあきかぜにぶらつかせながら。
朝の駅です。
あれから半年たちましたね。
でもやっぱり、かいしゃ行きたくねー。
朝のホームできこわべ。
エンディングのお時間です。
ながら劇ラジオきこわべ。
本日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
今日は通常回に戻って豚さん文庫をお送りいたしましたが、お楽しみいただけましたでしょうか。
ぜひ感想などお寄せいただけますと幸いです。
もうどんどんね、あのから口コメントもお待ちしております。
よろしくお願いいたします。
それでは皆様、おからだ天候には十分お気をつけてお過ごしください。
いずれどこか行くだろうさ。
それともどこへも行かないのかもしれないぜ。
どっちでもいいのさ。
このままでとても楽しいじゃないか。
あなたのように生きることはとても難しいけれど、
赴くままに生きることがとても楽しいという気持ちは共感します。
サンキュースナフキン。
明日はきこかけJのジジネタJJGです。
きこわべはまた来週水曜日にお会いいたしましょう。
ごきげんよう。
バイチャ。
29:23

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