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#3  映画『私たちの話し方』を見ました(後編)ネタバレありでなんでも話します
2026-07-03 39:32

#3 映画『私たちの話し方』を見ました(後編)ネタバレありでなんでも話します

※ストーリーにも触れていますので、映画のネタバレを知りたくない方はご注意ください

映画『私たちの話し方』について話す、後編です。
 

ソフィーの家/ジーソンの家のスイーツ/ベランダのシーン/主人公たちと海/ネギはシュノーケリングが嫌い/ソフィーの気持ち/海中と海上/海の王へ物申す/恋愛要素について/アラン!!/死者が出ないでほしい/キャストについて/ネオ・ヤウの演技/キャスティングの経緯/ろう・難聴者の俳優が育つには/ソフィーの家庭/お母さんの気持ち/子どもの選択を取り巻く諸問題/当事者の中での分断/ソフィーの会社/授業シーン/最後のシーンが描いていたものとは?/言語だから/意志を持つソフィー/Spotifyで文字起こしができない問題/LISTENすごい/文字起こしがないことで生じる葛藤

 

🔗今回の関連リンク


映画『私たちの話し方』 公式サイト


私たちの話し方 パンフレット

デフアクターズ・コース

 

聞こえない子どもの9割以上は聞こえる親から生まれる
Mitchell, Ross E.; Karchmer, Michael A.(2004), Chasing the Mythical Ten Percent: Parental Hearing Status of Deaf and Hard of Hearing Students in the United States  こちらはアメリカの研究ですが

 

オーディズム
ろうなび オーデイズム 形而上学から見る抑圧の探究
Audism: Oppression in the Lives of Deaf Individuals
 

明晴学園 早期支援プログラム めだか
人工内耳と自然手話、日本手話と日本語対応手話


全日本ろうあ連盟の人工内耳に対する見解(2016)


 

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オープニング・ネタバレについてアナウンス
ネギ
こんにちは、ネギです。 今、カジさんなしで私だけで喋っていますが、
こちらの配信は、映画『私たちの話し方』の感想回、後編です。
後編はですね、ストーリーやキャストについて触れる、いわゆるネタバレありでお話しています。
では、3回目のkigoo、始まります。
お母さんが出してくれる食べ物
ネギ
ソフィーの家、いい家でしたよね。
カジ
いい家でしたね。
ネギ
すごい、高層マンションの最上階の上の方で。
カジ
そうそう、お母さんがスープ飲むって言って、スープすすめてくれるっていう。
ネギ
あれ、ジーソンのお家でお母さんが持ってきたのも、スープ?
カジ
あれもなんか、エメラルドがなんか入ってるみたいな。
スイーツなのかな?
ネギ
スイーツっぽかったよね。
エメラルド、確かに、すごい興味ある。
カジ
そうそう、あれ、なんていう料理なんだろう?みたいな。
ネギ
なんとなく杏仁豆腐みたいな、そういうイメージをしてたけど。
カジ
そう、なんか美味しそうだなと思って。
わらび餅的なやつなのかな?
甘い系だったら間違いなく、向こう行って現地行って頼んでますよ、僕。
なんてやつなんだろう?本当に気になる。
ソフィーのベランダでの語り
ネギ
なんか、ソフィーがベランダで一人で。
あー、やってたやってた、手話。
ネギ
ポエムのようなね、瞬間っていうか。
カジ
独り言みたいに手話でつぶやいて、
じゃあ、自分が今最後にどういう世界を選ぶのかみたいなところを、
ずっとその手話と本人の表情と見せながら、
カジ
街の雰囲気と合わせて見せていくっていうところがすごい印象的で。
ずっとゆっくりしたシーンだから一緒に、
僕はあそこのシーンは真似したんですよ。
スローだったのっていうのもあるし、
世界の中で自分がもしも言葉を選べるなら、
私は静寂を選ぶみたいな話になっていくんだけど、
そこは僕はソフィーと一緒に自分の指を動かして、
じゃあどれにする?これを選ぶみたいなところとかは、
真似してすっごい共感っていうか。
ネギ
入ったっていうかね、自分の中に取り込んだっていうか。
カジ
あのシーンはすごいその鑑賞の仕方して楽しかったなと思って。
主人公たちと海・シュノーケリングとダイビング
ネギ
やっぱり海に入ってるシーンもすごく多くて、
ジーソンがダイビングが好きで、
自分は海の王みたいな。
カジ
海の王だって言ってたね。
ネギ
だからもう泳ぐのが、小学校の時も川入って泳いだりとかしてたし、
で、他のダイビング仲間のろう者と海の中で自由に会話するようなシーンが出たりとかして。
カジ
あったー。めっちゃよかったあれ。
ネギ
で、なんかさ、ソフィーはさ、人工内耳が入っていて、
あまり激しい運動とか、そういうことはよくない、できないっていう風に言われているからダイビングができないと。
実際できないかどうかっていうのはまたいろいろあるみたいなんだけど、
シュノーケリングで私はいいからみたいな感じだったりするじゃん。
私はなんかその、個人的にシュノーケリングってあんまりいい思い出なくて、
カジ
そうなんだ。
ネギ
スイミングスクールでシュノーケリングをつけたんだけど、
なんかそれこそなんかやっぱり限界あるっていうか、
息はできるんだけど、それ以上もぐれないじゃない?
で、なんかその、ただ水中見てる、ただ水中見てるしかないっていうか、
それでこう、あっ見えたみたいな感じで、
普段泳いでるような勢いで、そのもぐろうとしちゃうと、すごいひどい仕打ちにあうじゃない?
だって、息するためのチューブに水が入ってくるっていう。
カジ
思いっきり入ってくるもんね。
ネギ
そう。だから、ただその水飲んじゃうとかいうのに、ものすごいつらいことになるわけですよ。
で、もう強制終了をさせられるっていうか、ちょっとでも一線を越えると。
カジ
一線を越えるとね。
ネギ
そう、線を越えると、はい、もうこれ以上ダメって言ったでしょみたいな風に言われてる感じがして、
不便じゃんってなったんですよ。
なんか、それこそ器具つけたのに不便みたいな感じ。
この映画で人工内耳だけで過ごしたソフィーっていうのは、ちょっとそういう感じだったのかなとも思う。
そのシュノーケリングでいいって言って、
でも、結果的にはさ、ソフィーは海に入ってくわけじゃん。
カジ
入っていくね。
ネギ
シュノーケリングもつけずにっていうのを考えると、やっぱり結構限界感じてたじゃない、この映画の中でのソフィーは。
その聞こえることへの限界とか、その人工内耳が壊れて、より聞こえなくなってとか、
会社に入っても本格的な業務は任せてもらわなくて、マスコットみたいに扱われてる。
だから、聞こえる人のように振る舞ってても、結局どこにも行けないみたいな。
で、それと対比するように、ダイビングで水中にいるろう者は、すごい自由に見える。
仲間がたくさんいて、手話で自由にしゃべって、
スーツ姿で歩いてるソフィーと比べると、重力からも、海の上の常識から解き放たれてるような感じ。
それを見てしまったからには、そこまで行きたくなるのは、当然かなっていう感じがして、
だから、ソフィーは結局、人工内耳を外したのかどうかわからないけど、
手話っていう言語を獲得して、そちらの世界に行くっていうか、
手話を自分の話し方として生きていくっていう方向に行くわけじゃない。
だから、そこが結構海の中と地上みたいなのが、境目になってるなっていう感じがするし、
ネギ
ジーソンの話で言うと、海の王って言ってるのは、たぶんそういう自由さもあると思うんだよね。
地上で、この口話を求められることにすごく不自由を感じてた中で、
海の中では自由だみたいな、海の中だったら何でもできるみたいな感覚だったんだと思う。
だけど、ジーソンがダイビングの資格を取ろうと、講座を受けて途中でさ、
カジ
途中で。
ネギ
なんだっけ、通訳者がいないと、これからの講座を受けられませんみたいな。
カジ
修了書は出せるけど、試験が受けられないんだったっけな。
ネギ
だから、結局ダイビングのインストラクターにはなれないってことなんだよね。
この過程を終了しましたってことは出せても、っていうのを言われるみたいなのも、
海を泳ぐための資格なのに、地上の人たちに阻まれるみたいな。
もちろん、社会的には音声も手話も、どっちも平等な言語だと思うんだけど、
この中で、海の中が手話の世界で、地上が音声の世界だとすれば、
上の人たちが、勝手なルールを押し付けてるように見える、海の王に対して。
カジ
確かにそうかもしれない。
あれ、海じゃなくても、他のところとかでも同じ構造になるところってあるのかな、とかっていうのを考えていて。
ネギ
宇宙とか?
カジ
ああ、宇宙とかね。確かに宇宙はそうかもしれない。
だって宇宙服着てるときにね、ひょっとしたらめちゃめちゃ喋れたりとかもできるかもしれないし。
ネギ
でも、音声で喋ってるイメージもあるけど、確かにどうなんだろうね。
なんか特別なジェスチャーとかもありそうだよね。
カジ
ありそうな感じがしますけどね。
ネギ
サインとか。
なんか恋愛要素ちょっと入ってきたなって思って。
カジ
あ、ちょっと入ってた。そうそう、ちょっと入ってた。
ネギ
まあ、でもちょうどいいのかなって思いつつ、
え、なんか恋愛関係になんの、この二人もみたいな。
最初、アランとソフィーがね、距離を近くなってて。
カジ
そう、アンバサダーでね。
ネギ
そう、二人ともアンバサダーでってとこあるけど、
そこからさ、ジーソンとソフィーみたいになってきてさ、え?みたいな。
カジ
そっちみたいな。
ネギ
あ、やっぱでも距離が近くなるってそういうことなのかと思いながら。
でもね、アランとジーソンの友情みたいなとこは揺るがないっていうか、
それは、アランが手話をしゃべり続けるってこととも同じなんだと思うんだけど、
カジ
恋愛要素。
まあまあ、青春、若い三人が、
それぞれの進路とか、自分の喋る言語とかに迷って進んでいくっていう、
ある種の王道な展開だから、
確かに一番見せたいところは、
自分の話し方についてどう選択していくか、
聞こえ方にも多様性があってっていうテーマがメインではあるんだけども、
でも、青春映画としても見れるっていうか、見たいと思うときに、
強い感じの恋愛要素じゃなかったんだよね。
結局、結論的には、はっきりとくっついたっていう感じじゃなかった方が終わり方じゃないですか。
だから、これからもこの三人ではいるんだろうなっていうのをなんとなくわかったけども、
最終的に、どっちに転ぶんだろうっていう。
ネギ
でも、三人仲良し組でカップル一個できちゃうとさ、結構気まずそうだけどね。
なんか、そこをさ、すごい心配な気持ちになってた。
カジ
そう、あれはね。
ネギ
アランみたいな、大丈夫かみたいな。笑えるかみたいな、いつもニコニコだけど。
カジ
めちゃめちゃね、アランは好青年キャラクターというか、優等生タイプというか、いいキャラクター。
ジーソンは結構やんちゃなタイプみたいな。
で、その二人の間で揺れ動くソフィー。
ネギ
全然タイプ違いますけど、みたいな。
ソフィー、あなたどっちが。笑
アランもね、なんでもうまくやってるような感じじゃない?
なんか、職場でも撮影とかデザインとか、割となんでも器用にできて。
で、みんなによく思われてるみたいな感じだけど、こんな愛されキャラなんだけど、
結局なんか一人には、これも王道の話だけど、一人には通じないみたいな。
カジ
なんか、歩道橋のところで喧嘩して、ちょっと独占欲みたいな。
自分と同じような立場でいてほしいみたいな、こっちの世界でみたいな。
そこで必死に止めるけども、ちょっと離れ、気持ち離れてってしまうみたいなのも、
分かってて、見てて、アランみたいな。
ネギ
恋愛あんのかよとか言いながら、割と恋愛楽しんでるっていう。
カジ
そうそう、ちゃんと楽しんでた。楽しんでた。結構楽しんでいた。
僕がそこの恋愛要素が出てきた中で、ちょっと気になってたのは、
死者が絶対出ないでほしいと思ってて。
誰かが死ぬとか、そういう展開に、絶対持ってってほしくねえなと思って。
それをずっと途中から祈っていた。死者が出ないでほしい、この映画にはと思って。
ネギ
でもさ、ソフィーがさ、海入っていくとこはさ、死ぬの?って。
カジ
そうそう、そこでドキドキしてたんだよ。
なんか、死をきっかけにしてどうこう、みたいな展開に出てほしくなかったので、
途中から恋愛が入ってきて、どっちを心配するようになっていた。王道だから。あまりにも。
キャストについて
カジ
ちょっとキャストの紹介もしていきますか。
ネギ
ちょっとこれも公式サイトから読み上げますね。
ソフィーには、ラジオDJ出身のジョン・シュイン。
パンサーちゃんの取材家、What ifの作詞も担当し、今回の演技で第61回金馬奨の最優秀女優賞を受賞。
ジーソンには、若手演技派で、ユーチューバーでもあるネオ・ヤウ。
1年間に及ぶ猛特訓に挑み、手話を体得した。
アランには、中等度難聴で、実生活でも口話と手話を使う演技未経験のマルコン・を大抜擢。
また、少年時代のジーソンとアランを演じた2人。
中等度難聴のネイザン・チェン、CODAであるジェシー・ウォンの生き生きとした演技からも目が離せない。
となってますね。
だから今回は3人のろう・難聴者のキャラクターがいて、
必ずしも当事者だけではないというキャスティングにはなってる。
今ね、日本の映画だと、『僕の生きてるふたつの世界』とか、『みんなおしゃべり!』とか、
あとはドラマだと、NHKのデフ ヴォイスとか、
そのあたりはね、ろう・難聴者の登場人物が全員当事者っていうようなキャスティングになってきてますけど、
まあね、香港の状況っていうかがわからないから、
そこはあるべき姿としては多分世界共通というか、だけどそれぞれ状況があるのかなとは。
カジ
今回その映画を見て、キャスト情報っていうのはまず見ずに入ったんですよね。
で、それこそジソン役のネオ・ヤウさんの演技を見ていて、
最初本当にろう者の方が演じられてるのかなみたいな手話の表現とか、
喋り方とかが本当に、自分も結構手話サークルで結構ろう者の方と喋るけども、
ろう者の方の喋り方とか、雰囲気とか、指先の細かいところの表現とかを普段から喋ってるような雰囲気の演技で、
当事者の方から見たら全然演技だよって言うかもしれないですけども、
もしかしたら当事者の方なのかなって思わせるぐらいの演技で。
ネギ
あと、ジソンとアランの小学生時代の演じてる子たちが、CODAの男の子と中等度難聴の男の子。
でね、なんかやっぱ、あの二人が喋ってるシーンが一番楽しそうっていうか、
カジ
あー楽しそう楽しそう楽しそうだった。
ネギ
そう、でも監督も、だからいいとかじゃないんだけど、
なんか最初から当事者キャスティング諦めてた人ではないみたいで、
当事者がやるべきだって思ったけど、
結構これ繊細な演技必要、だから演技経験者がいいなと思って、
ネオ・ヤウに厳しい課題を課して、そこからなんかいろんなところからアランを紹介してもらったりとか、
演技未経験だけど、監督のポケットマネーで演技の講座を受けさせたみたいなこととか。
結局、ろう・難聴者の人たちが演劇を学ぶ場があるかって言われたら、
たぶんすごくないじゃないですか。
デフアクターズスクールとか、その当事者の人が中心になって、
そういう場を作り始めてはいるけど、
なんか演技経験がないから無理とかよく言うけど、
それはさ、経験積めるところがあるんですか?みたいな。
カジ
ですよね。そこですよね。
ネギ
だから映画に出る前に、じゃあちっちゃい舞台とかで研鑽を積むみたいなことも、
より難しいわけじゃないですか。
本当の舞台に立たないと研鑽ってできないじゃないですか。
だからやっぱりこういうところからキャリアを始めていくっていうのが大事なのかなとは思いましたね。
カジ
それこそ本当に演技経験、未経験でとか、
それでやっぱり自分の出自とか属性に応じて、
同じ土台で学ぶ機会がないっていうのが、
すごく選択肢を狭められてしまうっていうのが。
なんか感じたなあ、そういうのは。
ソフィーのお母さん
ネギ
ろうのさ、人たちの親は9割以上は聞こえる人たちだっていう話があるじゃないですか。
聞こえない子供の9割以上は聞こえる人から生まれるっていう。
だからやっぱりソフィーみたいな環境の人のほうが圧倒的に多いんだよね。
カジ
ソフィーのお母さんは聴者だもんね。
聞こえてる人だったね。
ネギ
聴者だから、ジーソンはデフファミリーだよね。
その妹もお母さんお父さんもろう者だったと思うんだけど、
で、手話でしゃべるし、最初のソフィーとのぶつかったシーンというか、
自分はろうであることを誇りに思うってはっきりと言っていて、
そういうアイデンティティを持っているんだけど、
結局やっぱり聞こえる人、聴者が親だとさ、そっちが当たり前だと思ってるから、
聞こえることが当たり前だし、聞こえるほうがいいし、聞こえる社会なんだからみたいな、
って思ってるから、我が子にもってなっちゃう。
カジ
聞こえないことが不幸ではないはず。
でも、聞こえる社会っていうのが、やっぱり前提で頭にあるから、
それが本当に本人にとって幸せかどうかっていうのがわからなくて、
あなたはこうしなさいっていうふうになってしまうっていう現実が、
やっぱりソフィーの家族関係で結構詳しく描かれてましたね。
ネギ
確かにソフィーのお母さんは結構もう、私たちはそういうふうにやってきたでしょうみたいな、
自分もソフィーも同じ気持ち、同じ方向を見てるみたいなふうな感じで話しかけてくるんだよね。
それがすごい、いやだなと思っちゃいはするんだけど、
ソフィーのお母さんの個人の思想かっていうと、そうでもないっていうか、
社会全体にある考え方だし、あの人がいけないっていうとも簡単に言えないっていうか、
いろいろ人口内耳のこととか調べてたらさ、
子供が生まれて、それで聞こえないってことがわかると、
そのときに、最初説明するのはお医者さんなわけだよね。
だけど、そのお医者さんからの説明を、
じゃあソフィーのお母さんはどう受けたのかなっていうのが結構気になるところではあって、
なんか日本の話を聞いていると、
やっぱり最初に人口内耳の説明をされるみたいな。
で、手話の説明をしてくれる先生としてくれない先生がいるみたいで、
なんかそういう、平等にあるべきじゃん。
手話を使うかとか、人口内耳を使うかとか、
それをどっちもやっていこうっていうことなのか、
それはその親の前にさ、平等に差し出されるべきじゃないで、
ちゃんと知識を、その情報を持って、
その人が良いと思う選択とか、
本当は子供が判断できればいいんだけど、
なかなかその人口内耳の手術をする年齢のこととか、
でもやっぱり本人の意思っていう、どう生きていきたいか、
どう話していきたいか、どう生きていきたいかっていうのを、
やっぱり本人に判断させるべきだっていうような考え方とか、
あとやっぱり手術のリスクっていうのもあるから、
そこをどう考えるかみたいな、
すごく難しい判断の前に親は立たされると思うから、
本当に簡単には言えないんだけど、
なんか平等に提示されるべきものが、
なんかそうじゃないくなって、
曲がった情報になってるっていうことがある。
だからソフィーのお母さんも、
どういう、なんかね、どんなふうに考えてたのかなって。
カジ
やっぱり、なんていうのかな、ずっと当たり前とか普通とか、
よくこの映画で出てきたなと思ったんですけど、
普通と切り分けられてしまうことのすごい恐怖みたいなところが、
やっぱり、なんていうのかな、
親が聴者で、ソフィーみたいに子どもが、
何かしらの耳の聞こえづらさを持っているっていう家庭に対しては、
普通から離れるっていうことに対しての、
社会一般で言う普通ね、
聴者世界から離れることに対しての恐怖みたいなことが、
やっぱり感じられてて、じゃないはずなのにね、本来は。
だからそこに対してもしっかりそこはやっぱり、
正しい知識を持って、どんな選択肢をその子が選んでも大丈夫、
っていうふうな社会になったら一番いいんだけどね。
ネギ
そうだね、だから平等っていう意味で言うと、
やっぱり人工内耳アンバサダーって、
何?っていうのはちょっと思ったかな。
カジ
はいはいはい。
当事者の中での分断
カジ
でもね、ちょっと出てきてましたよね、
ソフィーが人口内耳をつけてて、
それで機械の力によって、
それこそね、ろう者はなくなるみたいなことを言っちゃってて、
でもそこからジーソンとぶつかって、
自分も手話を習い始めて、
他のろう者とも喋れるようになったけども、
お前はちょっと裏切り者だみたいな。
ネギ
そうだね、なんか手話で接客があるろうの人たちがやってるカフェに、
ソフィーが一人で行くんだよね。
で、その時に他のテーブルのろう者に、
エセろう者だっけ?
カジ
あ、そうそう、似非ろう者みたいな。
ネギ
偽ろう者みたいなことを影口で言われて、
そうだね、だからろう・難聴者の中でも、
やっぱり分断があるっていうのを見せてるっていうのも、
なんかこの映画の一個の特徴かなっていう気はしますね。
カジ
やっぱりそこは、なんていうの、
そこに対して、安易にこうだっていうところを、
ちゃんと私たちの話し方は見せてない。
しっかりそこの中でも、内の中でもいろんな問題があったりとか。
ネギ
だからソフィーとかから聞こえることが良いって考え方も、
だから老難聴者の人たちの中にもあるんだよね。
聴こえることは良いことだ、普通のことだって思ってるじゃん。
その価値観をオーディズム的な考え方を、
ジーソンにぶつけちゃうっていうこともあるし、
逆っていうか、こともあるし、みたいな。
カジ
それは身近にも見聞きしてることだなと思って、
すごくこういうところもしっかり描きたかったんだろうなっていうのは、
見ててすごく思いましたね。
最後のシーンについて
ネギ
最後にラストの話はちょっとしたい。
ソフィーは保険会社に勤めてたんだよね。
数理士、アクチュアリーになりたいって言って、
女性社員全員ノースリーブみたいな、
ちょっとそれ超偏見だけど、すごい高層ビルでガラス張りの、
いかにもな会社。
本当にこんな感じか?みたいな。
仕事してる?みたいな感じの、
こんな良い感じの会社なのに、文字起こし機能とか使わないの?みたいな。
いち早く議事録とか作るのに、AIとか使ってそうなのに、とか思って見てたけど、
でも、ソフィーはアンバサダーがうちに入社しましたみたいなことを、
公式ホームページに書かれてて、
私ってお飾りなんだな、みたいな。
マスコットみたいって。
私がいるだけだ、みたいなふうに。
本当に専門分野で働けるように勉強してきたのに、
そういう扱いを受けて、
で、またそのジーソンとの交流の中で、
手話が自分の言語、
私はろう者なのって、お母さんに宣言するんじゃない?
で、結局、最後の描写では、その会社は辞めて、
で、小学校で、最後、理科の授業をしてる。
最初のさ、ジーソンとアランの学校のシーンと、
同じ授業の内容をやってんだよね。
光合成とか、葉緑体とか、
だから、あの二人が、
口話で授業を受けて、退屈だし、尊厳を傷つけられたような学校のシーンと、
最後、ソフィーが手話で授業をして、
それを聞く生徒みたいな。
っていうのが、時代を越えてというか、
同じ教室の中での比較というか、
ジーソンとアランを、
未来のソフィーが救ってくれるような描写だと思うんだけど、
あれはさ、パンフレットを読んだら、
最後の授業の場面では、ソフィーは先生の横で、
手話通訳をしている姿が見られるって書いてあったんだけどさ、
私通訳じゃなくて、ソフィーが手話で授業をやってるんだと思ってたの。
でも隣にさ、男性の聴者の教師も一緒にいたよね。
カジ
一緒にいたよ。二人で入ってたよね。
ネギ
で、その人は声でしゃべったんだっけ?
カジ
そうそう、その人は声で説明をし始めてて、
で、なんかその横で、
手話をしてるっていう感じのシーンではあったけど、
あのソフィーが。
ネギ
なんかその映ってなかったけど、
そのソフィーの前というか、
だから教室の後ろにフィーダーの人がいて、
ろう通訳をしてるってこと?
なのかな?
でもなんかそれだったら、それ映さないとさすがにちょっと伝わんない。
で、ソフィーがいままで勉強してきたことも生かして、
自分の力で教えるっていうのを見せるのが意味があるのかなと思っていて、
途中でさ、アランとソフィーがアンバサダーの仕事の一環で、
ろう学校で絵を教えるっていうのがあって、
それで君も教えるのうまいよみたいな。
で、アランに褒められるみたいな。
だからなんか子供に何か教えるのがうまいとか、私好きかもみたいなのが、
途中で伏線にあったと思うから、
人の授業を通訳するみたいなことじゃなくて、
自分のやり方を教えるっていうのが、
ソフィーはやりたいのかなと思ってたし、
それが最後できたってことなのかなって私は思ってたんだけど、
通訳って聞いて、あれ?みたいな。
どうだと思った?
カジ
同じっていうか、全く同じではないけど、
でもなんていうのかな、その伏線のところが、
アランと一緒に学校に行って、
子供に教えるっていうシーンがすごく印象に残ってたから、
結構、通訳じゃなくて、教える側に行ったんだろうなっていう。
ネギ
これはでも、実際何を描いてたのか、ちょっと普通に気になる。
感想まとめ
カジ
今回のそれこそ、まとめじゃないけどさ、
最初から一貫して、この映画を見て思ってたのは、
本当に当事者の文化とか、
当事者の方とコミュニケーションをすごく丁寧にとって作られた映画なんだ。
っていうところがすごく尊敬できて、いいなって思ったところだったの。
もしもこれを受け取った上で、自分が今できるってことは、
表面的なパフォーマンスとかいうところに留まるんじゃなくて、
やっぱり言語だからっていうことをちゃんと言える立場でありたいな、みたいな。
っていうことはちょっと思ったかな。
ネギ
映画の感想、まとめで言うとそうだな。
ソフィーが最初、自信なさげなんだよね。
自信なさげだし、ずっと表情も暗いし、ちょっとぼーっとしてるように見えるっていうか、感じなんだけど、
だんだん手話を勉強するにつれ、
目に力が入っていくっていうか、眉とか目のあたりとか、
で、なんかすごい自分の意気はっきり言うようになるじゃない?
それで結構、わりと厳しく教育してきたお母さんとかにも、
私はろうなのって、はっきり言うみたいな、
そういうのを見てて、
人が言いたいことを言えるようになる映画って、
やっぱそういうのって、いいなと思って、
やっぱ言いたいことが、言えないことが、普段たくさんあるから、
私、自分が考えていたことが、正しいと思っていたことが、実はそうではなかったみたいな。
ソフィーとか、ちょっとそういうとこもあるじゃない?
いろんな出会いで、考えが変わって。
で、考えが変わることも結構つらい。
最終的には、新たなアイデンティティを獲得するんだけど、
移行する期間は結構、本人も混乱しているように、映画では。
人間関係もね、それとともに変わってきちゃったりとか、恋愛の話もそうだけど、
今まで、そう教え込まれていたことが違うって言われて、
それを変えていくことの大変さとか、
言いたいことが言えるようになったソフィーが、
勝手にこちらが誇らしいような気持ちになるみたいな、
そういう気持ちになれるから、やっぱりそういうところが好きだったかな。
文字起こしがないことによる葛藤
カジ
はい、本編はこれでということで、
最後はあれですか、いつもの、これはどこで流す予定とかも言うんですか?
ネギ
そうですね、なんか今概要欄に書いてるんですけど、
このポッドキャストは、スポティファイ、アップルポッドキャスト、
リッスン、ユーチューブで配信してます。
で、今のところ文字起こし、字幕というのは、
リッスンとユーチューブについてます。
ので、文字で内容を探索してみたいという方は、
そちらにアクセスしてもらえるとありがたいです。
スポティファイで文字起こしが、
全自動文字起こしが全部の番組につくと思ってたんですよ、私は。
ネギ
そしたらね、1話目をアップロードするときに、
対象外って書いてあって、どういうことだよ、みたいな。
カジ
スポティファイさん、つけてください。
ネギ
一部の番組には、全自動文字起こしがつきますって書いてあるんですよ。
1個言っておくと、でもリッスンの文字起こし機能は、
とても精度が高いと感じました。
若干きれいにしてくれてると思う。
言い淀みとか含めて、話者の識別とかも、
そんなに修正が必要なくて、
で、リッスンってすごいですよ。
カジ
文字起こし版でもお楽しみいただければと思いますので。
ネギ
もちろん、どんな話でも字幕が必要だと私たちは思っているんだけど、
特に、こういう映画の話のときに字幕がついてないっていうのは、
申し訳が立たないっていう気持ちになるんですよね。
カジ
ですね。
ネギ
だから、ほんとに困るんですよ。
別に、当事者のためっていう言い方もできるけど、
私たち自身がすごい気持ちとしてちょっと、
そうですね。
映画の話がしたいだけなのに、
しづらいとかしてはいけないんじゃないかって気持ちになるんですよね。
字幕がつけられないっていう。
全自動とかしなくていいから、流し込みだけでもできるようにしてほしい。
だけどさ、自由に話せばいいじゃんっていう人もいると思うんだけど、
情報保障の話でもあるけど、
話せる内容が勝手に狭まっているところもあると思うな。
カジ
ですね。
字幕機能の件はまだと、これだけでもしゃべれそうな気もするけど。
ネギ
それだけの回もあってもいいと思うよ。
カジ
あってもいいと思うけどね。
というわけで、今回もありがとうございました。
ネギ
ありがとうございました。
カジ
ではまた次回。
ネギ
はい。
39:32

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