-
-
ネギ
まず、どうですか、率直な感想っていうか。
カジ
それこそ、音響効果とかで、
なんていうのかね、ほんとに映画全編にわたって、
難聴者であったりとか、ろうの方とかの聞こえ方の、なんていうのかな、再現みたいな、
それこそ人工内耳装用者とかの聞こえ方の再現っていうのをずっと音響で取り組まれていて、
人工内耳つけてる人の聞こえ方みたいなので、
電子音がちょっと混ざって、日常の音が聞こえてくるとか、
会話をしてるときに、電子的な音で相手の会話がくぐもって聞こえるみたいなのが、
しっかり音響として再現をされていて、わずらわしいというか聞こえづらいっていう、
日常から感じてる音の感じ方がすごくリアルに再現されてて、
こうやって聞こえてるんだろうなっていうのが、すごく容易に想像できて、
それが全編を通して感じられるってあまりない鑑賞体験だったなと思って、
そこだけでもすごいびっくりしたっていうのが正直な感想ですね。
ネギ
私の率直な感想で言うと、
まずタイトルから結構なんか面白そうっていうか、良さそうだなって感じがすごいして、
その私たちの話し方っていう、邦題だけど、
私、筆文字で書いてあるタイトルってあんまり好みじゃないことのほうが多いんですよね。
筆文字に私なんかすごい偏見があるんですよ。
なんですけど、なんか内容がろうとか手話とかが出てくるってことはなんとなく知ってたんだけど、
その3人それぞれの話し方、生き方を見せるっていう姿勢がそのタイトルから出てると思ったから、
なんかそこにすごい興味を引かれたというか、
その3人っていうのがいいなと思って、
聞こえるものと聞こえないものみたいな、
対立とかそこの壁を乗り越えるとか、そういう話じゃないんだろうなと思って、
もう見る前の話になっちゃうけど、
で、実際そこがやっぱり良かったなって見てからも思う。
人工内耳のこと、人工内耳をつけてる人の心情が、
描かれているこういう作品にあんまり出会ったことがなかったから、
そこはすごい新鮮だったし、
やっぱりこう言いたいことは言ってこうみたいな、
そういう気持ちを噛み締めて映画館を出たなっていうのはすごい覚えてるかな。
カジ
見終わった後どうだろうな、確かに。
でも、それぞれにいろいろ選択肢があって、
ちゃんと自分で決めるっていうのとかっていうのが、
本当に普段選択って当たり前にやってる部分とかってあるんだけど、
実はそれが生まれた立場とか生い立ちによって、
選択肢が最初から狭められてしまってたりとか、
そもそもそれは選択肢じゃないっていうふうに除外されてしまってるんだなっていうふうに改めてわかって、
それは当たり前じゃないよね。
当たり前じゃないことが今はまだ当たり前になっているみたいなことがすごく映画を通して感じて、
やっぱり、それは当たり前じゃないよって、
ちゃんとしっかり言っていくってことも大切なんだろうなと思って。
自分の選択をしっかりするっていうのもそうだし、
そうやって狭められてることも当たり前じゃないよ。
っていうのもしっかりちゃんと周りに伝えるべきなんだなっていうのは、
見終わった後のそれこそ感想だったな。
ネギ
そうだよね、なんか言葉もそうだし、
本当に人生におけるいろんな選択って、
例えば親が決めることも多いし、
あと他の人がどう選択してるのかって、
他の家庭のこととか、他の同い年の子が、
どんな選択肢を持って、どういうふうに選択してるのかとか、
学校とかに行って、友達と喋って、
え?みたいな、違うんだみたいな、
これ普通じゃないんだとか、
それで、自分のルールいいなって思うときもあれば、
え?なんで〇〇ちゃんと同じようにできないんだろうみたいな、
って思ったりもするし、
なんか気づかないですよね。
自分がそこの違う考えに出会って、
自分はどうしたいんだろうみたいな、
っていうところまで考えられるっていうのは、結構時間がかかったりするし、
だから、この3人が出会わなければ、
関わってなかったら知らなかった、みたいなことがきっとあるんだろうなって。
カジ
そうね。家族の話が出たけどさ、
よそはよそ、うちはうちみたいな。
それで、納得させられるみたいなとこって、やっぱりあるじゃないですか。
でも、実はそれもっと広いところから見たら、おかしなルールだよね、みたいな。
そう、っていうところにたどり着くまでには、相当な時間がかかるっていうか、
なんかわかる。
カジ
なんかね、それこそね、食べ物の手話とかも結構出てて、
それこそ映画の手話、使われてる手話、
香港手話でいいのかな?
ネギ
香港手話って書いてありました、パンフレットに。
カジ
そうですか、香港手話だそうです。
僕自身が地域の手話サークルに入ってて、
実際にろうの方とかといらっしゃって、
いろんなろうの方とかと一緒にボランティアに入って、
施設のボランティアとかもいろいろやってたりとか、
商品売ったりとか、そういう活動もしてるんですけど、
香港手話っていうのをずっと見てたら、
こういうありがとうみたいな、親指を立ててお辞儀するみたいなんで、
ありがとうっていうのが、香港手話でたぶんやってはったのかな。
こういう、たぶんグーとグーで合わせるみたいなんで、
たぶん仕事だったんじゃないかな、あれ。
仕事の手話っていうのが香港手話があって、
ネギ
作るとかと日本の作るとかと似てるのかな。
カジ
そうそうそうそう。
日本で言うと作るとか、
なんとなくニュアンスみたいな、同じジャンルのところかな、
みたいなところとかがやっぱりあったりとか、
なんていうのかな、お辞儀するニュアンスみたいなところとか、
仕事って言っても近いところにある言葉が似てるのかなみたいな、
なんかこう、ちょっとルーツを、
この手話もしかしたら同じルーツなのかもしれないな、
みたいなところが結構楽しくて。
ネギ
なんか前に、アフリカの手話に関する論文みたいなのを読んだときに、
フランスの植民地だった地域、国は、
音声のフランス語の影響を受けてるものが結構あって、
そもそも、アメリカのろう者が手話を持ってきたみたいな、
だけど、すでに現地ではフランス語がしゃべられているっていう状態だったから、
単語、手話の単語自体は、アメリカ手話からの借用語がすごく多いんだけど、
口形は音声のフランス語みたいなものとか、
そういう、伝わった順番とか、
その地域でしゃべられている言語が何かとか、
そういうので、いろいろ興味深いなと思う。
かじさんは、実際見ながら、真似てみたりとかもしたみたいな、
手話をやってみたり、動作をしてみたりしたってところは、すごいなと思って、
私はそういうことできないから、読み取れないです。
カジ
楽しみ方として、手話って、一緒にやってみるっていうか、実際に自分でしゃべってみるっていうのが、
当事者の気持ちとかに近づけるかなっていうのが、やっぱりあって、
それで、流れみたいなのを一緒に感じてみるっていうのを、無意識っていうか、
けっこうそれで楽しんでましたね。
それでストーリーを。
ネギ
体を動かしてみるとか、同じセリフを言ってみるっていうことと、
同じでもあるし、確かに。
カジ
どんな視点で言ってるのかなとか、
私たちの話し方、自分の話し方に関する決定みたいなところで、
印象的なシーンとかが出てて、
そういうときの映り方って、すごく心に響いて、
じゃあ、こんな風に手をかざしてみて、どんな気持ちだったんだろうかっていう、
映画に没入するきっかけというか、
自分と映画の登場人物、ジーソンであったりとかソフィーであったりとか、
アランであったりとかを重ねるきっかけみたいな感じになってて、
すごくその楽しみ方をすると、
自分の中にいろんな人の視点が入ってきて、面白かったなみたいなのはあったね。
ネギ
確かに。
カジ
人多いときでやってたら、まじ邪魔だと思うから。
ネギ
いや、別にいいんじゃないの?
うんうん。
ネギ
なんか没入って、今、かじさんが言ったと思うんだけど、
やっぱりさっきの感想で言ってくれた、その音響効果っていうのは、やっぱり、
映画としての没入感みたいなところに、すごい影響をしてるのかなと思って。
カジ
そうだね。絶対そうだと思う。
ネギ
3人それぞれの聞こえ方みたいなものが、音で表現されてるんですよね。
これはなんか、本当にそう聞こえてるんだって思っていいのかみたいなのは、
けっこう普段思うことあるんですよね。再現って言っていいのかみたいな。
それで分かった気になっちゃうっていうか、どうなのかなと普段自分は思うんだけど、
今回の場合は、やっぱりこの3人のキャラクターの違いを見せるためには、
この3人の聞こえ方の違いを表現することが不可欠なんだなって思うようになったんですね。
だから、そこで生きてる世界の違いとか、キャラクターの違いを理解する助けになる。
カジ
そうだね。だって、それがやっぱりすごく生々しいというか、
聞こえ方の多様性みたいなところがはっきりわかってきてて、話し方の話にいけるっていう部分はあるからね。
ネギ
最初、ソフィーの大学の卒業式かな?大学院?大学部かな?のときのね、人工内耳をつけていて、
人混み、いろんな人がいる中に入ってる感じで、広東語がそもそもわからないんだけど、私は。
でも、多分、あんまり聞き取れないんだろうなっていう言葉として、感じの途切れ具合っていうか、
何喋ってるかわかるか、十分ではなさそうなんだろうなって感じのことに、
感じの電子音とか、音声とか、しかもいろんなところの音声、遠いところも。
回ってなんか混ざり合ってるみたいな。
カジ
で、近くででかい音出されたら、キーンってなるっていうところとか、それはしんどいわみたいなね。
ネギ
で、なんかそのね、メイキングでも言ってて、あ、確かに言われてみればと思ったのは、
作中の音を、フォーリーみたいな、音を足したりとか、たとえば足音とか、
そういう音を大きくしたり足したりとかするような作業があると思うんですけど、
そういうことを結構やってるみたいで、手を叩くとか、体に触れてパンと音がしたりとか、
そういう音をできるだけはっきり聞こえるようにしてるんだって。
あとは、グラスがチーンって、グラスが鳴る音とか、屋台の音とか、
確かに、ろうの人と話したりしてるときに、パッとか、口から出る破裂音とか、
手の擦れる音とか、叩く音とか、そういう音って常にあるなって思って、
それ、なんか体から出る音みたいな。
これ、なんかネタバレではないと思ってるんだけど、最後にさ、歌が流れる。
カジ
あー、歌ね。はいはい。流れる流れる。
ネギ
これが間奏部分が、ボイパっていうか、ヒューマンビートボックスなんだよね。間奏部分が。
この音なんだろうってなって、ボイスパーカッションかってなって、
そのときに、なんとなく、この体から出る音が、この映画見てて聞こえるようになった気がして、一時的にね。
だから、その楽器とかの音じゃない、体から出る音っていうのも、意識してたんじゃないかなって勝手に思ってる。
なんかその、最後、ボイパにしたっていうのも。
カジ
そこでも確かに、体から出る音って確かにあるかもな。言われてみればっていう感じやけど。
ネギ
そう、私も言われてみればだったんだけど。
カジ
確かにそうだな。