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そうですねあの 今回岡田さんと僕が90円の収録で
阿波野さんがゲストでね出ていて結構ワイワイと盛り上がったんですよ。 世代的にね僕は阿波野さんが
アジア大から金鉄ワファローズに ドラフト1位で入団して最初の新人の年っていうのがですね
1987年になるんですかね。 高校2年の時だったんですね。でまぁその頃からまあ僕は高校で野球部で
志賀内都立高校の野球部でやってたんですけども まあ結構ね中学生ぐらいまではなんかごく普通に東京出身なんで
なんか普通に巨人ファン? まあヤクルトとかも好きだったし横浜なんかも結構好きっていう感じでいわゆるその
あの なんていうの
ミーハーかもしれないですけど普通のごく普通の 在京球団推しみたいなね人間でしたでパリーグとか全然全く興味がないわけじゃ
なかったですけどあんまりでもそこそれほどでもないみたいなあの小学校の時にね 少年
あの野球ファイターズ 日本ハムファイターズのあの子供会みたいなやつですね少年ファイターズ友の会とかっていうの
あの最初の 初期メンバーですかねそういうのの募集メンバーでね
無理やり当時入ってたリトルリーグの関係でですね 入ったんですねその日本ハムの二軍グランドの周りで
利用させてもらっていたその目黒東リトルリーグというですねクリッパーズというチームに 入ってた関係で強引に入らされたというのもあったんですけどその関係でね
日本ハムの選手 はですねやっぱりその当時あのそれこそ
えなつゆたかさんとか柏原純一さんとかです島田誠さんとかね まあとはやっぱりあの時やっぱり木田勲さんがね
新人王で 最多賞とそうなめした直後の頃だったねそうスター選手って感じでしたけど高橋和美さん僕
大好きでまぁ あの
後年ねお亡くなりになる直前から山下学院大学の監督をされている時に今 8ヤクルトで投げてますね高橋
投手の 取材で行ってね直接お会いすることができてね
すごく感動したんですけどまぁでもちょっとなんかの 行く取材に行く時間をあの街マネージャーさんから引いた時間となんか
食い違ってて僕は偉い遅刻したみたいな 最初怒られちゃったりとかしたんですけどね高橋和美さんにね
まあまあそこはちょっと誤解を解いていただいてって感じで取材させてもらったんです からそんな話もね今今度したいと思いますけども
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あのまあそういうぐらいだったんですが高校生になってですね これ前にも言ったかもしれないですけど
ある日突然というわけじゃないんですけど
ちょっと東京では誰も応援してないチームを応援したくなったんですよね それがねパッと見まあ南海フォークスだったんですね当時のね
で緑色のユニフォームっていうのもなんかちょっとねあの 結構だが何回何回のユニフォーム結構好きだったんですねそれだったまあ一応の野村
勝屋さんのある種シンパというかですね 製版後19番の頃から結構そんなに詳しくはないけど
南海フォークスに関してはですね結構 プロ野球ニュースとかね朝再放送してたのを見てた時だからよくね
やっぱり注目はしてたっていうかまぁ結構あの当時はパリ小学校のね1年生から3年生 ぐらいの頃前が一番パリグ実は見てたかなっていうその映像でねクランライダー
ライオンズとかね 阪急がね強かった時代ですけどね山田久志さんとかね
まあそういうのもあって あの
まあそれが高校生になってちょっと復活させたってわけじゃないですけど 何回フォークス応援するぞ
突然誰も応援してないからみたいな感じで応援し始めたんですよね で
まあそれってパリグすごく見るようになっていて東京ではね 野球中継も滅多にしなかったんですけどたまにね土日
土日は日曜日はね日曜祭日とかねたまにやるときになるべくねビデオとか ビデオは撮ってなかったなまだその時はなるべく見るようにしてたりとかしてですね
カドタ選手とかねカドタ平水選手とかすごい大好きでしたし その年翌年ぐらいからかな
トニーバナザード選手というね このねもうラテン系のスイッチヒッターのですね
もう未だにもね本当大好きな選手の一人というふうに言えるんですけどね めちゃめちゃいい加減ではあったんですけど
で喧嘩早くてね あのなったんですけど僕大好き小柄なんですけどね
スイッチヒッターでそれこそあのどちらでもホームランをね 打つ打てるというねタイプで入った時にはね守備はすごいうまい選手ってことでこの南海
初の1億円年報1億円のね スケットメジャーリーガーと現役のメジャーリーガーということでね
見てたんですけど守備はね確かにバックトスとかねすんごい上手かったんですよね でもまあまあでもやっぱり打つ方でねあの1年目はまあいわゆる
メジャーに行った時のレースアベリージヒッター的な スタイルで臨んでたんですけどたぶんね途中からね
あ日本の急所ならホームラン打てるわというふうに多分思ったんでしょうね 2年目の
球団がね福岡大フォークスになってからね すごく
強弾の選手というかねホームランも多い選手になって30本ちょっとぐらいホームラン 打ったという選手なんですが
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まあそういうのを見ていたおかげでちょっとまあ時間今年数が工作しちゃって入れ替わっ ちゃいましたけど青の投手に関しては高校2年の時にですね
デビューしていきなり確か3連続関東勝利したんですよ これがね同じ野球部の同期の近鉄好きのある清水安野っていうやつだったかなと
あの 結構盛り上がったんですよね泡のすげーみたいな形でね
でまだね西崎投手日本ハムの同じくトレンディーエースと呼ばれた西崎投手はですね まだこの頃はそんなに出てきてない頃だったので春先はね
西崎投手は夏ちょっと前ぐらいから リリーフかなんかでポンポンと買ってさら先発にもあってそっから行くも8区の勢いで
6連勝とかねとかしてっていう感じだったんですけど あの投手はもうなんて言うんだろうもういわゆる本格派本格派って要するにその王道を
行く新人王争いの王道を行くような感じで 最初から先発ローテーションの1人
むしろ中心という形入って投げてということだったんですごくその時からあの まあ憧れてたってわけじゃないですかかっこいいなぁと思って見てたわけですよ
それがその翌年 1988年の10.19ですねこれあのもうちょっと今となったねもう知らない人が増えたかもしれない
ですけどもその 西武とね金鉄が
ものすごい最終最後あの9 シーズン終盤で本来なら西武がも独創して優勝するだろうと思われてたのが9月になって
から金鉄が負けなくなったんですよね 怒涛の連勝で一気に追いついてですね
まあほぼほぼ足元つかんで8試合昇下の関係で2位のまんまだったんですけどマジックが つくようなね形になって
最後の最後西武はもう試合を前日で消化して 金鉄がですね最後の129試合目と130試合目のロッテとダブルヘッダーに連勝すれば
優勝するというところだったんですけども 残念ながらその1勝1引き分けで猛サカナの勝率で勝てな
あの勝ちきれなくて西武が優勝したというねことなんですがそのそのロッテとの ダブルヘッダーで青の投手が
2日前に半球戦で関東して破れていたんですけれども この日第1戦リリーフで当番して
最後満塁の音ピンチをなんとかしのいで勝ち切ってですね 第2戦でもリリーフで出たんですけどロッテの高澤選手というね今ねあの
保育園かな幼稚園館の保育の人をやっている 転職されたんですけども高澤さんにホームランを打たれて同点に追いつかれて
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結局その引き分けになったという試合なんですね でまぁその翌年
89年に今度はその悔しさ その負けたの悔しさをですね晴らすようにして金鉄がリーグ優勝を果たすというね
そういうドラマがあったわけです で
その リーグ優勝した翌年今度のも投手が入ってくるんですけれどもまぁその時にですね
その年西武のいはらコーチがですね なんとかその青野さんを攻略しようと左のエースの音青野さんを攻略しよう
ということで 一塁県政にねいちゃもんをつけてあらボークだっていう風に
言い出した騒ぎだしたんですねそれによって審判がですね かなりその厳しく
青野さんの県政を見るようになって県政が結構ボーク取られてですね それで僕はちょっと調子崩したなというふうに思ってたわけです
で今回ね9次編のその一塁県政の改定版で 県政のことについていろいろ話されていたので大丈夫ですかその県政の話
してトラウマになってないですかみたいな話をしたらないそんなことないですよ っていう話
まあなったなというねそんなあの話でしたまあ竹内投手の音セーブね vtr 出てましたか 県政もね結構ね
踏み出している角度が45度をギリギリを攻めている感じですしね まああの辺ね結構センシブなところなのでこれからどうなるかなという気がしてますが
はいあの一塁県政の話結構面白かったと思います ということで本日はここまでとしたいと思います
はいまた次回を楽しみにしてくださいバイバイ