1. 敬和キャンパスレポ
  2. Vol. 319 ラジオ放送100周年!..
2025-11-14 24:55

Vol. 319 ラジオ放送100周年!「新潟のラジオの歴史と現在地」を考える

今晩11/14の敬和キャンパスレポは 、私たちがいつも制作しているラジオをテーマにお届けします。

みなさんは普段、どのような媒体でラジオを聞いていますか?来年3月にNHKラジオ第2放送が廃止されるというニュースが話題になりました。今年、日本のラジオは放送開始からちょうど100年を迎えました。その節目に、番組では新潟のラジオの歴史や、ラジオが登場した当時の様子を振り返ります。

また、ラジオの仕組みやAMとFMの違いといった基本から、今の大学生はラジオをどう聞いているのか、そして先生のラジオガチ勢ぶりにも注目です📻✨時代の流れに合わせて形を変えながらも、人々に寄り添い続けるラジオの魅力をたっぷりとお届けします。

エフエムしばたで21時00分から、ウェブでもお聴きいただけます。➡️https://shibaradi769.com

MCは宇佐見、初挑戦の矢原。


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サマリー

このエピソードでは、新潟のラジオの歴史や現在の動向について詳しく話されています。特に、NHKラジオ第2放送の廃止やFM新潟の設立に関する情報が共有されています。また、FMポートの閉局や1995年の地震を契機に、地域ごとの情報提供の重要性が認識され、エフエムしばたなどのコミュニティFMが設立されました。

敬和学園大学とラジオのテーマ
矢原奈々実
敬和キャンパスレポ。この番組は、新発田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、新発田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践するリベアルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りします。
皆さんこんばんは。この番組は、敬和学園大学から大学のことや新発田、新潟のことを伝える30分番組です。
今日の進行は、国際文化学科3年の矢原奈々美と、
宇佐見優奈
国際文化学科3年の宇佐見優奈です。どうぞよろしくお願いします。
今日は矢原奈々美さんが、新たに番組MCに挑戦してくれることになりました。よろしくお願いします。
矢原奈々実
よろしくお願いします。こんにちは。矢原奈々美です。
私の好きな食べ物はカレーライスで、中学の頃の部活は剣道部に所属していました。
剣道やってられたんですか?
宇佐見優奈
剣道やってましたね。
一戸信哉
どれくらいの頻度で?
矢原奈々実
部活動だと結構毎週やってて、それで外部に練習したりも。
宇佐見優奈
外部?学校内でやってたり?
矢原奈々実
外部の体育館に行って、先生に教えてもらうみたいな感じで部活動をやってましたね。
宇佐見優奈
さて、今日のテーマですが、私たちがお話しさせていただいているメディア、ラジオがテーマです。
ラジオをテーマにした内容は、2020年6月19日放送の37回で、卒業生の吉田結香さん担当で放送しています。
今回は、来年3月にNHKラジオ第2放送を廃止するとNHKが発表したので、この話題とともにお話しします。
矢原奈々実
一緒にお話しいただく解説役は、国際文化学科教授の一戸先生です。よろしくお願いします。
一戸信哉
よろしくお願いします。
皆さん、ラジオは普段聞かれるんですか?
宇佐見優奈
聞きますね。
矢原奈々実
私はあんまり頻度が少ないかも。
一戸信哉
聞くのはどっちですか?ラジコみたいなので聞いたりするか、本当の電波を捉えて聞いているのか?
宇佐見優奈
私はラジコです。
矢原奈々実
私は車に入っているラジオみたいな。
一戸信哉
そうですね。本当の電波で受信して聞くラジオは車で聞くっていう人が多いですよね。家にラジオがあるかどうかって。
矢原奈々実
なかなかいないですよね。
一戸信哉
あったほうがいいんですけど。
というわけでその辺の話題もやっていきましょう。
矢原奈々実
さて、今話題に出たNHKラジオ第2の配信ですが、2025年9月に配信するということで、NHKが総務大臣に届け出ると発表しています。どんな内容なのでしょうか?
一戸信哉
2025年9月に発表していますが、配信は来年の2026年3月で配信になります。
皆さんあまりラジオを聞いていないから、第2放送って何か知らないですよね。
NH敬和3つラジオ局があって、AMが2局とFMが1局。
FMは音楽とかクラシックとか結構流れていますが、AMは一般的な暮らしにまつわるNHK的な放送が第1で、第2というのはどっちか語学講座とか教養に関するもの。
語学講座は多いですよね。英語だけじゃなくて。
新潟のラジオ局の現状
宇佐見優奈
それをずっと流しています。
一戸信哉
いろんな言語が、時間決まっているんですよ。
本屋に行くとテキストを売っていて、それで勉強するという。
インターネットがない時代はもうみんなそれでやるしかない。
矢原奈々実
ラジオ学習的な。
一戸信哉
全国どこでもいろんな言語が勉強できるので貴重なものだったんですが、これが時代の流れの中で廃止ということになるようです。
今全体としてラジオは縮小していく一方で、ネット配信とか増やしてみなさんNHKプラスとかご覧になってますかね。
今NHKプラス変わったんですけど、NHKの番組は受信料払っていればテレビだけじゃなくてネットでも見れるようにして、後からも見れるように。
いわゆるティーバーみたいなものがどんどん充実させていっているんですよね。
あと海外にも日本の番組をというのが力を入れているので、その一方でラジオの方はだんだん縮小していくということなのかなと思います。
宇佐見優奈
ところでみなさん、ラジオといえば私たちがお世話になっているエフエムしばたかと思いますが、県内のラジオ局でみなさんはこの他に聞いているのはどの曲でしょうか。
一戸信哉
曲ですね。ラジコで聞くとかそういうんじゃなくて曲、新潟県で流れている曲、ラジオ曲どんなのご存知ですか。
矢原奈々実
FM新潟とかってそうですか。
一戸信哉
そうですね。エフエムしばた。エフエムしばたはエフエムしばただけの曲ですけど、FM新潟は新潟県全体に電波が飛んでいる県域曲って言うんですけど。
県域曲。
宇佐見さんは。
宇佐見優奈
あまり聞かないです。
一戸信哉
知らない。
あまり聞かない。
あと他にあるのはNHKがもちろんあるんだけど、民放だとAMがBSNテレビのBSNのラジオBSNラジオというのがあり、あとFMがFM新潟がありということですね。
2020年まであったのがFMポートというのがありました。だから新潟の場合は民放のFM曲が2曲あるっていうすごい贅沢な環境だったんですが、
なかなか民間放送として続けていくのは難しかったようです。
このAMとFMって分かりますか。区別して生活してますか。
矢原奈々実
してない。あんまり分からないです。
一戸信哉
ラジコンになっちゃうと区別ないんですよ。ラジコンになっちゃうともう区別がないんですけど、車で聞いてる場合はAMとFMっていうのは分かれていて周波数帯が違うんですよね。
なんで違うのかということは置いておいて、結果的に違いがあるとするとAMの方が遠くまで飛ぶ。FMの方が音質が良いというのがユーザーから見た違いで、
だからFM新潟を先ほど矢原さんおっしゃってましたけど、FM新潟は音楽番組が多い。
それは音質が良いから音楽番組が多いということです。
AMの方はあんまり良くないということもあって、おしゃべりの番組みたいなのが多い傾向があります。
だけどそれがラジコンになり、あとワイドFMっていうのがあって、これまた話がややこしいんですが、今までAMでやってきたやつを天いたFMの周波数帯で流すっていうのもやり始めていて、
ラジオの歴史と文化
一戸信哉
これはなかなか知られていないんですけど、でも新しい車のラジオだと90MHzから先も聞こえるので、そこに入っている。
だから実はBSNのラジオはメインはAMということになっていますが、FMでも同じのが流れていると。今そういう状況になっています。
矢原奈々実
さて、今年の2025年は放送100年ということで、テレビでも多くの特集番組が放送されましたが、そもそも100年前の1925年に放送を始めたのはラジルということですよね。
一戸信哉
はいはい。テレビ放送は戦後ですから、1925年に始まったのはラジオなんですよね。
みんなラジオだけを聞いていたという状態で、だから皆さんちょっと考えられないと思いますけど、スポーツ中継とかも全部ラジオなんですよね。
矢原奈々実
全然わからないじゃないですか。
一戸信哉
言葉だけでいかに伝えるかみたいな。
すごい解説の人。
でも今でもありますよね。野球中継とかはすごいノウハウが確立されているから聞いていると。私なんかは聞いていた時代があるのでわかりますけど。
知らない。
矢原奈々実
なんとか走ったとか言うんですか?
なんとかが何倍に走った?
そんな感じじゃなくて、撃って走って何でヒットで誰が取ってどこへ投げていくか。ちゃんとこういうものがあるわけですよね。
一戸信哉
野球でもサッカーでも今でもラジオ中継というのはあるんですけど、昔はそれしかなかったわけですよね。
そういう時代から始まり、最初は有料だったんですよラジオってね。今もNH敬和有料ですけど、当時はラジオを買うと何か届けでするのかな?NHKしかないわけですよ。
それを聞くためにはラジオ買いました?みたいなのを契約して、そして聞くみたいなやつらしい。
手間がかかりますね。
一戸信哉
でも最初の頃はラジオをみんな持ってないから、ラジオ棟って言って棟が建っているところに行ってラジオを聞くみたいな。
集まるところ?
集まってた時代がありますし、それがだんだん普及していってみんなの家にラジオが一台あるようになるのはたぶん戦争ですよね。
戦争が始まってみんな何が起きたか聞きたいし聞くようにってこともあったのかもしれませんが、みんなラジオを家に置いて、
それが普及していって、最後戦争が終わった時に天皇陛下が言うでしょ?極音放送で戦争が終わりました。
何言ってるか分からないってみんな聞いてたらしいけど、でもそれは戦争が終わったんだってことをラジオでみんな伝えた。
というふうにしてラジオは普及していきます。
戦後はそれが自由になって、自由になっていく中でラジオ放送も自由に行われるようになり、
夜中でも聞けるラジオ、深夜放送みたいなのが出てくるっていう流れの中で、例えば日本放送のオールナイトニッポンのような番組が立ち上がっていく。
オールナイトニッポンを作った人を調べていくと、多分軍部でインドネシアで宣伝活動していた人とかが出てきて、
戦争に関わってきた人たちがそこで帰ってきて、戦争の反省からもっと自由で楽しい番組を作っていく。
宇佐見優奈
それでオールナイトニッポン。
一戸信哉
オールナイトニッポンを調べていくと、オールナイトニッポンは戦争とつながっているっていう流れが出てくるんですけど。
矢原奈々実
深い。
敬和キャンパスレポ。
お届けした曲はADO「オールナイトレディオ」でした。
歌詞に登場する有楽町で会いましょうというフレーズは、1957年に有楽町にあった百貨店ソゴーのキャンペーンで使われたフレーズで同名の映画や曲などでも展開されています。
フランク永井さんの有楽町で会いましょうはフランク永井さんの代表曲でもあります。
有楽町はオールナイトニッポンで知られている日本放送の所在地です。
今日の敬和キャンパスレポは国際文化学科一戸信哉先生と共にラジオについてお話ししています。
さて、ゼミの先輩たちの作品に白山後編のラジオ等について扱った作品がありました。
どんな作品なのでしょうか。
一戸信哉
これ矢原さんご覧になりました?YouTubeに出てるんですけど。
矢原奈々実
そうなんですか?
一戸信哉
なんかさっき宇佐見さんちょっと見てましたね。
宇佐見優奈
さっき見てました。
どうなんでした?
さっき説明あった通りに、白山後編のラジオ等についてのお話で。
一戸信哉
宇佐見さんは行ったことあるんですか?白山後編。
宇佐見優奈
ないと思います。
一戸信哉
ないですか?矢原さんは行ってますよ多分。
矢原奈々実
行ってますかね。
一戸信哉
市役所の横、白山神社に併設されているところですね。
矢原奈々実
行ったことあると思います。
一戸信哉
日本初の近代公演。他にもあるんですけど。
日本初の公演と言われるものの一つです。
公演の話はもう一回番組できるくらいなんですけど。
そこの公演の中に波数池があるんですけど、この波数池に塔が建っていて、
この波数池の塔に建っているところからラジオが流れているという話です。
ラジオ等というのはさっき前半でお話ししたはずですが、
ラジオを普及する前に家に1台ラジオがない時代に、
そこに行けばラジオが聴けるという半分宣伝でしょうね。
のために全国に建てられていた塔の一つですね。
当然そんなものはもう皆さん知らないわけだし、
ラジオが普及した後では出番を失うので、
今全国的にはほとんど残っていませんが、
新潟の場合はちゃんと公演の中に残っていて、流れていますよ。
昼間だけらしいんですけど、ぜひ機会があれば行っていただくと、
波数池の周りでNHKのラジオ放送が流れています。
誰もそこに立ち止まって聞いてはいませんが、流れています。
宇佐見優奈
大事ですか?
一戸信哉
大事ですね。だから今後も大丈夫です。
これは先輩が作品にしまして、
映像作品で残っています。
台湾でも有名な公演の中に塔が残っていて、
ここからラジオが流れていました。
矢原奈々実
台湾の言語でラジオってことですか?
一戸信哉
この時は日本統治時代だから日本語でしょうね。
台湾の日本放送協会だったかな?
NHKのような存在のところから日本語で放送されていたと。
矢原奈々実
新潟でのラジオ放送は戦後になって、
民放局が解局して盛んになっていくわけですが、
簡単に振り返ってみましょう。
一戸信哉
NHKのラジオ放送は1925年に始まりますが、
6年経って1931年に新潟でも放送が始まる。
その頃にさっきのラジオ棟が建つんだと思います。
それは普及していて、1945年の戦争が終わるまでの間は
みんなラジオを聴いていたわけですよね。
戦争の行方をみんな聴いていた。
戦争が終わった後で、
たぶんアメリカの占領が終わってからってことだと思いますが、
徐々に民放局が全国で立ち上がっていく。
最初に出来上がるのは新潟では1952年のBSN。
BSNが最初にAMの放送を始める。
後にBSNはテレビもやるから、テレビもラジオも。
矢原奈々実
ラジオが先なんですね。
一戸信哉
そうですよ。まだこの時テレビないですから。
さっき言ったAM、FMで言うとAMが先なので、
FMが立ち上がるのは1960年代の終わりぐらいから
だんだん広がっていくんですが、
新潟の場合はずっとNHKのFMしかなかったんですけど、
さっき矢原さんが序盤で話をしてくれた
FM新潟という民放局が出来上がるのが1987年。
これだいぶ後ですね。
私高校生だから。
だいぶ後です。
だいぶ後で出来上がっていくものです。
FM新潟でずっとFM新潟だけだった後で、
新潟のFM放送の歴史
一戸信哉
もう一個出来るんですけど、
もう一個何でしたっけ?
矢原奈々実
何でしたっけ?
一戸信哉
何でしたっけ?
コミュニティ…
違う違う。その前にFMポートっていうのが、
今のバンダイマシの田本のラブラのあたりのビルに
FMポートっていうのがありまして、
これが2000年に開局したんですよね。
だから新潟の場合はすごいんですよ。
だから民放局2局あるところっていうのは都会ですね。
都会なんですよ。
だからFM局2局ある。
今そんなにみんなラジオ聞かなくなりましたけど、
当時FM局2局なんていうのは都会の象徴みたいな。
矢原奈々実
新潟めっちゃ都会ってことですね。
一戸信哉
都会ってことだったんですけど、
残念ながら2020年の6月にFMポートは閉局してしまいました。
コミュニティFMの重要性
矢原奈々実
早いですね。
一戸信哉
でも20年続いたんですよね。
というのが大まかなFMの歴史なんですが、
ここまでFM新潟とか出てきてないじゃないですか。
これがコミュニティ放送っていうんですけど、
FM新潟をはじめとするコミュニティFMっていうのは、
それぞれの自治体の中でだけ聞こえる。
新潟県全体で聞くものではなくて、
新潟の人に電波を飛ばして新潟の人のための
番組を作る放送というのがコミュニティ放送で、
これはちょっと違う制度になってます。
これなんでできたかっていう理由はちょっとよくわからないですが、
結局その知育だけに必要な情報ってあるよね。
矢原奈々実
そうですね。
一戸信哉
あると。 佐渡の人のためのラジオ。
新発田の人のためのラジオ。
これは必要だよねっていう、
インターネットのない時代の発想かもしれないんですけど、
それでラジオが立ち上がっていくと。
だけどこれが一番重要だなってなったのは1995年に
地震がありましたよね。
安心淡路大震災。
これが起きて、神戸とかの知育の情報っていうのは
災害時にどっから流れてくんだよということになったときに、
もちろん関西圏の広い知育での放送局っていっぱいあるわけですけど、
一戸信哉
それはわかんないよね。
それぞれ被災している知育の人のために必要な情報というのは、
こういう時こそ必要だということになって、
この後各地で防災のことも意識しながら
コミュニティFMっていうのができていくということなんですね。
だからその後、エフエムしばたは1997年にできているわけです。
ということなのでコミュニティFM、
私たちも今しゃべっている内容そのものがコミュニティFMで流れますが、
これはコミュニティFMの世を忍ぶ仮の姿みたいなもので、
実際に一番求められているのはこの場面よりも、
災害があったときにいち早く情報が届けられるようになっている
という仕組みが必要だということですね。
だからエフエムしばたのスタジオ、私たちは大学でしゃべってますが、
災害時の情報伝達
一戸信哉
スタジオは新発田市役所の中にあるわけですよ。
だから何かあったらそこを拠点にずっと放送ができる。
市役所に集まってくる情報を全部流せる。
そういうふうな状況になるわけですよね。
そういうふうに情報を流せるようになっています。
あと災害なんだっけ。
普通のラジオとしても聞けるんですけど、
災害が起きたら自動的に立ち上がるラジオというのがあって、
緊急告知FMラジオというのがありまして、
災害が起きたら自動的に立ち上がります。
災害だけなんですか。
災害と災害かな。
Jアラートといってミサイルが流れると急に告知が流れるじゃないですか。
ああいう状況になったらすぐバンと立ち上がって
自動音声で流れたりもしますし、
その状況になったらFM局の人はダッシュで
ダッシュで局へ行ってすぐ放送できる体制にする。
聴いている人はそのラジオを普段から聴いていない人でも
強引に聴けると。
聴かどうかわからない人でもすぐ聴けるようにする
というようなことも行われていますね。
宇佐見優奈
さてここまで電波を受信するタイプのラジオ放送の話をしてきましたが、
2010年にスタートしたラジコやその他のインターネットで
放送したポッドキャストが普及してきました。
この番組もポッドキャストでの配信を行っています。
皆さんこれらのコンテンツを聴くことはありますか?
どうですか?ヤララさん。
一戸信哉
私たまに聴きますね。
矢原奈々実
たまに?ポッドキャスト?
一戸信哉
そうですね。好きなアイドルとかが出てると聞いてみます。
なるほど。
宇佐見さんはラジコで課金勢力で?
課金勢。
エリアフリープラン。
宇佐見優奈
エリアフリープラン。
それはやっぱり東京ですかね。東京の局ですかね。
でかめの、長時間放送し続けるという会が
スペシャル?
オールナイトニッポンでやってて、それを聞くためにどうしてもBSNだと
深夜帯の放送が途中で止まっちゃって
一戸信哉
エリアフリープランに入らないと聞けなくなっちゃった。
宇佐見優奈
3時以降か。
一戸信哉
たぶん。ちょっと時間を覚えてないです。
宇佐見優奈
それで課金して聞くようになりました。
なるほどね。
一戸信哉
ラジコがなかった時代を生きていた私は
東京のラジオを聴こうとかやってたんですけど
いい時代になりまして。金で解決。
はっきり聞こえたんですか?
宇佐見優奈
いろいろノイズも入りながら
一戸信哉
なんとかはずかに聞こえるやつを捉えるわけです。
頑張って聞いたわけですよ。
あとポッドキャスト最近、この番組もやってますけど
文字おこしみたいなね。どんどん出てきて
私たちがこうやって不規則に喋っている内容も
かなりの角度で文字になって記録されるわけですよね。
これも反省会で文字にして読むみたいな。
私たちの喋りの良かったところ悪かったところ。
反省会もできますけど、反省会だけじゃなくて
文字になってたら多分音を聞こえない人でも
文字でわかるっていうのもあるし
あとほら、MVとかで歌詞が飛び交うやつあるじゃないですか。
字幕とか。
矢原奈々実
字幕っていうのはあれ。
宇佐見優奈
ミュージックビデオ自体に埋め込まれて。
一戸信哉
そうそうそうそう。
ああいう風に文字になったものっていうのは
いろんな風に使われるようになってきているので
多分これからいろんな使い道があるかなと思いますね。
ラジオの番組っていうのがそこにうまくフィットするかわからないけど
音のコンテンツっていうのは多分音だけじゃなくて
そこにいろんな要素がくっついていって
映像がくっついちゃうと今度テレビと同じになっちゃうし
そこに行くのかもしれないけど音だけで楽しめるっていうのに
プラス何か。
いやー難しいですねそれは。
なんですかね矢原さんのコンテンツ、矢原コンテンツ。
矢原奈々実
矢原コンテンツ爆震ですよ。
一戸信哉
ビジュアルあり?
ビジュアルなしでも震えますね。
声だけで。
矢原奈々実
声だけでもちょっと。
一戸信哉
じゃあ番組でも開発していきたいと思いますね。
ぜひお願いします。
今日の敬和キャンパスレポは国際文化学科一戸信哉先生とともに
矢原奈々実
ラジオについてお話ししました。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
さてエンディングです。
一戸信哉
佐渡はラジオはあるんですか。
矢原奈々実
佐渡はラジオ局はなくて。
宇佐見優奈
電波は飛んでくるけどね。
飛んできますね。
一戸信哉
佐渡のラジオはない。
宇佐見優奈
佐渡テレビっていう
ケーブルテレビ。
佐渡テレビっていう。
一戸信哉
ケーブルじゃなくて佐渡テレビなんだ。
宇佐見優奈
佐渡テレビっていう。
一戸信哉
ありますよね。
島民はみんな見てる?
宇佐見優奈
大抵見てます。
ボランティアとか参加して、佐渡テレビが取材来てて、出ると
出てたね、みたいな。
一戸信哉
定番の番組みたいな何ですか?
佐渡の7時のニュースみたいなやつ。
宇佐見優奈
あとですね。
学校に訪問して部活を取材するみたいな。
取材されたことあります。
一戸信哉
それは回ってくる。
宇佐見優奈
あと保育園に行って子どもたちの歌を
歌ってるところを放送するとか。
一戸信哉
やっぱりエフエムしばたに似てますね。
エフエムしばたも僕の夢、私の夢って子どもが夢を喋るみたいな。
宇佐見優奈
それもあります。
一戸信哉
だから佐渡にはラジオはないが、ケーブルがあると。
宇佐見優奈
アーツ 敬和学園大学の提供でお送りしました。
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