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宇賀田雛帆
敬和キャンパスレポ、この番組は、新発田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、新発田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りします。
皆さん、こんばんは。この番組は、敬和学園大学から大学のことや新発田、新潟のことを伝える30分番組です。
今日の進行は、国際文化学科4年の宇賀田雛帆です。
今日は、不定期企画の敬和・年の差・プレイリスト、一つのテーマで、新旧の曲を選び、ジェネレーションギャップを乗り越えて、というシリーズです。
新潟ブルースの作曲者と作詞者
宇賀田雛帆
今回は、私が現在卒業研究で取り組んでいる音楽とその周辺がテーマ、新潟ブルースについてです。
今回は、昭和の音楽についても詳しい、一戸信哉国際文化学科長とともにお届けします。
一戸信哉
はい、よろしくお願いします。
昭和の歌はですね、昭和の歌というか昭和の生まれだからね、リアルタイムにいろいろ聴いてまいりましたが、
この歌は私もさすがにリアルタイムでは知らないんですけど、
あれでしたっけ、萬代橋?
宇賀田雛帆
はい。
一戸信哉
萬代橋のところになんか立ってるんですよね。
宇賀田雛帆
そうですね、歌碑が立ってる。
一戸信哉
うん、だから新潟の名前が出てくる歌としては、代表的な歌でしょうかね。
宇賀田雛帆
そうですね。
一戸信哉
ちなみに、宇賀田さんはこの歌を歌ったことは?
宇賀田雛帆
歌ったことはないです。
一戸信哉
ないですよね。
宇賀田雛帆
ないですね。
一戸信哉
はいはいはい、まあでもまあね、調べてみるといろんなことがわかりましたね。
宇賀田雛帆
はい。
一戸信哉
はい、よろしくお願いします。
宇賀田雛帆
ではまず、この曲を作った方についてですが、先日私と一戸先生とで、
新潟ブルースの
作詞作曲をされた山岸一二三・秀樹兄弟にインタビューをしてきたので、そちらの話です。
一戸信哉
うーん、どこでしたっけ、えっと、古町?
宇賀田雛帆
古町。
一戸信哉
古町の…
宇賀田雛帆
3、8?3?あれだっけ?
一戸信哉
まあ、シャモニーっていう喫茶店が古町にありますが、そこでお会いしてきました。
1ヶ月、11月ぐらいでしたっけ?
宇賀田雛帆
はい、11月の最初の方です。
新潟ブルースの作曲と演奏
一戸信哉
はい、はいはい。
宇賀田雛帆
兄弟共に音楽をやられていたのですが、
弟の秀樹さんが新潟でバンドを結成し、新潟駅前のダンスホールで演奏していたのですが、
一戸信哉
それ、いつぐらい?
宇賀田雛帆
それは、えっと、1960年代。
一戸信哉
60年代前半かな。
宇賀田雛帆
前半から。
一戸信哉
まあ、オリンピック、東京オリンピックがある辺りで、その後新潟地震があったりとかっていう辺りですよね。
宇賀田雛帆
そうですね。
一戸信哉
その辺りで演奏していたと。
宇賀田雛帆
はい。
一戸信哉
はい。
宇賀田雛帆
で、その時に演奏したオリジナルソングが、
はい。
新潟ブルースだそうです。
一戸信哉
ああ、そうかそうか。あの、ダンスホールだからみんな踊ってるんですよね。
宇賀田雛帆
そうですね。
一戸信哉
それで踊るのも、今のなんか、あの、曲をこうかけてっていうんじゃなくて、あれですよね。
宇賀田雛帆
演奏して。
一戸信哉
演奏する。生演奏。
宇賀田雛帆
生演奏で、それに合わせてお客さんが踊ったりするっていう、みたいです。
一戸信哉
だから、新潟ブルースで踊るってことでしょうね。たぶんね。
宇賀田雛帆
そうですね。でも、なんかあれですよね。
笑
その時の客層に合わせてっていう。
一戸信哉
ああ、そうかそうか。
宇賀田雛帆
なんか、土日は若者が来るから、パリピな。
一戸信哉
パリピ、パリピな。今で言うとね。
宇賀田雛帆
そうです。
一戸信哉
今で言うと。
宇賀田雛帆
で、やっぱ平日はお年寄り目の方。
一戸信哉
まあ、お年寄りっていうか、まあ今の私ぐらいの年代の人が来てもいいような曲なんで、ちょっと曲調が違って、まあ。
宇賀田雛帆
変えてます。
一戸信哉
この時の新潟ブルースがどっちなのかは分かんないけどね。
分かんないですけどね。
宇賀田雛帆
はい。そういうことをしていたみたいで。
はい。
敬和キャンパスレポ。
で、作詞がお兄さんの一二三さん。作曲が弟の英樹さんということになります。
一戸信哉
そうですね。まあ、これは音を2人でやっていたけど、でも、バンドで演奏していたのは弟さんの英樹さんでしたかね。
宇賀田雛帆
そうですね。はい。お兄さんの一二三さんはたぶん、作詞メインで、実際にバンドの中で演奏していた。
バンドの中。
一戸信哉
バンド活動は。
宇賀田雛帆
バンド活動を実際にしていたわけではないみたいで。
一戸信哉
ない。ようでしたね。
宇賀田雛帆
陰で支えてたみたいな。
一戸信哉
ようでしたね。
宇賀田雛帆
感じですね。はい。
新潟ブルースのリリース
一戸信哉
で、最初は、この歌の、その歌っていた、新潟で歌っていた新潟ブルースが、あの、レコード会社の人の目に留まって、それで、その曲だけ東京行くわけですよね。
宇賀田雛帆
はい。
一戸信哉
で、東京で美川憲一さんが、えーと、A面って、まあ。
表側に新潟ブルースという形で、えー、歌ってヒットしたという話でした。
で、えーと、先に、えーと、柳瀬ブルースっていう歌を、あの、美川憲一さんがヒットさせていて。
宇賀田雛帆
はい。
一戸信哉
まあ、それに続く形で、新潟ブルースと。
宇賀田雛帆
うん。
一戸信哉
まあ、ブルースっていうのはね、この当時、こういう、こう、なんていうか、まあ、今で、今聴くと、こう、ちょっと演歌みたいな感じですけど。
宇賀田雛帆
はい。
一戸信哉
これはブルースだったんですよね。
宇賀田雛帆
うん。
一戸信哉
で、えーと、もう一つ、実際には黒沢明のロスプリモスというですね。
今、ロスプリモスという名前で活用、活動されてますが。
宇賀田雛帆
はい。
一戸信哉
ロスプリモスの方も、えー、同じようにこの曲をリリースしていて、こちらは逆でですね。
宇賀田雛帆
うん。
一戸信哉
美川憲一さんがB面で歌ってる、信濃川慕情っていう曲をA面に。
で、B面に、えー、新潟ブルースという形で、どちらも60、1967年に。
に、出していると。はい、そういう話でした。
宇賀田雛帆
はい。
一戸信哉
はい。
宇賀田雛帆
では、えー、それでは今日は、イントロがとても印象的な。
一戸信哉
印象的ですよね。
宇賀田雛帆
印象的ですね。
うん。
全然違うんですね。ロスプリモスバージョンで聴いてみましょう。ロスプリモス、新潟ブルース。
敬和キャンパスレポ。
ロスプリモス、新潟ブルースでした。
さて、新潟ブルースを作った山岸さんたちですが。
新潟駅で活動をしていた山岸さんたちのバンド、ザ・リンガースにもデビューの話が持ち上がります。
そして、メンバーが上京し、当時ブームがまだ続いていたグループサウンズの曲調でデビュー曲が出ています。
それが恋は振り向かないという曲です。
一戸信哉
うん。はい。恋は振り向かないは今調べてみたら1969年と。はい。
あー、宇賀田さん想像つかないと思います。私もまだ生まれてないぐらいですね。
宇賀田雛帆
あー、そうですね。
一戸信哉
で、こちらは作詞が阿久悠さん、作曲が三木たかしさんということで、山岸兄弟が作った曲ではないんですよね。
で、なかなかかっこいい曲調ですね。
宇賀田雛帆
はい。
一戸信哉
まあ、グループサウンズってなんとかうまく定義できないんですけど。
宇賀田雛帆
うん。
一戸信哉
あの、このちょっと前だと思います。あの、沢田研二さんたちがタイガースとか、堺正章さんたちがスパイダースとか、ザがつくのかつかないのか。どっちもザがつくのかな。
まあ、そういうグループサウンズというですね。なんとか。
宇賀田雛帆
うん。
一戸信哉
なんていうんでしょう。まあ、たぶんビートルズの影響みたいのを受けて、ちょっとこう、ロックの曲をですね、その日本人のグループが歌って、で、たぶんちょっと髪の毛もこう、長くて。
宇賀田雛帆
うん。
一戸信哉
っていうようなグループだったのかなって、すいません。詳しい方がいると怒られそうですけど、私の理解ではそれぐらいの理解ですね。
はい。
宇賀田雛帆
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
一戸信哉
ん11ー.
宇賀田雛帆
はい。
一戸信哉
はい。
宇賀田雛帆
うん。
一戸信哉
リンガースバージョンとキノコホテルバージョン
2つあるんですよね
宇賀田雛帆
2つあるんですけど
イントロでなんかもう全然違いましたね
でも1969年に作られた
一戸信哉
リンガースの方は69年ですよね
宇賀田雛帆
リンガースの方は69年ですけど
なんか演歌っぽいゆっくりな感じっていうよりは
ちょっとポップさが増したというか
ちょっと新潟ブルースの雰囲気とは違いますよね
一戸信哉
そうですね
山岸兄弟の音楽活動
一戸信哉
だからこの路線でこの頃は
メジャーデビューして可能性を探ってた時期なんでしょうね
宇賀田雛帆
さて続いての曲です
ロスプリモス I LOVE YOU 新潟
山岸英樹さんのグループは
リンガースからサムソナイツにグループ名を変更し
曲もムード歌謡に変更
変更しますが
一戸信哉
わかりますか?ムード歌謡って
多分あのわわわわみたいな
コーラスグループが後ろにメンバーがいて
わわわわみたいな言うやつだと思いますよ
宇賀田雛帆
はいでもコーラス系に変えたっていうのは
おっしゃってましたね
お話し聞いた時も
でその後様々な経緯を後解散します
一戸信哉
そうですね
宇賀田雛帆
はい解散後山岸英樹さんも新潟に戻り
音楽活動は続け、
お兄さんの一二三さんも
作詞で協力します。
お二人の名刺には多くの作品名が書かれているのですが
特に亀田慕情、雪の長岡、恋の街などといった
ご当地ソングをたくさん作られています
一戸信哉
今ちょっと名刺手元にあるので見ましたけど
ご当地のいわゆる新潟の地名が入っているものだと
今の亀田長岡の他に
岩室ブルースとか
六日町ブルースというのが
これはお二人の名前が入っているので
新潟ブルースとI LOVE YOU 新潟
一戸信哉
お二人とも名刺に書かれているので
多分作詞作曲をご兄弟でやられたと思います
他にもいくつか地名の入った曲があって
多分
宇賀田雛帆
本当にたくさんあるんですよ
一戸信哉
多分新潟ブルースのいろんな変形バージョンで
いろんな各地のブルース
ちょっと新発田の名前は
今のところ見つかりませんが
宇賀田雛帆
はい
一戸信哉
でもなんか今も作ってるとおっしゃってたんだね
宇賀田雛帆
はい今でも作られているとのことです
一戸信哉
新発田から何かお願いすればまた作ってくれるかもしれない
宇賀田雛帆
そうですね
そして新潟について
新潟ブルースの他にもう一つ作られたのが
I LOVE YOU 新潟です
一戸信哉
そうですね
宇賀田雛帆
先日お話を伺ったときには
新潟ブルースは別れの前に抱きしめたという歌詞が
あるんですが
はい
宇賀田雛帆
はい
はい
宇賀田雛帆
結婚式で歌えないと言われていたので
結婚式でも歌えるラブソングとして
アイラブユー新潟を作ったと伺いました
一戸信哉
そうですね
これ1982年だそうで
だいぶ後ですよね
10年以上経ってから作ったんだけど
確かにね
結婚式で別れる前に抱きしめた
別れちゃまずい
というので作ったということですよね
宇賀田雛帆
それでは聞いてみましょう
ロスプリモスアイラブユー新潟
さてエンディングです
新潟ブルースの歌碑は
萬代橋近くの目立つ場所にありますが
信濃川慕情の歌碑も信濃川沿いに建っているんですよね
一戸信哉
何でしたっけ萬代橋の
多分ホテルオークラの向かい側ぐらいでしたっけ
宇賀田雛帆
そうですね
一戸信哉
ちょっとね萬代橋渡って
古町側に渡り切ったところで
ちょっと交番の近く
宇賀田雛帆
そうですそうです
交番の隣ぐらい
一戸信哉
なんかその辺に新潟ブルースの歌碑はあって
宇賀田雛帆
わかりづらいです
一戸信哉
知らなきゃわからないですけど
でも場所的にはわかりやすい
一方信濃川慕情
これさっき今この収録前に聞いたんですけど
ちょっとワーワーワーワーみたいな
宇賀田雛帆
コーラスっぽいね
一戸信哉
同じでどっちもね
信濃川慕情の歌碑は
宇賀田さん知らなかったんですけど
宇賀田雛帆
知らなかった
一戸信哉
昭和大橋っていう橋の
もうちょっと先ですか
そうですね
BSNとか県庁とか
そっちの方に向かっていく途中の川沿い
やすらぎ堤沿いにあるので
健康づくりのウォーキングコースみたいな
情報の中に信濃川慕情の歌碑
書いてますよね
宇賀田雛帆
はい
だからそこに行って信濃川慕情を歌って
一戸信哉
歌ってそしてまた歩く
そういう何ですか
健康づくりみたいなこともできますよね
宇賀田雛帆
そうですね
もし自分も歩く際あったら
ちょっと探してみたいなと思います
一戸信哉
でもなかなか今回宇賀田さんと
取材してみて分かりましたけど
なかなかこの時代60年代の音楽と
そこで新潟で生み出された曲みたいなのは
だいぶ忘れられてきているような感じもありますよね
山岸さんは弟さんは音楽教室も
新潟市内でまだやってらっしゃって
生徒さんも来て歌のレッスンをしている
というふうにおっしゃってましたけどね
宇賀田雛帆
はい
うん
うん
一戸信哉
うん
宇賀田雛帆
うん
うん
うん
うん
宇賀田雛帆
うん
うん
うん
うん
うん
宇賀田雛帆
うん
うん
うん
うん
宇賀田雛帆
,
一戸信哉
はい
そんな曲も訪ねてみましたということで
今日はこの辺で終わりましょうか
宇賀田雛帆
はい
一戸信哉
これ予定では年末最後の放送回
宇賀田雛帆
そうなんですね
一戸信哉
最後皆さんに新潟ブルースを聞いていただきまして
新潟ブルースとその関連の山岸兄弟の曲を聞いていただきました
宇賀田雛帆
ぜひ聞いていただきたいです
はい
では今日の放送はこの辺で
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ご視聴ありがとうございました