AI開発の高速化と人間の追いつかなさ
はい、今日も経営会議をやっていきたいと思います。 ヒトシです。 カンタです。
この番組は、経営やビジネスや、その他いろいろな日常のことを疑っていこうという番組です。
今日は、前回出た速さについて会議してみようと。
僕らは、さっき収録したばっかなので、さっき出たんでもうやっちゃおうって。
そうですね。勢いのあるうちに。 モーメンタムなるうちに。
モーメンタム大事なんで。大事だったっけ? 結局大事じゃなかったような気がした。
モーメンタムの会議っていう会があって、そこで話してました。
速さの出てきた文脈で言うと、
データドリブンを会議していく中で、 効率化していくといいよね。効率化できるよね。
効率化していくと速くなるよねみたいな話の中で、
速くなると何が美味しいんだっけみたいな話が話題に出て、
これ話すと本題がどんどんそれって結構長くなっちゃうなと思ったんで、
一回話をグッと元に戻したみたいな感じでしたね。
早いと。 作者の気ままになるので、また覚えてますよ。
僕的には早いと何が価値になるのかっていう話で、
また資本主義の中での価値とそうじゃない価値もありそうみたいな話になりそうだなと思ってるんですけど。
ちょっと僕違う角度でこれ話したいなと思ってて。
それ気になります。
今、僕のコーリフトっていう会社で、いわゆるMVP、デジタルサービスを高速に開発して立ち上げれますみたいなものを作ってるんですね。
それのプロトタイプみたいなもので検証してみたんですよ、その実施プロジェクトで。
で、例えば今まで半年ぐらいかかってたぐらいの規模の開発サービスを1ヶ月で作れますと。
要件定期みたいなことが1週間ぐらいで終わって、設計とかも。
で、2週間ぐらいで作って、1週間でテストして、2、3日でチェックしてもらって、
1ヶ月ちょっとぐらいで納品して完了みたいな感じのことをやったんですよ。
そうすると、いろいろ思ってなかった副作用みたいなものが出てきて。
6倍速にすると副作用出てきたって話なんですよね。
なんだろう、なんだろう。
AIが出てきたことによってスピードは出るようになったってこと?
そうそうそうそう。
開発は速くなって。
めちゃくちゃ速くなった。5倍速ぐらいになりました。
なるほど、なるほど。
だから、福岡から宮崎に10時間かけて行くのが高速道路ができたおかげで1時間になったっていう。
みたいなことが起きたときに。
何の問題が。
どんな問題が起きたかっていう。
めちゃくちゃ移動できるようになっちゃった。
だから他の業務もめちゃくちゃ詰め込む、同時並行で進められるようになっちゃって。
疲れる。
みんな、なんかみんなが疲れているっていう。
これね、でもざっくり似たような話なんですけど、
すごく大雑把に結論を言うと、
人間がついていけなかったっていう話で。
まず要件定義とかが1週間とかで終わるんですよね。
普段に1、2ヶ月かけるものが。
そしたら、まずクライアント側でチェックできないんですよ。
そんな早く来られてもみたいな。
なるほど。
普通の開発で、いわゆる自宅開発をするときって、
定例ミーティングをして、じゃあ今日はこれについて聞かせてくださいみたいな。
なるほど、じゃあ次のタイミングで資料をまとめて、
こういう仕様で大丈夫ですか、OKみたいな。
じゃあ次はこれなんですけどってやっていくんですよね。
それが1回ヒアリングバーっとしたら、
AIを使って、こういうサービスをするんだったらこういう論点があってとか、
こういうマーケットリサーチもさせてこういう競合がいてとか、
こういうサービスがいいと思うみたいなことをAIと対話しながら、
1週間ぐらいでプロトタイプというか、動くプロトタイプとか作って持っていくんですよ。
で、はやーってなるんですよね。
見ながらいいねいいねってなるんですけど、
じゃあこれチェックお願いしますって言ったら、
1週間で出てきたとは思えない膨大なドキュメント出てくるわけだから、
もちろん見れないじゃないですか。
で、一応だからここはこうで、言ってたとこはこうだったんだけど、
こういう事情からこう変えましたよって話はするんだけど、
なんかね消化できないんだよね。
なんかわかるな確かに。
身体に落ちてこないっていうか。
そうそうそうそう。
確かになー。
口に詰め込むけどみたいな。
それは時間と回数必要ですよねミーティングとか。
あー。
なるほどー。
ご飯食べたからってすぐに栄養になるわけじゃないじゃないですかね。
食ってすぐ走れみたいな。
エネルギーを補給しただろうみたいな状態になると。
確かになー。
理解と執着を育てる時間
例えば自治体の案件って、
ほんと1ヶ月に1回お話に行くっていうのは、
何回も何回もやって徐々に擦り合っていくみたいな。
ほんとに前の提案と今回の提案ほぼ、
ほんとにちょっとしか変えてないけど、
ちょっと前のフィードバックを受けてちょっと変えたのをもう1回みんなで見て、
みんなで体感を得ていくみたいなプロセスが必要で、
それ効率的にできるからといって、
一気に正解出しても、
分かんない。
進まない感覚はある。
消化できないんですよね。
あーそういうことが起きるんですね。
起きてるのは確かに。
消化できないと不安になるんですよ。
なんか見落としてるんじゃないかとか、
本当にこれでいいのかみたいな。
一緒に迷いながら時間をかけて決めていったことって、
1個1個がいろんなメリットデメリットってあるじゃないですか。
オプションAだとこういうメリットがあるけどこういうデメリットがあって、
Bだとこういうのがあってって。
で、なんかAの方がいいと思うんだけどこのデメリット、
でもそうするとBかーみたいなのを俊々して、
5週ぐらいした結果、じゃあAでみたいになるじゃないですか。
そのプロセスが丸となくなるんですよ。
そうするとね、本当にAでよかったのかみたいになるんですよ。
あー確かに。
まあソロでね、ソロプロジェクトで、
ゴリゴリAIと対応して理解して完成させるったらいいですけどね。
いやそれでもね、多分ね。
それでもダメなのか。
多分ね、なると思う。
確かに。
いや、なるな。
やっぱ短期的にガーってやったものってすぐ忘れていくというか、
この細部どうなってたんだっけが頭から抜けてっちゃうんですよ。
抜けてっちゃうんですよ。
あー確かに、ソロでもあるな。
で、それが最後何に繋がるかっていうと、
粘り強さみたいなのが出なくなるんですよね。
すぐに情熱が冷めやすいとか飽きるとかね。
あとちょっと上手くいかないときに何とかしようっていう気持ちがなかなか起きないとかね。
あーこれダメだったんだ、じゃあ次行こうになりやすいみたいな。
そこで自分が時間と思考リソースをめちゃくちゃ投入して、
これで行こうって思ってたら、上手くいかなくても、
このやり方ちょっと変えたら上手くいくかもとかって執着が生まれるじゃないですか。
執着が生まれると上手くいかないケースもあるんだけど、
執着なく上手くいくケースって逆にないなと思って。
上手くいくための執着が育たないっていうのを最近速さの副作用として感じたっていう。
それめっちゃありますね、確かに。
僕もとある番組で、やっぱ自分が張り付いてやった方がいいなって思う理由その辺なんだなって、
あんま言語化できてなかったんですけど。
編集に時間かけて、この内容は削いだ方がいい、削いだを残した方がいいよ、
ほんとめっちゃ大変だけど全部判断自分がやったら、やっぱ粘り強さで出る。
最後の最後まで。細部の理解があるし。
番組を聞いて欲しくなるとか、番組をいいと思って欲しくなるじゃないですか。
思って欲しくなるからまた細部を気にできるみたいな。
その執着がまたさらにいいものを作りたいと思うっていう、なんかフィードバックループがかかってくるみたいな。
いやーそうだな。
いやー確かに早くしなくていいっすね。
いやーって思うな。
そう、だから最近、まだまだとはいえ早くしようぜと思って、
仕事ではね、早さに振り切ってはいるんですけど、
なんか執着は育たないみたいなのはちょっとでも思いますね。
速さが正義になるビジネスと遅さの課題
まあなんかね、仏教的にはその方がいいのかもしれないですけどね。
みんな下脱に近づいていくみたいな。
どっちがですか?
いやその、執着がない方がいいわけだから。
ない方がいいのか、確かに。
そうそう、執着を手放そうっていう話だから。
相性はいいのか、AIと。
世界がどんどん速くなることによって、執着を持つ暇がなくなるみたいな。
相性悪そうだけど良かったのか、仏教とAIは。
分かんない。
でもドーパミンがずっと出続けてるから、相性が良くない気もするけどね。
いやー考えさせられるテーマ、速さ。
そうなんだよな。
でもなんかそれってすごいなんか、
資本主義とかビジネスの中でいうのは難しくて、
どう考えても早い方が効率よくて正義じゃないですか。
普通にビジネスマインドで考えた時に。
めちゃくちゃそこが自分の中でも内面化されてるから、
そういう執着が育たないとかっていう体験的な、
身体感覚的な理解っていうものがあるにも関わらず、
なんか結局早くしようぜと思ってるんですよね、ずっと。
し、遅いとイライラするんですよ。
なるほど。
僕その身体感覚の方を大事にしたいって思うけど、
まあ、とはいえそうできてないか、自分も。
そういうこと言いつつ、チームでアウトプットがめちゃくちゃ早くできたら、
早いじゃん、いいねってなるし。
いいってなる。
で、なんか遅いと遅いな、イライラすんな、もういいや自分でやろうとかなるんですよ。
じゃあ自分でAI使ってやるわ。
そう、自分でやるわってなって。
確かになりますね。
だから最近、会社とか仕事ビジネスの中ではまだAI過渡期で、
言って早くした方がまだいいなと思ってとかあるから、
まだ早くはするんだけど、
なんかこの先1,2年のテーマって、
どう遅くするかみたいなのって考え始めた方がいいなとは最近思ってるっていう。
なるほど、なるほどな。
何が遅い方がいいかも考えた方がいい気はするんだけど、
どう遅くできるかっていう方が、
こんだけ価値観の中で内面化して染み込んでると、
実務的には課題になるなと思ってて、
どんなにこれは遅くて時間かけた方がいいんだって自分で頭で理解してても、
なんか手癖で早くしようとしちゃうと思うんですよね。
そこはどうやったら遅くできるのかが僕の中で課題ですね。
メールの文章とかも実はそうですよね。
ボタン1個で返信できるけど、
自分で返信考えた方が心こもって、
次会った時に自分が喋りにも熱こもるとか。
分かる。心を込めるとかマジクソどうでもいいとか思ってたけど。
実は大事ですね。
実はだいたい手段がないから仕方なくやってたけど、
だいたい手段ができてやらなくなったら、
あれ?なんかまずいかもって。
おもろい。これどうなっていくんだろう。3年後とかどうなってるんですかね。
ということが全く変わって、やっぱり早い方が正義ですよね。
産業革命と均一化する価値
全く関係ないかもですけど、
馬から自動車が出てきて、
移動が爆発的に変わった時って、
そういう似たようなあれあったんですかね。
まずめっちゃ事故起きてたよね確かね。
なるほど。
どうなんだろうな。
どんどん早くはなっていって遅くはならないからね。
その時に遅くした方がいいっていう主張の人はいたのかな。
どうなんでしょうね。
さすがにそこは物理的な話だから、
便利になるよね、豊かになるよねだったのかな。
どうなんだろう。
例えば戦闘機並みの速さで移動できた方がいいのかって話ですよ、今だとね。
人間の認知とか人間の身体感覚的な許容度を超えるみたいなのが結構キーだと思っていて、
結局資本主義とか効率化の文脈で非効率な方がいいみたいなものっていうのが、
どちらかと趣味的なものとしてしか残っていかないじゃないですか。
例えば新幹線で2時間なんだけどあえてドンコウで行くみたいな。
趣味的な景色を楽しむということの贅沢な時間の使い方みたいな。
こととして今まで捉えられてきたものが、
仮に東京大阪間5分で行けるようになりましたっていう世界が来たとして、
何が起きるんだろう。
何も起きないのかな、それは。
便利だね、なんのかな。
どうなんでしょうね。
一つ大きな禁止化っていうのが起きると思っていて。
何の禁止化ですか。
全部みんな同じになっていくみたいな。
それは確かに。
僕も工場、機械化?産業革命化とかの、
急に機械で服作れるようになったり、農業できるようになったりした時に、
均一感になりましたよね、と思いました。
自分で野菜作るとか、自分で服を縫うとかっていうのが、
ちょっと贅沢体験っぽくなった。
多様性がどんどん失われるとか、
多様性というものが市場における差別化という形でしか起きなくなるよね。
それがいいのか悪いのかっていうとまた微妙な話だよね。
それで今まで経済発展してきてるしね、みたいな話もあるから。
あんまりエモーショナルな意味で、
心情的に寂しいねとかの話じゃない感覚があるんですよ、
この今の認知というものが超えていくスピード感で育たない執着みたいなものが、
割とフェーズが違う感じは感覚的にもあって、
それはインターネットが出てきた時もスマホが出てきた時もあんまり感じなかった、
やべえみたいなのはあるんですよね。
なんか一個近い可能と思ったのは、
産業革命の時に服を手で縫ってた、野菜を手で作ってた時は愛着あったけど、
機械が大量生産だったら愛着はなくなっていったみたいなものに対する生産する時の。
ってなった時に別にもうそこの執着いらないのが普通になっていった。
だからこの仕事におけるプロダクトへの執着とかも必要なくなっていくみたいなのも。
あるかもしれないよね。
でもそれは均一になるものだっていう。
会社で行うプロジェクトとかってもう均一になってて、
アルトプットはあんま変わんないってなっていくのかな。
でもそうなると人間いらないじゃないですか。
やることなくならないって思う。
まあだから今、そうですよね、遊びみたいなことをしていくんでしょうね、たぶん。
でも産業革命の時はそう思ってたもんね、知識人とか思うと。
そうなってないな、150年くらい、300年くらい経ってみたいな。
仕事と思われてなかったものが仕事になる的なムーブ。
あるよね、確かに。
ですよね、YouTuber的な。
そうなんだよな、結局欲望を作り出して欲望を市場化していくみたいなことになるから、
すごいね、あんまりいい未来は想像できないなと思ってるんですけど。
AI時代にあえて待つ技術
早さは正義なのかみたいな時の、さっきの認知を追い越していっちゃうみたいなことっていうのは、
仮にそれによって仕事とビジネスの効率が逆に落ちるみたいなことがあるとしたら、あるような気はしてるんですよね。
実際なんかやっぱり、自分の方が、AIストロップって言って、
AIで品質の低いものが大量に出てくるからそれを見るのに疲弊しちゃうみたいな話は、それはそれであるんですけど、
そうじゃなくて、ちゃんとしたアウトプットでもAIがどんどんどんどん出してきて、
めちゃくちゃ認知負荷高いからめちゃくちゃ疲れるんですよね、最近。
し、さっきの執着が育たないみたいなこともすごい感じてはいて。
で、それが仮になんていうのかな、やっぱりある程度遅くした方がいい時頃ってあるよねってなった時に、
遅くするって何かっていうと、待つとか結論出さない、ネガティブケイパビリティみたいな話になるんだと思うんですよね。
AですかBですかって言われる時に、AIの歩幅に合わせてA、Bって言わないみたいな、
AIが新幹線の速度で動くわけじゃないですか、こっち側指示さえすれば。
で、自分の指示が駅に停車してるみたいな状態なわけじゃないですか。
停車時間短い方がいいとかって思うじゃないですか、遠くまで行きたかったら。
でもあえて名古屋駅で1時間待たせるみたいなのが、
なんか結構テクニックとしても必要になってくるような気はしてるっていう直感がありますね。
直感的な話ですね、確かに。僕も最初聞いた時は感覚はすごい分かりました。
早すぎてついていけないし、それによって執着、
良い必要であるはずの執着なくなっていくみたいなのがそうだなと思うんで。
でももうちょっとなぜそうなのか。さっきのひとしさんに言ってくれたみたいに、
それって産業革命の時も多分手作りのぬくもりとか、
手で作っていることによって生まれてきたものが失われてけど、
それから何百年か経って、別に今それがなくて困ってるかっていうと僕は困ってないですもんね。
そうすると次の世代にとっては、それはノスタルジオおじさんの回。
なんかアプリってみんな、
なんかそんなプロジェクトを長い間かけてやってたんだみたいな。
もう今、もう支持したらすぐできるじゃん。
こんなもの半年かけて作ってて、何やることあったんですか?みたいに言われる。
で、まあこだわるとこはデザインとか、冗談のところだけみたいな。
工場でいう服のデザインとか、
なんかこだわるポイントがすごい変わってきて。
まあそうね。
何を作るかとかどう作るかみたいな、
製造よりも開発みたいなところに、
上位の方に。
いわゆる上流みたいなところの価値がいろいろこう差を生むみたいな世界になってきているけど、
じゃあその上流の差みたいなものが重要であるということ自体が、
ある意味その、何ていうのかな。
恣意的というか人工的ですよね。
服のデザインの差が本当に重要かっていうと、
重要だということになっているから重要だということでしかないじゃないですか。
そうですね。
それでみんなが選ぶということになっているからみんなが選ぶ。
みんなが選ぶからそこに市場ができているっていう構造だから、
本当にデザインの差が重要かというと、
異色重の異という意味では別にそんなに重要じゃないじゃないですか。
機能としてだけ見ると。
みたいなことはあるから、
それがずっとスピードアップして続くだけだという見方も確かにそれはそれであるなと思ったんですよ。
でもなんか感覚的には、でもなんかちょっと本当にそうなのかな。
そのトレンドのままいけるのかなっていうのは結構、
今、ダウトがあるみたいな感じですね。
回避してますね。
もっと大きな変化になる、なりそうって感じですか。
うーん。
なんか、うまく遅くできた方が儲かるみたいな世界が出てきそうみたいな。
おー、なるほど。
気がしてるみたいな感じ。
あるポイントは、あえて遅くする。
それはその待つとか結論を、
例えば機械的に1ヶ月結論出すと考え続けるみたいなことを課した方がいい。
うまくいきやすいとか。
なるほど。
迷った方がいいみたいな。
はー、なるほど。
確かに。
今までって、いや迷うなら、まずリソースは有限だから優先順位につけましょう。
で、早くそれを市場に作って市場に投入して、市場の反応を見て適応していきましょうみたいな。
だからその適応するためには市場に出さなきゃいけなくて、
だから市場に出すものを早く作れないと、
学びが回数、1年で学べる回数が減るから競争に負けますみたいなのが、
特にスタートアップとか、いわゆるアージャイルみたいな考え方の根底にあったと思うんですよね。
だからどんどんどんどん早くして、早く市場に投入してフィードバックを得た方がいいというのが、
今のスタンダードだなっていうと思うんですけど、
いや、それは1ヶ月は寝かせた方がいいみたいなポイントが来る気がするっていう、
今何にも根拠なく思ってます。
人は育ちそうですよね。
確かにね。
いやでもそれで必要なのか。
そう、その成長が必要なのかも。
必要なのかですよね。
なんか機械化されていった服の工場で、
やっぱ服を手縫いしてた方が力つくよねって言ってるみたいな。
いやいやそっちの力もういらないから。
それが本当にエクセレントであれば、ハイブランドみたいな形で、
職人さんが手で作ってるみたいなことを価値に還元していくみたいなのもある気はするけど、
それともなんか違うことが起きるんじゃないかっていう気はしてるんですよね。
カンタさんがそう直感してるならだいぶなんかありそうですよね。
ただの老害かもしれないですね。
そういう方がいいんじゃないかっていう。
でもなぜそれの直感を今自分があまりしてきれずにいるかっていうと、
僕のなんかもともとはどんどん早くしてどんどん効率の方がいいと思ってるし、
そっちの方が楽しいし気持ちいいっていうのが、
なんか本気でそう感じて思っているから、
にもかかわらずなんかそういう直感が今芽生えてるっていうのは、
なんか結構自分の内面化してる価値観とコンフリクトしてるから、
なんかあんまり無視しない方がいいんじゃないかって思ってるみたいな感じですね。
なるほど。
面白い。
これもちょっとまた結論ですですが。
これこそまさに今結論出さずに成熟を待った方がいい気がしてるんですよ。
今こうね、会話の中で多分どっか着地させようと思って結論出そうと思えば、
それっぽい結論は多分出せるんですけど、
なんかそうこういう時に、
いやでも今結論を出さずに寝かそうとか、
自分の中で何かまた変化が起きた時にもう一回同じことを考えて、
考え方が変わってないかチェックしようとか、
いうことを意図的にした方がいいなってこういう時に思うっていう。
なるほど。
確かに確かに。
身体感覚と時間の価値
まあ労働が知的なものによりまくったから、
なんていうんですか。
なんか肉体を使う労働から知的な労働になった時は、
えーっと、なんだ。
何を言おうとしたんだろう。早くなって。
肉体を使う労働から知的な労働になる時は置き換わって。
ああそうですかね。
肉体労働がどんどん機械に置き換えられてきたのは産業革命だったのが、
知的労働がどんどん機械に置き換わっていくのがAI革命だとすると、
結構揺り戻しがあるなって思っているのが、
僕も最近身体感覚みたいなものにすごい関心がどんどん高まっていて、
この番組でも結局感覚的なものとか感情的なものとか身体的なものみたいな話に
結局いつもなっちゃうのは、
最近はそれをすごいやっぱりめちゃくちゃ重要というか、すごい感じてるんですよね。
それってもしかしたら、
肉体的なものが機械に置き換わっていて、
肉体的なものとか身体的なものの価値が相対的に下がってきていたみたいな中に、
知的なものの価値がAIによって下がっていくと、
結局相対的に身体的なものの価値が逆にまた高まっているみたいなことなのかなと思ったんですよ。
で、その高まっていくものみたいなものの一つに、
時間っていうファクターがもしかしたらあるのかなっていう。
身体と時間ってやっぱり密接だと思っていて、
例えば計算をするは一瞬でできるけど、
足し算のやり方を覚えるは時間がかかるわけじゃないですかね。
し、運動とかも結局筋力とか体が動きを覚えるとかって結構時間を要するから、
身体的なものの重要性が高まるということは、
結局時間をある程度かけるけど、
その習得とか身体的にわかるまでの時間が短くなった方がいいみたいな方にいくような気がしてるんですよね。
なるほど。
それ面白い整理ですね。
身体感覚側に戻ってるから、ただ速くすればいいもんじゃないっていう風になっていくっていう。
身体の追いつく速さにしなきゃいけないし、
速さに追いつく身体感覚の習得みたいなものが必要になってくるんじゃないかと思ってるかもしれない。
確かに。
もうこの話は身体感覚追いつきましたね。
追いつきました今。
35分喋って追いつきましたね。
確かに。
なるほどな。
結論を出さず考えを寝かせる
楽しみですね、これ5年後何言ってるのか。
全く違うこと言ってるかと思って。
5年後どころか半年後に正反対のこと言ってる可能性があるぐらい今めちゃくちゃ短期間に自分の考えがシャッフルされてますね。
いやでも全然ありえますね。
どんどん速ければ速い方が良かったのは、
知識側に移行していったからっていうだけで、
それが逆になっていってる。
身体側に帰ってくると、その速さに自分の身体を追いつかせないといけないっていうことの方が課題になってくる。
だから僕最近なんかすごい色々身体感覚的な習得をするということを色んなことで、
PTAもそうだし、
最近ピラティスとかやってたりするんですけど、
まだやってないけど絵を描くとかそういうのもやりたいなと思ってたりするんですけど、
そういう身体感覚的な習得をいっぱいこのタイミングで慣れときたいみたいなのが最近直感的にずっとあって色々やってるんですけど、
そういうところにあるかも、そのルーツとか根源が。
確かに。
あとそもそももう全てが仕事なんてものをしなくてよくなるっていう。
でもあれですよ、150年前にケインズっていう経済学者が、150年後に人類は4時間労働になってるって言ってたんですよ。
なってねえなっていう。
でも当時の人たちから見たら4時間見えてる人多そうです。
確かにね。
僕とかも遊んでるだけに見える人もいるっちゃいるって。
でもそれが仕事っていう。
なんでおしゃべりしてるだけなのっていう。
確かに。
それはそうかもしれない。
編集作業してるときはなんか仕事っぽいのかなって感じですけど、それ以外は。
それはそうかもしれない。
また謎は深まるばかりでしたが疑っていきました。
疑うことによって何にも結論も出ず謎が深まってきました。
だいぶ味わい深い会議にはとりました。
もし感想やお便りや会議してほしいアジェンダがありましたら送ってください。
特に結論を出さず身体に染み渡るまで会議すると。
それではさようなら。
さようなら。