よくすごい覚えてるのは、東大からいらっしゃった、もうお話しするからに東大天才みたいな先生で、めちゃくちゃできる先生だったんだけど、近寄りがたい先生だったんですけど、その先生がお酒飲んでるときに、僕はこの病院に来て驚いたのは、やっぱり症例報告的なのも書き途中で終わったことはありますけど、
結局出せなかったっていう感じで終わったのはありますけど、結局どうなったんだっけな、症例として書いてて、上野先生に渡してどうなったか、自分が治してる途中でそれこそもう医局抜けるとかの話になっちゃったから話し続けなかったかだと思います。
そういう発表的なのはやっぱりやってはいましたかね。でも言うてもそんだけ人数はいたので、だいたい一つの病院でやっぱり一人ぐらいは発表してねっていうのがたぶんお達として来てて、じゃあ今回は先生お願いみたいな感じで回ってくることがあったっていうイメージですかね。
いやー学会とか、僕は発表は全然苦手じゃないというか全く抵抗ないんですけど、スライド作ってるのがほんと嫌いでね。
あーなるほどなるほど。
今もう全部ノートブックエルのとこ行ってくる。
まあまあそうですね。
まあそうですね。
いやーでもそうだな、そういうのもありましたよね、発表だとか。
学会発表は毎年必ずやってたな、うちも。毎年、あの人数の少なさでよくやってたな、よく考えれば。
すごいですね、それ考えると。
異極院全員出すっていう、異極院一人一個全部学会発表出したいっていうか出そうって話になった年があって。
出すって言われた時に、僕これ出していいですかとか言ってたら、全員出すことを出したいって言ったんですよ。
で、問題になったのが誰が等席番で残るかみたいな。
あーなるほど、そうですよね。確かに見ながら聞けないですもんね。
そうで、いやこれもう被ったら考えよう、その時にみたいな。
教授女教授はもうずっとさ、行ってるから学会に。
座長とかやられてるからもう無理じゃないですか。
まあそうですね。
講師の先生も、私土曜日と金曜土曜がダメになったって言って。
金曜土曜ダメになって日曜日だけOKって言ってて、もう等席番どうすんねんって話になるんですよ。
で、僕と先輩と後輩2人と、残ったの。
で、その4人で、一番下の4人でね。
じゃあどうなるか、ちょっと見てみましょうみたいなこと言ったら、確かだったけど、ちょっとごめんなさい忘れちゃったけど、確か全員土曜日に被っちゃったんだよね。
あらら、ほうほうほう。
それで土曜日の午前中まで、僕の先輩が残れるっていう時間帯的に。
あとは全部ダメで。
要は名古屋かなんかで行かなくちゃいけないから。
なるほど。
いやでもあれ土曜日午前中いたのかな結局、ちょっと忘れちゃいましたけど。
って言った時に、どうしたかっていうと、そこで3台の登場ですよ。
循環機の先生にお願いするんです。
えーすごい。
もう循環機の先生にMEたちがやるんで、なんかあった時の、要するに透析患者さんのなんかある時っていうのは大体循環器疾患だから。
心臓止まっちゃうとかさ。
緊急の場合は、やっぱそういう時循環器たちは強いので。
なるほど。
彼ら、そう。
要は僕らが透析室で慌てる時っていうか、慌て、ゆっくり考えていいのはそのミネラルバランスだとかね、ドライウェイトとかそういうのはその時考えればいいんですけど、
やっぱり緊急でどうにかしなっちゃった時に困るのは、明らかに循環器疾患なんですよ。
まあまあそうですよ。
触覚バイタルになったとかね。
VFになったとか。
なんで循環器にお願いすることはできるんですよ。
なるほど。
特に上の先生たち、僕より上ぐらいの先生たちあれば、昔腎臓、透析、ローテーションとかしてる世代なんで。
やってんのか。
当時の医局長に、いじま先生ちょっとお願いがありましてって言ってて。
僕ともう一人の先輩で、どうしたのって言ったら、あの、透析討伐を一人やってもらえないでしょうかって言ってて。
いうことは言ってました。
えーすごい。
あ、聞いた聞いたって言ってて。
あの女教授の先生から聞いたら、いいよいいよって言って。
えーいいんだ、すごいな。
自分を託していくみたいなのがありました。
そういう関係でしたね、循環器とかね。
すごいですね。
逆に循環器の後半、循環器の医局の先輩の先生が急に倒れちゃった時に、誰かバイト行けないかって言ってて。
腎臓内科科で行ったりとか。
なるほど。
そういう外来死に行ったりとか。
はいはい。えーすごいな。
めちゃくちゃ主任ができるナースでさ、みたいな話で、産内の医局で盛り上がってるみんながみたいな。
何のこと言ってんだろうなと思って言ってみたら、めちゃくちゃできる人で。
あーそうなんだ。
そうそうそう、僕もすごくそういうのがありましたね、そういうことが。
なるほど、いや面白いな、やっぱり。
そうですね、まあそういう学会発表にまつわること。僕学会発表はね、全くあれないんですけど、本当。作ったりするのがすげー嫌だったな。
何よりも僕は研究そのものが嫌いだったので。
はいはいはい。
今でも研究をして得られたものはないと断言して。
あいじゅうさんは研究はでもやってはいるんですか?
認証研究ね、基礎研究なんてもちろん全く興味ないですよ。認証研究ははい、ファーストオーサーになってますよ。
やっぱりそうなんだ。
だけど、何、面白いとは一度も思わなかった。
なるほどなるほど。
だからセカンドオーサーというか、研究のあれとか手伝うとか。
僕は逆に書くのは無理だからと思って、手伝うのとかはやったりとかしましたけど。
なるほど。
全然なんか、パブメイドとか自分の名前入れると、僕名前は結構よくある名前だから、そんなあれだけど、探すと出てくるじゃないですか。
はーい。
全く記憶になかったりとかね。
なにこれみたいな。
なるほど。
これ違う位局の同じ苗字の先生で、イニシャル同じで、京都だか奈良だかにいらっしゃるんですよ、全然関係ない。
基礎系の先生だったかな。
その先生のペーパーなんだなと思ったら、基礎系のペーパーにしてはやたらインパクトファクターが低くて、よく見たら自分だったみたいな。
とかありますけど。
なるほどな。
でも逆にそういう論文すげえ書け書けとかいう位局でもなかったんですか?
それはなくて、どちらかというと自分の場合はやっぱり、当時何だったんだろう、人出の問題なのか、もうどちらかというと現場を回してくれっていう方の要望が強かったのかなと思うんですけど。
通常だったらやっぱり大学院に入るのが、本当に6年目とか7年目ぐらいで通常だと大学院に戻る。
大学病院の方に赴任して大学院生になるみたいな感じなんですけど、僕の場合初めての移動が7年目で、プラスそこで普通に市民病院に移ってるので、そこからさらに大学病院に戻るってなるとめちゃめちゃ遅かったんですよ。
8年目、9年目とかそれぐらいに戻るスケジュール感の中で動いてたので、多分当時はそこまで移局にまだ潤沢に人がいるとかではなかったのか、関連病院がすごいやっぱり人数が抜けちゃってたのかわかんないですけど、とりあえず病院の方で一人の人員として働いてほしいっていう方の要望が強かったのかなと思ってて。
じゃあそれは逆を言えば、移局が職場の人員とかを見てコントロールしてたってことですか?
コントロールしてたと。
配慮してくれてたのかな?
そうですね。
なので最初の病院から2つ目の病院に移動するタイミングもかなり普通の人より1年とか2年近く遅かったんだと思います。
実質。
面白い。
なので、それで全体的に後ろだごしになってたから、もう全然研究とかではなくて、もうひたすら現場で臨床ばっかりでしたね、自分は。
へー、面白いな。でもそれは逆を言えば同じ移局の同級生とか先輩後輩で、バリバリの論文屋さんになってる人だっているわけですよね、全部。
あー、でもいますね。
それはやっぱり希望するもんなんですか?それとも、あいつはペーパー書くから俺の下につけてるとかいいなと思って、教授に。
どうなんですかね。
そこどういう感じだったのか全然わかんないですね。
なので、通常の流れだとやっぱり大学院生になってそこで研究とかして、そこでペーパー書くとは思うんですけど、そこのところで残って書き続けたりするのか、再度また病院の方に出されるのかっていうところが変わるとは思うんですけど。
なので自分はもうとりあえず、やっぱりだいたいイメージ消化器内科だと5年目ぐらいまでになれば上部下部は全然問題なくできるし、ERCPに関してはちょっとやっぱり不安があったりとかありましたけど、基本緊急対応とかも全部できるようにはなるので、そこら辺になると思う。
すごい臨時消費を育てていただいたって感じなんですね。
もうバリバリそうですね。ひたすら臨床でしたね。5年目と中6年目とかになったら完全に1人でやってたし、1人でやりつつ逆に3年目とか2年目とかの研修の夜間とかでも手伝ってもらいながら一緒にやるっていうような立場になってやってましたね。
大学病院っていうと多分多くの入局してない先生とかも思うかもしれないですけど、やっぱり研究とか臨床っていうよりは学ぶこととかお勉強することのほうがやっぱり中心なんでしょって思いがちかもしれないけども、僕も臨床で1本で育てられてる感じだけども、やっぱりユウさんみたいに国立の医局にいてもそういうふうな経過をたどってる先生もいるから面白いですね。
ですね。もうだから自分は本当に全然臨床しか逆にやってこなかったところですね。もう研究に入るタイミングで抜けちゃってるので。
一番最高のタイミングじゃない?
まあまあタイミングとしてはそうですね。
僕も自分バリバリの臨床医に育てていただいたっていうふうに自負がありますけど、欠かされたって言ったら怒られちゃうけど、欠かされましたからね。
まあそうなっちゃいますね。
確かに確かに。
全く面白くなかった。
全く面白くない。
もうあれは向き不向きがある。
相手さんの場合はそれこそ医局の人事とかでやっぱり動かされるってことはあったんですよね。ずっと大学病院にいたわけではないんですよね。
大学はでもね、基本は大学に人が少ないんで大学が中心なんですよ。
僕が離れてたのは2年半くらいです。出向してて、その病院に透析室はあるんだけどみんな循環器の時代に行ってる人たちで、
10何年ぶりかに腎臓内科が新しく人を出すって言って開拓してこいって言われて、その病院で人生研始めたりとか。
へー。
人生研始めて、透析のあれとかも変えたりとかっていうのをちょっと手直しをしてこいっていうか。
完全にあれですよ。コマですよね、教授の。
僕が出向したときは直教授だったんで、その女教授の命で行ってこいって言われて、
ヘイって言って。
はい、そうですね。でも多分僕の功績はそこで人生研を始めたことだと思いますね。
誰もできる先生がいなかったんで。
なるほど。
で、っていうのをやってたな。
複膜透析は全然そこでもやってたし、
複膜透析は普通に、そこの診療部長の、腎臓内科の透析室の診療部長も積極的にやられてたので、
別にそこはあんまり僕も変わらなかったけれども、
でも結局今僕のすごいお世話になってた近しい先輩が今そこで、常勤医として、医長みたいな感じでやってたりするから。
そういうところだったりとか。
あとは医局の出向先は他にもありましたけど、
医局人事の関係で違う後輩が行ったりとか、あるいは閉じちゃったりとか。
あるいは臨時の枠として作ったんだけれども、結局やっぱり人がどんどんいなくなっちゃってやめたとか。
なるほど。
とかが多かったかな。
はい、移動して移動して移動してみたいな人はうちの医局は少なかったですね。
循環期は多かったですけれども、
返さざるを得ないっていうのがやっぱり小さい医局のあるあるで。
なるほど、戻したいですもんね、人が足んなくなったら。
そうですね。
はい、っていうのが多かったかな。
だってそれで戻したってね、1ヶ月で15回とか待機当番やらなきゃいけないから。
いやーえぐいっすね、そう考えると。
そうですね。
土曜日病院が祝日の日の当席当番とかもっと面倒くさかった。
あーそうか。
当席の当番と内科当直兼任してた。
あーなるほど、はいはい。
8時半から9時半みたいな入室が多くなるときは、あんまり連絡がつかないかもしれないから。
内科当直2人か3人か4人か、研修入れて4人ないし3人でやってたんで。
なるほど。
それでプラス外科と救急の先生みたいな感じだったんで、
ガンガンガンガン来られちゃうと手離せなくなってくるじゃないですか。
そういうときにあれだと、ちょっと今日当席があるから、
当席の9時半から10時半までは普通にもう救急車リミットかけてくださいみたいな。
あーなるほど。
それはでもあれ認められてたのかな?非公式で認められてたのか、公式で教授が院長になったときに認めさせたのか忘れちゃったな。
なるほど。
うち途中で6年目か7年目くらいのときに、うちの教授が病院長になってるんですよ。
はい。
そのときに結構権力を奮いかざしてくれて、当席当番のときのそのなんかあり方とか。
なんかそんなに言うんだったら内科当直をやらせるなって言ったら、なんか丸く収まったみたいなことがあったりとかしたんで。
あーそういうことですね。
なるほどね。
だから当席当番との兼任はまあ半ば合法化されていたというか。
はい。
いやーそんなに人数少なくて当席当番やってたらまあきついですよね、そんな内科の方とかも。
きつい。
はい、はい。
うちの教授が言ってたのは、うちの教授はこんな偉くないなって言ってた。
なるほど、なるほど。
で、おっきな声で言えないけど、そうだろうなって思ってた。
ああ、そうか。
だから、国立のとか、あるいは師大最高補経営とかのところからいらっしゃったりとかする先生が、
うちの病院とかの教授になってくると、なんか温度差はあったような気がする。
ああ、そういうことですよね。
うん。すごいフランクでよかったっていう先生もいらっしゃれば、
フランクすぎてちょっと僕はびっくりしたっていう先生を、
酒飲んでるときに言ってくれる先生とかもいらっしゃった。
ああ、そういうことですね。
よくすごい覚えてるのは、東大からいらっしゃった、
もうお話しするからに東大天才みたいな先生で、
めちゃくちゃできる先生だったんだけど、
やっぱその、生き抜いてきたから、東大を。
ああ、はいはい。
から、なんかやっぱ近寄りがたい、いい意味でね、近寄りがたい先生だったんですけど、
その先生がお酒飲んでるときに、僕はこの病院に来て驚いたのは、
やっぱり医局と医局の差が、壁がものすごく低くて、
ああ、はい。
そんなこと多局の教授に言っちゃうの?みたいなことを平気で言ってて、僕はびっくりしたって言われて、
ああ、なるほど。
なるほどなと思って。
うんうん。
でも多分それの根底には、
持ちず持たれずなんだからごちゃごちゃ言ってないよみたいなのがあったような気がするんですけどね。
なるほどな。
わかんないけどね。
そうか。
それで言うと、そうですね、自分のいた医局は多分白い巨頭の世界のイメージ、やっぱり。
で、まあそれを本当に、まあ末端医局員だったら全然外側から見てる感じではありましたけど、
中の雰囲気はやっぱりすごい大変そうだなっていうのを、
端から見ても感じてたっていうのは正直ありますよね。
そうですね。
そうだから、他の医局でもそういう系の医局もあれば、すんごいフランクな医局もあって。
うんうんうん。
だから他の病院からいらっしゃって、この大学はすごい良い大学だって言ってくれる先生もいらっしゃれば、
あまりにもその、なんかそのピシッとしてないからすごい嫌がる先生もいらっしゃいました。
なるほど。まあ良い意味でも悪い意味でもちょっとゆるい感じというか。
そう、ゆるいから。
そういうふうに感じちゃうってことですよね。
多分ゆるいんじゃないかな、わかんないけど。
なるほど。
なんつって、他の、父の出身大学にお世話になって、その研修とかでお世話になったこととかありますけれども、
あくまでもそこもね、お客様、お客さんとしてモデラしてくださってる研修だから、
決してね、裏を見せていただいてるわけでもないし、そんなおこがましいことできるわけないし、
まあ悪いところも見せたくないだろうし。
まあ確かに。
まあ悪いところ見せなくても、親父から聞いてるから全部知ってんすけどね。
なるほど。
ただ、僕はね、マンモス医局、父親はマンモス医局の出身の人だったので、
今でも医局院にも腎臓内科だけで10人以上入るような、
医局のご出身の先生だったんで、
医局ももちろん見せていただいたり、研修しに行ったりとかしたんですけども、
僕はこの医局は向いてないなと思って辞めたっていう経緯があるんですよ。
ああ、そういうことか。
僕は逆にこういう白い挙とはもう、何言ってんだろうなってちょっとバカバカしくなっちゃうタイプなんで、
冷めちゃうんですよ。
すっごい。
なるほど。
別に先生方が悪いわけじゃなくてね、なんか冷めちゃうの。
馬鹿じゃないの?そんなところに力使ってんじゃねえよって思っちゃうタイプなんですよ。
まあまあね。
だからそれはもう全然、先生方にも考え方があるし、
めちゃめちゃ頭いい人たちが集まってんだから。
まあそうですね。
そんななるに決まってんだけど。
だけど僕は教授、自分の教授もそうでしたけども、
ベッドサイド言いようよみたいな方が好きだったんで。
逆にマンモス医局のすごいもう名門なのに、
ベッドサイドもできるし、患者さんからもすげえ熱いあれだし、
でもマンモス医局を束ねてるみたいな先生はすげえ尊敬しますね。
なるほど、なるほど。
かっこいい。
今のうちの父のいた医局の主任教授はそういうタイプの人で、
主席なんですけど、大学卒業時代主席、人柄も、
ちょっと女ったらしい悪いけども、
ありましたけど昔はね。
僕は若い頃から知ってるんです、その先生が。
その先生が研修院の時から知ってるので。
そう、医局旅行とか連れてってもらってたんで、僕。
そうなんですね。
そう、だから若い先生とか、
若い先生とか、当時の若い先生方とかで存じ上げてましたし、
でも人柄もいいし、頭もいいし、
もう間違いなく将来の大学の医局を引っ張っていく先生だろうな、
と思った人がちゃんと主任教授になって。
なるほど。
やっぱり名門校のいい人を選ぶんだなって思って、
すごい尊敬したんですよ。
医局もそういうこともすごいなと思ったし、
先生のこともすごいなと思って。
はい。
言ったけれども、でもやっぱり自分のキャラクターに合うかって言うと、
やっぱり合わないよね、そういう医局。
なるほどね。
だから僕はもう行かなくてよかったとすごく思ってますけど。
はいはいはい。
そこらへんは向き不向きあるからね。
間違いないです。
話は尽きないところですが、今日はここまで。
次回もお楽しみに。