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001 【音でカタカムナをお届けする】番組が始まりましたー!
2026-04-06 30:00

001 【音でカタカムナをお届けする】番組が始まりましたー!

「はじめてのカタカムナ」著者、板垣昭子です!
おかげさまで、ラジオ業界で大ベテランのジャッキーさんと、講師としてご活躍のマコットさんと【音でカタカムナをお届けする】番組が始まりましたー!
わたくし、しょっぱなの収録から鼻声ですが(笑)お二方とともに大安心のもと、とっても楽しく語らせてもらっております。
◉ カタカムナ、なんとなく気になるけど?
◉ ながら聴きで、ゆっくり知りたいなー
◉ 本は持ってるけど、読めてないわー

そんなあなたに【音でお届けカタカムナ】毎週金曜日、どうぞよろしくお願いいたしますー!
板垣昭子 拝

インタビュアーのMacott(マコット)です。

今回の内容は、カタカムナの語り部、板垣昭子(あっこ)さんが「カタカムナ」に出会ったきっかけや「ことば」の不思議についてお話いただきました。

ぜひ、あっこさんのお人柄やあっこさんが大切にしている思い・伝えたい想いを感じてください!


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サマリー

この番組は、書籍「初めてのカタカムナ」の著者である板垣昭子さんが、カタカムナとの出会いや言葉の不思議について語る回です。阪神淡路大震災をきっかけに、形あるものの儚さを感じ、壊れないもの、つまり普遍的な真理を探求する中でカタカムナに出会いました。カタカムナは単なる古代文字ではなく、日本語の深い意味や宇宙の法則、そして現代人が失いがちな「野生の感」を取り戻すための指針となることを伝えています。この番組を通じて、カタカムナを日常生活に活かし、人生の選択基準を見つけるヒントを得られることを目指します。

番組開始の挨拶と自己紹介
初めてのカタカムナ
この番組は、書籍、初めてのカタカムナをより詳しく、一つ一つ丁寧に解説していく番組です。
カタカムナを日常にすぐ活かせる形でお伝えさせていただきますので、ぜひ楽しんでください。
こんにちは、マコットです。
日本語って難しいなーとか、深いなーとか、不思議だなーとか、そんな風に思ったことはありますか?
今日からスタートしたこのラジオでは、ちょっと不思議で、でもどこか懐かしい、そんな言葉の世界を一緒に旅していきたいと思っています。
そして旅のナビゲーターはこの方、初めてのカタカムナの著者であり、カタカムナの語り部、板垣あき子さんです。
あっこさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。今日もありがとうございます。
いやいや、ついに始まりましたね、あっこさん。
もうドキドキですけれども、今日はね、まずはあっこさんのことを知ってもらうために、あっこさんがなぜこのカタカムナに出会ったのか、
なおしてそれを伝えていきたいのか、そういうことを聞かせていただけたらなと思いますので、ぜひぜひ、深く詳しく教えてください。
よろしくお願いします。
カタカムナとの出会いのきっかけ
初めてのカタカムナ。
では早速ですが、あっこさん、いろいろと聞かせていただきたいんですけど、まずはこのカタカムナに出会ったのはどういうきっかけがあった感じですか?
いやもうそれがね、それで1時間ぐらい喋っちゃうんですけど。
出会ったのは、神戸の震災がね、きっかけなんですけど、本当にそこから普通のことに興味がなくなっちゃったから。
普通のことに興味がない。
そういうふうにね、いつもお話ししてるんですけど、せっかくなので詳しく話すと、神戸の震災の時に、自分なりに受け取ったメッセージというか、感覚があって、そこから普通のことっていうのはね、本屋さんに行っても、小説も興味ないし、漫画ももちろん読む気しないし、
今まですごく本が大好きだったのに、読みたいものっていうのがなくなっちゃったんですよ。
でも私、うちのね実家もみんな本が大好きだったから、本屋さんって薬屋さんの感覚だったんですよ。
なんか困ったら、本屋に行けば答えがあるっていうような感じ?
当時そうじゃないですか、インターネットないし。
30年前とかやから。
でももうその中でも、むりくりひねって興味が持てそうなものっていうのが、やっぱり震災があったから、ノーストラドームスの大予言とか、
あとはね、あなたの細胞の神秘の力だったから、なんかね、この植物と対話するみたいなのが。
何ですかそれは。
もう最近も新ためて見つけて、この本やったって思い出してたんですけど、海外の本でね。
もう一つは、お手当方みたいな。
肝臓比例みたいな。
そういう本だったんですけど、もうね、そっち方面にしか興味がなくなった。
だから、形あるものは壊れる、壊れないものは何かっていう命題がその時から自分の中にあったので、壊れないものは何か。
で、物は壊れるっていうのは、それこそ親が大事にしてた食器とかね。
それこそ一生懸命ローン払ってた建物とか、全部壊れちゃうわけじゃないですか。
そうですよね。地震の時にもう壊れちゃったからっていうことですよね。
そうなんです、そうなんです。
すごい、言わば分かりやすく、目の当たりにしたというか、目の前で見せていただいたっていうのが、自分みたいなね、バブル世代でのほほんと生きてきた人間にとっては、
めっちゃありがたかったんですよね。
大事なものは何か、大事でないものは何かっていうのを、どうやったら分かるんやろうって。教えてくれるものってあるのかな。
なんか哲学的ですね。
そうなっちゃいますよね。で、哲学なんですよ。カタカムなっていうものが。
そうなんですね。
哲理って言われてるんですけど。
「ことわり」と「ことほぐ」の深層
僕初めて聞きました。
あれですよね。新しく作った造語みたいなのが、そのカタカムなを解読なさった、ならさき光月先生という方がね、作られた、独特な言い回しとか言語っていうのが結構あるので、哲理っていうのは哲学的なもののことわり。
ことをわるっていうことは、分解して分析して、理解できていくっていう。
そういうことなんですね。ことわりってことをわる。
そうなんですよ。
それも初めて僕は知りましたね。
ありがとうございます。そうなんです。でもね、日本語話してたら、ことわりっていうことを考えれば、こうとして、わーして、りーするっていうことなんですよ。
全然分かりません。こうとして、わーして、りーするって。
そうなんです。そのね、ことほぐっていうじゃないですか。ことを解きほぐすと、それが祝うっていうことにもつながるので。
ことを解きほぐすと祝うなんですね。
こことほぐだから。
へー。ほぐっていうのは、祝いみたいなところなんですかね。
ほぐれるから、気持ちがほぐれる、体がほぐれる、うちの巡りがよくなるっていうのは、ほぐっていうことじゃないですか。ほどいていくっていうこと。
すごいですね。
いやーもうなんかね、すごいなと思ったんですよ。この本のサブタイトル日本語ってすごいなんですけど、そこまでの意味あるっていうのが、私もすごいカルチャーショックだったんですよ。
不思議な世界への探求とカタカムナへの接近
でもそういう意味で言うと、このカタカムナに出会ったきっかけは何なんですか。
そこ喋れてないよね。
目に見えるもの、目に見えないもの。
形あるものは壊れる。
壊れないものって何なんだろう。
カタカムナに僕の中ではつながってないんですけど。
そうですよね。
出会ったのは、そうやって不思議なジャンルってね、本屋さんにね、当時その精神世界とか文化宗教とかっていうジャンルがあるじゃないですか。
で、そこは本当に昔からあるクリシュナムルティとか、なんとかリュウホーさんとか、そういうのしかなかったんですよ、30年前は。
ニューエイジっていうジャンルがあんまりなくて、今言う陰謀論とか、都市伝説とか、オカルト。
好きですけどね。
そうそう。
本当にそういうところしか、ちょっと不思議系の扉がなかったんですよ。
でもそういうところにガンガン突っ込んでいって、なんか瞑想を勉強しに行ったり。
また瞑想とか。
瞑想も怪しいのしかなくて、当時ね。
そうですよね。最近はね、もうマインドフルネスとか、瞑想ってメインになってますけど、昔って本当に怪しい人がやってるみたいな、空飛んでるんじゃないのかみたいな。
そうなんですよ。ちょっと不思議な世界にね、ちょっとずつ足を踏み入れたり。
でも船井幸男先生っていらっしゃったじゃないですか。
名前だけはどんじゃあげてます。
船井オープンワールドって、不思議な人が集結するみたいなのがあったりとかして、そういうところもね、食わず嫌いせずに、いろんな本読んでいろんなところに出入りしてたわけですよ。
そこにあっこさんも行ってたわけですね。
めっちゃ行ってた。
なんかそういうふうに見えないですね。
そうなんですか。当時20代後半でしょ。
震災の後、本当に何かの最大公約数とか、最小公倍数とか、割り切れるものがあるはずって分かりたい。
それがさっきのことわりの割なんですけど、割り切れるものって何かないのか、基準がないのかっていうのを欲しかったから。
で、走行してるうちに、遠いところにある実家の近所に不思議な人がおると。
怪しい人がおると。
それで、あんた絶対好きやと思うわって言ってね。
優しい高校の同級生が教えてくれたんですよ。
当時結婚もしてないし、子供もいないから、もう早速すっとんでいって、出会ったのがカタカムな文字。
そういう意味で言ったら、その時にカタカムなを伝えてた人のところに行ったわけなんですかね。
そうなんですよ。伝えてたっていうかね、それも表に出てはいけないって言われてたから、本当に来る人にちょっとずつお話しするような感じですよね。
それは奈良崎先生のお話会みたいなのがあったっていうことですか。
もうその時には奈良崎先生は亡くなられてましたので。
そうなんですね。
その後継の宇野民先生という方はご存命でしたけれども、その宇野先生から直接学んだりしてらした方々が各地にひっそりいてらしたんですよね。
ひっそりっていうところがいいですね。
カタカムナの秘密と生活への応用
そうですよね。私、数比とかもご縁があってやってたりしますけど、やっぱりその一部の人しか使っちゃダメっていうこと。
時が来るまでは必須べきもの、表に出てはいけない、隠しとかなきゃいけないよっていうのが、今あって世の中にどんどんね、それこそこういったものとかyoutubeとかに出てきてるじゃないですか。
それはみんなが使う準備ができたってことだと思うんですよ。
なので準備ができるまではそんなに簡単に表に出てはいけないよっていうことで、でもやっぱりそれに惹かれる人っていうのは一定数いらしたので。
惹かれちゃったわけですね。
惹かれちゃったんですよ。
その時は言ったら、聞かれて話聞いてるけれども、言ったらダメだよねっていうのは。
そうですそうです。
言いたくならなかったんですか?
いやもうね、あかんねやと思ってたから。
なんて素直な。僕とか言ったら言ったらダメって言ったらついつい子供心にみたいな感じになるんですけど。
ただしね、その後もあっこちゃんが時々言ってるカタカムナってすごい気になるんやけど、それちょっとじっくり聞かせてみたいなのが本当に始まりなんですね。
なるほどね。
だから勝手に自分のしゃべりに混ぜちゃっててはいたんですよ。
それが本当に実用で、私の生活にすぐに役に立ったから。
だからカタカムナってちょっとオカルティックな超古代文字としての理解をされるときは、なんか生活からかけ離れてるように受け取られちゃう。
僕もそんなイメージですね。
そういうふうに思われちゃうんだけど、私の場合は子供を産むか産まないかとか。
産むんだったらいつまでおっぱい飲むのか飲まないのかとか、離乳食ってどうして必要なのか必要じゃないのかとか。
そもそもいつもは私3人とも水中出産してるから。
水中出産。言えてないですね。水中出産。
どういったお産の方法が動物としての人に一番利にかなってるのかっていうところをカタカムナを基準に考えるようにどうしてもなっちゃったんですよ。
不思議ですよね。
だって負に落ちたから。これは本当だって。
どうしても思っちゃったから。そこは何でなのかって言われたら、やっとちょっとずつご説明ね。
語り目してるようなところなんですけど、何でなのかっていうところは本当に理屈じゃなく、これは本当のことだって思っちゃったっていうしかないんですよ。直感っていうんですけどね。
カタカムナ学習の困難さと偶然の入手
そういう意味ではカタカムナの話を勉強会みたいなところで聞いて、これって本質だなみたいなところを感じて、聞く中でもそれを生活に取り入れてたっていうところですよね。
僕とかも素人なのでカタカムナってちょっと遠い世界の話で、ふーんっていうイメージなんですけど、それを生活に取り入れてたっていうところがすごいなって思ったんですけど、そのあたりはどういうふうにしてあこさんはこれって生活に取り入れるわみたいな感じになったんですか?
それがね、教えてくれたのが、本当に高校の同級生、私大学から留学しちゃったから、高校の同級生って一人ぐらいしか連絡取ってなかったんですけど、なんかすごく今でも通じる方なんですけどね。
で、その通じてたところで、勉強会とかがあったわけじゃなく、もう大まかなところを教えてしかいただけないわけです。多分今伝えてもわからないみたいな感じ。
そもそも解読されたのが、長崎光月先生って、電気物理の話だから。
全然違うじゃないですか。
そうなんですよ。そんなんわかれへんやん。理系じゃないし、バリバリ文系なんで。プラスマイナスの電気のあり方とか、そういうのわかんないじゃないですか。
それがカタカムナにどうつながっていくんですか?
でも、カタがそれであり、カムがそれでありっていう話になっていくんですけど、まあもう難しいからわかれへんわっていうことなんだけど、でもまあ書籍だけは、その当時まだ出版されていたものが、お手紙を書いて、先方に納得いただけたら、その資料を分けていただけるっていう時代だったんですよ。
資料だけはちょっと手に入ったり、不思議なことにね、各地にひっそり勉強会があったって言ってたじゃないですか。
もうね、僕これ勉強しないので、あなたにあげますって言ってもらうんですよ。
そういったら普段であれば、本来ならばその先生のところにお手紙を書いて、それで先生が、この人だったら本をあげてもいいよってなったらもらえるのが、そういうのをせずに手元に届いたと。
そうなんですよ。だってね、もうそれこそアメリカ4年もいてね。
そうですよね。
西洋かぶれしたね、バブル時代の女でしょ。そんなこと、こんなこと書いてある先生絶対生徒にしてくれへんわと思って、最初から諦めてたんですよ。
なるほど、なるほど。
お手紙も書かずに、いやもうおこぶれだけで私の理解は十分だから、もう自分の生活にこれを生かして実験をしてみようって思ってただけだったんです。
カタカムナと生命の原理
甘えもんも好きやし、当時ね、その諦めた原因の一番大きなのは、生食協会ってあったんですよ。
正しい食っていう。玄米生食っていう。そのマクロビューティックの世界って、桜沢先生っていう方が創始でいらっしゃるんですけど、
今はそのマクロビューティックのオーガニックのカフェとかね、食の原理をね。
ありますね。
食の引用原理っていうことで活かしてらっしゃるわけですけど、それだって引用の原理はプラスマイナスの電気の原理と同じくなので、
マクロビューを当初学んでいらして、市販級というか、教えていらっしゃった先生方は、ここから奥はカタカムナを学ぶようにっていう時期があったようなんですね。
なので、カタカムナを伝えている方のほとんどは、ものすごい厳格な玄米生食を実践されている方がほとんどだったんじゃないかなと思います。
不思議ですね。カタカムナって言葉じゃないですか。それに引用とか電気のプラスマイナスとかマクロビューティックみたいな、そのつながりが何か僕にはわからなかったですね。
私もね、もうその玄米生食をこれだけ厳格にできないと、例としていつも言ってるのはね、1日に玄米10粒を生のまま噛んで食べるっていう食用法があるんですよ。
何ですか、それ。
唾液を出す修行ですよ、もう。食というよりは。健康に非常にいいんだと思うんですけどね。何回も噛む唾液をしっかり出すってすごく大事なことじゃないですか。
でもそういうのを実践しようという方々じゃなければ、カタカムナを学ぶことすらできないんだって私は思ったんです。
だからもう自分なんかとてもじゃないと及ばないから、もうあのひっそりとこっそりと学んで、自分の生活に本当に趣味だと思ってたんです。
なるほどなるほど。
で、そしたらいざ子供を産もうかっていう時に、なんか普通の病院で文弁台で産むのが何か違和感があると。
私は本当にお産の話を4時間ぐらい喋っちゃうんですけど、切って産む動物はいない。
なるほど。帝王切開っていう。切ってってそういうことですね。
帝王切開とか、衛院切開とか。
女性はね、大概切って産むのが当たり前って今の世の中はなっちゃってるんでしょう。
そうなんですね。僕はあんまり詳しくは知らないんですけど、子供が産まれるときにそれが大きく広がらないから、切って補助するみたいな。
さささ、あとまぬい合わせてね、みたいな。いうのが当たり前みたいになっちゃってるんですけど、よくよく考えたら、切って産む動物はいないですよね。
そうですね。
哺乳類でも卵でも。あれ?って思うじゃないですか。
そりゃそうやな。言われてみればそっちの方が当たり前っていう。
カタカムナが示す「立ち戻る場所」
私カタカナって立ち戻るところだと思ってる。
立ち戻る。
帰れる場所を作れっていうのを聞いた気がしてね、帰るところがなくなっちゃってるって現代は。
どこに戻ればいいのかっていうのの一つの指針に、私の場合はカタカナがなったから、そうなれるっていう人もとっても多いんじゃないかと思って。
それこそですよ、バブルウェイウェイして、アメリカ行ってワイワイして。
それで帰ってきたところに、カタカナの先ほどお伝えしたような、H音に2音3音の組み合わせにそこまでの奥深さがあったのかってことは、びっくりしたわけですよ。
なんでほんまにこれ学校で教えてんのって。
なるほどなるほど。
国語も理科も算数もこれでいいやんって。
ほんとそういうものだと思うので、だって万物に応用がきくんだから。
宇宙の理を説明しているので、もう小学校中学校高校カタカナだけでいいんですよ。
もう極端ですね。
いやもう極端ですけどね。
でもそこまでの言語を話せている人が、その根源というかその成り立ちを忘れてるってすごい切ないことじゃないですか。
原理原則を基盤とした心理と生活への応用
そういう意味でこのカタカナを学ぶと、ことわり、世の中の原理原則、そこをしっかりと立ち戻る土台みたいなのが手に入る。
そうなんです。なんかね、元気がいい時はいいんですよ。
でもどうしようかなって思う時あるじゃないですか。
ありますあります。
この子ってどんな学校があってんねやろうとか、ほんとにこの人と結婚していいんやろうかとか、
お父さんお母さんと別居した方が同居した方がいいんやろうかとか、非常に具体的に日常レベルで私たちで迷う時ありますよね。
迷いますね。
その時に物差しが基準が必要だなって思うんですよ。
カタカナに照らし合わせていつも私は考えちゃって。
そう見たらカウンセラーであったりだとか、アドバイザーであったりだとか、メンターとか、今やったらチャットGPTみたいな。
それがカタカナ。
そうなんです。
余計わからないですよ。
もう何年かかけてここでお話ししていけたらなと思ってるんですけどね。
震災を機に「作り直す価値」を求めて
本当にありがたいものを出会えて。
そこにぐーっとのめり込んだのは何がきっかけなんですか。
困ったからですよね。
困った。
これでいいのか。
なるほど。
それはやっぱり私にとってはですけれども、自然災害っていうね。
天の災いって書くじゃないですか、天災って。
天がくださったことがきっかけで、本当にいつも言うのはシン・ゴジラっていう映画に同じセリフが出てくるって。
どういうことですか。
見てないんで教えてくださいよ。
ググったんですよ、この間も。
せっかく壊れたんだから、次には作り直す価値のあるものを作らないとなっていうセリフが。
シン・ゴジラ見に行ったんですよ、家族でね。
あ、同じこと聞いてる人いたんやって思ったんです。
せっかく壊れたって。
せっかく壊れた。
今言ったらハンチン・アワジ大震災ですよね。
そこで壊れた時に、ああではなくせっかく壊れたんだから、いいものを作り直そう。
そうなんです。作り直す価値のあるものを作らないとって聞いた時に、作り直す価値のあるものは私にはわからなかったんです。
何なら作り直す価値があるのか。
何ならパンパンパンって仕上げた張りボテになってまたクシャッと壊れてっていうことを繰り返してしまうのか。
ゴミになるものならないもの。次の人たちのためになるものならないもの。
そういった基準がやっぱり近代には失われてしまってたはずだから。
そういう意味で言うと、作り直す価値のあるものの基準原点を選択する時に、何かなって迷ってカタカナに出会って、これだ!
そうなんですよ。
なるほど。
カタカムナの本質と地球との調和
今はそうですからね。
カタカナという哲理が哲学的な理と、あとは心理学が大好きですから、心理ってやっぱり心の理じゃないですか。
これもものすごく優しくて、人というものはこの同じ立場に置かれればきっと同じ振る舞いをするっていうのが心理なんですよね。
そうです。
だから悪い人がいる、いい人がいるっていう話ではなく、人であれば誰しもこのような環境に置かれれば、環境の動物ですからね。
環境に置かれればこのような振る舞いをしてしまう時もあるよねっていうのが、その理があるよっていうのを教えてくれてるのが心理学じゃないですか。
なので非常に優しい学問だなと私は思っていて。
だから哲理が教えてくれていることを心理に生かすっていうことが。
なるほど。そしたらカタカムナを学んで本当の原理原則、そこを基盤にそれを心理に生かして、それをさらに実生活に生かしていく。
それを今実践していって伝えていってるっていうところなんですね。
そうなんです。超古代人がね、わざわざ残してくれたものなら、内容的にはざっくり言うと、やっぱりどうやったらこの惑星と仲良くしていけるか。
惑星と仲良くしていくか。
この星の上で穏やかに過ごさせていただけるかってことですよ。
なるほどね。
それをこうしたらいいよって教えてくれてるのがカタカムナだと思う。
それをカタカムナを、本なのか何なのかっていうのはまたこれからお伝えをいただくんですけど、それを見たら人生に生かせる。
そうなんです。
それは、なんとなく読んでふーって入ってくるものではなく、ここはこうして考えるんだよ、こうして考えるんだよ、みたいなヒントを抑えながら学んでいくと、実践に生かせて、人生の選択基準が取れて、地球と仲良くなって、もうハッピーハッピーになる、そういうことですよね。
経典や宗教に依存しないカタカムナの魅力
もう何回もお伝えしていくんですけど、一番素敵だなと思うのは、やっぱりこれが何らかの経典だとか、何らかに入心しないといけないとか、お名前やお姿がある神様を崇めないといけないとか、そういったことが全くないってことなんです。
なるほど、それいいですよね。
日本人にぴったりかもしれないですよね。
そうなんです。だから生活に根付いている山と言葉っていう、私たちがこういうふうに音で聞いてコミュニケーション取れる言語に、もうすでに断りがあるのであれば、教会もいらないし、なんならちょっと大きな声で言えないですけど、神社、仏閣もいらないし、
だって、お山をありがたがって、お天と様に手を合わせて、っていうのがもともとの私たちのあり方ですから、これはね、なんなら国境すらないんですよ。
本当ですね。
でしょ?嬉しい。
そうか、考えたことないな。
お天と様に手を合わせて、北極星に向かって移動していた民族っていうのは、もう昔からいるわけなので、でもそこで言われている、じゃあ男だったら女だったらこうだよって、子供に対して大切なことってこれじゃないかっていうことを、
それこそししそんさんのことを思って、歌として残したっていうのが、かごめ歌とかね、あるじゃないですか、昔から子守歌とか。
かごめ、かごめ。
そう。
それはそうなんですね。
歌っていうのは、やっぱりそれで覚えやすいってこともありますけど、やっぱ俳句とか和歌とかで考えていただいたら、なんてこの花は美しいんだとか、この景色を見れたって自分はどんだけ恵まれてるんだとか、こんなに心がときめくなんてっていうことを、喜びあふれて歌にしてるわけですよね。
だから、わかったってことだと思うんですよ。宇宙の巡りが。
すごいな。
人生の法則のようなものですよね。これがせっかくわかったから、残しといてあげたいって思うわけですよね。
で、それが歌い、カタカムナは歌いっていうものなんじゃないか。
歌としてカタカムナが残っているっていうことなんですね。
失われた記憶と野生の感の回復
そうです、そうです。で、それを2万6千年ぐらい忘れてたんですよ、私たちきっとね。
そういう意味で言ったら、阪神淡路大震災をきっかけに、今あるもの形あるものは壊れるんだ。壊れない原理原則土台って何なんだろうかって悩んでるときに出会ったカタカムナが2600年前から、封印というのはちょっとあれかもしれないですけど。
2万6千年。
桁が違いましたね。
2万6千年前からちょっと隠れてた、それに出会っちゃって、これって使えるやん。
そうなって、学ぶというか、体験するというか、経験するというか、そういうことをやっていくうちに、これってすごいなっていうところに出会ったっていうのが今なんですよね。
出会っちゃったんですよね。
だから、その記憶を失っているって私たちはね、ある意味ちょっと退化もしちゃってる。進化してなくて。
で、古代人の方が絶対に、今日どっち行ったら獲物とれるかとか、明日津波来るのかけえへんのかとか、やっぱりね、この生命感って言うんですけど、野生の感を研ぎ澄ましてないと生きれないわけじゃないですか。
だから、よっぽど動物としては優れてたんだろうということですよ。
で、いろいろ便利になって安全になって、鶴に従って自分たちはその感を失ってしまってるんだけど、でもそれを取り戻さなきゃいけなくなってきたのが、1995年を起点として起きてるんじゃないかなってことです。
なるほどね。
野生の感を取り戻していくっていうか。
すごい興味湧いてきましたね。
今後の番組展開と実践への期待
やっぱりね、こういうのは多くの人に伝えていく必要があると思うので、ぜひこれから初めてのカタカムナ、順番に解説していきますので、皆さんで実践していただければいいかなと思います。
では、今日はこのあたりで終わらせていただいて、次からは初めてのカタカムナお伝えしていきますね。
はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
いや、本当に楽しみになってきましたね。
30:00

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