00:06
はい、どうもお疲れ様です。ただいま、8月9日、日曜日ですね、のスタイフになりますと。
僕はですね、サービス業、接客業なので、実は今日この後出勤です。出勤前の隙間時間を使ってスタイフを取ってます。
で、今日話していこうかなと思っていることが、何だろう、これもまたタイトル後で僕はつけるんですけど、
結論をザクッと言うと、選ばれないっていうことと価値がないっていうことは必ずしもイコールじゃないのかなというか、
イコールにしなくてもいいって感じかな、っていうそんな話をしていこうかなと思ってます。
で、何だろうな、どういう話の切り口というか始めようかなって思ってるんですけど、
最近、僕は自分のことなんですけど、私ごとなんですけど、ちょくちょく自己肯定感みたいなのがついてきたような感覚があるんですよ。
ちょくちょくって感じかな。あとはまあぶっちゃけコンディションによるかもしれません。正直。
僕も人間なんで、そういうメンタル的なコンディションの浮き沈みじゃないけど、いい時悪い時ってあって、
悪い時には多分こんなこと言ってられないんかなって思うんですけど、
プラスに返事てる時には、あれなんか自分いいじゃんみたいな感じで思えてきてるかなみたいな風に感じる時があるっていう話ですね。
そんな僕が思ったのが、最初に言った選ばれないってことと価値がないってことは、
必ずしもイコールにしなくてもいいのかなみたいなことを気づきというか、が得られたんです。
そういうことを今日はちょっと話していこうかなって思ってます。
もしかするとこのスタイフの中で、自己肯定感、自己効力感、自信、自尊心みたいな、こういうのポンポンポンって出てくるかもしれないですけど、
あえて区切らない、似たような言葉としてフワッと扱います。
一応それぞれの、僕も定義的にはこういう解釈で、みたいなのあるんですけど、
その辺の言葉の重箱の隅で、これはこうで、これはこうでって言ってるとちょっとキリがないので、
ざっくり同じような意味で扱って話していこうかなと思ってます。
で、最近、また話の切り口をちょっと考えながら、うーんって言いながら話すんですけど、
最近、ちょっと傲慢な言い方っぽく聞こえるかもしれないですけど、他人に対してセンスねえなって思える時があるんですよ、最近ふと。
03:05
あ、センスねえなって。で、これちょっといい意味で捉えてほしいんですけど、
例えばなんですけど、最近ちょっとちっちゃくなるんですけど、自分転職活動をしてて、
当然転職活動中って書類落とされたりとか、面接進めなかったり、こういうことってちょくちょくあったりすると思うんですよ。
で、これ自体は僕だって嫌ですよ。それは僕だってツーツーでいきたいというか、
うまいことぽんぽんぽんぽん話が進んでくれたら嬉しいなっていう気持ちがあるんですけど、
例えばそれで落とされたりとかするしたとして、で、頭のどっかしらで、え、俺落としていいの?みたいな気持ちがあるんですよ。
これはね、あんまり傲慢に捉えないでほしい。なんやこの肉たらしい奴なんて捉えないでほしいんですけど、
どういう意図で、え、俺落としちゃっていいの?って思えてるかっていうと、
こんな魅力的な人なのにみたいな、すごいごめんなさい、自画自賛というかうぬぼれチックな言い方なんですけど、
え、こんな僕を落としちゃっていいんですか?みたいな気持ちが100%じゃないですよ。
そういう心の持ちようで生きた方が楽じゃね?みたいな、今日はそういう話なんですけど。
例えば今って会社の面接とか面談の例を取ったんですけど、対人とかでもそういうことを思えてきてる自分がいるんですよね。
例えば人対人って反りが合わないときって当然あるじゃないですか。
友達100人できるからじゃないけど、100人なんて別にできないんですよ。できないんですよ。
100人なんてできなくて、当然僕のこと好きな人もいれば反面嫌いな人もどこかにいると思うんですけど、
そういう相手に対してあんまりセンスないねみたいな、そういうことをちょっと頭の片隅に思えてきてる自分がいるなって思ったんですよ。
で、それなんでかっていうと、その理由としては自分の良さというか自分の特徴みたいなのを自認できてきてるのかなっていうふうに思うんですよね。
勘違いしてほしくないのが、別に傲慢にいきたいわけではないんですよ。
いや、俺が最強じゃんみたいな、俺がすごいやんみたいな、俺が素敵じゃんみたいな、お前なんなんみたいな感じでそこまでそこまで腕組んでふてふてしくいきたいっていうわけではないんですけど、
逆に他者評価とか結果に対して自分の自尊心というか自信みたいなのを100は委ねなくなったかなみたいな感覚があるんですよね。
逆にこいつなんですけど、自分に自信がない人というか自己肯定感ない人って結果に全部にしちゃってると思うんですよね。
06:03
自分の価値という評価というかを全部にしちゃってるんじゃないかなみたいな。
僕もね、まだその毛があるというか、結果出せてる自分っていうのはすごくて、人から認めてもらえてる自分っていうのはすごくて、そうじゃない自分っていうのはちょっと魅力落ちるよねみたいな感覚がある。
それこそ例えばですけど、面接に受かるかどうかとか、人から嫌われないかどうかとか、会社で業績出せるかどうかとか、もしかしたら学生の頃とかだったらテストでいい点が取れるかどうかみたいな。
こういう結果っていうもので自分の価値を測りすぎてたかなーみたいな風に思うんですけど、最近は自分の個性というか、ここ強いよなーみたいなのがちょくちょく分かりつつあって、
だから、それが分かってきたからこそ、えっ、俺の個性わからんかーみたいな。そういう若干、心の中の若干の自我というか、上から目線な僕が出てきてるかなーみたいな。
いい変化だと思うんですよね。謙虚さを捨てるつもりはないんですよね。別にそれは重ね重ねなんですけど、傲慢にいきたいつもりはないんですけど。
あまりにも評価に委ねすぎると一喜一憂が多すぎる。特に優の方ですね。一喜一憂の優の方。結果がいい結果出てよっしゃってなるのはいいと思うんですけど。
へこぬ側が頻発しすぎると、いきづらいと思うんで。ってなった時に、そこを不憤って思えるのは結構僕は、いきやすいと思う。そっちの方がおそらくなんですけど。
最近なんかね、本当に自分のいいところで言うと、僕結構知識の守備範囲が広いなぁとか思うんですよね。
やっぱりこれもこれも気づけてなかったんですよ。気づけてなくて。ただここ1年以内ぐらいにすごい人から言われることがあって。
なんでも知ってるじゃんとか、知識の守備範囲マジで広いよねとか言われて。僕も認めざるを得なくなったというか、これはさすがに僕がすげーんだなっていうのを思わされるシーンがすごく多かったんですよ。
僕、例えば、新夏のストレングスファインダーのこともわかるし、生き物。最近生き物ツアーとかも企画したりしてるんですけど、生き物のこともわかるし、ゲームとかも結構詳しいんですよね。
大体僕は任天堂タイトルとかよく遊んでたんで、任天堂ハードのゲームに結構比較的詳しいことが多いかなと思ってるんですけど、ゲームも詳しいし、本当に雑談の雑学系、雑学というか豆知識というかトリビアみたいな。
そんなんをすごい潤沢に持ってて、もちろん当たり前ですけど、人間なんで知らないこともあるんですけど、すごく知識の幅が広いなって自分に対して思ってるし、別の技能なんですけど言語化とかも上手いし、こうやって自分がまとめたことをこうですこうですって話すのも上手いし、でも言語化が上手いからって聞くの下手かって聞くのも普通に上手いんですよね。
09:23
安っぽいことは共感じゃないですけど、すごい真摯に人に向き合って聞くっていうのも結構上手いし、生高いですね。急に身体的特徴なんですけど。
177cmなんですけど、奥とかであると生高いねって言われるし。あとね、最近ね、へーって思ったのが、僕田舎に住んでるもんだよ。自分の車持ってるんですけど、ちょっとした車の面で自分でやるんですよ。
自分でやるのって人から驚かれたんですけど、車運転するんですけど、車って定期的にエンジンオイルの交換とかしなきゃいけないんですけど、それは自分でやったりするんですよ。
ガソリンスタンドとかでもできるっていうのはもちろん知ってるんですけど、手待ちにかかるんで、自分でやった方が安上がりになるよねってところで僕は自分でオイル買ってきて自分で変えたりしたんです。
その分お得に、手待ちを省いてるというか、オイルだけ買ってその分の費用はもちろん自分で払ったりするんですけど。
エレメントとかも自分で買える。もちろん工具ありきなんですけど。工具持って自分でやったりするんですけど。って話をしたら、そんな自分でやるやついんの?みたいな話になって。
こういうのって意外とそっかみたいな。そこも気づきだったんですよね。
あと多分これはちょくちょくタイヤとか自分で買えるんですよね。夏冬のスタッドレスタイヤとかも自分で買えるんですよ。
みたいなところがあったりだとか。あと人からよく言われるのはカラオケうまいって言われるんですよね。一緒に行った人からカラオケ歌うまいよねって言われたりするし。
あとあんまり見せないですけど最近だとモノマネとかでやったりしてます。お茶目なところが。自分で自分のお茶目っていうのはあんまり好きじゃないんですけど。
お茶目な一面があったりするよって。
すごいこうなんだろうな。こうやって理路整然とロジカルにポンポンポンって出すのもいけるのに、かといったらコミカルもいけるみたいな。ロジカルもコミカルもどっちもいけるみたいな。
こういうのを列挙していくと、こんなやつおるかなって思えるんですよ。
今言ったこと順になぞられていくと、じゃあ知識の守備範囲が広いですみたいな。
ストレングスファインダーとか人間の特性的なところも好きだし、生き物も好きだし、ゲームも詳しくて、雑学とかも潤沢にもってて、言語学がうまくて、敬長がうまくて、一人一人に真摯に向き合って敬長するのうまくて。
車のメンテナンスとかブルーカラーのことも一定できて、性高くて、カラオケうまくて、モノマネもできちゃうみたいな。
12:02
こんなやつおる?みたいな。いなくない?みたいな。思えてきたんですよね、最近。
事実、いないと思うんですよ、あんまりこんな人。
でもこれはみんなそうかもしれない。別に僕だけじゃなくて、みんなそうだと思うんですよ。
みんな多分突出してるところというか、その人のアイデンティティじゃないけど、その人らしさみたいなのがあると思うんですけど。
僕の場合は最近この辺にじわじわと気づき始めてきてて。
すごい自分の自我というか、うぬぼれじゃないですけど。
こんだけ個性あって素敵な自分が選ばれないみたいなのって、それは選ばないやつが悪くね?みたいなのを若干思えてきてるんですよ、正直。
それとさっきの企業の話じゃないですけど。
もちろんね、企業に生かす個性とか特徴とか自己PRとか、あんたの長所はなんですか?みたいな話になってくるんで。
それは悪いって、さっき言葉選びをしましたけど、相性みたいなもんだと思うんですよね。
自分という人間がどこでどう生かされるかみたいな、相性の話になってくると思うんですけど。
僕が言いたいのは、落とされるとか通過しないからって自分が悪ではないよね。
だってこんだけ個性あってさ、魅力的じゃん?みたいな。
魅力的じゃん?って自分のことを言うのはなんなん?って話なんですけど。
今、僕が列挙した僕の特徴って一部で、もっと探していったらあるはずなんですよ。
僕のこういうところすごくて、こういうのができて、こういうところが際立ってて、絶対あると思ってて。
ってことは、僕が素敵な人だったりすごい人だったりするっていうのは、もう確定事項。
なんか嫌だな、こんなん自分で言うの嫌だな、嫌だなって思いつくものなんですけど。
それはいいよね、みたいな。さすがに僕はすごいやろ、みたいな。
のをじわじわ覚えてきて、課題がじわじわ。その100では覚えてない。
ブチギャーと冒頭のコンディションにもよります。落ち込んでるときはこんなこと言ってらんないんですけど。
調子いいとき、結構なんかそういう、ちょっと鼻が高くなってるじゃないですけど。
風に思えてきてる。で、それによって、だから、例えば企業に選ばれないとか、
○○さんに嫌われたとか、そういうのが、僕あんまりそんなにめちゃくちゃ僕のこと嫌ってるって人あんまりいないと思うんですけど。
ってなったとしても、それは選ぶ側が悪いっていう風な考えに、じわじわ慣れてきたなっていう感覚があるんですよね。
なんかその、めちゃ例え話になるんですけど。
これなんか、僕が最近そのチャッピーと、こんな思ってるよねーみたいな話したときに、チャッピーが出してくれたんですけど。
なんかその、例えば野菜にトマトあるじゃないですか。トマト。
15:02
で、トマトって悪いですか?って言われたときに、トマトって悪者ですか?って質問されたときに、野菜に言い悪いとかないじゃないですか。食い物に。
で、僕トマト好きなんですけど、トマト嫌いって人いるじゃないですか。
種のとこジュルジュルしてるとこ嫌いっていう人いるじゃないですか。
で、これってもうなんか相性というか、その嫌いな奴は嫌いなんだなーみたいなのはもうなんかしゃべらないんだなっていう話だと思うんですよね。
トマトが、たぶん好きな人が多いんかな?トマト。たぶん野菜の中でも、実際トマト嫌いな人っていると思うんですけど。
トマト嫌いとか、トマトが選ばれないっていうのはもう、それはその人とトマトの相性が悪いというか。
トマトの魅力わかんない奴は別にわかんなくて、そこに対して執着しないというか。
別に私はトマトだからいいじゃねえかよみたいな。
トマト愛してくれる人と付き合おうみたいな。
とか、自分の良さわかってくれる企業さんとかに入れたらいいかみたいな。
そういう感じになってきたかな。
っていうそんな心の変化したね。
あとはもうちょっとなんか抽象的にすると、例えば
SNSとかでいいねもらえるとかって言って、これも選ばれてるだと思うんですよね。
数っていう結果で出てるかなと思うんですけど。
ここもなんかね、あんまり執着しない方がいいよねって思えて。
一喜一憂の一憂側ですね。落ち込む側。
あまりにも数字とか多差評価とか結果とかに委ねすぎてると、
それだけで日々自分のメンタルがどうしてもグラグラグラグラしちゃうので。
ぶっちゃけ世知辛い話をすると、選ばれてるってことは一定の価値があるんだと思うんですよね。
逆に言うと、例えば就職活動においてもめちゃくちゃ面接とかまでバンバンバンバン進む人。
それは多分市場的な価値が高いからだと思うし、
SNSとかでもすごいいいねが多い人とか、
自分のサービスを出してそのサービスを受けてもらってる人っていうのは、
実際価値があるんだと思うんですよ。
だから選ばれてるっていう人は一定価値があるのは、
ここは多分わかってることかなと思うんですけど、
選ばれないっていうことと価値がないってことは、
わざわざイコールにしなくてもいいんじゃないかなっていうのは。
そっちの方が楽だからですね。生きていく中で。
選ばれない自分は無価値なんだって思って生きるのって、
たぶんすごいしんどいと思うんですよ。
それが僕がずっと言っている一輸側だよっていう話なんですけど、
そこに日々自分の価値というか自尊心みたいなのを委ねすぎてると、
すごいしんどいので、そこは切り分けておいていいんじゃないかなと思います。
僕の場合、なんでこれが切り分けられつつあるのかっていうと、
18:02
自分の特徴というか個性というか、
自分ってこういう人間だよな、こういうとこがすごいよな、
素敵だよなっていうのがだんだんわかってきたんで、
じゃあその素敵さをわかってくれないやつも当然いるよな。
当たり前だけど。
それが企業だったり人だったり大衆だったり、
それはわかんないけど、
当然愛入れない人とか場面だってあるんだけど、
それは別にイコールで自分の無価値だと思わなくてもいいんじゃないっていう風に
僕は思いつつあるんです。
実際無価値じゃないと思うんだよな。
こんなやついないと思います。本当に。
本当にこんな人なかなかいないなって思うんで、
無価値ではないと思うんだよな、さすがに。
さすがになんですけど。
結構自分すごくね?って思う瞬間、
最近ちょいちょいあるんですよね。
これもコンディションかもしれない。
コンディション悪かったらこんな思ってらんないと思うんですけど。
悪くね?と思うんだよな。
こんなこと言っててなんなんですけど。
思うんだけど、皆さんどうですかね?
皆さんどうですかね?って急に
このリスナーさんに振っちゃったけど。
ただ傲慢に生きるのは僕も危険だと思ってるんで、
俺のことわかんねえ、全てが悪いみたいな。
そこまでは行かないですけど、そんな傲慢に振り切るつもりはないですけど、
逆にあんまり結果というものに対して自分の自尊心をズタズタにするのは、
生きる上で得策じゃないよねっていうところで。
僕の場合は最近だから、自分のそれって悪くねえじゃんって
ちょくちょく覚えてきてるんで、
そういう部分で自分の中に自分を認めてあげられてるというか、
自分自身、今まで結果とかに全部にしてた自尊心みたいなのが
一定ちょっと自分の中でも悪くねえじゃんって、
自分の中で認めてる自尊心みたいなのがあるような気がするなあ
ぐらいのそういう温度感の今日はお話でした。
そんな話ですね。
まとめると、選ばれてる人とか選ばれてるものっていうのは
間違いなく選ばれてるってことは価値の証明ではあると思うんだけど、
別に選ばれないっていうことがイコールで
僕は価値がないにはならないかなっていう気がするし、
そう思わない方が多分生きてて楽だと思うので。
いつだから言った気がするんですけど、
僕人生って解釈芸だと思うんですよ。
ぶっちゃけね。
こじつけてもなんでもいいから、
いかに愉快な解釈をして生きるかなと思っていて、
逆に不快な解釈をわざわざしなくてもいいかなって。
そっちの方が生きやすいと思うんで。
選ばれなかった、自分は価値がないんだって思う。
そういう不快な解釈をすると自分を苦しめるだけだと思うんで。
だったらこじつけても楽天的でもいいから、
こうやって愉快な解釈して生きていったらいいんじゃないかなみたいな。
そんなことを思ってますね。
21:00
僕も結構内静人間なんで、
ネガティブに振るとグーって頭モヤモヤさせてる日は全然あるんですけど、
最近俺地味にすごくねえかなみたいな。
ちょいちょい覚えてて、
だんだんと他者評価と自分の自尊心とか、
自分の中の自己価値みたいなものを切り分けられてるかなって思ってたんで、
それをスタイフに収録してみました。
てな話で今日は終わろうかな。
ここまで聞いていただいてありがとうございました。
面白かったなと思ったら、
いいねとか感想とかもらえるとすごく嬉しいですし、
もしよろしかったら、これが何本目でしたっけ?
これ19本目?20本目くらいのスタイフになると思うんですけど、
前のスタイフの収録したやつとか聞いてもらえたら嬉しいかなって思います。
今日はこれで終わろうかなと思います。
3、2、1、終了。