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  2. 山崎元さんに学んだこと
2024-01-17 10:35

山崎元さんに学んだこと

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年末年始はですね、本当にあの大きいニュースが多かったですから、ちょっとね、埋もれてしまった感もありますけれども、私が注目したというか、おっと思ったニュースにですね、山崎はじめさんという方がね、亡くなられたという不法がありました。
ご冥福をお祈りします。
知らない人も結構いるかもしれないんですけれども、知ってる人はめっちゃ知ってるっていう人で、経済評論家っていうことになりましょうかね。
あの、私、山崎さんのことはそうですね、全然あの、面識はありませんし、取材したこともありませんが、普通に識者としては、2006年、7年頃から存じておりまして、というか多分その辺りで山崎さんがすごく世に出てね、発信力を高められた頃かなと思うんですけれども、
当時から私は投資というものを始めております。
で、覚えてるんですけれども、私2006年まで石川県の金沢総局にいて、そこから名古屋本社、報道センターって言いましたけれども、そこで勤務しています。
で、その金沢にいた頃に銀行口座を新しく開設していて、要はですね、だからその口座が金沢支店なんですけど、ちなみに新生銀行なんですけど、自分の預金の行方っていうものについて考えるようになったのがその頃なんですよね。
えーと、それまでどこ使ってたんだろうなぁ、ちょっと覚えてないですけどね。
学生時代のメインバンクは多分私、シティバンクなんですよね。海外に行ってたようなことがあったので、そこから新生に変えてるんだと思います。
とにかく初めの頃、会社に入ってしばらくってひたすらがむしゃらに働いていて、本当に寝る時間以外ずっと働いてたような状況でしたね。
特にそれに疑問を持ったこともありませんし、初日、2000年の4月に入社してるんですけれども、時代の数勢ってこともありましょうね。今は新聞社もだいぶ変わっていると聞いてますけれども、私の時は本当にずっと働いてましたね、朝から晩まで。
働いてるって言っても、新聞記者の場合って何が働いてるかよくわかんないところもあって、ただ何というか教えとして、とにかく12時が回る前に家に帰るな、みたいなことは言われてましたよね。
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どこにいるかというと警察署にいるか、サボってたとしても飲み屋にいるみたいなところがあって、つまり人がいる場所、誰かが喋っているところにいるっていうのは、その当時は律儀に割と守ってましたね。
朝は朝回りとかありますから、やっぱり6時とかには家を出たりしてましたんで、だから別にずっと何て言うんですか、工場勤務と違うんで、ずっと手を動かしてるとかっていうことではないんですよね。
だって人と喋ってる、例えば警察署に行って当直主任のお巡りさんと喋ってるのって、私にとっては仕事ですけど、そんな仕事って感じはしないよっていうふうに言われたら、まあそうかもなっていう話ではあるので、
なんとも普通の仕事とはカウントの仕方が違うとしか言いようがないんですけれども、前にこのポッドキャストで言いましたけど、私例えば警備員として仕事をしていたことがあって、その時は本当に時給ですから早く時間が過ぎるとしか思ってなかったですけど、その間に定められた仕事をやるっていうのが仕事、労働でしたからね。
新聞記者の仕事ってなんか変わってる。とにかく成功報酬型と言いますか、いい記事を書く、いいネタを取ってくるみたいなところができればOK。別にできなくても給料はもらえるんですけれども、無能と見出されるっていうようなところがありますので、っていうような仕事をしてたんですが。
休みなんてほとんどなくて、1年目の夏休みなんて本当に3日前ぐらいにちょっとこれから4日間休み取れみたいなことを言われて、要はその時少し世の中は落ち着いてたんですよね。休むみたいなむちゃくちゃな感じでしたから。
2年目以降は年に1回はどこかしら夏か冬かに海外に行くようにしていたような記憶がありますけどね。パスポートを調べればわかると思いますけど、今度調べてみよう。
2つ目の認知。最初は栃木県に行って次は石川県で、石川県は栃木と違って全然事件がないところなんですよね。栃木にいた3年間は事件ばっかりだったんですけど、石川県は非常に落ち着いた良いところでして治安も良く、栃木は悪いと言ったけど事件は多かったですね。
石川では一息ついて、あと私も事件、最初の1年はやってましたけど、その後は経済および県庁、県政の担当、県の政治ですね、だったので比較的休みが読みやすいんですよ。もちろん土日もイベントがあれば取材はありますし、あと政治家を追っかけたりはしてましたけど、
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とはいえとはいえ事件担当に比べればだいぶスケジュールが読みやすいので休みが取れるようになったんですよ。で、その時に金が貯まっていることに気づいたんですよね。だって何もしてないですからね。給料は振り込まれてくるけれども全然使ってないんで、家賃とか払ってるだけですからね。あと飲み代とか、まあ鷹が知れてますからね。
というわけで、これなんかもったいないなって思ったんですよ。どうしようと思って。で、最初にやったのが、まずその新生銀行に口座を開く。それは当時としては定給金だろうな、の履歴は高かったんですよね。定給金って名前だったかわかんないですけど、多項に比べれば高かった。
ただ、まとまった額を預けてたら、新生銀行の人にこんなの定給金にしてももったいないですよ、みたいなことを言われて、誘われるままに進められるままに入ったのが、なんか複雑な商品だったんですけど、年金型の保険?何言ってるのかなって感じですよね。
えっとね、10年ぐらい拘束されて、その間誰かがそれを運用するんですよ。運用型保険か。年金の形になってるのかな。年金の形にするか、その場で一括して受け取るかは、10年以上経ったら決められるみたいな商品があって、それを1000万円ぐらい買ったんですよね。
なんでか、理由はあんまり覚えてないですけど、でもそれはそういうのがありますよって。あ、そうですかって。私も少しそういう行進みたいなのをしてみようと思ったんですよ。
ただ、新聞社に記者として勤めていると、株の売買って基本的に短期ではできないんですよね。
インサイダー取引はもちろんダメですけれども、言わずもがなですけど、インサイダーに当たらなくても半年以上経過しないと株買ったり再建買ったりしても売ったり買ったりしてもダメっていう決まりがあって、株取引を短期でやることはもともとできないんですよね。考えてもいなかったですし。
で、そういう変な金融商品を掴んだってことだと思いますけど、投資新宅とかも当時すでにありましたけど、まだそんなにやってる人いなくて、情報も少なかったんですが、ただ興味がその頃出てきて、それで行き当たったのが山崎さんでしたね。
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山崎さんもその一人。あとはやっぱりネット上ですごくブロガーがいて、今もやってらっしゃいますけどね、水瀬健一さんっていうね。梅屋敷商店街のランダムウォーカーっていうブログをつけてる人いて、
その人から始まって、他いろいろな投資運用をしているブロガーっていう人たちに次々行き当たったんですよね。
で、その人たちが、この人がすごいって言ってるのが山崎さんだったんですよ。何がすごいって、それまでの金融商品っていうのは全て、全てとは言わないけど、大半が金融機関にとって得になるように作られた商品であって、本当に一般の投資家にとって得にならないっていうことをカッパしてたんですよね。
言ってみれば、金融業界は全部敵に回してるわけですよ。銀行とか証券会社とか。それがね、非常に新鮮でしたし、こういう考え方があるのかと思いましたね。
はい。ちょっとね、次回も続けます。
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