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2025-03-14 20:25

数値目標

サマリー

数値目標の達成が企業やクリエイターに求められる現代において、その重要性や課題について語っています。特に愛知県のものづくりや報道の分野における数値化の影響、またポッドキャスト制作における理念と数字の関係性に焦点を当てています。このエピソードでは、数値目標の重要性が議論され、異なる言語や文化における理解の困難さが浮き彫りになります。特に、数値が意思疎通においてどれほど役立つかについても触れています。

KPIの現状と意義
エンパシーの話をしましたが、最近思ったことを話そうと思います。
KPIとか皆さん、やってます?
ここ10年くらいそういう会社が多いのかなと思いますが、流行りですよね。
パワーパス経営とかもそうですけど、KPIはキーパフォーマンスインディケーター。
もうKPIは時代遅れだよという会社も多いかなというふうには思うんですけど、
KPIじゃなくてもいいですわ。
いろんなのありますよね、ポストモダンみたいな。
構造主義とポスト構造主義じゃないですけど、そういうのって常にマウンティングを取られる宿命ですからね。
KPI越えの何かしら、もう古いよっていうのもあるのは知ってますが、知ってたら喋るよってことですね。
あんまりよく知りません。興味がないからね。
数値化をすげえ求められるじゃないですか。
その数値目標の達成を求められますよね。
企業にいるとそうなんですよ。
これはおそらく農家の方とか一般商店にお勤めの、一般商店にお勤めている。
自分家でね、食堂やってますよとかいう方とか、
クリエイターの方とかっていうのにどこまで浸透しているのかって私知らないですけど、
おそらく農家でも農業法人だったり大規模な農家さんだったりすれば、きっと数値は絶対やってるはずだし、
それから飲食店も本当にいろいろだと思いますが、まず大手のチェーン店とか絶対やってるはずだし、
それから中堅どころとかでもですね、かなりそういう意識の高いところはあるのではないかと。
今だきね、マスターが趣味でやってますみたいな喫茶店がどんだけあるのかって話ですから、
ですし、クリエイターに関してもそういうところがひょっとしてあるのかなっていう感じはしますけれども、
そもそもクリエイターの方がその人を単身で生きていくっていうことって本当に難しい世の中だなと思っていて、
これはまた別の話ですけどね、いうふうに思ってますけど、
結構ありとあらゆるところで数値目標ってのは求められているのではないかと思います。
数値化の影響と反発
私は本当に不思議だったんですよね。嫌だというよりも不思議だったんですよね。
なんでそんなことをしなきゃいけないのかと。
別にみんながそれぞれにそれぞれの方向性を持って、熱意を持ってですね、仕事を進めていけばいいんじゃないのと。
あるいは私の出身の愛知県というのはですね、ものづくりで大変有名な土地柄なわけですけれども、
自動車工業とかありますよ、工場で、それこそLINEについている仕事っていうのもありますよね。
そうするとそこでいかに効率性を上げていくかっていうのがすごく大事になってくるわけですよ。
本当に雑巾の最後の一滴まで絞り切るみたいなこと。
これもまたある種、そういう数値を追い求めるというところではあって、
生産効率っていうのは、一つのLINEで1時間の間にいくつの商品、製品を作ることができて、
そのうち検査で弾かれちゃうものの割合がどれぐらいでみたいな、そういう数値を追求していくっていう話にはなってきますもんね。
おそらくやっぱりそういうところが最近の若者に嫌われているから、愛知県って人材の流出が続いているのかなっていうふうには思うんですね。
思うんだけれども、それって結局製造業であるとか、建築業であるっていうところが嫌われるということで、
どこ行ったって数値からは逃れられないっていう悲しさがあるかなと思いますけれども。
前段で言った、結局そうやって熱意があればなんとかなるぜみたいな、それって極めて昭和的っていうことになるんでしょうね。
昭和の時代っていうのは、基本的には働けば働くほど儲かるっていう、そういう世界観だったので、あんまり数値目標とか考える必要がなかったんですよね。
だって業績はどうせ右肩で上がっていくから。
とか言うとご高齢の方に怒られますからね。いやもうそんな楽な仕事じゃないよって。そうでしょうよ、銀行とかはね。
だけどそうじゃない仕事もすごく多かったと思うんですよ。ガチャマンの世界ですからね。
ガチャって一回機械を動かしたら1万円儲かるっていう。いうんじゃなくなっちゃったよと。
当然私の勤務先でもそういうことはあるんですが、なるほどねと思ったんです。
私の勤務先は新聞社なんで、比較的新聞社なんていうのは、なんか情熱みたいな感じで動く人多いんですよね。笑ってしまった。
いや本当に本当に。で、これはね、いいことなんですよ。今どき本当にこんな青臭いことで動く会社っていうのはね、いいですねっていうふうに思ってますよ。
やっぱり本気で社会のためになることとかを目指してますから、ジャーナリズムっていうものが支出するのであればそれはやるべきだみたいなことを普通に会議で言ってるんで、いやいや本当にいいですねって思いますけど。
そんな会社であってもやっぱり数値の目標はあるわけです。
で、なんか少なくとも報道の仕事ってやっぱり報じるべきを報じるっていうね、そういう比較的その価値っていうニュースバリューって言葉がありますけれどもに基づいて仕事をするところがあるんで、ある種ですよ。
採算とか考えないわけですよ。だってじゃあガザの報道したら儲かるんですかって言ったら全然儲かりませんよね。
だけどやるっていうのは言ってみれば、教授みたいな感じに近いのかなと。
やってもやらなくても稼ぎとしては変わんないんだけれども、それをやり続けることによって一つずつ報道機関としての信頼性を守っていくっていう。
空気売ってるみたいなもんなんで、新聞っていうのは。紙なんだけど売ってるのは。
そういう信頼が乗っているっていうところに皆さんお金をお支払いいただいているということですから、それも大事だったんですけれども。
ポッドキャスト制作の理念
そういうところにもしかし、本当にそれが皆様の信頼に結びついているのかみたいなところもやっぱり数値化されていくっていう。
そういう感じには、それこそ10年ぐらい休息になっているのかなっていう気はいたしますね。
私のやっている仕事っていうのはポッドキャストの制作なんですよ。
極めて理念的にやってまして、そもそもだいたいこの事業っていうのが当時5年前の取締役がやれって言ったから始まっているものなんで、あんまり通知目標とか関係ない感じで始まっているんですよね。
すっげえ悪い言い方をするとですね、偉い人の趣味みたいな感じがなくはなかったですから、
ただそれだとしょうもないんで、私は私なりに考えていろいろやってきたわけなんですけれども、
そのポッドキャストを作るっていうこと自体はしかし、私として打ち出しているのは、やっぱりその報道の新しい形。
そのままだと報道が滅びてしまうので、皆さんに対してですね、ものを伝えるっていうことをあらゆる窓口でやっていく、その一つの試みであるよということでやっていて、
意図的に従来の報道とは全然違う方式っていうのを探っているんですね。
だから音声メディアとしてくくられることが多いんですけれども、例えば既存のラジオ局では逆立ちしてもやれないようなことを我々はやっているという自負はあるんです。
こんなに本音で喋っている放送局はありますか?
本音っぽい喋りをできるプロはいますけどね。
で、まあそれいいんですけど。
そういう言ってみれば、私はもともと記者上がりってこともあって、報道の価値を高めるっていうところに重きを置いてきたので、数値とかっていうのはなんか再生回数は上がっていったし、それはそれで結構なことだなと思ってましたけれども。
冷静に考えると、ありがたいことにですね、私の仕事でやってるポッドキャストの方にもCMが入ります。
それなりのお金になるんですが、新聞社という会社の規模から考えるとですね、本当に消し粒みたいなお金にしかならないんですよ。
で言うと、その個人の配信者の方にね、ひょっとしたら失礼に聞こえるかもしれないですけれども、それは規模が違うんで、1人とか2人の人が食っていくのとですね、社員の数が何だ、3000人から4000人の間とかいる会社が食っていくって、これは全然違うわけなんで。
それで何か、そうすると私1人の人件費も全然出ないじゃないですか。
年間の稼ぎでね。
っていうことになってくると、本当に意味ないじゃん。おしまいってことになるわけなんですよね。
そういう中で、じゃあなんでこんなポッドキャストやってんのっていうことの立証ってのは常に求められるっていうことなんですよね。
元々記者だった人たちというか、今でも記者がいる人たちの部署があって、編集局って言うんですけど、記者とか編集者がいる部署に対しては、さっきのそういう新しい報道のあり方みたいな話っていうのは比較的通じるんです。
だけどね、その編集局の中でも役が上がっていく。
なんか具体的言わない方がいいか。
部長とかよりも上になったりとか、部長より上になったりとかいうことになってくると、そういう何か理念みたいな話はあんま通じなくなっていくんですよね。
現場で働いている人により理念の話はめっちゃ刺さるんですけどね。
むしろ何かそんな話してるのかっていう感じは出てきちゃうと。
で、そういう人たちって編集局外、新聞社で言うとビジネス部門とか言いますけれども、
私新聞の広告を売る部門であったりとか、紙の新聞を売る部門であったりとか、いろんな部門がありますけれども、そういうところに行くと寝言にしか聞こえないんですよね。
っていうか、そもそも言語として通じないなって感覚があって、それそうですよね。彼ら彼女らは日々の広告出向であったり、さまざまな営業収益みたいなのと向き合い、それによって本人の査定も変わってくるわけですから、それでいくら儲かるのって話には当然なるわけですよ。
で、正直、ポッドキャスト全然そういうふうに儲かんないから、まあ、はーんって感じはあるわけですよね。
で、でもそういう人たちにも分かる形で、ポッドキャストの存在意義を示すっていうことが必要になってくると。
そこで数字なんですよね。数字っていうのが必要になってくる。KPIとかもそうで、こういう理念というかこういう発想があって、このように会社に対して貢献できるので、それはこの数字が示していて、そこの数字はこれくらいの伸びしろがあってみたいなのを示していくっていうことでしかですね、話が通じないわけですよ。
共感ができないんですよね。だからまだにイーロン・マスクさんの話なわけですよ。
エンパシーっていうことが普通の言語だとできないので、数字にしなきゃいけないんですよね。数字になってようやくエンパシーができるんですよ、皆さん。
ああ、こういう理由でこの事業はやってるのねと。ポッドキャストを継続していると、こういう数値事情のメリットっていうのがあるからやってるのね。それなら理解できますよと。単体のCMの広告の収入がなかったとしても、こういう理由がある、なるほどなるほどみたいな。
数値による理解
だから同じ日本語という言語でしゃべっても通じないことが、数字にしたら通じるんですよね。
これがね、弱い50歳にしてようやく気づいたというか、ああそうかっていう社会って一定部分これで回ってんだっていうね。
いやー、記者なんて本当に物知らずですね。記者に乗ってって言うと私はですね、本当にこの神田大輔というのは物知らずだなと思いますよね。
だからみんな数値にしてるんですね。そうしないと伝わんないから。
これはね、なんかうまく説明するとか、中身のあることを説明するとか、正しいことを説明するじゃダメなんですよね。
数値で説明する。
なるほどと。
そういう言語なんだ、言語体験なんだと。
だからそういうエンパシーっていうものね、共感っていうものが西洋文明の問題点である、弱点である、宿話であるみたいな話っていうのとこれ共通してくるのかなと思うんですけれども。
だから別に人間の言葉はそこに求められていないわけですよ。
イーロン・マスクさんみたいな発想っていうのは、私から言わせればある種陰謀論的なものに、社会保障はネズミ口だっていうものに基づいてるんだけれども。
ただ彼の発想の理解ができる。私はイーロン・マスクさんに対してエンパシーっていうものを発揮して考えることができるんですよ。
全くシンパシーは持たないですけれども、彼みたいな教群の人にとってはやっぱりそういう意味わかんないですよね。
他の国で政を受けた人たちは、その国の中において様々な問題っていうのを解決すべきなのであって、別にアメリカでカリフォルニシア州がやってるみたいに、
不法に入国してきた人たちに医療のケアを与えるとか意味わかんない。
だってその税金っていうのはアメリカ国民が納めてるものですからね。
なんでなんでって話になるわけじゃないですか。
彼が言ってるのは、エンパシーすべきじゃないと。エンパシーしちゃうからそこで金の支払いっていうのをしちゃうと、医療ケアを与えちゃうと。
だけど別に全然そんなことしなければ、アメリカ国内っていうことに集中できるんだっていう、そういう発想じゃないですか。
教官っていうスイッチを切れって言ってるわけです。
そしてこの日本社会においても別に誰に言われるわけでもなく、教官のスイッチを切っちゃってる人っていっぱいいるっていうのは、
この間の前の話では、
イデオロギー的な方面で、
信者ビジネス的な意味合いで私言いましたけども、
左翼は左翼で寄り集まってるじゃないですか。
ああいうのが教官のスイッチを切ってると。
左翼は右翼の気持ちを分かろうとしない。また逆もしっかりっていうね。
だけじゃないんだなって。ビジネスもそうだって思って。
おそらくビジネスだからそうだってみんな思ってるんですよ。
ビジネスだからね。
資本主義だからね。
お金の儲かんない仕事意味ないからねっていう。
そういうプラットフォームってことですよね。
資本主義プラットフォームの下で、
いろいろ発想をしなきゃいけないっていうことになっていると、
報道の未来みたいな話になるわけじゃないですか。
聞いてる方の中でも言っては、お前何言ってんのと思ってると思いますけど、
そうやそういうもんだろ仕事っていうね。
そうですよね。私もいろんなアルバイトはしましたけれども、
そんななんか、
崇高な理念の下で働いてる仕事っていうふうに思ったことって別にそんなないですもんね。
卒業アルバムを配達するってアルバイトをしてましたけども、
とにかくあれですよ。
僕はアルバイトしてるんですよ。
卒業アルバムを配達するってアルバイトをしてましたけども、
とにかくあれですよ。
もうその日1日に配る学校の数は決まってますから、
さっさと片付けちゃったらほんのクソがいいんですよ。
働かなくていいもんね。
そういうもんですよ。仕事っていうのは本質的にはね。
ただまあ、
だとすればやっぱり何のために仕事をしてるのかっていう疑問からは、
疑問は常にもだざるを得ないのかなっていう感じがしますね。
実際それでみんな困ったり迷ったりしていて、
時には精神にだいぶ負担をかけちゃうわけじゃないですか。
よくないですよね。
だけどそうか、でも言語体系が違うとしたらやるしかないのか。
だから私はもう本当にそこら辺は、
英語を勉強するのと同じ感覚ですよね。
数値目標を作るっていうのは。
そうしないと話の通じない相手に対して、
意思の疎通を図るためのツールっていう感じ。
それがすごいやっぱり少し前に話した抽象的な話だと思うんですよね。
具体的な話にはならないわけじゃないですか。
このポッドキャストを流すことで、
このリスナーさんが涙を流したみたいな話、
訂正的な話って何の価値も持たないっていう。
それよりは再生回数であったり再生時日であったり、
新聞社に対する貢献の数字だったり、
みたいなのが上がるっていうことでしか価値がないわけですよね。
もはやそこを批判するのもせんないことなんだなっていうことが分かりましたね。
だってそういうもんなんだもん。
日本語喋んない人になんでお前英語喋んないんだ、日本語喋んないんだと。
日本語分かるよって言ったって一生分かんないじゃないですか。
だとしたら英語を勉強するしかないですよね。
アメリカ人とかイギリス人とかどうでもいいんですけど、どうでもいいって言っちゃった。
やっぱり世界各地にいる国の人、イラン人とか中国人とかフランス人とかとも、
お互いに英語を学んでいれば対等な立場でお話ができるっていうのは、
僕ら語が悪くない話だと思ってるんですね。
なんでそのようなことかっていう。
ただやっぱり鬱陶しいですね。英語がじゃなくて数値。
だから本当にお付き合い程度にしていこうっていう感じがしますよね。
人間として大事なものをいかに忘れないでいられるかの勝負みたいな話だっていうね。
企業の社員じゃなくなってもそういうことを続けていかなきゃいけないんでしょうね。
なかなか難易度の高い世の中であるなと思いましたね。
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